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    マドモアゼルは告げる オンボロ寮では談話室のテーブルを囲んで、二人と一匹で食事を摂ることになっている。それは彼女が寮母を務める前から決まっていたことで、だからこそ談話室だけは埃一つなくユウが掃除していた。今はその掃除は彼女の仕事に変わっていて、空いた時間を使ってユウは勉学に励むことができていた。
     その日もユウはクルーウェルやトレインが作った「監督生専用課題」に精を出していた。本来ならば勉学の遅れは自分で取り戻すものなのだろうが、異世界から来たユウにそれは酷というもの。それぞれ理系と文系の教師を代表して、ユウのために定期的に課題を出していた。
    「えーと、ハートの女王の裁判において評決なく判決が下されたのは、彼女自身が優秀な裁判長であるためである。薔薇の国の法律は、彼女が制定した法律の影響が今なお残っていると指摘したのは以下の内どの人物か答えよ……知らないよ……」
     ペンのお尻を唇に当ててユウは呟く。ぼやきながらも必死でテキストを繰り、解答を記した横に覚えるべきことを短く箇条書きにする。その人物の代表的な著書や、授業中ノートの端に分からないまま走り書きした、トレインの言葉。
     エースあたりが見れば「監督生マジメだね~」と笑うだろうし、「効率悪すぎ」とも言いそうであった。
     ユウはぐっと背を伸ばして詰めていた息を吐き出す。それを見ながら彼女は「あんまり根を詰めすぎないようにね」と焼きたてのクッキーを乗せたお皿を差し出した。
     この日もそうであるが、ユウは人の気配があるほうが落ち着くから、という理由で彼女がよく居る談話室で勉強をすることが多い。きっと本音でもあるだろうが、寂しさも忍び込んでいるのではないか、と彼女はうっすらと察していたから、ユウが勉強をするときはなるべく仕事やその他の手を止めて談話室に留まっていた。
    「あっ!甘い匂いがすると思ってたんですよね~」
     ふにゃりと笑ってユウは「寮母さんのクッキー大好きです」と言った。それに彼女は表情を綻ばせて「それはよかった」と言いながらハーブティーをいれてやる。
    「でも本当、そろそろ寝た方がいいんじゃない?」
    「うーん……明日から期末テストなんで、もうちょっとだけ頑張っておきたいんですよね」
    「そう言えばそうだったわね」
     レモングラスやカモミール、オレンジピールなどがブレンドされたハーブティーが爽やかで、どこか甘い香りを漂わせた。初めての香りにユウは「いい匂い~」とうっとり呟く。
    「寮母さん、いつも紅茶なのにハーブティーって珍しいですね」
    「……ちょっと、頂きものでね」
     言葉を濁しながら答える彼女を見てユウはピンときた。ははぁ、と心の中で呟くユウの顔が楽しそうだから彼女はこつん、と軽くその頭を小突く。
    「もう、そんなんじゃないわよ」
    「えー?私何も言ってないですよ?」
    「……もう!」
     これだから女の子って、と彼女は内心で呟く。自分だってそんな少女時代が確かにあったことなんて、天よりもはるか遠い棚の上である。大人ってそういうものだ。
     何をそんなに彼女が唇を尖らせているって、ここ最近クルーウェルとの仲をユウが邪推するからであった。バルガスとの一件以来、なぜだか妙にクルーウェルが彼女に声をかけてくる。わざわざオンボロ寮へ訪ねて来て、このハーブティーのようにちょっとしたものをくれることもある。
     例えば談話室の窓際に飾られている、ピンクのバラ。なんでもないように、「植物園で見かけて、貴女にぜひ」と一輪だけ渡されたのだ。花束ではないところがなんとも絶妙だ。二人の関係を推し量るような、ここまでなら受け取ってくれるだろうとでも言いたげのような。そんな贈り物ばかりだから、断るのも悪くって(断ろうとしたらあの弱ったような顔をして「受け取ってくれないのか?」と言ってくるのだ)、結局彼女はそれらを受け取るたびにクッキーを焼いてユウに持たせることになる。
    「寮母さん、自分で渡さないんですか?」
    「うーん……
     分かってるのよ?ちゃんと自分でお礼すべきって。
     でも苦手なのよ、あの人……」
     深い溜息にユウはちょっとおどけた調子で肩を竦めてハーブティーに舌鼓を打つ。なんだか彼女のクルーウェルへの苦手意識が日に日に募っている気がしてならないのだ。このままだとストレスでオーバーブロットしそうだな、なんてジョークにしては尖ったことを考える。
    「イケメンだし、意外に優しいし、いいと思うんですけどね。
     ちょっと変わってるけど」
     他人事のように言うユウに彼女は小さく息を吐き出す。
    「イケメンって基本的に顔がいいじゃない?」
    「そりゃあ……イケメンですから」
     何をいまさら、と訝し気な顔をするユウに彼女は苦笑をもらす。ユウがそんな反応をするのも当たり前だと分かってはいるのだ。
    「なんというか、ちょっと嫌な思い出があるって言うか」
    「あ!元カレだ!」
    「なんでそうなるのよー」
     分かった!と言うユウに彼女はぎくりとしながら笑う。時々ユウは話しているこちらが空恐ろしくなるほど確信を突いてくる。なんでバレたんだろう、なんて彼女は思った。
     ユウはユウで、ここ最近トラブル続きで(異世界に来たころから始まって、先日のマジフト大会のいざこざまで)、そういう話しに飢えていた。だってここは男子校。浮ついた話が一切ないのだ。たまには女性同士でそういう浮かれた話をして気を休めたいのだ。
     詳細を強請るから、彼女は渋々昔話をする。

     それは彼女がまだ学生だったときのこと。彼女はちょっといいな、と思う先輩と付き合うことになった。サークルの中でも人気な先輩で、かっこよくておしゃれで、女心をくすぐる言葉を良く知っている人。
     彼女はちょっとだけ浮かれた。……いや、けっこう浮かれた。
     だって彼女だって年相応の女の子だったのだ。自分だけの王子様ができたようで嬉しかった。
     だけど考えてみてほしい。その年頃の男の子って、まだまだ子供っぽくて、馬鹿をやる子が多いものだ。女の子の地雷を軽く踏み抜いて怒られる子だって多い。
     ではその元カレは多くの男の子たちと違って、本当に王子様みたいに完璧だったのか?そうだったならきっと彼女は今頃美形に対して苦手意識なんて持っていないだろう。
    「結局ね、四人くらい彼女がいるうちの一人だったのよねぇ」
    「なにそれ。ひどい」
     ぎゅっと眉間にしわを寄せてユウが言うから、彼女はそれを優しい眼差しをしながら人差し指でつついた。
    「もうね、事情を知ってる人からも、知らない人からもやっかまれるわ、笑われるわ。
     しかもほら、私ちょっと地味でしょう?
     隣りを歩いていたらなんだか居た堪れないきもちになっちゃってしんどかったのよね」
     後からクスクス笑いが「地味なくせに」よりも「本命じゃないのも知らないなんてカワイソー」が多かったのを知ったが、それでも彼女にとってトラウマに近い出来事だ。そう言えば、向こうに残してきてしまった彼は少し地味な顔立ちで、でも誠実な人だったな、と彼女はぼんやり想う。
    「サイテーじゃないですか、その人」
     悔しそうに唇を引き結んだユウの頭を彼女は優しく撫でる。もうそれだけで十分だった。当時の彼女がほんの少しだけど救われるのだ。
    「ふふふ、男の人を見る目って大事よね」
    「――だったらやっぱり!クルーウェル先生がいいと思います」
     前のめりなユウに彼女は「うーん」と困ったように微笑んでみせた。
    「でもその……恋人が居るから」
    「……え?」
    「私、向こうに恋人が――結婚を考えていた人が居るから」
     だからやっぱり無理だわ、と答えて彼女は自分のハーブティーを飲み干した。喉にひっかかった何かごと飲み込むように。
     彼女はお話しはおしまいとでも言わんばかりに自分のカップを手に立ち上がる。明日試験なら、あまり夜更かししちゃだめよ、と言いながら。その言葉を聞きながら、ユウは気の抜けた顔で「……はい、寮母さん」と呟いた。
     ユウの心の内側に残ったのは、ブラックコーヒーのように苦い罪悪感であった。
     彼女は学園の廊下を歩きながらそっと溜息をつく。なんだかすっかりと疲れてしまって、今すぐ甘いプリンでも食べてぐったりと横になりた気分だった。だから帰りには購買でプリンを買おうと決心する。彼女は甘いものには魔法がかかっていると思っている。疲れを癒す魔法が。
     とはいえ、購買に顔を出すのは少し億劫でもあった。サムがにんまりとした意味深な笑みで「小鬼ちゃん、素敵な王子様が欲しければ、このサムにいつでも言っておくれ」なんて言うのだ。頷いたら最後、何が出てくるか分かったものではない。
     ところで、彼女が何にこんなに疲れているかと言えば、急に学園長からお呼び出しがあったのだ。オンボロ寮の運営・管理についての報告をするように、と言うので赴いたのだが、紅茶三杯にも渡る愚痴を聞かされ続けるはめになってしまった。しかもグリムの監督がなっていない、とまで言われると「でもいい子ですよ。やんちゃですけど」と言うしかなかった。
    「おや、今日は珍しい方から歩いてくる」
     落ち着いた、聞き覚えのある声に彼女はぱっと顔を上げる。初老の、厳めしい顔の紳士がほんのりと口元を緩めていた。モーゼス・トレイン。彼女が慕っている教師であった。
    「トレイン先生!」
    「淑女がそう下を向いて歩くものではない」
     手厳しい言葉に彼女は苦笑しながら「すみません、先生」と答える。まだまだ彼女が少女だった頃に担任をしていた先生にどことなく似ていて、彼女はトレインに対して勝手に親しみを感じていた。それに、何かおすすめの本はありますか、と聞くと必ず歴史の学術書(とは言っても平易で彼女にも分かりやすいものだ)と、読み物として女性に人気の本を教えてくれる。わざわざ調べて教えてくれているのだろうかと思うと、彼女はこの先生のことを好きにならざるをえなかった。
     それに、大人の落ち着いた雰囲気とでも言うのだろうか。トレインのまとう穏やかな空気は好ましものであった。
    「そう言えば先日おすすめ頂いた本、とても面白かったです。ユウさんのお勉強の範囲でもあったらしくて、二人で交代で読んだんです」
     嬉しそうに笑みを浮かべる彼女にトレインは「それはよかった」と返す。それから「同じ著者の『熱砂紀行』を読んでみるといい。あれはフィクションが多いが面白く、考えさせられる内容だ」と続けた。
     トレインはよく学生から「厳しい」と言われるし、本人もその自覚がある(そうでもないとこの学園で教鞭を握るのは難しいという現実問題がある)が、素直な生徒には好感が持てる。とくに、自分がすすめた書物を読んで感想を話しにきたり、分からないところを聞きにくる彼女のことは、少し大きな生徒くらいに思っていた。
    「そうだ、もしよろしければトレイン先生もいかがですか」
     昨夜焼いたばかりのクッキーをラッピングしたものを差し出す。
     昔からそうなのだが、彼女はストレスがたまると無心にクッキーを量産する癖がある。この世界に来てから、言語化できないような小さなストレスが溜まっているのは彼女も理解しているのだが、それを根本的に解消することも難しく。結局、こうしてクッキーを量産しては出会う人出会う人に配り歩くことになっていた。
    「ほう。ありがたく頂こう。
     職員室で君のクッキーは好評で、私も一度頂いてみたいと思っていた」
    「そう言われるとプレッシャーが……」
     ほんの少し困ったような顔をする彼女にトレインはくすりと笑った。
    「冗談だ。
     それより、お昼はもう食べたかね?」
    「いえ、これからです」
     もしよければご一緒にいかがですか、と目を細める彼女にトレインは「ぜひ」と答えようとしてそれからやめる。その代わりにくつくつと喉を鳴らすように笑ってから「いや、やめておこう。馬に蹴られるのは勘弁願いたいものだ」と言って彼女の肩を軽く叩くと、そのままルチウスを抱いて去って行く。
     彼女を追い越しざまに「今度、私からお誘いしよう」と言っていたから、機嫌を損ねたというわけではなさそうだった。彼女は不思議に思いながら小首を傾げて、それからゆっくりを歩き出す。せっかく久しぶりに誰かとお昼を一緒にできると思ったのに。
    「レディ」
     背後から聞こえた声に彼女は少しだけどきりとして振り返る。昨夜の話しを思い出してしまって、ほんの少し、彼女の心にしこりができる。
    「クルーウェル先生……お疲れ様です」
     内心のことなんて顔には出さずに、彼女は穏やかに微笑んで挨拶をする。それに「貴女も」と返って来たからぼんやりと笑みを深めた。
    「もしよければ、ランチを共にする栄誉を頂けないか?」
     おすすめのサンドウィッチがある、とうっすら笑ったクルーウェルに彼女は少しぽかん、として。それからクスクスと笑って「素敵ですね」と言った。気取ったクルーウェルのおすすめがサンドウィッチだったことが、なんだか彼女には可愛くて、そしておかしかったのだ。
    「私もちょうど、デザートのクッキーがあるんです。
     昨日のハーブティーのお礼にいかがですか」
    「それは光栄だ」
     澄ました顔で言ったクルーウェルに、彼女はなぜだかつきりと胸が痛むのを感じながら隣りを歩くのだった。

     レタスとトマト、それからベーコン。シンプルなのに、たまねぎだろうか、旨味がしっかりでたソースが入っているせいで、複雑な味わいを生み出すサンドウィッチに彼女は舌鼓を打った。たしかにこれは、人におすすめしたくなる美味しさだ、と彼女は呟く。
    「おいしい!こんなにおいしいのは初めてです」
    「それはよかった」
     青空の下、周りにほとんど生徒の居ない場所でベンチに隣り合って。彼女は普段の緊張や苦手意識なんてすっかりと忘れて美味しさを堪能していた。サムがおまけにつけてくれたほくほくのポテトも、ハニーマスタードの甘すぎず、さっぱりとした味わいがまた堪らない。
    「そう言えば今日は期末試験らしいですね。
     先生方もお忙しいんじゃないですか」
    「そうでもない。この時期はさすがに真面目に勉強に取り組む仔犬が多いからな。
     むしろいつもよりはトラブルが少なくてありがたいな」
     くっくと笑うクルーウェルに彼女はくすくすと笑い返す。彼女も薄々分かっていたが、この学園は少しやんちゃな生徒が多い。例えばグリムとエースなんて、ケンカの末に教室を丸焦げにするのなんて日常茶飯事だ。
     他の生徒だってよくケンカをしているらしく、あちこち傷を作っている生徒を見かけることも少なくない。たまに食堂でお昼を取ろうとすれば、騒がしくてびっくりするくらいにはみんな元気がいい。もちろん、一部例外もあるのだけれど。
     彼女はそんな騒がしさを遠くに聞きながら「ここは静かですね」と呟いた。
    「穴場でな。
     良かったら貴女も使うといい」
    「いいんですか?」
    「もちろん。むしろオレの楽しみが増えるというものだ」
     目を眇めて、何か眩しいものでも見るようなまなざしのクルーウェルに彼女は言葉を失った。ずきずきと、体の奥底が痛むような、そんな感覚を覚えて視線をそらす。手の中のサンドウィッチはあと一口だと言うのに、なぜかそれが大きく見えた。
     それでも彼女はその一口を食べきって、それからもう一度クルーウェルの方を向いた。彼の手にはとっくにサンドウィッチなんてとっくに残っていなかった。
    「……あの、困ります」
     ぽつり、と彼女は呟いた。その言葉どおり、眉尻を下げて困ったように微笑む彼女を見て、クルーウェルはぼんやりと何を間違えたかな、と思った。
    「困る、か。
     オレのことは嫌いか、レディ」
     ストレートな質問に彼女は言葉に詰まる。そんなはずがない。だってクルーウェルは確かに見た目が派手で怖いが、それでも実際には優しくて、親切な男だ。どうして嫌いになれるというのか。
     彼女は小さく首を横に振った。
    「では、なぜ」
    「……それは」
     どうしよう、と彼女は迷った。
     彼女はクルーウェルから明確に好意を伝えられたわけではない。今の会話だって、友人同士の会話だと言われればそれまでだ。例えクルーウェルが誤解しそうな言動を取っていたとしても。
     自意識過剰、と誰のものかも分からない声が頭の中に響いた気がした。
     すっかり口を噤んで下を向いてしまった彼女を見て、クルーウェルは少しだけ顔をしかめる。それからゆっくりと口を開いた。
    「レディ。オレと交際してくれないか」
     物は試し、くらいの気持ちだった。断られるだろうな、という予感はあった。それでもクルーウェルはその言葉を口にせずにはいられなかった。とは言え、好きだと言えないのは彼のプライドと、それから意地のようなものではあったが。
     彼女は案の定ゆるゆると困り顔を作って「ごめんなさい」と呟いた。
    「結婚を考えている人が……」
    「――まさかとは思うが、オレの知っている男か?」
     小さく首を傾げるクルーウェルに彼女は少しだけ苦笑を浮かべる。そんなまさか。ここに来てまだそう長い時間を過ごしたわけではない。短い時間でそこまで考えられる人が表れるわけがなかった。
    「あちらに」
     彼女の言葉にクルーウェルは「そうか」と小さく呟く。それでもなぜだろうか、彼女にはとてもクルーウェルが諦めたようには見えなかった。むしろその瞳の奥に、何かが燃え上がるのを見てしまった、そんな気までしてきた。
    「あの、」
    「レディ。これだけは言っておこう」
     クルーウェルは彼女が何か言う前に言葉を紡いだ。
    「オレは諦めが悪い。覚悟しておくように」
     すがすがしい程の笑顔だった。晴れ渡った青空が映えるような。彼女は何もかもを忘れてその笑顔に見入って、それから気が付いたときには手を取られて、そっと口付けを落とされていた。優しく労わるような、見た目にそぐわないキスだった。
    「寂しくなったらいつでも言うように」
     オレが慰めてやろう。
     悪い顔で言ったクルーウェルは呆れるほど綺麗だった。
     ズルい男だ。
     彼女は何度目か分からない感想を胸に抱いた。何も言わせることなく去って行くその背中をしばし見つめながら。
     クッキーを二人で食べ損ねたことに気が付いたのは、クルーウェルの背中がすっかり見えなくなってしまってからであった。
     サムはおや、と首を傾げた。
     ここのところクルーウェルは、いつも仕事がひと段落した頃に購買によって何か楽しそうな顔をして買い物をするのが常であった。毎日というほどではないが、結局何も買わずに帰った日もあったことを考えると結構な頻度で訪れていた。
     買ったものを見ればなんとなく用途は知れるし、なによりも秘密の仲間が教えてくれる情報によって、クルーウェルがいつもどういうつもりで買い物をしているかなんて、サムにはお見通しであった。だからその日もそうかと思ったのだが大違いのようである。彼は最近にしてはとても珍しく不機嫌そうに顔をしかめていた。
    「いらっしゃい小鬼ちゃん。
     今日はどんな贈り物をお探しかな?」
     ばちりとウインクを決めて(サムはこの仕草が一番自分にぴったりの、チャーミングな仕草だと心得ていた)問いかける。それにクルーウェルはしかめっ面で「酒だ」と呟いた。
    「おや、一緒に晩酌をする仲に?おめでとう小鬼ちゃん」
    「さては分かっていて言っているな?」
     クルーウェルのじとりとした視線にサムはひっそりと笑った。当然である。お得意様の情報は大切なのだ。それでもサムはなんのことだい、とさらりと躱して見せる。それこそがサムがサムたる所以であり、そして商人たる姿勢であった。
    「悩み事なら聞いてあげるよ」
    「結構だ。商売のネタにされるのがオチだろう」
     クルーウェルのにべもない言葉にサムは小さく肩をすくめた。どうやら本気でご機嫌斜めらしい。
    「ふむ……君は意外とあの小鬼ちゃんに本気だったんだね」
     予想外の対応にサムが感心したように呟けば、商品を薄目で見ていたクルーウェルの顔が固まる。それから小さく「は?」と呟いた。
    「オレが本気、だと?」
    「あれ?違うのかい?
     だって君、小鬼ちゃんたちが噂するくらい最近ずっと機嫌が良かったのに、彼女にフラれた途端にご機嫌斜めになっちゃってさ」
    「それは」
     オレがどこの誰とも分からない男に負けたのが悔しかっただけだ。クルーウェルは心の中で言い訳のように呟く。
     だってここ最近、寮母はクルーウェルに少しずつ微笑みを見せるようになっていた。身構えた、こちらに来るなと威嚇せんばかりの笑みではなく、少し緩んだような、少女性を秘めた微笑みを。
     贈り物をすればなんだかんだと受け取ってくれたし、クルーウェルが弱ったような顔をすれば買い物帰りにオンボロ寮まで送るのを許してくれた。声をかければちゃんと応えてくれるし、時折優しい眼差しをこちらに向けるのだってクルーウェルは気が付いていた。
     クルーウェルが経験の少ない男であったなら勘違いだと片付けていたかもしれない。でも、たしかに、彼女からはほんのりとした好意を感じ取っていた。だから今日のあれは早急だったかもしれないが、時間をかければきっと彼女はクルーウェルだけを見てくれるはずだ、と心の中のどこかで確信していたのだ。
     それなのに。
    「……本気だった、だと」
     クルーウェルは呆然と呟く。
     その様子を見ながらサムは頬杖をついて「おやおや」と呟いた。その反応こそが、いい証拠ではないか。サムはこっそりと苦笑する。
    「……赤を一本くれ」
    「二万マドルだよ」
     言いながらサムはワインボトルを取り出した。クルーウェルの一等好きなラベルである。ガツンと強めのファーストインパクトとは裏腹に、酸味とフルーツ味が複雑に、濃厚に絡み合う味わい。そしてどこか郷愁を誘う後味。クルーウェルが「赤」と言えばこの赤ワインのことであった。
     いつも通りの品物をいつも通りに買うのに、その顔はいつもと違って迷子のような顔をしている。いや、難問にぶち当たった少年とでも言うべきか。とにもかくにも、普段の彼らしくない顔にサムは「セーンキュー、悩める小鬼ちゃん」と笑った。

    「珍しいこともあるものだ」
     トレインの呟きにクルーウェルは気まずそうに頭をかいた。気難しい顔をしているが、それでも膝元のルチウスを撫でる手は優しいし、ワインを煽る仕草は品に満ち溢れている。クルーウェルとはまた別の意味で余裕のある男である。
     物の少ないクルーウェルの私室で、トレインの言う通りとても珍しいことに二人は向かい合ってワインを嗜んでいた。アーモンドにチーズ、それからチョコレートをつまみにして。
    「私と飲んでも面白くないだろうに」
    「一人で飲むよりはずっといい」
    「そういうときはもっと気の利いたセリフを言うべきだな、デイヴィス・クルーウェル」
     五点だ、と淡々と呟くトレインにクルーウェルは「それはそれは」と適当に相槌を打つ。間違っても十点満点ではないだろうな、と冷静に考えながら。だけど百点満点だったらちょっと傷つくかもしれない。
    「せっかく君のお気に入りのレディとランチを共にする栄誉を譲ったというのに、随分と浮かない顔をする」
    「……気づいていたのか」
    「気づいていないと思われていたのであれば心外だな」
     何でもないように言いながらトレインはチーズをつまんだ。まろやかでありながら、どこかさっぱりとしたほのかな酸味が赤ワインによく合っている。これで目の前にいるのが澄ました顔の若造でなければずっと楽しいのに、とトレインは心の中でぼやく。
     髪をすっかり下して、シャツとスラックスだけのラフな姿のクルーウェルは小さく溜息をつく。今日、寮母をランチに誘うほんの少し前。彼は少し離れたところから二人のやり取りを見ていた。トレインに見せる笑顔はすっかり心を解しきったもので、声は聞いたこともないくらい弾んでいた。あれに嫉妬したときだろうか。彼女に本気になったのは、と馬鹿みたいなことをクルーウェルは考えた。
    「結婚を考えている相手が居るそうだ」
    「ほう、それはいいことだ。
     祝福してあげるといい」
     他人事のように(実際に他人事である)、トレインはくつりと笑っていった。膝のルチウスは「な゛ーう」と鳴いてごろごろと喉を鳴らしている。
    「性格の悪いジジイめ」
    「褒め言葉として受け取っておこう」
     クルーウェルの唸るような言葉にもさらりと躱す。これが年の功というものだろうか。クルーウェルはまるで勝てる見通しが立たなかった。そもそも、勝ち負けも何もないのだろうが。
    「それにしても可哀想なことだな」
    「は?」
     ひくり、とクルーウェルが口元をひきつらせる。しかしトレインはクルーウェルのことなどまるで見ず、夜空を飾った窓を見つめた。どこか遠くを見るような顔で。
    「結婚したかった相手といつ再会できるか分からないとは、まったく、哀れなものだ」
    「……」
     自分のことを言っていたわけではないらしいと察して、クルーウェルは口を噤んだ。それから何か苦いモノでも飲み下すようにワインを煽る。品がないことこの上ないが、ごくりと大袈裟に喉を鳴らして。
    「デイヴィス・クルーウェル。
     彼女を口説くのならば一つアドバイスをしてやろう」
     トレインの顔を見てクルーウェルは思いっきり眉を寄せた。よりにもよっていたずらっ子のような顔をしていたのだ。非常に珍しいことに。
    「彼女の好みは素朴で、誠実な男らしいぞ」
    「……それはドーモ」
     くつくつと笑うとトレインはルチウスを抱いて立ち上がった。抗議するようなルチウスの鳴き声を聞き流してトレインは「年寄りはこれで退散するとしよう」と部屋を出ていく。それを見送ってクルーウェルはぼすりとソファに背中を預けた。なんだかもう、何もかもが嫌になってくる。
    「知ってたならさっさと言え、クソジジイが」
     やけくそのように呟いた言葉は、誰にも聞いてもらえずにゆらゆらと部屋を漂ったあとに溶け消えるのだった。
    宇喜たると Link Message Mute
    2022/06/20 18:08:04

    マドモアゼルは告げる

    #not監督生 の  #クル先夢 です。

    ※シリーズ通してクル先がかっこよかったりかっこ悪かったりしてます。
    ※夢主はネームレス寮母さんです。
    ※デフォルト名(ユウ)の女監督生がいます。
    ※捏造てんこもりです。
    それでも良ければどうぞ。

    #twst夢

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