第弐拾話 殺すためのシンボル マンホールほどの大きさの水晶鏡の表面を杖で軽くノックするとジュワァっと映像が広がっていく。
スピーカーなどは無く、水晶鏡が細かく振動することで音が伝わる仕組みとなっている。
「本日早朝、パーチェム教の寺院裏手にあるアビーラ・ガラジ記念公園に20代後半〜30代前半だと思われる女性の遺体が発見されました
見つかった遺体には故意に破損させられた痕跡があり、切り離された胴体のうち、下半身はベンチに腰掛け、上半身は公園内の噴水の中に沈められていたとのことです
王立軍警察の発表によると遺体には性的暴行の痕はないが服は脱がされており、上半身は…」
アナウンサーの女性の声が一瞬止まる。
次々と加わる原稿と現場写真の内容に、隣で控えている新人のアナウンサーの男性は吐き気を催し、退場してしまった。
清潔感のある白い背景が、薄紅色のワンピースを着たアナウンサーを飲み込んでしまいそうだ。
彼女の顔はどんどんと青白くなっていく。
「し、失礼いたしました
続報です
遺体の上半身はすべての臓器と血液を取り出された後、綺麗に縫合されていたとのことです
臓器は上半身とともに噴水に沈められていたため、犯人につながる証拠はほとんど洗い流されてしまっており、使われた薬品などの特定は困難だとみられています
今回の犯行では魔法は一切使われた形跡がないことから死体遺棄に使われた輸送手段も合わせて調査中であり、視聴者の皆様からの積極的な目撃証言のご連絡をお待ちしております」
真っ青な顔をしたアナウンサーを一瞥し、水晶鏡をノックして映像を消す。
カチャリ
後ろの扉が開く。
「パパおはよう
あさごはんつくるのおてつだいしたい」
「ありがとう、ニクス
でも火を使ったりするから今日は本を読みながら待っててくれるかな?」
「わかったぁ」
ノチェリはニクスの頭を優しく撫でると背をそっと押してリビングへと向かわせた。
息子の背中を見てノチェリはその成長の早さと小さくて儚い子供という存在に少しだけ切なくなった。
「ははは…、本当にあの人によく似ている…」
☆★☆★☆
あああ、どうしようどうしよう。
今日から暦の上では春。
外はまだ寒いし梅の花は散ったばかり。
桜の花は蕾すら膨らんでない。
しかし、春。
わたしは今日からめでたく『複合魔法』、『第一選択錬金術:医療』、『第二選択錬金術:建築』、『魔法薬学』、『魔法病理学』、『呪術学:非闇属性』、『魔法生物学』、『魔法地質学』、『上級詠唱術』、『上級魔法陣工学』、『魔術学:非光属性』などを6年生と一緒に授業を受ける。
1年生のままなのは『国史』、『世界史』、『公民』、『国文学』、『宗教学』、『地理』など。
おっかしーなぁ、わたし前の世界では文系だったのに、この世界の歴史が複雑すぎて全然成績が上がらない…。
そもそも【世界種】ってなんなんだろう。
前の世界で言ったら宗教学とかじゃないんだろうか。
崇め奉られてるわけじゃないからちょっと違うのかなぁ…。
錬金術の選択、料理にすればよかったかなぁ…。
なんかもう、いろいろ悩んじゃうよ。
いや、でも建築は築城とか本陣を作るのに必要だし…。
あぁ、いつの間にか学ぶ理由が【戦闘】に傾いているのはどうすればいいのかな。
「ギフトさま〜、ギフトさま〜」
「はっ!ここにいまーす!
図書室でーす!」
ギフトの愛しの女神、カノンが優しくギフトを呼ぶ声がした。
ギフトは寝転んでいたソファから転げ落ちるように起き、急いでブランケットを畳むとソファにちゃんと座り直した。
「(まずい、怒られる!図書室で徹夜しちゃった!!!)」
ガチャ
扉が開く音がする。
ふわっとしたバーガンディのパフスリーブの長袖メイド服に黒いフリフリのエプロンが腰の細さと無駄な部分がない身体のラインを強調していて、露出がないのになんとも色気がある。
しかし、彼女の目は笑っていない。
机に山のように散乱している本、ノート、乾燥させた薬草、赤と青のインク瓶、ファージがコレクションしている高価なガラスペン、研究用に提供された合法的に手に入れた様々な宗教の巫女の血、様々な宗教の聖地の湧き水、プーラからもらった銃弾、氷と紅茶が入ったクリスタルのデキャンタとそれとセットのコップ。
ギフトが一睡もしていないことが伺える。
「ギフトさま、昨日おっしゃってましたよね?
あと一冊読んだら寝るって、言いましたよね?
そこに積み上がっている本は何冊あるんですか?
どうして冷たい飲み物ばかり飲んでいるんですか?
また風邪をひきたいんですか?
百味箪笥の中を空にしたいんですか?」
「お、おお、ごおお、ごめんなさい…
あの、その、わぁ…、カノンさんの
角、久しぶりに見たなぁ…
あは、あはは、あの、きょ、今日から高学年の授業だから…」
「はい?」
「ううううう、もうしませんもうしませんもうしません」
あわあわしながら謝るギフトの姿に小さくため息をつきながらカノンはソファの傍に跪いて目線を合わせるようにギフトに語りかけた。
「…はぁ、もう4度目ですよギフトさま
わたしや他の使用人達が徹夜しているのはそれが可能な種族だからです
むしろ定期的に体力を使わなければ寝付くのが難しかったり、仕事の効率に関わるからです
でも、ギフトさまは魔女です
身体は丈夫な人間と変わりありません」
「ぬうう」
「今夜からこの先、もし奥様や旦那様の許可無く自室を抜け出して図書室で徹夜したら、ギフトさまには貴族としての生活をしていただきます
お風呂も使用人がつきっきりでお世話をし、お食事すら使用人無しでは勝手に食器に触れたりすることもできなくなります」
「ひえっ…、もうしません誓います絶対しません誓います本当ですだからそれだけはやめてくださいごめんなさい」
「その言葉、忘れませんからね!」
「ふぁぁい…(くっそう、ママとパパはカノンさんが怒る方がわたしに効果的だって知ってるからわざと送り込んできたんだな…。しかも貴族生活なんて絶対やだ!くうう、美人は強すぎる!)」
ギフトは大人しく自室へ戻り、シャワーを浴びてレモンの香油をつけ、身支度を整えるとリビングへと向かった。
今日の制服は真っ赤な小袖に黒に近い深緑の袴。
ポニーテールには黒い曼珠沙華の飾りがついており、ギフトが歩くたびにシャラシャラと揺れるのがとても美しい。
リビングの扉を開け、中に入ると朝食のいい香りとともにニヤニヤとする
夫夫の姿が目に飛び込んできた。
「ギフト、だぁい好きなカノンに怒られたでしょ〜
ふふふ!わたしの言うこと聞かないからよ〜?」
ファージは「名采配!」とでも言わんばかりにギフトにドヤとした得意顔を向けている。
キールは相変わらずの親バカぶりを発揮しながら今にも泣きそうな目でギフトを見つめている。
「ギフト、毎日ちゃんと寝てほしいんだ
特にまだ生理の周期も安定してないし、ホルモンバランスだって日々変わっている
ウィルスや細菌が無くたって体調を崩しやすい時期なんだぞ
お願いだからもっと自分の身体を大切にいたわっておくれ…
じゃないとパパ泣いちゃうぞ」
キールは最近不審な事件が多いことからその分業務が忙しくてあまりギフトと過ごす時間が無いことに責任を感じているのだ。
もし自分がもっとそばにいてあげることができたら徹夜なんてしなくても学びたいことをピンポイントで教えてあげられるのに、と。
「ママはなんか楽しんでるから許しがたいけど〜…、ママ、パパ、ごめんね
なんか焦ってるみたい、わたし
前の世界のことを知ってから、自分が誰なのかわからなくなっちゃって、積み上げてきてたと思ってたものが全部犯罪、しかも最悪な集団の隠れ蓑みたいになってて…
なんて言うか、しかも…、愛されてなかった
それどころか、疎まれてた
もう、どう頑張れば今の生活を維持できるのか自信がなくて…」
ファージは眉間にしわを寄せ、濃紺のシャツの胸元をギュッとつかんだ。
「ギフト…」
「あ、大丈夫
ママとパパがわたしのことを愛してくれているのはわかる
でも、理解できるって言うだけなの
なんて言うか、手放しで信じるにはまだ時間がかかりそう…
だから優秀でいたいの
必要だと思ってもらえる自分になりたいの
誰かを殺す技術が必要なら、それを手に入れることも
厭わないよ」
ファージとキールは絶句した。
「違う、そんな…」
「ええ、大丈夫
ママとパパがそんなこと望んで無いのはわかってる
わかってるよ、でも、前の家族に必要とされてなかった理由が今のわたしの枷になってるのは事実なの
彼らが病気だったのは知ってる
でも、わたしはまともに生まれてきた!
異常な集団の中にあってわたしだけまともって言うのは、それはもうその集団内ではわたしが異常ってことでしょ?
まともなことが疎まれる原因だったなんて、どう乗り越えればいいの?!
わたしはまともなまま、異常な手段も取れるようになることが前の家族に勝った事になると思ってる
だからお願い、ママ、パパ
わたしを…、わたしを…」
ファージとキールは堪えきれずに椅子から弾けるように立ち上がると、すぐに向かいに立っていたギフトを抱きしめた。
今の今までギフトが毎日を過不足なく生きていることは本当に奇跡なのだ。
家族が死に、全く別の世界へ連れれ来られ、その後に20年以上歩んできた人生がまやかしだったと知り、あまつさえ今の身体は無力な子供だ。
築き上げてきたと思っていたものが泡になって弾けてしまった。
ギフトは今、怒りの矛先を失い、無償の愛の中にいる。
文字通りの第二の人生を約束され、望むものはなんでも手に入る階級で、尚且つ有利な体質ときた。
今のギフトにとって、この環境はありがたくもあるが、何もかもが自分に同情的にも感じてしまう。
切り拓いて行くはずの未来が盤石なものだという確約、空っぽになった展望。
ギフトはいつか血まみれになり、この手で殺そうと思っていたのに、今はその相手に導かれるように豊かな日々を過ごしている。
ギフトの心の闇は消えないのに、それを切り裂くように光が差し込んでくる。
一体、どちらが本当の自分なのか。
一体、どちらが今の自分なのか。
闇か、光か。
それともどちらも欠落しているのだろうか。
だから『わたし』は【毒】なのか。
ファージはギフトを抱きしめる腕に力を込めた。
「ギフト、あなたは宝物よ
あの問題しか起こさなかった姉が唯一正しいことをした
それはあなたを産み、育てたこと
その理由はなんであれ、あなたを生かしておいてくれたことは、わたしにとって
僥倖以外の何物でも無いわ」
「ギフト、強くなりたいならそれでもいい
誰かを殺したいなら、それが合法的かつ大義名分も揃っている組織に就職してくれてもいい
ただ1つだけ覚えておいて欲しいのは、ギフトがどこで何をしても、それが違法で世間の理解を得難いものだったとしても、ママもパパも味方だよ
ギフトは意味のないことはしないって信じてるから
まともだとか異常だとかは関係ない
ただ、ギフトを信じてるよ」
ギフトの身体に流れる冷たい感情がビリビリとぶつかる。
あたたかく、甘い、チョコレートのような鎖が、その感情の流れを止めてくれる。
「ママ、パパ、ありがとう」
ギフトとファージを抱きしめながらキールはギフトの顔を覗き込むように遠慮がちに話しかけた。
「…今日学校休んでもいいんだよ?」
キールの「超心配」っていう顔が少しおかしくて、ギフトはつい吹き出してしまう。
「ぷふ、あはは、パパはわたしを甘やかしすぎだよ
学校は行く、行かなきゃ友達に会えないし、このままじゃ歴史の授業で落第しちゃう」
ギフトの笑顔を見てファージはホッとしたようにギフトの頭をゆっくり優しく撫でた。
「うふふ、そうね
ギフトは頭はいいのに興味のないことは右から左へ流れちゃうのよね〜」
「うう、特に王族の種類と階級が全く覚えられないっ…」
「あら、そんなのわたしだって覚えてないわよ
魔法使いなんだからうまくカンニングしなさい」
「…え?」
ギフトは教師であるはずの自分の母が言ったことにびっくりして口が半開きになった。
「教師を騙せるくらいにならなきゃ、王立軍の就職試験は難しいわよ〜」
「え〜…、別に軍に入りたいわけではないけど、それ本当なの?」
「あはは、残念ながら本当だよ
カンニングを推奨するわけではないけど、まぁ、諜報力はどの職業でも重要だな!」
善良の塊のようなキールさえもファージの意見に同意している。
「え、え〜…、ママはそういうのを試験中に見つけたらどうするの?」
「んふふ〜、ママは試験監督としての人気は最低なのよ
意味わかる?」
「うっわぁ…」
「そうねぇ、見つけたら即刻退場させるし、内申点は大幅に削るわ〜
でも、成功させたらわたしからもらえるものは内申点だけじゃないわよ
コネのある就職先に欲しいだけ推薦状を書いてあげるわ〜」
「え、それすごい!」
「今までカンニングでわたしから推薦状を勝ち取ったのはたった1人だけよ」
「そ、その人はどんな仕事に就いたの?」
「んふふ〜、祖国に帰って鞄職人になったわよ」
「…鞄職人?」
てっきり推薦状をもらった人はものすごい権力を持ったお偉いさんになったのかと思ったギフトは少し拍子抜けしてしまった。
「そう、正確には革鞄職人ね
取引先はこの国を含めた4つの国の軍隊と120を超える学校とか色々あるのよ
世界中に店舗を持ってて、毎月の売り上げの15%を戦争孤児の救済に充ててるの
もちろん、ギフトに買ってあげた鞄のほとんどは彼女が作った作品よ」
「ヒョエエ!
もしかして、まん丸のポシェットも、頑丈なリュックも、オレンジ色のショルダーも?!
まさか…、学校指定の小隊演習用の鞄も?」
「そう!ぜーんぶ彼女の作品よ!
今じゃ弟子もいっぱいいるし、新弟子になるためにはわたしからの推薦状が必要なのよ〜」
「はぁ…、ママって何者なの?」
「ただの大貴族で学校の先生よ
あ、それにキールの最愛の夫で可愛いギフトのママよ〜」
「あぁ、はいはい
じゃぁ、そろそろ朝ごはんお願いしまーす」
ギフトが素早く2人の腕の中から抜け出した後も2人は抱き合っていたから無視して朝食を取ることにした。
今日はファージが大好きな鶏がらスープのフォーだったため、ギフトは寸胴内のスープがなくなるまでお代わりを繰り返した。
麺類は飲み物だとでもいうようにギフトの胃にするすると消えて行く。
「あ、モグルさんとのお茶用に玉露と三色団子お願いしまーす!」
ギフトは支度を済ませるといつものように黒いブーツを履いて玄関を出てゲートへと向かった。
モグルに挨拶をするとゲート内に運び込んである応接セットの茶色いソファに腰掛け、カウンターから出てきてくれたモグルと楽しくお茶をした。
「どうですか?リリーベル先生とは話せました?」
「はい!ちゃんと自分の思ってることを言いました
そしたら信じてるって…、ママとパパはすごいです」
「そうですね、素晴らしいご両親だと思います
リリーベルさんが頑張っている理由が良くわかります」
「えへへ、ありがとうございます」
「ではそんな素晴らしい一日の始まりをしたリリーベルさんにはこの学院のある庭園の話をしましょう」
「待ってました!」
ギフトは始業の10分前にゲートを出るとラウンジで待っていたホンロンとルルーディアに駆け寄って行った。
「おはよー」
「おはようギフト
今日もモグルさんとお茶会?」
「ふふふ〜、そうだよ
いい話もらったんだ!空中庭園へのヒント!」
「おお!ついに空中庭園かぁ
ペガサスの
厩舎は難しかったよなぁ…
ヒントもらってから2週間もかかった」
「あれは本当は3年生が挑戦する隠し部屋らしいよ」
始業間近ということもあり、3人は教室に向かいながらおしゃべりを続けた。
「まぁ、俺たちは1年生だけど、ギフトは教科の半分以上を6年生と一緒に授業を受けることになったし、俺とルルー、サフィル、トニー、パルトも半分以上3年生と授業を受けることになったんだ
解けなきゃダメなんだよ、きっと」
「いやいや、今年はすごいってママが言ってたよ?
普通は学年に3人飛び級する生徒がいれば優秀な年だって言われるくらいなのに、今年は6人!
しかも中学年と高学年の授業だもん、わたしたち偉いよ」
「そう言われると確かに頑張ってるよなぁ…
自分の兄と姉がバケモノなせいで忘れてたけど、俺たち偉いよな」
「そうよね〜、エイマクラスってだけでも十分名誉なはずなんだけど、同級生のレベルが高すぎて麻痺しちゃいそうだわ」
ルルーディアはギフトを優しく見つめながら自身の腕をギフトの腕に絡めた。
ギフトはもう慣れてしまったようでそんなルルーディアを優しく見つめ返すと頭を撫でた。
しかし、ルルーディアは今日ヒールのある可愛いワンストラップシューズなのでギフトはうんと腕を伸ばさなければいけないのだが。
「ルルーは保健委員にスカウトされてるんでしょ?
医療関係の仕事に就きたい学生からしたら超エリートコースだね」
「うふふ、まぁね
でもどっちかというと魔法魔術呪術病理学者とか魔法魔術法医学者とか、外科医の免許を取って検死官になりたいわ
医者よりは研究者って感じかしらね」
「おお、なんで?」
ルルーディアの積極性から導かれた
結果を羨ましくチラチラ見ながらホンロンが尋ねた。
「う〜ん、なかなか会えないけど、母のことは尊敬してるし、就いてた仕事に興味があるからかな
王族で検死官なんてイカレてるってよく他の王族に言われたりもしたけど、母が検死した事件の検挙率は他の事件よりも高かったのよ」
「母と同じ職業、かぁ」
「ギフトは何になりたいの?
も、もしかして、私のお嫁さん?」
「んん?!え、あ〜、ちょっと、ちょっとだけ違うかなぁ?」
ギフトはルルーディアからの積極的な愛情表現に慣れてきたとはいえ、大事な友達と自分の絶え間なく変化する未来の可能性を狭めないように、というか、ルルーディアの恋心を傷つけないように曖昧に返事をした。
「ギフトは何にでもなれるよ
リリーベル家は継ぐの?」
「あ〜、うん、それは絶対そうしようと思ってるよ
婿を探さなきゃなぁ…」
チャンス、とばかりにホンロンは瞳を輝かせるとギフトをチラチラ見ながら教室のドアを開く前に勇気を出した。
「ゴホン、ゴホン、お、俺は次男だよ」
「…ん?知ってるよ?」
「ホンロン、お黙り」
ルルーディアの瞳がこれまでにないくらいホンロンを威嚇している。
「ルルーは俺に対する妨害が直球すぎない?!」
「普通よ」
ホンロンの勇気は空振りとなり、ルルーディアの鉄壁の防御の前に露と消えた。
午前中の授業をこなし、本日最後の授業である複合魔法の魔法実戦のために競技場へと飛んできたギフト。
今日はギフトが初めて上級生の攻撃的な魔法を見る日だった。
ミンシンの事件の時、戦っている上級生を見たが、あの時は観察どころではなかった。
ギフトが参加するのは対個人の魔法実戦だ。
小隊演習や競技場全体を使った広域実戦はまだチームに所属していないギフトは参加できないし、急遽加えてもらっても仲間となる6年生たちの得意な魔法すら把握していない状態では危険だからだ。
更に言うと、魔法実戦はオストン=エイマクラスも合同で行われる。
いくらギフトが優秀でも、6年生の闇魔法使いの呪術で集団から狙われたら流石にきつい。
高学年は魔法実戦の規模が大きいため、審判の他に副審が2名付くことになっている。
主審はもちろん高学年の複合魔法担当教員であるファージ=リリーベル。
副審の1人は
蒼蓮=ティエ。
大学部で取っている教員免許の授業の一環として魔法実戦の主審の資格を取るために今回は副審として参加する。
もう1人の副審は…、大学院生のインヴィディア=エリン。
美しい銀髪の毛先を青に染め、いつも高い位置でポニーテールをしている美青年だ。
灰色に近い水色の着物に焦げ茶色の羽織、先の尖った黒いブーツ、そして何より特徴的なのは常に左目に表示されている魔法陣。
表向きは「他人と会話したくないから魔法陣から空中に文字を表示させて意思表示している」ということになっているが、噂ではある組織に属しているだとか、契約していた幻獣を供物に新たな召喚獣と高度な隷属契約を結んだとか、色々言われているが本当のところは誰も知らない。
「リリーベル先生、いいんですか?」
ツァンリィェンが少し心配そうにファージに尋ねた。
ギフトが出る授業にインヴィディアを関わらせてもいいのか、と。
「ええ、もちろんよ
インヴィディアは今まで表立って問題を起こしたことはないわ
もし今日ギフトに何かしても、それは間違いだってすぐ気づくと思うの
だって彼は頭がいいからね」
「ほう」
ファージの意図を察したツァンリィェンは珍しくニコッと微笑んだ。
それを逃さず見ていた女学生たちからは悲鳴に近い黄色い声が発せられた。
「あらら、ツァンリィェンは本当に人気あるわね〜」
「そうですか?僕は先生に笑いかけたんですけどね」
「あらやだ、ほんと、天然って罪よ!
逮捕よ逮捕!乙女心略奪罪よ!」
「?」
ファージは成長途中で将来には素晴らしい展望しかないイケメンの笑顔に撃ち抜かれて相当幸せそうだった。
そんなキャイキャイしている白い開襟シャツに桜色の大きめV字ニット、テーパードの薄い灰色のスラックス、焦げ茶色のブーティーを履いたファージを見つめている女子学生が1人。
「(何やってるよママは…、こっちはこっちで助けて欲しいのに!)」
頬を赤らめて喜び震えている自身の母とそれを引き起こしている親友のかっこいい兄を見ながらギフトは困り果てていた。
先ほどからインヴィディアがずっとギフトを見ているのだ。
そしてつい5分ほど前から少しづつ近づいてきているようなのだ。
「(うわ、さっきまであの木のところにいたのに…、うわぁ、新手の
変態か?)」
上級生たちの小隊実戦を見ながらため息を一つつくと、ギフトは空を見上げた。
気持ちのいい風が通り抜ける。
「君、あの時病院で魔法陣張ってた子でしょ?」
「うわ!」
空を見上げていたのなんてほんの数秒だった。
しかし、いつの間にか目の前にはインヴィディアが立っており、瞳に映る魔法陣をカチカチと歯車のように回しながら話しかけてきたのだ。
指先が外気の煽りを受けるように冷えていく。
視界が青みががるような感覚、競技場の音が遠ざかる。
「ねぇ、魔法陣の子でしょ?」
「あ〜…(透明化させてたのに、見えてたの?)、そうですけど、何かご用ですか?」
「じゃぁ、もう僕のことは知ってるよね
どうも初めまして、エリン家三男のインヴィディアだよ
警戒しないで
僕は第三者にすぐバレるようなことはしない
するなら、君が実戦中にするよ」
ギフトの眉がピクリと動く。
「…それは予告か何かですか?
それとも警告?」
「君はまだまだ経験が浅いからきっとどんな事故が起こったって不思議ではないよね
だっていくら優秀だって言っても、6年生と1年生の君には決定的な経験値の差というものがある
緊張して魔法が暴発するかもしれないし、相手がたまたま調子の良い日かもしれない
君は今日、怪我をして当たり前なんだ」
空気が何かに吸われたように薄くなり、頬に当たる冷気がその場にあるものすべてを凍りつかせていくようだった。
「…要件は何?」
インヴィディアの切れ長の瞳が開き、魔法陣が黒く陰っていく。
先ほどまでとは違う。
低く甘めな声だったのが、冷徹な響きに変わっていく。
「他人の家のことに口を出すな関わるな首を突っ込むな大人しくしてろ
大貴族だからって王族に楯突いて平穏に生きていけると思うなよ
君は今リリーベル家という家名に守られているだけだ
エリン家が何を得意としているかは知っているよな
【毒】、【ウィルス】、【細菌】は音もなく君たちを殺すことができるんだ
発生源もわからずにね
忠告を聞かないと、今すぐにでも3年生の教室を汚染させることだってできるんだ…」
ヒュッ
インヴィディアの左脇腹に何かが触れた。
「話はそれだけですか?
あなたよりも階級の低いわたしに何かするのは勝手ですけど、もし、わたしの友人や家族に何かしたらその脇腹に控えているものが何倍もの数であなたの全身を切り裂くから覚悟してください
ご存知かもしれませんが、わたしには『毒属性』があります
改変ウィルスや細菌、毒だってわたしにも作れるんですよ
残念ながら、わたしは愛する人たちのために他人の命を奪うことに関して、戸惑うことはないですから
今、この場でもね」
ギフトの瞳が内側から光を増し、周りに控えていた妖精たちは武器を携えてその姿を表し出す。
「その言葉、そっくりそのまま返させてもらうよ
それに…、君が転移者という噂は本当なんだね
ということは、感情で魔力の暴走を引き起こすことはできないということだ
君は自分のリケルを操ることが出来ない子なんだねぇ?」
インヴィディアはそう言うとニコっと微笑みながらゆっくりと非武装を表す両手を上げる仕草をしながら下がって行き、そのままフィールドの向こうへと歩いて行った。
ギフトがインヴィディアに気づかれないように背中の魔法陣から出してインヴィディアの左脇腹に突きつけていた短剣は黒焦げになって地面に落ち、砂のように風にさらわれて行った。
「へぇ?硝子じゃなくてダイヤモンドの短剣だってよく気づいたなぁ、あの人
わたしの
戦い方を知ってるのかな
(それにしても、わたしがリケルを操れないってどう言うこと…?火力ならいくらでも作り出せるってところ、見せてあげなきゃね)」
ギフトは胸から展開した魔法陣から割れた硝子を取り出すと、親指に突き立て、プツっと血を数滴出した。
左手の甲からボウっと灰色の魔法陣を出し、そこへ血を垂らす。
キーーーン…
キーーーン…
キーーーン…
甲高い耳鳴りのような音がギフトの脳内に鳴り響く。
左手の甲からは黒い煙が立ち上り、それは次第に人の形へと姿を変え、ギフトの前に跪くようにして現れた。
「お呼びでしょうか、ギフト様」
低く、深い洞窟へと堕ちていくような声。
青白い首元には、灰がかった白の
旗袍の立ち襟でも隠せないほど痛々しい鎖の痕がグルっとついている。
長い睫毛が暗い影を落とす瞳孔の無い真っ白な瞳はどこを見ているのかわからない。
風に揺れるサラサラとした短髪は、火葬の後の骨に似ている。
「
奈落、手伝って」
奈落、と呼ばれた闇の上級妖精は、その新月の夜のような暗い口元をニィっと歪めると真っ白な瞳で頷いてみせた。
「仰せのままに」