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    マドモアゼルは決める ホリデーが間近に迫って、ナイトレイブンカレッジも浮かれ気分がまん延している。そわそわとした生徒たちを見ていると、彼女もなんだか少し浮かれた気持ちになってしまうのだから不思議なものだ。図書館で歴史書を繰りながら彼女はトレインから出された課題に丁寧に取り組んでいた。
     学生のときの宿題なんて、遊ぶ時間を邪魔する悪い奴だった。レポートはデートのお邪魔虫でしかなかったし、彼女はさぼることはしなくても、それでもいい気はしなかった。宿題がない週末を味わいたいのに、先生たちは意地悪するみたいに彼女たちにあれもこれもと課してくる。そんなふうに考えていた少女時代が確かにあったのに、人間というのはまったく不思議で。大人になった彼女は自ら課題をもらいにトレインの元へ通い詰めるようになっていた。
     基本的には自力で、図書館の書物を読み漁りながら取り組んで。分からないところや気になったところをまとめてトレインへと聞きに行く。そんなやり取りを幾度か繰り返すうちに、彼女もこの世界の魔法というものについて少しばかり詳しくなっていた。もちろん毎日授業を受けているユウには遠く及ばないのだけれど。
     彼女はキリのいいところでぐっと背を伸ばした。あと一時間もしたらオンボロ寮へと戻って仕事の続きをしなければ、なんて思いながら。
    「休憩か、レディ」
     突如かかった声に彼女はびくりと身体を震わせた。隣りを見れば、一席空けたところにクルーウェルが腰掛けていた。彼女が持ってきていた本の一冊をつまらなさそうにページを繰って「これは情報が古い。参考にならないだろうな」と呟いた。
    「クルーウェル先生……いつから?」
    「さあな」
     怒っているのだろうか。それにしては酷く落ち着いた顔で答えたクルーウェルに彼女は言葉に詰まる。どくどくと嫌な緊張を感じながら彼女はクルーウェルを見つめた。
     クルーウェルは見られていることなんてまったく気にしていないような顔で、また別の本を手に取ると「これはレディにはまだ早いと思うがな」と呟く。たしかにその本は、なんだか難しい単語が多くて、よく分からず少し読んだだけでまったく使わなかった一冊だ。
     彼女はなんて答えていいかわからず、口を開きかけては閉じて、また開きかけて、と繰り返す。それに気付いていないクルーウェルではないだろうに、彼は視線を合わせることなく「それで」と切り出した。
    「レディ、これはどういうことか、オレは説明を聞きたいな」
     分厚い本を片手で持ち上げてクルーウェルが言う。ようやく彼女を映した瞳は、静かで、そして驚くほど冷たい温度をしていた。
    「その……ここで暮らしている以上、やっぱり、ここのことを知りたいと、思って」
     気まずさから彼女は視線が手元へいったり、クルーウェルの瞳へいったりしながら答える。今日も今日とてきっちりと締められたネクタイは鮮烈な赤であった。
     クルーウェルは彼女の言葉をじっと聞いていた。静かに、一言も発することなく。その威圧感を本人は知っているはずなのに、それでもクルーウェルは何も言わなかった。だから彼女は誤魔化すように話し続けるしかなかった。
    「く、クルーウェル先生が博物館で色々教えてくださったでしょう?
     そのとき、その、面白くて。それでトレイン先生にお願いしたんです」
     一度口が回りだすと、彼女自身にもどこでどう止めていいのか分からなかった。酷く喉が渇いた気がしながら彼女は言った。
    「この世界で暮らす以上、この世界のことを何も知らないって、それは勿体ないでしょう?だから」
     薄墨の瞳が、そのときチリリと燻ぶった気がした。それに彼女は息を止める。ゆっくりと、クルーウェルがその口を開いた。
    「それは、元の世界を諦めて、この世界を生きるということか、レディ」
     ふるりと彼女の唇が震えたのをクルーウェルは見逃さなかった。内心で「あぁ、やはり」と呟く彼の声には静かな怒りと、憎しみが込められていたことなんて、クルーウェル自身にも分からなかったことであった。
    「どうして……どうしてそうなるんです?」
     必死に感情を抑えようとしているのに、震える唇が、声が、瞳がどうしようもなく溢れさせる。それでもクルーウェルは表情一つ変えずに彼女を見ていた。きっと、我慢の限界だったのかもしれない。彼女も、クルーウェルも。
    「クルーウェル先生、あなた、残酷な人よ」
    「本気で言ってるのか?」
     クルーウェルはつまらなさそうに頬杖をつきながら、彼女の手に己のそれを重ねた。細く、しなやかな指はクルーウェルの手にすっぽりと隠れてしまう。ぴくりと震えて逃げようとする手を、クルーウェルが許すはずもなく。
     強引に彼女の手を取って、その指先に掠めるようなキスをする。やめてください、と堅い声で囁く彼女の声なんてまるで無視して。
    「レディ、貴女だって残酷だ。
     オレを見ようともしないくせに」
     クルーウェルの瞳が彼女を貫く。冷たいのが表面だけだったと彼女が気が付いたのはそのときだった。内側から燃え上がるような熱を感じ取って腰が引ける彼女に、クルーウェルはぐっと手を引いて近寄せる。自分も身を乗り出しながら。
    「貴女はどうしたらオレを見てくれる?」
     息と息が混ざり合う距離で、それでもクルーウェルは彼女の手以外に触れようとはしなかった。だから彼女は拒みきれずに、ただ息を飲んでクルーウェルの瞳を見つめるしかできなくて。それでも心の中に浮かぶあの人の顔が、彼女を許してくれなかった。
    「クルーウェル先生だって、私のこと、きっと見えていないでしょう?」
     その時はじめて、クルーウェルの右の眉がぴくりと跳ねる。不快だ、とでも言いたげな様子で。
    「異世界から来てちょっと珍しいから……だから気になるんです。
     きっとクルーウェル先生にはもっと素敵な方が」
    「レディ、それ以上は聞きたくないな」
     彼女の手を掴む力がほんの少し強くなる。クルーウェルは静かな怒りと、それから大きな悲しみを湛えていた。罪悪感が彼女を蝕んでいくことすら、クルーウェルの策略なのではないかと、彼女は現実逃避のようなことを考えた。
    「どれほどオレが言葉を尽くしても受け取ってくれないなら、いっそこのまま唇を奪ってしまおうか」
     ほんのわずか。少しでも身じろぎすれば触れてしまうような距離までクルーウェルは詰める。それに彼女はぎゅっと目をつむったが、クルーウェルは何もしなかった。何もしない代わりに、彼女の耳元へ唇を寄せて囁いた。
    「オレがどれだけ貴女に焦がれているか、貴女は知るべきだと思わないか?」
     熱い吐息が彼女の耳をくすぐる。恥ずかしさと罪悪感で何も考えられなくなっていく頭を、クルーウェルの低く、甘い声が静かに侵していった。
    「レディ……オレに最後のチャンスをくれ」
     ゆっくりとクルーウェルは彼女から距離を取る。その目は「これで諦めるから」と切に願っていた。その願いを無下にできる人間がどこにいるのだろうか。彼女はこみ上げてくる感情を必死で飲み込む。
    「一日、一日だけでいいんだ。オレを男として見てくれ。
     そうしたらきっとオレは諦めるから」
     彼女の手を丁寧に両手で包んで、クルーウェルは軽く額をつけた。懇願するようなそれに、どうして否と言えるだろうか。
    「君の一日を、哀れな男に与えてやってくれないか?」
     彼女は震える声で「はい」と呟くように返事をする。一日だけなら、と。掠れていて、聞き取りにくいはずのその声に、クルーウェルはゆっくりと顔を上げると微笑んで。だけどどうしようもない哀しさを隠そうともしないで。
    「約束だ、レディ」
     男の人の泣きそうな顔って、どうしてこんなに心を打つのだろうか。彼女はまるで、映画でも見ている気持ちでそんなことを思ってしまった。

     姿見の前で何度も何度も彼女は身だしなみを整えた。その度にやっぱりこっちのワンピースがよかったかな、それともいつもみたいなパンツスタイルがいいかな、なんて思って服を当てて。それからハッとした顔で頭を振って、何を浮かれているんだろう、と溜息をつく。
     そんなことをずっと繰り返しているのに、心臓の微かに跳ねる鼓動は一向に静まってくれない。とくとく、とくとくと、くすぐったいほどに主張している。ドアがノックされるから、どうぞと言えばユウがひょっこりと顔を出した。それから少し眩しそうな顔で「おはようございます」と笑う。
    「おはよう、起こしちゃった?」
    「ふふふ、いいえ?」
     含み笑いをしながら、それでもユウは首を横に振る。にこにこと嬉しそうな顔に、彼女はばつが悪くなって「なぁに」と拗ねたように呟いた。
    「寮母さん、綺麗だなぁって」
    「……からかわないで」
     つん、とそっぽ向く彼女に、ユウはふにゃりと笑った。時々彼女はひどく子供のような言動をする。そこがユウにはどうにも憎めなくて、素敵なところのように思えていた。
    「もう時間ですか?」
     ユウの質問に彼女は少しだけ躊躇って、それから「まだ……一時間くらいは時間があるの」と囁く。早くから支度を済ませているのは、きっとそういうことなのだろう。ユウは呆れたような、でもちょっと嬉しいような気持ちで「楽しみですね」と言った。
     彼女が小さく頷くのを見ながら、じゃあ私とお話しでもしながら待ちましょう、とユウが提案する。きっと一時間なんてあっという間だ。そうすれば、彼女と約束していたクルーウェルが迎えにくるだろう。
    「そう、ね……ソファがないから、ベッドでもいい?」
    「もちろん!」
     彼女とユウは朝日を浴びるベッドに並んで腰かける。授業のこと、魔法のこと、先生のこと、友達のこと、サムのこと。あっちこっちへ飛んでいく話題は、まさに女の子らしい会話だった。あはは、と彼女が笑うのを見ながら、ユウは少しだけ声を潜める。
    「あの……私、気になる子、がいて」
     ユウの言葉に彼女はゆっくりと目を見開いて。それから出てきたのは「まぁ」という声だった。面白がるような、嬉しがるような、からかうような。いろんな感情が混ざった「まぁ」にユウは小さく俯いた。
    「私の知っている子?」
    「……それはナイショですけど」
    「じゃあ知っている子ね」
     彼女は意地悪な大人だから、ユウの言葉に分かっているわ、とでも言いたげな顔で微笑んだ。エースか、デュースか、ジャックか。きっとその三人の誰かだろうな、なんて思いながら。
     多感な少女が、かっこよくて優しくて、自分を持っている男の子たちに囲まれて恋に落ちないなんて、そんなのは嘘だ。彼女は大人の傲慢さで納得しながらユウの頭を優しく撫でる。それにユウは居心地悪そうにしてから、だから、と小さく呟いた。
    「寮母さんが苦しそうにするの、ちょっとだけ分かった気持ちです」
     ユウの気まずそうな顔に、彼女は言葉を無くして見つめていた。なんでもないような顔をしていたつもりだったのに、どうしてこんなに暴かれていくのだろう、と思いながら。
     だけど残念なことに、ユウは少し思い違いをしている、とも思った。彼女が苦しいのはそれだけではない。元の世界に帰るかもしれない不安だけが、彼女を苦しめている訳では無いのだ。
    「……私ね、お嫁さんになりたかったのよ」
     彼女は小さく呟いた。夢見るような、でもどこか諦めの混じったような声音で。
    「白い綺麗なお家で猫か犬を飼って、旦那様を想いながら家事をして、今日は早く帰ってきてくれるかしら、なんて考えて。
     旦那様が朝出ていくときにはいってらっしゃいの、帰って来たときにはおかえりなさいのキスをして出迎える」
     歌うように語る彼女は「そういう、お嫁さんになりたかったのよ」と小さく囁いた。過去形のそれは彼女の痛みを表すようで、ユウはなんて言っていいのか分からなくて。そんな顔をしないで、と笑う彼女の心の内を知れたら、と思ってしまう。
    「でも、彼には仕事を続けたらって言われて――」
    「お客さんだよ~!」
     ゴーストの陽気な声がオンボロ寮に響き渡る。クルーウェルだろう。彼女は少しだけ晴れた顔で立ち上がった。
    「せっかくだから楽しんでくるわ。
     ……最後になるでしょうし」
     彼女の中で、何かが決まったのだろうな。ユウはそんなことを思いながらその背中を見送った。
     まず最初に差し出されたそれに、彼女はビックリしてしまった。まるで映画みたい、と囁いた彼女にクルーウェルは口元を綻ばせる。
    「貴女の美しさを引き立てる飾りにもならないが、貴女の心を癒す手助けくらいにはなるだろ?」
     差し出されたのは小さな花束。真っ赤な薔薇をメインにして、カスミソウが淡く縁取るそれに彼女は心がときめいた。壊れ物でも扱うような手つきでクルーウェルから花束を受け取ると、彼女は少しだけ待っていてください、と囁いた。
     それからすぐに談話室へと入って、勉強を始めようとしていたユウに「ごめんなさい、私の代わりにお願いしてもいい?」と慎重に手渡した。
    「……マジなやつじゃないですか」
     ぽそっと呟いたユウの言葉なんて聞こえないふりで、彼女はまたクルーウェルの元へと戻る。そうすると今度は、いつもと違った装いのクルーウェルにときめいてしまう。白一色のコートはいつもの毛皮のコートより少し薄手で、黒いニットセーターを中に着ている。ネクタイは上品なワインレッド。白地に黒のぶちがある、ダルメシアンみたいなシャツが可愛らしく覗いていた。
     クルーウェルは彼女が戻ってくるとそっと跪いて手を差し出す。貴女に直に触れることを許してくれるか、と言いながら。まるで王子様のようなその仕草にときめかない女の子って、この世にいるんだろうか。夢見心地の気分で彼女はその手に自分の手を重ねた。今日は手袋をしていないんですね、と囁きながら。
    「浮かれていて忘れてしまったんだ。
     笑ってくれるか?」
    「……ほんとお上手ですね、クルーウェル先生って」
     呆れたような彼女にクルーウェルは笑った。本当のことだ、なんて嘯いて。意外に冷たくて、骨ばったすらりと長い指先で彼女の手を掬う。優しく、慈しむように唇を寄せる彼は、普段の教師の顔なんてどこかへ脱ぎ去った、ただ一人の男だった。
    「レディ、今日だけはオレをデイヴィスと呼んでくれないか?」
     熱の籠った眼差しで見上げられて彼女は困ってしまう。きっとこれを許してしまえば、クルーウェルは「今日だけ」を免罪符にいろんなことを強請るだろう。彼女の嫌がることはしないだろうが、それでも躊躇ってしまう。
     レディ、と急かすようにクルーウェルが彼女を呼んだ。
    「……そんな、すぐには呼び方なんて変えられないです」
     じっと見つめてくるクルーウェルの瞳が見てられなくて彼女はそっと視線を逸らす。だってまるで、子犬みたいに見上げてくるのだ。居た堪れない気持ちを抱えて彼女は小さく「いきましょう……デイヴィス、さん」と呟く。
     クルーウェルの嬉しそうな顔と言ったら。実はこっそりと覗いていたユウはいけないものでも見てしまった気持ちで、口元を手で覆い隠した。それから声にならない声で悲鳴を上げてしゃがみこむ。なんて罪作りな男の人なんだろう、デイヴィス・クルーウェルという人は。
     周りの男の子たちを思い出して、彼らがいかに健全かをユウは改めて思い知らされた。ちょっと下世話なことでゲラゲラ笑えるのって、実は健全だったのだ。本当にイケナイ人って、笑顔だけで女の子も女の人も腰砕きにする人なんだ、とユウはその時初めて知った。
     あれでクルーウェル先生を袖にし続けるのだから、寮母さんって悪い女ってやつなんだ、と思いながら、ユウは二人が仲良く出かけていくのをバレないように見つめていた。もっとも、クルーウェルがこっそりと振り返って口の動きだけで「Bad Girl」と言っていたから、隠れている意味はあんまりなかったのかもしれないけれど。

     クルーウェルは彼女の予想通り、スマートで、そして手慣れていた。最初に連れて行ってくれたのは、落ち着いた、静かな美術館。休日だと言うのに人が少ないのは、近くにもっと大きな美術館があるからだとクルーウェルは言った。
    「ゆっくり見ることができるほうがいいだろう?」
     クルーウェルの言葉には彼女に対する気遣いに溢れていた。そして、二人の時間を穏やかなものにしたい、という願いにも。
     一つ一つの絵を丁寧に見ながら、時折クルーウェルが作者や絵のこと、描かれている場所のことなんかを説明してくれる。この作者はなんと愛人が五人も居たが、なぜか彼の生きている間に一度も大きなトラブルはなかったんだ、とか。これはドワーフ鉱山にある小屋だな。今は見向きもされないが、その昔は小さくて可愛らしい家具が女性に人気だったらしいとか。
    「これは……」
     彼女がその一枚の絵画を見つけて立ち止まる。海の中の世界であった。未だ記憶に新しいその場所に、彼女はほうっと感嘆の溜息をついた。彼女が見た景色よりもなんて幻想的で、美しくて、そして緻密なんだろうか。
    「また、貴女と行けたらいいんだけどな」
     ぽつりと落とされた言葉に、彼女は曖昧に笑って、今日だけだから、と言い訳しながら「そうですね」と頷いた。

     ランチにはオシャレなパスタのお店に連れて行ってくれた。二人で美術館で見た絵の感想をあぁでもない、こうでもないと話していれば、いつもよりもずっと食事の時間が長かった。クルーウェルがなまじ「そうそうそれで、」なんて話しを膨らませるものだから余計に。
     店を出た彼女を次に連れて行ったのはプラネタリウムだった。次の上映までの十分を二人で展示資料を見ながら過ごせば、あってないような時間で。時折出てくるクルーウェルの知識の深さに彼女はこっそりと舌を巻いた。
     博物館でも、美術館でも、ここでも。クルーウェルの専門教科とはまるで違うのに、彼は楽しそうに彼女へと知識を語る。それも、ひけらかすためじゃなくて、彼女と共有するために。それに彼女が元の世界のことを少しだけ話すと、好奇心に目を細めるのだ。
     上映が間近に迫って、二人で慌ててドーム状のシアタールーム(上演室と書かれていた)へ入る。ターコイズブルーの平たいソファにゆったりと寝転ぶように腰掛けて、クルーウェルが彼女の耳元で囁く。
    「ここの魔法士は一級品だ。きっと楽しめる」
     え、と彼女が隣りを向く頃にはクルーウェルの視線はすでに天井へと向けられていた。彼女の知っているプラネタリウムと言えば、大きな機械で夜空を映し出し、それを耳馴染みのいいアナウンスに聞き惚れながら星を眺めることだ。それがどうして魔法士に繋がるのだろうか。
     疑問を解決する間もなくブザーが鳴った。部屋は徐々に暗くなっていき、心地よい闇が包み込む。しゅぼ、と音がした。ひゅるる、と何かが打ちあがる音。おや、と思った時には、夜空を模した天井に花火が咲いて、彼女まで降りかかる。きゃ、と小さく悲鳴を上げると、顔にかかった火花が軽い音を立てて花びらに変わった。
     くすぐったい感触に、思わずきつく閉じていた瞼を押し上げれば、そこには満点の星空が広がり、木々のざわめきが聞こえ、小川のせせらぎが静かに横たわっていた。
    『ハーイ!ようこそ、魔法で星を学べるプラネタリウムへ。ハハハァ!おやおや、今日はカップルが多いな?オレたちの魔法がロマンティックだからってキスするんじゃないぜ?』
     彼女が感動に「すごい、」と囁いた頃、軽快な声が部屋を満たす。その落差に驚いて目を白黒させていれば、クルーウェルが「魔法の腕はいいが、お調子者なのがたまに傷なんだ」と彼女の耳元で小さく笑った。
    『おいおい。言ったそばからいちゃつくカップル発見!
     離れて離れて!あ、でも離れすぎたら雰囲気ぶち壊しだから、適度にね』
     一体どこからとんできたのか、小さなゴーストのような姿の青いそれが彼女とクルーウェルの間に割って入る。彼女はそれに楽しくなってしまって「ごめんなさい」とクスクス笑った。耳を澄ませば、他のソファからも似たようなやり取りが聞こえてきていた。
    『さーてみんな、お勉強の準備はいい?ちょっと待ってって言われても待たないんだけど。時間が押してるんだよ。ほら、君たちがいちゃつくからさ。あ、そう言えばお名前なに?まぁなんだっていいんだけど。
     えーと、それで?何から学びたい?星の誕生秘話?それとも星座に隠された愛の物語?……うん、こいつは君たちが好きそうな話題だな』
     青くて小さなゴースト(後から聞いたところによるとマスコットキャラクターのジンと言うらしかった)が、あっちこっち、縦横無尽に飛び回りながら話し続ける。それに時に笑いが起こり、時にしんみりと聞き入り。部屋が一体となって彼の話に耳を傾け、そして夜空を模した天井を見つめた。
     星が光り、星座が浮かび上がり。彼女のすぐ目の前をペガサスが駆けていき、それに手を伸ばした子供は掴めないその幻影を不思議そうに見ていた。
    『こうして、お姫様と王子様はめでたしめでたし、愛を誓い合ったってワケ。そんで、二人の愛に感動して神様が作った星座がこちら。どう?綺麗だろう?
     え?これのどこがカボチャの馬車座なのかって?あぁもう、ホントこれだからセンスのないやつって。ほら、こことこことここ。あー、あとこれとそれと、まぁとにかくこの辺の星を結んでみろよ。な?』
     ジンが指差した星がどんどん光で結ばれていく。ただの星が、星座となって、物語を紡ぐ。それはなんて美しく、そして愛に溢れた奇跡なのだろうか。光でできたカボチャの馬車が室内をぐるりと一周回って、それからまた元の場所へと収まった。
     こつ、とクルーウェルと彼女の手が触れ合う。それに二人は顔を見合わせて、静かに、ジンにバレないようにひっそりと微笑みあった。クルーウェルの指が彼女の指に絡まり、彼女はそれを拒まなかった。つまりは、そういうことだ。
    『……バレてないと思ってるカップルたくさんいるけどさ。
     手を繋ぐくらいは許してやってもいいかな、って思ってるだけだからな。覚えといて』
    「とっても感動しました!私の知っているプラネタリウムと全然違って」
     頬に朱を刺して彼女は興奮したように言えば、クルーウェルはそれを愛おしそうに見つめる。夕暮れが差し始める公園で、彼女はあの感動をいつまでも語り続けていた。
     あの後、カフェで少し話しをして、それからいくつか店を回ってみたりして。それでも彼女がずっとあの話をしたいとでも言いたげにウズウズしていたから、クルーウェルは予定を変更して、近くの公園で散歩をしよう、と持ち掛けたのだ。
    「レディに喜んでもらえたのなら良かった」
     優しく微笑むクルーウェルの顔にちょっとだけ気まずさを覚えて、それでも忘れられない感動に背を押されて。彼女は「もう少しだけお話をしませんか」と言った。静かで、落ち着ける場所で、と付け加えるのも忘れずに。
     その言葉に、クルーウェルは少しだけ沈黙で答える。それに彼女は気を悪くさせただろうか、と思ったときだった。
    「……悪い人だな。オレが断ると本気で思っているのか?」
     彼女の髪をすくって、そこにキスをしながらクルーウェルが言う。感覚なんて無いはずなのに、なぜだか彼女はクルーウェルの唇の感触を思い出して羞恥にさいなまれてしまう。それもこれも、何かにつけて彼女の手にキスを落とすクルーウェルのせいであった。
    「レディ、お酒は?」
    「……少しなら」
     彼女の言葉を聞いて「いい店がある」とクルーウェルが笑う。不敵に、意地悪に、そのくせ、何かを諦めているような目で。そんな目をさせているのは自分なのだと思い知らされるたびに彼女は申し訳ない気持ちを抱くことになる。
     クルーウェルに連れられるまま彼女は夜が近づく道を歩く。いつものあの毛皮のコートではないから、なんだかいつもよりもクルーウェルがとても近く感じた。距離も、ぬくもりも。それが優しくて痛いなんて、彼女は知らなかった。こんなにも切ない気持ちがあるなんて、彼女は初めて知った。
    「料理が美味くて、静かなバーがあるんだ。きっと気に入る」
    「楽しみです」
     ぎこちなく彼女が答えたのに気づかなかったわけではないが、クルーウェルは何も言わなかった。二人で静かに、ゆっくりと歩く。どこからかご機嫌な歌が聞こえてきて彼女は足を止めるから、クルーウェルもそれに倣う。故郷を想う歌だな、と呟いて。
    「そのわりには……ずいぶん明るくて、楽しい歌なんですね」
    「貴女の国では違うのか?」
     クルーウェルの言葉に彼女は一度だけ口を噤んで。それから、懐かしい旋律を紡いだ。誰しもが教科書で習った歌。きっと一生、それこそ元の世界に戻れなくても忘れられないだろう歌。もっとも、歌の前半には共感できないほど彼女は都会暮らしだったけど。
     クルーウェルは切ない旋律を聴きながら彼女を見つめた。寂しそうな顔に胸が締め付けられるのは、彼女の心が伝わるからか、それともクルーウェルの中に残る一抹の郷愁が掻き立てられるからか。
     浮かんでは流れていく両親の顔。友人の顔。知人の顔。彼女はぼんやりとしか思い出せないその顔を想いながら、そう言えばいつから会っていなかったんだろうな、なんて考えた。いつの日か、自分の故郷に帰れるのだろうか、と。
     しっとりとした余韻が二人を満たしていく。歌が人の心を打つのは、きっとその人の心にある何かを掻き立てるからだろう。この歌の場合は郷愁と、それから淡い思い出だろうか。分からないなりにもクルーウェルは「素晴らしい歌だな」と囁いた。そして、いつの日か帰らんと歌う彼女の心のありかを思って苦笑する。
    「……人前で歌うのって、恥ずかしいですね」
     照れた様子で彼女が笑うから、今度はクルーウェルが口を開いた。彼女の瞳を見つめながら歌う。庭でじゃれる子犬たちと愉快に暮らす歌。短いけれど、愛しい人との未来を見た歌。
    「オレが好きな歌だ」
     そこに込められたクルーウェルの想いから目を逸らして、彼女は「素敵ですね」と言った。クルーウェルはその顔を見ながら彼女を呼んだ。
    「レディ。プラネタリウムの話しよりも、オレは貴女の話しが聞きたい」
     クルーウェルはそっとその手を両手で包んだ。彼女をデートに誘ったときと同じように。ガラスの靴に触れるように、繊細な手つきで。もしかしたら何かに怯えていたのかもしれない。クルーウェルはすっかりと自信を失っていたのだ。だって、こんなに楽しい一日を過ごしたって、彼女はクルーウェルの愛を受け取ろうとしないのだから。
    「オレにはその権利があると思わないか?」
     彼女はほんの少し悩んだ様子を見せて、それでも小さく頷いた。面白いことなんて、何にもないのよ、と呟きながら。
    宇喜たると Link Message Mute
    2022/06/27 14:43:27

    マドモアゼルは決める

    #not監督生 の  #クル先夢 です。

    ※シリーズ通してクル先がかっこよかったりかっこ悪かったりしてます。
    ※夢主はネームレス寮母さんです。
    ※デフォルト名(ユウ)の女監督生がいます。
    ※捏造てんこもりです。
    それでも良ければどうぞ。

    #twst夢

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