みの恭の恭二と春隼の隼人が事務所で話すだけ バイト終わったらこっち戻るけど、先帰ってても別にいいよ。
ミーティングを途中で抜ける際に春名はそう言っていたが、隼人は事務所で春名の戻りを待つことにした。ミーティングは終わって旬も夏来も四季も帰ってしまって、隼人は春名の家の鍵も預かっていたけれど、なんとなくそうしたい気分だったのだ。明日は仕事もなく学校も休みで、つまりはオフだ。そんな日に春名の家に行くということはつまりそういう関係で、メンバーやプロデューサー、事務所の皆にもなんとなく気付かれているのは隼人にもわかっていた。それでも皆変わらず接してくれて、それでいいのかと思ったけれど他のグループにも隼人と春名と同じ関係の人がいるらしい、と聞いて妙に納得してしまったのはつい最近のことだ。
事務所のドアが開く音がして、隼人はパーテーションをよけるようにしてその音の方向を覗き込んだ。隼人が今いるのは応接や休憩、打ち合わせなどに使われるソファで、出入り口から直接見えないようにパーテーションが立てられている。隼人たちも先程までここでミーティングをしていたのだ。
覗き込んだ先に春名はいなかったが、代わりにあまり顔を合わせることのない人物がそこにいた。
「じゃあ、車まわしてくるから」
「はい。前着いたら連絡ください」
みのりの手によってドアが閉められる。が、この古いビルのドアはいまいち建て付けが悪く、上手く閉まらない。恭二、よろしく、と遠くなっていく声に小さく返事をして、恭二は今度こそきちんとドアを閉め直した。
恭二たちBeitは明日はオフの予定で、ならば家で飲もうと提案したのはみのりだった。特に用事もない恭二は二つ返事で頷いたが、それがどういうことを意味するのか気付いて頭を抱えたくなったのはその少し後のことだった。
いやもしかしたら、向こうはそんなつもりではないかもしれない。恭二はそう思い直した。今までみのりの家に一人で泊まりに行ったときの経験からして、みのりにそんなつもりがないなどと言える根拠はゼロなのだが、そうでも思わないと車で迎えにくるみのりを放って自分の家に帰ってしまいたくなりそうだった。
とにかく連絡がくるまで待つためにソファにでも座っていようと振り向いたところで、パーテーションの端から顔を出してこちらを覗き込む少年と目があった。少年と言うには成長しすぎているが、青年と言うには幼すぎる現役高校生だった。事務所内ではあまり見かけない顔だが、間違いなくここの所属アイドルだ。
こんにちは、と挨拶をされて反射的に同じく返す。本来であればお疲れ様と言うのが妥当だろうが、こんにちはでも間違っているわけではないのでいいだろう。ただ、とっくに日は落ちて窓の外には街灯とビルから漏れる明かりしか見えないのだが。
「ここ、いいか?」
「はいっ、どうぞ」
向かいを指差して恭二が問いかけると、彼ーーー秋山隼人は少し緊張した様子で返事をした。その様子に、恭二は違和感を覚える。
事務所に入った時期はたいして変わらないし、歳も離れているわけではないのに、この反応はなんだろう。これではまるで、怯えている子供だ。
そう思って、ふと十月末の仕事を思い出した。恭二の仮装が本格的すぎたのか、子供が一切寄り付かなかったあのイベントだ。まさか仮装をしていなくても男子高校生に怯えられるほどなのか、と恭二は考えこむ。
「あの……俺、なんかしたか?」
さすがに何もないのに怯えられることはないだろう、理由があるはずだ。そう思って恐る恐る問いかけて、違うんですと勢いよく手と首をふる隼人の姿に心底安心する。
「俺たちってあんまり事務所にこないから、他のユニットの人と会うのに慣れてなくて。だから、なんていうか、ちょっと緊張したっていうか……」
隼人は、誤魔化すように笑いながらそう言った。
隼人たちHigh×Jokerは全員同じ学校で、元はと言えば軽音部の活動でバンドを組んでいたところをプロデューサーにスカウトされたのがアイドルになったきっかけだ。だから恭二たちのように事務所に集まる必要もなく、必要があるとすればプロデューサーに会うときだけだろう。恭二たちの仕事は他のユニットと合同でのことが多いが、隼人たちは彼らだけでの仕事が多いため、他のユニットの人間に会って緊張するというのも頷ける。
「そっちは、五人だっけ」
恭二にしては珍しく、世間話を振ってみた。すると隼人の顔はすぐに明るくなって、メンバーのことを大切にしているのがよくわかった。
「はい、五人です。ギターが俺で、ボーカルのシキ、キーボードのジュン、ベースのナツキ、ドラムのハルナ。鷹城さんのとこは、3人ですよね」
鷹城、と呼ばれた名前を恭二でいいと訂正しつつ、恭二は自分の所属するユニットの紹介を簡単に行う。
「俺と、ピエールと、みのりさん。三人とも前の仕事をしてるときに知り合って、ピエールの提案でここに来たんだ」
恭二の柔らかい表情からは、隼人と同じようにメンバーを大好きなのだという気持ちが見てとれた。それに対してなんだか嬉しくなった隼人が笑うと恭二は照れ臭そうに頬を掻いたので、もっと聞かせてください、と話の続きを促した。
それからは、お互いのメンバーのこと、今までの仕事のこと、共通のプロデューサーのことなどの話に花を咲かせた。今日初めてまともに会話をしたとは思えないほどに。
「あれ、もう一人いなかったか?」
しばらく隼人の話を聞いていた恭二がふと気付いてそう言う。隼人を含めた四人しか話題に登らないのだ。
隼人は少しの間視線を彷徨わせ、なんだか気まずそうに言葉を選んで口にする。
「あー……ハルナですね」
「そう、聞かせてくれよ」
「……ハルナは、すごく頑張り屋なんですけど……それをひけらかさなくて。他のメンバーに比べて練習時間も少ないしバンドに入ったのも最後なのに、ドラムの腕は確かなんです。どっかで俺たちに隠れて練習してんのかなって思うくらい。それから、よく差し入れって言ってドーナツ買ってきてくれて。ハルナ曰く、自分が食べたいかららしいんですけど」
はじめこそ言いづらそうに言葉を選んでいた隼人だったが、後半になるにつれて楽しそうな表情に変わる。どうやら気持ちが顔に出やすい質のようで、これなら同ユニットのメンバーもやりやすいだろうと恭二は少し羨ましく思った。みのりはたまに何を考えているのかわからないときがあるし、ピエールもどこか遠い目をして何か考え込んでいるときがある。恭二もあまり喜怒哀楽がはっきりしているわけではないので、人のことは言えないのだが。
ハルナはほんとしょうがないんだから、と笑顔を浮かべる隼人を見て、恭二は気付いてしまった。春名のことを語る隼人の表情は、自分といるときに見せるみのりの表情とそっくりだ。
あまりにも話題にされないものだから、実は仲が悪い、なんてアイドルにありがちな事情かとも思ったのだがどうやらその逆だったらしい。意識しすぎてわざと春名の話題を避けていたのだ。
「好きなんだな、彼のこと」
ぶわ、と隼人の顔が一瞬にして赤く染まる。
「いや、あの、違うんです、えっと」
「隠さなくていいぞ。俺もみのりさん、好きだし」
恭二からさらりと告げられた言葉に、千切れるのではと思うほどの勢いで振られていた隼人の手が固まった。
「えっと、じゃあ、少し、聞いてもいいですか」
固まった手は今度は膝の上でこぶしになり、隼人は途切れ途切れに声を絞り出す。恭二が頷くと、一瞬の間を置いてさらに声を絞り出した。
「……渡辺さんの、どこが好きですか」
茶化しているでも興味本位でもない瞳が、真剣に恭二を見つめていた。
バイトの終わった春名が事務所に向かうと、事務所前の道に車が止まっていた。運転席にいるのが同じ事務所所属のアイドルであると気付いた春名は運転席の窓を軽くノックして、声をかけた。
「Beitの渡辺さん、ですよね?ハイジョの若里です。こんなところでどうしたんですか?」
ノックの音に窓の外を見れば、雑誌でよく見る顔があった。手にしていた携帯電話を膝の上に落としたみのりは、慌てた様子で運転席の窓を開ける。そして平静を装いながら春名の質問に答えた。
連絡をしてもいっこうに事務所から出てくる気配も返信もない恭二に苛ついていたが、事務所にいても遭遇率の低い若里春名が声をかけてきたとなれば話は別だ。
「恭二を待ってるんだけど、連絡しても出てこなくて。事務所にはいるはずなんだけど。若里くんは?」
「オレさっきバイト終わって、ミーティング途中で抜けてきたからまだみんないたらと思って」
「少なくとも、プロデューサーはいないよ。俺たちを迎えに来てそのままピエールを送っていったから」
じゃあ、ハヤト先にうち行ってんのかな。春名がそう小さく呟いたのをみのりは聞き逃さなかった。
「若里くんの家?今日はお泊まりなの?」
秋山くんと二人だけで?
にこりとそう問いかけられ、春名はまずいことを言ったとあからさまに顔に出しながら口ごもる。春名と隼人の関係が明らかになるのは、隼人が気にするのだ。
察しの良いみのりは春名の反応を見てすべて悟ってしまったが、アイドルに対して非現実的な夢や願望を持つような歳でも性別でもないアイドルファンのみのりとしては、アイドルの情報であるならばたとえそれが恋愛絡みのことであっても大歓迎だった。自分もアイドルとして同じ立場に立つものとしては、褒められたことはしていない。十一も年下の恭二を誑かして……と言うと聞こえが悪いが、実際にはそうなのだ。とはいえあの春名の反応では関係者に気づかれるのも時間の問題だ。
みのりと恭二の関係の変化にいち早く気付いたのはプロデューサーだったから、こんなにもわかりやすい春名と隼人のことに気付いていないわけがない。気をつけるように言ってもらわないと。同じ事務所のアイドルが悲しむのは見たくない。ぼんやりとみのりが考えるうち、春名は車から少し離れて事務所の入っているビルの入口へと体を向けていた。
「オレ、事務所の中見てきますよ。鷹城さんいたら渡辺さんが待ってるって言っとくんで」
「待って、俺も行くよ」
逃げるように歩き出した春名だったが、それは叶わない。あとからすぐにみのりが追いかけてきて、春名は気まずそうに鞄を肩に掛け直した。
車で待たされていたからなのか、みのりの機嫌はあまりよくないように見えた。とは言っても普段のみのりを春名は知らないので、接客系のバイトによって培われた勘をもってして気付く程度なのだが。この勘が仕事ではよく役に立つことが多いが、今はあまり役立っていない気がする。みのりに対して、どうするのが正解なのかわからないのだ。これから先も付き合っていくだろう相手だから、あまり下手なことはしたくなかった。
「駐禁切られますよ」
「この時間じゃ大丈夫さ」
春名とみのりが顔を合わせるのは初めてではなかったが、こんな人だっただろうか。春名はみのりと初めて会った時のことを思い出す。
初めて会ったのは事務所で、春名たちは仕事に行く直前だったからあまりまともに会話をしなかった気がする。あの時はどちらのユニットも全員いて、軽く自己紹介をした。バンドすごい!とはしゃぐピエールをなだめながら、よろしくと優しく穏やかに微笑んでいた。それが春名からみのりへの第一印象だった。
「あの、渡辺さん」
「みのり」
「え?」
「みのりでいいよ。みんなそう呼ぶから」
ぶっきらぼうに、みのりがそう言う。
機嫌の悪そうな理由はこれだったのだろうか。いやまさか、いい大人がそれだけで?
春名が首を傾げると同時に、事務所の扉の前に到着する。ノブを回して少し開けると、楽しげに会話する声が二人分聞こえてきた。
「恭二の声だ」
「もう一人はハヤトっすね」
みのりの機嫌が、さらに悪くなったような気がした。人を待たせてなにやってるんだよ、そんなようなことを呟きながらみのりが事務所に入っていく。春名もみのりの後に続いて事務所に入り、建て付けの悪いドアをしっかりと閉めた。それなりな大きさの音がしたが、おそらくパーテーションの向こうのソファに座る二人は気付いていないのだろう。変わらずに会話を続けている。
「ハルナってけっこうぼーっとしてる時があって、後ろでシキがいたずらしてても気づかなかったりして」
「それみのりさんもだな、楽屋にテレビ置いてあってアイドルが出てるとピエールがみのりさんになにしてもほっといてるし。ぼーっとしてるのとはちょっと違うかもしれないけど」
自分たちの名前が予想外に耳に入り、みのりと春名は顔を見合わせる。少し聞いてみよう、とみのりが声に出さずに言うと、春名は無言で頷いた。
静かに移動して、パーテーション越しにはっきりと声が聞ける場所にくると、また自分たちの名前が飛び出す。
「渡辺さんの場合は、集中してるんじゃないですか?」
「そうだけど。でもピエールが髪を編みこみにしてても気付かないんだぜ?」
絡まったら困るからすぐやめさせるけど、と恭二が続けると、そうですねと隼人は明るく笑った。
春名が隣のみのりに目をやると、みのりは顔を春名とは逆側に向けてしまった。
「ハルナは、ほんとにただ意味もなくぼーっとしてるんで、たまにそのまま寝てる時もありますよ」
「それ大丈夫なのか?」
「うーん、本人は大丈夫って言ってるんで……ほどほどにしてほしいとは思ってるんですけどね。リーダーとしても、個人的にも」
「言ってやれよ、心配だって」
「言っても聞かないですよ」
今度は、春名が顔をそむける番だった。
パーテーションの向こう側での無言のやりとりを知らず、隼人と恭二は続ける。
「みのりさんもけっこう無茶するときあるけどな。ダンスとか、多分一番練習してると思う。そういう無茶で、俺の好きなみのりさんが出来上がってるのは知ってるんだけどさ」
「……惚気ですか」
「惚気かな?」
明るく笑い合う隼人と恭二の声を聞きながら、春名はわけが分からずみのりを見る。だが、みのりは座り込んで、文字通り頭を抱えていた。同じように座り込んで、隼人と恭二には聞こえないよう小声で話しかける。
「ちょっと、みのりさん、もしかしてみのりさん達って……」
付き合ってるんすか。その声は、みのりの手で塞がれる。そして、そうだよというみのりの声と同時に、隼人の声で自分の名前が聞こえた。みのりと恭二のことも気になるけれど、春名の意識は自然とそちらに向いてしまう。
いつのまにか、みのりと春名について直してほしいところの話題になっていた。恭二と隼人のノリが自分の彼氏について語る彼女のようになっていて、みのりに続いて春名も頭を抱えたくなってしまう。
「みのりさんは、すぐ嘘つく」
「あ、ハルナもそうです!バイト行くとか言って!」
「でもそれ、気づけないんだよな」
「そうそう、嘘つくのすっげー上手いんですよね」
隼人は、春名が隼人の誕生日プレゼントを買うために先に帰ったことを未だに根に持っているらしかった。春名は、今度こそ頭を抱えた。
「気づけないの、ムカつくし」
「後からわかっても、許しちゃう自分にもムカつきます」
だよなーと意気投合する一方で、みのりと春名も好き勝手言う恋人たちを止める意志が固まったようだった。いこうか、と親指でサインを出すみのりに春名がゆっくりと頷いて、パーテーションの影から姿を現すと、先に気付いた隼人があっと声を上げる。
「こら、恭二」
「うわっ、みのりさん」
ガタガタと古いソファを揺らして、恭二がみのりとは反対側に飛び退く。みのりの後から顔を出した春名を見て、隼人もうわ、と声を漏らした。
「うわってなんだよハヤト。オレ待っててくれたんだろ?」
「そう、だけど……いつから」
「ぼーっとしてるって話のあたりかな」
にこりと、さきほど外で春名に向けたのと同じ笑顔でみのりが春名の代わりに答える。
「で、恭二、俺のどういうところが好きって?」
にこにことしたみのりが恭二に迫っていく。その笑顔にはほんの少しの怒りが滲んでいたが、ほとんどは楽しそうだ。みのりの機嫌が直ったようでよかったと春名は思いながら、初心な隼人の目の毒になりそうだからと手で隼人の目を覆ってやった。