結晶の瞳
「旦那様は、いつお戻りになりますか」
彼女の何度目かの台詞に、思わずため息が出そうになる。呼吸をぐっと飲みこんで、「いつだろうね。もう少しじゃないかな」と、いつもと変わらない返事をする。
彼女は不満げな、少し悲し気な表情を浮かべた。
「少し、とは、どのくらいでしょうか」
「さあ。それは分からないけれど、きっとすぐだよ」
彼女はやはり不満げな表情で、しかし、それ以上は何も訊ねてこなかった。
親父が買ってきたお手伝いロボットは、親父によく懐いた。偏屈で頑固者の親父は家族の誰からも好かれていなかったけど、そのロボットだけはよく親父の側にいて、親父もそのロボットにだけはよく話をしていた。
親父はどこに行くにもそのロボットを連れて歩いた。有名な地学者だった親父は、仕事のためによく家を空けていたが、その度にロボットを一緒に連れて行った。
ロボットは、普通のお手伝いロボットとは違った。簡単に言えば「欠陥品」だ。通常のお手伝いロボットに備わっている家事や炊事の知識がない。代わりに主人の命令を聞くという機能は、他のロボットよりも優れていた。
初めてロボットを見た時、親父はどうしてこんなものを買ってきたのかと思った。俺以外の家族もそう思ったらしく、家事の出来ないお手伝いロボットは家族から疎まれていた。もちろん、親父を除いて。親父とロボットがどのように時を過ごしていたのかは分からない。家族は親父に近寄ろうとしなかったし、親父も家族の居る前でロボットと話すことはなかったから。それでも、親父を実の父親のように見るロボットの瞳を見れば、親父がどれだけ彼女を大切にしていたのか分かる。
もしかしたら、親父は家族が欲しくてロボットを買ってきたのかもしれない。彼女のことを本物の娘のように、物を教え、感情を教え、思い出を作り、育ててきた。そう思うと、少し胸が痛い。どうして、それが俺らではダメだったのだろうか。
ある日、いつものようにロボットと仕事に出た親父は、落盤事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。なんとか救出されたロボットは四肢がちぎれてボロボロになっていたが、新しい部品を取り付けて何とか元の状態に戻った。事故の衝撃で、ロボットのデータは少し破損した。彼女は事故当日の記憶がない。最後の最後まで親父と一緒にいたくせに、彼女は何も覚えていない。そして今も、親父の帰りを待ち続けている。
俺はどうして、彼女を生かしてしまったのだろう。事故現場から救出されたボロボロのロボットを、家族は廃棄しようとした。お金をかけて、親父にしか懐いていない欠陥品を直す理由がない。このまま親父と一緒にいなくなっても、誰も困らない。俺もそう思っていた、はずだった。
それなのに、俺は彼女を生かした。ボロボロになってなお、何かを渇望する彼女の瞳から目が離せなかった。彼女はきっと、最後の最後まで親父を見ていた。親父に手を伸ばしていた。親父の愛を受け止めていた。俺達が手にできなかった親父からの愛情を、有り余るほどにもらい続けた。
愛だ。俺は愛を知らない。死してなお想い続けるその感情を、知ってみたい。彼女の瞳が映す世界を、親父が彼女に教えた愛しき世界を、俺も見つめてみたいのだ。