第肆話 初めての魔法修行 取り壊し予定のとある教会に、美しい顔立ちの女がひとり座っていた。
真っ白なたっぷりとした布を使ったドレスのようなものを着ている。
手に持っているのは赤いガラスで出来た小瓶。
女はコルク栓を抜き、中身を味わうようにゆっくりと飲み干した。
唇の端から薄いピンク色の液体が滴る。
それから歌うようにひとりで話し始めた。
「可愛くお化粧して、髪も綺麗に結って、レースをふんだんに使った白いスカートを着せて、空色のブラウス、手編みの赤いカーディガンにクルミボタンとカメオのブローチをつけたものを羽織らせて、黒いリボンがついた白い靴下に、黒いエナメルの靴をはかせて完璧な死体を作りたい
はやくあの子に会いたい
どんな顔をするかしら
この手であの子のスカートに赤い水玉をつけてあげるの
首から滴る体温で
赤いネックレスみたいになるかしら
一緒にお歌を歌いたいわ
わたしの一番のお気に入りの歌
『さんさん太陽、イチゴを照らす
兄さん駆けだす、芝生のお庭』
あの子も気に入ってくれるかしら
最期に見るのがわたしの顔
最期に聞くのがわたしの歌声
最期を飾るのはわたしの手
少女は閉じる、黒い黒い扉
ひとつ通ればひとつ失い、ふたつ通ればふたつ失う
それでも少女は止まらない
たったひとりへの
殺意を込めて」
話し終え、恍惚の表情で自分で自分に拍手をする。
女は終始笑顔だった。
★☆★☆★
「ギフト様、おはようございます」
「…、はっ!
おはようございます!」
ずっと壁だと思いこんでいた場所はとても大きな窓だったようだ。
カノンがゆっくりとカーテンをあけるとそれはそれは素晴らしい庭園が見下ろせるステキなバルコニーが目に入った。
どうやら本日晴天なり。
昨日、買い物から帰宅したときにはもう白い月が浮かび、夕陽が輝いていた。
わたしは眠さに勝てず、なされるがままカノンにお風呂に入れられ、ご飯も食べずに寝てしまった。
うっすら覚えているのはカノンが歌ってくれた子守歌だ。
もっと聞いていたかったような気がする。
寝起きの頭でテキパキと働くカノンを見つめていたらふいに目が合い微笑みかけられた。
「あ、なんかキュンとしました」
「まぁ、ギフトお嬢様
両想いですね」
「わたし、この御屋敷に来て今が一番心がおだやかです」
「うふふふ
そう言っていただけて光栄です」
もし将来独立してもカノンには手紙を書き続けようと思った。
あまりにも素敵な朝なので、あのことをすっかり忘れている。
ゆるゆると動きながら身支度を済ませ、あの長いテーブルの部屋、食堂へと向かった。
「今日の朝ごはんはなんだろうなぁ」
妖精たちはポニーテールにしてもらったギフトの髪で遊びながら楽しそうに笑っている。
白いパフスリーブのブラウスについた赤いリボンがふわっと揺れ、灰色のシフォンスカートが軽やかにひるがえる。
扉が半分開いていたのでそのまま部屋へはいると、「おはようございます!」と元気のいい挨拶とともに両脇から花びらが降ってきた。
「な、何事?!」
ひとり驚いているとテーブルの向こう側にファージとキールがこれ見よがしに紙を持って立っていた。
「お、おはようございます…?」
「見て見て!見て!
結婚証明書もらってきたのよー!」
「今日から夫婦であり夫夫だ!」
「あなたの名前も養子の欄にちゃぁんとあるのよー!
これで晴れてあなたはわたしたちの娘!
そしてわたしの弟子!
優秀な魔女に至る道が始まるのよー!」
「わ、わーい
おめでとうございまーす」
「んまぁ!
本当に心がこもってない!」
朝からテンションが振り切れているってどういうことだ。
シナプスの伝達が狂ってるとしか思えない。
それともエナジードリンクかなんかをきめたのか。
まぁ、もはやなんでもいい。
わたしも魔女への一歩を踏み出したことだし、頑張ればはやくこいつらを抹消できるし。
一瞬、カノンの笑顔が浮かび、胸のあたりがズキっとしたが、忘れることにした。
「めでたいですー
お腹すきましたー」
「わたしたちの結婚よりも朝食の方が重要なの?!
そのブレない食欲へのまっすぐな姿勢、嫌いじゃないわ!」
「ギフトは育ち盛りだからな!
俺の娘だし、いっぱいご飯食べような!
俺の娘!」
「え、あ、うん、そうです、娘です
さぁ、パパ、朝食にしましょう」
「…、感無量」
「ちょ、もう、いいや
すみませーん、今日の朝ごはんは何ですか~」
厨房へ直接聞きに行くことにした。
あのふたりは互いを見つめ合い、手を取り合ってなにやら無言のコミュニケーションをしているので放っておくことにした。
厨房へ入るとなんとも香ばしいパンの匂いと、甘くまろやかなコーンスープの香りがしていた。
作業中のゴブリンやオーガ、まだ知らない種族のみなさんが一斉にあいさつしてくれた。
「ギフトお嬢様!
おはようございます
もうすぐご用意できますからね」
「おはようございます!
わぁ、楽しみです
昨日、お夕飯を食べずに寝てしまってごめんなさい…」
「なんと!
謝ることなど何もありませんよ」
「でも、用意してくださってたのに…」
「ふふふ、ギフトお嬢様、お嬢様はもう少し貴族としてのいい意味での傲慢さはお持ちになったほうがよいかと思われます
世の中には謙虚なことを怠慢だと言ってくる哀れな者もおりますから
そんな愚か者共に隙をみせてはいけませんよ
ご自分の身分に胸をはってください
それに、ギフトお嬢様の分は昨晩旦那様が晩酌のときに召し上がりましたので無駄にはなっていませんよ
ふふふ、お嬢様は本当にお可愛いですね」
「あぁああああ、いろいろ、ありがとうございますうう…」
屋敷内で出会うひと出会うひとみんな素敵ってどういうことなのだろうか。
私の心はドス黒い何かでつないでいる状況なのに、このひとたちを好きになってしまったら死んでしまった家族へ顔向けできなくなる。
わたしの大事なものが何かわからなくなってしまう。
少し泣きそうになりながら無理やり笑顔をつくって厨房をあとにした。
日常の穏やかさが、わたしの生きる目的である殺意を揺るがしていく。
こんなに幸せを辛いと思ったのは初めてだ。
幸せだと感じることすら、今のわたしには罪に思えてならない。
はやく殺して、はやく死にたい。
食堂へ戻るとまたもやファージとキールがニヤニヤしながらわたしを待っていた。
いつの間にかまき散らされた花びらは回収され、テーブルには籠にもりもりのカスミソウとピンク色の薔薇が用意されていた。
そして、ファージはなにやら青い箱を取り出すと、浮遊魔法でゆっくりとわたしの手へそれを移動させた。
「ギフト、わたしたちがあなたの親になって初めての贈りものよ」
「あけてごらん」
キールにうながされるまま箱を開けると、そこには緑色と紫に輝く大ぶりなアレキサンドライトとリリーベル家の紋章が彫られた銀色のバングルが入っていた。
「きれい…」
「それにはあなただけが入ることも出ることもできる亜空間魔法を閉じ込めてあるの
荷物や杖、食料、ペット、なんでも保管できるわよ
そして、もしこの先わたしたちの目が届かないところで怖い目にあったときは、その中に入りなさい
わたしたちが助けに行くまで絶対に出ちゃだめよ
無理に立ち向かうことはしないでほしいの
その中へ逃げなさい
隠れなさい
自分の身を護りなさい
解決しなくたって、勝てなくたって、生きていてくれれば、それでいいの」
「…ありがとう」
愛によって殺意が相殺されたとき、はたしてわたしはわたしのままでいられるのだろうか。
今、わたしがファージとキールに感じているこの気持ちは、なんと呼べばいいのか。
(解決しなくたって、勝てなくたって、生きていてくれれば、それでいいの)
わたしはこれをずっとずっと昔に他の誰かにも言ってもらったような気がする。
顔も声も何もかもに靄がかかったようで思い出せないが、その時感じたあたたかさはこの胸に残っている。
あれは誰だったんだろう。
そして、ファージはなぜこんなことを言うのだろう。
なぜ自分のことを恨み、憎み、殺そうとたくらんでいる子供を愛せるのだろう。
物理的に胸が痛くなってきたような気がした。
誰かこの痛みをどうにかしてくれ、と思っていたところへ、朝ごはんが運ばれてきた。
いい香りがする。
空腹を満たせば、少しは気がまぎれるかもしれない。
わたしはテーブルにつくと、おとなしく給仕が終わるのを待った。
「本日の朝ごはんはコーンポタージュのパングラタンでございます
器も熱くなっておりますのでお気を付けくださいませ」
目の前に置かれた美しいサラダと、これまた黄金の輝きを放つ香ばしいグラタンをみつめる。
先ほどまで脳をしめていた感情はふっと後ろへ下がり、食欲が怒涛のようにおしよせてきた。
「それではいただきましょう」
「いただきます!」
「いただきまーす!」
忙しい、忙しすぎる!
朝からこんなにおいしいものを出されては、食べるのが忙しくて口が疲れてしまう!
グラタンの焼き目がテディベアの形だし、サラダの人参がわたしのものだけリボンのかたちに結ばれているのも可愛いし、心があたたかさでいっぱいになる。
難しく考えたいときもあるが、食事の時ぐらいはよそう。
美味しいものには、おいしいリアクションをしなくては!
「おかわりくださーい!」
「はっはっは!
ギフトは大きくなるぞー!」
「うふふ
わたし、キールのことは心から愛しているし尊敬もしているけれど、ギフトがガチムチになるのは絶対に嫌よ」
「むう…、女の子だもんなぁ…」
「華奢なレースのドレスが着せられなくなったり、繊細なフリルのブラウスが筋肉に負けて魅力が発揮できないなんて困るわ!」
「筋トレはしませんよ
大丈夫です
わたしも市販の服が着られなくなったらこまるので」
「んんんん
筋肉は無敵の鎧なんだがなぁ…」
「いいのよ、キール
あなたはそのままでいいのよ」
「ううむ」
「はい、パパはかっこいいですよ
そのままでいてくださいね」
「なんと!
ギフトのためなら俺は棺桶に入る直前までパンプアップし続けるぞ!」
「はーい」
「あらあら、キールったら!」
会話の内容はさておき、グラタンとサラダをそれぞれ8回おかわりして1リットルくらいリンゴジュースを飲んで食後の紅茶をいただいていると、ファージが自分の部屋から鏡を持ってきた。
大きめの姿見で、車輪がついている。
「お!ついに修行が始まるんだな」
「そうよ~
あなたがお仕事に行ってる間に、ギフトはどんどん成長しちゃうんだから!」
「いいなぁ!いいなぁ!
俺も娘の成長を見つめていたい
休日は俺も参加させてね」
「もちろんよ~」
「あの、修行には鏡を使うんですか?」
「あぁ、これは扉よ
この中にはわたしが許可した者しか入れない仕組みになっているから、修行を妨害されることもないし、魔法が暴走しても中だけで処理できるのよ」
「ほえぇ、ママはいろんなものを持ってますね」
「ま、ママ!
いい!いい響きよ!
でもわかってるわよギフト!
ファージさんって呼ぶよりも短くて済むからママって呼ぶことにしたんでしょう?!」
「せいかーい」
「動機がいただけないけど、響きが魅力的だからよし!」
ファージがクネクネしながら杖で鏡をポンっとノックすると、鏡の表面が波打った。
「はい、これでもういつでもギフトは自由にこの中を使えるわよ
どうせ修行したらすぐお腹がすくんでしょうから、食堂に設置することにしたわ」
「はぁ、わかっていらっしゃる」
わたしの生態に合わせてくるとは、さすがとしかいいようがない。
「じゃぁ、カノン、ギフトを修行用の服に着替えさせて頂戴」
「はい、かしこまりました」
「え?この服でやるんじゃないんですか?」
「何言ってんのよー!
テンション上げるために服はあるのよ?
修行には修行用のテンションが必要でしょう
せっかく可愛いの用意しといたんだから着なさいよ」
「はああい」
「たまには子供らしく喜びなさいよね~」
「はっはっは!
ギフトは可愛いからなんでも似合っちゃうもんな!」
ふたりが夫婦になってからまだ数時間だか、はやくもわたしは疲れてきた。
毎日このテンションに接するのかと思うと、頭痛と胸やけがする
アレキサンドライトの中へ入る回数が増えそうだな、と思った。
「パパいってらっしゃーい」
「あなたぁぁああん!
早く帰ってきてねぇぇん!」
「おう!行ってくるー!」
なぜ仕事へ見送るだけなのにこんなに時間がかかるんだ。
支度は40秒でしょうが。
おっと、これは元居た世界の名台詞だった。
ファージがキールの姿が見えなくなるまでハンカチを振り続けている。
いっそキールには出張に行って欲しいなぁと心から思った。
「ギフト、朝から切ないわね
でもお仕事だからしょうがないわよね」
「はぁ、そうですね」
「わたしたちはみっちりきっちりばっちり魔法のお勉強しましょうね!
さぁ、修行場へ行きましょうか
杖持った?」
「はーい
さっきもらったバングルに必要そうなものは全部しまっておきました」
「出来る子!」
ちなみに、本日の修行用の服は細身の白いパンツにこげ茶のロング編み上げブーツ、深緑色のゆったりしたブラウスに黒の太めのリボンとキャメルのジレ。
貴族のボンボンみたいだ。
ファージはブラウスだけスカーレットだが、その他はおそろいだ。
そう、おそろいだ。
「ふふふふふ
娘が出来たら絶対に親子コーデしたいと常々思ってたのよ」
「はーい、よかったですねー」
「んもう!つれないんだから!」
プンスカしているのかなんなのかわからないが、クネクネするのはどうにかならないんだろうか。
「もういいもん!
はやく修行始めるわよ!」
「わーい」
鏡の中はとても広かった。
どこまでも続いていそうな原っぱ。
その原っぱのところどころにいろんな色の扉が設置してあり、それぞれがさまざまな状況を想定して作られた修練場だという。
全部でいくつの扉があるのかはわからないが、パッと目に入ってくるものだけで30はありそうだ。
あれらを全部使うのだろうか。
「さぁ、ギフト
今日は最初のお勉強よ」
そう言ってファージは一番近くにある白い扉を開けた。
中に入るとそこには広大な花畑が広がっていた。
「痛っ」
「あら、ギフト大丈夫?
お薬飲む?」
「いえ、大丈夫です」
頭痛がした。
それと同時に脳に浮かぶ真っ赤なイメージ。
どういうことなのか。
まさか、ファージがこの場所になにか魔法をかけているのだろうか。
「あらもうほんとうに大丈夫なの?」
「大丈夫です
おさまりました
さぁ、はじめましょう」
「ギフトが大丈夫って言うならいいんだけど
じゃぁ、はじめましょうか
今日の課題はガラスのコップ作りよ」
ニコニコと微笑むファージに、なんとなくだが易しい課題のような気がした。
開始1時間、ギフトは倒れていた。
なめていた。
さんざんファージに特別だと言われて思い上がっていたのかもしれない。
魔法が使えるという現実に浮かれていたのかもしれない。
ギフトの膨大な魔力はすでに終わりが見えそうなほど消耗していた。
「あらあら、まぁ、最初はこんなもんよね
ほら、回復してあげるからもう一回最初からやってみましょう」
「は、はい…」
ファージが調合した回復薬を3種類飲み、プライド以外は全快した。
「まず、ガラスの原料となる珪石を右手に召喚
左手では石灰を召喚
その間に目の前にある重曹を火の魔法を使って炙るのよ
さぁ、やってみて」
「は、はい」
石の魔法、火の魔法を同時に使いながらそれぞれの出力を調整する。
魔法使いの子供はこんなにも難しいことを日々やらされているのか。
「ああ!重曹が丸焦げに…
すみません…」
「余計なこと考えてない?
魔法に集中して
ほら、もう一回」
「はい!」
その後、石の魔法の出力を間違えて珪石を水晶にしてしまったり、さまざまな失敗を20回以上くりかえし、やっとまともな素材の生成に成功した。
「つぎは珪石を細かく砕いて、出来上がった素材を3つをすべて混ぜて1500度に熱した釜でドロドロになるまで溶かすのよ
慣れたら釜無しでやれるように特訓しましょうね」
珪石を風の魔法で細かく砕くと、バングルから取り出した魔法の釜へと投入する。
そして、出力を調整しながら火の魔法をかけていく。
「ほら、弱まってるわよ!
風の魔法も同時に使って火の魔法を強めないと」
「は、はい!」
炎の強さと熱さに少々パニックになりながらもなんとか材料を溶かすことができた。
「さぁ、いよいよ形成よ
浮遊魔法でそのドロドロしたものを球体に保ったまま目の前に浮かべなさい」
「はい!」
これがまたとても難しかった。
全方向から均等に力をかけなければ綺麗な球体にならないし、モタモタしていると冷えて固くなってきてしまう。
頭が爆発しそうだった。
「コツは優しく子猫を抱きしめるような包むようなイメージで腕を楽にして、肩から上半身すべてをやわらかくして手をクルクルと回転させることね
無理に力を加えてガチガチに球体を保とうとしても無理よ
優しく、流れるように、そのドロドロが自ら球体を作り出すようにサポートするのよ」
「はい!」
頭の中でイメージを膨らませる。
「うん、いいわ
きれい!上出来よ、ギフト」
「ありがとうございます!」
「では、その球体を4分割してそれぞれをまた球体にしましょう」
「はい!」
慎重に等分にわけ、さっきと同じ要領で球体にして行く。
「うん、いいわ
とても上手よ!
ではそれぞれの球体を風魔法で適度な大きさに膨らませなさい
ガラスの厚みをよく考えてね
いきなり大量に吹き込むと裂けてしまうし、弱すぎると膨らまないわ
さぁ、頑張って!」
「はい!」
もはや立っていることすら辛いほど魔力も体力も消耗していた。
しかし、気力だけはあった。
悔しいが、やはり褒められると嬉しいし、何より、自分の才能に負けたくなかった。
宝の持ち腐れだと、思いたくなかった。
「まぁ!すごいわ!
ギフトは風魔法は完璧ね!
さぁ、膨らんだその球体の上部を切断し、コップの底となる部分を平らにするわよ
同時に2種類の風を使うの
大丈夫、ギフトならできるわ」
「はい!」
ガラスの上部を鎌状にした風で切り落とし、底を回転する風で平らにならす。
「うん!すばらしいわ!」
「あ、あり、ありがとう、ございます」
肩で息をする姿を見かねて、ファージが魔力を回復してくれた。
「切り口に火の魔法をあてて滑らかにしたらふっくらした可愛いコップの出来上がりね」
「はい!」
ものすごい時間と魔力を使ってしまった。
もうヘトヘトだ。
こんなにもできの悪い弟子で申し訳ないような悲しいような気持ちでいっぱいになったが、ファージはとても満足そうに出来上がったコップを眺めているので少し救われた気がした。
「お疲れ様ギフト
あなた気づいてる?
もう8時間経ってるのよ」
「そ、そ…」
「はいはい、ご飯持ってきてあげるから、頭の中で今日教えた魔法の復習をしててね」
「はぁい」
ファージが扉から出て行ったと同時に、ギフトはその場に仰向けに倒れこんだ。
空が青い。
ここは魔法で作り出された空間なのに、そよ風も花の香りも感じる。
とても美しい場所だ。
「魔法って便利だと思ってたけど、便利だと感じることができるまでにはかなりの努力が必要なんだ
わたし、大丈夫かなぁ
初日でこんなに手間取ってるのってまずいことなんじゃ…
まぁ、いい
とりあえず、脳内で復習だ!」
ギフトは目を瞑り、集中した。
初めから工程を丁寧に脳内で繰り返し、魔法を使うイメージを膨らませて行った。
そのイメージがスムーズになると倒れていた体を起こし、
胡座をかきながら目の前で石がガラスに、ガラスがコップになるイメージを身振り手振りを交えて再現した。
炎の力、風の力、石が持つ可能性。
「ギフト!
あなたはやっぱり天才だわ!」
「ほえ?」
ファージの大声に驚き、目を開けると、目の前にはさまざまな形の美しいコップが何千と並んでいたのだ。
「え、え?
これは何ですか?
後半に作るコップの見本ですか?」
「あなた、気づいてないの?
これは全部、あなたが作り出したものなのよ
3つの魔法の複合魔法、【硝子の魔法】よ」
「え、は?
えっと、うん?」
「あはははは!
さぁ、今度は目を開けてやってごらんなさい
そうねぇ、じゃぁ、お花を作ってみなさい
ゆっくりでいいわ」
ギフトは半信半疑ながらも、頭の中でイメージを作り上げて行く。
石があらわれ、風で砕かれ、混ぜられ、炎の熱と風の力で溶け…。
「で、出来た…」
目の前には一輪の百合の花の形をした美しい硝子細工が出来上がっていた。
「ま、ママ、これはどういうことなんですか?」
「あなたはこの8時間で学んだのよ
すべては関係しあってその場に存在しているってことをね
石だけではガラスにはなれない
火だけでは溶かせない
風だけでは暖められない
あなたなしではそのガラスは百合の形にはならない、ってね」
涙が流れた。
悲しくないのに、悔しくも、切なくも、何ともないのに、ただただ涙が流れた。
「あらあら、泣いたら余計お腹空いちゃうわよ
さぁ、ごはんにしましょう
おいで、ギフト」
「はい、ママ」
(すべては関係しあってその場に存在している)
それがどんなに奇跡的で、運命的で、簡単にはいかないのに、気づけばすぐそばにある。
当たり前なのに、難しい。
魔法はそういうものなのだと、もしかしたらこの世界で一番大事なことを教えてもらったのかもしれない。
ファージは一体何者なのだろう。
本当に悪いやつなのだろうか。
このまま憎み続けることなんてできるのだろうか。
わたしは一体、何者になるのだろうか。
そして、浮かんでは目の前を通りすぎて行く様々な恐ろしい可能性が右手を震わせる。
このまま硝子の刃をイメージしてしまえば、美しいグラスを生み出した綺麗な魔法が、たちまち殺人の道具となる。
魔法とは、そういうものなのか。
「まるで、言葉のようだ」
ギフトはひとり小さく呟くと、何もなかったかのように食卓についた。
目の前には愛おしそうにギフトを見つめるファージの優しい微笑み。
殺意が保てない。
生きる意味がわからなくなりそうで、しかし、そうなれたらいいのに、と、ギフトの混乱は深まる。
「何難しい顔してんのよ
はやく食べなさいな
まだデザートだってあるんだから!」
「はーい
ありがとうママ」
「うふふ」
罪は日をおうごとに重くのしかかる。
心にも、このおだやかな関係にも。
☆★☆★☆
「ありゃ、これ、誰の忘れ物だ?」
教会を取り壊しにきた作業員が見つけたのは、まるでウェディングドレスのような真っ白のワンピース。
「あぁ、ここで結婚式をしてた時の残り物じゃないか?」
「いやぁ、それにしては綺麗なんだけどなぁ」
「なんか不気味だな
捨てちまえ」
「そうだな、捨てちまおう」
黒いゴミ袋に入れられたワンピース。
礼拝堂の陰にはひとりの少女が立っている。
誰も少女に気づかない。
取り壊されて行く教会。
破片は少女を避けるように降り注ぐ。
輝くステンドグラスが、まるで光の雨のように煌めく。
「うふふ
あれはわたしの死装束
可愛いあなたの死装束は
わたしが一生懸命作ってあげる
大好きよ、ギフトちゃん」
少女は笑う。
真昼の月を撃ち落とす、悪魔のように。