大丈夫ではなかった話「そんなに可愛い顔をしても駄目なものは駄目だよ。ほら、やり直して」
「か、可愛い顔なんてしてないし…」
とんでもない言いがかりである。
目を剥く私に容赦なく突き返された帳簿には松井くんの几帳面な字で訂正が入れられていた。今回はちゃんと出来た自信があっただけに眉間に皺が寄っていく。私は数字があまり得意ではない。扱う桁が大きければ大きいほど今何をしているのかわからなくなって資材の管理や毎月の給与計算、経費精算などいくつもミスを出してしまう。これでもやる気はあるのだ。やる気だけは。ただ実力が見合っていないだけで。
そんな訳で近侍は実務が得意な松井くんに固定させてもらっている。初期刀の清光もあまり数字関係に強くなく、松井くんがうちに来てくれるまでそれはそれは大変だったのだ。主にミスの多い書類を提出されるこんのすけや担当さんの胃が、なのだけど。
という訳で仕事の空き時間に少しでも松井くんの負担を減らすべく経理について教えてもらっているのだけれど、これがまたスパルタだった。
「昨日も同じ所を間違っていたね。何のためにメモを取っていたのかな?ちゃんと取ったメモを見返して、頭で理解してから仕事をしようね」
「う、うぐぐ……」
優しく穏やかな声音とは裏腹に割と容赦のない言葉で正論をぶつけられる。そう、松井くんが全て正しい。忙しい合間を縫ってわざわざ教えてもらっている立場にも関わらず何度も同じようなミスをする私が悪いのは悪いのだけれど、せめてもう少しだけでも優しく教えてもらえないものだろうか。歌仙と一緒で私は根っからの文系、数字は本当に苦手なのだ。
カリカリと松井くんから返ってきた伝票に正しい数字を書き込んでいく。何がどうやってこうなるのか全然わからない。メモを見返しても松井くんがこの数字をどこから計算して持ってきたのかすらわからない。こんなに何度もミスをして松井くんの負担を減らすどころか増やしているだけなのではないかという少しの罪悪感が芽生えてくるけれど、でも私も出来るようにならなければならない仕事なことに変わりはないのだ。
先が思いやられるなぁ、と自分の不出来さにため息をついていると視界にスッと松井くんの指が差し入れられた。とんとん、と綺麗な青で縁取られた爪先が伝票の一箇所を叩く。
「ここも違うね。単純な計算ミスだと思うけれど」
「あ、本当だ。ごめん、ありがとう」
急いで書き込んだばかりの箇所を消し、正しい数字を書き込むと私はもう一度大きなため息をついた。簡単な足し算ですら間違えてしまうのかと少し、いやかなり落ち込む。
「…あぁ、ほらまた。可愛い顔をしても間違いは減らないよ。僕がちゃんと教えてあげるから頑張って覚えていこうね」
伝票を叩いていた指はいつの間にか下を向いていた私の顔にかかり、強くはないけれど有無を言わせない強さで上を向かせられる。出来の悪い子供を嗜めるような、困ったような笑みを浮かべた松井くんはそのままむにむにと私の顔を弄んでいるのだけど、…これは言っておいた方がいいのだろうか。
「……松井くん、いつもそれ言うけど私別に可愛い顔作ったりしてないよ」
むしろ落ち込んでいるのだ。仕事を間違えておいてわざと可愛い顔など作るわけがない。そんな余裕もない上に、松井くん相手に可愛い顔を作ったところで何の意味があるというのだ。この刀は私がどれだけ可愛く強請ろうとも浪費や仕事に関しては一切の容赦がない。そういう所も助かるからずっと近侍をお願いしているわけなのだけれど。
「ほら、いつもと同じ顔でしょ」
未だむにむにと好き勝手してくれている手を無理矢理引き離して松井くんを見れば少し考えたような間を置いた後、何に納得したのか「…あぁ」と一人勝手に頷いていた。
「待って、今何に納得したの。納得されたらされたでちょっと複雑なんだけど」
「…いや、ふふ、特に意味はないから大丈夫だよ。そんなことよりお腹は減ってない?頭を使っただろうから甘いものでも取ってくるよ」
「あ、話逸らした」
少し待っていて、と言い置いて立ち上がった松井くんは私の恨めしそうな視線も意に返さず重そうな外套をゆらりとはためかせて立ち上がる。そうして出て行こうとした所で盛大に足を障子にぶつけ、その拍子に反対側の障子には頭をぶつけ何やら一人で大変なことになっていた。痛そうな鈍い音が二連続で室内に響き、次いで気まずい沈黙が降りる。
「だ、大丈夫…?」
「………大丈夫。貴方は僕が戻るまでゆっくりしていて」
こちらを振り向くことなく言い切った松井くんが障子を閉めて出て行く。外套の裾が障子に挟まっていたけれど無言で引き抜いていったので私もこれには見ない振りをすることにした。しかし廊下から聞こえてきた何か重いものが滑って倒れ込んだような音と、清光の「ちょっと松井なにやってんの⁉︎」という叫び声に大丈夫ではなかったんだなぁ、と他人事のように納得して、それから慌てて廊下へと飛び出したのだった。