「やあ、卒業おめでとう」
校門を抜けて、一歩目。
見慣れたはずの、見慣れない弟。
(当社比で)にこやかな挨拶をするも、静かに佇んでいる。
いつも通りだ。弟はおれと同じく、表情が少ない。
「久々に、話さないか」
「・・・いい、よ」
静かな声で、静かに歩き始める。
おれもうるさい方ではないけど、弟はもっとうるさくない。
もっと言うなら、おれではなくイェエーがうるさい。
・・・なんて、それは少し怒られそうなので、声には出さない。
「きみは、未だにその宝石を使うんだな」
「マザァを、そう、易々と、手放せない・・・」
「・・・と、母が言っている」
「うん」
いつもの口癖を先回りしてやれば、頷くしかできないようだ。
こいつはいつもそうだ。自分で考えない。
自分で考えたことを誰かのせいにする。
単に、母の支配権から脱却できていないだけだろうか。
「後悔、しなかったのにな」
「うん」
「おれは何も手を出していないのに」
「うん」
ぽつりぽつりと言葉を交わしながら、歩いたのは何キロか。
覚えていないが、ふと振り返ったら、もう、学園は見えない。
「おかえり」
「ただいま、おにいちゃん」
「・・・また、母か」
「うん」
代わりに目の前にあったのは、今おれが住んでいる家だ。
以前は家族揃って住んでいたが、今ではそうできない事情がある。
深い森の奥に建つ一軒家は、いつもと変わらずおれを迎え入れた。
「おれの部屋以外は、掃除しかしてないから。好きに使えばいい」
「うん」
「・・・なあ、きみは」
「ぼくは、後悔していないし、どうにかする気だって、本当はないんだ」
突然喋りだした弟は、こちらを見た。
どうにもこうにも表情のない、黒い眼で見つめられる。
自分と同じ、でも、自分よりも少し眠そうで、儚げな容姿の弟。
「ぼくが望んだのは、マザァだけ」
「おれは、要らないってこと」
「・・・マザァがいれば、いい・・・きみにも、わかるでしょう・・・ぼくと同じで、ずっと夢を見ている、きみなら・・・ねえ、にいさん」
壁に背中を押し付けても、弟は止まらない。
静かに静かに、ゆっくりとおれを追い詰めていく。物理的に。
「にいさん。ぼくの世界で、一緒に暮らせばいい」
「嫌」
「マザァがいて、ぼくがいて、不思議な住民がいて、楽しいところだ。ねえ、どうしてずっと白い花のままでいるの」
「・・・」
ユハは、不安定だ。
いつからそうなったのかと言えば、恐らくは、母をああしたときからなんだろう。
ユハの中で何があったかは詳しく知らないし、おれは当事者であるのに当事者じゃない。
現実逃避の軽い嘘、確かめようのない小さな嘘。
身を守るためといえば聞こえはいいが、どちらにせよおれは、悪い現実から逃げているだけに過ぎない。
嘘をつけば、それが真実になるから、知られたくなかっただけで。
でも、もう、それもおしまいだ。
聞かれることもないなら、嘘をつく必要もない。
おれは、「異世界の騎士」などではないのだ。
「おまえは、いつまで、閉じこもっている・・・」
見下ろす眼。黒い眼。白い髪と、緩んだヘアゴム。
ベレー帽の上から頭を押さえて、右手の相棒を探る。
探し物はすぐに見つかった。元より、それ以外の荷物は必要がなかった。
「父も、母も、野党に襲われて死んだだろう。母は息があったが、本で読んだだけのでたらめな魔法で石にしたのはお前だし、そもそもその石は母ではない」
ゆっくりと、ひとつずつ、諭す。
ユハは、聞いているのか、どうなのか。
「石になったのは、おまえの世界の母だけだ」
「それは、ちがう」
「母は死んだ。父も死んだ。墓は祖母が建てた、祖母もその墓に入った」
「ちがう、って」
「現実を見ろ、このすっとこどっこい!」
久々のシャウトと、発動する魔法。
こっそりとした呪文は、相棒にしかわからなかっただろう。
瞬間、足元から伸びたのは蔓だ。ユハを絡めとり、その眼前に白い花を咲かせる。
「!」
「おれとて、無為に過ごしたわけではない」
「離して・・・ほしい」
「おれは、調合は得意だが、花を咲かせるのは苦手だ」
「・・・」
「夢の実現のためには、克服すら簡単なこと。故に、兄として、お前に現実を見せるに至る」
「見たくはない」
「見ろ」
「やだ」
駄々をこねるように、そっぽを向く。
どうせその先に広がるのは、暗いだけの部屋の隅だろうに。
「何もいらないんだ・・・マザァがいればいい、マザァを奪うのか、おまえは」
「マザーオブパールのマザァは、お前がつけた名前だろう。母はマザァではない」
「マザァはマザァだ・・・母だ、かあさん、おふくろ、呼び名はいろいろある」
「・・・」
そっぽを向いて、静かな言い合い。
認めないのなら仕方がないが、手段としていかがなものかとは思っている。
そっと、白い花に手を伸ばす。
「夢を追う過程に、いろんな花が咲いたよ」
「・・・」
「お前には、もう、見えないんだろう。母の姿も、お前の世界も」
「そんな、ことは・・・ない」
「これは、花が咲けば、触れた相手の魔法が、全て解除されるんだ」
「・・・!」
「おれとて、おれが触れれば消える花なんて、目指してはいなかったけど・・・よかったのかも、しれないな」
「・・・」
ベレー帽が落ちて、小さな音を立てた。
それと同時に花も消えた。現状、おれの魔法によって咲かせたものだったから。
座り込むユハと、それを見ているおれ。
たぶん、ユハはようやく夢から醒めた。
「・・・にいさん」
「何」
「どうして?」
「夢は、いつか醒めなければならない。おれも、きみも、誰も彼も」
「・・・そう」
納得はしていないんだろう。
でも、そっと胸元の宝石を撫でたから、大丈夫だと、思う。
「マザァ」
『どうしたの、ユハ』
「・・・マザァ」
『わたしはここにいるわ』
「うん・・・」
うつむいたままで彼女と話す弟。
少し酷なことをしたかもしれないとは思ったが、そうでもなかったようだ。
ふらりと踵を返す。自分の部屋に向かって歩き出して、その前に一言忘れていることがあった。
「ユハ」
「何、にいさん」
「卒業おめでと。おかえり」
「・・・ありがと。ただいま」
―――
『・・・お前は、本当に、何を考えているのかわからん』
「そう。おれはそうは思わないけど」
『そらお前はそうだろうよ、自分のことだし。ああ、でも、俺にもひとつだけわかることはある』
「へえ」
『興味なさそうだな。じゃあいいや、どうでもいいことだ』
「うん。おれもそう思う」
『ユハの坊主は、大丈夫かね』
「さあ。大丈夫じゃなければ、マザァが何とかするでしょ」
『・・・さいですか』
「うん・・・マザァは母ではなくなったのだから、なんとかするだろう」
『ああ、そういうこと・・・なら、大丈夫だぁな。あいつぁすごいヤツだし』
「彼の望むまま、幻覚を見せ続けたのだから。その責任程度は取るだろ」
『だろな。はーあ、お前と喋ってると疲れるわ。ユーリイ、なんかいい感じにケアしろ』
「ん・・・」
【おまけ/蛇足】
『そういやお前、触れただけで魔法無効化する花なんて作ってたか?』
「・・・そんな花があったら、矛盾で大変なことになるだろ」
『ははあ、なるほどねえ』
「うん・・・・まあ、要するに、おれが触れると消える花はできたな」
『説得の言葉はマザァに向けて、か?ユハの坊主を思うなら甘やかしすぎるな、と』
「それでいいんじゃないの。終わったことは振り返らない主義なんだ」
『お前はそういうやつだな、うん。毎回毎回雑なんだよ、お前』
「気のせいだ」
『嘘つけぇ』
「気のせいだ」