萍水相逢う:後編 (へいすいあいあう)・注意書き
「崩壊:スターレイル」の二次創作
R15(主に倫理面において)
ヤリーロⅥ以後、オリジナル惑星での冒険
V2.26時点の瞬間風速の記録
女主人公(星)壊滅の道
CP無し
オリジナルキャラ(モブ)あり
捏造多し
いくつかの用語の解釈が間違っているかもしれない
四肢欠損
文字化けによる表現
転載禁止
翻訳禁止
保存禁止
難民キャンプは、天幕の集合住宅だった。
櫛形に積まれた石壁を共有して、何部屋もの個室が連なる。天幕がきちんと掛かっている部屋、破れて半分だけになっている部屋、すっかり露天になっている部屋。灯りが点いている部屋は僅かだが、真っ暗な部屋でも、人が詰めかけて何かしている。静かに眠りたい者はむしろ路上に寝そべっていた。
とにかく音が五月蠅い。怒号、笑い声、囁き声、金切り声、泣き声、全部聞こえる。特別に高く響くのは、嬌声。
「はわ……。ここって、夫婦ばっかり住んでいるのかな? 二人っきりじゃなくても、するんだね……。情熱的、っていうのかな」
なのかは照れているようだった。腰に提げたカメラを、隠すべきかどうか、気にしている。
「駐屯地の兵士が訪れているようだ。隊列を崩すな」
丹恒が警告を発した。
3人一緒であれば自由に行動して良い、と言質は取ってある。星は路上に寝ている人に、手当たり次第に声を掛けてみた。老若男女様々だったが、皆、話が通じず、たいていは「螢イ縺」縺ヲ縺ェ縺」という返事だった。それがどういう意味かは分からない。星の話している内容が分からない、という意味かも知れない。
ゴミ箱も忘れずに漁る。いつもは、なのかと一緒にドン引きしているだけの丹恒が、今日は「汚いから素手では触るな」と口煩い。機嫌を直したように見えて、実はまだ少し怒っているのかもしれない。
”難民キャンプ”のメインストリートを端まで歩いたとき、「お客さん、どうだい」と、猫撫で声が聞こえた。言葉が通じる! 当たり前のことが、こんなに感動的な出会いに変わるなんて!
声の聞こえた方を振り返ると、ボロ布を無理矢理に胸の前に掻き合せた男が、辻の角に立っていた。右頬に傷跡があり、唇が引き攣れているが、左頬は人当たりの良い笑みを浮かべている。
「『どうだい』って?」
星は聞き返す。
「『どうだいって?』。『どうだいって?』。ひぇっひぇっひ、お客さん、ちょっとお客さん、ここに立ってごらんよ。灯りの届くところへ。まぁー3人も居なさるか。当ててあげようか」
「何を?」
今度はなのかが聞き返す。
丹恒は会話に参加するつもりが無いようで、スマホをいじり始めた。「星穹列車♡ファミリー」にメッセージが書き込まれたことを、スマホが通知する。星は、謎の男の気に障らないように、そっと確認した。丹恒と姫子が会話している……。
『姫子さん、頼みがある』
『どうしたの?』
「田舎から来なすったね。お若いのに、教養がある。これから入隊するところ……軍事調練は済まされた? いや、まだかもね。きっと、まだだ。ううん、軍に入隊しに来たんじゃあないや。目的は紫雲衝山? そうだと思ったよ、巡礼者かい。熱心なことだ。これで決まった。お客さん方、田舎の寺の跡継ぎってところだろう!」
謎の男は、1人でべらべらと喋っている。なのかと丹恒は白けているが、星は楽しくなってきた。そういう人物を演じてみるのも、一興だ。
「すごい、当たっている。どうして教養があると分かったの?」
スマホの方では、引き続き丹恒が何か言っている。
『星と三月が花街の解説を求めている。姫子さんから話して欲しい』
『「花街」って何て読むの?』
『いま『難民キャンプ』の話してる?』
星となのかが、それぞれにグループチャットへ送信した。姫子の答えは歯切れが悪い。
『歓楽街のことよ、……詳しい説明は、文章では難しいわね。顔を合わせたときに、改めて話しましょう』
可哀想な謎の男は、特に気にせずに喋っている。
「そりゃあ、お客さんが色んな人に声を掛けては、困らせているところを見ていたもの。山麓共通語が分からないくらいの田舎から出てきて、でも共感覚ビーコンは使える。身なりが良いのもそうだ、ここらじゃもう、まともな布なんか手に入らない。お綺麗なまんま、ここまで旅をして来られたんだから、相当に教養があるよ。そうだろう?」
「寺の跡継ぎだって分かったのは?」
星はスマホの画面を視界に捉え続けている。
『開拓者にとっての「未知」は、夜空に浮かぶ月のようなものね。少しだけ歩いていらっしゃい。丹恒の言うことを、よく聞くのよ』
『2人を止めてくれないのか?』
『星も三月ちゃんも、小さな子供ではないのだから、耳も目も塞ぐのはおかしいわ。いずれ勉強することになるのなら、丹恒が付いていてくれる、今が一番安全よ。私はあなた達を信じているの』
「紫雲衝山って言葉に反応したじゃないか。でも入隊しに来たんじゃあない。そうだろ? だったら巡礼者だ。それもよっぽどの巡礼者だ。衝山伸々、湖河海潭、ってな。おいらくらい目端の利く奴にはね、そのくらい分かるってもんですよ」
男は、祈りの言葉を口にしながら、両手を肩の高さに上げる。
「降参。全部お見通しだ」
星は感心しきった風に、我が身を抱いた。
「で、どうだい? お客さんや」
「だから、『どうだい』って何なの?」
なのかが口を尖らせる。星にもそこが分からない。
「決まっている。1泊。お前と」
丹恒がスマホをいじっていた手を止めて、一切の説明も無く、唐突に答えた。
「おうおう、いいねえ、まいどあり。お連れさんのために、あと2人揃えるから、待ってなよ。えへへ、部屋は離れっちまうけども、その方が良いやね?」
「お前だけでいい。4人で1部屋だ」
星、なのか、それから謎の男は、目を剥いた。
「たたたた丹恒~?! ここに泊まるの? この人と? 今度は4人で雑魚寝! なんで??」
「大変だ。私達の丹恒先生が狂ってしまった」
「おいら、参っちまうね。お連れさんも参ってるようだよ。2人揃えるからさあ」
三者三様の悲鳴を、しかし丹恒先生は無視する。
「要らない。4人が入れる部屋を取ってくれ」
男はすっかり諦めてしまったようだった。
「キャンプの隅っこの方になるよ?」
「それで良い」
「広い部屋はかえって高いですぜ、お客さん、払えるんだろうね」
「前金で9票。残りは上着を置いていく」
男は大袈裟に息を吞んで、耐えられない程のこそばゆさに身悶えた。
「ひょぇえ……。今なんて? 上着を置いて出ていくって、そう言ったのかい。はあああああ~……。そんなに、そんなにかい? おいらのことが? 教養のある人ってのは違うね……いや、おいらもこう見えて教養はある方さ、分かってるよ。後払いになっちまうが、それで良いよ。え? 上着は3人分だろうね? さあ行こうか」
男が歩き出すのに従って、丹恒も行ってしまう。隊列を乱すなと言ったのは彼自身だ。発狂しているなら放っておく訳にもいかないし、仕方なく、星となのかもついていく。
星は、一応なのかに聞いてみた。
「なのは、2人が話していた内容が分かる? 私の共感覚ビーコンは壊れちゃったみたい」
「大丈夫? 丹恒はどうしても4人で雑魚寝がしたいみたいなの。よく分かんないけど」
「おかしいね。私が聞いてる内容と一緒だ。なのの共感覚ビーコンも壊れているよ」
「そんなー」
先を歩く丹恒が視線だけ寄越した。
「共感覚ビーコンは壊れていない。千金の珠は必ず九重の淵の而も驪龍の頷下に有り、ということだ。お前達に驪龍を見せることにした」
「星穹列車♡ファミリー」のグループチャットに、星は素早くメッセージを入力する。
『丹恒が正気を失った。訳の分からないことしか言わなくなってしまった』
続いてなのかがメッセージを送る。
『一旦、凍らせてみようか。もしかしたら、治るかも?!』
なのかは本気で丹恒に狙いを定めている。誰かの同意があればすぐにでも行動に移すだろう。
姫子からの返信、曰く。
『恐らく、彼は正常よ』
少しの間が空いて、再び姫子からのメッセージ。
『あなた達を信じているわ。集団を保てば、トラブルは起こらない。あなた達は、バランスの取れた強いチームよ。3人のうち1人も欠けてはいけない。そのことを忘れないで』
ヴェルトからも一言あった。
『丹恒の傍に居てくれ。頼む』
グループチャットはここで動きを止める。
難民キャンプの端の方へと移動しているが、相変わらずひどく五月蠅い。だが、スマホに注目していると周囲が少し静かになる。顔を上げると騒がしさが戻る。星は不思議な相関性に気が付いた。何度か実験を繰り返す。静かになる、騒がしくなる、また静かになる、もっと騒がしくなる。
これは……怪奇現象?
「ちょっと、星、遅れないでよ。ヨウおじちゃんが心配するよ」
なのかに注意されて、星は実験を止めた。遅れがちだった歩調を早めて、なのかのすぐ隣を歩くことにする。
「ささ、お客さん方、こちらへどうぞ」
男に案内された「部屋」は、天幕の集合住宅の一角の、崩れかけた部分だった。元々2部屋だったものが、間の石壁が崩れて、なんとなく1部屋のように思える状態になっている。天幕は無い。灯火も無い。向こう三軒両隣は全て夫婦の部屋であるようだった。泣きながらの人、笑いながらの人。兵士と女、あるいは兵士と男、でなければ老人と老人。様々に情熱的である。
目に入るもの耳に入るもの、皆そんな風なので、なのかは、もう照れるのも面倒になったようだ。うんざり顔で、謎の男に訊ねる。
「ここって、いつもこんなに五月蠅いの?」
「前線から兵士が帰って来た時には、ね。まあ、今夜はいつもより激しいさな。……負けたのかね……」
男は、まるで他人事のように付け加えた。そして、「お茶を淹れて来る」と言って、部屋を出て行った。
星となのかが部屋の奥に腰を落ち着け、丹恒は出入口側に居座った。星となのかは、丹恒先生の両側から顔を寄せて、手短に尋問する。周りが五月蠅いので、内緒話にだけは困らない。
「どういうつもりなの?」
「私達は何をすれば良い?」
「今の調子で話しをしていてくれ。あの男から情報を引き出してみよう」
丹恒は標準の無表情である。謎の男と雑魚寝をすることに特別な感慨を抱かない、そういう神経なのだろう。
「ウチ……、最初は気にならなかったけど、今は、ここ何だか、嫌い。あの人も嫌い。駐屯地の天幕の方がまだマシだったよ」
「火を掛けられること以外はね。ここには燃える物は何も無い」
「俺も全く同意見だ」
丹恒の相槌は、なのかの発言の方に沿ったのか、星の皮肉に沿ったものか、曖昧だった。
謎の男は、すぐに戻って来た。左腕をめいっぱい使って、水差しと、人数分の石盃を持っている。星は、この男は右腕が無いということに気が付く。男は、盃の中に、何かの粉を入れて、水を注いでかるく揺すり混ぜる。丹恒は彼の膝に9票を重ねて置いた。
「これは、おいらからのおもてなし、さ。ここいらの名物だよ。景気付けに、ぐいっとやってくんな」
車座になって、手渡された盃を掲げる。土臭い。月明りでは水の色など分からないが、これは泥水なのではないか? 臭いだけでだめだ。頭の芯がキリキリする。脳にも味覚細胞があっただろうか。
姫子の淹れるコーヒーも酷い代物だが、愛情で味付けされている分、コーヒーの方がまだ飲める。でもこのお茶は駄目だ。しかし、どんな『暗黒』の料理であっても、開拓者精神で挑戦してみなければならない、とは、なのかの言である。
もてなしの心を汲んで我慢すべきか。いいや、とても無理だ。とても口をつけられない。頭痛を催すものを料理とは呼べない。
なのかは顔をしかめて盃を置いた。丹恒も、顔には出さないが、飲むつもりは無いようだ。星は「うぇっ」と感想を口に出してしまった。
「好みじゃないかい? お子ちゃまだねぇ」
謎の男は笑いながら、自分の分を飲み干した。
「あなたのことを何て呼べば良い?」
「ラツニャでさ、お客さん。ちょっと飲んでみなよ、じきに良くなるから……」
星は膝に右手を置いて座っていた。そこに、ラツニャの手が重ね合わされた。丹恒は、ラツニャの耳を引っ張ることでそれを剥がし、自分の分の盃をぞんざいに手渡す。ラツニャはその盃に唇をつけてやに下がった。
「うぇひひひ、お客さん、妬気かね。おいらこんなに良い思いするのは、初めてだぁ」
相変わらず、ラツニャと丹恒のやり取りは、よく分からない。ラツニャは心底愉快そうにしているが、丹恒の表情は明るくないように思える。
「えっと、ラツニャは、長いことこの難民キャンプに住んでいるの?」
なのかが会話の切っ掛けを見つけ出した。
「長いこと、って? この難民キャンプは先月に建ったばかりだよ。そこらから難民が集まって、キャンプを建てて、使い古したら、別の難民キャンプを建てるのさ。水とかね、薪とかね、不便になってくるもんだから。こういう難民キャンプってものは開戦時からあるし、おいらが難民キャンプに暮らし始めたのはちょっと前からだけど、『この難民キャンプ』っつったら、先月からさ」
「開戦時って、あの時の?」
星は適当なことを言った。なのかは目を見開いて、この子、凄い、と言葉ではない賞賛を送った。
「さあ……。もうちょっと前、紫雲衝山が吹っ飛んじまった直後からかも知れないね。なんせもう30年前になるから、難民キャンプにはその頃の生き残りなんか一人も居ない。……おっと、口が滑っちまった。衝山伸々、湖河海潭! 気を悪くしないでおくれよ、お客さん。所詮、酔っ払いの情夫が言うことさ」
星となのかは、紫雲衝山の尊さを知っているかのような素振りで、厳かに許した。
「気にしていない。むしろ、あなたのような人の話こそ、聞く価値がある」
「そうそう、ほら、ウチらって、お寺の跡継ぎ? ってやつだから」
「こんなときに、勘弁しておくんなさいや、お客さん方のお郷とは、その……宗派が違うだろうし」
「紫雲衝山に祈る気持ちは変わらない」
「そうそう、ほら、衝山伸々!」
2人掛かりで煽てられて、ラツニャは誤魔化すように茶を啜った。不器用そうな左手が、彼の口元を隠す。小刻みに震えて、盃の中を波立たせている。
「そ、そいじゃあ、おいら、一席やっても構わねえかな? 『繁茂霊域』、よくある歌さ。お客さん方のお郷にも同じ歌があるよな? それだけで勘弁しておくんなさいや」
「聞かせて」
ラツニャはぼそぼそと歌い始めた。
「湖鯉棲恩山故壮
河的蒿恩山故隆
海風吼以岳伸伸
潭沸是山之盛栄」
霊山が少しずつ高さを増していって、やがて雲がかかり雨が降り、繁栄の源になる、というような意味だった。ラツニャは歌いながら、ちびちびと茶を口に運ぶ。どんどん、ろれつが怪しくなっていく。彼が飲んでいる物は、本当にお茶なのだろうか?
「信心深い娘さんらだよ。郷里のお寺は安泰でさあ。紫雲衝山には行かん方が良い。かえってその方が良い。お客さん方の巡礼はここで終わり、なあ、そうとしようや」
「どうして行かない方が良いの?」
「それは……おいらは……ウぷ、失礼、お客さん方が、ひどくがっかりするだろうと思ってさ」
「あんたは、紫雲衝山をよく知っているの?」
「いや……、ところでお茶のお代わりはどうかね?」
「あんたこそ、盃が空っぽだよ。それで、よく知っているの?」
なのかは、ラツニャの手の中の盃を、自分の分の盃にすり替えた。酩酊したラツニャは、手品のように満たされた盃を、疑うことなく、舐める。
ラツニャは、無くした右腕を、もう一方の腕で指す。
「おいら、こう見えて軍隊に居たことがあってね。もちろんリイチヌ派の軍隊だよ、ケエチヌ派なんかじゃなくってさ、おっと、衝山伸々、湖河海潭。お客さん方のご実家が、リイチヌ分派のお寺だと信じているよ。そうだろう?」
星は、相手を安心させる笑みを浮かべて、頷いてやった。
「すぐそこの駐屯地と同じ派閥、って言っているなら、その通りだよ」
「ああ、安心した。紫雲衝山は今、『こっち側』の勢力下だろう? あそこ自体はもう古戦場だけど、近くを行軍したことがあるんだよ。クソ指揮官の野郎、お参りする時間はくれやしなかったがね」
「なんだ。近くを通っただけ? よくそれだけで『知っている』なんて言えたね」
星はあえて、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「お客さん、勘違いしているよ。紫雲衝山はいま、」
ラツニャは突然涙声になった。ぱたり、と乾いた地面に水滴の落ちる音がする。これは涙だろうか、それとも彼の震える手が、茶を零しただけだろうか。
「――何も無い。ここら一体とおんなじ、まっ平さ。諸共に吹っ飛んじまったんだもの、そりゃ、そうさ。それだけじゃあない、クソ指揮官の野郎、”爆心地”なんて呼んで、ああ、クソ、もう誰も紫雲衝山には入れない」
「ちょっと急に泣き出さないでよ。どうして誰も入れないの? ウチらはそこに行かなきゃならないの!」
なのかがラツニャの背を揺さぶった。ラツニャは隻腕で頭を抱えて、嗚咽を漏らしている。いよいよ舌が回らなくなっていて、共感覚ビーコンをもってしても、発言を聞き取るのが一苦労だ。
「地雷を埋めたんだ。めいっぱい埋めたんだ。もう奪われないように。誰のものにもできないように。そのときに……腕が、腕が、ああ」
ラツニャは苦痛に呻いた。
「しっかりして、もう大丈夫。命があるだけ儲けものだよ」
「……ねえ、ラツニャ腕の幽霊って、いると思う?」
唐突に、なのかが問いかける。何か突飛なものに気を取られた風だった。
「何かが、ウチの髪を、触ったような」
星は、この部屋に入る前の、不気味な静けさと騒がしさを思い出す。
「怪奇現象なら私にも覚えが」
丹恒が身をよじって、なのかの背後を覗き込む。
「2人とも、壁から離れて座るんだ」
「こ、こう? 狭いんだもん、難しいよ」
なのかが膝をずらしたとき、その背に隠れていた石壁から、腕が生えているのを、星は見た。
ラツニャの腕の幽霊。この場合は生霊か? 素肌のままの右腕が、月明りに浮かんでいる。その腕が、なのかを求めるように虚空を掻いた。ひと掻き、ふた掻き。諦めたように、身を捩らせて壁の中に引っ込んでいく。ラツニャが激しく嗤い始めた。両足と左腕で床を叩く。
星は腕の生霊を追いかけて、石壁に飛びついた。悪戯な腕だ、成敗しなければならない。壁に顔を近づけてよく観察すると、腕の生えていたところに、穴がある! 積まれた石をバランス良く抜き取って、ちょうど、人の腕が差し込める程度の穴が作ってある。星はその穴に手を入れてみようとしたが、即座に引き留められた。丹恒が、星の首根っこを掴んだまま、壁の穴に槍を突き刺す。低い壁の向こうで悲鳴が上がる。あの腕には口が付いてただろうか? ラツニャの声とは違っていた。血の気の通った活きの良い声だったが、この程度の悲鳴、難民キャンプの騒がしさの中では、何でもない――。
ラツニャは唾液とうわ言をとめどなく吐き出している。暴れるのを止めたが、代わりに小刻みな痙攣を繰り返している。
星は、唐突に、ここがどういう場所かを理解した。咄嗟に、なのかの肩を抱く。
「丹恒先生、もう十分。『難民キャンプ』を出よう」
「驪龍を見たようだな」
「私が驪龍だ。なのと丹恒は私が守る。絶対に離さない」
丹恒先生はこの答えを認めたようだった。静かに頷いて、なのかに視線を移す。
「三月はどうだ?」
「あんた達の話していることはサッパリ分かんないけど、ここを出るのは賛成! でも、ラツニャはどうするの?」
「ラツニャの出した茶は、ただの茶ではない。俺達を陥れようとした。放っておけ」
星は、ラツニャを見下ろした。地面に俯せに倒れているラツニャは、星空に背を向けて、土のままの床に舌を垂らしている。
「放っておいて、大丈夫?」
「量を加減しなかった、ラツニャ自身の責任だ」
優秀な護衛の指示に従って、星達は突撃体制で部屋の敷居を跨いだ。星が先頭を切ってバットを振り回し、その後ろからなのかが飛び出す。丹恒が殿を勤めた。壁越しに中を伺っていた2・3人の不埒物が吹っ飛ばされていく。
難民キャンプのメインストリートは、既に狂乱していた。複数の兵士が1人の難民を襲っている場所もあれば、複数の難民が1人の兵士を滅多打ちにしている場所もある。様々な人が、バラバラに逃げ惑う。素っ裸な人、着膨れした人、松明を振り回す人、銃を乱射する人、立ったまま痙攣している人……。妙な茶と腕の生える壁があったとしても、自分たちは『室内に匿われて』いたのだと、星は知る。
「どうしたの?! 何が起こったの?!」
なのかは事態を理解できないようだ。何がというなら、恐喝、強盗、殺し、心中、……星も、把握しきれていないと思う。
「何もかもだ。集団全体が、末期の病人のようなものだ」
「助けなきゃ……」
星はバットのグリップを強く握る。丹恒は痛ましげに否定した。
「全員は無理だ。治安を維持すべき軍隊がああでは、な。3人ではどうしようもない」
「じゃあ、通りがかりの人だけでも」
難民キャンプの外まで、全速前進。女を襲う兵士をふっ飛ばし、兵士を囲む男を打ち飛ばし、老人に詰め寄る若者をかっ飛ばす。
去り際の駄賃に、躯と一緒に『落ちて』いた、兵士の服を拾って羽織る。汚らしいが、仕方ない。
「私が将軍、なのは顧問、丹恒は参謀ね」
星は二等兵の腕章を見せびらかしながら、そう言った。
「それって……結局一番偉い人は誰になるの?」
なのかは首を傾げる。
「決定権を持つのが将軍、最も権威のあるのは顧問、選択権のあるのが参謀だ」
参謀は堅苦しく解説し、顧問はもっと分からなくなったと嘆く。星はふざけただけだ、ということが、伝わっていると良いのだけど。
夜が明けた。兵士に扮しているので、軍用の道路を堂々と歩くことができる。どこまでも、岩がちな砂漠が続いている。開拓小隊を阻むものはない。
素直に紫雲衝山の方角へ向かうが、途中で道筋が直角に曲がる。道に沿って有刺鉄線が張られていた。何もないだだっ広い平坦地で、まるで無意味な迂回を強いられるように思えた。
「この道を敷いた人、測量を間違えたのかな?」
「鉤の手という防衛陣地だ。不自然な曲がり角を作ることで、敵の進行を遅らせる」
「曲がり角を無視して、有刺鉄線を突っ切ると、どうなるの?」
「この場合、罠が仕掛けられているだろうな」
丹恒はもう、訳の分からない振る舞いを止めていた。なのかと星が質問して、丹恒が答える。いつものパターン。落ち着く。期待通りの返しが無いとなると、茶化し甲斐も無いのだ。いつもの丹恒こそ最高だ。
「あれ、でも……有刺鉄線の向こうに、人影が見えるよ」
なのかが、遥か前方を指差した。
「戦場の幽霊じゃなくて?」
「そうかも。大人が1人と、小さな子供が1人、居るように見えるよ。こんなところに、子供なんか居ないもんね?」
「あり得なくはない。どんな振る舞いをしている?」
「2人とも、地面の上にあるものを拾ってるみたい」
「貴重な資源が採取できる場所なんだろう。リスクを負って資源を手に入れる、そういう生業だ」
丹恒は、見知ったもののように納得している。
「なら、どうして子供が居るの?!」
「子供こそ、この生業に向いている。この平坦な土地に仕掛けられる罠は、真上を踏み抜くことで発動するタイプのはずだ。足の面積が小さければ、真上を踏んでしまう可能性が低く、体重が軽ければ、罠を発動させるほどに踏み抜くことがない」
星となのかは、手を取り合って震え上がった。
「でも……そんなの、そんなのってないよ」
なのかには、罠の上を歩く子供の姿が見えている。固唾を飲んで、彼女にしか見えていない人影に、釘付けになっている。丹恒も悲しそうに目を伏せた。
「戦争の原因が星核にあるなら、星核を封印すれば少しずつ状況が良くなるかも。だよね?」
星は、自分自身を励ますために、口に出す。なのかは、花と空の色を湛える瞳を隠すように、きゅっと瞼を閉じて、力強く肯定した。
「うん、きっとそうだよ! 早く紫雲衝山に向かわなきゃ」
開拓小隊は、道に沿って歩みを再開した。直後に、近くで爆発音が鳴るまでは。
星と丹恒は、同時になのかの頭を抑え込んで、地面に伏せた。耳鳴りと静寂。追撃は無いようだ。そうっと身を起こすと、有刺鉄線の向こう、罠地帯に、新たな土煙が立っている。採取人が、地雷を発動させてしまったのだ。
「なの、さっきの人達の様子は分かる?」
「土煙でよく見えないよ~。誰も立ってないみたい……」
星はきっぱりと宣言する。
「助けに行こう」
「行きたいけど……ウチらじゃ、足が大きすぎない? どうやって罠を避けるの?」
「罠の真上を踏み抜かなきゃ良い。なのの氷で、地面を固めてしまえば……」
「良い作戦だ」
「それ、ウチだけすっっっごく大変じゃん!」
「通るのに必要な部分だけで良い。なのなら出来るよ」
「出来ないとは言ってなーい!!」
なのかは奮起した。何の変哲もない砂漠の上を、溶けない氷の橋で渡っていく。少しずつ土煙が晴れて、採取人達の様子が分かってきた。老爺が1人、血まみれで倒れている。地雷を発動させてしまったのは、老爺の方だろう。採取していたのは、萎びた草のようだったが、爆風で殆ど飛び散ってしまっていた。
小さな子供が老爺に縋りついて、体を震わせている。子供は、5歳くらいだろうか? 怪我は無さそうだ。だが、老爺の方は――。
「ああああ、ああ、お前は無事か? 無事なんだな? ああああああ! 手を、手を握ってくれ……」
老爺と子供は、親しい関係のようだった。手を握り合って、最後の別れの時を迎えている。子供は嗚咽を漏らしながら、一言も喋れないようだった。
「助けに来た。もう大丈夫」
星は、出来るだけ頼もしげに、歩み寄る。老爺は共感覚ビーコンを持っているようだ。声を掛けて、安心させてやることが出来る。
しかし、老爺は、兵士の姿をした3人組を見て、怒った。血反吐に汚れた唇を戦慄かせ、唯一力を込めることが出来る眦で、睨みつけてくる。
「何だ、お前ら、この子に近づくな……。この子に近づくな!!」
老爺が喚くたび、腹から血が吹き上がる。子供は、老爺の手を胸に抱いて、大きく目を見開いている。命を懸けた拒絶に、星は足を止めざるを得なかった。
「ちょっと、ウチらが悪い奴にでも見えるって言うの?! 兵士への信用が低すぎるよ」
「士気の低さを見ただろう。当然の警戒だ」
丹恒は、残念そうに視線を逸らして、しかしすぐに顔を上げる。採取人の2人に興味を無くした振りをして、来た道を戻り始める。
「待ってよ、丹恒! せっかくここまで頑張ったのに」
「採取物も、子供も、俺達には価値が無い。だから手は出さない」
丹恒は、老爺にも子供にも聞こえるように、ハッキリと声を出した。
「丹恒の言う通り。私達には子供の利用価値なんか分からない」
星も演技を合わせる。本人達が、助けを望んでいない。安心させてやる方法は、きっとこれしか無いのだろう。
「冷たすぎるんじゃない……?」
躊躇っていたなのかが、とうとう、その場を離れる決意をしたとき、老爺の罵声が懇願に変わった。彼の最後の一息が、費やされようとしている。
「待ってくれ。この子を……独りに、……しないでくれ」
星は、立ち去りかけていたが、その言葉に振り向いた。老爺は正しい判断を下した。費やすだけの意味がある。これが、どれ程の願いであるかを、星はもう知っている。
「独りにしない。約束する」
返事は返って来なかった。子供は、もう頼れない腕に縋って、静かに涙を流している。
「この人の持ち物は、全部お前の物だ。出来るだけ多く身に着けろ。自分でやるんだ。出来るな?」
丹恒は、悲しませる時間も取らずに、子供に命令を下した。丹恒は、このことは非常に重要だと考えているようだ。口調は優しい。この子がそれを成し遂げられるように、背中を押してやるようだった。
子供には、話が通じたのだろうか、元よりそのつもりだったのか。星達の顔を見比べた後、涙も拭わないまま、言われた通りに行動し始める。
星も、なのかも、丹恒も、口を噤んで待った。老爺が纏うボロの下から、いくつかのアクセサリーが出てきた。爆発を受けて変形したそれは、小さな子供にだけ身に着けることが出来る。子供は、散らばっていた枯草まで丁寧に拾い集めて、それから、老爺の瞼を下ろしてやり、眉間に唇を押し当てる。
「私達と一緒においで。1人には、ならないで」
星は膝を折り、そうっと子供の髪を撫でる。まだほんの幼い子供に特有の、絹糸よりも細い髪。子供は真っ直ぐに星の瞳を見上げた。家族の最期の願いを、ちゃんと分かっている。賢い子だ。
なのかが名前を訊ねたが、子供は何も喋らない。
「教えてくれないの?」
「呼び名を決めよう。じゅげむじゅげむごこうのすりきれかいじゃりすいぎょのすいぎょうまつうんらいまつふうらいまつくうねるところにすむところやぶらこうじ……」
星は腰に手を当てて、新しい仲間に最高の名前をつけてやろうとした。
「長すぎるよ!」
なのかが悲鳴を上げる。
「じゃあ、”おちびちゃん”」
「あんた、嫌なら嫌って言った方が良いよ!」
なのかは苦笑し、”おちびちゃん”に助言した。”おちびちゃん”は枯草を握りしめたまま、何も答えない。ただ、ようやく、手の甲で頬を拭うのだった。
小さな仲間が加わった開拓小隊は、歩みのペースを落とした。軍用道路の上を、休み休みに進んでいく。
丹恒は、道端から小石を拾った。正三角形にかなり近い形をしていて、星の拳程度の大きさの石。それを道の真ん中に置き直した。
「いま、太陽が頂点に到達している。この石が地面に落とす陰の大きさは、俺の小指の場合、爪の幅の半分。それぞれ自分の手で測ってみろ」
星は目を瞬いて、聞き返す。
「何の話?」
「日時計の話だ。一日のうちに、最も影が短い時間。今が昼間の中心、正午、午後12時とも言う。影の長さを覚えておくといい」
星の爪の幅は丹恒と大差無い。なのかの場合は爪の幅3分の2くらい。”おちびちゃん”の手だと、薬指の幅より少し広い程度。
「正午のお知らせ? お昼ご飯にしようってこと? やったあ、ウチ、お腹ペコペコだったんだ!」
なのかが元気良く伸びをする。三角形の石を眺めていた”おちびちゃん”が、突然、駆け出した。道の端に寄って、軽く地面を均すと、そこに跪き両手を掲げた。自らの正面に短い影を落としながら、道の先に向かって、何度も、何度も、両手を掲げる。唇をパクパクと開閉する音、声を出さないまま声の息遣いが聞こえる。
「急にどうしたの?」
「ウチは、ピーンと来たよ! これでしょ、『衝山伸々、湖河海潭』」
なのかは、ラツニャがしていたように、両手を肩の高さに上げた。
「食事の前のお祈りってやつ? 似たような風習を、映画で観たことがあるよ」
「何を祈っているんだろう」
「この場合は、『何に』祈っているかの方が重要だ」
星は概ね北の方角に首を巡らせる。”おちびちゃん”の仰ぐ先に何があるだろう。この道の先には――紫雲衝山がある。星穹列車からの観測では、クレーターの中心でしかなかった場所。この惑星の人々が「山」と呼ぶ、平地のある一点。今は地雷原と成り果てた戦場。
「頭がパンクしそう! 一旦、整理してみようよ。この惑星に何があったのか」
なのかが額を押さえて呻いた。星も丁度、そんな気分だ。
「全ての始まりは、紫雲衝山」
「元々は、本当に『山』だったのだろう。天高く、水源である、豊かさの象徴」
「それが『吹っ飛んで』しまったんだって、ラツニャが言ってたっけ?」
「隕石が降ってきたの? それとも火山の噴火?」
「どちらもあり得る。この巨大なクレーター全体が、その影響で出来たものだろう。かなり最近の出来事だ。植生が貧しいのは、地形変化のダメージから回復していないせいだ」
「その後、異なる派閥同士が戦争を起こして、30年も続いている」
「リイチヌ派の兵士はすごくやる気が無かったよね。昨日も負けちゃったみたいだし」
「愚かな戦争だよ。敵だけじゃなく、味方も、無関係な人も、紫雲衝山も傷つけるなんて」
星には、まるで目的を見失った暴走ロボットのように思える。辺り構わず衝突して、自分自身が砕け散るまで止まれなくなっているようだった。
「争いは、交渉の行き詰まりによって引き起こされるものだ。そのものには意味は無い。愚かな戦争も、賢明な戦争も、無い」
「どうして、ここの戦争は終わらないんだろう。星核が原因なのかな」
なのかは頬に手を当てた。
星はその一言に活路を見出す。無意味な争いならば、無意味に終わってもいいはずだ。例えば、宇宙からやってきた星穹列車が、ひっそりと災いの種を取り除く、とか。
「もしそうなら、星核を処理することで、戦争を終結させられるかもしれない」
「俺達は過客にすぎない。大局への干渉は控えるべきだ」
丹恒は顔を曇らせた。
「星核を処理するのに、必要なことだけ。約束する」
星は胸に手を当てて誓った。丹恒だけでなく、なのかまで、疑わしそうな視線を向けてくる。昨日の『ルール破り』を、彼らはまだ忘れていない。
気付けば、”おちびちゃん”はお祈りを終わらせていた。跪いた姿勢のまま、不審そうにこちらを見ている。大人が子供をを叱るのと同じ調子で、自分の隣を手の平で叩き、むずがるように唇を動かした。
「え、え~っと、ウチらもお祈りしろ、って言いたいの? やり方を教えてくれる?」
”おちびちゃん”は口を引き結んだ。自分の隣を手の平で叩いている。星は”おちびちゃん”の隣に座って、両手を掲げる仕草を真似してみた。
「衝山伸々、湖河海潭」
きっと礼拝の言葉だろうと思ったものを口に出したが、”おちびちゃん”は膨れっ面で星の頬を揉んだ。
「違うの?」
「天衝なる紫雲衝山へ! これもだめ? ウチらには分かんないよ~」
「湖鯉棲恩山故壮……違うようだ」
なのかと丹恒も、自分なりに試してみたが、”おちびちゃん”の求める祈りには至らない。
「俺達と”おちびちゃん”は、『同じ宗派ではない』ようだな」
「宗派っていうか……そもそも信仰が違うと思うんだけど。ウチら星穹列車は、開拓の星神の信奉者だもんね」
「でも、霊山を尊信する気持ちは少し分かる。祈り方が違っても、私達は、友達」
”おちびちゃん”は、不承不承に、頷いた。なのかは、ほっと息を吐く。
「じゃあお祈りの時間はこれで終わり! 早くお昼ご飯にしよう」
土と石ばかりに荒れ果てた景色に、変化が現れた。再び草木の繁茂する地帯に入ったのである。これまで、”おちびちゃん”が地雷原で採取していたような枯草があれば上等、というような砂漠だったのが、瑞々しい緑色の植物を見かけるようになった。遠く行く先には灌木の茂みもあるようだ。
もっともっと進んでいけば、より多くの発見があるだろう。残念ながら、今日はもう日没を迎えてしまった。列車組の3人は夜通し歩き続けることも出来るが、”おちびちゃん”には開拓の星神の加護が無いため、きちんと休ませなければならない。
太陽が、クレーターの外縁を作る山の頂に掛かる寸前、丹恒先生は、昼間の三角形の石を取り出した。
丹恒は1時間毎に、この石を地面に置き直して、影の長さを測らせていた。”おちびちゃん”は素直に取り組み、星となのかも、このミッションの最後に宝箱が待っていると良い、と思いながら、付き合った。
「この石の影を手で測ってみろ」
斜陽が、小さな石ころの影を長く長く伸ばしている。星の腕で測れば、中指の先から手首の少し先まで。なのかは前腕の半ばまで。”おちびちゃん”の腕では肘まですっぽりと陰に入る。先生は、その肘の隣の地面を引っ掻いて印を付けた。
「ここが日没、おおよそ午後18時。正午の時の影はどこまであった?」
生徒3人はそれぞれの手を地面に置いた。爪の半分だの爪の3分の2だの指の幅よりちょっと広いだの、加減が難しい。ああだこうだと激論を戦わせた末に、1つの印を地面に刻んで、回答の提出とする。
「午後18時のときの陰の長さから、午後0時のときの陰の長さを引く。ここからここまでの長さが、陽が落ちていくまでの時間を表す。日が暮れるごとに影の伸びる速さが早まる。今は夏至が近いから、午後12時から午後13時の場合、午後12時のときの陰の長さの、半分の長さだけ足される。午後13時から午後14時の場合、午後13時のときの陰の長さの、半分の長さだけ足される。同じように、午後18時まで、それまでの陰の長さの半分が足される。こんな風に」
一番指が細い”おちびちゃん”の手を取って、印と印の間に目盛を付けさせながら、丹恒が言う。
「これが『時間』というものだ。季節によって影の長さ自体は変わるが、影の伸びていく間隔を覚えて時々測り直せば、『1時間』を計ることが出来る」
「午前中はどうやって計るの?」
なのかは真剣に考えてる。星が代わりに答えた。
「影の長さが半分ずつ減っていくんでしょ? 日の出の6時から12時まで――私達は、朝のことを6って数えてるの」
”おちびちゃん”のために付け加えながら、星は、なんだか不思議な気分だった。朝のことを0と数えても良い気がするし、4と数えても良い気がする。
刻々と夜の帳が降りて来る。日時計に使われた石は、見失う前に取り上げられて、”おちびちゃん”の手の中に渡された。
「日時計を預かっていてほしい。明日、7時になったら教えてくれ」
「そんな原始的な方法、覚えてどうするの。スマホで見れるじゃん」
なのかは、自分のスマホを確認した。液晶画面の光に、困惑した表情が浮かび上がる。スマホはきちんと起動し、時刻の狂いも無い。
「”おちびちゃん”はスマホを持っていない。持っていたとしても、俺達の前では取り出すつもりが無いようだ。貴金属を隠す習慣があるのかもしれない」
「……服の下にアクセサリーを付けるようなもの?」
星は、”おちびちゃん”の家族のことを思い出す。丹恒は生物学者の表現で肯定する。
「無力な者は、護身のために、捕食者にとって無意味な存在に擬態することがある」
「ウチらは普通にスマホを使えるじゃん。ウチらが時間を教えてあげれば良いんじゃない?」
「”おちびちゃん”にも役割があった方が良い」
もうすっかり暗くなって、丹恒の微細なる表情はよく見えない。明るかったとしても、澄んだ無表情でしかなかったのかも知れない。
「それは経験?」
星は「それは知識?」と問おうとしたのだが、口に出たのは違う言葉だった。
「……………」
これについての答えは、返って来なかった。
植物が潤い始めた荒野を、進んでいく。植生が豊かになるにつれ、ゲコウドマンダーに出くわすようになった。気性が荒く向こうから襲ってくる割りに、大して手ごわくもない。開拓者には良い食糧だ。
”おちびちゃん”の日時計で11時を回った頃、道の左手に、塚のようなものが現れた。背丈は、大人1人分より少し小さいだろうか。15基ほどが密集している。その周囲に、ちらほらと灰色の塊が落ちている。あれは何だろう、と思っているうちに、手前の1つがむくりと起き上がって、こちらを見た。
「あっ、あれ、人間だ。まだ子供かも。何か、作業をしているみたい」
視力の良いなのかが、見えた物を報告。子供は、荷物を抱えて逃げ出した。塚の密集地へ真っ直ぐに掛けていく。他の灰色の塊が、ひょこひょこと顔を上げ、星達を避けるように後ずさる。その殆どが10代の子供だと、なのかはいう。
「あの塚は、集落なのかな」
星が指差した。集落だとするなら、難民キャンプとは随分、様子が違う。定期的に建て替えるのではなく、長く住み続けるための小屋に見える。
「どうする? 寄ってみる? ウチら、今は兵士の格好をしているから、危なくない……よね」
なのかはあまり気乗りしないようだ。難民キャンプの一件で、少し懲りたらしい。
「私達が近くに来たことを、向こうはもう知っている。堂々としていればいい」
星の提案に、丹恒も同意する。
「”おちびちゃん”から目を離さないでいよう」
塚の中から、青年が現れた。青年、と星は思った。星より小柄で、頬の筋肉が良く発達し、目の下に厚い隈があり、老けているようにも童顔なようにも見える。背筋の伸びた、自信の溢れる歩き方は、無謀な若者のものでもあり、不惑な老人のものでもある。近づくほどに、老人か若者か、男か女か、分からなくなってくる。それがかえって一つの確信をもたらした。この人が集落のリーダーだ。
「やあ、精鋭の方。まいど、どうも。手前共を素通りなんて、しないだろうね?」
共感覚ビーコンを持っているようだ。女の声にしては低くもあり、男の声にしては甲高くもある。台詞はへり下っているようで、どこか壮語の風がある。その人の遥か後方で、地面に落ちている灰色の塊達が、息を潜めて様子を伺っている。
「『毎度』って、ウチら初対面だけど?」
「軍隊と懇意なようだね。家も立派だし、あなた達、ここに住んで長いの?」
「ほんの数年でさ。……新兵さんだね。今日は買い付けに? あっしはスニミィという者さ。新兵さん方がどこの所属か、お伺いしても?」
なのかが”おちびちゃん”の前に立っていたが、スニミィはすぐに”おちびちゃん”の存在に気が付いた。笑っていない目元が、”おちびちゃん”の身なりを素早く観察したのが分かる。アクセサリーの存在は隠せているはずだ。
「所属? 名前を訊ねてくれないの?」
星は胡乱気に目を細めた。
「こりゃ失礼。御尊名を拝しやしょう」
「私達は星、なの、丹恒、それから”おちびちゃん”」
「ちょっと、人に紹介するときは、ちゃんと『三月なのか』って呼んでよ」
なのかが、星の背中を突いて抗議する。くすぐったい。
「スニミィは何を売っているの?」
「イモワーム。スニミィ印のイモワーム、召し上がったことが御座っさられない? ない? あっしもまだまだなようで、へへ」
「特産品なの?」
スニミィが、すうっと目を細めた。偽装兵士であることがバレた、と列車組は悟った。イモワームについて尋ねることがそんなに異質だったのか。あるいは他の符丁があったのか。ボロボロの軍服の下に何か着ているのが、見られたのか。とにかく、スニミィの直感を刺激してしまったようだ。
「さあね、あっしはただの仲買人なんで、どこで獲れるのか……ここ以外じゃ獲れないのか、あっしはよく知らねえんで」
スニミィは自然体ではぐらかす。灰色の塊がいくつか、そわそわとスニミィに近づいた。ぬっと立ち上がったそれは、星達より僅かに年下くらいの、少年だ。籠の中に芋虫を拾い集めていたらしい。今はその籠を足元に置いて、左脇にいくつかの小石を抱えている。
「霑ス縺?鴛縺?シ」
「お客様に失礼だろ。大丈夫だから、あっち行ってな」
スニミィに片手であしらわれて、少年は数歩下がった。立ち去らずに、小石を弄びながら、こちらを見ている。更にいくつかの灰色の塊が、少年の傍にぬっと立ち上がった。少年より更に年下の子供達。集めた芋虫を地面に置いて、手には小石を掴んでいる。
「そ、そう! お客様! 兵士の振りをしているのは、訳があって……ウチらは宇宙から来た星穹列車なの。兵士に目を付けられたくないだけ。……えっと、お客様だから、イモワームを買うよ」
なのかはしどろもどろに言い繕って、最後にはなんとか友好を示そうとした。子供と戦うのは気が進まない。”おちびちゃん”の目の前では、尚更だ。
「まいどあり。1籠25票でさ。おいくつ包もうか?」
スニミィは片眉を上げて、唇を舐め、売買を受け入れた。なのかのナイスプレイではあるが、重要な問題点がある。
「私達、現金を持っていない」
「あっそうだった! 天幕を借りた残りは、全部、丹恒がラツニャに払っちゃったんだ」
「物々交換でどう? ゲコウドマンダーの肉、20匹分」
星は、愛想の良い商人の顔をして、スニミィに申し出た。80匹分、捕まえてあるが、虫籠の大きさを見るにこのくらいが釣りあうだろう。ニヒシ三曹は50匹を15票で引き取ったが、たぶん、あれは相当なぼったくりだ……。
スニミィは星の辣腕に目を瞬いた。訝しげに細めていた目を見開いて、それから、頬の筋肉だけで目元を綻ばせて見せた。
「困るねえ、軍票が無いんじゃ……。まあ、良うがす、お近づきのしるし、ってことで。……ちょっと、お前、1籠分揃えておいで。すいませんね、お時間頂戴しますよ。時間潰しに、村へご招待しましょう」
スニミィに付き従う少年が、荒野の中に駆けていく。点在する灰色の塊に話しかけては、収穫したイモワームを集めているようだ。
集落は軍用道路を外れた所にある。丹恒が用心深く訊ねた。
「この辺りには罠は無いのか?」
「無いさね。何にも埋められねえのさ。土壌が薄すぎて、地雷1つ分の穴も掘れやしない」
土壌が薄すぎる、というのは、集落に近づけばよく分かった。家々は石をドーム状に積んで建てたものだが、石壁の隙間を泥で埋めるために、辺り一帯の土が剥がされていて、岩盤が剝き出しになっている。歩き難くてしょうがない。
スニミィと開拓者達の通った後を、磁石に引き寄せられる砂鉄のように、ちらほらと、子供達が付いて来る。
一行は、集落の中央広場のような場所に通された。比較的に岩盤が平らな場所で、座るのに丁度良い。”おちびちゃん”は星となのかの間に座らせた。スニミィは星達と相対して座ったが、取り巻きの子供達は、家の陰で立ち尽くしている。スニミィが彼らに目配せすると、子供達は星の視界の外に引っ込んだ。
「それで? ウチュウ派のセイキュウレッシャ村は南の方に御座っさられるのかい」
「ウチュウ派とかじゃないから!」
「なの、頑張って」
「ウチにはもう無理ー! ここは丹恒から話して貰おう」
『ヘルタ』やカンパニーに価値無しと判断された、僻地の星。宇宙を知らない人々に、星穹列車のことを説明して、なおかつ、星核のことは伏せなければならない。今は更に、兵士に化けていた理由も説明した上で、戦闘を回避したい。なのかは撤退を決めた。
「俺達は紫雲衝山の雲も見えないような、遠くから旅をして来た。霊山を見学させて貰いたいと思っているが、兵士が煩いので、いっそ兵士のふりをすることにしたんだ。紫雲衝山のことは最近知ったばかりなので、まだどこにも入信していないし、どちらかの軍隊に入る訳にもいかない。騙すような真似をして悪かった」
丹恒は準備万端でバトンを繋いだ。意図的に丁寧な喋り方を装っている。なのかと星は、”おちびちゃん”の頭越しに囁き合う。
「わ、大胆な誤魔化しっぷり」
「でも嘘は言っていない……」
スニミィは細い顎に手を当てて、生えてもいない髭を擦る。
「リイチヌ派でもケエチヌ派でもない、って言いてえんですかい? そんなことが……。でも、確かに、お三方は不思議な身なりをしているようだね」
「あ、でも”おちびちゃん”は違うの。ウチらも最近会ったばかりで、何にも喋らないから、よく分からないけど。どこかの宗派に入信しているみたい」
岩盤の波打ったところを指でなぞって遊んでいる”おちびちゃん”を、スニミィは目敏く品定めしている。
「……その子を何に使うおつもりで?」
「何も。一緒に居るだけ」
「丹恒は、”おちびちゃん”を日時計の係に使っているけどね」
話題に上ったので活躍しなければ、と思ったのだろうか。”おちびちゃん”は懐から例の小石を取り出して、陰に指を当てる。
「ああ。じきに正午だ」
丹恒先生は真面目に相槌を打つ。”おちびちゃん”は得意顔だった。
「スニミィは? ここの子供達を、何に使っているの?」
星は少し意地悪な聞き方をした。スニミィと子供達との目配せには、確かな信頼関係が築かれている。使うの使われるのという言葉は当てはまらないはずだ。
「あっしはただの仲買人でさぁ。ガキ共め、1人ずっつは少ししか持って来ないもんで、量を取りまとめて軍隊に卸すのが、あっしの生業ってやつで」
「私達からも買ってよ。現金が無いと不便で。ゲコウドマンダーの肉はどう? イモワームを狩ってきた方が良い?」
スニミィは鼻で笑った。
「あっしの商売は、そう単純なもんじゃないんで。まずあっしから籠を借りておくんなさい、あっしはあっしの籠に入ったミルワームしか、買い取らないんで」
籠。確かに子供達は、衣服はそれぞれに個性的なボロを着ているが、ミルワームを捕まえておく虫籠だけはお揃いだ。
「籠を借りるにはどうしたら良いの?」
「簡単でさぁ。25票」
「ええっ?」
なのかが悲鳴を上げる。
「それって、ミルワーム1籠を売っているときと同じ値段……だよね? いくらで買い取るつもりなの?」
「15票でさ」
「空の籠を25票で貸して、中身が入った籠を15票で買い取るの?! それで……あんたは25票でうちらに売るの?」
「そんな訳がない」
「どっこい、そんな訳でね。不思議と、ガキ共はイモワームを売りに来る。嘘だと思うなら、ガキ共に聞いてみると良いや」
星となのかは、眉を怒らせた。スニミィはどこ吹く風と澄ましている。開拓者達と子供達では会話が成り立たないのを、分かっていて嘯いている。
「”おちびちゃん”がなんとか通訳出来るんじゃ……?」
「止せ、星。俺達の目的には関わりのない事だ」
星は真剣にスニミィの攻略を考え始めるが、丹恒は首を横に振る。
とた、とた、不思議な足音が近づいてきた。
足音の主は青年だった。青年だったが、背丈は星の半分も無い。彼の両足は太腿の半ばで途絶え、その切断面を足の裏として歩行している。彼がカンパニー製の義足を手に入れるには、どうすれば良いだろうか。カンパニーはこの惑星から撤退しているそうだが、星穹列車が仲介できるはずだ。
青年は、イモワームの詰まった虫籠を捧げ持っていた。スニミィは星達に背を向けて、それを受け取り、青年の手の中に素早く紙幣を押し込む。
「……さあ、お待たせ致しやしたね。お召し上がりんなって下さいな」
スニミィは石製のナイフを取り出して、イモワームの頭とお尻を素早く切り落とし、内臓を掻き出して開きにした。あまり食欲そそられる見た目ではない。1籠分36匹、あっという間に捌く手つきは、これが一般的な調理方法であることを示している。
”おちびちゃん”が再び日時計を取り出した。まだ正午と同じ影の長さではない、が、”おちびちゃん”はさっと岩盤を掃いて、跪く。
「オッケー、食べる前にお祈りだね」
なのかも、膝を揃えてお祈りに付き合おうとした。そのとき、スニミィと、青年、それから家々の陰に居る子供達も、一斉に足元を掃いて跪き、祈り始めた。”おちびちゃん”と全く同じ仕草だった。唱える言葉も、きっと同じ。
祈りの言葉が、響き渡る。
それは歌だった。ルーともオーとも聞こえる、あるいは『繝ゥ繝シ』かもしれない、独特な発声方法によるハミング。声を合わせ、あるいは代わる代わるに息継ぎをして、大勢による1つの祈りが、紡がれる。それぞれに生まれ持った声の違いが、複雑な和音となって、共感覚ビーコンが翻訳しない無意味な言葉を、祈りとして成立させている。
「衝山伸々、湖河海潭……」
「て、天衝なる紫雲衝山へ~」
「湖鯉棲恩山故壮」
星、なのか、丹恒はそれぞれの祈りを捧げて、顔を見合わせた。
「ウチら、全然違ったね」
「”おちびちゃん”とここの人達が、同じ宗派で良かった」
「この惑星の祈りについて、すぐにアーカイブに纏めよう」
昼食前のお祈りが終わると、スニミィは、誰よりも早くイモワームの開きに手を付けた。
「それじゃ、ご相伴に預かりますよ」
「ウチら一言も、御馳走するって言ってない! もう!」
イモワームを納品した青年まで、悪びれずにイモワームの開きを摘む。隠れていた子供達の中から、度胸のある何人かが近づいてきた。
星も1匹、食べてみる。味は……土臭い。食べられなくはないが、ゲコウドマンダーの肉の方が100倍美味しい。飢えを凌ぐためなら及第点といったところか。ニシヒ三曹は食糧確保に苦労しているようだったし、これでも需要はあるのだろう。
なのかは開拓者精神を動員させ、咀嚼している。丹恒は顔の筋1本も揺るがさないまま2匹目に手を出した。”おちびちゃん”はどうだろうか?
”おちびちゃん”は泣いていた。静かに、静かに、拳で目を拭いながら、喉の奥で僅かに嗚咽を漏らしている。
「悲しくなっちゃったの?」
「寂しくなったか?」
なのかが頭を撫で、丹恒が背中を叩いてやる。
「嬉しいのかもしれない。家族の面影が」
星は呟いた。少し、悔しい。星が祈りの発声方法を習得することは、できるだろう。列車組の皆で唱和することもできるだろう。ただ、紫雲衝山に祈る心は、共鳴できない。想像して、共感して、寄り添って、祈りの真似をしてみても、”おちびちゃん”を育んできたものとは同じになれない。賢い子だから、きっと何もかも分かっているのに、列車組には家族の面影を見出せず、スニミィ達が同じ祈りを捧げたのが嬉しくて、涙を止められない。まだ幼すぎるのだ。
――記憶喪失の星には、それすらも、想像するしかない感情なのだった。
”おちびちゃん”と歳が近いだろう、小さな子供が、遠慮がちに何かを差し出した。
それはちっぽけな、黒くて、丸いだけの、小石だった。星には分かる。これは子供にとって、とても価値のある小石だ。子供にだけ価値の分かる小石だ。
「豕」縺九↑縺?〒縲ゅ%繧後≠縺偵k縲」
「放っといてやんなよ。珍しくもないだろう。さ、仕事に戻んな」
スニミィが子供達を散らした。
子供達は荒野の中に紛れていった。点在する灰色の塊になって、イモワームを獲るのだろう。
星は、ゆっくりと泣き止んでいく”おちびちゃん”に、イモワームを勧めてみた。”おちびちゃん”はモソモソと食べた。
「少し気分を変えに行こう。”おちびちゃん”にはそれが必要だ」
イモワームを食べ終えた後、丹恒に誘われて、星達はお尻に着いた埃を払った。丹恒は集落の外に出たいようだった。思慮に沈んでいるときの声色に聞こえたから、大人しくついていく。
すれ違いざまに、丹恒はスニミィを軽く睨む。スニミィは飄々と笑って、開拓者達を見送った。
そう遠くへは歩かないうちに、丹恒は切り出す。
「スニミィから、籠を借りてみないか?」
さっき睨んだばかりの相手と、商売を続けたいのだと言う。
「ウチにだって分かったよ、スニミィの商売には裏がある……。それでも借りるの?」
なのかは迷っている。星も、判断がつかない。
「理由を聞かせて」
「今はまだ確証が無い。一度、試してみれば分かるはずだ」
余分なことを言わない性格が、かえってまだるっこしい。星は口を尖らせる。
「荒筋は、分かっているんでしょう?」
「文脈は読めている。確信が持ててから話そう」
なのかは半目で丹恒を見る。疑っているのではない。呆れているのだ。
「スニミィと丹恒は、気が合いそうなカンジするよね」
「同じ穴の貉、かな?」
星は、スニミィの狡すっ辛い部分に、丹恒の、過去を隠した生き方と同じものを感じている。
なのかには、『星穹列車の護衛』と通じる部分があるように思えた。スニミィは自らを『ただの仲買』と強調していたが、実際には子供達の保護者だろう。
「同病相哀れむかも。……今度も、ゲコウドマンダーの肉で払えるかな?」
「”おちびちゃん”、交渉してみてくれないか?」
丹恒は、とぼとぼと歩いている”おちびちゃん”の旋毛を見下ろす。”おちびちゃん”は顔を上げたが、まだ鼻水が垂れてる。星はそれを拭ってやった。
「これも日時計の話?」
「好きに捉えろ」
3人の開拓者が替わり番こに、”おちびちゃん”の両腕いっぱい、ゲコウドマンダーの肉を積んでいく。12匹を数えたところで、小さな腕は限界を迎えた。イモワーム1籠分の対価には8匹足りない。
「とりあえずはこれで良いだろう。スニミィのところに行ってみてくれ」
「私もついていく」
務めを果たそうとする星だったが、何故だか、丹恒はそれを止めた。
「見えている範囲ならば、”おちびちゃん”を1人で行かせても大丈夫だ。危険はない」
「独りにしないって約束したのに、いいの?」
なのかに念を押されても、丹恒は言を翻さない。
「独りにはしない。ここで見ている」
丹恒がそう言うなら、今は、ついて行かない方が良いのだろう。星となのかも、結局、”おちびちゃん”を1人で行かせることに決めた。
”おちびちゃん”は少し不安なようだったが、「小石をくれた子が居たでしょう。恐くないよ」と声を掛けてやると、こっくりと頷いた。
”おちびちゃん”は、時々振り返りながら、集落までの短い冒険を踏破した。なのかでなくてもよく見通せるが、会話を交わすまでは難しい程度の、近くとも侘しい距離。
スニミィはイモワームの開きを屋根に並べ、天日に当てていたが、きっと列車組の視線に気づいていた。”おちびちゃん”からゲコウドマンダーの肉を受け取ると、すぐに家の中に運び込んで、代わりに、虫籠を1つ手渡した。スニミィは何か、手ぶりを交えて話した後、干物作りを再開する。
”おちびちゃん”が頬を紅潮させて帰って来るのを、列車組はハラハラしながら待っていた。
「借りられたの?! ”おちびちゃん”、やるじゃん!」
「私よりも、商才がある。どういう手管を使ったの?」
「優れた売人には投資の嗅覚も備わっている。”おちびちゃん”が1人で交渉に挑んだことが、評価されたのだろう」
丹恒は満足そうに腕を組んだ。
「スニミィは、やっぱり、子供には甘いんだね」
”おちびちゃん”は有頂天だ。ふふんと顎を上げ、星の手を引いて、荒野の中に連れ出そうとする。求められるままについていくと、”おちびちゃん”は他の子供達が蹲る一帯で足を止め、地面を丹念に調べ始めた。イモワームの巣穴の換気口を見つけ出し、薄い土壌を慎重に掘る。逃げようと必死に這うそれを、むんずと掴んで、籠に入れる。
星達もそれを真似る。最初は上手くいかなかったが、通気口そのものを掘り返すのではなく、ドーナツ状に掘り込んでイモワームの逃げ場を無くすやり方を発明した。しゃがみっぱなしの作業になるが、コツを覚えれば簡単だ。4人で集めれば、籠はすぐに満杯になる。
「”おちびちゃん”、スニミィに売ってみてよ」
なのかがけしかけると、”おちびちゃん”は自信あり気に頷いた。他の子供達の中にも、収穫を終えて納品に向かう者が居る。彼らは、スニミィを取り囲む人の輪に紛れようとする”おちびちゃん”に注意を払わず、また、警戒しようともしなかった。”おちびちゃん”は同じ年頃の子供と同じようにもみくちゃになり、しかし、弾き出されることもなく、一番最後にスニミィとの交渉にありついた。
スニミィは”おちびちゃん”への買い取り交渉に時間を割いた。遠くから見守る、星、なのか、丹恒へ、一瞥をくれて、”おちびちゃん”の両手に紙幣を押し込んだ。
”おちびちゃん”は、ゆっくり、ゆっくりと、開拓者の下へ帰ってくる。その表情は、興奮ではなく、かえって放心しているように見える。両の手の中には、筒状に丸められた紙幣の束が、多・少の2つある。
「売り上げを渡してくれるか?」
丹恒は片膝をついて、”おちびちゃん”に訊ねた。自分で促しておきながら、”おちびちゃん”が両腕を伸ばしかけると、それを押し留める。
「俺達とスニミィとのやり取りは、覚えているか? どうするべきかは、さっきスニミィから聞かされたはずだ。やってみせてくれ」
”おちびちゃん”は、眼を大きく見開いて、唾を飲み込む。叱られた訳ではない。理不尽に怒られた訳でもない。なのに、”おちびちゃん”は怯えている。
丹恒は、何か、重要な事があると考えているようだ。星となのかに、黙って待つように身振りで求めた。”おちびちゃん”に語り掛ける口調は優しい。”おちびちゃん”が成し遂げられるように、背中を押してやるようだった。
「恐れることはない。試されているのは、星穹列車の方だ。やってみせてくれ」
”おちびちゃん”は、おずおずと、右手だけを、紙幣の束の多い方だけを差し出した。左手の紙幣を、ボロボロの衣服の内側に隠す。
丹恒は慣れた手つきで、受け取った紙幣を数えた。左手の小指と親指で押さえた紙幣を、右手で弾いていく回数は、本人にしか分からない。
「25票。確かに受け取った。この内の7票が”おちびちゃん”の取り分だ」
今度は、紙幣を1枚ずつ弾くのが皆に分かるように、7枚数えられた。丹恒から7票を受け取った”おちびちゃん”は、丹恒先生の顔色を伺いながら、これもまた服の内側に隠す。
「それでいい。良くできたな」
慰めるような、合格通知が与えらえた。
星は、丹恒へ手を突き出して、自分の取り分を要求しながら、問う。
「――つまり、どういうこと?」
「スニミィの商売は、実際のところ、何の裏も無い。安価に籠を貸し、イモワームを正規の値段で買い取り、スニミィが量を取りまとめて売りさばく。イモワームの収穫自体は、小さな子供でも出来る、簡単な仕事だ。だから、弱者がこの仕事を独占するために、スニミィは、余所者がこの商売に興味を抱かないように工夫しなけれなならない」
「私達には、籠を貸すときの価格を偽ったんだね」
「ああ。だがスニミィは、保護すべき子供である”おちびちゃん”にだけは、偽らない。ゲコウドマンダーの肉は12匹分でも多すぎたんだ。スニミィは公正を規するために、受け取ったゲコウドマンダーの肉との差額を、”おちびちゃん”に還元した」
「ウチらは、試された……”おちびちゃん”を1人で行かせるか、どうか?」
「私達が、スニミィと”おちびちゃん”の偽りを、許すか、どうか?」
「そういうことだ。2人はどうする?」
丹恒は穏やかに笑っている。彼は、”おちびちゃん”が籠を借りてきたときから、許すと決めているのだった。星だって、もう丹恒と同じ気持ちでいる。
「スニミィが商売を守っている限り、子供達は地雷原を歩かなくても生きていける」
「なぁんだ、慈善事業じゃん。ウチらが余所者だからって、相手にしないのはムカつくけど……。ウチも、許すよ」
なのかは、腰に手を当てて、フンと鼻を鳴らした。美少女は鼻息さえ可憐なのだ。
「”おちびちゃん”は、もう、集落に受け入れられている。稼いだ軍票を使って、また籠を借りてくると良い。家族の面影と一緒に生きていける」
丹恒は、記憶喪失ではないから、生まれ付いた故郷への思慕を、知っている。二度と同じものに触れられない喪失を、明瞭に、知っている。それは本来、知らずには済まない苦しみなのだろう。
星がこれから知っていくであろう苦しみ。それは記憶喪失から回復して、生まれた場所を慕う苦しみだろうか。星穹列車を離れて、列車を慕う苦しみだろうか。2つとも得られるのが最上の幸せ、なのかもしれない。でも今はただ、”おちびちゃん”の苦しみを軽くしたいと思う。ここで別れることになるのだとしても。
「いつか、”おちびちゃん”が旅に出たいと思ったときは、私達と一緒に行こう」
「今回、レールを繋いだんだから、また跳躍で来られるもんね」
”おちびちゃん”は、星達の顔を順繰りに見上げて、言われた意味を考えている。幼い命は、いま初めて、開拓の道を一歩、歩んだところだ。これから年月をかけて、少しずつ、出会いと別れに慣れていくだろう。
星もまだ、開拓の旅に加わって日が浅い。それでも、先達として贈る言葉は持っている。小さな両手を取り上げて、握り込み、その中に息吹を込めるように、語り掛ける。
「”おちびちゃん”は、独りにならない。傍に居たい人に歩み寄っていける。それに……あなたの家族も、私達も、すぐ傍には居ないけど、ずっと”おちびちゃん”と一緒なんだよ」
うん、と、”おちびちゃん”が小さな声で言った。鈴が転がるような、太陽のフレアのような、倍音を伴った、歳不相応の美声。無意味な存在に擬態するのが上手い子供の、最も隠すべき、価値ある物だった。
スニミィにも、簡単に別れを告げた。
星達は商売のことなど何も気付かない振りをしていたが、スニミィには何もかもバレているだろう。
「この先の分岐を北北東に進むと、道の右側に石を5つ並べたものがある。そこから東南東に真っ直ぐ行くのが、一番面倒を避けられると思うよ。あのとんでもない『山』を、本当に見学したいんだったらね」
スニミィは含みのある言い方をした。スニミィが物心付いた頃、まだ紫雲衝山は山だっただろうか、あるいは既にクレーターになっていただろうか。少なくとも、今の姿は好きではないようだ。
軍用道路は、次第に草が茂りだし、飛砂に覆われ、正しく路上を歩むのが難しくなっていく。それでも、”おちびちゃん”と別れ、兵士の視線も気にしないで済む今、列車組の行軍は速い。
スニミィの助言にあった目印は、宇宙から観測した座標への直行するより、少し遠回りな場所にあった。嘘の情報である可能性も無いでもないが、列車組がスニミィを許し、信じた対価は等価なものであると確信している。
5つ並べた石に到着してみると、それは、大きさを揃えて一直線上に並べただけのオブジェだった。灌木に隠れてしまう程度のささやかなもの。紫雲衝山の方角――今は東南東である――を背に横並び。その手前に、銃が一丁ずつ供えられている。
途切れ途切れの有刺鉄線が、霊山と俗世の境目を、あるいは戦地と道路の境目を、示していた。
「要地のわりに、守りが薄いね」
「一応、灌木の裏に見張りが隠れていないか、注意しておこう」
「でも、スニミィの情報が正しいなら……。……。この墓標が、ここの見張りだということ?」
なのかは5つの石を見下ろし、そして周囲を見渡した。遠くどこかで土煙が燻っている。
「そんなの、おかしいよね。だって、ここは紫雲衝山のすぐ近くなんだよ? すごくすごく守りたいものなんじゃないの?」
「警備がこれだけだとするなら、紫雲衝山を、敵を地雷原に引き込む罠に使っているのかもしれないな」
星はふと、丹恒が使った比喩表現を思い出す。
「『末期の病人』。延命のために右手を切り落とすような?」
「ウチ、戦争が『大っ』嫌いになったかも。早く紫雲衝山に行こう、こうなったら、めちゃくちゃ可愛い橋を架けて、気分転換しなくっちゃ! 美少女のハートはいつまでも曇っていられないんだからね!」
なのかは膨れっ面だ。地雷原を渡る。六相氷の橋を架ける手つきも、慣れたもの。
戦うための兵士も、稼ぐための採取人も立ち入らないのだろう。人にとっては死地であっても、植物にとっては踏み荒らされない分、かえって楽土である。とはいえ、土壌が薄いのか、背の低い草ばかりではあるが。
「目的の座標は、ここだ。実地計測を始める」
平坦な草地の真ん中で、丹恒はそう告げる。クレーターの中心に辿り着いたのだ。
クレーターの外縁を越えてから、ずっと平地を歩いてきた。大小の石ころと、背の低い草、人を拒む地雷。これが、紫雲衝山。人々が祈り、奪われまいとしたもの。
計測には少し時間がかかるという。星となのかは、空を背景に写真を撮った。上弦の半月が、土煙で煤けた昼の空に浮かんでいる。宇宙だけはここに在る。
2人は気付かない振りをしている。ここまで一度も、裂界の魔物に出くわしていないことに。
「星穹列車♡ファミリー」のグループチャットに、メッセージが届く。
『データを確認したわ。お疲れ様』
姫子からだった。少し間が空いて、続きが書き込まれる。
『結論から言うと、惑星ソウホウには星核は落ちていないわ』
『どういうこと?』
『磁場によるノイズを排除してみると、星核のデータとの相似は確認できなくなったの』
『もしここに星核があったのなら……戦争を解決する手掛かりになるかと思ったんだけど』
『違うの?』
星となのかが嘆く。答えたのはヴェルトだ。
『星核がそこに無いことは、喜ぶべきことだ。我々は、惑星ソウホウの戦争に干渉するべきではない』
「丹恒、何か良い考えはない?」
なのかが食い下がる。丹恒の返事はにべもない。
「領土や信仰の関わる戦争に、『正しい』介入の方法は無い。こういったことに第三者の立場で口を挟むことはできない。どちらかの陣営に手を出すならば、開拓の旅を辞める覚悟をしなければならないだろう」
最後の頼みの綱に、姫子にアドバイスを求めてみる。
『”おちびちゃん”の助けになりたい。どうすればいい?』
『これから先、その機会はあるわ。星軌はもう繋がったのだから。一度、列車に帰っていらっしゃい』
星は溜息を吐いた。多数決で3対2、惑星ソウホウの紫雲衝山にまつわる戦争には関与しない、ということだ。
「はーあ。またすぐ、来ようね。”おちびちゃん”達に会いに」
なのかが立ち上がって、ぐぐ、と伸びをする。両手を掲げる祈りにも似ていた。