【ミクリ視点】少しずつ進んでいく
リビングにいる彼女が、ソファに座って編み物をしていた。
それを知らぬふりして通りすぎるべきか、出来上がってから話しかけるべきか悩んだけれど、リビングで作っている方が悪いということで私は思い切って聞いてみることにした。
「アザレア、何を作っているんだい?」
「マフラーですよ」
やっぱり、そうはやる気持ちを抑えるように、いや、ここは冷静に……と自分に言い聞かせて、から隣に座る。
「それは誰にあげるものなのかな」
私にあてられたものなら嬉しい。
秘密ですよ、とか、出来上がってからのお楽しみですよ、なんて彼女が言わないかと期待してそんなことを聞けば、返答はそれとは違った。
「ああ、これはシトロンくんにあげるものなんです! シトロンくんがこの前話した時に、そういう手編みのものとか貰ったことがないってしょんぼりしていたので。上手く出来るか自信がないので、まだ秘密にしているんです。サプライズであげるつもりなので、喜んでもらえたら良いんですけど」
そう、少し恥ずかしそうに笑う彼女を見て、私はどんな顔をしたら良いのかが分からなくなった。
「はあ……そうなん、だ」
まさか、手編みのものを婚約者以外に渡すとは思っていなくて……。
なんとも微妙な感想しか吐き出せずにいると、私の様子がおかしいと流石に気が付いたらしい。
「ん?? ミクリには不要かと思ったのですが……手編みのものなんて、たくさん貰っていらっしゃいますし」
まさか欲しいのか。
そんな驚きがにじみ出ている声色だったため、私もそこで一度言葉を失ってしまった。
え、欲しがったら悪いのだろうか……いや、今回は別に、私宛じゃなくてもその、何か問題があるわけではないし、彼女がやりたいことをやれば良いとは思うが……。私は彼女から手編みのものなんてもらったことがない。問い詰めたことはないが、おそらくダイゴもないと思う。なのに、他の男が先にもらってしまうかもしれないという状況は少々苦い。
「いやその、君が誰にあげてももちろん良いんだけど。私も欲しいよ」
彼女には、装飾された言葉で好意を伝えてもあまりよく伝わらない。遠回しに言ってしまうより、誤解されないようにしっかりと想いは伝えたほうがいいと学んでいたためそう言えば、彼女は不思議そうに首を傾げた。
――問題なのは、そこに彼女の悪意が一切ないことである。
私はどちらかといえば冷静に振る舞える人間でよかった、と思いながら、彼女の過去を少し思い出して胸が苦しくなった。
きっとこれは直接言わないと分からないのだろうな、と思い言葉を繋ぐ。
「私はね、君のものが欲しいんだよ。確かに、ファンの子や周囲の人たちから手編みのものを貰ったことはある。でもね、それとこれとは違う問題なんだ」
「どういうことですか? そこに何も違いはないように思いますが」
これだ。これが、彼女がかけられた呪いだ。
自分の価値を正しく認識できない。自己嫌悪という呪い。自己肯定感が低いという呪い。
貴方は必要がないと周囲に子供の頃からかけられ続けた醜い言葉によって蝕まれてしまった心の問題。
こればかりは根気強く伝えていくしかない。
それが彼女が隠し通してきた苦しみであり、彼女の本質なのだ。
「一番愛おしい人に貰ったという価値がつくだろう。君から貰ったものだから、特別なものになる」
それにね、と彼女に向き合った。
「私はなんでも、君の一番じゃないと気が済まないんだよ。だから、手編みのものも欲しいし……君が誰かに何かをあげるなら、その相手は私が良い。だから私にも作ってくれないか」
そこまで言うと、彼女がやってしまったという顔をした。
彼女の言葉を借りれば「つい本音が――普段は隠している、自分の価値観がぽろっと出てしまった」というところだろう。
そうだ、彼女は普段から自己肯定感が低すぎることをうまく隠しているか、そんな考えは持ち合わせないというようなふりをしている。
でも違う、彼女はほんの少し価値観がズレていて、自分を低く見ているから、たまにどうやっても「自分が必要とされている」という事実を忘れてしまうのだろう。
いや、本質的に「自分が必要とされている」ことを理解出来ていないのだ。
言っていたじゃないか。
――「…………私、まだ貴方を信用出来なくて。きっとこれからも貴方に迷惑をかけてばかりで、貴方に何も返せないんです」
そして、それでも良いと私は思った。
「ミクリ、冬までに二つも出来るか分かりませんが……私、頑張って作ってみますね」
「ありがとう。ねだったみたいで悪いね」
「ねだってましたよ、自覚を持ってください」
彼女もそう、明るくいってごまかそうとしているけれど、本当はどうなのだろう。
やっぱりそこまでは分からなくて、「人と人とは完全には分かり合えない」と思い知らされる。
彼女は二十年、毎日呪いをかけられていたのだから、そう簡単に消せないし、忘れることが出来るわけでもない。
だから少しずつ、進んでいければ良いと思っている。
「ミクリ、アザレアちゃんにそれ、ねだったんだってね」
「そうだよ。……まさかお前も欲しいとか?」
「いやあ、違う……っていうのもアザレアちゃんに失礼だな。そういうことじゃなくて、ミクリ幸せそうだなあって思ったんだよ」
「幸せだよ」
これでもかというほど美しい顔で笑えば、ダイゴが苦笑していた。