特別が日常へ変わる日
真っ白なお祝いのケーキを六人で取り囲む。プロセラルームはわいわいと賑やかだ。仕事を終えた隼がツキノ寮へと戻ってくれば、パーティー会場は既にセッティングされていた。
遅いぞ主役、と飛ばされる野次に笑顔を返し、隼は全員が揃う場にいそいそと踏み込んだ。
もう何度目になるのだろう。来年も続いていくのだろうかと思いながら、これほどの時が流れた。仕事の都合で、時には全員揃わない年もあった。隼のために用意された白いケーキとお祝いカードを眺めながら、ふと過去のことを思い出す。
一番最初、慣れないぎこちなさを伴って始まったお祝いのイベント。毎月誰かの誕生日があるので、グラビとプロセラを合わせれば月一でパーティーをしていることになる。
それぞれが主役になれるのは当然年に一度きりだけど、全員が勝手知ったる何とやらで、各々リラックスして寛いで、今ではすっかり普段の日常の延長線だ。飲み会のお酒が、タコパのたこ焼きが、素敵なケーキに変わるだけ。
そして誰かがひとつ、歳を重ねる。それを肴にわいわい騒ぐ。ただただ楽しい、日常の日々の中にあるひとつの時間となっている。
始のファンクラブ特典のお祝いカードも、今年も無事に届いていた。隼はこの会場へ来る前に自室で中身を確認してきた。すっかり見慣れた彼の美しい文字。綴られた簡潔なひと言。内容は毎年それほど代わり映えするものではないが(何せファン歴が長いので、お祝いの文句が被るのは仕方ない)、彼が隼のためだけに文字を綴ってくれることが重要なのだ。
それを綺麗にファイリングして、新たな一ページが増えたことに感謝をする。その隣のページにはプロセラの皆がくれるカードが収まる予定だ。このファイルにはまだまだページに余裕があるので、あと十年経っても大丈夫だった。
「隼ー! 飲んでるかー?!」
陽気な声が聞こえて、思考を飛ばしていた隼は我に返る。そろそろアルコールもいい感じで回ってきているようで、海は目元を赤くして笑っていた。
このパーティーにお酒が出始めたのはいつの頃だったっけ、とまた思考が過去へ飛ぶ。どうして今日は、こんなにも昔のことに思いを馳せるのだろう。
「残念ながら、僕はまだ酔えないよ。何せこのあと、愛しい始との密会が待っているからね!」
「隼さん、口に出したらもう密会にならないんじゃ……?」
「ウケる」
こちらも頬を赤く染めた郁が陽気に笑う。隣にいる涙も、表情は冷静そうに見えて大分回っているようだ。その向こうでは、少し足元の危うい陽を夜が支えているところだった。
「陽ってば、さすがに今日はここで寝落ちすると風邪引いちゃうよ? ちょっと寒いし、多分これから局地的に寒くなるだろうし。限界なら部屋に戻った方が」
「はーい、夜お母さん」
「いつ俺が陽のお母さんになったんだよ。ほらほら、しっかりする!」
「おお、夜、立派なお母さんになって……うっ、涙腺にくるなあ……」
「そうですね、海さん。夜さんは立派なお母さんですよね」
「ウケる」
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。午後十一時を回る頃には分かっているとばかりに会場はお開きになり、酔っ払いながらも手際よく撤収が終わる。プロセラの面々はおやすみの挨拶をして、速やかに自室へと引き上げて行った。
彼らへ挨拶を交わした隼も、自室へと戻る。今度はそこが小さなパーティー会場へと変わる。この一連の流れだけは、年に一度、この日にしか起こらない。しかし毎年、必ずこの時間は訪れる。特別で大切だったそれは歳月を重ねて、当たり前の日常へと変わっていった。
リビングのソファでまったり座ってくつろいでいると、ノックもなしに玄関のドアが開かれる。いつものことで、それが当たり前の流れなのだ。
ドアから姿を現したのは、勿論二人だけの二次会の相手────始だった。今年は仕事で遅くなったり来られなくなったりすることもなく、始は隼が好んでいる銘柄のアイスを持参してこの部屋へとやって来た。包装もリボンもないごく普通のそれが、彼からの誕生日プレゼントだった。
プレゼントにしても、最初の頃は皆が皆、誰に何をあげようかと頭を悩ませていたものだ。勿論選ぶ方も楽しんでいたし、貰う方も楽しみにしていた。しかし時は流れ流れて、時には雑貨、時には食べ物といった、出先でふと目が合った小物や飲食物などを気軽に選ぶようになっていった。気取らないそれらもまた、特別から日常へと変わっていく。気になったから一緒に食べようだとか、使ってみようだとか。
特別を重ねてきた。重ねられたそれらはいつの日にか、変わらない日常のものへと変化する。それはもう常にそこにあるもの。それは嬉しいことだ。だけど慣れてしまう、という状況とはまた違うもの。
日常の一ページに増えた、大切な項目のひとつ。
始はずかずかと遠慮なく室内へ踏み込んで来て、ソファに座る隼の隣へ腰を下ろす。腕が軽く触れる距離に、隼は我知らず微笑んだ。それこそ彼がこの部屋に来てくれるようになった頃は、向かいのソファに座っていた。その距離が今となってはこれだ。これが、当たり前の二人の距離だった。
アイスを凍結保存させてもらえなかったのは残念だが、隼は始に勧められて、早速美味しくいただいてしまうことにした。真っ白で何の跡もない雪のような表面をスプーンで掬うのは楽しい。まるで雪遊びをしているみたいだ。濃厚なバニラのフレーバーが、幸せな気持ちを運んでくれる。
「ご機嫌だな?」
「それはもう。何なら君が僕にあーんして食べさせてくれてもいいんだよ? むしろしてください!」
「バカ」
くすくすと笑う始の肩が揺れて、隼はもっと幸せな気持ちになる。笑う度にその振動が、触れている腕から伝わってくる。こうして二人の隙間なく寄り添って座る距離もまた、日常になった。
「じゃあ僕がしちゃう! こんなに美味しいんだもの。ひとりで食べたらもったいないから、愛しい君へ、幸せのお裾分け。ほら始、あーん」
そう言われた彼は、俺が持ってきたんだからお前が食え、と遠慮するようなこともない。かつてはそうだったけれど、今は隼が、どんな思いでそんな行動を取るのか知っているからだ。
あ、と開かれた口に、アイスを乗せたスプーンを持っていく。銀色の光に乗った白色が彼の口に入る。それをぱくっとしてから舐める動きをじっと見つめていると、始が何を見てるんだと笑う。もちろん君を、と伝えれば、彼はさらに笑ってくれる。
戯れるように雑談をしながら、隼はアイスを食べ終わる。それからタブレットを開いて、ファンから寄せられた言祝ぎを読んでいるうちに時間がまた過ぎる。始はずっと隣にいる。隼が画面を見ることで会話が途切れても、優しい静寂がそこに在る。
「そろそろ寝ないとな。お前、明日は仕事だったよな?」
「そうなんだよねえ。僕はてっきり振替休日だと思っていたのに、すっかりしてやられたよ」
「誰に何をやられたんだよ」
くくっと肩を震わせて笑う始に、隼はなおも言いつのる。
「明日がお休みなら、君とゆーっくりした時間が過ごせたのに、ひどいよね!」
「……バァカ。早く寝ろ」
優しい悪態に、隼の胸がきゅんと鳴く。今夜の始はとっても機嫌が良いみたいだった。
「はぁい。お仕事は大事だものね。僕もまたひとつ歳を重ねて大人になったのだから、聞き分けのいい子になります!」
「大人なのか子供なのか、どっちかわからないな」
王様はとうとう笑いが止まらなくなったらしい。わざと笑わせているつもりはなかったのだが、うっかりピンポイントで彼の笑いのツボに入ったようだ。
「推しが爆笑するレアシーンいただきましたーっ! 笑いが止まらなくなる始、尊い! 笑いすぎて目尻に溜まった涙も尊い! 美し可愛いです! ありがとうございます、という感謝からの激写……!」
すかさずスマホを構えてパシャパシャと撮ったら彼の手のひらが伸びてきて、ガシッと隼の顔を掴んだ。
「撮、る、な」
「久々のアイアンクローだね! もちろんご褒美です!」
そこでまた笑いこけて、結局二人して心ゆくまで笑い続けた。散々笑ったあとに、涙目になった始が隼を見る。
「……何してたんだっけか。……いや、寝るのか」
「おや、笑っていたら忘れちゃった?」
「お前のせいだな」
「えー?」
そこでようやく二人はソファから立ち上がる。隼はリビングを出て寝室へと移動する。背後からは、当然とばかりに着いてくる足音。愛しい音に、心が踊る。こればかりはいつだって慣れないものだ。真っ暗な寝室へ入ってサイドランプを灯すと、始がいつものようにクローゼットから枕を取り出して来た。
今年の夏場に大活躍したそれは、もうすっかりこの寝室の常連だ。始はそれを抱えてベッドに戻ってくると、ど真ん中に置いてあった隼の枕をずらして、そこに置く。そして自然な動作で、さも当然のように隼のベッドの中へと入った。隼もその隣へとなんの躊躇いもなく入る。
ソファにいた時と同じようにお互いの腕が触れる位置で、一枚の毛布にくるまった。時計は深夜零時を超えていた。誕生日という主役特権を振りかざせる日が終わっても、始はもう帰ったりしない。
以前はおやすみと言って、帰っていく背中を少しだけ寂しい気持ちで見送った。けれど今は、これが日常なのだ。夏場に散々この部屋に入り浸っていた始は、暑さが終わる頃に訪れなくなっていた。しかし寒さが強くなる季節に、再びこの部屋へとやって来るようになった。
寒いけれど暖房は苦手だと、夏と同じだけど反対のことを言いながら、でもその腕の中に、以前は持参していたはずの自前の枕はもうない。
ぬくぬくと二人で温まって、明日の朝は一番におはようの言葉を交わす。それが今の二人の日常だ。
どこかの夢に落ちるのも、もう何も怖くない。隣には大好きな温もりがある。その熱に包まれて眠る夜、朝目覚めた時に一番最初に見られる紫の美しい瞳。きっと明日の朝、始は目元を撓ませて隼におはようと言ってくれるのだ。
この日常がさらに続いて、一年三百六十五日、春夏秋冬、暑い日も寒い日も彼がずっと隣にいればいいと思う。いつの日かこの枕が、出しっぱなしで二つ並んでいればいいと思う。
いつかは、きっと。
そんな未来を想像しながら、隼は意識を手放した。おやすみ、と優しい声が聞こえた。