非日常の陽炎　ひらひらと尾びれが舞う。
　橙色の光に灯された世界が、祭囃子に溶け込んで夜闇を彩っていた。朱色の鳥居をくぐり抜け、喧騒の中へとひとたび足を踏み入れてしまえば、すぐ手前まであったはずの静寂は失われ、非日常の世界が眼前へと広げられる。

「あんまりはしゃぎすぎるなよ」

　カラン、コロン。前を行く軽やかな音色に声を張り上げて、振りかえされる掌に肩を竦めた。
　本当にわかっているのか。やがて祭囃子へと混じる賑やかな声を背と共に見送って息を吐く。
　その音だけは妙に日常めいてなんだか不思議な心地がした。

　祭があるからと門扉を叩いた幼馴染に手を引かれたのは、ほんの数時間前のこと。
　両腕に抱えた衣装は、幾分か昔みたものよりも真新しい色をしていて。懐かしさが不意にこみあげる。
　あぁ、久しく行っていなかったな。なんて、言葉がぼんやりと頭をよぎって、別段断りを入れる予定も浮かばぬところで、二つ返事で頷くことにした。
　そうして、前を行った二人分の着付けを済ませ、アロマちゃんは着ないのかと期待に満ちた四つの瞳を何とか躱し、いまへと至る。

「お前は」
「ん？」

　すぐ傍で響いた声は、幸い祭りの喧騒にかき消されることなく鼓膜を揺らす。続く言葉を小首を傾けて促せば、相変わらず前を向いたまま、浴衣と短く付け加えられた。
　思わず薄く見開いた瞳が数度瞬き、短い吐息が唇を震わせる。
　傍らを駆け抜ける子らが、からころと非日常の音色を奏でた。
　親がきちんと着付けてくれたろうに。すでに着崩れ始めている裾野がわずかばかり夜闇を照らす提灯のあかりに透けて。先をいった二人の幼馴染と同じく、金魚の尾びれみたいになびく。
　はやく。はやくと急かす子に、のんびりマイペースを決め込んで、脇を彩る屋台へと想いを馳せる子。なんなら、早々に出店へ赴いて、握り締めた百円玉を数枚差し出している子だっている。
非日常が、日常に溶け出す、わずかな時間。
　踊る心はそのままに、数少ないお小遣いを握りしめて、あれにしようか。それともこれにしようか。もしかしたら、傍らを駆けた子は皆一様に、そんなことを悩んでいたのかもしれない。

「二人分着付けてたら時間がなかっただけだよ」

　ぽつり。口をついて零れた言葉に、いつのまにか少し前を行く背が振り返った。
　重ねた視線へ、似合わないだろう。なんて続く台詞の代わりに肩を竦めて開いた距離を縮める。返る言葉はなかった。
　代わりに差し出された手が、またも瞳を瞬かせ、変わらぬ顔つきの幼馴染を見上げる。

「はぐれたら困るだろ」

　いったいいくつだと思っているのか。
　先を行くもう二人の幼馴染に倣うよう伸びた掌に、人知れず羞恥と苦さの入り混じった感情が昇る。
　橙色の灯りに染められた頬が、ほんの少し熱を持った。
　はやる鼓動を幾度か深い呼吸で整え、仕方がないなぁと笑みを食む。差し出された手を取って、いつのまにか止めてしまった歩みを進めた。

　からん、ころん。喧騒へと混じる音は履いた下駄の音。
　自ら奏でるわけでもないのに、その音が耳へと触れる都度どうしてだか不思議と心が躍る。

――あぁ、これがもしかしたら非日常に対する高揚か。

　なんて、先を行く子供でもあるまいし。らしくもない考えは竦めた肩の上に置いた。
　夜のとばりが降りても暑さ変わらず。
　照り付けた太陽の残り香が、集う人の熱に合わせてうねる。
　繋いだ掌がじんわりと汗を滲ませるのに、不快には思えなくて。

「ラムネでも買って飲もうか」

　一歩、二歩。並べた肩に言葉尻を弾ませた。