第拾伍話 勉強会 ここはリリーベル家の図書室。
ギフトが拉致され、この世界に来たときに初めて意識が目覚めた部屋だ。
相変わらずいろんな幻獣の頭蓋骨の標本や様々な宗教で使う祭具が展示されている。
最近ではギフトがここでいろんな毒や薬の研究をファージとともに行っているため、壁一面に配置された本棚に匂いが移ってしまい、少し薬草くさい。
部屋の中で一番大きな分厚い一枚板のテーブルに紅茶と山盛りのスコーン、10種類以上のジャムやフルーツのソースがおかれており、それを楽しそうに頬張りながらかれこれ1時間ほどお互いについて話している子供が6人。
今日は学校が休みの日。
そう、楽しい楽しい休日である。
ファージは問題児さえも改心させたうえに友情まで築いてしまうギフトの魔法の素晴らしさに喜びのあまり、5人が家に遊びにくることが決まった日、すぐに6人にお揃いのアンティークのロッキングチェアを購入し、それぞれに名前を入れて宝石をちりばめた金のプレートを取り付けた。
ファージは恋話を期待して居座ろうとしたがギフトによって追い出されてしまった。
「みんな、ごめんね…
うちのママはとにかく恋愛系の話が好きで…」
普段、制服姿しか見たことのない娘の友人たちの私服姿にもテンションが上がってしまったのだろう。
ホンロンはいつもの
旗袍ではなく、背中と立ち襟、袖の部分に鬼灯の刺繍が入った黒い厚手のカンフージャケットに同じ色で裾に鬼灯の刺繍が入ったセットアップのパンツ、甲の部分に小さく鬼灯の刺繍が入ったペタンコの濃い紫色のカンフーシューズを履いて来た。
ルルーディアはシンプルな白い光沢のある丸襟ブラウスに、フリッフリのレースがついた薄荷色の厚手のカーディガン、キャメルのツイードキュロットに黒いタイツ、そして焦げ茶色のローファーという女の子のお手本のようなスタイル。
サフィルは意外にもかなりシンプルだった。
黒い長袖のインナーにロイヤルブルーの少しオーバーサイズのニット、焦げ茶色のサスペンダーが付いた黒い細身のロールアップしたスラックスに焦げ茶色の靴下、足元は黒いローファーだ。
パルトは物凄かった。
鮮やかな黄色に白でフリッフリのレースがついた丸襟ワンピースに真っ赤な厚手のカーディガン、そして真っ赤なエナメルのワンストラップシューズ。
トニタルアは意外、といえば意外な白い開襟シャツ。
薄い灰色のV字ニットにチャコールグレーの膝丈パンツ、黒いタイツ、白い編み上げブーツ。
なんだか大人っぽい格好をしている。
そしてそんなお子様たちにファージが用意したのはギフトとお揃いの可愛い猫足スリッパ。
ファージは子供たちが可愛すぎて悶え死にそうになったのだった。
ちなみに、ギフトは深緑色の立ち襟シャツに黒い中振袖、梅色の袴に深緑色のタイツ、そして猫足スリッパだ。
ギフトによって追い出されたファージはギフトの袴の色に合わせて梅色の小袖に深緑色の帯を合わせて着ていたようだ。
「リリーベル先生って相変わらず美人だよなぁ」
「しかもイケメン」
「いやいや…」
「うふふ、ギフトちゃんいいですわね
うちではお母様と話すためにも予約が必要ですもの」
「え、パルトの家ってそんなに厳しいの?」
「うちも似たようなものだ
母上には気軽に会うことはできない」
「サフィルの家もかぁ…」
「ぼ、ぼくの、う、うちも、きょ、兄弟以外とは、あああまり、話せないんだ」
この国の王族は今でこそ少しずつ薄くなって来てはいるものの、かつては家族が婚姻対象だった時代もあった。
兄の嫁が腹違いの妹や姉だったり、義理の息子を母親の愛人にしたり…。
王族の血を濃くすることこそ至高だと思われていたのだ。
それらの忌まわしい悪しき風習の名残もあってか、家族の中でも特に経産婦である母親にはなかなか会えないような制度を取っている王族は今でも多い。
王族には倫理の及ばない秘密の恋人を持つ権利があるのだ。
少し気まずい雰囲気を変えるようにホンロンがパンパンと手を打った。
「お互いへの誤解やらなんやらの謝罪が一通り済んだところで、そろそろ始めようか
まずはいつも俺たちがやってる練習から始めよう」
そういうとギフトとホンロン、ルルーディアはロッキングチェアから立ち上がり、バングルからあるおもちゃを取り出した。
それに合わせてサフィルたちも立ち上がり、ギフトたちの手にあるものをまじまじと見つめた。
「それは、トランプ…?」
「そう!枚数が決まってるし、数字とか図形、絵柄でも分けられるから上達を実感し易いのよ」
「ちなみに俺たちはもうこの箱で6箱目だ」
「さぁ、3人にはわたしたちから1箱目をプレゼントするね
って言ってもママが趣味で買い漁ったのがいっぱいあるから好きなのを好きなだけ選んでいいよ」
「ありがとう、ギフトひ…、ギフト」
「そうそう、友達なんだから姫とか王子とかもうやめましょうね」
サフィルは耳を真っ赤にして真顔で照れながら妖精たちが運んできた木箱に入った大量のトランプの山から青い綺麗なトランプの箱を手にとった。
パルトは食い入るように箱の中を見つめている。
「まぁ!この妖精の絵柄のとっても可愛いわ!
猫のもあるのね!
ああ!イルカのもあるわ!」
「ぼ、ぼくは、ほ、星柄のに、し、しようかな」
パルトとトニタルアも各々好きな箱をとった。
パルトは妖精と猫とイルカと薬草のトランプを抱きしめ懇願するような目でギフトを見つめてきたのでギフトはそれらを全部プレゼントした。
どうやらパルトはファージと趣味が似ているらしい。
「このトランプを使ってどんな練習をするんだい?」
「よし、じゃぁまずは中から絵札以外のクローバーを1枚と、ダイヤを1枚出して、机に置いてくれるかな?」
「わかった」
サフィル、パルト、トニタルアは自分の前に2枚のトランプを並べた。
「次に、クローバーの方に自分の得意な魔法陣を展開してみて」
「はぁい」
「う、うん」
3人は思い思いに指先から魔法陣をトランプへと滑らせた。
「次はその魔法陣を展開したトランプを交換してみて」
「じゃぁ、僕のをパルト、パルトのをトニー、トニーのを僕に回そう」
3人はトランプを交換した。
「じゃぁ最後に、今手元にある魔法陣を使ってみよう!」
「…ええ!」
「無理ですわ!」
「う、ううん、他の人の、ま、魔法陣を?」
「いいから試しにやってみて!」
サフィルたち3人は困惑しながらも魔力を込めて見たら途端にトランプは蒸発し、燃え尽き、光となって消えていった。
誰1人として魔法陣が記憶している本来の魔法を出すことはできなかった。
「ほら、やっぱり無理ですわ」
「ムムム、難しい…」
「ぐすんっ、ぐすんっ」
「トニー、泣かないで〜
まだ始めたばかりだから!」
「次行こう!
次はダイヤの方をギフトに渡してくれる?」
「う、うん」
ギフトは3人からトランプを受け取ると3人の魔力を確認しながらそれぞれに指先から同じ魔法陣を展開していく。
「できた〜、今度はこの魔法陣を使ってみて」
「う〜ん、わかった…、あれ?!」
「え!え!すごい!」
「わぁ…、き、綺麗だ…」
3人は半信半疑な様子で魔力を注ぐと、その瞬間にトランプが輝き出し、それぞれがクリスタルの板に変わっていた。
「どうして?!どうして?!」
「ギフトちゃん、わたしたちに何かしたのかしら?!」
「す、すごい!」
ギフトたち3人は得意げに微笑むと、今度はホンロンとルルーディアが魔法陣を展開したトランプをサフィルたちに渡した。
「さぁ、こっちのトランプもやってみて!」
「うん!」
サフィルたち3人は渡されたトランプに魔力を注ぐと目の前で起こるちゃんとした変化に興奮した。
「…わぁあああ!トランプがあったかくなった!」
「このトランプはビチャビチャになったわ!」
「しゅ、しゅごい」
「どういうことなんだい?
どうして他の人の魔法陣が僕たちに使えるのか全くわからない…」
ギフトたち3人は素直に驚いてくれるサフィルたちを見て嬉しそうに顔を見合わせると、手のひらをパチンと叩いて喜んだ。
「じゃぁ、わたしが説明するね
魔法陣を自分から出して展開するときに、自分で使うときはそのままの形で使うでしょ?
それを誰かに使ってもらうときは、その相手が魔法陣の中に入れ込んでいるリケルの署名を自分のリケルの中で魔法陣に書き加えるの」
つまり、Aが作った契約書にBがよく使っているサインをAがあらかじめ書き込んでおく、ということと同じだ。
それをリケルの中で行ってから展開し、相手に渡す。
「でも、魔法陣に書き込むって…、そんな…」
魔法陣はいわば魔法というデータのコード表のようなものだ。
魔法陣の場合は明確な決まりこそないが、それぞれが身体の中に持つリケルによってその体力や魔力、出力、癖、経験など様々な要因を絡めて作り出される完全にオリジナルのもの。
指紋やDNA、虹彩のように、同じ魔法でも魔法陣の模様は一人一人違う。
だからこそ、その魔力残渣が犯罪が起きたときに加害者や被害者特定に使われるのだ。
その完全オリジナルのものに相手の署名をあらかじめ書き込むことがどれだけ難しいことかは想像に固くない。
書き込む場所を少しでも間違えたら魔法陣は暴発するか何も無いまま消え去ってしまう。
「そりゃ、私たちもまだまだ簡単な魔法しか対応できないわよ?
ギフトみたいに複合魔法に他人の署名を書き込むなんてそれこそ血反吐はかないと無理!
だから、まずは私たちができるようになるべきなのはギフトが展開した魔法陣を正しく使えるようになるってことよ!」
「もちろん、自分の魔法も練習するぞ!
ギフトの父上がいる日は魔法を絡めた体術も教えてくれるし、カノンさんは魔力が足りなくなったときでも使える護身術を教えてくれるんだ」
サフィルたちの瞳はもはや弾け飛びそうなほど開かれ、キラキラと輝いている。
「実はさっき3人に渡した石の魔法陣は、ちゃんと使えれば3mくらいまでクリスタルが生えてくるはずなの
でもさすがオストン=エイマクラスね!
ちゃんとクリスタルになるだけでもすごいことなんだよ!」
「そうそう、俺とルルーは入学したての最初頃にこれをやったときはトランプにクリスタルがこびりついてるような残念な感じになったもんな」
ホンロンとルルーディアは「そんなこともあったね〜」と感慨深げに笑っている。
その様子を眺めながらサフィルは真剣な顔で頷き、顔を紅潮させ、ワクワクする気持ちを抑えられないのか鼻息がふんふんいっている。
「ホンロンたちはこんなに楽しいことをしていたんだな…
すごい、すごすぎるよ
堅苦しい家庭教師のつまらない説明がなんの役にも立たないってことがよくわかった」
「しかもギフトちゃんがリリーベル家のお嬢様で本当に良かったわ
他の貴族ではこんな楽しいお茶会への参加、許可してもらえないですもの!」
「ふふ、ふふふ、ぼくは、ああ、兄と、リリーベル、せ、先生が、同僚で、よ、良かった」
ホンロンはずっとオドオドしているトニタルアが不思議だった。
地味だし、短髪とはいえクルクルしている髪のせいで目元はあんまり見えないが、身長は今いる男子の中じゃ一番高いし、おそらく足も長い。
なぜわざわざ猫背にして身長を低く見せているのか。
「トニーはさぁ、かっこいいんだからもっと堂々とすればいいのに
お前本当は美少年だろ」
「えっ、えっ、えっ」
「ほら、真っ直ぐ立って!」
「で、でも、お、お父さんに、お、お前は、男らしく、な、無いって…」
「え?うちのママは男らしさなんて気にせず楽しく生きてるけど?」
「確かに」
「え〜…」
「ああ、多分トニーがオドオドしてるのは王位継承権が高かったせいだと思うよ」
「そうなの?」
トニタルアは5人の顔色を伺いながら深呼吸をするとスッと身体から力を抜き、先ほどまでとは全く違う雰囲気に変化した。
「そうだよ〜、サフィルの言うと〜り
オドオドして無能の振りをするか、サフィルのように地位に合った傲慢な振る舞いをするか悩んだ結果、オドオドする方を選んだっていうわけ〜
ぼくさぁ、興味ないんだよね〜
王族だの貴族だの…、毎日ご飯食べて屋根のある場所で清潔な服を着て寝られれば良くない?」
ギフト、ホンロン、ルルーディア、パルトの4人はトニタルアのあまりの態度の変化に絶句した。
気怠げな目、髪をもさもさする手、クッションを抱きしめながら床に胡座をかき、ふ〜ッと吐き出す色気のある唇。
「…誰?」
「やだな〜ギフトちゃん、トニタルアで〜す」
「おい、この感じって…」
「似てる、そして将来の想像図が身近な人物にいる」
「ヒィイ!」
ギフトはトニタルアの挑戦的な切れ長の艶のある眼とニィっと笑ったおよそ子供とは思えないほどにセクシーな口元に恐怖を覚えた。
「うぐぐぐぐ、る、ルークさんにそっくり!」
「良い人だけどギフトの天敵…」
「良い人だけど女子に対しては変態王…」
「え、ギフトちゃん知り合いに変態がいるの?」
「変態ってなぁに?」
子供達はそれぞれ混乱した。
しかし、トニタルアはその様子を見てクスクス喜んでいる。
ますますルークに似ている。
ギフトは無意識に防御壁を張っていた。
「え〜?そんなに嫌〜?
大丈夫だよ〜
ぼくはまだ男女間のいざこざには興味ないからね〜
でもギフトちゃんがそんなに可愛く逃げるなら…、興味湧いちゃうかもね?
「ヒィィィイイイイイイイイイイイ!」
ギフトは自分が出せる中でも最高硬度の防御壁を出した。
「あははははははは!
冗談だよ〜
今一番興味あるのは〜、父親を殺して〜家を簒奪することだけ〜」
ギフトはビクつきながらもとりあえず安堵して防御壁は外したものの、トニタルアが言ったことを頭の中で反芻して驚いた。
「父親を、殺す…?
物騒!物騒だな!」
トニタルアは純粋なギフトの驚いた顔に苦笑しつつ、床を見つめながら話し出した。
「ぼくはほとんどと言っていいほど兄さん、つまりはイーゴス先生に育ててもらったんだ
兄さんは本妻の子供だけど、ぼくは違う
妾でもなんでもなかったメイドの子供なんだぁ
父親がメイドを無理矢理手篭めにしたその時の子供ってことね
当然、誰からも歓迎されなかったよ〜
生みの母親はぼくという王子を生んだってことで家の中で地位を得たけど、兄の母である本妻にめちゃくちゃいじめられて自殺した
そしてぼくも本妻派の使用人たちによって何度も殺されそうになった
それを兄さんだけがずっと守ってくれていたんだ
兄さんが魔法医になったのはぼくのためなんだよ
あんなに優しくてかっこいい人、ぼくは他に知らない
兄さんは生まれつき身体が弱いんだ
だからこそ、兄さんに辛く当たる父親が許せない
父親がブルークラスになったのは、兄さんが自分よりも高い地位につく可能性を断つため
だからサフィルの家からブルークラスへの打診があったときに飛びついたんだ
父親は怪物だよ
絶対に許さないって決めてるんだ
ぼくがオドオドするのを選んだ理由、わかってくれた〜?」
「そりゃそうなるわな
親父さんを倒しに行くときは俺も一緒に行くよ」
「私も!」
「もしトニーがそれで家を失うことがあったら、わたしのお家にイーゴス先生と一緒に住むとよろしくてよ」
「だから僕はずっとトニーをトニタルア様って呼んでいたんだ
王族の苦しみも知らずに王族を毛嫌いしてくる人たちが許せなかった
今はだいぶ改心してるよ
憎むべきは団体ではなく、個なんだ、ってね」
ギフトは混乱して居た。
とんでもなく重い話を聞いたはずなのに、自分以外の子供達はさもそれが良くある話のように対応している。
自分の甘さに腹が立った。
王族の子供が強い言葉や態度で接してくるのは、そうしないと自分が保てないからなのか。
そうして心を武装するしか王族のプレッシャーから身を守ることは出来ないのかもしれない。
地位や権力で差別して居たのは自分の方だった、と、ギフトはショックを受けた。
「みんな…、ご、ごめん…」
「おっと、謝らないで」
サフィルがギフトの謝罪を素早く遮ると、困ったように笑いながらギフトの両手を優しく握った。
「転移者で、突然大貴族に引き取られ、今まで周りになかったもので溢れた世界に放り込まれた君には僕たちのような態度の奴らを差別する権利があると思う
でも君は陰口や意地悪な態度で僕たちを避けるのではなく、真っ向から挑んできた
そして、全力で叩きのめしてくれた
僕はそれがとてもありがたかったんだよ
『王族という狭いコミュニティを破壊してくれる子が現れた』って思ったんだ
父親が持つ権力、母親が持つ傲慢、兄弟たちさえ信用ができなくなるほどの内部闘争…
君は、ギフトは、僕たちが壊したくてたまらなかったこの世界に現れた強烈な光なんだよ
そしてホンロン、お前もな
お前たち一族はずっとまともっだった
そしてルルーディア、君の家は気づくのが早かった
異端なのは君達じゃない
馬鹿な慣習に縛られ、それを誇りだと思っている僕たちの家の方なんだ
…わああっ」
ギフトは思わずサフィルを抱きしめていた。
こんなに幼い子供に、こんなことを考えさせてしまう大人たちが許せなかった。
なんて華奢な身体なんだろう。
なんて小さいのだろう。
なんて重いものを背負っているのだろう。
「あ、あの、ぎ、ギフト?」
「キャァァアアアアアアアアアア!
私の、私のギフトがぁああああああ!」
「お〜、ギフトちゃん大胆〜」
「おい、サフィル、お前覚えてろよ」
「まあ!まだわたしたちには早いですわよ!」
ギフトはまたもや驚いた。
そうか、この子たちは子供だった、と。
自分の実年齢のせいで忘れていたが、女の子が男の子に抱きつくなんてそりゃ大ごとだ、と。
その証拠に、サフィルは首まで真っ赤になっている。
「ご、ごめん!
つい、ついね?あの〜、ママが!
そう!ママがね、悲しそうな顔をしてる子は抱きしめて安心させてあげるのが一番良いって!
ママが!ママに教わったの!ママに!」
「じゃ、じゃぁ、私今から泣くから抱きしめて!」
「ちょ、ルルー!それは違うだろ!」
「ホンロンも悔しかったら泣けば?」
「おい!」
トントン
その時、まるで救いの女神のような美しく抜群のスタイルと桃色の薔薇のような微笑みをたたえたカノンが入ってきた。
「ギフト様、護身術の準備が整いました
みなさま運動の時間ですよ〜!」
「わぁぁぁあああい!」
「あ、ああ!」
ギフトは近くにいたサフィルの手をとると一目散にカノンの元へと駆け出した。
「ちょっと!ギフト!逃げないで!」
「ルルー落ち着け!そして俺も落ち着け!」
「まったく、ルルーディアは本当にあわてんぼうさんですわね」
「ギフトちゃんぼくの手も握って〜」
☆★☆★☆
夕食後のリビングに突如として響き渡る笑い声。
「あはははははは!
あははははは!
あはは、あはは、あは、はぁ〜
ちょっと、息できなくなるじゃない」
「ママ、笑い事ではない」
「でもそんな面白いことが起きるなら力づくでもあの空間にいればよかったわ〜」
「絶対だめ!」
ギフトは今日起こった勉強会での出来事をファージとキールに話していた。
ファージは爆笑して楽しんでいるが、キールは切ない目をしている。
「うう、そうかぁ…
娘っていうのは成長が早いんだなぁ…
そうかぁ…、ハグしたのかぁ…」
「ちょっとパパ、そんなに深刻な顔しないでくださいよ」
「いいんだ…
いつかはこんな日が訪れるって…
うう…」
「え〜…」
「キール、大丈夫よ
子供の可愛い戯れじゃない
わたしとあなたみたいな熱い命の混ざり合いとは違うのよ?」
「そ、そうかなぁ…」
「…思ったより重症ねぇ」
思っていたよりもダメージを受けているキールが心配になったファージがギフトに目配せをしてきた。
「(キールにハグしてあげて)」
「(わかった)」
ギフトはソファで頭を抱えるように座っているキールの足によじ登ると、その上にちょこんと横坐りし、ふわふわとした黒いニットに身を包んでいるキールの上半身を思いっきり腕を広げてぎゅーっと抱きしめた。
「パパよりも強くて魔法も上手くてかっこいい人が現れたらその人を彼氏にするから
まだまだずっと先の話ですよ」
キールは顔を上げてパアアっと笑顔になるとギフトごとファージを抱きしめた。
「そうだよな!そうそう!
パパを超えるような人じゃないとダメだよな!」
「うんうん」
「うふふ、キールったら可愛い!」
ギフトは頭の上でキスが始まる前にスルッと2人の間から抜け出し、紫色の毛糸で編まれた羽織を着込むとリビングの大きな扉をあけてバルコニーへ出た。
冬の風で大気が震え、星が瞬き輝く夜だった。
頬を撫でる空気が冷たい。
誰かを想い、心に明かりを灯すには良い日だ。
「来たっ」
バングルについている貴石の1つが柔らかく光っている。
その中からふわっと光る紙の様なものを取り出すと、それは目の前に開くようにして浮かび出した。
書いた人物が思い浮かぶような優しい水色の文字が輝く。
「ギフトちゃんへ
今日の勉強会はどうだった?
僕は父と魔法玩具の展示会に行って来たよ
父がいっぱい買い付けたから、今度見せてあげるね
メイルランスより」
「ふふふ、ふふふふふ」
自分でも驚いてしまうほど胸のあたりがくすぐったい。
1日の終わりにほぼ毎日送りあっているメイルランスとの手紙。
こんなにも可愛い恋は何年ぶりだろうか。
実年齢から考えたらメイルランスはかなり年下だ。
でも、なぜかメイルランスといる時や、メイルランスのことを想っている時だけは、初恋に浮かれる少女でいられるのだ。
誰に見られているわけでもないのに、ギフトは照れてつい口元を隠してしまう。
ニヤニヤするのが止まらない。
「返信どうしようかな
うふふふふ
あ!サフィルに抱きついちゃったんだよなぁ…、理由はどうであれあれはダメだよね…
でも隠すのはもっと悪い!
正直に言うべきだよね!
でも…、それで避けられちゃったらどうしよう…」
思春期の身体に引っ張られるようにギフトの心は確実に変化をしている。
リケルも魔力も魔法も全てが変化する時期。
ギフトはまだ気づいていない。
その変化が時に眩しく誰かを照らすように、その背後にある影を濃くすることに。
光に目が眩んだ人間は必ずその瞳を守ろうと目をつむり、光のない暗く穏やかな場所へと逃げ場所を求める。
もしその場所がただの木陰ではなく、深く深く広がる闇だったら?
その中でなら自分のわずかな光でも認識できるとその人が気づいてしまったら?
疲れ、膝をつき、明日がくることさえも怖いと感じるようになった人が、自分の未来を投げ捨ててまで手っ取り早く達成感を得るために何をすると思う?
達成感に一番必要なのは『終わる』と言うこと。
『終わらせる』と言うこと。
たとえそれが、誰かの大切なものであっても。
ファージはソファに座りながらバルコニーで嬉しそうに左右に揺れるギフトの後ろ姿を眺めていた。
キールはお風呂に入りに行ったため、この光景は見ていない。
ファージはまだキールには秘密にしておこうと思っている。
幼い恋心は簡単に環境によって壊されてしまう。
今はただ、娘に訪れた幸せを見守っていたい。
友情以上、恋未満。
甘い、甘い、砂糖菓子のような関係。
苦さを知るにはまだ早すぎる。
ファージは怖かった。
誰かの身勝手な行動にギフトが巻き込まれてしまうことが。
だから強くなるように育てているのだ。
最低な姉だったが、その姉が残した今となっては唯一血の繋がった家族であるギフト。
愛おしく、かけがえのない、大切な娘。
「ふふふ、もどかしい関係ね
好きならさっさと告白して押し倒しちゃえば良いのに
ふふふ、可愛いわ
ホンロンとルルーディア、サフィルは前途多難だわね」
ファージは自分の娘がモテているのも嬉しかったが、何より、あの素直で無害で恋愛とは無縁だったメイルランスが他の子供達にとって恋の障害となっていることがとても面白かった。
しかも、手強い。
「楽しみだわ〜!」
☆★☆★☆
「楽しみだなぁ…」
書生姿の少年は縫い物をしていた。
「ああ、血で針がぬるぬるしちゃうなぁ」
薄暗く、痛いほど冷たい室内。
「わぁ、指に刺さっちゃった…
でも、どっちの血かわかんないねぇ」
今までとは違う、長い作業台。
横たわる人形…、いや、息をしている。
「これはまだ兄さんに合う身体じゃないんだ…
でも、とっても近いんだよ
とりあえずテストはしておかないとね」
作業台の近くにはキャスターのついた小さめの台があり、その上には銀色のトレーに入った肝臓がおかれている。
バチン
バチン
「ふぅ、これでよし…
臓器の入れ替えって手が汚れるからあんまり好きじゃないんだよね
でも兄さんのためだからさ
僕はなんだってするよ…」
少年は「兄さん」の頭蓋骨から魔法陣を取り出すと、完成したモノにその魔法陣を展開し、装填していく。
ソレは数回苦しそうに呻くと、動かなくなり、再び静かに呼吸をしながら眠りについた。
「お、やっぱりね
あの人じゃないけど、適合はすると思ってたんだ」
少年はソレに水をかけ、溢れた血で汚れた身体を綺麗に洗い、魔法で乾かすと、綺麗な服を着せた。
自分とお揃いの書生服だ。
「うんうん、飴色の髪に良く似合ってる
目覚めるのが楽しみだなぁ」
少年はクスクスと静かに笑う。
血まみれの手を自分の頬に添え、本当に欲しい身体を思い浮かべながら。