梛の葉、高らかに本丸が本丸になる前の事。
その家には人がいて、その家には音が溢れて、その家には温もりがあった。
家族が暮らし信仰を大切にし働き学び腹が減れば食べて身を清めて日が暮れれば眠りにつく。
穏やかな日常。なんの代わり映えもない平凡な日々。
それが懐かしい物になろうとは誰も彼もが思ってもみなかった。
しばらくしてその家から人はいなくなってしまった。
理由はあったのだろうがとても昔の事なので忘れてしまった。
望郷は遥か彼方。
本来の意味の故郷は別にあるのだが”帰る場所”と言う意味で言うならば彼の故郷はここしかない。しかし一歩たりとも敷地から動いていないにも関わらずその故郷はあまりに遠くに行ってしまった。近寄りたくても自分ではどうしようもない。誰も帰って来ないこの家をただ一人で過ごす。
月日の流れなど当に数える事はやめていた。
幾星霜を経たのか気にもとめなくなって日々をぼんやりとした意識の中で過ごしているとある日、見た事のない人間がぞろぞろとやって来た。
人が住まなくなって大分経ったその家は荒れこそはしていないものの獣やら化生の類が住み着いていた。勿論その事にも気付いていたが特に害を成すわけでもないと判断しずっと放置していたのだった。
今更、人が何をしに来たのやら。
興味が湧きこっそり人々の様子を伺った。
家の中を物色したり敷地内を隅から隅まで周り歩いたり。
悪い気配はなかった為、黙って見ていたが何分怪しさは拭えない。
残り少ない力を使って最後くらいこの家を守ろうか。
そう考えていたのだが一団は呆気なく帰ってしまった。
久々のやる気モードの出鼻をあっさりくじかれてしまった。
後日。また先日の一団がやって来た。
この家に何かしようものなら今度こそ、この命を賭けて。
そう思った矢先に家が崩落した。
いくら年月が経っているとはいえ、木造建築だからとはいえ、積み木で作った家の一部を抜いた時の様に呆気なくガラガラと崩れ去ってしまうとは思ってもみなかった。
あまりの出来事に勝手に抱いていた使命感も忘れ茫然としていると今度は崩れた筈の木材たちが土の中に吸い込まれて行くでは無いか。
正しく説明するなら円状の術式によって転送されているだけなのだが、そんな科学どころか人間とも無縁でしばらく生きて来たのだから知らなくても無理は無い。
兎にも角にも、そこにあった筈の家は草木や花を残し一切合切消えてなくなってしまったわけで。
ああ、遂に。その日が来てしまったのか。
悟った。自らの終わりがやってきた事を。
覚悟は出来ていた。ならばもうゆっくり眠りにつくだけだ。
命を賭ける事無く終われると言うのはある意味で幸せな事だ。
そう、言い聞かせる様に瞳を閉じた。
だが終わらなかった。
色々不安定ではあるが終わりはしなかったのだ。
自分の事でありながら何故だろうと不思議がっていると先程まで何も無かったそこに、家が建っていた。
寸分狂わずとまではいかないがかつての面影を残したその家は確かに、目の前にある。
そして玄関前には相も変わらず力強く佇んでいる梛の木。
家が新しくなったという事は、また人が住むという事だろうか。いや、そうに違いない。
まだ決まった訳でもないのに嬉しさが込み上げる。
希望は、縁は、まだ続いている。
時の政府から与えられた本丸。
言わば一国一城の主となる審神者だが、何もその城と言うのは皆が皆、新築である訳でもない。
予算の都合や大人の事情とやら色々なものが絡み合い、尚且つ適性を見出されて各々の本丸へと着任する。
そして美濃国のとある場所に配置される事になったとある審神者は、古民家をリフォーム&リノベーションしたと説明された木造三階建てのだだっ広い本丸を賜ったのであった。
モデルルームならぬモデル本丸はいつくか見て来たがこのタイプは初めてだった。実際を目の当たりにしてみてどこか懐かしさを覚える佇まいに張っていた気が少し和らいだ。
季節は冬。
木枯らしが運ぶ冷気から身を守る為に安堵もそこそこにさっさと中へと向かった。
それを一つの気配がずっと見ていたとも知らずに。
「主、ちょっといいかい」
刀剣男士の数が増え部隊も四部隊組めるようになり、生活の基盤もしっかりして本丸としての運営も軌道に乗って来た頃。
歌仙兼定に呼び止められた審神者は踵を返しながら返事をした。
「どうかした?」
「この所、妙な事が起きているんだけど何か心当たりはないかい」
「妙な事?」
「例えば朝餉や夕餉の品数が減っていたり、片したはずの物が違う所にあったりとかね。ここ最近特に多くて」
「誰かが摘み食いしてたり勝手に出してるとかではなく?」
「その線は既に疑ったよ。だけど皆に聞いても心当たりがないそうだ。最も、摘み食いに関しては何振か検挙出来たけれどね」
思い出して腹が立ってきたのか歌仙の表情はみるみる眉間に皺を寄せて背後に般若の面が浮かんでいる様に見えてその何振かの刀剣男士に審神者は心の中で合掌しておいた。
摘み食いは厨の番人・歌仙が許さない。
「摘み食いはともかく特に被害が無いなら放っておいて問題ないと思うけれど。もし続く様だったら石切丸に頼んで祓って貰おうか」
「……そうだね。そうして貰えると助かるよ」
「了解。じゃあ私は執務室にいるからまた何かあったら声掛けて」
歌仙と別れ一人執務室へ戻る。
そして思った。遂に刀剣男士も謎の現象に気付き始めたと。
と言っても審神者自身が気付いたのもごく最近。
例えば手探りで物だけ取ろうとしたら誰かが手渡してくれた事、廊下で滑って転びそうになった時誰かが支えてくれた事、湯呑みのお茶にいつの間にかおかわりが注がれていた事。
これら全て一人きりの時に起きているのだ。
霊感は正直に言ってしまえばほぼ無いに等しいこの審神者だが、それでも何かの存在には気付いていた。
しかし悪い気配はしないのも事実。
色々助けてはくれるがきちんと線引きをしてくれている。
審神者の私室やプライベートな時間にまで着いてくる事は無くあくまで日常生活を送る上で手助けをしてくれている、そんな印象だ。
だが悪いものでは無いにしろいつまでもこのままと言うのも引っ掛かる。やっと本丸もまともに運営出来るようになって来てここでトラブルが起きるとなると本業の仕事に身が入らなくなるのではないか。そんな心配が頭を過ぎる。
「主君?いかがされましたか?」
はた、と我に戻ると秋田藤四郎が不思議そうに顔を覗いていた。気づけば執務室の前まで来ていた。
「ああ、ええと。何でもない」
「そうですか?何か考え事をされていた様でしたけど」
「大したことじゃないよ。それより今日も宜しくね」
「はい!お任せ下さい!」
はきはきと受け答えする秋田に思わず笑みを浮かべる。
近侍は交代制であり今週は秋田藤四郎が担当だ。
今は書類作成などのデスクワークは少ない為、執務室の掃除を一緒にやってもらおうと考えていた。
「今日は何をするんですか?」
「執務室の掃除。ちゃちゃっと済ませようか」
「はい!わぁ、ありがとうございます!」
「え」
いる。何かが。
薄ぼんやりとした光に包まれている影の様な何かが秋田の頭に三角巾を巻き小さめサイズの箒とちりとりを手渡した。
「では主君はハタキで高いところをお願いします」
「……うん」
何かからハタキと塵や埃を吸わぬ様に不織布マスクを手渡され気付いたら秋田とお揃いで三角巾を頭に巻かれていた。そしてその何か自身もゴミ袋を取り出してやる気十分で執務室へ入っていく。
「ええ……?」
疑問に思った方が負けなのだろうか。
審神者は混乱しつつもとりあえず掃除をする事にした。
「この書類はどうしますか?」
「それはシュレッダーにかけて可燃ごみ」
「こっちの冊子は?」
「資源に出すから紐で括るから置いておいて」
順調に進む掃除。
あとはゴミを纏めて持っていくだけまで来た。
「あ、紐。ありがとうございます!」
勿論何かも一緒に掃除をしてくれている。
資源ごみとなる本の縛り方を何かに教わりながら秋田は特に疑問も持たず普通に接している。
そして変わった事が一つ。何かの形がハッキリ審神者の目にも見える様になって来た。
人の形、それも男性の姿だ。
顔は薄ぼんやりのままだが確実に濃くなって来ている。
ここで誰かを呼ぶべきか悩んでいると急に視界にチカっと光が入ってきた。
何かと思い見上げると神棚が目に止まった。
そう言えば、今の掃除で神棚の所は後でやろうと一旦避けたのだった。掃除した他の場所に比べると些か空気が重い気がした。
余っていた布巾を濡らしに行き、急ぎ戻り、執務室の椅子を踏み台に神棚に近づき埃を払い、水拭きをする。そんなに埃を被っている訳でも汚れていた訳でも無いが手を加えるとどこか空気が変わった様な気がした。
あとで御供えに水や餅菓子を持ってこよう、そう思っていたら低い落ち着いた声が聞こえた。
「うん。善い」
振り返ると何かはハッキリと姿を現していた。
覆面を付けているがしっかり男性だった。
「うわ!?」
驚いて審神者はバランスを崩した。
やばい、どこか打つ。
血の気が一瞬引いたが身構える間も床との衝突の衝撃も来る事はなかった。あったのは柔らかくもしっかりとした感触。
「気を付けて、君は人なのだから些細な事でも怪我になりかねない」
「……は、ぁい」
優しく受け止められ、注意された。
色々衝撃がありすぎて口から出たのはなんとも間の抜けた返事だった。
表情全ては見えなかったが揺らぐ覆面から口元だけ見えた。
柔く微笑んでいる唇と髭。
諸々ツッコミどころはあるが一先ず審神者は思った。
このオジさん、誰。
無言。
大広間に移動した審神者と秋田と覆面姿の男は対面するような形で机を囲んでいた。掃除も一段落し休憩にしようと提案したのは審神者だ。
出されたお茶を美味そうに飲む覆面の男の周りからは花が出ている様な雰囲気でその場の空気も柔らかさと言うのか緩さと言うのか審神者に対して警戒心というものが感じられず至って穏やか。
「あの……どちら様でしょうか」
「え!主君のお知り合いではなかったのですか?!」
思い切って尋ねれば思いがけない事実と言わんばかりに秋田が驚く。
聞けば広い本丸を刀剣男士以上に熟知していた事からてっきり政府関係者の審神者の客が逗留していたのだと秋田は言う。仮にそうだとしても客がいるのなら誰かしらが話題にあげるはずではと指摘すれば
「確かに、兄さんたちも誰も何も言ってませんでしたね……!」
と今になって気づく天然さ。
そこが秋田藤四郎の愛らしい一面でもあるのだが、今回は流石に見過ごせない。
「これからはちゃんと兄弟たちとも報連相してね」
「はい、すみません……」
「怒ってるワケじゃないよ。今回は秋田が悪いわけじゃないから、ね」
元をたどれば目の前で茶菓子を頬張ってるこの男なのだが如何せん一服を満喫しているのでどうしたものか。
結界を張っているにも関わらずいつの間に本丸に潜り込んだのか。秋田の話では本丸を熟知しているらしいのでこの短期間の間に全てでは無いにしろ本丸内の施設や情報を知られたのは紛れもない事実。
政府やこんのすけにどう説明したものか。最悪処分が下るのではないか。あれこれ思考が巡り段々としかめっ面になって行く審神者を見かねてかようやく、男は口を開いた。
「そんな怪しいものではないんだ。結構人とは馴染み深いと思っているんだが、年神って聞いた事ないかい?私はそれだ」
「年神、ですか」
「そう。穀物とか植物とかの加護は我ながら凄いよ。ここの本丸も田畑があるだろう。今までは力が無くて加護は授けられなかったけど、これからは頑張れるから美味しいものが沢山出来る」
「……」
「来た頃は冬場だったから耕す事もままならなかったのに、春になるにつれて皆でよく耕した。最近の若い子でもガッツあるなぁって思ってたよ」
「……」
「本丸に人手が増えるにつれて家も息を吹き返して行くのが分かった。君以外はまぁどちらかと言えば私寄りの存在だけれども、人と共に生きてきた存在だからかとても人に近い気配を持っている。それを数多く率いてるんだから君も、君の霊力も大したものだ」
「……」
「そうそう、ご飯も凄く美味しかった。今日の朝餉の卵焼きと御御御付けは君が担当だったろう。あれ明日も作って欲しいなぁ」
「……」
ぽやぽやとした雰囲気で話す内容はとても心当たりがあった。この本丸に着任したのは正に冬。最初は食糧も何も無く田畑を耕そうにも道具もなければノウハウも無く春になってやっと政府のツテというツテを頼って現代時間軸に住まう地元民に農業指導をしてもらいながら田畑も今の形にまで持って行った。
刀剣男士の事も気付いている。人ならぬものと。
それを動じること無くむしろ自分と近しいと言い放っている。
そしてこれはあまり歌仙の耳に入れさせたくはない情報だが度々起きていた朝餉や夕餉の摘み食いの犯人は男士たちの他にもちゃんとこの自称・年神が行っていたと自白した。
話を総合すると、この覆面男は結界を掻い潜り侵入した訳ではなく最初からこの本丸にいた存在という事になる。
「この家、いえ本丸は政府からの説明ではリフォームとリノベーションをしたと聞いていますがその間もずっとここに?」
「ああ、いつだか大人数で来た時は驚いた。荒らす様なら最後の力を振り絞って家を守ろうと思った。けれど祓い清められた木材を使ってまた新たに家を建立したという事は人が来るのだと思って待ってたんだ」
「待ってた?」
「うん。実を言うと大人数で押しかけられた頃は、消えかけていた。私は長いこと人と共に生きてきた。だが家に人が居なければ力は弱まり信仰がなければ消えてしまう。それが神という存在。でも君が来てくれた。待っていて良かったと思った」
「……私が悪いヤツだったとしても同じ事、言えるんですか」
「その時はその時。でも君は善い子だ。初日から最初に顕現させた刀の子達と掃除から始めてくれたじゃないか。神棚の事も気に掛けてくれて清めてくれた。加護を与えるには充分な理由だ」
湯呑みが空になったのか秋田にお茶のおかわりを催促する年神を見て、審神者はなんとも言えない気持ちになった。
褒められたのなんて、いつぶりだろうか。
何となく照れくさかったが同時に困ったなとも思った。
本当に、ガチめの神様が出てきたなと。
そりゃあ西暦2250年の未来科学は2000年代を生きていた審神者にとってはさぞ進歩した、言ってしまえばどこぞのネコ型ロボットの世界観を彷彿とさせるのだが実際は勿論ハイテク技術はあったが温故知新と言うべきか古きもの新しきものが入り交じった世界だった。
刀剣男士にしてもそうだ。歴史改変・侵略の手立てとして物に宿る魂や想いを形にした戦士、付喪神を顕現させ過去へと派遣し根源を絶つ原始的な方法で戦をしている。
人工的に人ならぬものを顕現させて居るのだから、自然的に神や妖、幽霊の類も発生・存在していても何ら不思議ではない。
だがそれらはあくまで霊感がある人にだけ見えたり触れたりするものだと思い込んでいたので審神者は対応に困ったのだ。
霊感と霊力は別物。だからこそ霊感ゼロの審神者も審神者たる立場にある。
身内に神職の者がいた訳でもないのでこういった関係の事の対応と言うのは全くもって分からない状態。
結局、政府やこんのすけにどう説明すれば良いのかと言う問題点は変わらぬまま頭を悩ませる審神者をよそに年神と秋田は親睦を深め穏やかに会話をしている。
「そう言えば、秋田は年神さんの事見えてたよね?どうして?」
「えっと、台所の方からえび天が宙に浮いているのを見つけて後を追ったら年神様が姿を表して食べているのを見つけて。それに驚いた年神様が噎せてしまったのでお水をあげたら仲良くなりました!」
予想外の答えに審神者は目が点になった。
「いやあ、あの時は窒息死するかと思った」
「神様なのに抜けすぎてません?てかこの前のえび天足りないやつアンタが犯人か」
「でも突然声を掛けた僕も悪いので…」
「然るべき天罰が下ったとしか思えないけど」
「君といいここには料理上手なものが多くて助かる」
朗らかに答え全く悪びれる様子のない年神。
神と言うからにはもっと厳かで気難しいものかと思っていたがどうにも審神者が思っている様な神ではないらしい。
「いい話風に終わろうとしないで下さい」
「あの時は御供えが無くてお腹が減っていてつい」
「つい、でうちの食卓を戦場に変えられたら困るんですが」
雲行きが怪しくなって来たのを年神は察した。
あの盗み食いの後、数が足りないと一波乱あり犯人が分からずじまいのまま足りない分は審神者と歌仙と堀川が自分の分を回し事なきを得たのだがあの時の場の雰囲気の悪さと来たら本丸設立以来の悪さだった。
出陣帰りの男士は腹を空かせて帰って来るので余計に気が立ちやすい状況も相まってしまったと言うのもある。
その原因がこの覆面髭男であったとならば審神者だって黙ってなどいられず文句の一つでも言ってやらねばとちょっとした怒りが蒸し返って来た。
「あ、あの?」
「神だろうが不審者だろうが構いませんがこの本丸に居座る以上ここのルールは守ってもらわないと。ただでさえカツカツなんですよねうち」
「しゅ、主君?」
「刀剣男士以外の人ならぬ存在は初めて見ましたし、そうなると妖怪とか幽霊とかも普通に居るんでしょうし怖くないと言えば嘘になりますけど。だけど、ここは今は私の家、私が主です。そこの所、お分かり頂けてますよね?」
当初の困惑の表情は消え、顔は笑っているが目が笑っていない審神者に年神はばつが悪そうに顔を伏せた。現代っ子って強いなぁなんて思いながら。
「主君、年神様も悪気があったわけじゃないと思います…!だからあんまり怒らないであげて下さい!」
「秋田、時にその優しさは相手を付け上がらせてしまう事がある事を覚えておいて。それに私は怒っている訳じゃない。神だろうがなんだろうが自分の不始末は自分でしなきゃねってだけで」
「……へ?」
てっきり責め立てられるかと思っていたので年神は思わず間の抜けた声をあげた。
「折角、御姿を現してくれたんですから皆に紹介しましょう」
笑って言っているが目は笑っていない。
今代の主は中々肝が据わってる、年神はこれから己に起こる何かに不安を覚えながらも審神者に感心した。
ジュワーっと大きな音を立てながら泡が勢いよく出てくるが次第にパチパチと高い音に変わっていき油の中で泳がせていた衣がちょうど良い色になったのを見計らい、油を切り揚げバットへと移していく。
「年神さん上手ですね」
「揚げ物どころか料理なんて初めてだけど案外上手く行くもんだねぇ」
「じゃあ次こっちのお願いします」
審神者から手渡された下拵え済みの材料が乗ったバットを嬉々として受け取り、衣をつけ手前からゆっくりと油へと入れていく。何度かやったら手慣れてきたもので揚げ時間もばっちりである。
二人が楽しげに料理しているその様子を厨の番人こと歌仙と堀川が畏懼する様に、近侍の秋田が目を輝かせながら見守る。
突然見知らぬ者を審神者が引き連れて来たかと思えばここ最近の盗み食いや先日の騒動の根源だと紹介され、反応が追いつかないでいるとその見知らぬ者は自らを年神だと言い放ち、更に反応に困る事を言われたかと思えばその償いを今からさせると言うのだから歌仙も堀川もフリーズした。
あれよあれよと昼餉の準備が進められ今に至るのだが、様子を窺って行くにつれて二人とも審神者と年神と自称する者の言う事が狂言では無く事実であるのだと理解する。
刀剣男士とて神の末席に位置する存在。
故に神格の高い存在となれば一目瞭然だが、目の前の年神はすぐには分からなかった。しかしその場に少し居れば分かった。そこに居るのは本物の年神であると。
「堀川、一応確認するけどこれは夢ではないよね」
「そうですね。にわかに信じ難いですけど現実です」
「あの御方はどう見ても」
「年神様ですね…」
「なのに主と来たら何故あんなに気安く接してるんだい…?」
「僕にもさっぱり…」
ひそひそと話しながら審神者が何か粗相をするのではないか、年神にもしもの事があれば祟られてしまうのではないか等色んな不安がぐるぐると渦巻き体も強ばりまるで金縛りにあっているかの様で色々気が気でない二人。
「秋田、揚がったのカウンターに出してくれる?」
「お任せ下さい!」
「こっちの分終わっちゃった」
「じゃあこっちのを。もうすぐお昼なんでじゃんじゃん揚げますよ」
そんな二人をよそにテキパキと作業を進めていく三人。
男所帯である本丸なので作る量も毎度大量に作らねば皆の腹が持たない。
「歌仙!堀川くん!ご飯とおみおつけお願い!」
突っ立っている二人を見かねて審神者が声を掛ける。見つめる目はいつもの頼りにしているという信頼の眼差し。
顔を見合せると、それまで強ばっていた体から余計な力が抜け二人も腕を捲り持ち場へと向かう。
「後でちゃんと説明して下さいね主さん!」
「全く、年神様と厨に立つなんて思ってもみなかったよ」
厨の戦力が揃い踏みした所で昼餉の時間まであと四十五分。
それからと言うもの、審神者の指示を元に連携を取りながらも戦場の如く忙しなく動き回る五人の働きの甲斐あって何とか時間ギリギリ間に合う事は出来たのだが。
腹を空かせ鳴かせながら食堂へやって来た男士たちが年神の件で空腹を忘れる程に吃驚したのは言うまでもなく、後にこの本丸史における事件として語り継がれる事になるのだった。
年神騒動から数日。
「おー!そう来るかえ。年神様、中々上手い手じゃのう」
「いやー陸奥くんも鋭い所を付いてくるね」
「年神様、頑張ってください!」
「このしょうぶ、かったほうによもぎ餅をかけてるんですからね!」
「なんじゃあ、わしに賭けてるもんはおらんのか!」
「……俺が賭けてる。兄弟の分もな」
「山姥切、お前さん随分ギャンブラーだな」
「三人分は責任重大ぜよ…!こりゃ本腰入れて勝負せんとにゃあ!」
「お手柔らかにねぇ」
年神は本丸にすっかり馴染んでいた。
わいわいと行われている将棋勝負の光景に通りかかった審神者は年神のあまりの人気者っぷりに思わず笑った。
結論から言うと年神はこの本丸に常駐する事になった。
こんのすけから事情を聞いた政府も今までにない事例に頭を悩ませていた様だったが元はと言えば政府が買い取った土地に居た神なのだから蔑ろにするのもおかしな話であり、それも福の神であるのなら尚のことであるという事で本業務に干渉させない事を条件に政府は彼の存在を黙認した。
刀剣男士も年神もそれを了承し共に共同生活を送っている。
神格の高い存在に最初は敬遠していた男士たちものほほんとした年神の雰囲気や立ち振る舞いに徐々に心を許していった。
しかし幾ら偉い神様である年神とて審神者は容赦しない。
「年神さーん、そろそろ洗濯の取込みお願いしまーす」
この様に年神にも本丸内で役目を与えているのだ。
働かざる者食うべからず。
この本丸におけるスローガンの一つだ。
勿論毎日ずっとではなく男士たち宜しく当番制なので休みの日もちゃんとある。
当初、石切丸がこれを聞いた際には卒倒しかけたのだが当の年神本人はあっさり快諾し嬉々として家事手伝いを行っている。聞けば、長く人と暮らして来たがここまで生活に介入する事は少なかったらしく楽しいとの事で。
審神者の声掛けに了解のハンドサインで応えた。
「主さまは末恐ろしい人ですね」
足元のこんのすけが口を開く。
「なんで?」
「いやなんでって…。相手はあの年神様ですよ?それをさん付けで呼んだ挙句扱き使うなど」
「呼び方は年神さんが”さん”の方が近しい感じがして良いって言うから。それに扱き使うとは失敬な、自分の事は自分でと言うのは男士たちにも言ってる事。ここで暮らす以上特別扱いはしないよ」
「それが末恐ろしいと言っているのですよ。まぁ主さまらしいと言えばらしいですけれど」
「最近年神さんの肌ツヤも良くなってるし持ちつ持たれつの関係って感じだから良いと思うんだけど。お互いに」
「でしたらもっと敬って差し上げても良いと思いますよ…」
褒めているのか貶しているのか。
如何様にも取れる言動に引っ掛かりを覚えたが政府側のこんのすけにしてみれば今回の事はあまり褒められたものでは無い事くらい審神者も分かっている。
だが神と人と言うのは昔から切っても切れぬ関係だ。
今回はたまたまその関係が目に見える形となって現れただけであって数多くある本丸の中で似た様な事例が起こる可能性は全く無いとは断言出来ない。
言わばこの本丸は観察対象として泳がせて貰っているだけなのかも知れない。
それでも審神者は良いと思った。
「決して神様を蔑ろにしてるワケじゃない。家の事はこれまで通り丁寧にするし神々にも礼を尽くす。それでこの本丸が少しでも心地よい場所になって時代を越えて戦う彼らの休息の地になるなら年神様の力を借りたってバチは当たらないでしょ?」
こんのすけを見つめる柔らかくも真っ直ぐな瞳。
天然なのか計算なのか。
いずれにせよ強かな審神者である事には変わりない。
「主さまのそういう所、私は好きですよ」
「そりゃどうも。どれ夕餉に油揚げ付けてやろう」
「主さま大好き!」
「現金なキツネだねお前は」
出来れば特上のを!と懇願しながら執務室に向かう審神者の後ろを追うこんのすけ。
それを見ていた年神は審神者の姿が見えなくなるとそっと目を伏せ意識を集中させる。
聞こえて来る生活の音。刀剣男士たちの話し声、布が擦れる音、風に寄って運ばれてくる花草と厨からの香り、背中に寄りかかっている者の体温。
全て確かにここにある。
「年神様?どういた?」
「洗濯の取込み前に勝負つけて行ってくれよな旦那」
「でないと、しょうぶがうやむやになってしまいますからね!」
語りかける者がいる。分かち合える者がいる。
「うん。じゃあ進めようか」
年神は覆面の下で大変嬉しそうに笑った。
玄関先にある梛の木の葉が笑っているかの様に高らかに揺れた。