牌友と年の暮れゆく羅浮 年末と新春の境目、深夜。青雀は高らかに勝利を宣言した。
「カン! アガリ!」
右手は手元のデバイスから適切に打牌し、酒瓶へと翻る。祭日を迎えるために用意した、上等な火酒。今夜は、一局勝つ毎に、これを一杯干すと決めている。もちろん、負ける毎にも一杯干している。古の牌遊びを現代に楽しむならば、伝統的な罰杯も、宇宙共通風俗の祝杯も、同時に存在して然るべき。青雀は伝統にも革新にも責任を負わないから、両方に良い顔をするのだ。ただ美味い酒を飲むだけである。
『あーあ』
『はい、全員、【牌は命】さんに2300点支払いね』
『くっ、ここまで負けが込むなんて』
ボイスチャットの喧騒の中で、知った声が悔し気に呻いた。
彼女の表示名は【感情のない卜算機巧】だ。青雀の上司と全く同じ声だが、今はオンライン牌玉大会の、匿名ユーザー同士。知らんぷりを決め込むのが、粋ってやつなのだ。
今夜から数日間は、仙舟にとって重要な祭日だ。羅浮の要職も、持ち回りで行政機能を保ちながら、新年を祝う時間を持つ。だから太卜様が休暇を楽しんでいるのは当然だし、顔の広い共通の友人から、大会のチラシを受け取っていても、不自然はない。けれど。
まさか、こんなことになるとは、思わなかった。
青雀がアガったことで、【感情のない卜算機巧】の僅かな持ち点は吹っ飛んだ。本来なら8回戦あるところを、持ちこたえられずに7回戦目でドロップアウト。一位決定戦を黙って見守るしかなくなっている。
『この結果は占わなかったの?』
顔の広い共通の友人こと、【銀河打者】が、揶揄った。
『勝ち負けの行先をこそ楽しむ遊びで、それを占う愚か者が居るかしら? ――今日の運勢なら先勝よ。早きが良し午後はより悪し、占い通りね』
『次は、占う前に遊んでみなよ。牌玉は運だけじゃないよ』
観戦していた青雀の牌友が、気遣わしく声を掛けた。彼はこのオンライン牌玉の主催である。もちろん青雀が責任ある主催を務める訳がない。青雀は、優秀な盛り上げ役として、遊び、騒ぎ、火酒を煽る役である。
『ともかく今は、席を立たせて貰うわ。これから仕事なの。切りの良いところで終わったから、かえって良かったわ』
『春節に仕事なんて?! ブラックですね』
【75129331281110】が悲鳴を上げた。
『シフト制なの。仕方が無いのよ。それじゃあ、良いお歳を』
『良いお歳を! ……えっ、【75129331281110】は何で居るの? オンライン牌玉のチラシを持って行ったとき、あんたも仕事だって言ってたじゃん』
観覧席から【なのカメラ】が指摘する。
『このゲームのサーバーは、長楽天に拠点を置いていますから、見回りだって仕事の内ですよ。そうでしょう?』
顔の広い友人と親しく、春節に仕事が入る職場、見回り、シフト制、長楽天。青雀には、これで大分、人物像が絞り込めてしまうが、そんな些事に関わるつもりはない。【75129331281110】とは気が合いそうだな、と、火酒を追加するだけである。
杯を重ねて覚束なくなってきた手は、思いがけず、酒瓶の首を掴み損ねた。丸い酒瓶が卓から転がり落ち、中身を床にぶち撒ける。
青雀は、とりあえず、ボイスチャットに向けて詫びた。
「あー、やっちゃった。ごめん、ちょっとタンマ」
アカウント設定を離席状態に切り替える。と、同時に、新しい参加者がログインしたようだ。
『空いたようだから入ってしまったよ。初心者なんだが、構わないかい?』
『【ネットに本名】さん、いらっしゃい。いま、有力選手が離席してしまったところなんだ。とりあえず、試遊モードで一局どうだい?』
牌友がそつなくゲームを回している。
『そういうことなら、私も一旦、離れようかな。ね、やるでしょ?』
【銀河打者】の発言の後半は、マイクの方を向いていなかった。きっと、星穹列車のロビーからアクセスしていて、近くの仲間を呼んだのだろう。老いた男性の声が応じる。
『ああ、そうしたいんだが、アカウントの表示名を変える方法が分からないんだ』
『【81636411310118】さん、あなたは仮登録ユーザーだから、正規会員になって登録料を払うときに、アカウント名を変えられるよ。仮登録のままでも試遊できるけど』
『ありがとう。手続きを進めるには、どうすれば……、こう、か……?』
『俺が見てみよう。先に一局始めていてくれ』
若い男の声が請け負って、【81636411310118】と一緒に離席する。彼も仮登録のようだったが、多分、任せておいて大丈夫だろう。
【なのカメラ】が声を弾ませる。
『じゃあ、試遊には、ウチが入ってみようかな。ねえ、お願い、一緒に役一覧を見ていてくれない? ……ありがとう! えっと、コーヒーは……冷めちゃうから、ウチは遠慮するね』
『おっと、この流れは困りますね。うちの上司が、さっきから興味深そうに見てくるんです』
【75129331281110】がうんざりしている。彼の正体を知っているはずの【銀河打者】は、堪えきれないようだ。
『待って、あんた、職場からアクセスしているの?!』
『長楽天の見回り中だって言ったでしょう。これも仕事です、仕事。一番堅苦しい同僚は休暇に入ってるし、世間は祭日だし、上司も、日付が変わる瞬間には一杯やろうとしてるし、問題は何にもありません』
『”堅苦しい同僚”に、このことがバレたら、どうなるの?』
『秘密です。あなたが試してみたくなるでしょうから』
青雀手近なティッシュペーパーを4~5回ツモって、酒を拭き取るために、膝をつく。フローリングに薄く張った火酒が、床暖房で熱せられて、強く酒精を香らせている。青雀は、そのままコロンと転がってみた。深く息を吸うと、もっともっと強く香る。頭がくらくらする。
こんな酒の呑み方は、青雀のようなお気楽者にしか出来ないだろう!
「はー。最っ高」
『うん? 液晶パネルの反応が悪いな。おい、どうすれば動くんだ、松――(ブツン)。テキスト送信:上司はボイスチャットに慣れていないようで。テキストチャットに切り替えます』
『【75129331281110】さん、気にしないで。打牌さえ出来れば、何だって良いよ』
『うーん、こっちかな、それとも、こっちかな。(落ち着くんじゃ! 持ち時間を最大限に使うんだぞ) 分かってる。役を良く見せて。あっ、あーっ、時間切れになっちゃった、そっちを切りたいんじゃなかったのに!』
『はは、これは相手を惑わせる奇手のようにも見えるな』
『【ネットに本名】さんは、もう初心者を名乗らないでくれ。河を見れるなら一人前だよ』
沢山の牌友の、楽しげな声を聞く。青雀はこのゲームを現代に復活させた立役者だが、ひたすらに責任を負わず、ただお気楽なプレイヤーの立場で、床に寝転んだまま、この声を聞いている。
「最っ高……」
『アガリ』
【ネットに本名】がロンしたようだ。この声、さっきから妙に聞き覚えがある。たぶん……職場や、ニュースかどこかで……。
『【ネットに本名】さん、半荘する時間ある? さっきの荘はすぐ終わると思うんだけど、どうかな」
『構わないよ。ペットの狸奴も寝てしまったことだし。今夜は春節を楽しもう』
太卜様である上司と入れ替わりにログインし、狸奴を飼っていて、智に優れた、聞き覚えのある声の人物。青雀はそれを推算できる頭脳を持っている。
【銀河打者】は一体どこにチラシを置いたのだろうか? 太卜司、長楽天の地衡司、それから、神策府?
ともあれ、牌友の勤め先など、どうでもいい些事である。青雀は知らんぷりを決め込むだけだ。彼はただ牌遊びに興じているだけ、青雀もまた同じ。重要なのは同じ卓を囲んでいるということ。青雀は、ティッシュペーパーで零れた酒を塗り広げ、椅子に座って、オンライン牌玉にコマンドを送る。
「ただいま。さあ、もう一局、牌をやろう!」