To you who bloom 鏡の中。憮然と立つ自分と見つめ合う。
かすかに揺らぐ視界を、目蓋を閉じ開いて宥め、それでも変わらぬ現状に薄く眉を顰めた。
首元からゆるゆると視線を落としていけば、光沢のある布地が身体のラインをなぞるように覆っている。腰元に飾られたバラの花弁は、その身を誇るように大輪で。さらに先を辿れば、濃い深緑色の裾をふもとに広げていた。
もったりとした瞬きをひとつ。喉元までせりあがった嘆息は、すんでのところで飲み込んで押し戻す。
空気に触れた肩はいつもと違って、随分と心もとない。
さっきからずっと、落ち着きを失った心音は、これっぽっちも頼りにならなくて。結局一度は飲み込んだはずの嘆息が、くちびるを割り開いて零れ落ちた。
ああ、まったく。どうしてこんなことになったんだろう。
「はじめから、こうしてればよかったんだよ」
よくもまぁ、鈴を鳴らしたように愛らしい声を揃えて、意気揚々と言ってくれたものだ。
なにを。と、問うより先に、小包を差し出される。厭な予感が頬を引き攣らせたところで、キラキラと輝く2対の眸が容赦なくこちらを見つめてくるのに、妙な汗が薄いシャツの向こうで背を流れた。
胸元に押し当てられた小包の圧に、思わず半歩足を引く。けれど、ほんの少し和らいだ圧迫感はすぐさま距離を詰められて失われた。
まったく。いったいその細腕のどこにこんな力が隠されてるんだか。
自分より小さく、華奢なふたりはたじろぐこちらに気づいた様子もなく。相も変わらず澄んだその眸をスポットライトに照らされたようにきらめかせている。抑えきれない興奮を隠しもせずにしきりに頷く姿は、もういっそ見飽きるほど繰り返されてきた光景だ。
いや、別にいつもこうってワケじゃないんだけど。
込み上げた苦笑が肩を竦める。そんなこちらの様子に、ふたりはやっぱり気づいた素振りもない。
薄く化粧を施した頬は高揚し、薄紅色のくちびるは上機嫌に弧を描く。
ほら、はやく。だいじょうぶだから。ね。ね。とは、なんとまぁ根拠のない自信だろう。
だいじょうぶ。な、はずがない。
こんなの、ガラじゃないことだって、二人はわかっているはずなのに。
どうしてこうも、なんとも素晴らしい名案を思い付いたとでも言いたげに、小包を差し出してきたというんだろう。
生まれてこの方、ほとんどの時間を共に過ごしてきた幼馴染だ。
親元を離れたいまとなっては、親よりも近く。この身に流れる血よりも濃く。その繋がりを持っていると言っても過言じゃない。
突拍子もない行動はいつものこと。振り回されるのは、慣れている。
普段であれば、溜め息をひとつだけ。それからついでに小言も少しだけ添えて応えるものだけれど。今日の提案は、いつものそれと少し異なっていた。
――受け取れるワケがない。
こんなもの。ガラじゃない。自分のキャラじゃない。
一縷の望みに縋るよう、詰め寄ってくるふたりの後ろに目を向ける。
かちりと交わった双眸は、けれど諦めろと言わんばかりにすぐにそっぽを向いて。小さく竦められた肩がそれ以上の答えだった。
ああ、もう。逃げ場がない。
どうにもならない現状に、臍を嚙む。
これを着て、どうする。
袖を通して、どうなる。
そもそも、いつのも格好じゃないとエスコートの人数が釣り合わないだろう。
だいたい、それ用のアクセサリーも持って着ていない。着方も詳しくはない。
言い訳はつらつらと頭に浮かんだ。だども、そのどれも口をついて出ることはなく。じりじりと退路を奪われる感覚が、胸元の小包を伝って身を巣食った。
ああ、そうだ。
ふたりが言い出したら聞かないことは、他でもない。私自身が一番、身に染みて知っているじゃないか。
「結局、受け取ったし……着たわけ、だけど」
1枚のカーテンに仕切られたささやかなスペースで、ぽつねんと零す。
椅子の背に掛けた衣装が恋しい。
本来であれば、着慣れたそいつに袖を通して、とおの昔にここから出ているはずだった。
――だった、のに。現実は、どうだ。
鏡越しに引かれたカーテンの向こう側を睨みつける。けれど、その眼光はすぐに鋭さを失って、情けなく眉尻を下げた。
半歩、踵を引いく。もう一度鏡に映る自分の姿を頭のてっぺんから足の先まで眺めたところで、当然現実が夢に置き換わるはずもない。
またすぐに喉を昇った嘆息は、もう堪えもせずに吐き出して。少し乱れた髪を手櫛で整えた。
正直、3人で選んだのだというそのドレスは、自分が考えていたよりも身に馴染んでいる。
ガラにもないと思う気持ちを消すことはできないものの、微かに胸に宿る高揚感を否定するのは、どうにも憚られた。
さすが、長い付き合いだけはある。
深みのある緑色もスラリとしたシルエットも。どれもこれも、好みの意匠だ。
自分でも、単純なモノだと思う。
「アロマ」
カーテンの向こうから、掛けられた声に心音が跳ねる。
着替えられたか、と続いて問う言葉に少しだけ返答に迷って、深緑の裾を摘まみ上げた。
前に、後ろに。振り返る。ややあって、たぶん大丈夫と頷き応えれば、控えめな断りと共に眼前にあったカーテンが取り払われた。
「――っ、おま」
思わず身を引き、踵が鏡を叩く。
ひやりとした感覚が肩と背に触れ大仰に身を弾ませれば、ほんの少し丸くなった双眸がこちらを見てひとつ瞬いた。
ふっと短く解かれた吐息に、定まらない視線が宙を迷う。
そうして、部屋の中に居たはずの影がふたつかけていることに気づいた。
「ふ、ふたりは」
「先に行った」
なんで。
問い返す言葉は、音にならずにはくりと空気を噛む。
ぐるぐると目が回った。
ああ、もう。まったく。ガラじゃない。こんな情けない姿。らしくないって、わかってるのに。
いつも通りを装うのが、こんなにも難しい。
どうせドレスを着て見せれば、ふたりは満足して。賑やかに笑いながら、それはもう楽しげに感想を言ってくれると思っていたのに。それで満足したら、すぐに着替えて、いつもの姿に戻ればいい。そうして、また普段と変わらず彼女たちをルーとエスコートすればいい。そう、考えていたのに。
こんなの、想定外だ。まさか、ふたりがいないなんて。想像も、してなかった。
「アロマ」
「な、なに」
「最後の仕上げ」
差し出された手に、目を向ける。
その意図が分からず首を傾げば、はじめてみるネックレスが解答えの代わりに掲げられた。
ああ、なんだ。そういうこと。
やっぱり、言い訳を口にしなくてよかったと改めて思う。
私が3人のことをよく知るように、3人だって私のことをよく知っている。
そりゃ、退路は断たれてばかりなわけだ。
はじめから、勝ち目なんて――逃げ道なんてなかった。
「……ルーが着けてくれるって?」
「ああ」
ため息混じりに問えば、一切の淀みなく返る頷きに肩を竦めた。
招きに応じ、手を重ねる。
引かれた腕に合わせて、小さな空間から踏み出せば、ご丁寧に用意された靴が、踵を揃えて置かれていた。
まったく。用意周到にもほどがある。
ここまでくると、主犯はふたりでも、ルーも片棒を担いでいるのは間違いなさそうだ。
履き慣れたパンプスよりも数センチ高いヒールにつま先をひっかける。
すっと背筋を正して立てば、ほとんど変わらない位置にある冬色の双眸が、ほんのひとときだけ答えを探すように迷ってから腕を引いた。導かれるまま、鏡台の椅子に腰かける。ややあって、先に見せられたネックレスが、華やかに首元へ飾られた。
「やっぱり、よく似合う」
思っていた通りだ。そう続く言葉はどうしたって、あの日のことを思い出す。
けれど、以前のように顔へ駆け上った熱を逃がす術を、今度はもう見つけられそうにもなくて。額に当てた手のひらで、ほのかに種に染まった頬を隠した。