今日も、三日月は街を照らしている。
ここ最近、奇妙な噂が増えている。
三日月の夜、どこからかの問いかけが聞こえたら、朝には死体になっている・・・なんて。
おかしな話だなあ、と思いながら、仕方なく夜の街を歩いている。
その噂の調査が、今回の仕事だった。
・・・この仕事が舞い込んできたときには、ものすごい勢いで依頼書をぶんどってしまった。
申し訳ないと思いながら、それでも譲るわけにはいかない。
きっと、この依頼は、カティを・・・「私」を呼んでいる。
頭上に輝く三日月が、ふと、陰った気がした。
空気が冷たい。もう少し厚着するべきだったかな、という後悔は、まあ、後でいいだろう。
引きずった大砲を握って、振り返る。
―――そこにいたのは、男だ。
「お前は、正義を信じるか」
投げかけられた問いは、きっと答えを求めていない。
黄色い目がこっちを見た。
「・・・なら、あなたはどうなの?」
すぅ、と、目が細められる。その後、強烈な殺気。
きっと普通の人は、動けなくなるくらいの殺気には、覚えがある。
そしてその後には、必ず攻撃が来る・・・!
「・・・っ!?」
「ねえ、どうなの?」
高い金属音と、金属のこすれる音。
男が振り下ろした剣は、大砲から「抜いた」剣で止められた。
静かに凪ぐ「私」の目と、殺気に揺れる男の目。
黄色い二つが交差して、だからってどうにもならない。
「・・・答えてよ、兄さん」
静かに問えば、男は距離を取った。
久しぶりの剣を、慣らすように振ってみせる。
まあ、鈍ってはいなさそうだ。
「カトリーヌ。俺は正義を信じない」
彼は、静かに言った。
ふと思い出したのは、彼が家出した時のことだ。
「ただの騎士じゃあ、正義の味方はできないのさ!」なんて笑って出て行ったのに、今はどうだろう?
静かな殺気と曇りのない目、ブレることのない剣先。
何があったかなんてわからない。でも、何かがあったんだろう。
兄を見つめて、剣を握る。一人で来てよかった、と、場違いなことを考えた。
「私は、私の正義だけを信じてる」
「そうか」
「真に正しいことがあると思うし、それをしているつもり」
「そうか」
「だから・・・兄さん。私は、あなたを、捕まえる」
「・・・そうか」
不意に、兄の体が沈む。瞬間閃く剣。
でも、その動きは意外なほどに遅く見えた。
きっと、「私」たちが兄妹をしていた時よりも、早いのに。
「ねえ・・・兄さん。前よりも、弱くなったね」
「・・・何?」
兄が、強い力で地面を砕く。
でも、それはカティにすら当たらない。
家で習った騎士の剣と、少し加えられた自己流のアレンジ。
そんなものはとうに見切っていた。
「・・・昔から、お前はそうだったな」
「いつだって、俺の先を行く・・・」
「何故だ。何故、お前は、先に行けるんだ」
「何故、遊んでばかりの、お前ばかりが・・・」
剣を突き付けて、兄が言った。
僅かに震える剣先が、「私」の心を傷つけているような、そんな気分だ。
「・・・だって、兄さんは、誰も見ていないもん」
「何だと?」
「見ているのは本と剣と自分だけ。剣を教えてくれた父さんの技は見ていても、父さんは見ていなかったでしょう」
「騎士の剣は見ていても、騎士の心得は見ていなかったでしょう」
「敵の倒し方は見ていても、敵の動き方は見ていなかったでしょう」
「兄さんは、何も見ていない。だから、私の努力も、経験も、何もかも知らないだけ」
そもそも、昔からそうだった。
兄さんは力だけを求めて、剣を振っていた。
それが「正義の味方」の条件だと、兄さんは知っていたんだろう。
だからまっすぐだったし、その姿勢は私の憧れだった。
・・・でも、危ない人だとも、思っていた。
目的だけを見ているから。目的以外を見ないから。
目的を達成するためなら、時にどんな手段も問わなかった。
自分を犠牲にすることに関しては、特に。
「ねえ、兄さん。噂は、知っているよね」
「・・・」
「兄さんがやったの?それとも、他の何か?」
なんだかおかしいと思ったのは、そこだ。
兄は「正義の味方」を目指していたのに、「正義とは何か」を聞くなんて。
正義を、見失っている?それとも、何か別の・・・?
ゆっくりと、兄が近づいてくる。黄色い目が、月を反射する。
「カトリーヌ」
目の前に立った兄が、「私」を見下ろす。
名前を呼ぶ声があんまりにも優しかったけど、そのせいでカティは気付いた。
「・・・あ」
でも、少しだけ遅かったらしい。
燃えるような痛みが、わき腹にある。
もしやと思って目を落とせば、剣が突き立っていた。
なるほど、それは痛いはずだと思って・・・思い切り、剣を振り上げた。
「馬鹿だな、やっぱ」
にっこりと笑う兄は、剣をあっさりと捨てた。
腹に突き立ったままの剣をどうしようか一瞬悩んで、抜く時間がもったいないのでそのまま斬りかかった。
「誰だ、お前!」
「それを知って、どうするんだ?」
「お前が犯人なら、捕まえるなり、倒す、なり・・・」
剣が、当たらない。
少なくとも大砲を振り回すよりも自信があったけど、それもすべて躱されている。
・・・力量を、見誤った?
「はっ・・・はっ・・・」
息が、上がってきた。
刺さったままの剣が重いから、抜いて投げ捨てた。
痛みが止まらない。血も、そろそろ流しすぎの域に至る。
目がかすんで、頭がくらくらして、剣を握る手も力が入らなくなってきた。
このまま死ぬのかと思うと悔しいので、死ぬ気だけは一切ない。
だからと言って、逃げ切れるかどうかは別の話になる。
・・・どう、しようか。
ぐるぐると考えていると、不意に、赤色が目に入った。
自分の垂れ流した血液ではない赤に、目が離せない。
・・・それは、マフラーだ。
ちょうちょ結びと黒い髪、ゆるいくせ毛の少年。
「って、クレにゃん?何してんの、こんなところで・・・」
『創作活動』
「あ、そ・・・」
「獲物が増えた」
『記憶を読んで探し求める人の姿を写し取る魔物』
『聞いたことがある?』
「ない」
『次からは、二人以上で行くといい』
「獲物が増えた!」
助けは助けだけど、役に立つ気がしない。
クレハはなんの変哲もない詩人だ。
知識方面ではまたとない助っ人だが、生憎今はそういう場合じゃない!
「クレにゃん、下がって」
『その怪我で何をするというんだ』
「クレにゃんは非戦闘員でしょ!」
『カティよりは―――』
「いいからどいてっ!」
クレハを押しのけて敵の前に立つ。
兄の形をした敵は、にやりと笑ってまたも近寄る。
手には、いつの間にか拾われた剣。
・・・やられる前にやるしかない。
そう思って、剣を握りなおして・・・
「クレにゃ・・・!?」
がっしりと腕をつかまれ、そして走り出す。
敵から一目散に逃げるように。
・・・あれ!?
「クレにゃん!?ねえ、なんで逃げてんの!ねえ!?」
喋れない彼は何も言わず、ただ走っている。
たまに、後ろに向かって何かを描いているようだけど、走るのに必死で見る余裕がない。
・・・敵は、追ってきていないようだ。
しばらく走り続けて、ようやく止まった。
へとへとにも程があって座り込む。
クレハは鞄から救急箱を出して、目の前に置いた。
どうやら応急手当てをしておけということらしい。
「ねえ、クレにゃん」
『なぜ逃げたかというと、そもそもあの街は危険だから』
「危険?」
『大地を削るような音がするというのに、住民は何故出てこない』
「・・・確かに?」
『カティの様子が変だと言うから、様子を見に来て正解だった』
『帰ったらちゃんとした治療を受けた方がいい』
「覚えてたら、受けとく」
『必ず行け』
「・・・」
『行け』
「はい・・・」
有無を言わせない迫力があった。
いつもなら、そんなことは言わせないはずなんだけど。
ともかく、一通りの応急処置を済ませて、一息。
血を流しすぎたのか、くらくらとする。
『後は、迎えが来るまで待機』
「え」
『知り合いに声をかけたから』
「いやいや、ちょっと待ってよクレにゃん」
『僕を戦場に送りつける気?』
「そうじゃなくってね?」
『その怪我で戦わせたら、僕の方が殺されると思うから、大人しくしてほしい、切実に』
立ち上がろうとしたら、クレハに止められた。
いつもよりも若干焦った顔なので、つまりそういうことだろう。
・・・確かに、どこかの誰かに「馬鹿なのアンタは!?」とでも言われそうではある。
仕方がないと諦めて、座ったまま壁にもたれかかる。
クレハも辺りを確認した後、壁にもたれて空を見上げた。
三日月は、まだ高い。