【とな怪】一線【ヤマ雫】目の前には、越えてはならない一筋のライン。
その先には、一体何があるのだろうか。
一線
「……ない。」
帰宅してポケットを確認したオレは、その事実に焦りを隠せないでいた。
携帯が……ない。
今日は3バカが家まで送って……いや、家まで勝手についてきて、携帯を見る必要がなかったから気付かなかった。
(一体何処に……。)
たしか講習の後に水谷さんとカフェに寄って……その後3バカが乗り込んできて……で、うんざりしながら携帯を見ようと取り出して……
『抜き打ち携帯チェ~ック!』
……思い出した、マーボだ。
アイツがいきなり携帯をぶんどってってそのまま返ってきてない。
あの時は珍しくハルがいなくて水谷さんと長く話せて……まぁ、相変わらず勉強の話だったが気分良かったからすっかり忘れてたぜ。
とりあえずマーボに電話だ。
そう思い、オレは家電の前まで来たのだが……
「……。」
電話番号がわからねぇ……!!
そりゃ携帯の電話帳に頼ってたら当然か……。
クソッ、どうする? カフェまで行くか?
いや、携帯のナビに頼れないこの状況でそれは無謀か……。
しかし明日までは待ってられない。
(どうする……どうすれば……!!)
頭を抱えたその時、客人の訪れを報せるチャイムが鳴った。
こんな時に誰だよ!
「はい、どちら様ですか?」
苛立ちを隠せないままインターホンの画面を確認する。
瞬間、オレは自分の目を疑った。
『あの、こちらは山口 賢二くんのお宅でしょうか?』
「水谷さん!?」
画面に映し出されたのは、綺麗に分かれた二つ結びの女。
紛れもなく水谷さん……でも、何故ここに?
『その声はヤマケンくん?』
「あ、あぁ、そう! ちょっと待ってて、今開けるから!」
インターホンを切ると、俺は玄関へ向かった。
「お邪魔します。」
「今オレ以外いないから畏まんなくていいよ。」
「そう。」
「で、何か用? っていうか、オレの家何で知ってんの?」
上から目線で平静を装っているが、オレは内心かなりバクバクしていた。
「あなたに渡したいものがあって。」
「渡したいもの……?」
何だ? ま、まさかラブレター……!?
なんて、古風……というか古くさい思考の彼女なら有り得なくはないが、それ以前の問題だしな……。
しかし、そう理解していてもほんの少し期待してしまう自分がいる。
「これなんだけど。」
無駄に高鳴る心臓を押さえつけながら、彼女の差し出したものに目をやった。
「それは……!!」
彼女の手の中には、行方知れずのオレの携帯が……!!
「な、何で水谷さんがオレの携帯!?」
「カフェに置き去りになっていたから。」
やっぱあのカフェか……マーボのやつ……。
「ヤマケンくんのだとは思ったんだけど、明日は講習ないしどうしようかと思っていたらマーボくんたちが血相変えて飛んできて……。」
「人の携帯置き去りにしたのに気付いて戻ったか……。でもそれなら何でアンタが?」
戻ったなら直接渡しに来ればいいものを。
「『俺たちが行くよりアンタが行った方が丸く治まる』とか何とか言われて押し付けられた。」
「なるほどね、それでアイツらに家の場所を……。」
アイツらにしてはまともな選択だ。
まぁ、絶対に許さねぇけど……水谷さんを寄越したことだけは誉めてやる。
「じゃあ、用は済んだから私はこれで。」
「ちょ、ちょっと待て!」
携帯が返ってきたことに安堵して逃しそうになったが、これはチャンスだ!
そう思い、オレは咄嗟に帰ろうとする水谷さんを呼び止めた。
「何?」
「とりあえず上がれよ、礼がしたい。」
「いや、いいよ。大したことじゃないし。」
そう言って断ろうとする水谷さんにオレはこう食い下がった。
「アイツらに押し付けられてムカつかなかったの?」
「まぁ、釈然としないとは思うけど、あなたが困ると思ったから。」
「あぁ、困るね。困ってたよ。だからアンタが来てくれて助かった。その礼がしたい。ついでにマーボたちの無礼も詫びてやる。……どう?」
捲し立てると、水谷さんはやれやれといった表情で答えた。
「そこまで言われたら流石に断れない。」
「そう。じゃあ中へどうぞ。」
心の中でガッツポーズをしながら、オレは家の中へと案内した。
「どうぞ。」
部屋の扉を開けて、彼女に入るよう促す。
「ヤマケンくんの部屋?」
「いや、客間。」
オレの部屋に案内するべきか悩んだが、来客用の客間を選んだ。
「もう1つ部屋があるの?」
客間の中にある扉が気になったのか、そちらを見ながら彼女が言った。
「あー、そっちは泊まれるようにベッドルームになってる。」
「へぇ……。」
水谷さんに他意はないんだろうけど、オレにはその質問が意味深に聞こえた。
「コーヒーと紅茶、どっち?」
「じゃあ……紅茶で。」
「わかった。淹れてくるから座って待ってて。」
そう言ってオレは部屋を出た。
キッチンで仕度をしながら、オレはとにかく自分を落ち着かせようと必死だった。
女連れ込んだことなんか何度もあるはずなのに何だこの落ち着かない感じは……!!
……とにかく冷静になれ、オレ。
今回はまさにホーム! しかも邪魔者のハルはいない!!
このチャンスを逃したらオレは一生後悔することになる……!!
「……よし。」
オレは気合いを入れて準備した飲み物を持って客間へと向かった。
「お待たせ、水谷さ……ん?」
扉を開けると、そこにいるはずの彼女の姿がない。
(何処行った?)
とりあえず飲み物を乗せた盆をテーブルに置き、辺りを見渡す。
と、水谷さんが気にしていたベッドルームの扉が微かに開いていることに気付いた。
(まさか……!?)
オレはそっと扉に近付き、隙間から中を覗き混んだ。
すると……
ボフンボフン!
水谷さんはちょっと嬉しそうな顔をしながらベッドに座って跳ねていた。
クッソ! 何だあの可愛い生き物は!!
……ってちげーだろ! 何やってんだあの人は!!
オレはもう少し見ていたい衝動を抑えながら、彼女に声をかけた。
「お楽しみ中のとこ悪いんだけどさ……」
「!?」
すると、彼女は顔を真っ赤にしてあたふたとし始めた。
「何してんの?」
「ち、違うの! これはそ、その……つ、つい出来心で……!!」
まぁ、何となく察しはつくのだが……。
「水谷さんちは布団?」
「え、えぇ。スキーの時にマーボくんの別荘で初めてベッドを使って……」
「気に入った?」
「そう。だからもう1度あの心地よさを味わいたくて……。」
水谷さんはばつが悪そうにゴニョゴニョと口ごもった。
可愛いじゃねーかと思いながら、オレは自然にこう言っていた。
「なら、寝てみる?」
「え?」
自分でも何言ってるんだと思ったが、もう後には退けない。
「そのベッド使って寝てもいいよ。」
「い、いいよ! 人の家に来て寝るなんて失礼だし……それに持って来てもらった紅茶が。」
紅茶のことを気にする水谷さんに、オレはこう返した。
「オレはお礼がしたいんだよ水谷さん。だから、アンタが望むならそれでいい。」
すると、彼女は申し訳なさそうにしながらも少し期待を滲ませた表情で言った。
「本当に、いいの?」
「あぁ、いいよ。」
そう返すと、水谷さんは嬉しそうな顔をした。
「じゃ、じゃあ5分! 5分したらちゃんと起きるから!!」
「わかった。じゃあ5分後に。」
そう言ってベッドルームから出た。
瞬間、オレは膝から崩れ落ちた。
(何やってんだオレは……!!)
家に連れ込むのに成功した上に女の方から進んでベッドルームに向かったんだぞ!?
普通なら押し倒すところを普通に寝かせるってアホか!
まぁ、相手が今までの女とは違うってのはあるが……オレはここまでヘタレだったか?
「クソッ……。」
しかし、こうなってしまったのだから仕方がない。
オレは思考を切り替えて、水谷さんが起きてからどうするかを考えながら時が過ぎるのを待った。
5分後。
そろそろ約束の時間なのだが、水谷さんが出てくる気配はない。
少しぐらい別になんてことは……と思ったが、甘かった。
それから10分、20分経っても彼女は出てこなかった。
そしてついに30分が経過。
(流石に起こさないと不味いか……。)
オレ的には泊まりでも構わないが……。
どのみちこのままだと水谷さんの家に電話しないとだよなぁ。
正直、彼女の父親はなんかめんどくさいので出来れば避けたい。
弟も敵意むき出しだし……。
あー、安易に寝かせるんじゃなかった。
水谷さんキッチリしてるからちゃんと起きると思ったんだけどな。
オレは後悔しながら、彼女を起こすためにベッドルームへと向かった。
「水谷さん、入るよ。」
ノックして一声かけてから扉を開けて中に入る。
近付いてみると、水谷さんは寝返り1つ打っていないようで、真っ直ぐ綺麗に眠っていた。
そのあまりの乱れのなさにまさかそんなことは……と思いながらも、一応息をしているか確認してみる。
顔を近付けると規則正しい寝息が聞こえてホッとした。
しかし、それと同時に少しの苛立ちを覚えた。
(よくこんなぐっすり寝れるな……。)
オレの部屋ではないけれど、オレの家の中ではある。
付き合ってもいない男の家だぞ? 普通こんな熟睡できるか?
信頼されている……と言えば聞こえは良いが、ようは男として見られていない。 アウトオブ眼中ってわけだ。
水谷さんにとってオレは男ではなく、勉強の話ができる相手に過ぎない。
異性かどうかなんて蚊帳の外だ。
わかってる……そんなこと始めからわかってた。
だけど、それでも……そんな彼女の言動に振り回されている自分が滑稽で腹立たしい。
「起きろよ、水谷さん。」
彼女の髪をすくい、そっと囁く。
しかし、それでも彼女が起きる気配はない。
オレはベッドの少し空いたスペースに膝をつき、彼女に覆い被さるように両手をついた。
「水谷さん……」
「アンタはオレを信頼し過ぎだ。」
アンタの横で、オレはいつも思ってる。
あーしたいこーしたい、あーしてやりたいこーしてやりたい。
今だって、無防備なアンタの唇も何もかも奪ってメチャクチャにしたい。
いっそこのまま何処かに閉じ込めて、綺麗に飾って大事に閉まって……。
金はあるし頭もまぁ良いし、多分1人くらいどうにかできる。
だからオレに全部くれよ。
オレは、アンタの全てを1人占めにしたい。
「なぁ、起きろよ……水谷さん。」
気が付くと、オレは自分の部屋のベッドに寝転がっていた。
結局、オレはあれから何をすることもなく水谷さんの眠っているベッドルームから出て、ひたすら本を読んだ。
落ち着いたら水谷さんの家に電話しないと……と考えていたところで彼女がベッドルームから出てきた。
オレが近付いたことも全く気付いていない様子で、彼女は熟睡したことを謝り倒し、律儀に紅茶を飲み干してから帰っていった。
(また何も出来なかった……。)
いつも越えたいと思っているのに、越えられない一線。
その先には何があるのだろうか?
そんなの、解りきってる。
線の先には、多分きっと、何もない。
あるとしたら、それは……
(オレは、水谷さんの泣き顔が見たいのか?)
オレはオレの言動で表情を変える水谷さんが見たい。
でも表情が変われば何でもいいのか?
いや、違う。
オレは、オレのために微笑む水谷さんが見たい。
そうだ、そのはずだ。
そのはずなのに……
手に入らないなら、いっそこの手で……なんて。
(……止めよう。)
オレは思考を停止してベッドに顔を埋めた。
もしオレの部屋に水谷さんを入れていたら、このベッドには彼女の匂いが染み付いていたかもしれない。
(客間にしといて良かった……。)
こうして今日もまた罪悪感の中に沈む。
そしてまた、オレは一線を前にユラユラ揺れる。