別れ。そして異臭別れなんて、ちっぽけで…
あっけないものね。
別れ。そして異臭
うだるような暑さが残る夜。
私は噎せ返るほど、雄の臭いを纏った貴方の腕で、床に縫い止められて。
さあ、食べてちょうだい、と全てを曝け出せば、食らいつくさんばかりに、首筋を噛みつかれる。
痛くて、でも、酷く幸せで。
お返しよ、と噛み付くような口付けを貴方に送ると、貴方は笑って、私を穿って、熱を放つ。
腹の上に飛び散った体液を指で掬って、その青臭さに、愛しさを覚えて。恍惚に笑んで。
気だるげに紫煙をくゆらせる、貴方の腕に自身の腕を絡めて、貴方の吐いた紫煙の甘くて、苦い香りに包まれて、満たされた気分で目を閉じた。
ーーーここまでは、いつもと同じ。
目を開く前から、言いしれぬ違和感を覚えて、恐る恐る目を開いた。
貴方は私の隣で眠っているように見えた。
でもよく見ると、瞳はカッと見開かれていて、口の端から泡を吹いていて…
どう見たって、いつも通りじゃなかった。
「ねぇ、起きてよ…」
それでも…藁にもすがる思いで、貴方の肩をゆさぶったわ。
貴方の肩は…冷蔵庫から出したばかりの魚みたいに、とても冷たくて。
思わず手を引っ込めてしまったの。
自分の咄嗟の行動に驚いて。でも、嫌に思考は冷めていて。
「ほら、見なさいな。日頃の不摂生が祟ったのよ。」
「お酒を呑みすぎるからよ。タバコも沢山吸うからよ。」
って、文句を言ってやりたかったわ。
………言ったところで、もう貴方には届かないのだけれど。
こんな形で貴方と別れるなんて、思っても見なかったわ…
***
貴方の亡骸を前にして数十分、考え抜いて、貴方の亡骸をどうするか、決めたわ。
ーーー貴方の亡骸が朽ちるまで、傍らにいる
それが、今の私にできる精一杯。
だって、「貴方」の亡骸は…まだここにあるのだから。
「貴方」が完全に損なわれるまで、傍に居させてほしいの。
我儘だって、貴方は笑うかしら?
…これぐらい、許してよ。
これが私なりの、あなたに対する礼儀よ。
***
貴方の亡骸の腕を少し持ち上げて、貴方の腕の中に身体を滑り込ませる。
死後硬直っていうのかしら?貴方の腕が嫌に重くて、少ししか持ち上げられなかったことに、苦笑いして。
貴方の腕の中で、貴方と向き合う。
貴方の頬に手を添えて、貴方の唇に口付けを一つ落とす。
やっぱり、貴方は冷たくて。
これ以上、冷たくならないで…なんて、願いながら貴方の頭を胸に抱きしめたの。
いつもより、血管が透けて見える貴方の冷たい肌に、私の心も冷えていくのを感じながら…
貴方のお腹が淡い青色になるまで、ずっとずっと抱きしめていた。
***
40℃近くの気温が続く、真夏だからかしら?
貴方の「亡骸」が腐っていくのが早い気がするの。
貴方の体が、暗い褐色になって気泡でブクブク膨らんでいく。
糞尿も溢れて、掃除するのが大変だったわ。
掃除してる時、腐敗臭と糞尿の臭いにやられて、何度も吐いてしまったもの。
換気だって、したかった。
それでも、換気をしなかったのは、少しでも貴方と長くいるため。
換気なんてしたら、臭いですぐバレちゃうでしょ?
だから、吐いてでも我慢したの。
……所詮は悪あがきだって、理解しながら。
***
貴方の腐敗が進むに連れ、どこからやって来たのか、蝿が湧くようになった。
「蝿が一番卵を産み付けやすいのは、目」に違わず、蝿は貴方の眼窩に卵を産み付け、孵化する。
ーーー蛆虫の孵化って以外と早いのね。
なんて、どうでもいいことを考えながら、ピンセットで蛆虫をつまみ上げ、チャック付ビニール袋に捨てる。
ーーーこの人を食んでいいのは、私だけ。
例え、貴方を食んだ蛆虫の中に、貴方の魂の一部があったとしても…許せなかった。
見つけては、捨て。
見つけては、捨て。
きりがない作業に明け暮れる。
そんな日々に、終わりを告げる音。
ピンポーン
貴方が亡骸になって、48日目。
玄関のチャイムが鳴らされる。
体液が滲み出る度に、掃除をしていたとはいえ、臭いはどうしようもなかったから、きっと通報されたのね。
私にしては、頑張ったんじゃないかしら?
覚悟など、貴方の側にいることを決めたあの日にしたはずでしょう?
もう一度腹を括って、玄関の扉を開ける。
飛び交う蝿。
漂う悪臭に嘔吐する警察官。
そして、刑事さんに詰め寄られる私。
貴方が生きてたとき、あんなに外は暑かったのに、今は少し肌寒くて。
季節が変わってしまったことに、今更ながら気づいて。
私は、哭いた。
***
あれから私は、貴方の亡骸を知っていながら放置したことで「死体遺棄」、彼の住んでいた部屋が悪臭等で住めなくなったことにより「器物損壊」の罪で、刑務所に送られることになった。
牢の中は、テレビドラマで見たのと寸分違わず、殺風景だったわ。
まぁ、貴方が居ない世界なんて、どこに居ても殺風景なんだけれど。
鉄格子のついた窓から太陽の光が、部屋の中央に差し込む。
その光を、部屋の隅にあるベッドの上から眺めながら、自身の身体を抱きかかえ、貴方を想うの。
貴方を想う時はいつだって、貴方が愛用していた煙草の甘く苦い臭いがした。
でも、今は…
あの部屋の…甘くて饐(す)えた、貴方の腐った臭いが鼻腔から、離れなくて。
その事実に気づいた時。
私は、やっと、貴方に別れが言えるような気がしたの。
さよなら、愛しいあなた。
できれば49日まで、貴方の傍らに居たかったわ。
誰も居ない虚空にひとつ、キスをして。
小さく笑って、そっと、目を閉じた。
終