無名の約束 1「んじゃあねぇ、クリぼっちルドくん。悪いこと言わないから今日は引きこもっておいでよ、下手に外出するとカップルに当てられて死にかねんからな」
「うっせぇこのクソ砂ぶっ殺すぞ!!!」
怒号とともに投擲されたジッポーが命中し、お約束通りドラルクは砂になった。
「え?クリスマスパーティーですって?」
真冬並みの冷え込みになったある晩、父親からの電話を取ったドラルクは怪訝な顔でそう言った。
「いやしかし私は行けませんよ。その日は新横ですし、ロナルドくんも…」
どうやらまた一族の集まりがあるらしい。
自分の名前が聞こえたので顔を上げるとドラルクと目が合った。
慌てたロナルドは咄嗟に腕で大きくバツ印を作る。
またあのご真祖様がトンチキなイベントを用意しているに違いないのだ。生身の人間の自分が付き合わされては命がいくつあっても足りない。
「…いえ別にそういうわけじゃ、しかしですね…えっビンゴの景品にqs5!?ハッハッハ、いやあ久しぶりにお父様にもお会いしたいと思っていたんですよ!クリスマスはやっぱり家族と過ごさなくては」
ドラルクの突然の豹変ぶりに、ロナルドはデスクに突っ伏した。
わかりやすい奴…。
「ええ、はい、24日の夜ですね。そんな日によく会場を押さえられましたねえ…。はい、はい、ああいやロナルドくんは来られないそうです。まあなんと言ってもクリスマスイブですからね!彼にも予定があるんでしょう!」
そう言うとドラルクは長い舌をベロリと出してこちらを挑発するように高笑いした。
後で殺す電話切ったら5億回殺す。
「ええ、ええ、楽しみにしていますよ。それではまた……というわけでロナルドくん、悪いが今年のクリスマスはひとヴァ──!!」
電話を切るタイミングを見計らって距離を詰めていたロナルドの拳を食らい、ドラルクは無事灰燼に帰した。
2週間前の話だ。
そしてクリスマスイブ当日の今日。
出がけに憎まれ口を叩いて砂にされたドラルクは、ブツブツと悪態をつきながら復活するとジョンを伴って事務所を出て行った。
真祖の余興次第ではこのまま二、三日帰らない可能性もある。
「あの野郎…言うに事欠いてクリぼっちだと?それがどうした、静かでせいせいするぜ!大体本来クリスマスってのは宗教行事だろうが!それをクリスチャンでもなんでもない人間がやれパーティーだケーキだチキンだ性なる夜だと冒涜もいいところだ!ふざけやがって…」
口から呪詛を垂れ流しながらロナルドはデスクを殴りつけた。
「…そうだ、せっかくあの馬鹿が留守なんだ。落ち着いてロナ戦の執筆に集中できるじゃねえか」
最近何かと忙しくて退治の仕事のネタが溜まっている。
メモは都度残してあるが、記憶の鮮明なうちに書いてしまった方がいい。原稿のストックがあれば急な番外編の依頼なんかにも対応できるだろう。
さすが俺…とひとりごちて、ロナルドはパソコンを開いた。
「『…黒く蟠る影に俺は銃口を向けた。刹那、影から腕が伸びて俺の…』いや腕よりも触手の方が強敵っぽくていいか?触手だとゼンラのおっさんと被るかな…ていうかこの時の吸血鬼ってどうやって倒したんだったっけ?なあドラ公…」
正面の応接セットに視線をやり、そこに誰もいないことに気がついた。
普段コントローラーの音やジョンとの話し声が響いている室内は、シンと静まり返っている。
壁にかかった時計の秒針の音だけがいやに耳に響いた。
「…チッ、調子狂うな」
パソコンをぱたりと閉じて、ロナルドは立ち上がった。
ぐいと伸びをしてふと窓の外を見下ろすと、商店の軒先にイルミネーションが瞬いているのが見えた。
ここからは見えないが、ヴァミマの外ではきっと武々夫がサンタの格好でチキンやケーキを売っているに違いない。
「…腹減ったな、なんか食い物あるかな…」
ロナルドはなんとなく重い足取りでキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。
「おお…」
そこにはラップされたでかいチキン(本当は七面鳥だがロナルドには見分けがつかない)、トマトスープのようなもの(チョルパというルーマニア料理だがロナルドは料理名を覚えていない)、彩り野菜のポテトサラダ、それからホールケーキが入っていた。
「すげ、うまそ」
留守にしている顔色の悪い吸血鬼が甲斐甲斐しく作り置きを置いて行ったらしい。
もっとも九分九厘はロナルドのためではなく「クリスマスのご馳走を作りたい」という本人の趣味のためだろうが。
まずは肉を温めようと冷蔵庫から出してみた。骨には漫画でよく見るような飾りがつけられ、皿にはクリスマスカラーのパプリカやじゃがいもが添えられている。
「えーとレンジでチンでいいんだよな?何分やればいいんだっけ…」
ドラルクが来るまでは一人暮らしだったはずだが、すっかり家事にも家電にも弱くなったロナルドである。
とりあえず1分刻みで様子を見ることにした。
温まった鳥肉はじゅわじゅわと脂が音を立てて食欲をそそった。
「うわ、うまそう…えーとナイフとフォークだよな…肉用ナイフってどこにあるんだ?」
ロナルドは絶望的に炊事のセンスがないため、キッチンには入るなとドラルクから厳命されている。
コップと箸くらいはすぐ出せるが、普段あまり使わない食器の場所がよくわからない。
たまのステーキの日なんかに出てくるギザギザのついた肉用のナイフ、いつの間にかドラルクが勝手に買い揃えていたあれは一体どこにしまってあるのだろうか。
「…めんどくせえな、直接食えばいいか」
ダイニングテーブルに皿を並べるのも億劫で、ロナルドはシンクの前に立ったまま肉にかぶりついた。
いつも通り奴の料理はうまい。
うまいのだが、どことなく味気ないのは何故だろう。薄暗いキッチンで立ち食いしているせいだろうか。
腹は減っているはずなのに、結局他の料理には手をつけられなかった。
事務所に戻ったロナルドがスマホを見ると、19時を少し過ぎたところだった。特に着信や連絡はない。
「まだ宵の口じゃねえか…」
窓から下界を見下ろすと、カップルや家族連れが往来を楽しげに行き交っていた。
『今日は引きこもっておいでよ、下手に外出するとカップルに当てられて死にかねんからな』
ニヤついた吸血鬼の顔が脳裏に浮かぶ。
「うるっせえな!お前の砂メンタルと一緒にすんな!」
応接セットのテーブルを蹴飛ばすと、ロナルドは帽子を被って事務所を出た。
「サテツうう!ショットおおお!なあ!うちで飯食わねえ!?ドラ公の作ったケーキもあんだよ!なあ!!なあ!!!」
「ご、ごめん…家で弟が待ってるし…」
「コバルくんも連れてきていいからさああああ!!!」
「俺はちょっと、その、ヤボ用で…」
「ヤボ用って何!?何の用!?おま、おまおまえまさかかかか彼女できたの!!?」
「ちっちちちがうって!まだあの子はそういうんじゃなくて…」
「まだって言った!?ねえ!まだってことは可能性あるってことなの!?ムダ毛の可愛い彼女になる可能性があるの!!?」
「ムダ毛のことは言うな!!!」
揉み合いをする三馬鹿を女性陣が冷ややかな目で眺めている。
「去年に続いて今年もバカやてるな、永遠にモテないね」
「なんだ、今日はドラルクはいないのか?」
「親戚のパーティーに行ってるんだってさ」
「砂おっさんにまで捨てられたか、永遠にモテないね」
「そこ!聞こえてるからな!ウェェェェン!!」
泣きながらショットに掴みかかっているロナルドに、マスターが水を差し出した。
「まあまあ、無理強いはよくないですよ。ここで泣いてるくらいなら街にパトロールに行かれてはどうです?浮ついた空気に便乗して吸血鬼が出るかもしれませんよ。ていうか私も家族と過ごすので早く店じまいしたいからそろそろ出て行ってほしい」
「マスタ─────!!!」
結局ギルドを追い出され、ロナルドは一人とぼとぼと歩き出した。
まだ20時前だ。街には人が溢れている。
自分だけが一人ぼっちのような気がした。
こんな気持ちのまま歩き回るのも惨めだが、かといってこのまま真っ直ぐ事務所に帰って一人でケーキを食べる気にもなれなかった。
去年はドラルクが来てから初めてのクリスマスだった。
勝手に事務所に人を集めてパーティーを開いて大騒ぎをしてくれて、初めこそロナルドも反発して闇鍋をやったりしたが、最後にはドラルクの手料理をみんなで食べて飲んで賑やかに過ごした。
楽しかった。あんなクリスマスは多分子供の頃以来だ。
可愛い彼女と性なる夜を過ごせたらそりゃ当然幸せだろうけど、友達と楽しく過ごすクリスマスもいいなと思えた。
ロナルドの目にじわ、と涙が滲んだ。
あのクソ砂が来てから毎日が騒がしくて、久しぶりに一人で過ごす時間がよりによってこんな日の夜で、だからちょっとセンチメンタルになっているんだろう。
不思議なものだ。
ドラルクが来たばかりの頃はどうやって追い返そうかとそればかり考えていた。
だというのに、気がつけばもう1年以上あの吸血鬼と同居を続けている。
ロナ戦の展開上ドラルクにいてもらわなければ困るので仕方ないのだが…
ぼんやりと歩いていたら開けた場所に出た。
新横浜ヴリンスホテルの前だった。
さすがは高級ホテルだけあって、敷地内の植栽やホテルの外壁が電飾で飾られていて煌びやかだ。ロビーには大きなツリーが見える。
ロナルドは眼前に高く聳えるホテルの最上階を見上げた。
そういえば初めてドラルクの親族に会ったのがここだ。
もう何年も昔のことのような気がする。
あの時も散々な目にあったが、それから今までにも割と頻繁に散々な目にあっているので、懐かしい思い出みたいな位置づけになりつつあるのが恐ろしい。
ドラルクが来てから厄介ごとばかりが舞い込んでくる。舞い込むというか、半分以上は享楽主義で見境のないあの吸血鬼が自ら持ち込んでくると言っても過言ではない。
元凶はクソ砂吸血鬼だ。ロナ戦にとっては痛手だが、やはり追い出すべきだろうか。
宿泊客らしい家族連れがホテルの前のイルミネーションを楽しげに眺めている。
両親と幼い子供。
寒いせいかぴったりと寄り添って仲睦まじげだ。
いいなあ。
俺だって、今年はジョンと一緒にイルミネーションを見にでかけたり、家でケーキつついたりするのもいいなって思ってたんだ。クソ砂はどっちでもいいけど。
去年はクリスマスを消滅させてやるなんて言ってたけど、その後仲間と騒いだのも楽しかったけど、今年は家族と過ごすクリスマスもいいかなって思ってたんだ。ジョンはもう俺の中では家族みたいなもんだし。クソ砂はいなくてもいいけど。
幸せそうな家族連れから目を逸らし、ほうと息を吐くと目の前が白く霞んだ。
12月ってこんなに寒かったっけ。
本当は気づいている。
ロナルドはもう、あの最弱の吸血鬼を追い出そうとは思えない。
例えばもし今日のパーティーで何か事故があって(真祖の余興絡みで)あれが帰ってこられないようなことになれば、きっと自分は竜の一族の中に踏み込んであれを取り返そうとするだろう。
その理由に名前を付ける覚悟はまだできていないけれど、少なくともジョンのおまけだからとか事務所の備品だからとか、そんな方便で自分を誤魔化すのはもう難しかった。
「なんでこんなことになったんだろうな…」
「何がだね?」
「ヴェポラップァバッパァ!!?」
飛び上がって振り返ると、今しがた思い描いていた最弱の吸血鬼がきょとんとした顔で立っていた。
「でっ、だっ、おっ、おおおおまえ、なんなんなんでここに」
「いやだってここパーティー会場だし」
もこもこのミトンに覆われた指が上を差す。
「またここの最上階を貸し切ったんだよ。今回はお祖父様考案のビンゴ大会だったんだけど、さすがに私一人だと身の危険を感じたから逃げてきちゃった。危なかったねジョン」
「ヌンヌン」
危なかったと言う割に「qs5はお父様にお土産にでも買ってきてもらおうね」などと甘やかされバカ息子発言をしてケラケラ笑っている。
人の気も知らないで。
「ところで、ロナルドくんはどうしてこんなところにいるんだね?今日は出かけない方がいいと忠告してあげたのに」
「うるせえな、パトロールだよパトロール。こんな浮かれた日には隙だらけの獲物を狙った吸血鬼が出てもおかしくないだろうが」
「おやぁ、仕事熱心で結構なことだねえ」
ね、と厚着で普段の2倍くらいに膨らんだ腕の中のマジロに微笑むドラルク。
南米生まれのジョンは寒さが堪えるらしい。丸く縮こまって何事かを訴えている。
「あ、そうだねお腹すいたよね。さっきはビンゴのせいでろくに食べられなかったからなあ」
「ヌーン…」
「じゃあとっとと帰るぞ。うちにお前の料理があるだろ」
そう言うとロナルドは踵を返しさっさと歩き始めた。
「あれ?ロナルドくん食べなかったの?」
首を傾げながらドラルクが横に並ぶ。
「肉は食ったけどな、こっちもロナ戦書いたりギルドに顔出したり色々忙しかったんだよ」
「ほー、さすがクリぼっちルドくんはこんな日までお仕事にご精が出ますなあ、感心感心…あれ?」
「あんだよ」
ドラルクが立ち止まったのでロナルドの足も止まる。
肩をそびやかして腕で顔を覆ったドラルクが、また首を傾げた。
「いや、てっきり殺されるかと思ったのに拳が飛んでこなかったから…なんか君、今日変じゃないか?」
「別に変じゃねえよ。いいから早く帰るぞ、ジョンが可哀想だろ」
「ヌー」
「ああはいはい、ごめんよジョン。それにしてもここのイルミネーションはなかなかだねえ」
ドラルクがホテルの外壁を見上げて言う。
「まるで星を撒いたようだ」
「くっせぇこと言うなあ」
「詩的と言ってくれたまえ。君も物書きの端くれならもっと美しい言葉を使ったらどうかね」
「星の下で塵になりたくなかったらその減らず口をちょっと閉じてろスペースデブリにすんぞ」
「いや君短気すぎない?帰ったら私の牛乳分けてあげようか?」
「誰がカルシウム不足だ」
軽口を叩きながら二人はまた歩き出した。
ここに来る時には気が付かなかったが、ホテルから事務所の方角に向かって伸びる並木道にもずらりと電飾が施され、煌々と金色の明かりが灯っていた。
「…あのさ」
隣を歩く男の顔は見ないまま、ロナルドは声をかけた。
「うん?」
ドラルクはキョロキョロと並木道を見回しているらしい。
「その、ら、来年も俺に、か、彼女ができなかったら」
「こんな日にえらく悲しい仮定の話をするなぁ、マゾか?」
「うるせぇ!万が一だ!万が一!そしたらその…また今日の肉作ってくれ」
急に何を言い出すのか、という困惑の気配がした。
自分でもそう思う。深く考えたわけではないが、つい口をついて出てしまったのだ。
やっぱり今日のロナルドは少し変なのかもしれない。
「それは構わないが…そんなに美味しかったかね?」
「うん」
「…そうか」
二人はそれきり口を開かず、明かりの灯る木々を眺めながら帰った。
「ヌンヌンヌーン!」
「そうかい、美味しいかい?よかったね」
エプロンをつけたジョンを撫でながら、ドラルクはにっこり笑った。
「いやこのチキンマジでうめぇな!」
マジロに負けじと口いっぱいに肉を詰め込んだロナルドが目を輝かせて言う。
「それはチキンじゃなくて七面鳥だ…というかそれさっきも食べたんじゃなかったのか?」
「食べたけどさ、なんか改めてうまいなーと思って。寒くて腹減ってたのかな。こっちのスープもうめぇ」
「この私の手料理だぞ、うまくて当然だろうが」
「ヌーンヌン?」
「ああケーキもあるよ、持ってこよう」
「ヌンヌーン!」
キッチンに立って皿とデザートフォークを取り出しながら、ドラルクは同居人の顔を盗み見た。
おいしいなあジョン、と言いながらデレついた顔で自分の使い魔を撫でる男。
何がそんなに嬉しいのやら、何故か帰宅してからずっと上機嫌だ。その証拠に一度も殺されていない。
「…本来我々は未来の約束などしないのだがね。まあいいか、一年くらい私にとっては瞬きの間だ」
「あ?なんか言ったか?」
「いや何も。そら、ドラドラちゃん特製のクリスマスケーキだよ」
イチゴがずらりとならんだホールケーキを見て、一人と一匹は歓声を上げた。