外科医 情報屋が告げた通りに怪しげな店の並ぶ路地を縫うように進むと、闇の中に毒々しい赤の扉を発見する。重く錆びた鉄のそれを開くと、地下の暗闇へ誘う階段が現れた。埃のにおいにわずかに眉をひそませ、赤い目の吸血鬼は階段を降りてゆく。最後の一段から足を下すと、男は口笛をひとつ吹いた。
「まさか本当に此処に居るなんてな」
所狭しとガラクタの置かれた暗闇の奥、ふたつの金色の光が声の主――闖入者へ向く。覚えのある声の持ち主が記憶と合致していることを視認すると、椅子を僅かに入口へ向けた。白い肌と豊かな髪、金の瞳が闇にやわく光を与える。闇色の服を纏った彼女、来仙は珍客に問い掛ける。珍客は遠い昔に滅んだ、彼女と生家を同じくする男だった。名を怜津という。
「お前こそ、何の気の迷いで此処へ来たのかしら?まさか人間みたいに腕をくっつけてくれとは言いませんわよね?」
「てことは、姉貴が人間の医者の真似事をしてるって話は本当なんだな?半信半疑だったんだが、全然似合ってなくて面白えから冷やかしに来た。何で人間社会に混じって商売してんだ?」
「人間社会に大人しく嵌っている方が、確実に効率良く入手できる物もありますの。ルーガの体の材料は力で奪い取れるけれど、道術の素材はそうはいきませんわ」
ルーガ?と反復した怜津の前に、来仙は術でガラクタから一人の死体を出した。怜津は訝し気に死体を眺める。
「うげ、趣味悪ィな……死体の欠けてる部分を別のもので補っちゃいるが、てんでバランスが取れてねえじゃねえか……ここなんて腐ってきてやがるし、何だよこの気持ち悪ィ玉は」
怜津はルーガと呼ばれた死体の首から下がっている玉を示す。傷一つ無いその玉は見る角度により色が変わる不思議な玉だったが、怜津は覗き込んだ小さな穴の向こうに誰かの眼球を見たような不快さを感じていた。
「その首飾りは『霊宿りの玉』と呼ばれる曰くのある品ですわ。それを首から下げた完全な肉体に、あるべき魂を宿しますの。まだ不完全だから効力は発揮されていませんけれど」
「へえ……姉貴にこんな感傷的ところがあるとは知らなかった」
「感傷的?何か勘違いしているのではなくて?ルーガを再びこの世に戻すのは、役目を全うしなかった罰としてこの手で殺すためでしてよ」
怜津は来仙の返答を曖昧に流し、再度まじまじと目の前の死体と部屋全体を眺めた。ふうん、と納得したような声をあげる。赤い瞳から興味の熱が失われていることに来仙は気付いた。
「邪魔したな。これからも違法営業するなら、こまめに拠点移しとけよ。この街の犬は割と鼻が利くみてえだからな」
「あら、最近退屈していましたの。楽しめそうなお客様なら大歓迎ですわ」
*
「いつかは楽しめる刺客が来るとは思っていましたけれど、まさかこんなにあっけなく死ぬことになるとは考えもしませんでしたわ」
首だけとなった来仙が呟く。彼女の体はバラバラに引き裂かれ、蘇生に必要な血液は一滴も残っていない。陽の光を浴びて灰になる時を待つばかりの身だった。
最後の客人は道士と吸血鬼の子供だった。道士のみであれば、あるいは吸血鬼のみであれば、来仙が生き残っただろう。彼女の死体操作術は、永い年月をかけて鋭く研ぎ澄まされたものだった。
来仙は、視界の端に映る陶器の破片に目を向ける。ルーガと呼んでいた死体だった物だ。首飾りは客人に持ち去られ、多量のかけらだけが白花の絨毯のように広がっている。
「やはり『人形』は生ものの方がいざという時応用が利くようですわね。こんなことなら、仮にでも適当な魂を入れておくべきでしたわ。そうでなければこんなに簡単に変質することも破壊されることもなかったでしょうに」
独りごちていた来仙は言葉を止め、目を伏せる。手持ちの死体に他者の魂を入れたくなかったのは、生前と全く違う言動をするのが我慢ならなかったからだった。来仙にとってその死体は、何をするにも口うるさく叱りつけ、どうでもいい自慢話を延々と話し、巧みな銃の腕を持っていなければならなかった。『ルーガ』でなければならなかった。
息を飲み、来仙は空を見上げる。白玉の如き月が金の瞳に浮かぶ。ああ、ああ。ようやく分かった。わたくしは。
「もっと、叱られていたかった――」
太陽の目を避けた噎せ返るような白花の甘い香りの野で、闇色の服を着た吸血鬼の女と粉々に砕け散った白い陶器の破片が発見されたのは、有明月の浮かぶ昼のことだった。