明視する彼は誰星秘宝の里より実装された桑名江が本丸へやって来て早半月。
昔馴染みや縁のある刀との再会を果たし人の身を得てからの生活も徐々にではあるが慣れ始めていた。一通り本丸での通過儀礼を終え初陣に出て戦果をあげたのはまだ記憶に新しい。
帰城してからも桑名は休むことは無く、早朝から内番服に袖を通し畑へと赴く。畑当番は別にいるがどうしても自分でもその場にいたいという想いが強く農業に関しては他の男士より知識も豊富な為、着任早々審神者より畑の管理をへし切長谷部と共に任されていた。
外は薄雲があるせいで仄暗いものの朝日の光に染められ始めている光景に、もうじき朝焼けが見れそうだし今日は水やりはしなくてもいいなと考えながらカゴを乗せたコンテナカーを引っ張りながら畑へと向かう途中で審神者の姿を見かけた。
他の男士から朝は弱いと聞いていた為、こんな時間にどうしたものかと気になった桑名はコンテナカーをその場に置きその後ろ姿を追った。思えば審神者ときちんと会話したのは顕現初日と出陣した日くらいで個人の詳しい事はまだ何も知らないに等しい。人となりは他の男士からの証言と田畑や花畑の環境を見て触れて大体分かっていた。土を味見した際も作物に合わせて土壌や場所を変えており野菜もその成果に応えている味であり豊穣の神の加護があるとは言えノウハウの無い状態からここまで仕上げるのには時間を要したろうに、腐らずにそこに向き合い続けて来た気力は桑名の中で好印象を与えた。
だからこそ気になった。折角会話が出来るのだから話しておくことに越したことはない。
「おはよう主。随分早いんだね」
大股で駆け寄ればあっという間に追いついた。
声をかけたのが桑名だったのが意外だったのか審神者は目を見開き驚いた様子だったがすぐにいつも通り、おはようと返す。
「変な時間に目が覚めてしまって。寝付けなかったから外の空気を吸いに」
「わざわざ出てきたの?」
「月が見えたから見たくなって」
ほら、と指差す方角に視線を逸らすと東の空に薄い雲の合間から三日月とそのすぐ上にある星が柔らかく光っている。燃えるような赤紫が徐々に空を侵食して行きやがて月ごと包み込んだ。
自然が魅せる美しい光景に桑名は思わず見蕩れた。
何度も早朝起きて畑へ繰り出していたのにこんな風に景色を見たのは初めてだった。
「綺麗だねぇ」
「早起きした人だけの特権だね。でも今日はこれから雨になるだろうから収穫出来るものは収穫して蔵に運んで置かないとね」
「天気分かるの?」
「ことわざ程度の知識だけどね。桑名の方が詳しいでしょ?」
「うん。でも当たりだよ、西の方が雲が多かったからこれからこの辺にも被って来るよ」
それなら洗濯外に干せないなぁと空を見上げながら呟く審神者を桑名は見つめる。
戦争とは無縁で平和な世しか知らなそうな目、武器はおろか農具すらまともに持った事のなさそうな柔らかそうな手。だがこの地を少しでも良くしようとしたたゆまぬ努力は今桑名が立っている大地が目に見える形で証明している。
全てはこの本丸にいる男士達の為、ひいては正しい歴史の為。
でもそれは何の為にしている事なのか。
「ねぇ聞いてもいいかい」
「え?…うん、何を?」
「君はどうしてこの道を選んだんだい」
藪から棒な質問に桑名を見るが彼の表情は読み取れない。そしてあまり直視出来なくてすぐに視線を逸らした。政府からの報せが来た時点で分かっていたものの、見目がよく似ている訳ではないのだがなんとなく重ねてしまう。
良くない事だと分かっていながらそれでも半月経った程度では目と心は慣れてはくれず。
今は質問に答えなければと意識を切り替える。
「結構聞かれるんだよねそれ。皆気になるものなの?」
「僕は気になった。だってこうしているとあまりにも普通の人だから。ここは言ってしまえば戦の最前線の拠点地で主、君はここの総大将だ」
「…うん」
「まだここに来て半月だけど、なんだかここだけ他の大地と違う気がするんだ」
「そりゃあ、本丸の敷地内は亜空間みたいなものだから。本来の歴史の流れの中にあるんだけどないからちょっと変に感じるかもね」
「それはそうなんだろうけど、僕が言いたいのはここは森羅万象の循環から外れている気がする。そんな中にあえて身を投じる選択をしたのは何故かなって思って」
前髪で見えない両目からの視線を感じる。
ただ真っ直ぐ、純粋な疑問。
正しい歴史を守る為にはそれ相応の犠牲は必要である。
その犠牲は人によって異なるが審神者が共通して犠牲しているのが本来の歴史の循環システムから逸脱だ。審神者になった以上、時の政府に関わった以上、選んだのなら戻る事は出来ない。
そうまでしてでも審神者になる者は少なくない。理由は千差万別だが、この本丸の審神者の場合は。
「守りたいものがあったからだよ」
あまりにも普通な理由。だが同時に審神者たる立場でしか出来なかった大きな存在理由。
目を伏せて思い浮かべる。守りたいものを。守りたいと強く願った事を。
「命を、己が存在全てを賭けてでも?」
確認するかのような物言いに皆、本当に聞くこと同じだなと審神者は思い笑った。
「当然。私がいつかいなくなっても守りたいものが守られている歴史があるならそれで満足。どう?あまりにも普通でしょ」
守りたいものを守る為に戦う。普通の事だし当たり前の事だ。
歴史もそうして繰り返されて積み重なって来た。
自然も田畑も人の営みも戦も。
本来なら目の前の審神者もその繰り返しの循環の中にいて、いつか魂は天に体は土に還るはずだった。今後どうなるかは審神者はおろか時の政府すら分かっていない。不確定な未来を不安定な足場で守ろうとしている。死ねばその身も魂もどこに還るかすら分からない状況なのに。それなのに審神者は守りたいものを守る為にこの大地に立っている。
これを人は普通と呼ぶのだろうか。
「主にとって普通って何?」
「質問責めだなぁ。うーん…。朝目が覚めてお腹が空いたらご飯を食べれて嫌だけど働いて疲れたら休んで好きな事してお風呂に入って夜は布団で眠る…とかかなぁ」
「ああ、それは確かに普通の生活だね」
平和な世界の普通。この本丸の普通はそこが基盤となっている。
命令一つで戦場へ行かねばならないが帰ってくれば心と体を休めさせる為の普通がある本丸へ戻ってこれる。帰る場所が刀剣男士にはある。
桑名が刀としてあった時代は普通の生活と同時に一歩間違えば戦や諍いになりかねない状況が隣り合わせだった。でもここにそれはない。人間一人と沢山の刀と数柱の神が持ちつ持たれつの関係であるだけだ。
「君は君の普通を守りたいんだね」
「あー。まぁ、それはそうかな」
「なるほどなぁ」
「ご満足頂ける答えだった?」
「どうだろう。ああ、でも少なくとも僕は主の事好きだなぁとは思うよ」
「え」
突然の告白に固まる。
朝焼けに染まる空を背に笑う桑名の前髪が揺れ金の色をした瞳がちらりと見えた。
「農業に、大地に向き合ってる人に悪い人はいないからね。主がいなくなったとしてもこの大地は主の事を覚えているよ。勿論、僕も主の事を覚えている。僕の場合はこれからだけど、少なくとも天命を全うするまでは主の刀としてこの本丸に尽くすよ」
「あ、ああ…そういう意味ね、うん、知ってた。大丈夫、よくある。うん」
「何が?」
「ナンデモナイデス」
その顔で言われると余計に心臓に悪いなと改めて桑名江の恐ろしさを身をもって体感した。桑名に他意はないのだ、純粋にその気持ちは有難く受け取るべきだ。
「あと、僕を通して誰かを重ねてるみたいだけどちゃんと僕を見てね」
「いや似てないから!似てるけど似てないから!待ってその前にいつから気づいてた?!」
「矛盾してるなぁ、最初からばればれだったよ。別にいいよ、今は」
「圧を感じる」
「だってそうでしょ?僕は郷義弘が作刀 桑名江で今は君の刀だ。まずそうだなぁ、手始めにちゃんと目を合わせる所から始めようか」
両肩をがっしり捕まれ逃げ場を失う。桑名は体のラインが分かりづらい服装の為、審神者はこの時まで気付かなかったが桑名はしっかりした身体付きであり腕にしっかり筋肉もある。予想外の力加減に驚く間もなく近い距離の桑名に審神者は既に涙目である。
「わ、ァ…近い…近いよぉ……」
「トマトみたいに真っ赤だねぇ」
朝焼けに照らされたでは通用しない位の赤面に思わず面白くなり悪戯心からえい、と思わず頬をつついたら審神者から断末魔が上がりその場で気を失ってしまった。崩れ落ちる体を咄嗟に支えて呼びかけるも審神者はうんともすんとも言わなくなってしまい断末魔を聞き付けた畑当番たちがその現場を目の当たりにした時、口々に間に合わなかったかと気の毒そうに伸びている審神者を憐れんだ。
こうして桑名江との接触は幕引きとなるのだがまともに目を見て話せる様になるまでは時間を要する事になり暫くは一定の距離を置かねばならないくらい審神者に強烈な印象と爪痕を残したのだった。
後に現行犯はこう語る。
「まさかあそこまで良い反応するとは思わなかったなぁ」
この後、篭手切江にみっちりレッスンを叩き込まれたのは言うまでもない。