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  • 【宝物盗難未遂事件について】
     ○○年7月4日の夕方、10人の貴族吸血鬼が自室で倒れているところを使用人に発見され、重傷1人を除く他9人が死亡した。10人は白薔薇公より宝物庫の鍵番に任命されており、死亡した9人の部屋から鍵が発見されなかったことから犯人の目的は宝物庫の中身だと判断し、宝物庫の調査を行った。罠が作動した形跡こそあったものの、扉が開かれた形跡は無かったことと10の鍵の1つ(Ⅲ)が無事だったことから7月10日に調査は中止され、犯人逮捕と盗まれた9つの鍵の捜索に切り替わった。20年後の7月4日、犯人、鍵の捜索共に打ち切られた。
     犯行現場は被害者と加害者が激しく争った形跡のあるものが多く、全員激しく抵抗したものと思われる。遺体発見当時の現場状況、被害者の詳細な情報は別紙参照のこと。
     また、唯一生き残ったカイメン・ウミノの証言と9人の犯行現場の状況から捜査班は同一犯と判断した。犯人像は以下の通りである。
     『癖のある白の短髪と赤いつり目が特徴の小柄かつ身軽な男の吸血鬼で、燕尾ベストに細く赤いリボンを身に纏っている。常に不敵な笑みを浮かべ、言葉遣いが粗野。肩から太刀を下げ、苛烈に攻撃を仕掛けてきた。傷の再生が早く、力も強かったことから純血吸血鬼かそれに準じる者』

     燭台を鉄格子に近付け、中の様子を窺う。灯りに気が付いたのか、人影は気だるそうに顔を上げた。じゃら、と鳴る鎖。俺のものと違い、銀に眩く光る。燭台を持っているのとは逆の手で、格子の隙間から恐る恐る手を牢の中に入れる。床に置いたカップの中身が、ろうそくに照らされ赤黒く揺れた。腕を引っ込め、前回置いたコップに手を伸ばす。コップの軽さに驚いた。中はすっかり乾ききっている。少し、安心した。
    「ようやく、飲みましたね」
     囚人から返事は返ってこない。ぼんやりと向けられる赤い眼は、どこか違うところを見ているようだ。主人様の復讐の相手というこの人を連れ帰ってきた日を思い出す。強く地を打つ雨粒。鳴り響く雷鳴。闇に浮かぶ白髪と、鋭く光る金の眼。剣を人に突き刺したときの感触。手に伝ってきた、血のあたたかさと雨の冷たさ。自分の背後に伸ばされた、白く細い手。あれはきっと、俺の後ろで眠っていたこの人に向けられたものだろう。
    (この人と、どういう関係だったのかな)
     あの純血吸血鬼は、主人様の手で殺されてしまった。その事実を聞かされた時のこの人の顔が、忘れられない。ここ数日主人様の眼の在処を聞き出そうとしたが、何をされても言葉を忘れてしまったかのように一言も発しない。主人様は諦めたのか、別の方法を探し始めている。主人様はこの人を殺すつもりは無いようだから、眼が見付かればこの人は解放されるだろう。しかし解放された後この人が生きていけるのか、不安を感じ始めていた。銀の鎖が外されても、この人が動く気がしないのだ。
     軽く息を吐き、立ち上がる。背後から独り言のように、声をかけられた。
    「お前の主人は、いい奴か?」
     振り返ると、赤い眼と目が合った。緊張から背筋が伸びる。目の前に居るのは、あの雨の夜に会った人と同じなのだろうか?別人ではないか?きちんと向き直り、問いに答える。
    「恐ろしい人ですが、行く当ての無い俺を拾ってくれました。衣食住のみならず、高いレベルの教育も、剣術も与えてくれる。全ての面を知ったわけではないけれど、少なくとも面倒見のいい人ではあると思います」
    「そうか。良かった」
     安心したようにそう言って、囚人は俯いた。
    「なにが『良かった』んですか?貴方の状況は何一つ好転していないのに」
    「俺の命は此処で朽ちるだろう。誰と戦う時でも、敗北し死ぬ覚悟はできている。ただ、俺に情けを掛けたせいで主人に酷い仕打ちを受ける従者の姿を見るのはもう、嫌なんだ」
     驚きに目を見開く。こんな人が何故、主人の眼を奪ったのだろう。ただの思いつきで主人を襲ったようには思えない。
    「貴方は、何で」
     背後の扉が大きな音を立てて開かれる。振り返ると、そこには主人の姿があった。驚きと恐怖から、コップが手から滑り落ちる。主人の強い視線に血の気が引き、後ずさる。ガラスの破片を踏んでいるのも気にならない。低い声が緊張した空間に響く。
    「オズウェル、やはりお前か」
    「ひ、」
    「止めろ。そいつは俺が死んだらお前の眼の在処が分からなくなるから俺を生き延びさせたいだけだ」
     一つしかないスファレライトの瞳がこちらを向く。強く眩しい輝きが、こいつの人となりを思わせた。
    「そう思うならさっさと私の眼の在処を吐いて貰おうか」
    「……」
    「お前はいつもその段階になると口を噤むな。お前にとって私の眼が、自分の命と釣り合う物だとは思えない。何を隠している?」
     貴族の問いに答える事無く目を閉じる。浮かぶのは、小さな家と風に髪を揺らすライセンの姿。
     記憶を取り戻して疑問に思ったのは、ライセン……姉のゴルトが何故俺を『ロート』と呼ばなかったのかということだ。幼い頃同じ屋敷で暮らしていたとはいえ、兄弟と接触する機会はほぼ無かったから俺のことを忘れていた。そう言われればそこまでだ。しかし思い返すと、俺の知っている『ゴルト』と共に暮らした『ライセン』の差異に強い違和感を感じる。『ゴルト』は誰に対しても傍若無人だったが、『ライセン』はどこか遠慮があった。夜中に『人間の』俺を起こさないよう静かに狩りに行っていたのもそうだ。『ゴルト』なら、目の前の人間で迷わず食事をするし、食事の後にすることは銃の手入れだろう。ライセンが銃を身に着けているのを見た覚えが無い。あの家で血の匂いを嗅いだことはあれど、火薬の匂いを嗅いだことは無かった。まるで『記憶を失っていたから』刀を扱えなかった、俺のように。白い従者の話では『追ってきた純血吸血鬼は主人様の手によって葬られた』らしいが、もしそれがライセンなら血抜きをしないと『死んだ』と断定はできない。
     恐らく、ライセンは生きている。しかしあの家に逃げ込んでいたとしたら。あの家で傷が癒えるのを待っているとしたら。俺はこいつに眼の在処を教えるわけにはいかない。ライセンにはロートとしての、そしてレイツとしての恩がある。
    「もういい。今日はその用事で来たのではない。……確か、お前の家名は『ゲシュプ』と言ったな」
     貴族の声に顔を上げる。懐かしい呼び名だ。
    「ああ。その名で俺を呼ぶのは兄弟か分家の連中だけだがな」
    「『ライセン』という名に覚えは?」
    「『お前が殺した』奴の名前だ」
    「何……?あれが例の連続殺人犯だったのか。お前は共犯か?」
    「何の話だ」
    「『ライセン・ゲシュプ』は連続殺人犯としてカイメン・ウミノの下で監視されている」
     白い従者が驚いた顔を主人に向ける。貴族は微動だにしない。貴族の金の眼を見据えると、まっすぐ視線を返してきた。盗ったこいつの眼を幾度と無く見たはずなのに、放つ光も、力強さも。比べ物にはならない。こうして銀の鎖に捕らえられなくては、この輝きを知ることはなかっただろう。急に肩の力が抜け、笑いがこみ上げてくる。押さえること無く、声をあげて笑う。怪訝な顔をする貴族と従者に構わず、自然に治まるまで笑った。何も心配する必要など無かったのだ。こいつらは俺を殺す気は無いし、ライセンはあの家に居ない。となれば、やることは一つだ。
    「ああ、笑った。それで、お前は俺に姉貴を迎えに行くことを許してくれるのか?」
    「私が何を望んでいるのか、お前は知っているはずだ」
     失笑して立ち上がる。少しふらつきながら、柵の近くまで歩き血の入ったコップを呷る。血の一滴一滴が肉体に染み渡るのが分かる。生き返った心地に笑いながら、空になったコップを柵の外に差し出す。
    「あの家に行って、俺の荷物を全部取って来てくれよ。駄賃に眼は返してやる。あと太刀の手入れ道具を貸してくれ」
    「調子のいい奴だな」
    「何とでも。お前の眼が返って来るか、どこかで朽ち果てるかの違いだけだぜ」
     貴族は舌打ちをして地下から出て行った。扉の外で何かを指示する声が聞こえる。白い従者が俺に近付き、空のコップを受け取る。
    「武器ならうちのやつでいいんじゃないですか?」
    「生き残りが、俺に来いって言ってんだ。他の連中の血を吸った獲物で殺してやるのが優しさだろ?」
     もうひとつ、思い出したことがある。俺が記憶を取り戻す切欠になったのは、殺し損ねた最後の一人だということだ。

     ぎいと教会の扉を押し開ける。そっと中を覗くと聖堂は薄暗い。普段なら、この時間聖堂は解放されている。顔を覗かせたら、聖堂中の燭台を灯した祭司が嬉しそうに出迎えてくれるのだ。やはり、ここで連続殺人犯を監禁していることと関係があるのだろうか。後ろ手で扉を閉めつつ、闇に声を掛ける。
    「カイメン、居るか?」
     反響した自分の声が聞こえるばかりで、返事は無い。小さく息を吐き、暗闇を進む。ここには数度来たことがある。聖堂の構造は理解していた。進むにつれ、普段の聖堂との違いがはっきり分かる。同時にここにカイメンが居ることを確信した。空気が、重い。
     カイメンの周りの空気が妙に重いことに気が付いたのは、いつのことだっただろう。最初は気のせいだと思っていた。しかし時が経つにつれ、重みも闇の濃さも増すばかり。原因を探るも見当が付かず、手も打てないまま時は過ぎ。最近では無視できないレベルになっていた。先日の会合では気分が悪いのも隠せていなかったカイメンが、ついに今日会合を欠席した。ウミノ邸に行くと、カイメンは連続殺人犯を監視する為教会で寝泊りしていると言う。背筋が凍った。尋常ではない。カイメンは優しい子だ。だからたまに聞くカイメンの残虐非道な仕打ちは唯の噂に過ぎないと、そう信じて止まなかった。目の前で話すカイメンは昔と何一つ変わらなかったからだ。『撒き餌だ』と言って人間の子供を拾ってきた時も、照れ臭さから来る言い訳だと思っていた。しかしカイメンは事実その子供を洗脳し、この教会で自らの血を吸血鬼に捧げる祭司に仕立て上げた。
     カイメンは、変わってしまったのだろうか。かつ、とヒールが音を立てる。ハッと顔を上げる。ステンドグラスの前に影。そこに立っていたのは、紛れも無くカイメンだった。驚いた顔をして、俺に問いかける。
    「おや、どうしたんだシュロ。此処に来るなんて珍しい。会合で何か重要な報告でもあったのか」
    「いいや、お前が此処に泊り込んでいると聞いたから様子を見に来ただけだよ。お前こそ明かりもつけず、聖堂で何をしていたんだ」
    「吸血鬼にだって、一人で神に祈りたいことくらい有る。……さあ、わざわざシュロが尋ねて来てくれたんだ。茶でも淹れるかな」
    「久々だな。いただこうか」
     頷き、俺に背を見せるカイメン。カイメンと情報交換目的でもないのにお茶を飲むのはカイメンが子供の頃以来だからか、その背中に懐かしさを覚える。小さな手でクッキーを摘み、食べさせてくれたあの日の情景がつい先日のことのように思い出された。やはり、カイメンはカイメンなのだ。噂に聞くような残忍なことなんて、できるはずが。
     あることに気が付き、足を止める。後ろを付いてきた足音が止まったことを訝しく思ったのか、カイメンが不思議そうに振り向いた。違う。懐かしく感じるのは共に茶を喫するからではない。クロークの形が、『あの日』の前の形をしているからだ。
    「カイメン、こっちを向いて、お辞儀をしてくれないか」
    「はは、指導してくれるのか?」
     カイメンは笑ってこちらを向き直り、右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出した。軽く頭を下げることにより、一つに纏めた白い髪がさらりと肩にかかる。文句の付けようのない、優雅なお辞儀だった。これがカイメン自身のしたものなら、どんなに誇らしかっただろう。捲れたクロークの影に、金に光る鍔を視認する。鍔のモチーフは、鷲と盾。
    「もういい、ありがとう。……その刀は、お前の友達のものじゃないか」
    「……ああ。やはり外を出歩く時、完全な丸腰は心許なくてな。血錆こそ有るものの、切れ味は変わらないから形見として貰ったんだ。お守り代わりのようなものだ」
     目の前の男は身を起こしつつ、ちらと腰の太刀を見て柄を撫でた。細めた新緑の眼は何を思っているのだろうか。
    「羊と薔薇の鍔を友達にデザインして貰ったと、自分の本質を分かって貰えていたと。『これこそ何物にも代えられないお守りだ』と。あんなに喜んでいたのに。自分の刀はどこにやったんだ?」
     月明かりが俺とカイメンを照らす。暫く口を開いては閉じを繰り返した後、カイメンの姿をした男は柔和な笑みを浮かべた。
    「……キノリラ様には隠し通せないだろうことは分かっていました。貴殿とウミノの関係の情報が少なすぎる。カイメン・ウミノは口数の多い方ではありませんでしたがその中でも貴殿のことはよく話していました。しかし、自分について話す機会はそう無かった。会合では決まって貴殿の傍に参っていましたし、それをからかわれても決して否定するような真似はしなかったので懐いていることは分かっていましたが……ウミノが貴殿にどのような態度を取ったのか、今ではどのような反応をするのか。そういったことは酔った貴殿の口からしか聞くしかないのです。我々の知るウミノと、貴殿の口から聞くウミノの姿が違い過ぎて。事実、鍔のデザインをそんなに喜んでいたことなど初めて知りました。そんな素振りを見せたことは無かったので……まあ、私がウミノと関わる機会がそう無かったからでしょうが」
    「君は、Ⅸの鍵を任されたアーべラインだね?こんな事、誇り高い君一人なら実行しなかっただろう。決闘に負け、どんな理不尽な結果になろうと潔く退く君ならば」
     カイメンが息を飲む。眉間に皺を寄せ、軽く目を伏せた。呟くような声で答える。
    「それは、我々しか知らないと思っていました。ウミノはそんなことまで話していたんですか」
     カイメンは一度目を閉じた後、姿勢を正した。先とは打って変わり、瞳は硬く鋭い光を放っている。張りのある声が聖堂に高らかに響き渡る。
    「信頼を裏切るようで申し訳ないが、これは我々の総意です。誓いの剣を媒体に友の身体を借り、白薔薇の脅威となり得るレイツ・ロート・ゲシュプを屠るまで、我等に安息の日々は無い!」
     『自分が死ぬことについて恐怖は無い。ただ、罪無き弱い生き物が命を奪われることが虚しい。その心の穴でいつか立ち上がれなくなる。それが死より恐ろしい。だから俺は剣を取る。虚しく散る命を減らす為に』。かつてカイメンが言っていた言葉を思い出し、思わずカイメンのクロークに縋りつく。このままではカイメンは。
    「もうやめてくれ。将来有望な君たちの無念、想像するだけで胸が痛む。でも、カイメンは生きてるんだ。今を、生きてるんだよ。カイメンはお前たちを友だと言っていた。お前達にとって、友のこれからを潰してまで復讐は果たさなければならないことなのか?聞けば君たちを殺した犯人は、身体能力・自然治癒力共に高い純血吸血鬼らしいじゃないか。仮に勝てたとしてもカイメンの身体もただでは済まないだろう。吸血鬼の一生は長い。君たちが復讐を果たした後も、カイメンは長い今後を生きていくんだ。寝台から起き上がれないカイメンを見続けるなんて」
    「その時は、貴方が殺して差し上げればいい」
     殺気と共に、冷たく重い声が降ってくる。距離を取ると、カイメンの手に鳩とオリーブの鍔の刀が握られていることに気が付いた。刃にはやはり血錆と無数の傷が付いている。
    「誓いの剣を白薔薇公に下賜され、任務と共に受け取ったあの日から。ウミノも白薔薇の未来の為死ぬのは覚悟の上なのだ。貴殿は我々の死んだあの日、一人生き残ったウミノの気持ちを考えたことがお有りか?しかも実力で犯人に勝った訳でも鍵を守り抜いた訳でもなく、全くの偶然で。生き残ってしまったウミノの気持ちが。ウミノは震える手で我等の形見を、刀を受け取った。葬儀での掠れた謝罪を聞いていない貴方に分かるものか」
     忘れていた空気の重みが増すのを感じる。だが、ここで折れるわけにはいかない。両脇の剣を抜き、カイメンに対峙する。
    「たとえカイメンに恨まれても、俺はカイメンの生きる幸せを願う。君たちが刀を媒体にカイメンに取り憑いているのなら、刀を折ることも厭わないさ。Ⅹの鍵を持つベルツ、君ほど深い忠誠は持たないから」
    「……」
     カイメンの手から鳩とオリーブの刀が消え、蛙と土の刀が握られた。冷たいカイメンの表情が一転、どこか軽さを感じるものになる。
    「ずるいな、キノリラさん。そんな言い方をしたら、間違っているのはオレらみたいじゃないですか。オレらは何一つ悪いことなんてしてませんよ。確かにカイメンの肉体を借りていることには変わりありません。だけど、俺達を殺した犯人を野放しにしない為にも、鍵を取り戻す為にも、『将来有望な若者』の俺達の協力は必要不可欠です。カイメンの肉体の管理にも気を配りました。復讐に耐え得る肉体を作り上げる為に『食事』が嫌いなこいつの代わりにきちんと栄養摂取したり、魔術の鍛錬を積んだり。オレらの中で唯一の生き残りですから、皆期待してるんですよ。復讐目的だけではありません、カイメンにそれぞれの最高のものを渡すことにしました。白薔薇様お墨付きの最高の技術を。各々の持つ極点に研鑽を重ねました。死んで早五十年、一日たりとも努力を怠ったことはありません。あと少しなのです。この半世紀が報われる日が、あと少しで来るのです。
    キノリラさん、剣を収めてくださいませんか。貴方だってカイメンの目覚しい成長振りは誇らしく思っていたはずでしょう。この事実を知る者も、カイメンの身体に負担をかける存在も。貴方が少しの間目を瞑るだけでこの世から消えるのです」
     争う気の無いことを弁明するかのように、男は手の太刀を鞘に納めた。そして普段のカイメンでは到底見ることのできないような笑顔を見せ、一歩踏み出す。俺は構えを解く事無く、カイメンの間合いから外れた。ステンドグラスがカイメンの白い髪を色とりどりに染める。
    「Ⅴの鍵を持つフルム・リーネルト。あの鍔をデザインした君ならば、カイメンが普段から命を奪うことについてどう思っていたか、誰よりよく知っていると思っていたよ」
     カイメンが足を止める。互いに移動するうちに、いつの間にか聖堂の中央で向かい合っていた。カイメンの背後をステンドグラスが華やかに彩る。逆光で、カイメンの顔に暗い影が落ちた。先より数段低いトーンの声が響く。
    「ああもう。仕方ないなあ、カイメンに恨まれそうだからあまり手荒なことはしたくなかったんだけど」
     シャ、と鋼の冷たい摩擦音が聞こえる。ステンドグラスに一本の銀光が浮かぶ。目を凝らすと、やはり刀身には血錆と傷。
    「率直な話、キノリラさん。貴方邪魔なんですよ。貴方の言う『カイメンの死生観』、それはオレらの目的の一番の障害でした。羊と薔薇は生贄と聖母。カイメンの失われる命への愛は、犯人の死を強く望むオレらとは相容れないものです。カイメンに強くそれを思い起こさせる存在が、三つありました。ひとつは、カイメンの刀の鍔。デザインしたことを後悔しましたよ。まさかこんなに思い入れを持たれているなんて。もうひとつは、『撒き餌』として育てた人間。これも失敗でした。『人間も吸血鬼も嫌いだ』と言うから、洗脳前にカイメンに懐くことは無いと思っていたのに。この二つは、計画の障害になるので一緒にカイメンから遠ざけました。
    最後のひとつは、日常的に接触することは無いので放置しました。接触する時に気を付けさえすれば、支障は無いと判断したからです。事実、これは今まで排除する事無くここまで来れました。しかしどうにも弱っている時の方がよく効くようですね。先日は危ないところでした。大事な局面だったので、全てが崩れてしまうところでした。だから不安要素は全て取り除いて、万全の状態で奴との決戦を迎えることにしたのです。
    ……貴方のことですよ、キノリラさん。」
     剣を構える。カイメンの新緑の目が光って見える。昔から知っている色のはずなのに、初めて見る仄暗さを感じるのはきっと、気のせいではないのだろう。カイメンが目を細めたのを合図に、互いに聖堂の床を蹴った。

     カンテラを手に、部屋を見回す。寝台には皺一つ無く、日中油を引いた床は灯りを滑らかに反射する。最後に机に手紙を置き、荷物を持って部屋から出た。がちゃり。鍵を掛ける音が闇に響く。冷えた廊下の空気に身震いをして、マフラーを少し上げた。窓から空を見上げると、満月が辺りを眩く照らしている。
    「何処へ行こうかな」
     ぽつりとミットライトは呟いた。思えば、行き先を自分で決めるのはこれが初めてかもしれない。自分から此処を離れるなんて、昔の自分は思いもしなかっただろう。今でもどこか現実味が無い。しかし、唯一自分に与えられた『任務』を果たした今、もう自分が主人の為に尽くせることは無いのだ。カイメン様に暇を出されるのを待つだけの日々は、耐え難い。あの口から、『お前は不要だ』という言葉を聞くのが恐ろしかった。最後にここからの景色を目に焼き付けようと、荷物を置いて窓枠に手をやる。刺すような寒さと冷たく家々を照らす月明かりに、自然と主人と初めて会った日のことが思い出された。
    「いつまで転がっているつもりだ。お前を襲う吸血鬼はもう居ない。これに懲りたら以後夜間外を出歩くような真似は控えるんだな」
     いい身形をした男が僕の傍らに立つ。頭を横に向けると、僕に襲い掛かった吸血鬼の死体が無惨な姿で転がっていた。ああ、死に損ねてしまった。転がったまま、空を見上げる。汚い路地の狭い空でも、星々は美しく見える。月が傍らの男に覆い隠されて見えないのが、残念だった。
    「見た分には噛んだ形跡は無さそうだが……吸血鬼化したら面倒なことになるな。斬った奴の血筋は決して良いとは言えない。ただの暴れ回る獣になる位なら」
    「殺してください」
     吸血鬼に襲われなくとも、もう立ち上がってどこかへ行く気力は無かった。帰る場所なんて無い。今日、村ぐるみで追い出されたところなのだから。
     人に好かれる努力はしてきたつもりだ。水仕事を進んで買って出ては冷気で皮膚が裂け、素足で動き回って足裏の傷は膿となる。そうして彼方此方から滲み出た血に誘われて、奴らはやって来る。隙間風と壁の裂け目から覗く目に震えながら、村の誰もが暗い夜を過ごす。今夜犠牲になるのが自分でないことだけを、居もしない神に祈って夜明けを待つのだ。僕は呪われた子だ。僕の血は吸血鬼を引き寄せる。血を疎まれて、存在を憎まれて。それでも共に生きることを許されたくて。役に立とうと、毎日奔走してきた。今日まで夜空が美しいと思ったことは無かった。月や星は、夜の象徴だったから。小さく遠い星空に手を伸ばす。いつだって、綺麗なものには手が届かない。星が滲む。
    「嫌いだ……人を襲う吸血鬼も、身勝手な人間も。人の役には立たないくせに、災厄を引き寄せるこの血も。嫌いだ」
     傍らの男が動く気配。吸血鬼を軽々と殺せるのは、同じ吸血鬼か徳の高い僧だけだと言う。片刃の剣を振るう男の姿は、高僧には見えなかった。この男も、さっき僕を襲った奴と同じく僕の血に誘われた鬼だろう。薄い服の襟が裂かれる。来る痛みから逃げるように目を閉じる。目尻から涙が伝うのが分かった。
    「噛まれた痕は無いな。安心しろ、吸血鬼になるのは存外難しい」
     首周りをぺたぺたと叩く冷たく固い手。直後抱き上げられ、驚きに目を開けた。日の光を知らない肌は、流れる血が透けているのかほんのり赤い。月明かりに照らされた男は優しい笑みを浮かべている。本当にあの、恐ろしい夜の生き物なのだろうか。男は空いた片手を僕の前に差し出す。
    「行く場所が無いのなら、俺の協力者になって貰おう」
     惹かれるように、自分よりずっと大きくて冷たい手をそっと握る。男は僕を抱えて歩き出した。冷たい風にさらさらと靡く髪に目を奪われる。初めて触れた吸血鬼は、長く白い髪にイブニング・エメラルドの瞳が映える、朝露のような美しさだった。
     思い出を振り切るように黙々と廊下を進む。カイメン様の滞在されている部屋の前は避けたい。その一心で移動すると、いつの間にか聖堂へ続く扉の前に立っていた。
    「これも、宿命ですかね……」
     複雑な思いに溜息を吐く。聖堂を抜けて此処を去ることを決め、懐から鍵束を出した。自分が寝込んでいたここ数日は、夜この扉が施錠されていることは分かっている。自分以外のここの者が夜聖堂に居るはずが無い。鍵穴の向きを確認しようと顔を寄せる。扉の向こうから聞こえる話し声に、息を呑んだ。誰だろう、こんな時間に。望まない客人なら、対処の為今日ここを旅立つのを諦めねばならない。よく会話を聞こうと、耳を寄せる。軽く押した扉が動き、あわてて身を引いた。鍵が、開いている。糸のような隙間から、鮮明な声が漏れてきた。
    「もうやめてくれ。将来有望な君たちの無念、想像するだけで胸が痛む。でも、カイメンは生きてるんだ。今を、生きてるんだよ」
     シュロ様。此処を滅多に訪れないかの方が、何故このタイミングで来訪なさっているのだろう。カイメン様の話題のようだが、内容が見えない。一体誰と話をしているのだろうか。聖堂を覗こうと荷物を置き、壁に手をやる。
    「その時は、貴方が殺して差し上げればいい」
     地の底から響いたような低い声に背筋が凍る。聞き慣れないはずの声の主が、分かってしまった。そんな、まさか。この方が、カイメン様が、こんな声を出すはずが。思いに反し、額に汗が滲む。半分放心して会話を盗み聞く。目の前で繰り広げられる話は、どれも初耳のものばかりで。知らない過去、知らない名前、知らない、役割。自分が今まで信じていたものが全て崩れていく、感覚。
     もしカイメン様が今までも取り憑かれていたとしたら、僕の敬愛する『カイメン様』は『どなた』なのだろうか。剣術を教えてくださった方は?吸血鬼という種族の尊さや、人の心を集める所作や態度を教えてくださったのは誰?布団へ潜り込んで寝てしまった僕を背負い部屋へ運んでくださったのは?食事の時、汚れた口周りを不器用に拭いてくださったのは?教会へ行く僕に、自分が片時も離さず身に付けていた刀を譲ってくださったのは?あの日、僕を抱き上げてくれたのは?『任務』を、『生きる意味』を与え、そして世界の美しさを教えてくださったのは、どなたなんだろうか?僕が尽くしたいのは、どなたなのだろう?
     呆然と扉の前に立ち尽くす。剣が交わる高い音が、扉の向こうから響いてくる。闇に紛れた小さな影が音も無く近付き意識を奪っていったことにすら、気付くことはできなかった。
     崩れ落ちる祭司の身体を支え、壁にもたれさせる。念のため僅かに開いた扉を静かに閉め、祭司の手から鍵束を取った。肩に留まる相棒によく見えるよう、窓際へ行き目の前に掲げる。
    「有るかい?」
     相棒は迷い無く、黒い嘴で一際大きく頑丈そうな鍵を小突いた。
    「ありがとう。今回は君に働いて貰いっ放しだなあ。これが終わったら、暫くゆっくりお休み」
     今回は本当に、相棒が居なかったらこうも上手くは事が運ばなかっただろう。会合の日、『白髪の純血吸血鬼』の情報が手に入ったのは相棒が街を飛び回っていたからだし、『白髪の純血吸血鬼』を探すスファレライト・ウォードの妙な行動に気付いたのも相棒のネットワークからだ。お蔭でウォードやウミノと目的の吸血鬼が違うことも分かったし、何よりウォードが吸血鬼を二人共あの家から引き出してくれたからじっくりあの家を物色することができた。

     黒い頭を優しく撫で、事前に相棒に知らされた通り聖堂と真反対にある部屋を目指す。足音も気配も消し、なおかつ素早く。気を抜いて音を立てたり、影を作ってしまった日が懐かしい。昔はよく失敗した鍵開けも、術が施されていない限り音さえあればこなせるだろう。教会の半吸血鬼や吸血鬼と遭遇しかけたが、難なくやり過ごし目的の部屋へ辿り着く。先の鍵で解錠し、吸い込まれるように部屋に侵入した。
    「あら、貴女が此処に来るなんて思いもしなかったわ」
     部屋の住人が驚いたように声をあげる。
    「僕だって注文主が記憶喪失になっているなんて思いもしなかったよ」
    「届けに来てくれたのかしら?御免なさい、記憶の件が無くても完全に忘れていましたわ」
    「そんなことだろうとは思ってたよ。注文を受けた……戦ったあの日から、毎日のように出ていた君の犠牲者が途絶える日までかなり間があるからね。君に届けに来たのは、料金を戴いた以上一職人として品を受け取って貰わなくてはならないからさ。配達料を請求する気は無いから安心しなよ」
    「あら、親切ね。それなら、これを外すお仕事も請けてくださらない?もちろん色は付けさせていただきますわ」
     そう言って、ライセンは銀の鎖で繋がれた両手を気だるそうに掲げる。フェオは静かに近付き、鎖と同じ輝きを放つ髪を耳に掛けた。ライセンの傷が癒えていない白い手を取り、枷をじっくりと観察する。鍵束を取り出し一つ一つ見比べた後、溜息を吐き手を離した。
    「ちょっとこの枷を君の手から外すのは難しいね。面倒な術が仕込まれてる。鎖には何も細工されてないみたいだから、壁から鎖を抜く事自体はできるけど。腕を落とすのが一番早いと思うよ?」
    「今腕を失うのは困りますわね。血が足りてませんの。再生に時間が掛かるわ」
    「そう。じゃあ抜こうかな。どのくらい音が響くかな……どうも今面倒なことになってるみたいだから、あまり騒がしくしたくないんだよね。敵に囲まれると面倒だから、先に品を渡しておこうか」
     そう言ってフェオはマントの下から大きな木箱を取り出す。百合の紋章の焼印の入った蓋を開け、中身をライセンに見せる。整然と並んだ弾丸が、月光を鈍く反射していた。ライセンが頷くと、再び蓋をして箱を脇に寄せる。
    「この『銀弾のイーレ』に鉛の弾を頼むなんて君が初めてだよ」
    「あら、鉛弾もまともに作れない方が吸血鬼殺しの銀弾を鋳ろうだなんておこがましいと思いませんこと?それにわたくし、貴女が言う『力無き者』ではありませんの。銀の弾なんて、わたくしの足枷にしかなりませんわ」
    「そう言い切れるなんて羨ましい限りだよ。まあ、嫌いじゃないけどね。不必要に自分を小さく見せるより、ずっと素敵だ」
    「事実ですわ」
    「ふふ。じゃあそろそろ壁を壊そうかな。あ、そうだ」
     フェオは思い出したように懐から布の包みを取り出した。丁寧に開くと、そこには金の装飾が美しい二丁の拳銃が。ライセンの金の瞳が見開かれる。小さな銀の吸血鬼が、朗らかに笑い決まり文句を言った。
    「手入れはしておいた。サービスだよ。またイーレの弾丸を宜しくね」

     聖堂に剣戟の音が響く。シュロ・キノリラは流れるように移り変わるカイメンの戦い方に翻弄されていた。そのどれもが、自分の知る彼のものではない。正面高くから振り下ろされた刀を剣を交差させ受け止める。斬撃の重みに腕が震える。ギチギチと音を立てる己の剣の向こうに、刃毀れと血錆の目立つ刀が見えた。鍔を確認しようと視線を動かす。兎と百合。カイメンが視線に気がついたのか、静かに笑う。
    「私のことを知れば、対策を打つことができるのですかな?残念ですが、私の技に小細工はありませんよ」
     言うやいなや、カイメンはより深く踏み込み負荷を掛ける。降ってくる重みに耐え切れず、腕が震え少しずつ下がる。体勢が維持できない。わざと姿勢を崩し、刀を流す。素早くカイメンの背後に身を移し、右肩に切っ先を向けた。しかしカイメンは背中に目が付いているかのように剣の軌跡を紙一重で避け、振り向く勢いのまま斬り払う。床を強く蹴り距離を取った。カイメンの舌打ちが聞こえる。まただ。どんなに死角や隙を突いても、見えているかのように避けられてしまう。まるで『別人と交代している』ように。
    (というか、多分割って入ってるんだろうな)
     息を整えながら対峙する者の鍔を見る。浅く深く息を吐くカイメンの手元には、鶏と太陽。気持ちを切り替えよう。相手は万華鏡のように変化しているのだから。軽く笑い、カイメンに話しかける。
    「せわしないな。Ⅵのカロス・リーネルトの次はⅡの君か。二人共よく鍛えられているな、太刀筋が真っ直ぐだ。若い君たちに力勝負で勝つのは諦めることにするよ。年寄りは君たちほど純真にはなれない」
     カイメンは俺の言葉にイライラを隠そうともせず、吐き捨てるように言った。
    「カロスと俺が力押し一辺倒の単純馬鹿みたいな口ぶりだな。彫刻を掘る為に力ばかりつけたあいつと、遠征任務で経験を積んだ俺を一括りにしないで貰おうか」
     知っている。Ⅵの彫刻家、カロス・リーネルトとⅡの遊撃隊長、ヴェルナーの間には衝突が絶えないこと。自分の優位な点を主張する一方で、互いの功績は認めていたこと。ぶつかり合っては技量を伸ばす、良き友だったこと。全部、知っている。カイメンが教えてくれたから。両肩を大げさに上げ、わざとらしく笑う。
    「そうなのか。すまないな、分からなかったよ」
     カイメンが床を蹴る。突きの姿勢。いなすのは無理だと判断し、後ろに跳ぶ。背中に壁の衝撃を確かめると、そのまま壁沿いに走った。俺を追ってカイメンは長机の上を走る。不安定で走りづらいだろうに、速い。みるみる距離を詰められ、刀の切っ先は俺の右胸の目前に。壁に突っ込むつもりで走り続けながら、呪文を唱えた。
    「誰が『弾除けの呪』になんか掛かるか!」
     突きの軌道が俺から逸れても動じる事無く、カイメンは流れるように刀を上段に運ぶ。頭上に刀が振り下ろされると同時に、俺の身体は壁に突っ込む軌道から逸れ横に放り出された。すぐさま地を蹴り、大きく空振りしたカイメンに足払いを掛ける。前のめりに倒れたカイメンは壁で頭を強打する。転倒したカイメンの刀目掛けて剣を振り下ろした。
    「させませんよ」
     剣を受け止めたのは、いつの間にか狙っていた刀の反対の手に握られていたカロス・リーネルトの刀だった。カイメンは右手のヴェルナーの刀を放り投げ、両手でカロスの刀を握る。先程と違い、上から降る俺の重みにカイメンの腕が徐々に曲がる。ピチ、とカイメンの手の刀が音を立てた。俺は右腕に体重を掛けたまま、鋼の強度を上げる呪文を唱える。左腕を引き、血錆の酷い箇所に狙いを定め。
    「後は、頼みます」
     貫いた。折れた刃が壁で跳ね返り、床に刺さる。奇しくもステンドグラスによって描かれた百合の上に傷だらけの刃が光った。カイメンの手から兎と百合の鍔の刀が滑り落ちる。カイメンの腕から力が抜ける。瞬間、カイメンの回し蹴りを横腹に食らいバランスを崩した。手に新たな刀を握ったカイメンは素早く起き上がり、前転しながらヴェルナーの刀を回収して長机の影に飛び込む。追うも、通路に差し掛かる寸前悪寒を感じ足を止めた。銀の刃が目の前で振り上げられる。摩擦か、鼻の頭が痛い。飛び上がったカイメンは、こちらに背を向け少し離れた長机の上に着地した。立ち上がり、顔だけこちらを向く。鍔は、見えない。
    「いい判断です。面白くもない」
     不愉快そうに眉を寄せる。こちらへ向いていた視線を宙へ移動させ、有無を言わせない響きで誰かに語った。
    「ヴェルナー、貴方は頭が冷えるまで交代禁止です。異論はありませんね」
     宙を鋭く睨みつけ、声は怒気を孕む。注意が自分から逸れた安堵から、深く息を吐いた。これだけ刃を交えて、やっと一人か。あと八本、折る体力があるか不安を覚える。それにしてもそんなに怒るなら、自分が入れ替われば良かったのではないか?見たところ九本それぞれ血錆・刀傷共に酷いが、力に物を言わせる戦い方をするⅡとⅥの刀身への負担は他より大きいだろう。自由に入れ替わっているようで、実は制約が有るのかもしれない。制約の鍵を掴もうと、記憶を掘り起こす。入れ替わられた時と、そうでなかった時の違いは何だ?
    「考え事とは、随分と余裕ですね」
     風切り音。反射的に剣を首横で構える。鋼の高い音と手応え。視線を横に流すと、首へ向かって薙がれたであろう刃を受け止めていた。冷や汗が滲む。目は、離していなかったはずだ。距離を取ろうと刀を弾き、前の長机に飛び乗る。振り向く事無く前に前にと跳び続けた。靴音が通路を追いかけてくる。これでは不利なままだ。カイメンの背後を取る為最後列の机に足を付け、後ろに勢い良く跳んだ。カイメンが止まり、振り返るより先に双剣を振り下ろす。やはり紙一重でかわされ、斬撃が降ってくる。流す為剣を構えた。しかし血錆だらけの刀を受けたのは見慣れた両刃の剣ではなく、色ガラスの光を眩く反射する片刃の剣。カイメンが驚きに目を見開く。俺の前には、そう身長の変わらない男の背中があった。
    「何だ?お前が殺されたいのは俺にじゃなかったのか?」
     弾む男の声。赤い雫の耳飾が楽しそうに揺れる。カイメンの表情はみるみる憎悪に染まり、腹の底から這い上がって来たような声で男の名前を口にした。
    「レイツ・ゲシュプ……!!」
     カイメンの様子を見て、男が『彼ら』の復讐相手だと悟る。カイメンは男の刀を弾き返し、聖堂の中央まで後退した。掲げた刀の影が救世主を裂く。カイメンは男を鋭く睨み、魔の言葉を紡いだ。
    『数多の祈りを聞き、天上へ賛歌を届けし我が作品よ。今こそ目覚め本来の役割を果たせ!』
     柱や床の紋様が光を放つ。カイメンの背後のステンドグラスがぐにゃぐにゃと蠢く。驚き周囲を見回すと、聖典をモチーフにしたそれが、全て動植物や武器を描いたものに姿を変えていた。目を凝らすと、術がびっしりと刻まれている。鶏と太陽、鳩とオリーブ、兎と百合。これは、もしや。カイメンの握る刀の鍔を確認する。鹿と斧。カイメンは作品の説明をする子供のように揚々と語る。実際彼は、Ⅳの建築家、ハオルク・リーベルトは最も精神が幼かった。
    「ここはね、九人の友人の死を悼む為に『カイメンが』一から全て造り上げた教会なんだよ。どうかな?カロスやゼクレスとの合作なんだ。美しいのは当然だけど、処刑場としての機能面も最高だと思うよ!弟がここに飾られる君の首を見れずに欠けちゃったのは残念だなあ。美しいものと醜いものが同じ画面に映ることで、美しいものは至上の輝きを得る。作品の完成を見てもらいたかったよ。処刑場は受刑者が居ないと輝けないからね」
    「処刑場としての、機能……?」
     声が漏れる。俺の声に気が付いたのか、カイメンは眩しい笑顔をこちらに向ける。
    「そうだよ!キノリラ様はよく見れば分かるかな?魔力を断たない限り、教会に誰一人出入りすることはできない。他にも色々あるけど……まあ刑が終わればいいだけの話だよね!」
     笑顔で駆け出すカイメン。男の目も、楽しそうに赤く光る。待っていたかのように男も床を蹴り、二振りの刀は交差した。聖堂に激しい鍔迫り合いの音が響く。確実に急所を狙うカイメンの攻撃を、男が軽々と受けては反撃する。男の刀を正面から受けたカイメンは、踏ん張りきれず体ごと押し戻された。力では勝てないと判断したのか、カイメンは巧みに魔術を組み込み男を翻弄する。男は術に掛かりながらも、時にはすぐさま立て直し時には利用して攻撃に転ずる器用さを見せた。二人の間に入るのは危険だと判断し距離を取る。どうする。今は互角でも、男は純血吸血鬼だ。傷がすぐ癒える彼とでは、カイメンが劣勢になることが見えている。悩むうちに、男の弾んだ声が聞こえてきた。
    「お前、仲間の真似してんのか?足運びが同じだぜ!」
     そう言って男はカイメンの脚に鞘を掛け、顎に向かい刀を振り上げる。脚がもつれ体勢が崩れたカイメンはそのまま仰け反り長机の間に倒れこんだ。男は刀を上段に構え、軽い掛け声と共にカイメンに振り下ろす。
    「よっ」

     カイメンは左手で長机を掴み、男に投げる。バリッと音を立て分断される机。パイのように机が切り捨てられた隙に、カイメンが後転して距離を取ったのを見て安堵の息を吐いた。男は舌打ちして机の残骸を蹴り飛ばす。ガラガラと転がる机を見て背筋が凍った。あんなのを食らったら吸血鬼といえどカイメンは。男に向かって叫ぶ。
    「待ってくれ!カイメンは死んだ友人の霊に憑かれているだけなんだ!遺品の刀を全部折ればお前を襲おうとはしない!」
     俺の呼びかけに男がこちらを振り返る。男は今初めて俺に気が付いたようだ。
    「あん?そんな面倒なことするより、こいつ殺した方が早いだろ?お前巻き込まれたのか?ちょっと待ってろよ、直ぐ出れるようになる。どうせこいつはあの日死ぬはずだったんだ。責任取って俺がきっちり殺してやるよ」
     男は燕尾を翻し、カイメンへ踊りかかる。カイメンも又、迎え撃つように構えた。どちらも手の刀は急所に向いていて。溜息を吐き、収めていた剣を両鞘から抜いた。カイメンの殺害を阻止しながら、刀を八本折ろう。刀を折った後、この純血はどうする。純血は何の用でこの教会へ来たんだ?今更カイメンの息の根を止めに来たわけでもあるまい。目の前の難題に頭痛を覚える。
    「これは、数日筋肉痛で仕事できないな……」
     呟いて天を仰ぐ。術式に縁取られた色とりどりのステンドグラスが聖堂内を眩く照らす。端から順に視線を移していく。梟と本、鶏と太陽、鹿と斧、蛙と土、兎と百合、蛇と剣、狼と月、鷲と盾、鳩とオリーブ。羊と薔薇は、無い。二人に視線を戻し、慎重に間に入るタイミングを測る。
     カイメンを日常に取り戻す。その為なら、多少の苦労は無いも同然。事情がどうであれ、俺のやることはひとつなのだ。心を固め、吸血鬼となった人間は床を蹴った。
    ===========
    三冬さん宅オズウェルさん、スファレ・ウォードさん
    一元さん宅シュロ・キノリラさん
    お借りしました~
    そしてハートありがとうございますMOGUMOGU

    次回で一区切りつけばいいな(願望)
    ~今回の犠牲者~
    Ⅵの鍵を持つカロス・リーネルト

    残り八本という絶望!そろそろこの死んだ友人について纏めないと私がいつかやらかす
    碧_/湯のお花 Link Message Mute
    2016/05/01 1:21:05

    白薔薇の下に

    デイリーランキング最高1位 (2016/05/03)

    【吸血鬼ものがたり】未来は希望に満ちていた ##吸血鬼ものがたり ##復讐編
    話リスト(http://galleria.emotionflow.com/20316/537486.html

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