心を知った日携帯のスヌーズ機能が作動する。
振動に気付いたらそれを止めて、一旦作業を中断して大手門へと向かう。
この本丸の一つのルーティン。
それは出陣や遠征の際、帰還する刀剣男士たちを審神者が出迎える事。
一番初期の頃は男士たちから出迎えなくても良いと言われたもののそこは審神者のこだわりだったので体調不良や余程の急務、緊急事態の場合を除いて出迎える様にしている。
とある男士が何故そんな事をするのかと尋ねたことがあった。
曰く、
「おかえりって言ってもらうとなんか帰って来たなって感じがしない?ほぼ本丸にいるんだったら帰還した時に皆の顔見たいし」
だそう。
そう主が望むのであれば彼らは受け入れる他ないし、言われて成程と納得する者は多かった。主従関係を大切にしている者も確かに出迎えられて悪い気はしなかった為、今では誰も気にとめないしそういうものだと思っている。
幾多もの出陣・遠征もしていれば傷一つ無い状態で帰還すると言うのは中々難しい。
軽傷程度なら審神者も驚かなくなってきた頃の話だ。
その日は顕現して間も無いへし切長谷部が隊長を務める部隊が出陣をしていた。
スヌーズは帰還時間より少しばかり早く設定しており大手門に到着すると丁度門が開くタイミングにしていた。
光に包まれ中から人影が見えてくる。
隊長のへし切長谷部、厚藤四郎、五虎退、石切丸、骨喰藤四郎、同田貫正国が姿を現すを待つ。
「皆おかえ…り…?」
帰還した彼らの姿は全員何処かしらに傷を作り服もボロボロになっていたが最大の違和感は長谷部にあった。
左腕が上腕からまるっとないのだ。
「主、ただいま戻りました。結果のご報告を」
「えっ、ちょっ待って。腕、どうしたの長谷部!」
審神者を見つけるや否や何事も無かったかの様に近付き早速報告を行おうとする長谷部に流石に待ったをかけた。欠損した場所は既に止血が行われていたがそれでも包帯代わりの布には赤黒い染みが滲んでいる。損傷してから時間が経っている証拠だ。
「…恥ずかしながら。出陣先での戦闘で左腕をやられてしまいまして。骨が折れ力も入らず使い物になりませんでしたので邪魔だと思い切り落としました」
「自分でやったの?!」
「?はい。戦闘中でしたので」
「そんな自分で髪を切ったみたいな軽さで…!」
中傷重症も経験して来た審神者だったが流石にこの様なパターンは初めてでアワアワと狼狽える姿に他の隊員たちはやっぱりな、と言わんばかりの顔で二人のやりとりを見る。
当の長谷部はと言うと審神者が何をそんなに狼狽えているのか分からず不思議そうに首を傾げた。
「主が何に驚かれているのか分かりませんが、この位手入れをすれば元に戻りますよ」
「いや知ってるけど!え?!腕、切っちゃう?!」
「はい。敵部隊を殲滅しあなたに勝利をもたらすのが我々の仕事であり最優先事項ですから」
そう爽やかに告げる長谷部に審神者は血の気が引いていくのが分かった。出陣前にも《いのちだいじに》をモットーにする様言ったのだがどうにも審神者と長谷部との間に認識のズレがあった。
長谷部からしたら五体不満足でも命さえ無事なら安いと考えているからこそ不要な部分は取り除いただけに過ぎない。
しかし審神者の言ういのちだいじにとは五体満足で帰って来ると言うニュアンスだったのだが、そこで人と神との壁を感じる事となった。
人と共にあった付喪神と言えど考え方は全く異なる。
「主?如何されましたか?」
返答が帰って来ない事と見るからに青ざめた顔色を見て尋ねる。
「もう、余程の事が無い限り、自分の体を傷付けてまで、無茶な戦い方はしない、様に…」
喉から絞り出す様に出てきた言葉と共に審神者の目から大粒の涙が零れ落ちる。それを見て今度は長谷部がギョッとし狼狽えた。
「え!?あ、あの!どうされたのですか、俺の腕を見て御気分を害された様でしたらすぐ下がりますので」
「長谷部さん、そうではありませんよ。ですが…」
「一旦、手入れ部屋へ連行だ」
背後に骨喰が回ると素早く刀装と本体を外し石切丸がよっこいしょの掛け声と共に横抱き、いわばお姫様抱っこの状態で長谷部を持ち上げた。完全に不意打ちを食らい、突然の浮遊感の方に気を取られている長谷部を横目に骨喰と石切丸は手入れ部屋へと駆け出す。
途中降ろせだの、主がだの、やいのやいのと長谷部の声が聞こえたが順調に遠ざかって行くのを見届けると残りの厚、五虎退、同田貫がフォローへと回る。
「悪いな大将、俺達も止めたんだけど言う事聞かなくてさ。アイツもまだ顕現したてで加減が分かってねぇんだ。だから…その、あんまり責めないでやってくんねぇかな」
「あ、あの。主様。長谷部さん、隊長として僕たちを守ろうとしてくれたんです。それで怪我を…。それと、ごめんなさい。長谷部さんの腕、虎くんたちとも探したのですが…見つからなくて…」
「まぁ無くても戻っけどな俺らの体は」
「同田貫!フォローになってねぇから!」
「ああ?事実だろうが」
「…うん。そう、なんだけどさ」
袖で涙を拭いながらやっと発した声はどこか寂しげに聞こえた。
「でもさ。あんな姿見たくないな、なるべく」
ズズっと鼻をすする姿に同田貫はいつか重症になって帰って来た時のことを思い出していた。
「俺の時と同じ面してんな」
「…あー。そう、かも」
何を指すのか察した審神者は同じ事を思い出したのか、にへっと笑った。
あの時はパニックになりながらも一晩中付きっきりで看病して寝落ちた後に療養する意味を兼ねて出陣謹慎を言い渡したら同田貫と一悶着あり、説得(交渉)に説得(力技)を重ねようやく和解し今の状態に落ち着いたのだった。
刀が増えて来て毎日色んな事が起きている為、もう随分前の事の様に思っていたが思い返せばそんなに前の事でもない。
長谷部の前にこの同田貫と言うヤンチャが居たなぁと彼を見据えるもやっぱり審神者の思う事は同じだった。
「たぬには言ったんだけれど、折角、人の身を得たんだもん。あんまり痛々しくあって欲しくないじゃん」
「あんた自分が痛いのは構わねぇ癖に俺らの事になると面白ぇくらいに動揺するよな」
「まっ!そこが大将の良い所だぜ!」
「それ褒められてるんだよね?」
「で、でも!主様も主様を大事にして欲しい、です!」
「五虎退いい子…よしよし。虎くんたちも良い子だ、うりうり」
五虎退の頭を撫で足元に集まって来た虎たちの腹や顎下を撫でる顔色は、先程より色味が戻って来ており同田貫と厚は顔を見合せ頷いた。
あとは手入れ部屋の連中がどう長谷部を言いくるめられるかだ。
その手入れ部屋では石切丸と骨喰が部屋の襖前を陣取り見張りをしていた。手伝い札は山の様にあるが長谷部が使わない様に既に廊下に出されている。よって、彼は時間が来るまで部屋から出られない。
無論、抗議はあったが石切丸の「却下」の一言で事なきを得た。
「おい!さっきからなんなんだお前ら!」
「何、って。少し考える時間が必要かと思って」
「何を考えろと言うんだ!」
「主の気持ちだ」
骨喰から出た主の一言で長谷部の無駄吠えは止まった。
忠誠心が高いのも良い事だが困りものでもあると思うとやれやれと苦笑する石切丸。
「骨喰藤四郎、主のお気持ちとはどう言う事だ」
襖越しからでも伝わる気迫。
それでも骨喰は一切の躊躇なく淡々に答えた。
「主は、優しい」
「知っている。あの御方は誰にでも分け隔てなくお優しい」
「だけど、強い」
「当然だ。俺たちを率いる御方なのだから」
「でも、弱い」
「…仕方なかろう。主は、人間だ」
「そうじゃない」
目を伏せ、いつかの審神者とのやり取りを思い出した。
「主は、気持ちがまだ弱い。勿論、俺たちを率いて戦場に立っているから、強い。でも…やっぱりまだ弱い」
「…どう言う事だ?」
骨喰の言いたい事が石切丸にはなんとなく分かった気がした。
長谷部より少しばかり付き合いが長いせいなのか、それとも自分も同じ様な考えだったからなのかは分からない。
「主は私たちの誰かが傷付く事を恐れている。戦場に立つのが自分じゃないから尚のこと。でもそういう訳にもいかない」
「俺たちは刀だ。戦って敵を倒す事が仕事だ。この体は主から賜ったが、優先すべきは勝利だ」
「骨喰さん、今の発言は何点ですか?」
「45点だ」
「なんだその採点は!低すぎだろう!」
負傷してるのにまだまだ吠える元気のある長谷部に石切丸は若さを感じた。まだまだ青いなぁ、と。
「妥当だ」
「どこがだ!」
「満点ではないが高得点の答えならある」
「……なんだ、それは」
「俺たちが五体満足、部隊の誰一人も欠ける事なく本丸に帰って来る。だ」
《いのちだいじに》
ゲームの作戦コマンドの様なモットーだが決してふざけている訳では無く、大真面目に考え掲げた物だった。
当然一部より反発はあった。そうなれば衝突は避けられないが、衝突してでも審神者は知って欲しかった。
例え性能や見目が同じでもただの一振とて同じ刀はいないと言う事。
そしてそれを喪い残される方の気持ちを。
理解出来ずとも、そういう風に刀剣男士を思う者もいると言う事を。
だから出陣前に審神者は言うのだ。
「なんだ、それは」
思ってもみなかった解答例を聞いて、威勢の良い声はもうそこにはなかった。
「それではまるで、人間の様じゃないか」
己が存在は刀。人の身を得た事で戦士となった。
その肢体は今世の主の代わりの手足。
その思考は今世の主へ寄り添う信仰。
付喪神たる人ならざるモノを従え戦に臨む非力な人。
故に己が代わりとなって戦果を挙げねばならない。
なりふり構わず、ただ一振の刃として敵を斬る。
それが、長谷部の定義する刀剣男士の存在意義だった。
しかしそれがどうか。
仲間が言うにはその考えが否定されてしまう。
「主は…。主は俺たちに人であれと言うのか。斯様に弱い、人に」
「それを決めるのは貴方自身ですよ、長谷部さん。主からして見れば私たちが人であろうと、ただの刀であろうと、神であろうとどれだって良いのだと言うでしょう」
「ああ、言うな」
「は?」
「どう在るべきかは私たちが決めて良いのです。主はどんな答えでも受け入れる、むしろ受け入れてやると言う考えだろうしね」
「ばっちこい」
「ははは!それは言いそうだ」
「長谷部、主は…俺たちを大切な存在だと言ってくれた。だから大切な人に、傷付いて欲しくないんだ。それは、俺も同じだ。主も、兄弟たちも、ここの仲間も、大切だと思える様になった。だから、護りたい」
「骨喰さんも私もすっかり主の刀になってしまいましたね」
「どや、私の自慢の刀は」
「ははは!調子に乗った時に言いますねそれ!」
骨喰のあまり似ていないモノマネがツボに入り思わず笑う石切丸の声が気にならない位に手入れ部屋の中で一人、長谷部は唖然としていた。
どう在っても受け入れる。
だけど怪我はしないで欲しいと願う。
優しくて強くて、弱い、人間。
「俺は…」
分からなかった。
審神者がどうして負傷した自分を見て青ざめ狼狽えたのか。
どうして自分の体を傷付けてまで戦うのかと言ったのか。
自分の行動や態度に落ち度があるのなら謝罪するまでだったが、根本はそこでは無かった。
もっと深い、在り方の相違。
人と刀、人と神。
考え方が最初から違った。
審神者は人に近い姿を持った刀剣男士に人を重ねてしまう。
一方で刀剣男士は姿形は変われど己は刀のままと思う(者が多数だと長谷部は思っている)。
刀であれば傷が付けば直せば良い。人の身を得てもそれは同じだと思っていた。
この事が起きるまでは。
以降、黙り込んでしまった長谷部に二人は手入れ完了の時間になる前にそっと立ち去った。
あとは二人が話すべきだと思ったからだ。
数時間後。
体も服装も完璧に元に戻った長谷部は複雑な面持ちで主たる審神者を探していた。
たまたまなのだろうがいつもは騒がしいくらいの本丸がやけに静かに思えた。
「長谷部。もう平気?」
後ろから声がかかる。
言わずと知れた探し人のもの。
振り返ってみれば顔色は幾らか良くなっておりまずはそこに安心して胸を撫で下ろした。
「は。先程はお目汚しを失礼致しました」
「全然お目汚しなんかじゃないよ。ごめんね、さっきは動揺しちゃって。ほら、顔上げて」
まずは深々と頭を下げて謝罪。促されるままに顔を上げると少しばかり困惑した顔がそこにあった。
「主」
「なに?」
「俺は貴方の刀です」
「うん」
「ですからこの身を賭して戦います」
「…うん」
「石切丸や骨喰から伺いました。貴方は俺たちがどんな在り方でも受け入れるだろうと」
「それに関してはばっちこいの姿勢だよ」
「…っ。それは、有難く思います。ですが、俺は」
そっと長谷部の手を取った。
手袋を外し生身の手に触れる。
「あ、主…?」
突然の接触に体が硬直した。
両手で包み込まれる手は温い。
「人の体って温かいでしょう。刀の頃には知らなかったよね、こんな感覚」
「は、はぁ」
「手入れすれば直る体。私には無い感覚だから私が考えを押し付けてる様に思えても仕方ないんだけど、それでも、どうか体は大切にして欲しい」
「押し付けだなんてそんな」
「喪いたくない、怖がりの我儘なんだ」
喪失の怖さは長谷部も知っている。
刀だった頃の記憶。
あの人の、自慢の元主の記憶。
喪い残された方の気持ちは、特に。
「…その我儘を聴き入れるのも俺の務めです、主」
片膝を付き、今度は長谷部が審神者の手を取る。
「まだこの身に不慣れな部分があるのでご面倒をお掛けするかも知れません」
「その面倒なのが人の良い所でもあるんだよ」
「面倒が…良い所?」
「理解できない?でもそれで良い、分かってさえいればいいから」
「はぁ」
煮え切らない返事に審神者は微笑んだ。
「あと、そろそろ…立ち上がって手を離してくれると嬉しいかな。その、この状態は…ちょっと…うん…」
「!申し訳ありません、御気分を害されましたか」
「嫌じゃないんだけど、照れるって言うか…うーん!難しい!」
「ええと…?」
「まぁこれは追々、ね。それより向こうでお茶でも飲みながら報告聞かせてよ。お茶菓子を石切丸から貰ったからさ」
いつもの調子に戻ったのを見て、長谷部は胸の奥が締まるような感覚を覚えた。元の主は大切だが今は目の前の主が大切だ。それは分かりきっているのだが、どうにも前からあった感覚と少し違う様な気がした。
もしかしたらそれが、骨喰の言う大切だと思える様になったと言う事なのかも知れない。
弱くて怖がりで我儘な人間。
同時に刀には無い、愛おしく尊い心。
「畏まりました。我が主」
左手を胸に添え敬礼する。
その心が強さに繋がり力の糧のなるのならば人に近い在り方も存外悪いものではないのやも知れないし、理解出来れば隣を歩く時、少しだけ胸が踊る理由もいずれ知る事が出来るかもしれない。
後に様子を見に伺った五虎退の証言によれば、へし切長谷部はこれまで見た中で一番に優しい顔をしていたと言う。