こんなはずでは 1「おおおおいっ!ちょっと!ほんとどうしちゃったのロナルドく、ヒエェ…」
砂から復活した男は、まだ自分が俺の腕の中にいることに絶望して悲鳴を上げた。
むしろ絶望してるのはこっちの方だと、俺は内心で泣き叫んだ。
「クハハハハ!私は吸血鬼『性的嗜好を3倍に増幅させるおじさん』!!!」
迷惑吸血鬼の通報を受けて現場に到着した俺達退治人は、ターゲットの名乗りを聞いて膝から崩れ落ちた。
「せ、性的嗜好を3倍に増幅させるおじさん…!?」
「また変態なの!?もうシンヨコ封鎖しろ!この街は汚染されてる!!」
「100倍とか5億倍じゃなくて微妙に控えめな数字なのはなんで?」
「いやだってそんな100倍とかにしちゃったら危ないじゃないか。暴走して他人に危害を加えるかもしれないし」
「いや変なとこ冷静〜!」
「こっそり隠してた性的嗜好を我慢できなくなってうっかり友達にバラしちゃうとか好みのタイプの子に突然ガンガン猛アプローチしちゃうとかそういうハプニングが見たい」
「人間関係を破壊するって意味では充分脅威だな…」
「催眠使われる前にぶっ倒すぞ!」
催眠能力以外は普通の人間レベルだったため、退治は瞬殺で終わった。もともと物陰に潜んで標的にこっそり催眠をかけるタイプのやつらしい。
「ロナルド、さっき催眠波が掠らなかったか?」
「ああ、危なかったけど特に変化ないし、多分避けられたと思う」
「そうかよかった。でも念のため巨乳のお姉さんに襲い掛かる前に帰った方がいいな」
「嗜好が3倍になったくらいでそんな痴漢みたいな真似しねえよ!ていうかそんなら今マリアに何もしてない時点で大丈夫だろ!」
「うわっお前俺をそんな目で見てたのか、引く」
「最低ね女の敵」
「ウェェェエン!催眠波避けたのに人間関係が破壊された!」
女性陣からいわれのない罵倒を受けて俺は泣きながら事務所に戻った。
こんな話ロナ戦のネタにもできないし、今日はもう夜食食ってさっさと寝てしまおう。忘れたい…と居住スペースのドアを開けると、居候のクソ雑魚吸血鬼がキッチンに立っていた。
「お?おかえり。随分早かったんだな。ちょうど夜食ができたところだよ。すぐ食べるか、ね…?ちょ、どうし」
俺は無言でそいつのそばに寄ると、渾身の力で抱き潰した。
最初の抱擁による物理的な圧死で1回、復活したところを今度は潰さないようにと加減して抱き締めたらビックリ死で1回砂になった。
そして冒頭の悲鳴に戻る。
俺も死んでリセットしたい。なんでこんなことになってる。
内心の動揺とは裏腹に、俺の手はクソ砂吸血鬼をガッチリ抱き込んで離さない。
目の前の尖った耳に額をすり寄せると、ドラ公の肩がぞわぞわと震えたのがわかった。
耳たぶが柔らかくてすべすべで気持ちいい。
「おい…あの…大方変な催眠にでもかかってるんだろうがさすがにちょっと説明して欲しヒイィィ…」
折れそうに細い首筋に鼻先を埋めて息を吸い込むと、ドラ公が情けない悲鳴をあげた。
高い線香みたいな匂いが胸いっぱいに広がってくらくらする。
ああ俺この匂い好きなんだよな。ベッドの隣に置いた棺桶から薫ってくるこの匂いを嗅ぐと落ち着いて寝られるんだ…って違う!そうだけどそうじゃない!
多分間違いなくさっきの催眠のせいだ。クソッ、避け切れてなかったか。いやだとしてもだ、だからってなんでこんなことになってる!?こいつはガリガリの男で、たしかに歳はすごく上だけどおおよそ俺の好みじゃ…
「…おっぱい…」
「何て?」
そうだそうだよおっぱいだよ、俺は大きいおっぱいが好きなんだよ。こいつにはついてないじゃないかちゃんと確認しようそうすればきっと正気に戻るはずだ!
俺は慌てて体を離すと、ドラ公の大胸筋を両手で鷲掴みにした。
「ギエェッ!?なにをす…」
ドラ公がコウモリを潰したような声を出す。
辛うじてビックリ死までは行かなかったが頬っぺたの端がちょっと崩れた。
片手で余りそうなくらいの細い胴回りには、当たり前だが何の膨らみも柔らかさもなかった。
よくこれで生きていられるなというくらいの、骨と皮だけの洗濯板。服の上からでもゴリゴリした感触がわかる。
なのにどういうわけか、俺はそのゴリゴリから手が離せないでいた。
「うう…おっぱいない…おっぱいない…」
おっぱい無いのになんでだ、なんで。
俺は絶望の涙を流しながらドラ公の洗濯板を撫でさすり続けた。
「あってたまるか…ていうか君仮にも他人の胸板をまさぐりながら泣くとか失礼にも程があるぞ…」
ちょっと慣れてきたのか、それとも俺の取り乱し様を見て逆に冷静になったのか、ドラ公が呆れた様に言った。
「ちょっと気の毒になってきたな…とは言えなんか気持ち悪いしそろそろ落ち着いて事情を説明して欲しいんだが?」
跳ね上がった眉の形が妙に色っぽく見える。俺の目はどうしたんだ。こいつも動揺してるはずなのに、胡乱な半目に年長者の余裕みたいなのが滲んでてちょっとグッとくる。いやマジで意味がわからない俺馬鹿じゃねえの死ねばいいのに。
ていうか気持ち悪いってなんだよ傷つくだろ。いや待てそりゃ普通に気持ち悪いよなだって相手俺だぞごめんドラ公ごめん。
「ごめん…ごめんドラ公…ごめ…グスッ」
「いや胸触りながら泣いて謝られるとか反応に困るな…君ほんとどうしちゃったの可哀想に」
厄介な催眠もあったもんだねえ、と言いながらドラ公が俺の背に腕を回した。
「ほれ、いいからちょっと落ち着け、全く意味がわからん。巨乳のお姉さんの幻覚でも見えてるのかね?」
ぽん、ぽん、と宥める様に優しく背中を叩かれて、ぶわわわわっと俺の頭が沸騰した。
「だっっっから、なんでそういうことすんのおぉーーー!!!?」
「ヴァーーー理不尽んんん!!!」
力加減を忘れた俺に再び抱き潰されて、ドラ公は断末魔を上げながら砂になった。
「ごごごごめん!マジでごめん!いま俺ほんとだめだからタイム!!」
だめだ、これ以上ここにいたら何をするかわからない。
サラサラした塵の手触りを堪能したい気持ちをねじ伏せて、俺はバスルームに飛び込んだ。
シャワーを全開にして頭から冷水を浴びる。
「くそっ、なんだよ全然聞いてた効果と違うじゃねえか!何が性的嗜好だ、俺の好みは全然あんなのじゃ…」
ああ、肌すべすべで気持ちよかったな。肋のデコボコを直接触ってみたい。優しく撫でたらどんな反応するんだろう。あの余裕ぶった顔が焦って取り乱すところがたまんねえんだよな…
「わあああああ!!違う!俺は!俺はああああ!!!」
1時間後に催眠が解けるまでバスルームで滝行を続け、俺はどうにか最後の尊厳を守った。(と思う)
どうやらドラ公は逃げたらしく部屋はもぬけの殻で、俺は安堵と自己嫌悪で号泣しながら眠りについた。
どうか全部悪い夢であってくれと祈りながら…