願い事ふたつ、ひとつ「寒い寒い寒い死ぬ…」
「おいこの遠くで鳴ってるの除夜の鐘か?年明けるじゃねえか…」
「ヌ〜…」
吸血鬼退治人に年末も正月もない。
いや、むしろ年末や正月の方が仕事が増えると言ってもいい。
人に害をなす敵性吸血鬼は、往々にして獲物たる人間が浮き足立つイベントごとや人混みを狙うものだ。
今日も今日とてギルドの応援要請に駆けつけた二人は、疲れた体を引きずるようにして家路を歩いていた。
「日本の大晦日ってのはこたつで紅白観ながら蕎麦を食う日なんじゃないのか?なんだ吸血鬼リンボーダンサー幸子バージョンって!終盤の衣装替えは見応えがあったけれども!」
「そんな平和な大晦日なんかもう何年も過ごしてねぇよ!退治人業ってのはそういうもんなの!文句ならお前の同胞に言え!」
「だから血族以外は一括りにするなといつも……ん?」
角を曲がったところでドラルクがふと足を止めた。
視線の先には複数の人影。
「なんだかこの辺りは人が多いな?こんな時間なのに…」
「あー、近くに神社があんだよ」
「おお!初詣か!」
パチンと指を鳴らした吸血鬼は三白眼の瞳を輝かせた。
「テレビで見たことがあるぞ!願い事をしておみくじを引いて甘酒を飲むんだろう?寒さと人混みで死にそうだから実際に行ったことはないがね!」
「ヌーヌー!」
そういえば、こいつは去年まではあの辺鄙な場所の城に引き篭もりだったのだ。こういった年中行事にはあまり縁がなかったのかもしれない。
寒いし面倒だし疲れているし早く帰りたい、と思っているロナルドの口から全く別の言葉がこぼれた。
「…ちょっと寄ってみるか?」
「うわ、思ったより混んでる」
「真夜中だと言うのにすごい人だなあ」
境内までの石段にはすでに行列ができていた。
早くも少し後悔したロナルドをよそに、元引きこもりの主従ははしゃいだ様子でキョロキョロと周りを見回している。
「おお見ろジョン!出店も出てるぞ!祭りのようだねえ」
「ヌヌヌイヌー」
ニコニコと上機嫌なドラルクがロナルドを振り返った。
「君は毎年ここにお参りに来るのかね?」
「あ?いや、俺は…」
毎年この時期は仕事が忙しいし、そもそもわざわざ一人で参拝に来るほど信心深くもない。初詣なんて子供の頃以来かもしれない。当然この神社も境内に入るのは今日が初めてだ。
「俺もここは初めて…」
ロナルドの声をかき消すように、わあ、と周囲が賑やかになった。
「おや、年を越したようだな」
スマホの時計を見ると、ちょうど0時になったところだった。あけましておめでとう、今年もよろしく、と口々に言い合う声が聞こえる。
お決まりの挨拶だが、厚かましい居候たる連れにそれを言うのは癪に触って、ロナルドはむっつりと口を結んだ。
そんなロナルドには見向きもせず、ドラルクはうきうきと石段を登って行った。
「お!賽銭箱があるぞ!ほらジョン5円玉だよ」
財布から長い指で硬貨を2枚取り出し、使い魔と分け合ってくふくふと笑う。何がそんなに楽しいのか。いや楽しそうなジョンは可愛いけれども。
「200歳のオッサンがはしゃぐなよ」
「何を言うか、こういうものは精一杯はしゃいだ方が楽しいだろうが」
「ヌンヌン」
「200年生きてきて初めて来たんだもんねえ、面白いよねえジョン」
「ヌー♪」
「…ほら、次だぞ。そこにやり方書いてあるから。賽銭入れてからこうしてお参りすんの」
「なるほど!ここで願い事もするんだろう?」
「あーまあそうだな、無病息災とか商売繁盛とか」
「まあ5円で叶えてもらえる願いなんぞたかが知れてるだろうがね」
「なんでそこで急に冷めるんだよ…」
賽銭を箱に投げ入れ、二人と一匹で並んで柏手を打つ。ちらりと隣を盗み見ると、ドラルクは目を閉じてなにやら熱心に願い事をしていた。そういえば吸血鬼の信仰ってどうなっているんだろう。ジョンは熱が篭るあまり眉間に皺が寄っている。可愛い。
ロナルドも彼らに倣って目を閉じた。
参拝を終えたらさっさと帰るつもりだったロナルドは、もっと色々見て回りたいという主従に境内を連れ回される羽目になった。疲れて腹も減っていたが、ジョンの頼みでは断れない。
「これがおみくじか!ジョンも引いてごらん。どれどれ…」
「末吉」
「小吉」
「どっちが強いんだっけ?」
「強さとかあるのこれ」
「ヌイヌヌ!」
「おっジョン大吉じゃん!ジョンが優勝だな!」
「勝敗とかあるのこれ」
「甘酒配ってるってよ」
「うーん、液体だしちょっと舐めるくらいならいけるかなぁ」
「余ったら飲んでやるから味見してみれば?」
「ジョンも飲んでみるかい?いい香りだよ」
「ん、うまい」
「ふうん、甘くてあったまるねえ」
「ニュ〜…」
「え?出店はやめておこうよジョン。帰ったら夜食があるよ」
「ヌンヌー」
「だめだめ、私のご飯の方が美味しいよ。知ってるだろう?」
「ヌヌヌヌ…」
「じゃあそろそろ帰ろうか。お腹すいたね」
空腹を訴えて丸くなるジョンを抱え直して、ドラルクはケラケラと笑った。
「やあ、なかなか楽しかったよ。知識として知ってはいたけど、聞くと見るとじゃやっぱり違うねえ」
「そうかよ」
思いのほか長居をしてしまった。甘酒程度の暖ではすぐに冷めてしまう。ロナルドは自分の両肘を抱えるように腕を組むと、出口に向かって歩き出した。
「そういえば君は神様に何をお願いしたんだ?」
「あ?あー…」
不意にドラルクにそう尋ねられて、ロナルドは視線を泳がせた。
「……あれだ、そういうの誰かに喋ったら叶わねえんだってよ」
うろ覚えだが、たしかそんなルールがあったような気がする。
「なんとそうなのか?まあ君のことだからどうせ、私を早く追い出せますように〜とか、巨乳の彼女ができますように〜とかなんだろうがね」
「だから言わねえって。そういうお前はどうなんだよ」
「いや私も言わないけどね、今の流れで」
「どうせ、ドラルクニューキャッスルの建設資金が早く貯まりますように〜か、ドラドラチャンネルの登録者数が増えますように〜だろ」
「だから言わないってば」
「ふん」
ロナルドは鼻を鳴らすと首を竦めた。
元々こいつの願い事にさして興味はない。さっき自分が挙げた例のどちらかか、今年こそ美少女の生き血を吸えますようにとか、せいぜいそんなところだろう。
「あーさみィさみィ、早く帰って年越し蕎麦食おうぜ」
「もう年明けちゃったけど?」
「いいだろ別に、冷えたしあったかい蕎麦と天ぷら食いてえ」
「ヌヌヌン!」
「はいはい海老天ね、ちゃんと用意してあるよ」
そういえば年越し蕎麦なんてものを食べるのも何年振りだろうか。カップ麺の蕎麦くらいは食べたことがあったかもしれないが。想像したらますます腹が減ってきた。早く帰ろうと、自然と歩幅が大きくなる。
「あー、おい若造」
「あ?」
こちらが早足になっていたのでドラルクは少し後ろにいた。呼ばれて振り返ったが、相手はこちらを見向きもせず腕に抱いた使い魔の顔を眺めている。
「あー…………今年もよろしく」
ジョンの首元をこしょこしょと撫でながら、ドラルクはこちらを見ないまま早口でそう言った。
「……おう」
ぶっきらぼうに応じて、ロナルドはぐいとマフラーを鼻先まで引っ張り上げる。
マフラーからはみ出した耳に、夜風が冷たかった。