お酒の力を借りたところで「よ、酔っちゃった、かも」
「……は?」
頼むからそんな顔をしないでほしい。こっちは照れやら恥ずかしさやらで今にも死にそうになっているのだから。何を言っているんだとでも言いたげな肥前くんはいきなり隣に座り込み、体を預けてきた私を無言のまま見つめている。いつもみたいにガラの悪い言葉一つでも落としてくれたらいいものを、哀れなものを見るような目で見下ろされてしまえば絞り出した私の勇気も途端に萎んでしまう。
喉はカラカラ、緊張で手は震え頑張って出した声も裏返る始末。早鐘のように鳴り響く心臓の音はもしかしたら肥前くんに聞こえてしまっているかもしれない。少しだけ口をつけたグラスが汗をかいて私の指や手を伝って畳の上へと落ちていくのがわかった。
どうにかして肥前くんに甘えたい。でも恥ずかしい。素面でなんてとても無理。それならお酒の力を借りればいいのだと閃いた私は勢いに任せてえいや、と肥前くんの隣に滑り込み体を預けてみたはいいものの、一体これからどうしたらいいのだろう。甘えるって何をするのが正解なんだ。
なんなら先ほどの肥前くんの生温い視線を浴びてしまったせいで酔いなんてどこかに吹っ飛んでいってしまった。残されたのは照れと恥ずかしさとうるさく鳴り響く心臓と、まだ八割ほど残っている度数の高いお酒だけだ。
「……酔っちゃった、ねぇ」
俯いてしまった私の頭頂部に肥前くんの視線がこれでもかと突き刺さっているのを感じる。試すような静かな声音はどことなく面白がっているようでもあり、視界の端で彼が持っていたグラスを机の上に下ろすのが見えた。
コトリ、とグラスが軽い音を立てたかと思えば次いで私の肩に何やら重たいものが乗せられる。ただでさえぴたりとくっついていた体は更に肥前くんに近付いて、お酒やご飯の匂いに混じって嗅ぎ慣れた彼の匂いが鼻先を掠めた。やけに距離が近い、というかこれではまるで。
「あの、肥前くん…?」
面白いほどぴしりと固まってしまった私をよそに愉快そうな肥前くんの低い笑い声が聞こえてくる。もしかして今、私はこの人に抱き寄せられているのではという考えに至るまでに要した時間はそう長くない。
「あの、えっ、肥前くん…?肥前くん聞いてる…⁉︎こういうことはちょっとみんなのいる場では困るっていうか、あのですね…!」
「酔っ払いにしちゃあえらく流暢に喋るじゃねぇか」
「くっ…!」
酔いなんてとうの昔に醒めている。わざと私を覗き込むように顔を寄せた肥前くんは意地の悪い笑みを浮かべると、するりと私の手から並々とお酒の入ったグラスを抜き取ってしまった。
「わ、私のお酒……!」
「酔っちまったんだろ?なら無理は良くないぜ、お嬢さん」
なんて真面目ぶった顔で言い放った肥前くんは一気にグラスの中身を飲み干すと、私の腕を引いて立ち上がった。そこそこ度数の高いお酒だったというのにその足は少しもふらついておらず、更には顔色だって何一つ変わってはいない。なんなら突然の距離感に私の方がふらついてしまっているくらいだ。
「部屋まで送ってやるよ」
宴会はまさにこれから、という所である。今から参加するものはおれど退室するものなんて誰もいない。それに私ももう、残念なことに酔いはすっかり醒めてしまった。お腹だって空いている。目の前に広がる机の上には美味しそうな料理やたくさんのお酒が所狭しと並べられていて、食べられるのを今か今かと待ち構えているくらいだ。
だというのに繋がれた手をそっと撫で上げられただけで黙って頷き返すことしかできなくなってしまうのだから、惚れた弱みというのはもうどうしようもない。