第拾話 花魁のおしごと ネオンや色とりどりの提灯瞬く夜に咲く街。
現在15時のためどこの店も閉まっているが、開店準備をしにきた従業員や業者の出入りで割と活発な雰囲気だ。
そんな大人の街に不釣り合いなほど可愛らしい
旗袍を着た少女と長身で抜群のスタイルを持った黒い細身のスーツの男性が手を繋ぎながら歩いている。
「…やっぱりか!」
「何よ、やっぱりか!って〜」
「ママは説明が少なすぎるのかあえて
端折ってるのかなんなのか」
「え〜?素敵でしょ〜?
この原色溢れるギラギラした色味が好きなのよね〜」
ここは王国一の歓楽街【
花釣】。
街は高い煉瓦塀で囲われており、東西南北にはそれぞれ門が設置されている。
北門は従業員や業者専用になっており、王立軍の駐屯所が設けられている。
その他の門では専属の係員によってお客の身分証の確認が行われ、出入りの記録が細かくつけられている。
『医療記録(性病を含む感染症の有無)』、『滞在時間』、『年齢』、『行った店』、『受けたサービスのレベル』、『使用した薬物(花釣内の医療施設や性的興奮剤など)』など。
風営法によりこの町には限定的にいくつかの条例が特別に施行されている。
・花釣街の営業は夏期16時〜、その他の期間は特別なイベントを除き17時〜
・花釣内で働くことができる従業員は17歳半〜
・サービスにはレベル設定があり、受けられる年齢は18歳〜
『1級:店内での同席』、『2級:店内での軽度接触』、『3級:店内での軽度性的接触』、『4級:店内での性的接触』、『5級:店内での避妊具着用での性行為』
・登録しているレベル以上のサービスを届け出無しで行った場合、最大で一ヶ月間の業務停止
・登録している以上のサービスを強要した場合、経営者なら3年間〜の停職、最大で1年間の業務停止
客側は王立軍警察への引き渡し
・3級以上のサービスを提供している店舗は月に1度必ず全従業員の感染症チェックが義務
・全店舗専門機関による衛生状況のチェックを二ヶ月に一回提出
…など
なぜ性欲渦巻くこの街にギフトが連れてこられたのかというと、遡ること1時間前…。
昼もだいぶ過ぎた頃、ファージがギフトを教室まで迎えに行くと、そこには青白い顔をしてぐったりしているギフトと、それを心配そうに見ているホンロンとルルーディアの姿があった。
「あら、すっかり潰れちゃってるのね〜」
「あ!リリーベル先生!」
「ごきげんよう、リリーベル先生!
今日オリエンテーション前に一度保健室に行って薬をもらったのですが、限界がきてしまったようです」
「あらあら、早退させてあげるって言ったのに〜
2人ともありがとうね
ティエ家の子とザボド家の子よね?」
「はい!ティエ家次男の
赤龍=ティエと申します」
「私はザボド家の長女のルルーディア=ザボドと申します」
「ギフトったら早速できた友達が優秀な子達だなんて末恐ろしいわ〜
ホンロン、ルルーディア、ギフトを見ていてくれて助かったわ
2人とも迎えが来ているでしょう?
明日からもギフトをよろしくね」
「はい!」
「もちろんです!」
緊張している2人を玄関まで送ると、ファージはギフトをお姫様抱っこしたまま絨毯に乗せた。
「さぁ、わたしたちも行くわよ〜」
こうして訪れたのがこの歓楽街、花釣というわけだ。
なぜ来たかというと、今朝ファージが言っていた親友がこの街で
花魁をしているからだ。
「あんた絨毯に乗っててもいいのよ〜」
「いえ、初めて会う人にはちゃんと挨拶したいので」
「頑固ね〜」
従業員専用の北門から歩くこと15分、街のほぼ中心にそびえ立つ通称『
花釣宮』と呼ばれる最古の最高級娼館【
煌女恋男宮】。
地上6階、地下4階からなる花釣最大の建物であり、重要文化財としても指定されている。
1級〜5級までの全てのサービスを受けることができ、最上階には5年間君臨し続ける歴代最高の花魁、【
玖寓】が座している。
ちなみに煌女恋男宮の男娼の最高位『
花房』には2年連続で【
燦沙】が選ばれている。
「さぁ、ここよ
うふふ〜、
玖寓はわたしとキールを結婚にまで至らせた親友なのよ〜」
「なんて凄まじい…、いろんな意味で…」
1階は白い石垣にところどころに色とりどりの水晶がはめ込まれており、街の光を反射してキラキラと輝いている。
2階から上は焦げ茶色の木組みに白い漆喰のコーティング、朱色で漆塗りされた各階に取り付けられた屋根瓦には鮮やかな濃い桃色、赤、黄、橙などの暖色のガラス製のランタンがつけられている。
ランタン下部につけられた真鍮の星飾りは艶々に磨き上げられており白い漆喰の壁に雨のように光を反射している。
入り口では遊女見習いと
蔭間見習いの男女がせっせと清掃をしている。
「こんにちは
玖寓に会いに来たんだけど、もう入ってもいいかしら?」
「ああ!ファージさん!
こんにちは!」
「ファージさんだー!
この間は果物の差し入れありがとうございました
とっても美味しかったです!
玖寓様のお部屋まで案内しますね!」
「ありがとう
今日は後で焼き菓子が届くからみんなで食べてね」
「わーい!」
遊女見習いに案内され、手動の
昇降機で最上階へと向かう。
最上階は花魁と花房のために作られた特別な区域のため昇降機の扉に外側から施錠ができるようになっており、昇降機が最上階に着くと鐘が鳴り、確認が取れたら外側から侍女が扉を開け、それぞれの部屋へと案内する仕組みとなっている。
リンリン
鐘の音がしてすぐに扉が開かれた。
「やだー!ファージ早いー!」
「玖寓ー!あんた全然化粧してないじゃなーい!」
ギフトは目の前に現れた美女に顔が真っ赤になるほど驚いた。
前情報として見せてもらっていた花魁姿からは想像できないほど幼い顔立ちで、下手したら美少女、いや、天女?とにかくこの世界にきて見た女性の中でも別格に美しかったからだ。
頭の高い位置でお団子に結ばれた髪とすみれ色の柔らかな雰囲気の小袖に生成り色のレースの帯が余計に少女感を増している。
「あら、この子がギフトちゃん?
なんて可愛いの!なんて!可愛いのかしら!」
「ひえっ…」
目を
爛々と輝かせた玖寓が飛びつかんばかりの勢いでギフトの全身を凝視しながら近寄って来たため、ギフトは思いっきりファージの後ろへと飛びのいた。
「ちょっとあんた、わたしの娘を怖がらせるのやめてよね」
ファージが玖寓に文句を言いながら豪華な赤い絨毯が敷かれたいい香りのする廊下を進み、玖寓の部屋へと向かった。
大きな桜の木が描かれた焦げ茶色の引き戸を開けるとそこにはとても官能的な空間が広がっていた。
畳の井草の香りと
薫きしめられたお香から漂うイランイランの豊かな香り、大きく広げて飾られている色打掛にはロイヤルブルーに金の糸と銀の糸で羽ばたく鶴と散りゆく桜が細かく刺繍が施されている。
床の間には両手では抱えきれないくらいの季節の花々が薄桃色の花器に生けられており、黒い漆塗りの鏡台にかけられた水色の薄絹は女神の吐息のように儚く艶めいている。
どうやらこの部屋には他にも部屋が続いているらしい。
いくつか引き戸がある。
「だって可愛いのは事実なんだからいいじゃない
いいなぁ、うちの娘も早くお買い物いけるくらいの年齢になってほしい!
さぁ、好きなところに座ってね
座布団ならいっぱいあるのよ〜」
「あ、ありがとうございます
えっと、お子さんいらっしゃるんですか?」
「そうよ〜
あたしには娘と妻と義理の夫がいるの!」
「…」
「ちょっと、話を
端折りすぎよ
ギフトの顔見てみなさい、混乱ですっぱい顔してるわ」
「あら、それもそうね
うふふ、戸惑ってる顔は布団の中で見たいわ」
「娘に手を出したらこの部屋全部をねずみでいっぱいにしてやるからね」
「あーん、ごめんー
えっと、じゃぁギフトちゃんに説明するわね
あたしにはもともとアルルっていう女性の恋人がいて、アルルは実家の関係で幼馴染で許嫁のコイルと結婚することになっちゃったの
お別れするしかないと思ってたらコイルがあたしの見受けを申し出てくれてね、アルルと結婚させてくれたの!
コイルはアルルを心から愛しているのよ
だからあたしとコイルの間には法的な婚姻関係はないけど、大事な大事な親友ってわけ
娘はアルルとコイルの間に生まれた子よ
あたしは名付け親で後見人なの
まだ2歳なんだけど既に美人なのよ〜
ちょっと待ってて、写真があるの」
そう言うと玖寓は鏡台の引き出しをガサゴソし出した。
「素敵な関係なんですね…
わたしが生きていた世界とは全然違う…
あ、1つだけ質問してもいいですか?」
「いいわよ〜
あ、写真あった!
名前はエマ、美人でしょ〜」
「わあ!とっても可愛いですね!」
「ギフトちゃんみたいに健康で可愛いまま素敵な女の子に育ってくれるといいなぁ
ファージのドヤ顔がちょっと腹たつけど」
「何よ〜、自分の娘を自慢したいのはあんただけじゃないのよ
で、ギフトの質問てなぁに?」
「あ、ああ、あの、見受けされた後も花魁でい続けることって大変じゃないのかなぁと思って…
わたしが元いた世界では見受けされた後はこういった仕事を辞めるっていうのが通常だったので…」
「ああ!それね!
実はあたし、見受けされた後も花魁として働きたいって言ったのよ
でも業務は3級までしかしない契約よ
その代わりにもともと持ってた資格を活かすっていう条件でね
今日もそのために来たんでしょう?」
「そうよ〜」
「もともと持ってた資格…?」
「そう、あたしは医療錬金術師で専門は産婦人科と生殖科学よ
花釣宮ではもともと学費稼ぎのために働いてたんだけど、あたしバイだから女も男も色々関係なくお客さんとってたらあれよあれよといううちに昇進しちゃって、気付いたら5年も花魁やってるって感じかな?
花房の
燦沙もバイで魔法魔術薬剤師の資格を持ってるのよ
あたしがスカウトしたの!」
実は花釣宮は最上階を花釣街で働く人々や普通の病院には行きづらい人々のために王国から特別に認可を受けた医療施設としても使われているのだ。
「ギフトちゃんの年齢と顔色、触って感じた体温、爪の色からして生理の悩みよね?
それに…、初潮かな?あってる?お赤飯食べる?」
「お赤飯は後で家族で食べるのー
あんたはエマが成長するまで待ちなさいよ」
「いいじゃない、あたしとも食べましょうよ
う〜ん、ちょっと辛そうね?
ギフトちゃん仰向けに寝てくれるかな」
「ふぁい…、痛あああああああい!」
玖寓が仰向けになったギフトの身体のあらゆる場所を親指の腹で圧迫すると数カ所がヒットしたようでギフトは悲鳴をあげたり歯を食いしばったりと拷問を受けているかのような数分間を過ごした。
「あらまぁ、これって重症?」
「ん〜、ファージ、あたしに隠してること全部言いな」
「…あんたの腕は本当に恐ろしいわ」
「で?どうなの?」
「実は…」
ギフトの前の世界での年齢や月経困難症などの事実を伝えると玖寓は顔をしかめながら考え込み始めた。
「これ内緒よ?以前の年齢のことはキールにも言ってないんだから」
「はいよ、守秘義務はバッチリ守るわよ
多分、身体の記憶が初潮を迎えたことで以前の状態を思い出しちゃってるんだと思う」
「それは可哀想だわ…」
「わ…、わたしは…、どう…、なるん…、です…、か…?」
ぐったりしたギフトがか細い声で息も絶え絶えにファージと玖寓を見つめながら呟いた。
「そうねぇ、じゃぁ半年間生理が来るたびにうちに通ってちょうだい
体調とリケルのバランスを整えていきましょう
今日は燦沙が痛みを和らげ身体から余計な水をなくす薬を出してくれるからそれを3日間飲んでね
あと、常温以下に冷却されたものは飲んじゃダメよ
それに…、うーん、生理中は旗袍かデール系がいいかな〜
スカートとか下から冷気が入って来ちゃう袴は避けようね
下着の素材は綿一択よ!
それに…」
玖寓から出される条件を全てファージが自動筆記の魔法で書き取り、出してもらった
処方箋通りに燦沙から薬をもらい、花釣宮をあとにした。
「ギフト、体調はどう?」
「なんだかすっかり快調です
あんだけ痛かったツボ押しも今となってはいい思い出くらいの勢いです」
「さすがね〜
玖寓は女の身体の味方だわ〜」
行きはあんなにぐったりしていたギフトも、すっかり回復し、帰りはそれぞれ箒に乗って帰ることになった。
☆★☆★☆
ここは王立病院にある精神科の隔離病棟群。
退役軍人用保護施設も併設されているとても綺麗な建物だ。
その中にある最も重症な患者たちを収容する隔離病棟、【エクスピラビット】。
建物の外観も床や壁、天井に至るまで全て白で統一されている。
ここには反社会的な人格を持つ
サイコパスまたは
ソシオパスと診断された人々が収容されている。
ここには指よりも細いものは一切持ち込むことはできない。
例え家族であっても面会は監視員がいなければできないし、それも事前予約が必要だ。
特殊な事情を持った患者も多いため、手紙はもちろんのこと、書籍の差し入れも内容の確認が行われる。
軍の装備にも使われる強化防弾防魔術ガラスで作られた美しい面会者用のカフェテリアに真っ白なワンピースを着た少女と検査着姿のまだ幼さが残る青年が木のテーブルを挟むようにエメラルドグリーンのソファに座っていた。
「こんにちは
それに、初めまして、よね」
「…ああ」
青年はうつむきながら目だけで少女を追うように瞳を動かす。
「計画表の依頼、どうもありがとう
とても楽しい時間を過ごすことができたわ
誰かを殺すために一生懸命頭を使う作業って、まるで初恋の人にプレゼントを渡す感覚に似てると思わない?」
「…そう、だね」
少女の笑顔が射し込む光に霞む。
実在しているのか疑わしいほどに。
「緊張しているの?
話題を変えましょうか…
この髪飾りの紐はね、処女の腸を使って作ったのよ
上皮組織って頑丈なの
可愛いでしょ?」
「ああ…、とても…、可愛いね…
処女の上皮組織は良い
呪いになる…
しかし、違法だ…」
「あなたがちゃんとわたしの言う通りに復讐を果たしたら同じものを作ってあげるわ」
少女の瞳にはひとかけらの動揺も読み取ることはできなかった。
「あはは…、ありがとう…」
秋の穏やかな陽射しの中、ガラス越しの輝きは少女の灰色の髪を照らすが、そこに艶めきは見えない。
どんな光も吸収し、反射することのない白い肌は、見た者に死を身近に感じさせる。
血に染まる自らの両腕をただひたすら道具のように手入れをし、対象を切り裂く快感は血管がちぎれる音すらもその耳に届かせる。
烏の嘴は腐肉を突き、骨に残る傷跡はすべてがこの世界を呪う要素になるだろう。
許された量を超えた薬は、溢れ出す殺意に似ている。
誰にも止めることはできないし、誰にも救い出すことはできないのだから。
少女は計画表の最後のページを開き、青年にある一文を指し示す。
「あなたの復讐がうまくいったら、少しだけわたしを手伝って欲しいの」
「いいよ…、何をすればいい?」
「この子に教えてあげたいの」
そこに書かれているのはおそらく女の子だろうと思われる名前。
しかし、苗字には覚えがあった。
青年の母校の教師と同じ苗字だ。
「…何を?」
「お前は死ぬべきだ、って」
「なぜ?」
「それはね…」
少女は青年に語りかける。
まるで母親が息子に寝る前の物語を話すように。
少女は終始笑顔だった。
「…と言う感じよ
どう?殺さなきゃいけないでしょ?」
「…そうだね、殺さないとダメだね
やり方が分かっているなら、同じように殺さないといけないね…
…君は不思議な子だな
どうも外見の年齢と中身の年齢が同じには見えない…
それに、その対象の子を愛しているように思えるのだが?」
「ありがとう
そうよ、わたしはこの子を心から愛し、壊したいと願っているの
この手で、あの子を殺し、その最期の証人になりたい…
うふふ、あなたは本当に素晴らしい人ね
あなたの脳の損傷は新たな才能を手に入れるために必要なことだったのよ
素敵だわ」
「…ありがとう」
少女は青年の頬に軽く別れのキスをするとふわりとワンピースの裾を翻しながら帰っていった。
青年はキスをされた方の頬を手でなぞる。
「俺をこんな風にした奴らにやっと正義の裁きを下せる…
この手で、この手が失ったものすべてを取り返すんだ…
殺してやる…、身体に咲く赤い華を見せてやるんだ…」
青年は自分の右手につけられた識別番号をなぞる。
BLM-vt00887260
「さよなら、父さん…」
☆★☆★☆
入学式から2週間、4年生の男子学生が1人行方不明になった。
その3日後、5年生の女子学生、さらにその翌日、2年生の男子学生が行方不明になった。
全て下校中になんらかの事件に巻き込まれたものとみられ、全生徒貴族用ゲートの使用をするようにと役員会議で決まった。
いなくなった生徒は全てが王族の子供であり、王位継承権を保有している子供達だった。
そのため、学院では王族の生徒の自宅学習を提案したが、どの親も誰1人として首と縦にふるものはいなかった。
王族としての不必要なほどのプライドが、子供達の安全を邪魔したのだ。
王立軍警察は対応に追われた。
そればかりか、王族は貴族用ゲートの使用を拒否し、退役軍人を主に雇っている優秀な傭兵会社から雇ったボディーガードをつけると言い始めた。
王族の登校風景はその家の権力誇示にも必須なのだと言う。
そして3日後、6年生の男子学生が1人行方不明となり、最初の被害者だと思われる4年生の男子学生の遺体の一部が発見された。
遺体は左足と右腕、その両方の切断箇所に血液が流れた後があった。
つまり、生きたまま切断された、と言うことだ。
遺体には魔力の痕跡は一切残っていない。
犯人は魔法以外の方法で殺害したと言う証拠だった。
ギフトはいつものように朝の支度をしていた。
部屋をノックする音がする。
ギフトが「どうぞ〜」と声をかけると、いつもとは違う格好のカノンが入ってきた。
「今日はわたしもギフトさまとお揃いにしたんですよ」
「わあ!カノンさんは和装も似合うんですね」
ギフトの桜色の中振袖と
葡萄茶色の袴に合わせてカノンは深い紅の中振袖に黒い袴を履いていた。
本当ならばとても喜べる状況なのだが、そう言うわけにはいかなかった。
カノンの身体にはいくつもの暗器が仕込んであり、その瞳に宿る緊張感はあまりにも重すぎたからだ。
カノンは1週間ほど前からファージとキールから頼まれてギフトの登下校の護衛をしている。
もし頼まれなくても自ら護衛を申し出ようと思っていたカノンにはすでにその覚悟ができており、頼まれた翌日にはすでに全ての武器は揃っていた。
「わたしは王族じゃないんだけどなぁ…
ママもパパも心配性ですよね」
カノンは苦笑するギフトを見つめながらふと微笑みをこぼす。
「ギフトさまを愛していらっしゃるんですから当然ですよ
わたしが命に代えてもお守りいたします」
「カノンさんの身体にちょっとでも傷がついたらわたしはきっと我を失って相手を殺すかもしれません」
「では、ギフトさまを殺人犯にしないためにも気をつけますね」
「そうですよ〜
気をつけてくださいね!」
2人は穏やかな空気の中互いの笑顔を確認する。
カノンはその胸の内に恐れを隠しながら、ギフトの手を取り、一緒にリビングへと向かった。
この笑顔が目の前から消えないように、自分の中の暗殺者を呼び起こす。
「おはようギフト」
「あら、今日の制服も可愛いじゃない
もりもり食べなさいね」
「おはようございます、パパ、ママ」
「カノン、今日もよろしくお願いね
じゃぁ、かけましょう」
「はい」
ギフトはこの瞬間が苦痛だった。
ファージから闇属性のことを聞かされた時は別になんとも思わなかった。
しかし、実際に
呪いをかけている姿を見ると、本当に恐ろしいものだと感じる。
ファージは護衛が決まった日から毎朝カノンに【身代りの呪い】をかけている。
万が一、ギフトが攻撃された時、その時に負う全ての傷はカノンに刻まれると言う呪いだ。
もちろん、最初ギフトは拒否したが、カノンの瞳の強さと、ファージとキールの悲しい笑みからは逃げることができなかった。
愛情という呪いほどこの世で強いものは無い。
「よし、これで大丈夫ね
カノン、お願いだから立ち向かうことはしないでね
ギフトを連れて逃げてくれるだけでいいの
今回の犯人に関してはアレキサンドライトの中は安全とは言えないわ
お願い、わたしはあなたを失いたく無い」
「奥様、大丈夫です
わたしは20年近く暗殺者として生きてまいりました
実績は十分ご承知のはずです
お任せください」
「ええ、わかってるわ…
ありがとう
ギフトをお願いね」
「はい」
カノンに守られながらいつものゲートへ向かう。
モグルは今日も優しく微笑んでくれてはいるが、後ろにある機械は今日も【非常時】を表す赤いランプが煌々と輝いている。
護衛として登録しているカノンは学院から毎日指示される持ち場へと移動する。
カノンはティエ一族が抱えている隠密部隊と組むことが多いのだ。
ギフトはいつものように玄関へと通じる扉から学院内へと入る。
あらゆる場所にいかつい顔をした王立軍の兵士が立っており、最近では学生の笑い声はほとんど聞こえてこない。
いろんないかつい顔に見守られながら廊下を進み、教室へと向かう。
各教室の扉には2人の王立軍兵士が立っている。
彼らは他の兵士に比べたらいくらか柔軟に学生たちへと声かけをしてくれる。
「リリーベル様、おはようございます!
今日はいつもよりも可愛らしい格好をなさってるんですね」
「おはようございます!
そうなんです、ルルーから可愛い格好してるのが見たいって言われて仕方なく…」
「あはははは、仲良しですね」
「あはははは」
少しだけ緊張が解ける。
しかし、それも
一時のものだ。
教室では毎日のように王族の学生と貴族の学生が小競り合いをしている。
今日もまた、散々な言葉が聞こえてくる。
「おはようルルー、ホンロン」
「おはようギフト」
「おはよう
今日もあいつらは元気なんだか馬鹿なんだか…」
「また喧嘩してるんだね」
「王族の無駄なプライドが貴族までも危険に晒しているっていうアレね」
「ここで言い争ったってなんにもならないのに」
「本当それだよ」
「ねぇ、ルルーとホンロンは大丈夫なの?
2人も貴族ゲート使ってないでしょ?」
「ああ、大丈夫だよ
俺は
傀儡を常に出してるからね」
「ああ、ティエ家の人間だけが使える【
魂結び】だっけ?」
「そうそう
今は外廻廊の屋根に座ってるよ」
「いいなぁ、傀儡」
「ルルーは?」
「私はついに親の説得が成功して、今日から貴族ゲートで登下校することになったから大丈夫
モグルさんってとても綺麗な顔してるのね」
「おお!よかった〜
そうなのそうなの、モグルさんかっこいいよね」
「あら、そんなこと言われたら妬けちゃうわ」
「ルルーはギフト一筋だからな」
「こらこら」
ギフトが他愛のない話ができる心から大事な友人は2人とも王族だ。
「(犯人の狙いはまだわかってないけれど、どうかこの2人だけは狙わないで欲しい、他の誰が傷ついたとしても)」
そう思ってしまう自分が少し恐ろしいと感じるギフトの笑顔はここ最近どこか悲しげだった。
鐘がなる。
もうすぐホームルームが始まる合図だ。
全員自分の席に戻っていく。
足音が少しづつ膨らみ、まるで波のようにこだまする。
廊下を歩く先生たちからも笑い声は聞こえない。
「…あれ?ねぇねぇホンロン、馬鹿王子来てないの?」
「…!そう言えば見てない…」
動悸がする。
まさか、そんな。
ゴードンが入って来た。
顔は真っ青だった。
「おはよう、みんな…
落ち着いて聞いて欲しい
まだちゃんとしたことはわかってないんだが…
サフィル=カロイアレックスくんが家に帰ってこないという連絡があった
そして2番目に行方不明になった5年生の女学生が…
5年生の女学生の一部が発見された
王族の学生のみんな、どうにかして親を説得して欲しい
プライドよりも子供の命の方がどう考えても大事なはずなんだ
大事にされるべきなんだ
貴族ゲートの申請書を配るから絶対に親御さんに渡すんだよ
もう、こんなに悲しい事件はたくさんだよ…」
ゴードンの目は赤く腫れ、その頬は涙を擦った後で肌が荒れていた。
先ほどまで言い合いをしていた子たちの顔はどんどんと血の気が引いていく。
ついに出てしまったのだ。
1年生からの犠牲者が。
「どういう目的かは知らないが、犯人は異常者だ
きっとこの状況を楽しんでいるのではないか、というのが警察からの報告だ
だからこそ、だからこそ、僕たちは生活を乱されてはいけないと思う
安全を十分確保した上できちんと授業は行う
学院にいる間は安全だ
学びを止めずに乗り越えよう」
誰も何も言うことはできなかった。
ホームルームが終わり、ただただ重苦しい空気だけが胸にのしかかる。
今日の最初の授業は2コマ続けて属性魔法の授業だ。
ギフトは4年生と一緒に受けるため、ホンロンとルルーディアに「また後で」と伝えて実験室へと向かうため廊下に出るとメイルランスが待っていた。
「ギフトちゃん、迎えに来たよ」
「メイリーさん、いつもありがとうございます」
「いえいえ、この学院は広いし校舎も多いし、それに…
一緒に行った方が僕も安心だから」
「ふふふ、さすが4年生エイマクラスのベスト5は違いますね」
「うぅううえええ、た、たまたまだよ」
メイルランスは顔を真っ赤にしながら照れている。
ロイヤルブルーのデールに真っ黒のウムドゥがとてもかっこいいからこそ、照れて微笑むメイルランスの童顔はギフトには余計に可愛く思えた。
「さ、さぁ行こう?
いい席を取らなくちゃね」
「ふふふ、そうですね!」
この世界に来てからと言うもの、ギフトには守りたいものがあまりに多くできてしまった。
以前いた世界ではまだまだ守られる側だったから深く考えたことはなかったが、この世界は努力すればするほど大事な人を守る力を得ることが出来る。
全員に誰かを殺害する能力があるのだ。
そんな中で、もし、心から想う人が突然その命を奪われたら?
ギフトは自分が恐ろしかった。
きっと殺してしまうだろうと思っているからだ。
そう、今のギフトにはなんの感傷も湧いてこない、対象への殺意を実行することに対しての罪悪感も何もかも。
自分の心が身体の斜め後方にいるのを感じる。
間違ったことをしてしまう前に、自分自身を終わりにするために。