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    桃源郷は破り棄てた「尊い…なんて尊いんだこの二人…」
    「わかるー!そのお話とってもキュンキュンするよね!」
    「もう尊さでお腹いっぱいになっちゃうな」
    「最近の流行りは神域神隠しネタなのかなぁ。結構そういうお話多い気がするからそろそろ別の方向性のお話も探してみようかなって思ってるんだけど」
    「乱くんのオススメはハズレ無しだからどんなものでも大丈夫だよ。また面白いのあったら教えて欲しいな」


    キャッキャッと同人誌片手に創作物の刀さに談義に花を咲かせているのは燭台切光忠と乱藤四郎の二振り。二千二百五年代にも同人文化は残っており、乱がひょんな事から同人誌を手に入れた事から全ては始まり気が付けばこの二振りによる少女漫画同人同好会が発足していた。不定期に開催されているこの会の会場はもっぱら空き部屋か光忠の部屋なのだが、今日に限っては何故か審神者も巻き込まれ本丸離れにある審神者の自室で行われていた。


    「今更だけどなぜ私の部屋でやってるの?」
    「だってあるじさんのお部屋、いっぱい本あるんだもん!そ・れ・に・ボクのオススメの本も読んで貰いたくて!」
    「この本はすごく良かったから主も是非読んで!本当に尊い!」
    「光忠の口から尊いって鳴き声みたいに出てくる日が来るとは思ってもなかったよ」


    まぁ読むけどと薄い本を受け取りつつそのままページを開き始める。誰が広めたか同人文化。他に同人関係と言えばこの本丸では長谷部がひっそりと同人活動をしてサークル参加をしているのだがそれを知るは審神者と光忠のみで本人は預りしれぬ事。特に業務に支障を来たしている訳では無い為、審神者も趣味に茶々を入れるつもりはなかった。


    「ねぇねぇそれにしても本当に神域ってボクたち出せるのかな?」
    「本丸の環境によって僕達も個体差があるから、その辺はなんとも言えないね。でも浪漫はあるよね!」
    「ねー!出せたら兄弟たちのと見比べたりするの楽しそう!どんな所なんだろう、想像するだけでワクワクしちゃう!」
    「その刀によって神域の姿形も千差万別だろうね。僕はどうせならカッコイイ場所がいいなぁ」
    「そこで婚姻結んじゃうの?」
    「そうなると二人だけの箱庭にして一生離れない様に閉じ込めちゃうってのが物語としてのセオリーだよね」
    「きゃー!少女漫画みたい!!」


    二振りの会話が弾む一方で視線を同人誌に落としながら審神者は内心ひやひやしていた。二次創作でよく耳にする神域・神隠しとは実際、夢見る年頃が望む幸せが約束された甘く蕩けるような夢物語の現場として使われる事は無い。審神者の思想や認識が強く反映される本丸だが、他ではあるかもしれないがここではまず無いのだ。
    神域とは常世つまりあの世。常世の神と現世の人。他がどうかは知らないが神と人と越えてはいけない一線というものはある。その一線がどこまでを指すのかは正直審神者にも分からないしもし越えそうかもしれないと言う場面に直面したら己が感覚を信じるしか無い。
    それにもし、仮に、刀剣男士が神域を持ちそこに招かれたとして男士にも審神者にも異常が分かれば政府は容赦無くその存在を切り捨てるだろう。
    例えば望んだものでも望まぬものでも神隠しされたとしてそうなった時点で本丸は機能を停止する。例えば男士に異常が発生し主たる審神者に危害を加えようものなら本来の役目を放棄する事になる。そうなってしまった使えない道具は政府にはいらない、替えは幾らでも効くのだから棄ててしまう方が合理的だ。
    だからこの本丸に一柱個神の神域などない方がいいのだと審神者は思う。


    「あるじさんは神域出せると思う!?」


    興奮気味な乱が問いかけて来たが審神者は視線を本に落としたまま答える。


    「残念ながらうちは基本神域制度採用してないから無理だよ」
    「採用制度だったのかいあれ?!」
    「えー!つまんなーい!!折角パジャマパーティーの計画立ててなのに夢なーい!!」


    その計画は別に神域でやらなくてもいいのでは?と言うツッコミはさておき事実この本丸では一部の刀を除き神域は展開出来ない、と言う事になっている。とは言え刀剣男士とて神の末席に属する付喪神、絶対出来ない訳では無い。出来ない・無理と言葉にして思わせているだけで本来は展開自体なら出来る可能性はあるのだが審神者の思想に準じ公表していない。そもそも聞かれる事も無いと言うのもある。
    例外の天下五剣、剣、神刀に属する刀は先の大侵寇で三日月宗近が本丸を敵から守る為に使用した際のものの例がある為、直接確かめたわけではなかったが展開出来る可能性は極めて高いと踏んでいる。いずれにせよ神域とはおいそれと出して使われるものではない。


    「そもそもこの本丸の敷地内が神域みたいなものだから別に拘る必要ないのでは?」
    「それもそっかぁ。出来たら楽しい場所にしようと思ってたのに」
    「パジャマパーティーなら今度開いていいから」
    「本当?!可愛いパジャマ着てお菓子食べたり遊んだりして夜更かしして良い?!」
    「ちゃんと一期に許可取るならね」
    「わーい!約束だよ、あるじさん!」


    早速一期に許可を貰ってくる!と嬉しげに部屋を飛び出し走り去る乱を微笑ましく見送ると審神者の頭上が突然曇る。


    「光忠?」
    「ここは主の本丸だから君の思想ひとつでその在り方は変わる。君が無理だと言うなら無理なんだろうね」


    見下ろしている金の瞳はいつもの穏やかで面倒みの良い皆のお兄さんと言う眼差しではない。膝を折り本を取り上げ審神者に視線を合わせ、ずいっと身を乗り出すと合わせるように思わず審神者も少し身を引く。その際両手を覆い被せられ甲から伝わる黒手袋越しの光忠の体温がいやに高く、瞳もその金色が揺らめいてるのではないかと錯覚する様な熱っぽさを感じた。


    「でも諦めたくないと言ったら、主はどう思う?」
    「どう、って」
    「七年。君に仕えてきた。沢山色んなものを見てきたし経験してきた。刀だった頃はきっと知る事がなかった事ばかり」
    「…そうだね」
    「夢物語みたいな妄言かもしれないけど、僕は君を喪いたくないと思ってるよ。出来ることならずっと」
    「…光忠」
    「僕だけじゃないはずだ。君を想う刀は他にも」
    「光忠!」


    大きな声に驚いたのかぎゅっと握られている手に力が入った。それでも審神者の視線は光忠から逸らされていない。有無を言わさぬその鋭い眼光に光忠は背筋が凍るような感覚に襲われた。


    「…ごめん、冗談」


    握られていた手の力が緩み乗り出していた体と手を引き正座の形になる光忠。冗談だと言いながら正気に戻ったその顔は申し訳なさでいっぱいになっており、まるで悪戯して怒られている子供のさながらの状態で己が熱を自省している様だった。
    そう想ってくれる気持ちは嬉しいものだし大切にしたいと言う気持ちを植え付けさせたのは紛れもなく人である審神者自身だ。ヒトの姿と心を与えてはいるが彼らの本質は「刀剣」だ。それを扱うのは「人間」だ。
    そのレッドラインを越えてしまえば戻れなくなる。即ち、禁忌。


    「御伽噺だから良いんだよね、こういうのは」


    おどけて言ってみせたが本当は冗談なんかで終わらせたくはなかった。現実になったら、人を超越すれば目の前の人はずっと居てくれるかもしれない。想いあった人同士の甘い物語の様にとはいかずともせめて、全ての事が終息しその後穏やかな日々を永遠に過ごせたならどれだけ良いだろうか。


    「今聞いた事は忘れて。ああ、もうこんな時間だ。僕もそろそろお暇するよ。夕餉が出来たらまた呼びに来るね」
    「あっ…」
    「そこの本は乱くんのだから彼に渡しておいて、それじゃ」


    素早く本を纏めいつもの様に爽やかな笑顔で部屋から出て行く光忠の背に何か言おうと思ったが言葉が出てこず伸ばした手は虚しく空を切るだけだった。


    「何を…言おうとした…?」


    どんな言葉も今は慰めにもフォローにもならない。
    彼の気持ちを否定するのも違うが希望を持たせてしまうのもまた違う。何が正解だったのかなんて誰にも分からない。
    物語のように上手くいく道筋があればいっそ楽だったのだろうかと、閉じられた煌びやかな印刷が施された表紙を見つめた。


    「こんな時に限ってストックが無いなんて…!急がないと!」


    夕餉の支度中、光忠は調味料を買いに万屋へ走っていた。いつもなら蔵に幾つかストックがあるはずなのだが、蔵の管理をしている大典太光世が空っぽだと教えてくれたので慌てて出て来たのだった。その調味料はメインに使わねばならない必須の物だったので遅れるとなると食事時間全体に遅れが生じる為、丁度支度の区切りがついた光忠が出たのであった。
    調味料は無事買えて後は急いで帰るのみ。
    本丸へと続く農道をひた走っていると足元からブチッと何か切れる音がした。見てみると右足の靴紐が盛大に切れてしまっていた。


    「…全く、本当にツイてないなぁ今日は」


    切れた紐を見つめながら光忠は先の事を思い出していた。
    審神者に言った己が想いを。伝えるつもりなんて毛頭なかった。だが、同人誌の絵物語の中の幸せそうな二人を何度も何度も見ているとそこに審神者を重ねてしまいたくなってしまったのだ。創作物故にご都合主義な展開や設定だとは分かってはいるが、それでも同じ審神者なのにどうしたって物語の彼等のような幸せに満ちた顔は自分の主は浮かべてはくれない。
    審神者の思う幸せが本の通りではないにしろ、戦いのない世界で穏やかに笑って欲しいと言うのは光忠の本心だ。自分はそうする為の刀剣と言う道具であると言うのに、同時に願わくばその隣に居たいという欲が出て神域と言う夢を抱いてしまった。
    言霊にしてしまえばもしかしたら、なんてあの時は浮かれて審神者が止めなければきっと何かを口走ってしまっていただろう。
    でもそれは主が望む結果にはならないと分かっていたからこそあの時、光忠の名を呼んだのだ。


    「僕もまだまだだ…」


    修行を経て来たというの情けない姿を見せてしまい改めて気を引き締めて行かないと、と切れた所を結んで顔をあげるとそこに審神者が立っていた。


    「大丈夫?」
    「えっ」


    音もなく気配もしなかった。そんなに気付かないくらい思いにふけていたのかと思っていると手を差し伸べられた。


    「どうかした?」
    「い、いや。大丈夫。それよりどうして主がここに」
    「帰りが遅いから探しに。靴紐が切れちゃってたんだね、あとで新しい紐と替えよう」


    手を取り立ち上がると繋いだまま歩き出す。さっきの事もあって少し気まづさを感じる光忠だったが審神者は何とも思っていないのか普段通りだ。


    「あの、手、繋いだままだけど」
    「……だめ?」


    駄目ではないむしろ喜ばしい事なのだが。
    繋がれた手は指の間に滑り込んできて所謂恋人繋ぎのようになる。


    「主」
    「ほら、早く帰ろう。私たちの本丸に」


    そうだ、早く帰って夕餉の続きを作らねば。
    光忠の思考が目の前の事より先の事の方へ切り替わった瞬間光忠はたった一振、その場から姿を消した。
     
    同時刻。本丸厨。
    夕餉支度時は毎度忙しいのだがその中に審神者もいた。今日は当番ではないのだがお手伝い係の平野藤四郎がヘルプを求めて来たので厨にやって来てみればてんやわんやの大騒ぎの状態。事情を聞く前に前掛けを渡されとりあえず戦力に加わった。


    「まだ帰ってきてない?」
    「そうなんです!もう一時間も経ってるんで流石におかしいとは思うんですけど、それよりご飯が出来てない方がまずいんですよ!!」
    「今日は遠征部隊と出陣部隊がほぼ同時刻に帰還する。これで夕餉が遅れてごらん、想像にかたくないだろう!?」
    「主君!副菜仕上がりました!」
    「こちらも卵焼き完成しました!」
    「平野は副菜小鉢につけて、前田は卵焼き切って大皿乗せて出して!いやでも光忠に限って寄り道とかしないと思うんだけど」
    「それは僕達も考えたよ。でも今は」
    「お腹空かせて帰ってくる皆の胃袋優先で!!」
    「大将、春雨のサラダあがったぜ!」
    「おい、豚汁は出していいか」
    「厚はそのままサラダ出して、鬼丸待って味見ー!」


    堀川、歌仙を筆頭に不足しているメインおかずの調理は進められているものの他に手が回っていない状態を審神者とお手伝い係の平野、前田、厚、鬼丸国綱でカバーする陣形。
    各部隊が帰還するまで残り十分を切っている。この峠を超えなければ空腹の刀剣男士たち、しかも今日はよりによって本丸の大食い自慢たちで組まれている部隊なので帰ってすぐにご飯が食べられないとなると空腹により彼等の人格が変わり暴動を起こしかねない。


    「主、炊飯器は並べておいたよ。他になにかする事はあるかい」
    「助かった朝尊!後は冷蔵庫から水出しポットあるだけ出しておいて!!」
    「ふむ、承知したよ」
    「南海先生俺達も手伝いますよー!」
    「俺と鯰尾で四本ずつ持てる」
    「おかずあがったよ!誰か皿を出しておくれ!」
    「こっちもあがりましたー!!」
    「あと何分?!」
    「今日の収穫分裏に置いておいたよ」
    「キャベツとか足りてるか?」
    「血のように真っ赤なパプリカは使うかい?」
    「カッカッカッ!今日は川で山女魚が大量に釣れたぞ!皆で頂こうではないか!」
    「なぁ山菜ってここに置いときゃいいのか?」
    「麓のヤマモトさんからぎょうさんブルーベリー貰いましたで」
    「もぎたてだから美味いぜ!」
    「大量、大量」
    「ただいま帰ったのだぞ!お菓子教室で沢山しふぉんけぇきを作ったのだ!」
    「ゆうげがおわったらくりーむをつくらせてもらいたいのだが…」
    「そうら!ぱちんこで大勝ちした戦利品だぞう!」
    「御前、夕餉前に菓子を持ち込んではいけないとあれ程」
    「腹減ったー!魚はあるかにゃー!?」
    「その前に手は洗ったのかい猫殺しくん」
    「うわー皆おかえり!!一斉に色々来て大変な事に!!」
    「主!もう皆帰って来るよ!!」
    「はいはーい!!と、とりあえず出来てるもんすぐ出せるもんは食卓にGO!GO!GO!」


    雪崩込む勢いで帰って来た男士と追加食材や料理で溢れかえる食堂の喧騒が終息したのはこれより二時間後。

    そして全く同じ場所であるはずなのに打って変わって驚く程静かな本丸。それもそのはず、自分と目の前に座って食事をしている審神者以外の気配がしない。
    いつもの様に食事をしている姿をまじまじと見つめていると、食べずらいよと苦笑されでも美味しいよと感想を付け足された。自分の分の食事を口に運びながらさっき聞かされた事を考えていた。
    戦は終わり本丸は解体される事になったという事実を。
    それを政府から告げられてもうひと月になるという。
    こうして人の形で残っているのは自分だけになってしまったのだと知らされた時は驚いた。こういうのはてっきり初期刀の陸奥守吉行が残るものだとばかり思っていたのだが、聞けば彼はいの一番に志願して姿を戻したのだと告げられた。それから一振、また一振と徐々に姿を変えて気付けば自分一振だけ。


    「流石に何日経っても慣れないね、あんなに賑やかだったから」
    「そう、だね。寂しくはない?」


    完食し箸を揃えて置く審神者に尋ねる。


    「寂しいよ。だってあんなに長い時間一緒だったんだから。解体は私が死んでからって話だから余生はゆっくり皆で過ごせると思ったのになぁ」
    「皆、主の事を想っての事だったんじゃないかな」
    「別にいいのにね。私に力を返さなくたって私の寿命が伸びるわけじゃないんだから」
    「それでも、少しでも君に返せるなら返したいと考えたんだと思うよ。僕も返せるなら返したい」
    「それはだめ、って言ったら困る?」


    狡い質問だと思った。そんな風に言われたらダメだなんて到底言えないし、人間一人では持て余してしまう広さの屋敷にたった一人残して行くだなんて光忠には出来なかった。
    聞けば年神様や縁のある神様達も出て行ってしまったと言う。この本丸には本当に光忠と審神者しかいない。
    分かっていた。これは都合の良い夢だという事は。
    戦は終わってないし、なんなら厨と言う戦場を途中で抜け出してきてしまっている為早く戻らねばならないのだが、そんな思考を鈍らせる様な思い描いていた空想が手に届く所に出てきて思わず掴んでしまった。
    どうやって帰ろう、どうやって抜け出そう、どうやってこの場を切り抜けよう。考えを巡らせながら会話からヒントを得られないかと探るが、審神者が紡ぐ言葉は全てを惑わした。頼れるのは自分だけと言う庇護欲を掻き立てられる甘美な言葉と視線。
    惑わされてはいけない。勘違いしてはいけない。
    そう律する光忠を嘲笑うかのように事は彼を良くない方向へ導いてしまう。


    「一人にしないで。一緒にいて」


    心臓の音がやけに鮮明に聞こえる。きっと自分の脳が、駄目だと体全体を使って警鐘を鳴らしてくれているのだろう。
    主から貰った体、主から貰った心。その全てが危険だと告げている。


    「君は私のモノでしょう?」


    ああ、僕を見ないで。
    まるで神に縋るように愛を乞い僕に『ヒト』の男として温もりを求め甘える様な言葉を吐きながら、誰の所有物なのか僕に『モノ』しての自覚を促すような鋭い眼差しを僕に向けないでくれ。
    脳内で言ってしまえと唆す自分と駄目だと牽制する自分がせめぎ合っている。普段なら考える程の事じゃないのに。目の前にいるのは偽物でそんな顔をする人ではない事くらい知っていると言うのに。


    「…僕をご指名とあらば、喜んで」


    なのにどうしてか。光忠は気付いたらそう口走っていた。
    その答えに艶然と笑う審神者を見て光忠は自分が毒に侵されている事を悟ると同時にこの上ない極上の幸福を感じてしまっていた。それはモノとして所有される悦び。本来交わされるはずのない言葉を紡いでその信頼を確信出来るのは刀剣男士ならではの特権。
    席を立ち机越しに絡め取られるその手は氷のように冷たく到底生きている人間の体温をしていない。それでも光忠はその手を縋るように握り返し頭を垂れた。
    それは嗤った。審神者の形を崩し嗤うと背後から無数の白い手が伸び自らと光忠を覆うように囲んだ。

      
    「こんばんはー」


    本丸の玄関がカラカラと開きハッと顔をあげると入って来たのは烏天狗・転寿坊の眷属の烏天狗の一人だった。


    「こんばんは。こんな時間にいらっしゃるのは珍しいですね」
    「うん。ボスが火急の要件だから回す様にって、はいこれ回覧板。今日はもう遅いから明日以降読み終わったら判子かサインして稲荷様の所にお願いね」
    「ありがとうございます」
    「それにしても玄関で何してたの?誰か待ってた?」
    「一振行方が分からなくなってて、手分けして皆で探しに行ってます。入れ違いにならないように私はここで待機してた所で」
    「え?行方不明?久梛山で?」
    「寄り道するタイプじゃないので闇市にでも引っかかってるのかなって思ったんですけど今の所連絡なくて」


    どうしたものかなぁと口では困っている様に言うが審神者の顔は心配しているという素振りは全く見られない。恐らく絶対に帰って来ると信頼を置いているのだろう、と天狗は思う。しかし山神の管轄である久梛山しかもボスが贔屓している人間の子の物が自由に動ける身体を持っているとはいえ行方不明になる事などあるのだろうかと疑問が過ぎりある可能性が頭に浮かんだ。


    「もしかしたら怪異に絡まれてるかもしれないよその子」
    「怪異?」


    回覧板開いてみてと促すと出て来たのは派手なレイアウトのチラシ。見出しに『山を荒らす怪異現れたり。黄昏時から夜間の外出は控えめに!』とありいくつかの怪異の目撃証言と共に注意喚起されている内容だ。


    「心の隙間を狙い相手を唆す…?」
    「ちょっとした悩みとか愚痴とか思ったり考えたりだけでそいつは嗅ぎつけて相手の望むものを見せて連れてってしまうって話らしい。刀剣男士と言えどそういうのがないとは言いきれないだろう?」
    「怪異ってどんな奴ですか」
    「それがこれだけ目撃証言があるのに誰一人姿形は覚えてないって言うんだ。多分化けるタイプの怪異だ、だからボスが回覧板出したんだけど…今ちょうどパトロールしてるから連絡しておこう」
    「すみません、お願いします。あともうひとついいですか」
    「なんだい?」
    「連れてくって何処に?」
    「そりゃあ、自分の神域にさ。誰だって自分の安心出来るテリトリーで食事したいだろう。と言ってもこの怪異はまだあくまで怪異だから神域なんてもの持っちゃいないだろうから擬きの帳みたいなもんだろうけど」


    それを聞いて血の気がサッと引いた。
    仮に光忠がその怪異に絡まれてるとして、その怪異が付喪神を喰らい力を得たとしたら怪異は神格を得るのだろうか。そうしたら本物の神域が完成されてしまうのだろうか。本体は本丸にあると言えど光忠はどうなる?


    「しかしあくまで可能性の話だからそんな深刻にならなくてもそのうち帰って来るんじゃない?俺たちもいつでに探してあげるからさ」
    「それはありがたいですけど可能性があるなら潰した方がいいですよね」
    「それはそうなんだけど、あの、何してるの?」
    「何って靴履いてます」
    「…行くの?」
    「はぁ、行きますけど」


    当たり前じゃないですかと言わんばかりの顔で返され天狗は急いで携帯のコールを鳴らした。繋いだ先は勿論自分のボスである大天狗の転寿坊。言わなきゃ良かったと思ってももう後の祭りで審神者は回覧板を置き虫除けスプレーを吹きかけ懐中電灯を持ってさっさと玄関を出て行こうとしてる。


    「わー!待って待って俺も行くから一人で行かないで!」
    「大丈夫ですよ途中で捜索してる男士拾って行くんで」
    「出歩かせるなってボスに言われてきてるんだよ俺ー!怒られちゃうー!!」


    回覧板の注意喚起がものの数分で意味をなさなくなり天狗の泣き言も虚しくスルーされ審神者は早くも大手門横のくぐり戸を潜り麓へ続く農道を急ぎ足で進んでいく。途中で回収出来たのは鶴丸国永、太鼓鐘貞宗、大倶利伽羅、今剣、にっかり青江、祢々切丸の六振り。そこに眷属の天狗と山神の転寿坊が合流し各自の情報の擦り合わせが行われた。


    「まさか大天狗様が出てくる事態だったとはな!こいつぁ驚きだ!」
    「で、どうだった?」
    「今剣とここら一帯は見てきたけどみっちゃんの気配すら感じなかったぜ」
    「そしたらとちゅうで、てんじゅぼうとはちあいました!」
    「その為の回覧板だったのに一歩遅かったとは。夜の山は危険だしまずは魔除の呪いをかけてやろう」


    審神者の肩に伸ばされた手を大倶利伽羅が叩き落とし睨みを効かせ庇うように前に出てくる。


    「お前には誘拐未遂の前科があるからな」
    「それは聞き捨てならんな。何、心配は無用だ天狗殿。主は我らが護る故」
    「エーン更にガード固くなってるー。善意だよ今のはー!」
    「おや、嘘はいけないね。ないわけじゃないだろう?」
    「今日は5%しかないよあわよくばな下心」
    「5%はあったのか」
    「ボスってば素直に答えなくてもいいのに」
    「嘘は言ってない。誠実な天狗だろう?!」
    「話戻していいですか?」


    いつもの緊張感のないやりとりにツッコむ気力がない審神者が話を戻す。男士たちの方は収穫ゼロではあったが何日も見回りしてきている天狗側は怪異の足取りを掴んでいたらしく帳が張られている根城が今日突然見つかったのだと言う。
    タイミング的に光忠が捕らえられた時期と重なり本来であれば彼等だけで調査するつもりだった所、本丸側との接触があり今に至る。転寿坊の案内で道無き道の森の奥までやって来たが景色は夜の森だが明らかに雰囲気がおかしな部分が出て来た。


    「これだな帳。随分神域み帯びてきてるなー」
    「後ちょっとって感じですね」
    「この中に光忠が?」
    「もうほぼ確だろうな」


    天狗たちがどうやって対処するか唸っている横で太鼓鐘たちが案を出してくる。


    「俺たちが入って中から斬るってのは?」
    「ぼくがバビューンといってズババっときってきますよ!」
    「それと僕ので中を思い切り突いてあげようか。帳を破る話だよ?」
    「やめておけ。何も食ってない状態の怪異ならいざ知らず、完成間近の所にノコノコ入って行ったらブーストかかるやもしれん」
    「しかし光坊を完璧に取り込んで無いとはいえここまで力を付けちまうとはなぁ」
    「それは手塩にかけて育てられたおかげだろうさ。お前らが質の良い霊力を蓄えるのは火を見るより明らか。愛されてんなぁ、ここはひとつ天狗も育ててみない?」
    「山神と言うカンスト済みレアキャラをどうやって育てろと」
    「ボス、あんまり今回ふざけない方がいいですよ」


    場を和ませようとしただけなのにーと軽口を叩く転寿坊を他所に審神者は考える。男士たちが入れない以上頼れるのは天狗たちなのだが。


    「俺たちが入ってお縄頂戴!って出来ればいいけどボス霊力つよつよだから今お腹いっぱいな状態の帳に入ったら瞬間怪異のキャパオーバーしちゃいそうですし」
    「天狗さんだけ行くのは駄目なんですか?」
    「俺だけ行っても仕留めきれるか分からないんだよね。ミイラ取りがミイラになったら本末転倒でしょ」
    「眷属と言えど天狗だしそんじょそこらの怪異には負けないとは思うが万が一を考えるとなぁ。俺一人で行くとなれば怪異は多分破裂して霧散して終わりだが取り込まれたモノがどうなるかまでは分からん。出てくる可能性もあるが一緒に霧散してしまう可能性もゼロではない」


    だからどうしようかなぁと頭を悩ませ稲荷の御遣いにでも頼んでみるかと要請する案を出そうとした時審神者が一歩前に出た。
    見えない線によって分かれている現世と神域。鳥肌がぞわりとたち決して気分の良いものではないがこの奥に自分の刀がいるのかと思うとその足はまた一歩前へ進んで行く。が当然それを転寿坊が許すはずもなく腕を捕まれ引き止められる。


    「待て待て待て!何無言で行こうとしてるの!現代っ子怖い!」
    「男士がダメ、天狗さんたちもダメ、なら私が行くしかないのでは?」
    「いやだからって主一人で行かすわけにもいかないだろう」


    鶴丸の言い分も最もなのだがそれでも審神者は行かせてくれと懇願した。今回の件の発端は自分にある事を告げると男士たち特に伊達組と括られている彼らはああ、となんとなく事情を察した様でその中でも年長の鶴丸に二振り分の視線が注がれていた。彼は眉間にシワを寄せて何か思い当たる節がある様であり審神者がどうかしたか尋ねれば鶴丸は言葉を濁すばかりで答えてはくれない。


    「よし!じゃあここは主に任せよう!」


    散々難しい顔をしたかと思えばパッと開き直ってそう言いのけたのだった。祢々切丸に魔除の呪いをかけてもらい天狗から注意点を聞かされ転寿坊から御守りにとその場で引き抜いた自分の羽根を一枚渡される。羽根は別に…と思ったが何が起こるかわからないので有難く頂戴し懐へとしまった。そうしていつもの外出感覚のようなノリで行ってきますと言って帳の領域へと審神者は入って行った。


    「鶴さん、一人で行かせて良かったのか?」
    「ああ。これは光坊と主が向かい合わなきゃならん問題だ。主に光坊の方だがな」
    「あるじさまはじぶんがことのほったんといっていましたが、ほんとうはちがいますよね?」
    「…そうだな。それについては後で主に謝るさ」
    「ぼくらはあるじさまのえいきょうをつよくうけます。だからあのひとがのぞまないならぼくはそれにしたがうだけです」
    「同感だ。俺たちには必要が無い、それだけの話さ」
    「しょくだいきりともちゃんとおはなしするんですよ」
    「おや、僕らは蚊帳の外ってやつかい」
    「一体何の話をしている?」
    「どれに近いかと言う話だ」


    今剣と鶴丸の会話に置いてけぼりを食らっている青江と祢々切丸の疑問に大倶利伽羅が答え鶴丸が彼の肩に肘を置きながらが続けた。


    「前に光坊に聞かれたんだ、神域出せるかって。最初は冗談だと思ってたんだがやけに真剣な目をしていてな。当然、主が望んじゃいなきゃそんなモン出せないから答えはノーだったわけだ。
    俺たちは顕現した本丸ごとに環境が違い、更に過ごした時間や積み重ねた思い出、それぞれの在りようで俺たちは変化する。俺たちは物であり、人であり、神であり、妖でもある。そういう名称を全部ひっくるめたのが刀剣男士ってやつだと俺は思ってるし俺自身がどれかと聞かれりゃすぐにはこれだとは言ってやれん。だが少なくともあいつがどんな想いで聞いてきたかは分からないが夢物語の様な神域は俺は出せない、そんな話をしたんだ」
    「少なくともこの本丸が神域内にある以上、必要以上に増やす必要はないがな」
    「いやほんとそれな伽羅坊」


    置かれた肘を振り払うとコケる鶴丸には目もくれずそっぽを向き他の連中にも事の次第を伝えてくると一人単独行動をする大倶利伽羅を今剣、青江、眷属の天狗が追い同様に連絡係となりその場を離れた。


    「燭台切はなにゆえ神域に拘る?」
    「あーえーとそうだな。まぁアレだ、つまるところは主に幸せになってもらいたいのさ」


    光忠の名誉の為に鶴丸はそれ以上は言わず、祢々切丸も転寿坊も深く詮索せずその答えで納得する。


    「案ずるな。主に降りかかる厄災は我が振り払い、かの願いを聞き届けよう」
    「え、何この刀俺より山神っぽいんですけど。山神キャラ取られそう!やだ!!カッコイイ!!」
    「山はいいぞ」
    「分かる。その中でも久梛山はよりいい山だ。俺ん家なんだけど」
    「本当に愉快な大天狗だなぁ君は!シリアスぶち壊してくれるなよ!」
    「まぁそこが転ちゃんのいい所だよな!」


    緊張感皆無の会話が繰り広げられる中、鶴丸は帳の方を見つめて帰って来いよと心の中で呟いた。
    その頃。帳の中を歩く審神者は果てなく続く夜の森をひたすら歩き続けていた。特に景色が変わるでもなく、精神的な攻撃とかがあるわけでもなく、そこはただただ夜の森。視界は懐中電灯があっても悪く、虫も飛んでいればどこかで梟がホウホウと鳴いて風で木々が揺れ葉の擦れる音だけが聞こえてくる。道無き道を進んでいるせいで歩みは思ったよりも遅いが天狗の教えの通りにまっすぐ突き進む。やがて視界が開けてきてそこだけポッカリ穴が空いている様に木々が無い場所に出た。月明かりでそこだけ明るいその場所で目に入ったのは大玉より一回り大きい玉羊羹のようなフォルムに短い手足と巨大な口がある何かだ。ゾワゾワと鳥肌がたちひと目であれが怪異だと確信し恐る恐る近寄ってみる。怪異は口をずっとモグモグとさせながらその場にちょこんと座っている。天狗の言っていた食事をしているのだろう。


    「いラっシゃィ。な二かゴョう?」


    まさか話しかけて来るとは思わず一瞬フリーズしたが相手を唆すのだから会話くらい出来て当然だととりあえず自分に言い聞かせて震える手を拳を作って握り締め、しっかりハッキリ用件を伝えた。


    「刀を見ませんでしたか。人の形をしています」
    「ミたァ。おゐシーさイこー」
    「それ、食べてるの」
    「そー。こレちョうダい、ノみこメなィの」


    くちゃくちゃと音を立て咀嚼しながら器用に会話する怪異。
    あの中に光忠がいるのかと思うと先程まで抱いていた恐怖心は消えふつふつと怒りが湧いて来た。


    「あげません。返して下さい。私の刀です」
    「ャだー。ぢョうだゐ」
    「あげません」
    「チょウだいちョウダイチョウダイちょうだいチョうダいちょウダイちョうダいチょウだいちョウダイチョウダイちょうだいチョうダいチょウだいちョウダイチョウダイちょうだいチョうダい」


    聞こえて来る声が一つではない。幾多もの声が重なり目の前から聞こえているはずなのに全方位から聞こえている気がする。気味が悪い、鳥肌が止まらない、心臓がばくばくする、冷や汗が出てくる。怯みそうになる体を突き動かしたのは審神者の己の物への執着心だった。こんなのに、私の刀をくれてやるものか奪われてなるものかと。闘争心に火がつき怪異を睨み付ける。この怪異が作り出した帳が何故神域になりきらないのか、既に食べてしまっているのに何故飲み込めないのか、何故わざわざ頂戴と言うのか。天狗が教えてくれた注意点の一つに「名乗ってはいけない」とあった。出来れば会話はしない、が前に来るのだが無理な場合はこれだけは守って欲しいと念押しされた事項だ。
    名は体を表すもの。名乗れば何者か知られてしまう。
    怪異は知らない。自分が何という名前の物を食べているのかを。だから飲み込めず自分の力に出来ない。


    「かタな、イっパいアるデしョー?ひとツ、ちょウだい」
    「あげません」
    「ケちーけチけちドけチー」


    短い手でポコポコと自身を叩き地団駄を踏む怪異。審神者が持っている刀剣の話は光忠自身が話すとは思えず恐らく唆した際か食べた際かどちらかで彼の記憶を覗いた時にでも得た知識だろう。だから直ぐに食べている物が誰の物か分かったのだ。となると自身が審神者である事も知られている可能性が高い。
    どうやって腹の中にいる光忠を救出して尚且つ逃げるべきかをリズムを取りながらケチケチ歌い出した怪異に苛立ちを覚えながら考えていると突如ピタッと動きを止めその短い手足がだらんと下がった。


    「そうだ、お前、サニワだな。そうだそうだお前も持ってる力あるお前人間だからナマエ知らなくても別にいいんだ」
    「めっちゃ流暢に喋るじゃん…」


    先程までの幼児の様な話し方から一転して普通に話し出しその発言から怪異を警戒し距離を置こうと正面向きのまま静かに後退すると足首に冷たい感触が伝わる。
    氷のように冷たいそれは真っ白ながら人の手の形をしており、それがいくつも地面から生えてきている。一つだった冷たい感触が一気に下半身にまで及ぶ。手が伸びてきて審神者の脚をがっちりホールドしているのだ。


    「ぎゃあ!!キモい!!冷たい!!何!!?」


    蹴散らそうと脚に力を入れるも上手く力が伝わらずむしろ掴まれている手達の力が強くなる一方で下半身が圧迫されていくのが分かる。食い込むように締め付けてくる手たちに膝をつく状態になる。身動きの取れない状態でいるとずしん、ずしんと地を揺らす様な足音が近付いてくる。
    さっきまで丸羊羹の様だった姿が手足はそのままに上の部分だけが鯨の頭部みたいな形へと変化していた。その頭部にある口がぱかりと開き思わず視線を奪われた。

    ぱくり。

    頭から怪異に丸呑みにされてしまった。
    何が起きたかなんて理解が追いつくはずもないが突然景色が真っ暗闇になった事に呆然としながら座り込んでいると真っ暗闇のはずなのに、それだけはしっかり見えた。


    「いた…」


    燭台切光忠は少し離れた位置ではあるがそこにいた。審神者からしてみれば突然現れたのだがこの際なんだって構わなかった。先程の白い手たちに磔刑の様に吊るされて、抱き締められるような形で拘束され体の自由を奪われ、目隠しの様に覆われているせいで視界は奪われてはいるが、確かに彼はいる。
    脚に付いている手をひっぺがしもつれる足で暗闇を走る。
    走っているのに全然近付いている気がしないがそれでも走った。


    「光忠!」


    叫んだ。反応はない。


    「起きて光忠!」


    また叫んだ。反応はない。


    「帰るよ光忠!!」


    がなりたてながら脚を動かした。肩で息をしながらようやく辿り着いたが光忠はピクリとも動かない。天狗たちや怪異が言っていたように本当にすんでのところの状態なのだろう。息を整えるまもなくとにかくまとわりついている手を一つ一つ剥がしていく。死後硬直している様な硬さな為、骨は折れるがやっていくしかない。その間も声掛けは絶やさない。返事は来ないがずっとずっと語りかける。光忠と名前を呼ぶ。喉がからからに枯れても尚、声を掛けるのをやめない。手は減っているはずなのに全然そう見えないのは、審神者の心が弱まって来ているせいか。
    真っ暗闇で何をやっているのだろう。そんな気持ちが生まれる度それを忘れさせるようにまた声を紡ぐ。
    隙を見せたらダメだ。弱音を吐いたらダメだ。ここまで来て諦めてはダメだ。その気持ちだけが今の審神者を突き動かしていた。
    しかし審神者は人間。霊力はあるが体力気力は人並み、もしかしたら以下かもしれない人間だ。当然キャパを越えてしまえば動きは次第に鈍りやがて止まり、その場に座り込み深く溜息を吐く。
    するとまた地面から白い手がゆっくり生えてくる。今度は冷たいがやさしく包み込む様に、前後から抱きしめられてくる。頑張ったよ諦めなよ悪いことじゃないよ良くやったよ楽になりなよ、そんな聞こえるはずのない声がする。その言葉に甘えてしまえば楽になるかもな、なんて考えがぼんやり浮かんだがその手を振りほどいて立ち上がった。


    「後で怒られるかな…」


    ふらつく足元になんとか力を入れながら光忠の前に立つ。依然として反応しない彼の心臓部に右手を重ね息を吸った。


    「我が剣に宿りし付喪神に恐み恐みも白す 目下是なるは征く道を阻むもの也 彼の刃にて斬り祓い給へと 白すこと聞きこし召せ」


    祝詞を唱え瞳を閉じ集中。右手から光忠に霊力を流し込むイメージを浮かべる。当てている掌から拍動が伝わり、自分の拍動と重なっている様な気がした。ドクドクと脈打つ音だけ聞きながら抜刀し柄を両手で持っている様なイメージを描く。持っているのは勿論燭台切光忠。強く握り両手から己が力を注ぎ込む様に。
    こんな事で本当に霊力が譲渡されているのかどうかは分からないがやるしかない。持っていくならありったけ持っていけ。祈る様に力を込めて。
    しかしそんな中でも地面からまた白い手が生えてきて審神者へと伸びていく。気配は感じていたが審神者は動かない。
    あと少しで掴まれる所で白い手の指先に触れたのは花弁だった。
    ひらりひらりとどこからか舞い落ちるは桜の花弁。内番着のジャージが戦闘服へと様変わりし拘束具となっていた手は瞬く間にひび割れ砕け落ちる。

     
    「悪いけどその人には触らないでくれるかな」


    聞き慣れたしかし酷く冷酷な声が聞こえた。


    「ごめんね、手加減してあげられないや」


    横一線。風を切る音がする頃には白い手たちは真っ二つに斬られ吹き飛んで行き切り口から炎に包まれ燃えていく。刀身に纏う炎が暗闇を少し照らした。


    「やっと起きた…?」
    「…うん。今度は本物だ。おはよう主。それと、ただいま」
    「はいはい、おか」
    「主?!」


    えりと続くはずが審神者の体はそこから崩れ落ちた。受け身も取らず落ちた事に驚き反応が遅れた光忠は慌てて駆け寄ると審神者はスヤスヤと電池が切れたように寝息をたてて爆睡していた。声をかけても揺らしても全く反応しない。光忠は本体を納刀し審神者を背中におぶる。恐らく自分に霊力を注いだせいで力を使い果たしてしまったのだろう。でなければ自分がこうしてかつてない程にコンディションが良く今ならどんな敵でも倒せそうだと根拠の無い自信に満ち溢れたりはしないはずだから。


    「帰ろう、僕たちの本丸に」


    聞こえちゃいないだろうが気持ちよく眠る寝顔にかかる髪をときながら呟く。未だ危機的状況なのは代わりないのだがそんな中で穏やかに眠る姿に思わず笑みが溢れた。


    「これ以上格好悪い姿見せられないからね」


    再び抜刀。真っ暗闇の中に浮かぶ唯一の灯火である燭台切光忠が本体。纏う炎は横に振れば一気に炎の海へと変わりがんがんと激しく燃えたつ。かつて味わった自身が焼けて無くなる感覚を思い出す。だが今この炎は失わせる為のものでは無い、守りたいと願ったものを守るための炎だ。
    腕を振り上げ真っ直ぐに空を斬る。すると何も無いはずの空間に切れ目が縦一線拓かれて行く。


    「よし、行こうか!」


    納刀し審神者をしっかり背負い直し光忠は駆け出す。途中声がした。背中で眠るその人と同じ声で光忠を呼び引き留める様な声。しかしそんなものはもう光忠には届かない。
    本物がここまで迎えに来て無防備に背中で眠りこけているのだから。寄りかかる重みと温もりが愛おしくて仕方ない。
    声に見向きすらせず足取り軽やかにその暗闇を抜け出した。


    「うわ、グロテスク」


    暗闇を抜け出したら真っ先に目に付いたのが足元いっぱいに広がる黒い水溜まりの様な何か。しかも燃えているのにうにょうにょと蠢いている。自分たちに燃え移ることは無いが念の為燃えていない所に移って様子を伺うと水溜まりから無数の白い手が伸びてきては燃えて溶けてを繰り返し複数ある口からは呻く様な声がそこかしこからあがって歌仙兼定が見たら卒倒しそうな見るに堪えない何かがそこにいる。


    「なんだこりゃキモ!あと熱っ!」
    「光坊?!無事だったか!あれ?お前さんいつ着替えたんだ?」
    「それより主はどうした、気を失っているのか」
    「二人とも怪我ないか!?」


    帳が突如解除され何かあったのではと駆けつけ茂みから出てきた転寿坊、鶴丸、祢々切丸、太鼓鐘が二人の側へ駆け寄ると男士は審神者と光忠へ転寿坊は怪異の方へ別れて寄った。


    「僕は大丈夫。主は僕に霊力を分けてくれたお陰で疲れちゃったみたいで眠ってるよ」
    「みっちゃんなんか肌ツヤいいな?」
    「どんだけ霊力貰ったんだ君。長谷部には言ってやるなよ嫉妬で爆発するかもしれん」
    「呪いが切れているな。中は相当な呪力で満ちていたのだな」
    「まじない…って僕もしかしてかなりまずい状況だった?」
    「転寿坊が出てくる位だからな。だが結果として無事に帰って来たんだ、めでたしめでたしで終われるじゃないか」


    そら、最後の仕上げだ。と鶴丸が視線を移すのに倣い他の三振りも転寿坊の方を見遣ると何かぶつぶつ呪文を唱えながら燃えながら縮こまり掌の大きさまでになった怪異を素手で掬い、いつになく威厳のある風格で語り掛けていた。


    「我が神域たる久梛の大地を穢し踏み荒らし尚且つ我が隣人へ手を掛けた罪は重い。我はそれを決して赦さぬ。忌まわしき名も無き怪異よ、未来永劫この地を通るに能わず。永久にその身を持って罰を受けよ」
    「やダァ…ほシぃ…ホしイ…」


    転寿坊がふぅと息を吹きかけると怪異は断末魔をあげさらさらと塵へ成り果て、彼が掌から作り出した小さなつむじ風に運ばれどこかへ行ってしまった。


    「憐れなモノよ。他人のモノで形作り取り繕わねば己を顕示出来ぬとは」
    「どこへやったんだ?」
    「遠くさ。ここに二度と踏み入らぬ様に遠くへ。何、塵になった時点でもう何も出来ぬよ」


    怪異との縁を切ったおかげか炎に包まれていた水溜まりと白い手はあえなく力を失い灰になり、炎も自然と鎮火した。転寿坊はパンパンと手を払うと光忠の背で眠る審神者の頭を優しげな眼差しで一撫でしおもむろに懐に手を突っ込んだ。


    「えっ!?何してるの転寿坊君?!」
    「いやお前さんいくら何でも好いてるとは言え寝てる奴の体をまさぐるなんてうわーないわー」
    「ちょっと黙りなさいそこの太刀男士!これは下心ないから!ほら!コレだよ!」


    素早く手を引き皆に差し出して見せたのは帳に入る前に審神者に手渡した彼自身の羽根。転寿坊の羽根は漆黒なのだが目の前の羽根はどうした事か、真っ白に変色しすぐ様塵となってさらさらとその場に零れ落ちた。


    「おいおい大天狗の羽根だぞ…」
    「俺の羽根がこんなコトになるなんざ滅多ないぞ。お前、今回どれ程の事が起きていたか分かっているのか?下手をしたらあの怪異はこの子の命を喰らっていた。人間ってのは怪異や妖怪にしてみれば上玉の獲物、ましてや霊力のある人間ともなれば血肉は最上級の御馳走だ」
    「我の呪いだけでは不十分な程にあの怪異の力は増幅していたという事か」
    「ああ。お前たちには名がある。それが分からなきゃ怪異はその力を物には出来ない。誰かによって刻まれた名ってのはあるだけで一つの防衛ラインになりうる。当然人間にもあるがその制約は薄れてきている。何故か分かるか」
    「…人間は忘れ始めてるから、か?」


     太鼓鐘の答えに転寿坊が頷く。
    曰く、知らなければ制約も無いも同然の状態。文明が発達した現在どれだけの者がお化け・幽霊・妖怪・怪奇現象・怪異の存在を信じるだろうか。発展した裏で衰退したものもある。そのもの事態もそうだが人ならざる者の存在を知らしめる口伝や伝承、逸話など。戒めたる物語をもってして制約が保たれている側面があった。物語の語り部が減ってしまえばその分伝わらない話が増えそれはやがて一つ一つ積み重なっていきやがて人はその物語の存在すら忘れてしまう。
    忘れ去られた時、それは人ならざる側して見れば格好の機会が巡って来たと思う者もいるだろう。長年腹を空かせ、願いや欲に惹き付けられ自我を失ったりでもすれば今回の様な事が起きてもおかしくはない。
    そうならない為に土地神や近隣の神々がいるのだと転寿坊は語る。


    「ここは土地柄、霊力が多く人ならざる者が引き寄せられやすい。ましてやこの山ともなれば特にだ」
    「…主がいるから」
    「御明答。つっても結界や加護を抜きにしても早々に立ち入れる場所じゃないがなここ。時間の軸が意図的に現代とズラされてるし」
    「そう聞くと改めて思うが君は凄い奴なんだな」
    「今更すぎない?俺本当に凄い天狗なのよ?」
    「天狗殿の凄さは充分に我が理解しておる」
    「祢々ちゃんだけだよそう言ってくれるの!嬉しい!もっと畏怖って!!」
    「転ちゃんそういう所だと思うぜ」


    騒がしくなる一方で光忠は一人苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。修行まで行っておいて主を危険な目に合わせるとは何事か。この場にへし切長谷部が居たらまず一発光忠の顔に拳が飛んで来ただろう。いや、これから来るかもしれない。


    「燭台切よ」


    己より大きな背丈の転寿坊が自分を見下ろす。
    目元を隠す形の半面の奥の瞳が面越しであると言うのに酷く鋭い眼差しであるのが分かる。先程までのおちゃらけた友好的な大天狗ではなく久梛山の山神・大天狗としてそこに在った。


    「此度は見逃してやるが次は無い。また同じ様な事をし我等が先に事を片した時には貴様らの主は我が番として貰い受ける」
    「冗談、ではなさそうだね」
    「然り。忘れたか?元々この大天狗に目をつけられているのだ。隙あらば力づくで奪う。ゆめゆめ忘れるなよ」
    「ご忠告どうも、転寿坊くん」


    睨み合う様に無言の牽制が続く。
    和やかな空気が一変し一歩間違えば諍いへ発展しかねない空気。
    ピリつく中で見守るしかない鶴丸、太鼓鐘、祢々切丸はただ光忠を見つめていた。プレッシャーに押し潰される事無く光忠の金の瞳は目の前の上位神を睨みつけ、背負う審神者を取られまいと自然に手に力が込められ怯み臆することなく立っている。


    「変わったな、光坊」


    腹を括った光忠の姿を見、鶴丸はこんな状況下だが笑った。


    「かーっ!全くいけすかねぇ伊達男だよ!!ほら、事は納まったんだ。さっさと帰って寝かせてやりな」
    「へ?あ、ああ。そうだね」
    「力づくで奪うたァ中々いい啖呵だったじゃないか」
    「実際にはしませんけどー。年神も関わってるし、そうなると稲荷も首突っ込んで来そうだし。あと何よりその子に露骨に嫌われるからやらんわ」
    「随分我が主を好いているのだな」
    「優しくて芯があって羽根の毛繕いが上手い子タイプだから俺」
    「本音は霊力持ちってのが七割方の理由らしい」
    「ちょ、バラすなよ貞ちゃんよ。それにそれは四割ですぅー俺中身重視なんですぅー!」
    「四割はあるんだな」


    すっかりいつもの調子に戻った転寿坊の切り替えの速さに拍子抜けする光忠。しかし先の牽制は本気だった。以前の自分だったら怯んで睨み返すなんて事は出来たのだろうか。考えたがすぐにやめた。今の自分がやるべき事はそんな事を考える事では無い。


    「光坊、後でいいか」


    近寄ってきた鶴丸の顔はどこか申し訳なさそうでなんとなく会話の内容が分かった。


    「勿論。あと鶴さん」
    「ん?」
    「長谷部くんの事、お願いしていい?」
    「……ああ。任せておけ」
    「面倒をかけるね」


    いつもの静寂と安寧を取り戻した森の夜は誰に知れることなくゆっくりと更けていった。
    そして審神者が目を覚ましたのは翌の深夜。
    草木も眠る丑三つ時、唐突に覚醒した意識に自分でも驚いたが天井はよく見慣れた自室のものであり全て夢だったのかと錯覚したが記憶はばっちり残っていた。体を起こし背伸びをするとパキパキと背骨が鳴る。
    携帯端末の時計を見れば日付はまるっと一日経過してなおかつ深夜の時間帯でもう一眠り出来そうだったがそれを阻止したのは腹の虫の悲痛な叫びだった。
    丸一日睡眠に時間を費やしたせいで胃は空っぽであり喉も乾いている。厨に行って軽く食べられる物でも漁ろうと自室を出ると目の前の廊下で毛布にくるまって眠りこけている光忠がいた。


    「わ!誰?!って、光忠?!」
    「ん…?」


    思わず出た声に反応し光忠は目を覚まし体を起こした。
    どうしてこんな所で眠りこけているのか問う前に彼の左頬に宛てがわれた大判のガーゼがとその下の腫れが目に入った。


    「ああ、おはよう主…。気分はどう?」
    「気分?大丈夫だけどそっちの顔が大丈夫じゃないみたいだけど」
    「あー…気にしないでくれると助かるな」
    「アレにやられたやつ?なら手入れ部屋に」


    左頬に向けられて差し出された手を光忠は手首を掴んで静止する。


    「ううん。これはこのままでいいよ。これは罰だから」
    「罰…?」


    意味が分からず言葉を反芻する審神者の手首を引きそのまま手の甲へ口付ける。彼の少し冷たい唇の感触が伝わるとそこだけ熱が帯びていく様な気がした。


    「え、あの…?」


    時間にすれば数秒足らずだがそれがやけに長く感じる。普段ならしないような行動に動揺していると口付けながら顔を上げ彼の左目が自身を映し出す。つい先日同じ様な目を見たばかりだったがあの時とは少し違う様な眼差しに違和感を覚えつつそれを口にする前に限界に達した腹の虫が廊下で大合唱を奏でた。


    「……格好つかないなぁ」
    「ご、ごめん?私の腹の虫が空気読まないばかりに」


    言いながら鳴り止む気配のないムードもへったくれもない空腹音にお互い脱力し苦笑する。
    腹が減るのは生きている証拠。ちょっと早めの朝餉にしようかと光忠が提案すれば審神者は即座に賛成し笑みを零した。厨へ移動している際に昨日の事の顛末を聞かされた。審神者の最後の記憶は光忠に霊力を譲渡した所まででありその後はプッツリと途絶えその後夢を見ることも無く深い眠りに落ちたのだった。審神者に懐にしまっていた転寿坊の羽根を尋ねられた時、本当の事を言うか一瞬悩んだがこの件は彼の協力無くしては解決出来なかった事もあり真相は胸の中にしまい込み羽根は呪いの効力を発揮して消滅したと説明しておいた。光忠なりの優しさである。
    手伝う気満々で厨房へ入ろうとしたら席へ促されてしまい好意を無下に出来ず茶を入れ大人しく待つこと数分。出来たてのおむすびと汁物が食卓へと並んだ。


    「なんという刺激的な香り…!」
    「ヤンニョムチーズおむすびと中華風卵スープ。一日食べてなかったからこれぐらいガッツリなのでも大丈夫だよね」
    「むしろこう言うのを求めていた!流石光忠分かってる、じゃあいただきまーす」


    一口また一口とパクパク食べ進めていく様を黙って見つめた。男士に負けず劣らず美味しそうに食べる姿は見ていて飽きない。対するように座るとこの状況があの時見たまやかしと瓜二つだと気付く。だが今度はまやかしではない。


    「食べながら聞いて欲しいんだけど」


    口を動かしながら視線を前の光忠に移すと神妙な面持ちで頭を下げられた。


    「本当にごめん。僕が原因で君を、主を危険な目に合わせた。情けない話だけど僕の心に隙があったせいでそれを怪異に付け込まれた。どんな処罰も慎んで受けるよ」


    咀嚼しながら審神者はやっぱりと思った。真面目な光忠の事だ、きっと自責の念に駆られているだろうとは予想はしていた。しかしその隙を作らせてしまったのは他でもない自身で本来彼に処すべき罰など何も無い。むしろ有耶無耶にさせてしまっていたのはこちらなのだから彼の謝罪は見当違いなのだ。


    「この際だからちゃんと言っておく。光忠が望む様な神域を刀剣男士は永続的に展開させる事は出来ない。ある意味彼岸を引き寄せる事にもなるし。だけど神域自体の展開は男士でも可能だと私は確信してる」
    「え?」
    「前も話したと思うけどこの本丸の領地全体が神域みたいなものだから必要以上に新たな神域とか出さなくてもいいと思ってる。大侵寇の時のみかのアレも恐らく一時的なものだったろうし長期戦ともなれば解除されてた可能性は高い。これは仮説だけどあのままの状態が続いてたらきっと力を使い果たして元の姿に戻るだけじゃなくて話すこともままならなくなってたと思う」


    三日月宗近が戦士としての顕現が解かれ本体だけで会話をしていたのは光忠も間近で見ており記憶に新しい。大侵寇は長期化せずに終息した為に三日月の本丸隠蔽の細工についてもまだ解明されていない事は多く、本刃に聞いてもはぐらかされるばかりで分からない事だらけであった。
    光忠が神域に拘り始めたのも恐らくこの一件後からだと審神者は思っていた。乱との同好会や普段の会話からそれらしき単語が出てきていたのも神域なら隠せるのでは無いかという希望があったから。三日月がそうしたように大切なものを自分の領域に隠し守る為に。


    「言ってたよね、私を喪いたくないって」
    「…言ったね。あれは本心だよ」
    「今、出来るけど」


    真っ直ぐな眼差しが光忠を見つめる。可能だと言ってしまった以上、言霊は働くだろう。望めば叶うかもしれない状態が出来上がっている。光忠は笑顔で言った。


    「やめておくよ。君は望んでないはずだ」
    「諦めたくないって言ってたのに?」
    「それも本心。でも無理矢理なんてスマートじゃないからね。それに」
    「それに?」
    「隠し守るより正々堂々、真っ向から勝って守る方が最高に格好いいだろう?」


    男子三日会わざれば刮目せよと言う言葉があるが自分が眠ってる間に光忠に何があり、内面にどれ程の変化があったのか、迷いのない答えに呆気に取られた。内面の充実ぶりが旺盛である事は好ましいがそれを少しだけ寂しいと思ってしまった。


    「はー…伊達男め…」
    「ふふ。ありがとう」
    「あとはっきりさせなかった私にも非があるから、謝罪もいらないし処罰もなし」
    「でも事を引き起こしたのは僕だ」
    「まだ言うか。じゃあお互い様って事でこの件はチャラにしよう」
    「主が望むなら」


    お茶のおかわりを聞かれ淹れてもらう。ちょうど良いぬるさになっており一口啜って息をつくと、いやに見つめてくる視線が気になった。
    右に頬杖を付きながらなんとなく目尻が緩んでいる様な目と口元。


    「なに?何かついてる?」
    「いいや、主は可愛いなって思ってね」
    「は?」
    「君にもっと格好いいって、あともっと頼って貰えるように頑張るよ。僕だって君の刀なんだ、他に負けてられないさ」
    「あ、はい…お願いします?」
    「任せて!」


    ご機嫌に微笑む光忠が何に対して対抗心を燃やしているのかは分からなかったがそれでもサラリと口説き文句を言えるようになったあたり前とは大違いだなと内心ドキドキしながらまた茶を啜ったのだった。
     
    れぐ Link Message Mute
    2023/01/09 1:57:50

    桃源郷は破り棄てた

    #刀剣乱舞
    神域に拘る燭台切光忠ととある怪異と審神者の話

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