さくさく、と、足音を刻む。
静かな、一人だけの足音。
寂しくないといえば嘘になるが、ここばかりは、誰かについてきてもらうわけにもいかない。
ここは、廃村。
廃墟しかないこの場所に何の用事かと問われれば、探し人だと答えよう。
彼と別れた子供だったあの日、自分たちはこの村にいたのだから。
しかし今では、そこかしこをうろつく魔物どものおかげで、ここは立派な危険地帯だ。
故に、自分は一人でいる。
だからこそ、自分は一人でなければならない。
静かなここは、澄んだ空気で自分を迎えた。
魔物の巣窟であるはずなのに、聞こえているのは自らの足音のみ・・・
とても、不思議な気分だ。
探し人には似ても似つかないこの場所が、少しだけ、おかしい。
幾度も通った小さな図書館の前を通り過ぎ、民家の建ち並ぶ道を進む。
誰も彼も、自分のことを疎ましく思っていたようだった。
子供の頃の自分を思えば、それも仕方ないのかもしれないが。
進んだ先にあるのは、ただの崖だ。
開けた視界に、ひとつ、息を吐いた。
崖の淵に立つと、吹き上げる風が髪を揺らした。
どうやら、相当に深いらしい。
彼も、この場所に立ったんだったか。
探し人を想い、目を閉じる。
頬を撫でる風が、妙に気持ちいい・・・
思えば、それは間違いだったのかもしれない。
すぐ背後に迫る気配に気付かず、静かな村の跡で静かな衝撃を受けた。
(!)
背後から受けた衝撃は、いともたやすく身体を吹き飛ばした。
重力に引かれ、落ちる最中に振り返る。
・・・そこにいたのは、村人だ。
ぼんやりとした輪郭の彼らに、静かな視線を送る。
何も言えず、何も言わず。
重力に逆らうことなく、身体は下へ下へと。
・
・
・
どれだけの時間が経ったのか。
痛みを訴える全身に、ここは終着点だと知った。
仰向けに叩きつけられたのか、遠くに空が見える。
(やってしまった、と、言うべきか)
頭がぼんやりとして、考えがまとまらない。
きっと、頭を打ったせいだろう。
(彼はこんな風に落ちたのだろうか)
(身体中が痛い。熱い。もはや何もわからない)
(が、意識だけは冴え渡ってゆくのは、何故だろう)
(そういえば、あの菓子屋の新作をまだ食べていないな。チョコレートの入ったたい焼きだったか)
(書きかけの作品を何処に置いたんだったか。作品集に組み込めばそれなりの収入は見込めるだろうか)
(あの少女の恋は実ったのだろうか。力になれていれば良いのだが、失恋していたらどうしよう)
(彼の行きつけの饅頭屋にも、また行きたい。あんまんに関してはこしあんも良い)
(読みかけの魔術書があったな。使える訳でもないが、創作には使えるから早く読みきってしまわないと)
(・・・)
(いろんなことが渦巻いては過ぎ去って、結局僕は一体どうなったんだろう)
(ああ、そうか、落ちたんだったな。高い崖の上から)
(ということは、これは、走馬灯なのだろうか)
(・・・要は、僕は、現状では死に掛けている・・・ん、だな)
(彼を探すことも、詩を書くことも、話を綴ることも、甘味を食べて笑いあうことも)
(もうできなくなる、のか・・・)
その考えに思い至って、初めて、「恐ろしい」という感情が表に出てきた。
自然と震える身体ですら、痛みに紛れてわからない。
ゆっくりと、頭上に手をかざす。
自らの手が月を覆い隠した。
(身体はまだ動く)
(ということは、まだ死んでいない)
震えだした手のひらで、月を握る。
どうせここには、誰もいやしない。
「死なない限りは・・・どうにでもなってしまうんだな」
「僕の望む、望まないにかかわらず」
ゆっくりと瞬きをすれば、心地よい魔力が廻るのを感じた。
全身を包んでいた痛みも、得体の知れない恐ろしさも、魔力に溶けて身体を廻る。
結局、自分は人間ではないのだ。
そんなことを自覚させられて、ゆっくりと起き上がる。
「・・・」
魔族、という種族は、身体的に人間と変わるところはほとんどない。
強いて言うのであれば、普通の人間より多少頑丈で、長命で、異常なまでの魔力をその身の内に秘めているだけ。
そもそも魔族という呼称ですら、自分が勝手にそう呼んでいるだけだ。
正式な呼称があるのかすらわからない。
それでも、ひとつだけわかったことがある。
あの日、「供物」として崖から突き落とされた彼は・・・自分の親友は、この崖の下で「死んだ」。
多少頑丈であるはずの自分ですら、下手をしたら死ぬほどの高さだ。
人の身など、まず間違いなく。
「信じたくは、ない」
「が」
「これだけの証拠が、揃ってしまった」
「信じないという道が、塞がれてしまった」
「・・・の、か」
崖の上の村人は、今も変わらず「供物」を捧げ続けているのだろう。
だからこそ、自分は突き落とされた。
彼と同じように。
「・・・はは」
探し人を喪った悲しみと、廃墟となった村の住人の変わらなさ。
ぐるぐると混ざる感情が、よくわからなくなっていく。
自然と笑いがこぼれたが、目の前はかすんでよく見えない。
頬を伝う感覚で、自分が泣いていることを知った。
「ははは・・・ばかみたいだな、僕」
「もう、いなかったんじゃないか」
「なのに、探し回って」
「なに、やってるんだ・・・僕は」
彼が、「捧げられた」日の、夜。
村は魔物の群れの襲撃を受け、滅んだ。
命からがら逃げ出し、すぐに崖の下へと向かったが、彼を見つけることはできなかった。
きっと、死体を魔物が食べてしまったのだろう。
転がっていた笛は、彼が生きている証なのだと信じた自分は、本当に子供だった。
『お前、喋れないんだから、危ないときはそれを吹けよな!』
『そしたらさあ、おれ、すぐ行くし。役に立たんかもだけど』
『あ、ちゅーか援軍連れてこればいいんじゃんね!?おれ天才かよ、楽士の才能だけじゃないなんてやばすぎかよぉ・・・!』
『だから、おれも持っとくよ。おれが吹いたらお前が援軍連れてきてくれよな』
笑顔の彼が、笛を手渡した。
「お揃いだな」と、彼は言っていた。
どんどん溢れてくる彼の思い出に、涙が止まってくれない。
しばらくそのまま、笑いながら泣き続けた。