maybe・maybe 放課後の中庭で、アガレスは珍しいものを見た。
傾き始めた陽光が銀糸をオレンジ色に染める。中庭の片隅にあるベンチに、ガープが一人腰かけていた。
ガープが一人でいることは珍しい。根っからのお節介焼きの彼は大抵誰かの傍で世話を焼いている。特にアガレスの傍にいることが多く、気付けば周囲からアガレスといえばガープ、ガープといえばアガレス……などとセット扱いされるようになってしまった。
それが嫌ではない自分に、アガレスは少し驚いている。以前であれば他人とそこまで親密になるのは面倒だと感じていたはずだ。
絆されている。そう表現するのが一番近いだろうか。あのお節介侍を邪険にすることは、もうアガレスにはできない。
それはそれとして、自分たちが別々に行動することも当然ある。今もそうだった。それぞれ別の用があり、それを終わらせてガープと合流し帰宅しようと探していたところだった。特に約束をしたわけではないのに、当たり前に二人で帰宅しようとしているのも以前の自分なら考えられない。もはや習慣だった。
一人でいる姿が新鮮で、なんとなくすぐに声を掛けずにいた。おそらく耳があるあたりにイヤホンをはめて、肩を小さく揺らしてリズムを取っている。お気に入りのアクドルの曲でも聴いているのだろうか。耳をすませば、かすかに鼻歌すら聴こえてきた。
(……どーすっかな)
音楽を楽しんでいるところを邪魔するのも悪い気がする。声を掛けるタイミングを計りかねて、その場で鼻歌に耳を傾けることしかできずにいた。立ち去ってもいいのだが、何も言わずに一人で先に帰ってしまうと後が面倒だ。具体的にはガープがアガレスを探し回ってなかなか帰らない。一度やらかしてしまったことがあるが、翌日罪悪感にチクチクと刺されるのはいい気分ではなかった。
とりあえず一曲終わるまで待つことにする。ガープの様子を窺い、鼻歌が途切れたタイミングで近付いた。
「なに聴いてんの?」
「ひょわぁ!?」
「驚きすぎだろ」
椅子から飛び上がりそうな勢いで反応したガープに面食らう。よっぽど曲に集中していたのだろうか。
ガープはアガレスの姿を認めると、イヤホンの繋がったプレイヤーをわたわたと操作して音楽を止めた。妙に慌ただしい仕草に引っかかりを覚えながら隣に座る。
「ピケロ殿、用事は終わったでござるか」
「ん、後は帰るだけ。そっちもそうだよな?」
「そうでござる」
音楽プレイヤーを片付けながらガープが頷く。
「ところでおまえ、携帯見た?」
「へっ?……あ、魔イン入ってたでござるか!かたじけのうござるピケロ殿!」
「いや別にいいけど。俺も寝てて気付かないのしょっちゅうだし」
当たり前に二人で帰ろうと思ったし、ガープも同じだろうと思った。なのでどこにいるのか連絡を入れたのだが既読が付かず、面倒ながら探すことにしたのだった。幸い最初に中庭を通ったのですぐにガープを発見できたというわけだ。
「イヤホンしてて魔インの音に気付かなかったでござるかなー……」
「そんな熱心に聴いてたんだ。なんて歌?」
リードとよくアクドルの話題で盛り上がっているガープだ。気に入っている曲もたくさんあることだろう。軽い気持ちで問いかけたのだが、ガープは反射的にプレイヤーを仕舞ったポケットを両手で抑えていた。まるで見られたくない、触れられたくないというような仕草だ。ガープ自身も無意識でやってしまったらしく、気まずそうにそろそろとポケットから手を離した。
「どういう反応、それ」
「や、あのぅ……し、新人アクドルの曲で、拙者すごく気に入ってるのでござるが……ちょっと、それが恥ずかしい、というか……」
もしょもしょと、銀の鬣に埋もれて消えてしまいそうな声でガープは言う。曲が好きなことが恥ずかしいとはどういうことなのか、皆目見当もつかない。
「めちゃくちゃ変な曲とか?」
「へっ、変な曲ではないでござるよ!ヒットランキングの上位にも入った名曲でござる!」
新人アクドルの名誉のために熱弁するガープ。アガレスはますます訝しむ。アクドル界隈には詳しくないが、ランキングに入るような曲ならなおさら恥ずかしいというのがわからない。柳眉を顰めたアガレスに、ガープは観念したように説明を始めた。
「その、歌詞に共感することってあるでござろう?それで、その……この曲に拙者、感情移入しすぎてしまって……。どういう曲か知られるの、自分の心の中を見られるみたいで恥ずかしい、のでござる」
身体を縮こまらせて恥ずかしそうに告げるガープ。言いたいことはなんとなくわかった。
正直、ガープがそこまで「自分のことだ」と感情移入している歌がどういうものか気になる。気になるが、本人が乗り気でないのに無理に暴くのもいかがなものか。なので、できるだけ興味のなさそうな声で返事をした。
「そう、じゃあ教えなくていいよ。それよりもう帰ろ、眠いし」
欠伸をして見せればガープはほっと息を吐き、ベンチから立ち上がる。そうしていつものように、二人連れ立って帰宅するのだった。
そんな出来事からひと月ほど経った日のことだ。その日は休日で、アガレスはガープに連れられて外出していた。
目的地は大きめの自然公園で、季節の花が見ごろだとガープは言う。確かに鮮やかに咲き誇る花々は美しく、その香りが風に乗って漂う日当たりのいい公園は昼寝にぴったりの場所だった。ガープが作ってきた弁当で腹を満たし、人気の少ない木陰で微睡む。木の葉の揺れる音が耳に心地いい。
瞼を閉じたアガレスの隣で、ガープもリラックスして穏やかな時間を堪能している様子だ。アガレスが寝入ったと思ってか、いつぞや聴いた鼻歌がひそやかに耳をくすぐった。
(……まだ気に入ってんだな、その歌)
そうしているうちに眠気がやってくる。ガープの鼻歌を子守唄代わりに、アガレスは穏やかな眠りに落ちていった。
心地のいい環境でゆっくり眠れて、良い休日だった。そう思っていたのに最後の最後にトラブルが起こる。
突然の雨。帰宅する途中でいきなり降った雨は瞬く間に勢いを強め、アガレスたちは慌てて目に付いた喫茶店に駆け込んだ。
「結構濡れちゃったでござるなぁ」
そう言いながら、ガープは小さな風を起こしてドライヤーの要領で二人の身体を乾かす。最後に風に向かって「ご協力感謝でござる」と軽く会釈すると、風はふわりと散っていった。
濡れた服や髪は乾いたが、体温は下がったままだ。肌寒さを感じて思わず腕をさする。
「なんかあったかいの頼むか。服乾かしてくれたし、俺が出すよ」
「いやいやそんな、奢ってもらうほどのことでは!」
「いいから。してもらいっぱなしじゃ俺が嫌」
「で、ではお言葉に甘えて……」
それぞれ温かい飲み物を頼む。しばらく待つと湯気を立てて飲み物が運ばれてきた。一口含むと、冷えていた身体にじんわり熱が染み渡る。
窓を叩く雨の勢いはまだまだ強い。しばらくは店内で雨宿りだ。雨音に包まれて、ガープと二人とりとめのないことを話す。予定外の雨だっだが、これはこれで悪くない時間だと思った。
ふと、店内に流れていたBGMの音量が上がる。他の客が店員に頼んだのだろう。アガレスたちはBGMに意識を向けていなくて気にならなかったが、雨音で聴き取り辛かったといったところか。
BGMとして流れていたのはラジオ番組だった。ちょうど一曲終わり、司会が次の曲を紹介し始める。
『次は人気急上昇中の新人アクドル──』
ガープがすごい勢いでむせた。
新人アクドルの曲。ガープの反応。すぐに「例の曲」だと思い至る。
(反応しなきゃバレなかっただろうに……)
新人アクドルだって何人もいるだろう。知らんぷりをしていればアガレスも気付かなかったのに、なんとも不器用なことだ。
目に見えて動揺して、アガレスの様子をチラチラと窺うガープ。このまま気付いてないふりをしてやるのが情けだろうか。BGMなんて気にしていませんよ、というていでメニュー表の期間限定スイーツの欄を眺めることにする。
もちろん聴覚はばっちりラジオに向けているのだが。
無理に暴く気はなかったが、これはもう不可抗力だ。バレバレの反応をしたガープが悪い。彼がそこまで入れ込む曲に、興味がないと言ったら嘘なのだから。
軽快なイントロが響く。少々ハスキーな歌声が、アガレスの鼓膜を震わせた。
──その曲は、孤独に怯える言葉から始まった。
独りは怖い。寂しくて悲しい。そんな現状から抜け出したいけれど、ちっともうまくいかない。
不安と悲しみを歌った一番を過ぎて、歌詞は二番へ移る。今度は少し前向きな言葉が現れる。
相変わらず怖くて、自分は弱い。けれど立ち向かっていく。
「君」に出会えて力をもらえた。君が隣にいてくれるから頑張れる。ここを自分の居場所だと大切にできる。この先も、君の一番近くの特等席にいたい──
力強く高らかに、感情を込めて歌いあげられる歌。人気があるというのも頷ける、心を鷲掴みにする歌唱力で駆け抜けて曲は終わった。
ガープをちらりと見ると、両手で顔を覆って悶えていた。顔が真っ赤になっているのが、銀糸からうっすらと透けて見えた。本当に隠すのが下手すぎる。
あの曲にガープが感情移入したというのは納得がいく。お仲間百人という野望は、彼の身体の難儀な事情からくる孤独感が一因だ。孤独に苦しむ歌詞は共感できるものだっただろう。そして、それでもめげずに頑張ろうとするのもまさしくガープと重なる言葉だった。
「君」に出会えて──
(いや、いやいやいや……)
自惚れすぎだ。きっと問題児クラスの皆とかそういう意味だ。ガープにとってアガレスがそこまで大きい存在であるだなんて、あまりに都合が良すぎる──
「……都合がいい?」
思わず口に出る。何故そんな風に思ったのか、アガレス自身にもわからなかった。
「ピ、ピケロ殿?」
急に独り言を漏らしたアガレスに、ガープが驚いて声を掛ける。その顔は相変わらず真っ赤だったが、顔を上げてガープを見る瞳から照れは消えていた。それどころか、慌てた様子で席を立とうとする。
「え、いやいや何してんの」
「拙者、そのへんで傘と羽織るものを買ってくるでござる!そしたらすぐに帰るでござるよ!」
「はぁ!?別に雨やむまでここにいりゃいいじゃん」
「だって!──ピケロ殿、顔が真っ赤でござるよ!」
熱が出てたら大変でござるー!と喫茶店を飛び出そうとするガープ。それを追うのも忘れ、アガレスは硬直していた。真っ赤な顔。そんな顔をしているなんて思わなかった。どうして顔が赤くなったのかはわからない。わからないが、ガープのせいだという確信はあった。
ガープを引き留めれば赤面の理由を根掘り葉掘り問われるに違いない。風邪を引いたわけではないと納得させなければあのお節介は引き下がらない。面倒くさい。面倒くさいが、雨の中彼を走らせるわけにもいかない。
「待て待て行くな!話聞けバカ―!」
腹をくくって、アガレスは駆けていく背中を追うのだった。
end