風化風葬
やわらかく暖かい風が吹いている。
こんな日には大抵十四松のある遊びがはじまるのだ。一松はいつものように屋根に出た。
「一松兄さん」
はたして既に屋根の上に立ち、一つ下の弟は大好きな兄の名を呼ぶ。
ニコリとひとつ笑うと、その口元を袖で隠した。
「じゃあ、いつもどおり、ぼくを見つけてね」
びゅうっと一際強い風が通り抜ける。と同時に彼の全身がさらさらと風化し砂になっていく。
きらきらと瞬きながら空気に混じり風に溶け、そのまま遠くへ飛ばされながら消えていった。
「……あーあ、面倒くさい」
肩を竦め愚痴を零しながら一松は眩しい空を見つめる。
背中を丸めて階段を下りると、いつものサンダルを履いて外に出た。
最初に十四松がこの遊びをはじめた時、もちろん一松は死ぬほど驚いた。
情けないほど狼狽え、涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「十四松、じゅうしまつ、どこ、」
へたり込み一歩も動けず、うわ言のように弟の名前を繰り返している彼の耳元に、そっと誰かが囁いた。
『一松兄さん、こっちこっち!』
それは確かに十四松の声だった。
よろよろと立ちあがり、声に導かれるままに外に出て足を進めて一松は路地裏に出る。
なじみの野良猫たちがにゃーお、と挨拶する。
と、生ごみ用のポリバケツの影にモヤがかかっているのに気づいて彼はそちらへとそっと手を伸ばした。
――そのとたん、
『だいせいかーい!』
やたら明るい声が脳内に響くと、モヤは影から離れて一松の周りにふわりと浮かぶ。
形容しがたい、あえていうなら鳥の羽根のような、そんな塊が彼の肩にちょこんと収まった。
「……十四松、なの?」
『そうですぜ、兄さん!見つけるの早いね~、凄いっ』
何でもないふうにどうやら十四松らしい脳内の声は言う。
残りあと3カ所だよ!と、楽しげに新たなヒントすら与えてくる。
ヒントを頼りにしつつ、戸惑いながらも、なんとか一松は全ての十四松のパーツをそろえることが出来たのだった。
最初こそ驚いたが、何度か繰り返されるうちにこれは単なるかくれんぼなのだろうと一松は思うようになった。
慣れというのは恐ろしいものだ、どう考えたって異常なのに。
(……今日は、どのあたりから探すかな)
隠れている場所もパーツの数も、気まぐれなのかその時毎に違っている。
幸い十四松が『隠れている』場所は彼ら6つ子の生活圏内に限られていた。
かかった時間の差はあれど、一松が全てのパーツを見つけられなかったことは一度もない。
――そう、今のところは。
(あ……見つけた)
最初のパーツを発見し、一松はまずはと胸を撫で下ろす。
飛ばされた洗濯もののように、雑居ビルの欄干に引っかかっていたそれをひょいと摘まみあげた。
モヤはモコモコと固まると、そのまま蹲るようにして一松の肩に乗ってくる。
人気のない階段を下りて外に出ると、ちょうどタイミングよく見慣れた顔が通りかかった。
「あれ、一松兄さん。こんなところであうなんて珍しいね」
末の弟のトド松である。上から下までまとまったオシャレな服装で、どうも友だちと遊んだ帰りらしかった。
「兄さんひとりなの?」
「ああ」
「街中まで出るときはせめてサンダルは止めてよ、同じ顔だし友だちに見られたら恥ずかしいんだよね」
「……そりゃ、悪かったな」
肩に乗る『十四松』をちらちら見ながら億劫そうに一松は答える。
生意気な口調だがいつものことだし慣れっこなのだ。
「十四松を探してるところだから、見つけたらすぐ帰るよ」
正直に話すと、ならいいけどさ、とトド松はジト目でこちらを見る。
彼が睨みつけているのは一松の顔だけで、肩の異物には気も留めない。……見えていないのだ、全くもって。
「ボクはショッピングしてから帰るから。またあとでね」
軽く手を振ってから、トド松は雑踏の中に消えていく。
末弟の指摘したとおり一松の恰好はラフすぎて悪目立ちする。
が、それでも彼をジロジロと観察するヒマな通行人は誰もいない。
つまりはトド松だけでなく、一松以外の誰にも自分の肩に纏わりつく異様なかたまりは見えていないのだろう。
(……十四松を見つけられるのは、この世でおれだけ、か)
何とか全てのパーツを見つけると、一際大きくなった十四松の塊はぬるりと彼の肩から降りる。
一松はひと仕事終えたと言わんばかりに懐から煙草を取り出して火をつけた。
ふぅっと煙を吐き出しつつ、「かくれんぼのおわり」を見届ける。
羽根のかたまりがまた形と色を変える。砂、煙、肉片?黄色、紫、それとも血のいろ?
判別できぬまま様々に変わり、移ろい、自分の知る弟のかたちへと再び形成されていく。
世界と十四松の分離。
一松はこの現象をそう呼び、仕上げとして『それ』に名前を与えてやるのも、また自分の仕事だった。
「おいで、十四松」
「あいあーい!今日も、兄さんの勝ちだねっ」
一本だけ伸びたアホ毛。開かれっぱなしの口元。
長く伸びた袖をぶんぶんと振り回して、十四松は一松の胸に飛び込んだ。
「……いつも思うんだけどさ」
「あい?なんすかなんすか??」
「お前を全部見つけられなかったらおれの負けっていうけど、元の形に戻れなかったら困るのはお前じゃないの」
それとも、いざとなったらどれだけ離れていても、細かく分かれていても、
自らの力で集まりひとつに戻れるのだろうか。
「それは無理だね!」
一松がそうたずねると事もなげに十四松は首を横に振る。
「欠片を全部集めて世界から引きはがしてもらわないと、『ジューシマツ』はそのままなくなっちゃうと思う」
(ああ、聞かなきゃよかった。荷が重い)
携帯用灰皿で短くなった煙草を潰し、一松は口内に残っていた最後の煙を名残惜しそうに細く吹きだした。
どちらかが言い出したわけでもなく、ふたりは家路につく。
少し赤みを帯びた空を眺めながら、一松はまたたずねた。
「おれがもしお前を探してる最中に事故で死んだらどうするの」
「んー、別に構わないよ。だって」
十四松は妙に軽やかなステップを踏んで数歩前に出る。
そのままクルリと身をひるがえし一松のほうへ向きなおった。
「兄さんがいない世界で、ヒトの形をしてても仕方ないし!」
「……お前って、ほんと狡いね」
ヒヒッと小さく口元を歪めて笑い、一松は目を細めた。
(人間の十四松がいなくなって困るのは、おれの方か)
だから、弟が定めたこの『かくれんぼ』の勝敗はやはり正しいのだろうと、一松はそう悟った。
十四松はどこまでいっても十四松。
どんな形をしていても、どこにいても、思考する力すら持たなくなったとしても。
ただ十四松としてそこに在る。
(それは分かっているんだ。けれど)
なんの力もない、ヒトの形から離れられない自分が望んで関われるのは、人間である十四松だけなのだった。
静かな夜中。長いせんべい布団を共有し、いつものように六つ子の兄弟は行儀よく並んで眠っている。
…ひとりを除いて。
一松は薄く目を開いている。何となく胸がざわついて眠れないのだ。
しかし起き上がって何かするのも億劫であり、それにもし騒げばまたチョロ松あたりにどやされるだろう。
天井の薄い染みを見つめながら、なんとなく昼間のことを思い出した。
自分はスイッチで十四松は世界中に張り巡らされた回路なのだろうなと彼は思う。
実行する合図をするだけの装置で元来はなんの力も持たない、それがきっと一松というモノの存在価値。
(もし十四松という回路が壊れても、おれには何もできない)
どうして動かないのと戸惑い、壊れたスイッチを何度も入れては弟の名を呼び続けることしかできないだろう。
おれが「かくれんぼ」に負けたなら。世界に散らばった十四松を全て見つけられなかったら。
そのときのことを一松は考える。
見えなくても、触れられなくても、世界のどこかに十四松は存在している。だから平気なんだ。
そんなふうに考えられるほど、自分は強くはない。詰まらない、愚かで我儘な、普通の人間だから。
兄さんがいない世界で、ヒトの形をしてても仕方ないし。
(……おれも同じだよ、十四松)
昼間聞いた弟の言葉を思い出し、声なくひとりごちる。
ただ弟と違って、一松は自ら望んで世界に散らばることは出来ない。
それが出来るときがくるのは、ただ一度だけ。
亡骸を、灰となった骨を、粉々にして空に飛ばして。
(クソ松には頼りたくないし、チョロ松兄さんやトド松だと断られるだろうし)
(……頼むなら、やっぱりおそ松兄さんかな)
あのひとならきっと、おれの気持ちを分かってくれるような気がする。
特に明確な理由はないけれど、そう一松は思った。
朽ちて傷んだ身体は年月を経て風化する。
晴れた日の風に乗り、舞い散り、世界に還る。
一松兄さん。
ふと見れば砕けて見失ったはずの弟が自分を包んでいる。
なんだ、お前。おれがいないと元に戻れないんじゃなかったの。
そう尋ねると、うんそうだよと事もなげに弟は言う。
兄さんが世界に混じったから。
兄さんに導かれて、ぼくも集まることが出来たんだよ。
だって、ぼくと兄さんは、もともとひとつだったから。
ひとつだったものがふたつに別れて生まれて、同じ世界に還ったらまたひとつになるのは当然じゃない。
弟は笑う。
ぼくがバラバラになっても兄さんさえいれば、また元の形に戻れるよ。いつだって。
かくれんぼのとき、そういったでしょ?
でも、おれも死んでバラバラになったのに?
またたずねると、弟は不思議そうに小首を傾げた。
身体が無くなろうが、兄さんはひとりだけだよ。
だって、兄さんはイチでしょう。
それじゃあ、お前は十四になるの?
弟は首を振る。ううん、もっとだよ。
ぼくは、望む数だけのぼくにいくらでもなれるから。
もうないはずの自分の頬に弟の手のひらがふれる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、もう、数えきれぬほどたくさんの。
たったひとりの兄さんにたくさんのぼくがくっついて、ひとつの個体を形成するの。
それは、当たり前のこと。
――もう一度言うよ?
ぼくと兄さんは、もともとひとつだったんだ。
一松は瞼に当たる朝日を感じて目を覚ます。
むくりと身をおこすと、他の兄弟はすでにみんな起床しているのか、長い布団にはもう自分ひとりしかいなかった。
(……なんか、妙な夢を見た気がする)
思い出そうとするが内容をさっぱり覚えていない。
まあいいか、とあっさり諦めると一松はいつものように与えられた色のパーカーを引っ張り出して服を着替えた。
階下でひとり朝食をとっていたおそ松におれ食欲ないからと断り、そのまま家の外に出る。
ううんと珍しく猫のように大きな伸びをした。
「一松にいさーん!」
屋根の上から自分を呼ぶひとつ下の弟の声がする。
振りかぶれば、伸びきった袖を振り、笑顔でこちらに合図を送る弟の姿が見えた。
「こっち上がってきて!遊ぼうよ」
「……分かった。今いくから」
――ああ。
またいつもと同じように、やわらかな風が吹いている。