こんなはずでは 3ネットカフェに泊まった翌朝。
午前7時のチェックアウトまでほとんど眠れなかったロナルドは、げっそりと落ち窪んだ目と無精髭で帰宅した。
恐る恐るリビングの扉を開けると、朝日の差し込む部屋の真ん中で、黒々とした棺桶の蓋は当然ながらぴったりと閉められていた。
シャワーの前に水を一杯飲もうとして、キッチンカウンターに置かれた握り飯に気がつく。
ご丁寧に卵焼きも添えてある。おそらくコンロに乗っている鍋の中身は味噌汁だ。
じわりと目頭が熱くなり、ロナルドは鼻を啜った。
やっぱり、今夜きちんと謝ろう。
自分の想いはさておき、突然同居の男から同意なしにあんな事をされれば気持ち悪いと思って当然だ。
しかも自分達には歴然とした力の差がある。抵抗したくてもできない相手に無言で抱き竦められるなんて、恐怖以外の何者でもないではないか。
しかもあの時は3回殺しているので弁解の余地はない。
だと言うのに、彼はこうして今日もロナルドに夜食を用意し、ロナルドの部屋に棺桶を置いて眠っているのだ。
これ以上を望んだらきっとバチが当たる。
ロナルドは足音を立てないように棺桶のそばに寄った。
棺桶に入った後もしばらくゲームやスマホをいじっているドラルクだが、流石にこの時間は眠っているだろう。
起こさないようにそっと棺桶の脇に膝を付く。
「…ごめんな」
すり、と棺桶の蓋の淵を撫で、ロナルドはポツリと言った。
シャワーを浴びて泥のように眠ったロナルドが目を覚ましたのは18時を過ぎたところだった。元々夜型の職業であるところに疲れも相まって寝過ごしてしまった。
軋む体を起こして部屋を見回したが、棺桶とジョンの寝床は空だ。
ダイニングキッチンは暗く、隣の事務所からも人の気配はしない。夜の散歩だろうか。
のそのそと起き出してキッチンの灯りをつけると、そこには今日の分の夜食が用意されていた。
ドラルクがまた食事を作ってくれたことにホッと胸を撫で下ろす。
今日は出かけずにドラルクの帰りを待とう、そして一昨日の事を謝ろう。そう思った時、右手に持ったスマホが震えた。
『業くんとクソゲー探しの旅に出て来まーす!夜明けまでには帰るよ〜』
ドラルクからの連絡だった。メッセージの後に夜の街を飛ぶコウモリのスタンプが続く。
「あ?なんだ、間が悪ぃな…」
それなりに覚悟を決めて謝罪するつもりでいたのに肩透かしを喰らってしまった。
なんと返そうか一瞬悩んだが、『了解』とだけ打った。大事な話は顔を見て直接したい。
「…お前コウモリになんて全然なれねぇじゃんか」
緊張が緩んだせいか、そのコウモリのスタンプが妙におかしくてロナルドは笑った。
仕方ない、謝るのは明日の夜だ。
が。
『今日はオータム秋のクソゲーまつりのレビュアーしてきま〜す』
『ゲームの新作発表イベの抽選に当たったので行ってきま〜す』
その次の日もそのまた次の日も、ロナルドが昼の用事を済ませて帰宅すると事務所は無人、ドラルクからは行き先を告げるメッセージが届くのみ。
「俺、もしかして避けられてる…?」
夜明けまで待てば会えるはずと思っても、タイミング悪く2日連続で緊急の依頼が入ってしまい、いずれも帰宅は明け方。
朝日の上る中を事務所に帰り着くと、既にドラルクは棺桶の中だった。
そしてネットカフェに外泊してから4日目の夜。
『雑誌のレビュー記事の締切忘れてて、オータムに缶詰なので何時に帰れるかわかりません』
ドクロのスタンプとともに送られてきたメッセージを読んで、ロナルドはスマホをベッドに叩きつけた。
「なんっだよ!そりゃ俺も悪かったけどさ!こんなあからさまに避ける事ねぇじゃん!!」
メッセージに書かれている理由はおそらく全部本当だ。
ドラルクが帰宅するタイミングならチャンスはあるはずなのにロナルド側の間の悪さのせいですれ違っている面も多分にあるわけで、故意で避けられているとも言い切れないのだが、元々自己肯定感が低い上に後ろめたさから被害妄想気味になっているロナルドは冷静でいられなかった。
「そっちがその気ならこっちも殊勝に待っててやったりなんかしねぇからな!ケッ!」
ボスンボスンと枕でスマホを殴りつけ、ゼェゼェと肩で息をしながら悪態をついた子供じみた男は、枕を放り出して息を整えるとスマホを持って立ち上がった。
ドラルクを待っていたせいでもう何日もギルドに顔を出せていない。
今日はギルドで朝まで時間を潰してやろう。
ギルドの戸をくぐると、変わり映えしないいつものメンツが水を飲んでいた。
奥にサテツとショットのいるテーブルを見つけ、声をかける。
「よう」
「あれ?なんか久しぶりだなロナルド」
「ああ、うん、ちょっと飛び込みの依頼があったりして顔出せなかった」
「今日はドラルクは?」
「さあ?別にあんなクソ砂いつも一緒に行動してるわけじゃねえし?ていうか事務所の備品みたいなもんだし?」
急にヒートアップしたロナルドに気圧されて、サテツが目をパチパチさせる。
「そ、そうか?なんか悪い…」
「一応コンビ組んでるんだからそんな言い方ないだろ?夜食だなんだって世話焼いてくれてるんだし。この間も具合が悪いお前のことを心配して様子聞きに来てたんだぜ」
ショットが「また始まった」という顔でロナルドを嗜める。
退治人仲間内でのドラルクの心証がそこそこ良いのは何故だろうか。
「…ん?誰の具合が悪いって?」
ロナルドは首を傾げた。
もともと頑丈さには自信があるが、特に最近は食生活が改善されたおかげもあって風邪ひとつひいていない。具合が悪いという話に心当たりがないのだが…。
「ほらあの…たしか5日前くらいに変な催眠能力の吸血鬼が出たろ?あの件の次の日に、お前が具合悪そうなのにどっか出かけたまま帰らないって言って、ドラルクがギルドまで探しに来たんだよ」
「心配してるのはジョンくんだって言ってたけどね」
微笑ましげに笑うサテツ。
「へあ、なん…」
驚いて妙な声が出た。
その日はロナルドがドラルクを殺して砂にしてそのまま事務所を飛び出して、ネットカフェに泊まった日だ。
「前の日はわりとチョロい仕事だったし、疲労や怪我じゃないだろうって話はしてたんだけどさ。腹でも壊してたのか?」
ガタッ!
ロナルドは思わず立ち上がり、ショットの襟首に掴みかかった。
慌てたサテツが腕を伸ばして静止する。
「ちょ!おい!どうしたんだロナルド!」
「お前!あの時の吸血鬼の話、ドラ公にしたのか!?」
「し、したけど…ケホッ!急になんだよびっくりするだろ!」
ショットの批難の声はロナルドの耳に届かずに落ちていった。
あの吸血鬼の催眠能力をドラルクが知っている、だって?
ああ、もう終わりだ。
「はい確かに。増刊号分の原稿、頂戴しますね」
「やった───自由の身───!!!」
オータム書店本社のアイアンメイデン型缶詰部屋から解放され、ドラルクとジョンは万歳三唱をした。
締切を忘れたままフクマの襲撃を受けた時はどうなることかと思ったが、元々ドラルクのレビュー記事はページ数が少ないため、数時間の缶詰で無事に脱稿となった。
途中肩こりと疲れ目で死ななければもっと早かったかもしれない。
「お疲れ様でした。この後はどうされます?真っ直ぐお帰りになるようでしたらメイデンでお送りしますが…」
そう言ってフクマが今しがた出て来たばかりのアイアンメイデンを指し示した。
フクマは謎の空間転移術で東京のオータム本社から新横浜までを超高速で移動することができる。
たしかにそれで送ってもらえば早く着けるのだが、せっかくだから少し東京観光もしたいような…とドラルクが逡巡していると、胸ポケットでスマホが鳴った。
「失礼、電話が…はいドラルクですが」
『あっドラルクか!悪い、ちょっと面倒なことになってて…ギルドまでロナルド引き取りに来てくれないか?』
「は?」
フクマに頼んで超高速で新横浜に戻ったドラルクは、ギルドのドアを開けて固まった。
「あ!ドラルク来た!」
「おいロナルド、ドラルクが迎えに来たぞ!ほら!」
退治人仲間に挟まれて、ロナルドはテーブルに突っ伏してさめざめと泣いていた。
「いやこれどういう状況?」
ドラルクはとりあえず咽び泣いているロナルドの座るテーブルに近寄ってみたものの、何が起きているのか全くわからない。
「こっちが聞きてぇわ…」
「突然泣き出したんだよ。もうお終いだとか言って」
肩を落とすショットとサテツの顔に疲労の色が見える。
二人に挟まれる形でテーブルに顔を伏せた銀髪の男は、肩を震わせてメソメソシクシクと泣き続けていた。なんだこれは。この店では退治人に酒は出さないのではなかったか?
「あ、あー、そうかね。その、二人とも迷惑をかけてすまなかったね?って私が言う筋合いでもないけれども」
ドラルクはこの男の身内でもなんでもないのだが、明らかな被害者である2人の退治人をせめて言葉だけでも労おうとした。
「いや、別に迷惑なんてことはないけどさ。まあでも来てくれて助かったよ。こいつ連れて帰れるか?」
ポン、とショットがロナルドの背を叩く。ムダ毛フェチだがいい人である。
「どうかなあ、自力で歩いてくれれば大丈夫だが。おいロナルドくん、帰るぞ。歩けるか?」
嗚咽で震える肩に手を置いて声をかけると、がば、とロナルドが顔を上げた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃでせっかくの美貌が台無しだ。
「ウェ、きったな」
「どら、どらこ…お前なんでいんの…?」
「なんでもかんでも、君のお迎えだよ。とっとと立たんか5歳児。帰るぞ」
「う、うん…」
ずび、と鼻を啜り、180cmの体躯がのろのろと立ち上がる。
「ええい顔が汚い!これで拭いとけ!」
ドラルクは濃紫のチーフを取り出してロナルドの顔に叩きつけた。
ロナルドはそれを掴むと、すん、と鼻を鳴らして涙を拭った。
「よし歩けるな?私は君を担ぐなんて無理だからな、ちゃっちゃと歩けよ」
体幹がふらついていないところを見ると、どうやら酒や薬の類は入っていないらしい。
足元も問題なさそうなことを確認して、ドラルクはマントを翻して踵を返した。
「邪魔したね」
「気をつけて帰れよー」
退治人達と挨拶を交わしながらツカツカと戸口へ歩いていく黒い影を、ロナルドは慌てて追った。
二人が出ていった店内で、眉を顰めてショットが言った。
「で、あれ結局なんだったと思う?」
「さあ、喧嘩したんじゃないのか?」
全く心当たりがないという風にサテツが首を振る。
「ドラルクと喧嘩したくらいでロナルドがあんなに泣くかよ?自分は普段から殺しまくってるのに」
マリアが腕組みして反論する。
「ジョンが絡んだら泣くんじゃないか?」
「ロナルド泣き虫だから夕飯にセロリハンバーグ出されただけでもあれくらいは泣くね。どうせしょーもない理由。考えるだけ無駄」
「「「たしかに」」」
ターチャンの言い分にギルドの一同は納得したのだった。