彼がそれを吞まされるまで(最終巻巻末ページに寄せて)主催の龍水、供応役のフランソワ。賓客は科学チームから千空、クロム、スイカ、ゼノ、サイ。バトルチームから司、ニッキー、金狼、ほむら、スタンリー。外交官として既に就任しているゲン。加えて、南、ルリ、ソユーズ、ルーナ、そして、羽京。
羽京はこの面子が円卓を囲んだ時点で、気付くべきだったのだ。かなりの難易度だが、それでも、気付くべきだったのだ。
招待状には、ただ「会食」とあった。ホワイマンとの対決を終え、人類復興に向けてスパートのかかった今、都合のつくメンバーだけ集まったのだろうと、羽京はそう呑気に捉えていた。
「そろそろ本題に入ろう」
食後のコーヒーが注がれる中、龍水がそう切り出したときでさえ、羽京はまだ呆けていた。龍水財閥を本格的に発足させた今、タダで食事を振る舞うこともないだろう、何か事業の相談だろうか、などと。
龍水は、大きな口で、いつものように、のたまう。
「『政府』が欲しい!」
その言いように、場が凍り付く。羽京は恐ろしくてたまらなかったが、耳は全神経でもって司の、既得権益を何より嫌った人類最強の挙動を探った。万が一の暴力沙汰を避けるために。
「龍水ちゃ~ん……それってどういう意味のヤツ? 財閥の傀儡国家が欲しいってこと?」
ゲンが、あえて軽い口調で切り込んだ。龍水は鼻を鳴らす。
「俺を何だと思っている? あくまで公平な、人類復興の舵取りをするための、……そうだな、日本の統治に留まらず、石化前の国連かWHOに近いような、いわば『復興政府』が必要だと言っているんだ」
「へえ、意外だね。財閥にとっては、政府ってのは目の上のたん瘤みたいなものじゃないのかい」
ニッキーは訝しげに片眉を上げる。
「財閥はあくまで利益の希求が本分だ。富の再分配、教育や福祉の充実といったものは、政府に任せるのが筋というものだろう。それらは人材育成という形で龍水財閥の利益にもなる。無論、公共事業の入札は俺のものだぜ」
世界一の欲しがりは、16人の仲間から一斉に白い目を向けられた程度では、尊大な態度を崩さない。
ゼノは右手を掲げて、人差し指と中指を交差させた。それはキリスト教徒が行う祈りの形であり、ゼノが思考を巡らすときの癖でもある。
「つまり、この17人で、その『復興政府』とやらを作ろうというわけだ」
サイが、椅子の上でピャッと飛び上がった。
「そんなわけないだろっ?! 僕はっ聞いてない!」
「ハッハー、流石にそれはな。だが、『復興政府』の旗振り役として、酋長たる者を、この中から選んではどうか、とは思っている」
「……うん。そういうことなら、そうだね。新しい政府の中に、科学王国の中から、誰かを代表に出すのは、賛成だ。志を同じくする人物をね」
司がゆっくりと頷く。暴力沙汰の危機は去ったようだ。羽京は詰めていた息を吐いた。
「どうやって選ぶ? 投票でもすんの?」
煙草をしまった胸ポケットに手を伸ばしながら、スタンリーが訊ねる。箱に触れて、思い直したように手を下ろした。
「投票?」
「長を決めるなら、試合をするのではないか?」
「宝島では血筋で決めるけど」
「おう、科学のやり方ってどんなのだよ?」
クロム達から疑問が上がる。宇宙飛行士の子孫達はまだ、制度としての民主主義を知らない。
「日本では、それぞれ自由に一人を選んで、一番人気のある人を決める、ってやり方よ~。でもさあ龍水ちゃん、この17人の中で、ってのはリーム―じゃない? 俺は既に外交官だし、龍水ちゃんだって『俺が!』って思ってる訳じゃないんだし、サイちゃんみたいに慌てちゃう人も居るでしょ~? 千空ちゃんとかもさ。まずは立候補するかどうかを聞かなくちゃ」
千空は龍水の真向かいに席があり、コーヒーを注がれたのは一番最初だった。砂糖もミルクも入れないまま、ティースプーンでコーヒーをかき回している。吹き冷ますより合理的らしい。
「あ゛あメンタリスト様の言う通り。そーいうのは科学者のすることじゃねー。ただでさえ、タイムマシンの研究でクソ程忙しいんだからな」
「おう、俺も科学で忙しいぜ!」
「スイカも科学の方が良いんだよ」
「僕もだからなっ」
科学チームから次々と声が上がった。ほむらがそれに続く。退屈そうに、まだ空のコーヒーカップを眺めたまま。
「『復興政府』っていうのには、……賛成。でも私はやらない。氷月様の傍に居たいから」
「俺も辞退したい。俺はルールを守るのは得意だが、新しいものを作っていくのには向いていない。警察の一員として、協力していきたいと思う」
金狼が真面目に告げた。彼は、陽の誘いで、ほむらや銀狼達と共に、警察組織を作ろうとしている。
「僕も……」
ソユーズが、傷跡の残る頭を掻く。
「僕が宝島の長になったのは、島の伝統があったからだ。新しいものを作るのに協力は惜しまない、けど、長として立つなら、父さんや先祖が伝えてきたものを大事にしていく自分でありたいんだ」
ルリは気まずそうに顔を伏せる。
「私は、千空や皆と一緒に、新しい物を作るのが本当に楽しくて。実は、杠から『ファッションの会社を作ろう』と誘われているんです。私はそちらを作ってみたいのです。個人的な我儘なのですけど」
「自分の目標を追うのは我儘じゃないのよルリちゃん。それ言ったら、科学チームみんな我儘通してるからね」
すかさずゲンのフォローが入る。場の空気が少し緩み、コーヒーを注ぎ終わったフランソワが、スタンリーに灰皿を差し出した。スタンリーは一度固辞するが、結局、シェフの親切をそのまま受け取った。
角砂糖の器に一番近かったソユーズが、ルリに頼まれてそれを取ってやり、そのまま反時計回りに角砂糖とミルクがリレーされる。
ここまで8名、怒涛の辞退である。千空が人の悪い笑みを浮かべて、司に水を向ける。
「どうだよ司、もう一回、司帝国を始めるチャンスじゃねーか」
「遠慮するよ」
司は穏やかに答える。
「銃どころかミサイルすら製造できる現状、人類最強の拳士が国を治める利点は無い。……うん、ニッキーはどうだろう? コーンシティでのリーダーの経験を活かすのは?」
「こうやって候補に選ばれたのは、嬉しいんだけど」
ニッキーはコーヒーカップの持ち手を人差し指でなぞった。夢を打ち明ける乙女の仕草だった。
「あたしは大学に行きたいんだ。コーンシティでのこと、他の結末もあったんじゃないか、って思うんだよ。だから勉強がしたい」
「私も! 私も勉強したいわ。他に人が居ないから、医療を担当してきたけど、知識も技術も半端な医学生のままだなんてゾッとするわ!! 私は出来る女ルーナよ。完璧なスーパードクターになるんだから。南は記者なんでしょう、大学を出てるんじゃない?」
急き込むように身を乗り出したルーナ。南はつんとそっぽを向いた。
「私はマスコミよ。政治を監視する側なの。自分が政治家になるだなんて、冗談じゃないわ」
黙ってコーヒーを飲んでいた龍水が、口を開く。
「フゥン、ここまで不人気な役職になるとはな。しかしそれぞれに道理の通った理由がある。どうだ羽京、やってくれるか?」
羽京は心底困った。辞退する理由ならいくらでもある。第一に政府の酋長を務めるなんてガラではないし、(千空や司の前では馬鹿々々しい言い分だが)高卒の身の上である。職務上、英語を始めとした知識はあるが、あくまで職務に必要な範囲を出ない。南が政治を監視する側だと言うのなら、羽京は政治に従う側の人間だ。下士官が担うのはおこがましい、順当にいくなら、階級が上の……。
羽京はスタンリーを見た。アメリカ空軍のパイロットを経験しているなら、確実に佐官だ。つまり、元ソナーマンよりも二つ三つ、階級が上だ。
スタンリーの隣で、ゼノの瞳が暗く嗤った。
おお、スタン、君にお鉢が回ってくるようだよ。君が政府のトップというならば、僕も随分やりやすくなるじゃあないか。やれるだろう、スタン?
人並み以上の洞察力を持つ羽京には、かつて選別を説いた科学者の言いたいことがよく分かった。相棒からのアイコンタクトを受けて、スタンリーは深く煙草を吸う。
「出来るね」
煙草に沿えた手の隠す唇が、確かにそう囁いたのを、最強の耳が聞いた。
脳裏を銃声がつんざいた。M4でも89式でもない自動小銃の発砲音。あのとき南米で聞いた音。羽京は何も言えなくなった。御馳走を詰め込んだばかりの胃が、不快な重さに変わる。
僕がやらなければならないのか。
羽京は唾を飲み込む。血の気が引いていく。自分のガラではない。司帝国の頃から痛感している。圧倒的強者に反発することができず、理論武装で己を誤魔化すばかりで、誤魔化しとおすこともなく裏切って、千空と行動を共にしてからだって、主張したのは「銃はダメだ」という懇願だけで。挙句、南米では年甲斐も無く与えられた役割に没頭して。
「俺達はそれぞれの分野に特化し過ぎている。うん、この中から選ぶのは現実的では無いよ」
司の助け舟。ゼノとスタンリーの良いようにされるのは、彼も本意ではないのだ。
羽京は延命を許された。
「僭越ながら」
これまで気配を消して控えていたフランソワが、口を挟む。
「千空様の掲げる目標や、司様の想いを共有できる人材は、新たな復活者の方の中にもいらっしゃるのではないでしょうか」
龍水はフィンガースナップを鳴らした。
「それもまた道理だな。南、貴様の人脈に心当たりはあるか?」
「あるわよ。それで良いならね。向こうの意向も聞かなきゃならないけど、何人か候補に挙げられるわ」
なんのこともないように、南は頷いた。
言われてみれば、馴染みの仲間にこだわる理由は無いのだ。羽京は目の覚める思いがした。そんなこだわりこそ、科学的でも合理的でもない――。
「さっすが南ちゃん♪ でも出来れば、幹部くらいには、誰か出したいよねぇ~。俺達の信頼できる仲間で、新しいリーダーを見守る役割の人がさぁ~」
「うん。出来れば、護衛もできる人が望ましいな」
「先方の迷惑になっちゃいけないから、石化前の社会経験があると良いわよね」
「俺はゼノのお守りで手一杯だぜ」
「そうかい、スタン? 僕は科学者と兼業で構わないなら、引き受けても良いが」
「おっやぁ~? ここに超絶お優しい性格の元公務員様が居るじゃねーか」
「うむ。真面目だしな」
「おう、羽京と石油探索したときはめちゃくちゃやりやすかったぜ!」
「ちゃんとしてる。氷月様もきっと納得する」
「羽京がやってくれるなら、村の皆も安心します」
「島の人達もだよ」
「そうね、良いんじゃない?」
「向いてると思うよっ」
「スイカも賛成なんだよー!」
「大学を出たら、あたしも手伝いに入ろうかね」
「皆落ち着いて~。羽京ちゃんまだなんにも言えてないよ」
「ハッハー、確かに羽京の意志はまだ聞いていなかったな」
羽京はようやく息の出来る心地がした。サポート役ならば慣れている。それなら、きっと。少なくとも、トップオブトップに立つよりは。
「僕がやるよ」
『復興政府』の酋長を支える。もしかしたら、道を違えたその人を裏切ることになるかもしれない。だがそのポジションこそが卑怯者の自分に相応しいだろう、と羽京は思う。ずっと口を付けていなかったコーヒーを取り上げる。口が乾いていた。カップの中で揺らぐ水面を見たとき、ふと思い出すことがある。
自分の意志で選んだ、と思わせて、その実選ばされているフォーシング。大きな要求を断られた後で、小さな要求を呑ませる、ドアインザフェイス。船の設計案を決めたとき、モズの襲撃をやり過ごすとき。そういうやり口を、ずっと近くで見てきたのではなかったか。
羽京は顔を上げる。ゼノとスタンリーはなぜこの場に呼ばれたのか。言ってはなんだが、彼らが科学王国の代表候補というのは、あまりに。
二人はゲンに意味深な視線を送っていた。メンタリストはウィンクで返す。
羽京は殆ど取り落とすように、カップをソーサーに戻した。
「ハメられた……」
「なんのことかなあ?」
円卓を囲む16人の悪魔が、笑う。