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    こんなはずでは 2ロナルドくんがおかしくなった。


    日もとっぷりと暮れた頃。
    由緒正しい高等吸血鬼たる私の時間だ。
    スマホのアラームとともに棺桶から這い出し、夜着を脱いでゆったりと身形を整える。今日も爪の先まで完璧だ。
    ジョンは部屋にいないようだが、きっとここの家主と遊んでいるのだろう。
    さて今夜はどんな楽しいことがあるだろうか、と事務所のドアを開けると

    ガタガタッ!ドサッ!

    けたたましい音が響いて危うく死ぬところだった。
    応接セットに座っていた家主がひっくり返ったらしい。
    私、何か驚かすようなことしたっけ?

    「ど、どどどどど」

    ソファから転げ落ちたロナルドくんが床に座り込んで呆然とこちらを見ている。
    顔を真っ赤にして脂汗を垂らしてガタガタ震えているが、インフルエンザでももらってきたのか?
    おそらく隣で遊んでいたのだろうジョンまでが心配そうにアワアワと前脚を震わせている。

    「おはよう。星野源くん」

    「ちっ違ェわバカ!どど、ドラ公、あの、昨夜のあの」

    「ああ、あの変な催眠は結局なんだったのかな。他人が全員巨乳のお姉さんにでも見えてたの?」

    首を傾げて尋ねると、ロナルドくんは顎が外れたかと思うほど口をあんぐり開け、そのまま床に突っ伏した。

    「ど、どうしたんだね…」

    「ヌ、ヌヌー…」

    あまりの奇行に流石の私も動揺する。
    ジョンがおろおろと彼と私の顔を見比べた。
    そういえば昨夜ジョンは早く寝ていて、彼の醜態を知らないのだった。

    「…ゆ、夢じゃ…なかった…」

    熱がだいぶ高いのか、催眠がまだ解けていないのだろうか。

    「大丈夫かね?VRCで妙な薬でも打たれたんじゃないだろうな」

    少々心配になって、様子を伺うために私は彼に歩み寄って丸まった背に手を添えた。
    その途端、

    「ヴェッポラッパアブァッッ!?」

    「ヴェ───!」

    「ヌ────!」

    彼は奇声を上げて飛び上がり、私の手を払った。
    もちろん私はその衝撃で死んだ。


    塵から復活した時、事務所には私に取り縋って泣くジョンの姿だけだった。
    一体彼はどうしてしまったんだ…。





    まずい、まずいまずいまずい。

    居た堪れなさに事務所を飛び出したロナルドの脳内はその三文字で埋め尽くされていた。

    まずい、非常にまずい。
    夢じゃなかった。昨夜はおかしな吸血鬼の催眠を浴びて、トチ狂った自分はあろうことかあの居候の男にセクハラをぶちかましたのだ。
    本来の好みとはまるで正反対の、あのヒョロガリクソ吸血鬼にだ。
    どうしようどうしようどうしようどんな顔して会えばいいんだどうしよう。

    輝くばかりの美丈夫が顔面蒼白で「まずいまずいどうしようどうしよう」と呟き項垂れて歩いている様はなんとも不気味だった。
    怪異と変質者に慣れているシンヨコ市民も彼の事を足早に避けていくが、本人は周囲の様子など目に入っていない。

    いや、ちょっと落ち着こう。
    そうだ、自分も昨日からかなり混乱しているし、一旦落ち着いて状況を整理した方がいい。
    ギルドは考え事をするには向かないから、とりあえずどこか静かに座れるところに行こう。

    ロナルドは青い顔のまま、商店街の方へと足を向けた。


    「とりあえず3時間パックで」

    「キャンペーン中なので、ご利用時間がお決まりでなければオールナイトパックがお得ですよ」

    「じゃあそっちお願いします」

    着いたところはドラルクも通っているネットカフェだ。
    普通のカフェやファミレスも考えたが、昨日のことを思い出すだけで羞恥のあまり身悶えしてしまうので、他人の目が気にならない個室で一人になりたかった。
    慌てて飛び出して来たので私服だったのは幸いだった。いつもの退治人服で漫画喫茶は流石に目立ちすぎる。
    カメ谷あたりに見つかって同居人へのセクハラの件まで嗅ぎつけられたら、社会的に死ぬ。

    適当にドリンクと雑誌を手に取って、あてがわれた個室に入った。
    靴を脱いでリクライニングチェアに腰を下ろすと、合皮の背もたれにズブズブと背中が沈んでいくような心地がした。深い深いため息が出る。疲れた。

    なんでこんなことになったんだっけ。
    あの変態吸血鬼のせいで散々だ。いや、そもそも自分は本当にあいつの催眠にかかっていたのか?
    だっておかしいじゃないか、奴の能力は「性的嗜好を増幅させる」だったはずだ。増幅というからには、もともとそういう嗜好があっての話だろう。
    もしかしたら自分の理解が間違っているのでは?ロナルドは椅子から体を起こして、単語をパソコンで検索してみる。

    性的嗜好…異性の好み、フェティシズム、性的に魅惑される対象。

    「だよな、そういう意味だよなやっぱ」

    だとすると、やはり前提に錯誤があるのではないか。
    ロナルドは巨乳のお姉さんが好みだし、ショットのムダ毛フェチとは比べるべくもないがAVは巨乳ものを好んで借りるし、胸の大きなグラビアアイドルを魅惑的だと思う。(経験が乏しいせいで「巨乳」以外の世界がよくわからないとも言える)
    ともかくロナルドの性的嗜好ど真ん中は巨乳の歳上女性である。
    それが強化されたとして、ガリガリに痩せ細ったおじさんに興奮するなんておかしいだろう。歳上ってところしか合致しないじゃないか。しかもその共通点は度を越している。180歳上だぞ。

    でも待てよ。
    実は昨夜の退治の後、普段全く邪な目では見ていないはずのマリアに一瞬、強い魅力を感じた。要するにクラッと来たのだ。
    仲間の女性にそんなことを考えるのは失礼だとすぐに思い直したし、そもそも自分でコントロールできる程度の衝動だった。その動揺から失言をして顰蹙を買いこそしたが、それは催眠の効果ではなく催眠の話から連想してしまった単なる思い込みだと思った。
    しかし、あれも催眠の効果だったとしたら。
    吸血鬼の説明通りに催眠の効果が現れていたとしたら。

    「いやいやいやいや冗談じゃねえぞ…なんだそりゃ…ありえねえ…」

    ロナルドは椅子の背に倒れ込んで頭を抱えた。




    使いマジロとゲームに興じていたドラルクは、ふと壁にかかった時計を見上げた。
    ロナルドが出て行ってからかなりの時間が経っていた。時折精神年齢が幼児並みに退行するとはいえ彼もいい大人だ。急な退治が入ったのかもしれないし、そうでなくても一晩くらい帰らなかったところで心配するほどのことではない。しかし。

    「…ちょっと様子がおかしかったしなあ」

    「ヌヌー?」

    「もしかしたら本当に具合が悪くてどこかで倒れてたりして」

    「ヌンヌイ…」

    気遣わしげに耳を倒したジョンの頭を、ドラルクの長い指が優しく撫でた。

    「心配かい?ジョンに心配をかけるなんて悪いロナルドくんだなあ」

    ジョンを安心させるように笑いかけると、ドラルクはコントローラーを置いて立ち上がった。

    「ゲームも飽きて来たし、夜のお散歩と行こうか、ジョン?」

    「ヌヌー」




    「ロナルドか?今日は見てないぜ」

    ギルドのテーブルに陣取ったショットとサテツにロナルドのことを聞いてみたが空振りだった。
    まあ今日は退治人服も着ていなかったし、元々オフのつもりだったのだろう。

    「急ぎの用なら俺から連絡してみようか?」

    ショットがスマホを取り出すが、ドラルクは首を振った。

    「ありがとう、私も連絡先は知ってるから大丈夫だよ。ただちょっと具合が悪そうだったからジョンが心配していてね」

    「ヌー」

    「あいつが?頑丈な奴なのに珍しいな」

    「うん、まあ病気というよりは…」

    昨夜の謎の行動が頭をよぎったが、あれをなんと説明したらよいのだろうか。いや、そもそもあれは説明してよいものだろうか?

    「どうした?」

    唇に指を当てて押し黙るドラルクの顔をサテツが覗き込んだ。
    ドラルクはパッと笑顔を作ると、口元から指を離してひらひらと振る。

    「いや、なんでも。昨日から疲れてるみたいだったからね。詳細は聞いてないが厄介な退治だったのかな?」

    それにしてはずいぶんと帰りが早かったけれども。

    「昨日?いや昨夜は全然そんなんじゃなかったぞ。なあ」

    ショットが怪訝な顔で仲間に同意を求め、サテツも頷いて応じた。

    「ああ、催眠能力は面倒そうだったけど…そもそも弱かったからな。特に被害もなかったし」

    なるほど、ではロナルドはその面倒な催眠にやられたのか。

    「ちなみにどんな能力だったんだね?」

    「えーとたしか、性的嗜好を3倍に増幅させる…だったか?」

    「うーんまたけったいな変態が出たものだ……ンンンンンー?」

    突然虚空を見上げたドラルクを、退治人達が訝しげに見つめていた。





    オーケーわかった一旦整理しよう。
    両手で顔を覆ったまま、ロナルドは頭の中で呟いた。

    俺は昨日、おポンチ変態野郎の催眠にまんまと引っかかってた。らしい。
    でも鋼の意志で仲間のマリアに失礼な事はしなかった。さすがだ、俺は紳士だからな。
    で、事務所に帰って、夜食を食おうとキッチンに行ったらクソ砂がいた。それで俺は…。

    「ぐぬぬぬぬ…むぐぐぐぐ…」

    昨夜のことを思い出そうとすると羞恥と自己嫌悪で叫び出しそうになるのを、唇を噛んでどうにか耐える。

    俺は、あいつを抱きしめて、頬擦りをして、匂いなんか嗅いじゃって…くそっ殺してくれ…。
    だって、なんか、帰ったら待っててくれる人(ではないが)がいて、できたての夜食を出してくれるなんて、なんかすげぇいいなと思ったんだ。
    おかえりって言われたら嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいになって、ぎゅっとしてぇって思って。
    ぎゅっとしてみたら好きな匂いがして、気持ちが良くて、もっともっとって。

    「…そうか…俺、そうなのか…」

    昨夜のことだけではなく、思い返してみれば今までにも思い当たる節はたくさんあった。
    これだけ状況証拠が揃っていると、自分の中に見つけた気持ちを受け入れるのはそう難しいことではない。
    でも。

    顔を覆った手の隙間から、ぽろりと光る粒が落ちた。

    でもだめだ。だってあいつは言ったんだ。
    「気持ち悪い」って、言ったんだ。





    ドラルクは収穫のなかったギルドを出て、夜空を見上げてため息をついた。

    「なんか面倒なことになってる気がするなあ」

    「ヌヌヌヌヌ?」

    「ジョンは心配しなくていいよ。ま、彼がどうするか見守ろうじゃないか」

    腕の中の使いマジロに微笑むと、ドラルクは事務所に向かって歩き出した。



    結局その晩、ロナルドは事務所に帰ってこなかった。
    suzudz Link Message Mute
    2022/07/04 1:19:34

    こんなはずでは 2

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    #ロナドラ
    おポンチ催眠にかかって自分の気持ちを自覚すルドくん

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