SSまとめ(2025)誰かの春
R7.3.19の春誕
「始はならないの?」
「何がだ?」
「誰かの春に」
「……」
ケーキを食べる手を思わず止める。
具体的に言われなくても何を指しているのかなんて分かる。視線はケーキの表面に中途半端に刺さっているフォークに向けたまま。
相方の顔なんか見れない。きっと優しげに微笑んでいるのだろう。からかうように笑ってくれるなら、まだ反論もできるのに。
返す言葉が一向に浮かばず、固まったままでいたらふふっと笑う声がした。
「ごめんごめん、困らせるつもりじゃなくてね」
時間を止める能力に目覚めたかと思った、とくすくす笑う相方をチラリと睨んでから始は再び手を動かす。キャンドルを模した白いケーキの甘さがやたらと沁みた。
「……お前は」
「うん?」
「俺の隣に誰かが立つのは、」
「君の隣は譲らないよ。俺の気が済むまではね?」
眼鏡の奥の鶯色が、挑発的にきらりと光る。
なら何で訊いたんだと若干イラつきながら、言葉遊びがしたいだけなのもまた知っている。長年連れ添ってきた相棒のことなんて、嫌と言うほど。
「馬鹿」
「えっ、一言で切り捨てるなんて酷くない?」
始はブーイングをしてくる相方から視線を剥がし、窓の外を見た。今夜はこの季節にしてはかなり寒いが、変化を予感させる春の夜が広がっていた。
ピンク色
R7.3.20のアニカフェ
撮影が立て込むのは結構楽しい。様々な衣装を取っ替え引っ替えすると、まるで別の自分に変身したような感覚がある。一般的な服から豪華な正装、民族衣装に時代めいた服や、果ては異世界のファンタジーな衣装まで。こんなにもたくさんの体験ができるのは、この職業ならではだ。
「皆さんピンクですね! 俺のカラーに染まってるのは楽しいです!」
「普段着ない色って似合ってるのかなってソワソワするけど、いつもと違う自分って感じで楽しいよね」
ほのぼのと会話する黒年少に微笑みながら、始も同意する。ピンクは普段着ることがない。鏡の中の自分は不思議の国のアリスにでもなったようだ。
下はさすがにスカートではないが、クマ耳を模したフリフリのヘッドドレスやふんわりとしたピンクのブラウスは愛らしい。フリルと大きなリボンの付いたエプロンも可愛いと思う。そんな可愛い尽くしを自分が着ていることも、驚くような現実だ。しかし現実ではあるがリアルではない。だからこそ心から楽しめる。
首元のリボンは担当カラーだから、始の色は紫だ。ピンクとはなかなか親和性が良い。衣装の胸元に触れつつそんなことを考えていたら、バタバタとこちらへ走り寄ってくる足音が聞こえた。顔を上げなくてもやかましい気配で相手が分かる。
「始、はじめ、はーじーめー! ピンクな君もとーってもかわ」
「ああ、お前も可愛いな、隼」
「ファッッッ────?!」
「白にピンクが映えて、おとぎ話の住人みたいだな? お前のカラーも似合ってる」
「………………ッ」
気分が良いまま素直な感想を伝えれば、隼は声もなく仰け反り、床に倒れた。
「うおあッ?! おい隼、死ぬな! これから撮影なんだぞ?!」
「海も可愛いな。ピンク、似合ってる。差し色のブルーもいい」
「へあっ?! 突然のベタ褒め?! お褒めに預かり光栄なんだけども、えらく機嫌がいいな?」
「そうか?」
意識を飛ばした隼を抱え起こしながら、海が苦笑する。
「そうそう、王様は大層ゴキゲンだ。それと、お前も可愛いぞ? ピンクと紫のカラーってなんか和なイメージがあるし、お前の雰囲気にピッタリだ」
「ありがとう」
「おお。だからとりあえずこれ以上隼をオーバーキルしないでくれるか? 撮影が押しちまうし、本気で死なれたら困るからな?」
「ちょっとそこ、三人で盛り上がっててずるい。海、俺は? 俺は?」
海の言葉が面白くて肩を震わせていると、相方の声が割って入ってくる。
「はいはい、春も可愛いから安心しろ。ピンクと黄緑も和っぽいなあ。お前の優しげな顔立ちに似合ってると思うぞ」
「安心したよ、ありがとう。和っぽいというと、時期的にも菱餅的な?」
「あー、まさにそれだ。和のほんわりした甘さみたいな」
「だってさ、始。俺たち和風なイメージが鉄板だね」
始の楽曲や衣装は初期の頃から和風なものが多かったし、春もそういう感じの雰囲気がある。相方とはどことなく似てくるものだ。
ピンクで可愛い。でも和風。──全然悪くない。
「あっ、あの、隼さん大分意識飛んでるみたいですけど覚醒間に合います……?」
黒白年長が和んでいると、夜が申し訳なさそうに声を掛けてきた。隼を見ると、目を閉じたまま幸せそうな表情を浮かべている。海がああそうだ、起きろ隼、死ぬな、と再び物騒なことを叫びながら抱えた身体を揺すっていた。
さて撮影ではどんな表情をしようか、と考えながら、始は笑った。
おそろい?
R7.3.20のツキショ
一着目の撮影が終わり、二着目の衣装へと着替える。小道具の中にあったサングラスを見た時、最初は隼のものが紛れ込んでいるのかと思った。
サングラスの縁には一月ウサと十一月ウサがあしらわれていて、何とも可愛らしいデザインだ。隼に似合うな、と始は感じたのだ。
しかしよく見ればグラスの色は淡いパープルで、紛れもなく自分の小道具なのだと知る。
「それ、可愛いですよね。睦月さんに絶対似合うと思うんですよ」
「そうですか?」
スタイリストの青年が声を掛けてくる。それに笑顔で答えながらも、そうだろうかと首を傾げる。そもそも何故十一月ウサなのだろう。そんな疑問が通じたかのように、青年は言葉を続ける。
「それ、最初は春さんのカラーを考えていたらしいですが、紫からグリーンへのグラデだと衣装のコーデの色から浮いてしまうということで、無彩色のグレーを採用したんですよ。リーダーズのカラーですしね」
「……そうですか」
やたらと嬉しそうに話す青年に気圧されつつ、始は衣装に着替える。すべてを身につけて最後に件のサングラスを掛け、鏡を見る。確かに色のバランスは良い。最初の隼の衣装もラウンドフレームのサングラスだった。グラスの色は、淡いグレーだ。
「……ピアスもグレーにするか」
こちらの衣装にはピアスの指定はないと聞いていたので、いくつか私物を持参している。始はその中から、お気に入りのグレースピネルの一対を取り出した。
冗談だったとしても
R7.4.1失恋レッドラジオ
ぐわんぐわんと頭痛がする。頭の内側から金槌で叩かれているみたいだ。
「見返りを、求められてるのか……?」
普段の始からは想像できないほど、小さく掠れた声が唇から漏れる。事務所の休憩室で、四月一日の特別なラジオを仲間内で聴いていた。海や陽が何やら感想を言い、春が笑って応えている。
「くっそー、新の奴、地味にいい感じの返答するんだよなあ。相談内容はともかく、なんつーか、ビミョーに負けた感があって納得いかない悔しさっていうか」
「はははっ。上手い返しだよなあ、陽。相談者の魔王様も納得できたんじゃないか?」
「恋愛相談はさすがの新、じゃなかった、レッドさんだよねえ。こういうスマートさは俺も見習いたいよ」
朗らかな笑い声が響く中、始は額から冷や汗が流れたのを感じた。まだ汗をかくような季節じゃ全然ない。むしろ寒いくらいなのに。
来るものは拒まず、去るものは追わず。
思春期の頃はそんなスタンスを貫いていた。離れる者を追い縋ってもしかたない。気持ちが離れたのなら、そこまでの縁だったのだと。
けれど今は違う。気持ちを向けられることがどれだけ稀有なことなのか。そこに込められた情熱の熱量を、この身をもって知っている。その思いにちゃんと向き合いたいし、向き合っていけるはず。そんなふうに思っている。
「だが、アイドルとファンは不用意に近づくものじゃないだろう。……いや、隼はファンでもあるが、日常の中でなら家族みたいなもので、だからそれは……」
心持ち青い顔でぶつぶつと呟く始に気づいた春が、ぷっと吹き出した。
「始。これはラジオを盛り上げるためのお便りなんだし、そんな真剣に考え込まなくても」
「そうですよ始さん。ぶっちゃけアイツは本気で言ってると思いますけど、それも含めていつものことなんで。さらっと流しちゃって大丈夫ですよ」
二人の言葉にそれはそうだが、と理解はするものの、心は焦る一方だった。
貰うだけの傲慢さはとうの昔に捨てている。受け止めるだけでも足りなくて、本当にその相手を大切にしたいなら、一方的に受け取るだけではいけないのだ。
本日は特殊な日。しかしたとえ冗談だったとしても、何も返せていなかったのかと冷水を浴びせられた気分になる。
返したい。何を?
どうしてこんなにも焦る?
(それは……)
自分が彼を、引き留めておきたいからだ。
「やあ皆、隼さんだよ~! 僕の渾身のお手紙は無事に読まれたかな?」
バタンと休憩室の扉が開き、白い笑顔が視界に映る。
「隼、おつかれさん。特級呪物は無事封印されてたぞ」
「ええ?! ひどいよ海、徹夜で思いの丈を綴ったのに!」
「いや俺じゃないが、まあ当然の処置だわな」
「えーっ……あれ? 始、具合でも悪いの?」
顔色の悪い始に気づいた隼が、心配げに眉根を寄せて始へ手を伸ばす。始は思わず、その手を逆にギュッと掴んで引き寄せた。引っ張られた隼は軽くよろけながら、何事かと瞬きをした。
始を見つめる真っ直ぐな目。嘘偽りなどそこにはない。ちゃんと分かっている、つもりだった。
「隼─────」
嘘でも冗談でもなく、伝えるならきっと今なのだ。
雲の晴れ間に
R7.7.7の七夕
いいなあ、と感想を抱くのは不謹慎なのかもしれない。特別な日に特別な人へ想いを寄せ、偲ぶ。それをきれいだとか美しいだとか思うのは。
そして、そんな特別なシチュエーションをお膳立てする姿が一層楽しそうで、とても大切にしているのだと知っているからこそ、始はこの夜に隼の部屋に行くのを躊躇う。
最初の頃は特に気にしていなかったのに、引っかかりを覚えたのはここ数年のことだ。相方の話を、憧憬に似たものを含んで見つめる視線の奥に、何かしらの強い想いが潜んでいるのだと気づいた。
美談を聞くのは好きだ。心洗われる思いがするのは心地よい。けれど近すぎる相手の話なら、心情をある程度勘繰ってしまうのは仕方ないことだ。知りすぎている相手ならなおさら。
つまり何が言いたいかといえば、今宵ばかりは二人の間に割って入るのは無粋だという話なのである。
「逆じゃない? そっとしておくよりも話を聞いて欲しがるんじゃないの?」
「……うるさい。勝手に人の心を読むな」
リビングのローテーブルに突っ伏した始を、春が呆れたように眺めてくる。グラビルームには二人だけなので、今夜は思う存分行儀悪くなれる。
「あのね、始。君は去年も同じような顔をしてSNSの写真を見てため息ついて、隼の部屋の前でうろうろして戻ってきたよね」
「………………」
思い出したくないことを思い出させてくれる相方にじとっとした視線を送れば、彼はふふんと笑った。
「俺に絡むより、もっと建設的な行動を起こせばいいのに。隼は始のことになるとIQが下がるなんて言われてるけど、始の方も実は大概だよね。何でそんなに思考能力が落ちちゃうのかなあ」
視野が狭くなるんだよね、と言われて、思い当たる節がありすぎた始は再びテーブルと仲良くなる。反論は弱々しいものだ。
「……物思いに耽る時間を、邪魔されるのは嫌だろう」
「当事者の海ならそうかもしれないけど、隼はそんなことないと思うよ」
「それはお前の見解だ」
「うわめんどくさい。そんなこと言われたら始の意見だって、始個人の考えであって隼の気持ちとは違うよね?」
「…………」
再び沈黙したら、春は今度は苦笑した。
「始ってどちらかと言えば図太い方なのに、なんで隼相手だともどかしいくらい遠慮しがちになっちゃうんだろ」
「別に図太くない。弁える部分はちゃんとしてる」
「隼に対して弁えちゃってるっていう話なんだけど……。拗ねてないで、構われたいなら『お前は俺の事だけ考えてろ』くらい強気なこと言ってみたら?」
容赦のない相方の言葉がぐさぐさと刺さる。自分にだってこの感情がコントロールできないのに、一番近しい人物からダメ出しを食らうとダメージが大きい。
しかもそんな高飛車なセリフ、言えるわけあるかと顔を上げた時、螺旋階段からグラビルームへ降りてくる足音が聞こえた。
「やあ、ごきげんよう。グラビは今夜はふたりだけかな?」
「………………隼」
「おかえり、隼。三人のお出かけは楽しんだ?」
渦中の人物が現れて、始はしばし固まった。
「うん! とっても素敵な星が見れたよ。それでね、皆の分もアイスを買ってきたんだ」
「本当? 冷たいものが欲しいなって思ってたところだったから嬉しいよ。ありがとう、隼」
「ふふ、それは良かった。プロセラルームにあるから、今から来れるかい?」
「やったあ、喜んで! 始もいつまでも暑さと湿気にやられてないで、ご相伴にあずかりに行こうよ」
「始、大丈夫? 僕の部屋で涼んでてくれたら良かったのに」
隼の部屋は、主が不在でもある程度は快適な室温を保っている。心配そうに始を覗き込んでくる顔を、始は不満げに見てしまう。こんな大事な夜に、いけしゃあしゃあと乗り込めるほど自分は図太くないのだと。
「お前は俺の事だけ考えてろ」
暑さと湿気のダルさ、それから悶々と反芻していたアレコレで、思考能力をかなり失っていたのは間違いない。
しかし、心配げな表情が徐々に驚きへと塗り替えられて行くのを見て、大分とち狂った発言をしたのだと気づく。背後では春がソファの上に崩れ落ち、肩を震わせて大爆笑している。
時が完全に止まった。
今のは違うんだ。自分で自分に驚きすぎて、それすら言えないでいる。隼はどう思ったのか、このあと口にされる言葉が怖い。
ああ、どうしよう。
全部夏のせいだ。