財ユウ 「会えない時間も会いたいの」
遠距離恋愛とは違うけど、わりとそれに近いと思う。中学生と高校生。通う学校はもちろん違うし、通学に使う電車も駅も違う。
『あした、何します?』
ベッドに寝転がり、ユウジ先輩にメッセージを送る。
部活がある日は基本的に会えない。練習で疲れるから、とかそんな理由ではない。終わる時間が読めないからだ。部長というのは想像以上に不自由なもので、帰宅時間も一人で決められない。コートに残ってボールを追いかける部員がいれば、「おつかれさーん」なんて放置して帰ることも出来ない。練習に付き合うこともあるし、黙って見守る(部室で部誌とか書いてるだけだけど)こともある。
となると、部活がある日はもうダメだ。一年前までは参加したりしなかったりだった火曜日と木曜日の部活も、今年は皆勤賞で参加している。元より練習のない月曜日は、ユウジ先輩が空いていない。大会を控えた今の時期、土日祝日は俺がダメ。
付き合い始めたばかりのカップルって、もっと、毎日イチャイチャするもんとちゃうの?
不貞腐れるように思ったところで、テニスも、部長になることも、俺が選んだことなのだから手は抜きたくない。ごく普通の付き合いたてのカップルがするようなアホみたいな茶番に興じてみたい気持ちをグッと飲み込み、コートを駆け回る日々。
だから、明日はただの木曜日だけど、俺とユウジ先輩にとっては特別な木曜日だ。大雨の天気予報に部活は中止。きっと、多分、いや絶対、神様が頑張る俺にくれたご褒美やって、そう思っている。
『兄貴にLP回すやつもろてん、探しに行きたい』
ぶる、と震える手の中の携帯に表示されたメッセージに、すぐに指を動かし返信を打つ。
『めっちゃええやん、どこ見に行きます?』
このご時世、音楽だって映画だって、なんでもボタン一つでダウンロード出来てしまうのだから便利なものだ。でも、好きなものほど苦労して聞きたいし、苦労して手に入れたいと思ってしまう。LPは、多分、そういうアイテムだ。
『ええやろええやろ、もっと羨ましがって!うーん、どこに店あるのかよう分からへんけど、ひとまず梅田とかにしとく?』
好きな人の心をくすぐる、みたいなやつ。
『そうっすね、店はこっちで調べときますわ』
ウキウキと送信ボタンを押すと、すぐにちっとも可愛くないキャラクターのスタンプが飛んできた。こんな不細工なものをよく見つけるなと思いながら、前にユウジ先輩に半ば無理やり買わされた、それと負けず劣らず可愛くないスタンプを返す。
それで、何度か、意味のないスタンプの応酬を繰り返し、『ほな、また明日』と送る。いつもだったら、これでおしまいだ。
だけど、今日は違くて、携帯がもう一度ぶるぶるって震えた。
『買ったらさ、』
そこで途切れた先輩からの返信に首を傾げる。
買ったら……。買ったら何や?
ごくんと唾を呑み込むと同時、振動する携帯。
『その後、うちで一緒に回してみいひん?』
すぐに表示されたメッセージに、一瞬なにが起きたのかも分からなくなる。
うちで、いっしょに、まわしてみいひん?
「……ほんまに?何言うとりますの?」
頭の中、先輩からのメッセージをもう一人の俺と輪唱して、その意味を咀嚼してから、ようやく携帯に向かって問いかける。返事なんてあるわけがない。
うちでって、ユウジ先輩の家ってことやろ。ヤバない?どういう目的で俺を家に誘っとるんやろうかって、LPで遊びたいだけやんな。はいはい、分かっとります。
ぐるぐると巡る会話じみた一人ごとに出口はない。
キスだって数えるほどしかしたことのない俺たちの関係が、明日変わるのかもしれない。
これは一大事や。
『うち遠いし、次の日きつそうやったら無理せんでええよ』
普段は数秒で返ってくる俺からの返信がないことを、「躊躇している」と捉えたのか、先輩が気遣うような言葉を送ってくる。
「いやいや、全然きつくないっすわ」
あまりのことに指ではなく口を動かしてしまう。
『それは大丈夫やけど、先輩の家は大丈夫なんすか?』
行きます、絶対に。
その気概は伏せて、先輩の家のことを気にしておく。
『うん、大丈夫やで。外で食べるか家で食べるかだけは早いうちに連絡しいやって言われとる』
『ほなら、お邪魔したいです。LPめっちゃ気になりますわ』
LPが気になるのは嘘じゃない。本気だ。でもそれ以上に気になることとか、したいことが、ある。言わないけど。でも、付き合っている人の家に行くことになって、そういう展開を予想しない方がおかしいと思う。男子として。いや、待て、男子として、アレとか持っていくべきなんやろうか。チラと、勉強机の一番上の引き出しを見遣る。鍵付きの引出しに押し込んだ、インターネットで買ったゴム製品。あれの出番なんやろうか。じっと引出を見つめていれば、新たなメッセージが届いた。
『せやろ!俺も、これで遊ぶなら最初は財前がええなって思うてたんや』
浮かれた頭で意味を正確に理解することは出来なかったけれども、何やら嬉しいことを言われたということだけは分かる。口元が緩むのを補正するよう、片方の手で唇の端っこをグイと押し下げたら、その拍子。
「イデ……」
携帯を、顔面に落っことした。これは、嬉しい痛みってやつだ。
暗転。
浮かれ気分のまま寝落ちた朝、事態は急展開を迎えていた。
昨日の放課後、遠山とOB数名(言うて、一つ年上の先輩らだ)が遭遇したらしく、そこで木曜日の部活が中止になったことにしょぼくれていた遠山を気遣って、優しい先輩方がツテを頼りに、屋内テニスコートを借りる算段をつけ、せっかくだから去年のレギュラーで打ち合おうと声をかけ合い、結果として、俺とユウジ先輩の予定は一部流れた。
『みんなで集まるっちゅー話でお前と俺だけいないのもおかしいし……。解散後にLPだけ行こか』
日付が変わる頃に先輩から届いていたメッセージには、『しゃーないっすわ』と返した。全然、しゃーないなんて割り切りていないけど、でも仕方がない。
恋とか愛のことを考えれば悲惨な展開だけど、テニス部のことを考えたら悪くない展開だ。
この天秤はなんだ?
そう思いながら、指定された屋内コートに遠山と二人で向かい、そこで一年前に戻ったかのような感覚でボールを追いかけた。ユウジ先輩は、これも一年前と同じように小春先輩とやって来て、仲良くペアを組んで肩を組んでイチャつき出す。
懐かしい苛立ちを噛み締めながら、でも小春先輩と楽しそうにテニスをするユウジ先輩の姿は嫌いじゃなくて、楽しそうでええなあなんて切ないような暖かいような気持ちで眺めていれば、二人に囲われ絡まれ、いじられる。一年前に戻ってしまったかのような、そんな感覚だった。
「久々やったけど、そんな感じ全然しなかったなあ」
コートの予約時間であった二時間はあっという間に過ぎた。着替えを終え、自動販売機で各々買った冷たい缶ジュースを手にコートの受付があるクラブハウスのフロントに集まったところで、謙也さんが言った。
受付で手続きをする白石さんと小石川さんを待ちながら、それぞれの近況を報告し合い、雑談に興じている。その中、壁にかかった古びた時計を見て、ユウジ先輩へと視線を移動させた。
「こ~は~るぅ~」
午後六時、の五分前。
甘えたような声で小春先輩を呼ぶユウジ先輩に、そっと溜息を吐く。もう一生離れたくないとばかり、小春先輩に引っ付くユウジ先輩は俺の方なんて見やしない。その証拠に、目も合わない。小春先輩に対して嫉妬をしたって仕方がないことは分かっているし、ユウジ先輩のそういう部分も含めて好きになったんだから、これに関しては諦めるしかない。
LP見に行くこととか、忘れとるんやろうな。
久しぶりの再会にべたべたイチャイチャを繰り返す二人を、他のメンバーが「相変わらずやな」と笑いながら眺める中、俺は「きもいっすわ」って、一年前を思い出しながら吐き捨てた。ちっちゃい声で。
「っちゅーか、この後どうする?駅んとこのファミレスで何か食べてく?」
手続きを終えて戻ってきた小石川さんが言うのに、「ええなあ、」とか「腹へったあ」とか、皆が続く。ユウジ先輩はどうやろ、って思うけど、小春先輩が「グッドアイディアやでぇ、副部長!」なんて言い出したから、あ、もうこれは、アレや、そういう展開やって、先輩を見ずとも先が読めてしまった。
「よっしゃ、おまたせ。いやあ、ほぼタダでええとこ貸してもらえてよかったなあ。みんな、家の人だいじょうぶやったら夕飯いこかって、どんな感じやろ?」
金ちゃんのお家には俺が電話しとくなって白石さんが遠山に言うのに、遠山が「やったあ、たこ焼き食べたい」と飛びつく。
「財前はどうする?」
小春先輩ばかりを見るユウジ先輩を視界に入れないよう、無意識に遠山と白石さんに視線を向けていたのか、白石さんが俺に聞いてきた。
「あ、俺は」
ユウジ先輩も、久しぶりに小春先輩と会ったわけやし、もっと一緒にいたいんやろうな。
理解している。そういうつもりだ。
「……今日は、やめときます。色々、やることあって」
ラケットを差し込んだリュックを背負い直しながら返せば、白石さんは「さよか、残念やな」って、本当に残念そうに笑うだけだった。
「ほな、お先に失礼します」
お疲れさんとか、またテニスしようなって、そういう声がいくつか聞こえてきて、それに適当に頭を下げつつ、がやがやと騒がしい面々を置いて、クラブハウスを後にした。
まあ、こんなもんっすわ。
速足で、駅へと向かう。
夏至を控えた初夏の空は六時を回ったところでまだ明るくて、見上げた先に星はない。小春先輩と楽しく食事をする先輩を特等席から眺めてもいいけど、そこにいてニコニコ出来るほどユウジ先輩のことを好きじゃないわけがない。一年前と同じように振る舞えるほど、恋をしていないわけでもない。
風呂でも入ったらスッキリするやろか。
そしたら、『今日は楽しかったですね』ってユウジ先輩にメールでも送ろう。そう思い、今がそのタイミングでもないのに、携帯を取り出そうとポケットに手を伸ばせば、その手を後ろから誰かに掴まれた。
「……っ」
驚きに、心臓が一瞬だけ止まった。
「なんっで、置いてくねん!」
振り向けば、小春先輩と久しぶりに会えてニコニコ笑顔のはずのユウジ先輩が、目を吊り上げ肩を怒らせ、走ってきたのか若干息を切らしながら立っていた。
「……え?」
「え?やなくて、約束してたやろ!LP見に行くって。それなのに、なんで何も言わずに先に行くん?」
歩道の真ん中、怒り顔のユウジ先輩の横を、自転車がチリンチリンとベルを鳴らしながら走り過ぎていく。
「疲れて面倒になったんやったら、ちゃんとそう言ったらええやろ!」
呑気な初夏の夕刻の風景に馴染まない様相の先輩を、ぼけっと眺めてしまう。
「……そんなんとちゃいますわ」
もう一度、自転車のベルが鳴るのにハッとして、先輩から目を逸らす。
「どうする?ってそっち見ても、ぜんっぜんこっち見いひんし、勝手に帰りますってスタコラ出てくし、なんで?」
それに少しカチンと来る。
「なんでって……、そっちも俺のことなんてお構いなしやったろ」
「お構いしとりましたわ、なんやねん、せっかく久しぶりに会えるて思っとったのに……」
膨れ顔のまま俯く先輩に、それやったら小春先輩にべたべたするのやめてもらえます?って、その言葉が舌先まで出てきた。でも、それを言うのは恰好悪い気がして、そのまま吐き出されることもなく溶けて舌先に苦味を残すだけだった。
「……もうええわ、俺も帰る!財前とは遊ばない!さいなら!」
黙り込む俺に焦れたかのよう先輩が大きな声でそう言って、歩き出す。
「は?」
ずかずかと進んでいく先輩の背中を、条件反射とばかり慌てて追いかけて、それで、先輩の腕を、今度は俺が捕まえた。
「ハア……、なんで帰んねん」
先輩が「なにが悪いの?」って、ムっとした顔を向けてくるのに、「LP、探しに行くんやろ」ってムってした顔で返す。
「……別に、疲れとるなら、ええよ」
ムってした顔の中に、俺の様子を窺うような、どこか心配そうな色が浮かんでいるのに気づく。それに、尖っていた気持ちが少しだけ丸くなった。
単純やな、俺。
「今日、会えるのめっちゃ楽しみにしとったのに」
先輩が歯切れ悪く続けるのに、「そんなん、俺やって」と同じくらい歯切れ悪く返す。
先輩の、何百倍も楽しみにしとったんやで。
心の中でそう言って、ぎゅって、その腕を掴む力を強くした。
「たっこやき!たっこやき!」
その瞬間、後ろから騒がしい声が聞こえてきて、二人して顔を見合せる。それから、その腕を掴んだまま逃げるよう走り出した。今は、今だけは二人きりが言い。だから、駅まで走って、夕暮れを走り抜ける電車に飛び乗って、二人で見つける最初の一曲を探しに行く。ロックかポップかしみったれたラブソングか。
どうせならコメディもロマンチックも全部が混じった、そんなナンバーを。