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    (二) 昨晩のことが、夢か、何かの間違いであってくれれば良かったのだが、朝になってみれば、テッドは自分の三百年の習慣も忘れて、毎夜寝る時必ずしていた覆いのない、裸の、生白い素肌の、自分の右手と出会った。それは、知らない誰かのようだった。手のひらのしわでさえ、見覚えがないのに、思うだけで指を曲げ伸ばしできることが不思議であった。手のひらを返すと、これはいっそう、感に堪えない。そこに何もない、ということを、なんと表現したものだろうか。じきに、だれかが化粧粉を塗って見えなくなっただけかもしれないように思えて、彼は起き出し、(一体誰がそんなことをするのか)と思いながら、布でこすり、よく洗ってみたが、やはり手の甲には何もない。ひたひたと冷たいしずくを指先から落とす手があるばかりだった。
     寝床に戻って、夜明けの薄明りの中に座る。テッドは、起きるのが早い。移動生活に体が適応しており、日光のあるうちは最大限行動するようになっている。テラは、テッドと比べるとはるかに遅起きだ。温かくならないと動けない。とかげのように。
     清々しい眠りと朝だった。こんな日が来ると、思っていなかった。太陽が背中を暖め始めている。自分の作る影の中に、まっさらな甲をさらした右手がある。
     親友が、そうしてくれたのだ。
     紋章をテッドから奪ったのがテラでなかったら、追いかけて殺してでも取り返している。紋章を取り戻すべきだ、と心の中で思う自分がいる。嫌われたって、返してもらうのが本当ではないのか。ソウルイーターの怖ろしい呪いを唯一無二の親友に背負わせて、なんで平気か。
     平気ではない。だが、どうしようもなく嬉しいのだ。この世に一人の人があり、紋章が欲しいわけでもなしに、ただテッドのためを思ってそうしてくれたことが、嬉しい。頰が勝手に笑うのを、両手で抑えなければならなかった。
     一つ、テッドは安堵している。少なくとも、これほど大切と思った相手を、自分が死に追いやることはないのだ。
     どれほど一緒にいても──。
     代わりに、テラは、身近な人を紋章に狙われる。家族と離れて、旅をするから、自然、ソウルイーターの標的はテッド一人に絞られるだろう。
     自分は構わない。もうじゅうぶん生きたと思っている。ただ、テッドが死んだ時……紋章の呪いで自分を死なせた時、テラがどれほど心を傷めるか。その後、無限に続く孤独の運命が、あの屈託のない、すなおな心をどれほど寂しがらせるか。それを思うと、テッドは自分の心のあるところも、棘のある縄で、締め上げられる思いがした。背中がうずくまる時、無意識に、右手を庇っていた。もう守るべき紋章のない、右手であった。
    「し、……。」
     幻の痛みに、息が細くなって、歯がカチカチと触れ合った。それは、恐怖だった。
    「死んで、たまるかっ……。」
     共に背負うのだ。運命が地面を地面でなくして、二人を溺れさせようとしてきても。
     その水の上を、歩いてゆくのだ。


     テッドにほとんど二時間遅れて、テラもゆっくり目を覚ました。右手には、手首を捻挫した時のように細布が巻かれている。こうして隠して、人の目に触れないようにしなければならない、と、寝る前にテッドがやってくれた。口ぶりはやり慣れていたが、人の手に巻くのはしたことがないのが手つきで分かったし、朝になってみれば巻きが崩れていて、空いて見える肌の上に、蠢く輝きを含んだ闇色の紋章がある。
     生と死を司る紋章。ソウルイーター。
    「おはよう。」
     なんとなく、言った。
     部屋の扉をノックする仕方に、グレミオが来たのを知る。
    「坊ちゃん、お目覚めですか?」
    「ああ。」
     なんだか声がかすれているような。テッドと二人で旅に出る、と父に許されてから、グレミオは荒れている。ずっと泣いているし、子供の寝る時間を過ぎてから、クレオやパーン、時にはテオまで付き合わせて、深酒をしているようだ。
     ふんわりとした体積を持つものを捧げもって部屋に入るその顔は、泣き跡と睡眠不足による目の隈で、もはや何色と言っていいかわからない痛ましさだった。
    「……うっ……。」
     テラと目があったために感情が堰を切って、膝が落ちてしまうグレミオだった。テラは早足に寄って、目の前に跪き、彼の肩に手を置いた。今は、彼の言葉を待つ時だった。
    「坊ちゃん……後生です、もう一度お考え直しくださいませんか……。」
     この一点張りの彼ではあるが。
    「せめて、グレミオにもお供させていただけませんか……私は……。」
     顔を伏してしまう。グレミオは両腕に運んできたものに涙がかからぬように、胸に抱きしめた。
    「あなたを……守ると……。」
    「こうした仕儀になって、お前にはすまない。」
     グレミオは嗚咽をこらえていた。
    「だが、連れてはいけない。……昨日テッドから、問題の紋章を受け継いだんだ。一緒にいたら、何があるか分からない。」
     本当の危難の冒険に、伴われないことが、不甲斐ない。グレミオの胸にある思いだった。
    「何も得られなくとも、五年で戻る。ここで待っていてくれ。」
     どうして、テッドは良くて自分はだめなのか、と、大人同士の席では口にできても、テラに質すことはできない。それは親が子に、自分と友達のどちらかが大切か、とせまるようなものだ。クレオにも嗜められたことだが、保護者は友達の代わりにはなれない。テオにも諭されたが、胸にくっつけるほど近く育てた子が、いつかは親を選ばなくなる。それは自然なことなのだ。
     グレミオは涙を飲んで、暖まるほどきつく抱いていた一揃えの衣巾いきんをテラに差し出した。
    「これをお召しになって行ってください。」
     上に重ねられてある、緑の被衣の色合いは、テラには見覚えがあった。もしやと思ってみれば、グレミオは今普段着であるが、出かけるときはいつも着ている緑色の長外套の緑の色が、グレミオの首をわずかに巻いていた。
    「裁ってしまったのか、自分のを。」
    「……私のお下がりでは坊ちゃんに相応しくないですから、刺繍をして、橙紅地で裏を打ちました。……衣だけとはいえ、お供させていただきます。」
    「この数日で……? すごいな。」
     グレミオは鼻をすすりながら、まんざらでもない様子であった。両手に持って広げると、然り、光を返すような上質な織布の柔らかな橙は、采色を朝日に溶かすよう。輝きは音にも聞こえたと思った──本当に音がしていた。結わえられて纏められた裾際に、大ぶりな鈴が二つ、つけられて、揺らすと賑々しく鳴る。楽しげな音に、テラは笑顔を誘われた。
    「ありがとう、グレミオ。」
    「うっ……。」
     そう、泣きの発作が再々入っては埒があかないので、着替えるから、と言って、テラはグレミオを部屋から追い出してしまった。グレミオは、とぼとぼと厨房へ向かいながら、小さなテラを屋敷中追いかけ回して、服を着替えさせていた昔日のことを、思い返していた。


     矢筒を皮帯に括り付けて、胸当ての上から袈裟懸けに負う。その上に長套をかぶって、右肩の布をしぼる。肩の動きに衣服が障らないか動いてみて、卒然、テッドは矢筒から矢を一本引き抜いた。動きよいし、衣擦れの音もさほどしない。まずまずだ。
     新しい弓に、かけてみる。動物の角と木でできた複合弓だ。引き味も伸びやかで、洗練されている。これまで百五十年もの長い間、ひとの遺物だった鉄の弓を、不便をおして意地で使い続けてきた。強さは、相当にある。だが、テッドの体には合っていなかったし、金属が疲労してしなやかさがなくなってきて、近頃は引くたびに、今しも折れるのではと思っていた。
     それは、置いていく。テオの部屋に、集めるでもなく飾られている、皇帝やら誰やらに贈られた武具類の一画に、場所をもらった。
     これで、マクドール邸は、テッドにとっても帰る場所だ。
     矢が、右手を離れた。紋章を隠す手袋が必要なくなったので、普通の弓懸ゆがけ(弓射につかう、親指から中指までを覆う手袋)を初めて使っている。矢は、藁を巻きつけた木人の胸に刺さった。
    「良い腕をしている。」
     邸の射場で、同じく早起きのテオに見られながら、新しい弓やら防具と馴染もうとしているのである。テラはまだ起きてこない。テッドは恐縮してから、テオと話す機を窺った。
    「テオ様、あの……。本当にすみません。」
    「なんだ、まだ謝りたりないのか。」
     テオは苦笑した。
    「テッドくん、君は悪くない。息子のしたこと──しようとしていることも含めて、向こう見ずではあるが、過ちとするには早すぎる。
     いま紋章は、テラが持っているんだな。」
     そのことを告げるつもりでいたテッドは、昨夜の今朝であるというのに、テオが知っていることに驚いた。テラが、いち早く伝えたのかもしれぬ。
    「──そうです……。恐ろしい、紋章なんです。持ち主の親しい人たちを狙って、順番に食っていく……そんなものを、おれは、あいつに。」
     テラが生きたまま紋章を返してもらうことができたら、寝ている間にお別れできるだろう。テッドが死ぬことになれば、家には帰らないように遺言しよう。こんな調子で、テッドの思い描ける道筋は、悲しい終わり方しかしない。テラは、別のことを感じ、考えているかもしれないが、それはテッドには想像もつかない。
     紋章のことを知ったなら、呪いが思うままに振る舞って、テッドの考えうる結末になる公算が大であることを、テオも分かっていると思う。テオは、子供のような夢は見ないはずだ、息子のことは、守りたいはずだ。
    「私も何度でも言おう。あの子のしたことだ。君が責任を感じる必要はない。」
    「……でも!」
     テッドは、いつの間にか地面を見ていた顔を上げて、テオの瞳を見返した。生きてきた年月の数倍違う瞳の中に、お互いに、別の深みを見出していた。テラがもう生きて帰らないかもしれない、そういう旅に送り出そうとしているのを、テオの目は承知していた。
    「未来とは、ままならないものだ。」
     馬の歩く音が、近づいてきた。はっとして見れば、パーンに轡を取らせて、二頭の馬が引かれてきた。
    「……縛り付けずにおくのが良い。
     テッドくん、私は君を責めない。君が私に済まなく思って自分を責めるなら、私は君を許す。……だが、頼むぞ。」
     テオの声の穏やかさが、不意に力強いものに変わって、テッドは右手を、テオの両手にぎゅっと包まれた。
    「息子を、頼みます。」
     そして、頭を垂れる、帝国の最も偉大な将軍にして、一人の父の姿があった。


     懇ろに別れを済ませて、城壁の外にとどまって見送るマクドール家の人たちを後ろにし、テッドとテラの二人だけの旅が始まった。城壁の見えるうちは、ゆっくり歩くことにして、馬を引きながら、街道を南へゆく。
     テッドが泣き止まない。
    「……っぐ、うぐっ。」
     お別れなんて慣れっこのはずのテッドだったが、今の別れは堪えていた。テラは、隣を歩きながら困っている。
    「テッド、大丈夫か? 木陰でも見つけて休んだほうが。」
    「平気だっ……!」
    「ならいいが。」
     テッドは、三百年、こうした別離を経験し続けたはずであるが、人の心は別れに慣れぬようにできているらしい、とテラは感得した。
    「お、お前はなんで平気なんだよ! あんな……! グレミオさんなんか、溶け出しそうなくらいべしゃべしゃに泣いてたのに!」
    「僕が泣いたら、そのグレミオが、体を半分にちぎって荷物の一部になってでも、ついてくるからだよ……。」
    「グレミオさんは妖怪かなんかかよ……。でも、ありえそうだなあ。」
     揃って、苦笑する。それに、とテラは付け足した。
    「これが最後のお別れだなんて、現実になるまでは誰も信じないのがふつうだ。」
    「えー。そうかあ?」
    「そうとも。だから人の訃報に接するとびっくりするんじゃないか。」
     近くで誰かが死んだと聞いた時、テッドは驚かない。足元が抜けるような、目の前が真っ暗になるような感覚と、〝自分のせいだ〟という声を聞く。それが、紋章に負わされる業だ。だが、テラは、まだそんなふうな絶望をしていない。まだ、だ。
    「テラ。」
     テッドは、急に歩くのをやめて、テラをぬいぐるみのように抱きしめた。テラは馬の手綱を放しそうになって、掴み直す。テッドはテラの肩に鼻先を押し付けて深呼吸した。
    「テッド、なんだ、いきなり。」
    「テラ。おれは、自分のために命は惜しまない。お前のためにも、惜しまない。でも──おれが死んだらお前が悲しむから、惜しくないけど、惜しむつもりだ。」
    「それは、ありがたい。」
    「でも──悪くしたら、死ぬかもしれない。そうなったら、〝お前のせいじゃない〟って、おれが今日言ったことを、思い出してくれ。」
    「……テッド。」
     テラは憤りの混じったような短いため息をついて、テッドの両肩を掴んで剥がしにかかった。テッドは、親友に抱きつくのが思いの外心地よかったので、抵抗している。
    「君はこの紋章とつきあいが長いから、先々のことが見通せるのかもしれない、が、そう何もかも先回りしてしまわなくて、いいんだ……っ、何故離れない。」
     テッドはテラを羽交い締めにしたまま、離そうとしなかった。
    「お前がおれの話を聞きたくなさそーにするからだ。ならいいよ、今の話してやる。」
     テッドは体幹に込めていた力を緩めて、涙の名残のある目元をテラの肩峰におしつけた。声を、少し抑えた。
    「あのな、おれはその紋章のせいで、誰かを大好きだとか大切だとか、心の底から思っちゃいけなかったんだ。
     今までずっと。
     だから……ちょっとじっとしててくれ。」
     お互いに、顔が見えない体勢ではあった。しかし、言葉が途切れると心音が、次に体の温かさが届きあい、それ以外のものも伝わってきた。
    「一生のお願いだよ。」
     ややあって、テッドの背中をテラの手がぽん、と叩いた。
     そうして思いの外、長い時間を過ごしてしまったので、気の済んだ二人は落日を追いかけるように馬に飛び乗り、急いで宿場町を目指した。
    goban_a Link Message Mute
    2020/12/13 21:12:06

    (二)

    IF:テ氏が紋章のことをぼさんにゲーム本編開始の数日前に話した
    二人は旅に出ます
    感想お待ちしてます→https://forms.gle/iesnjjEN6isGEB4o8

    このお話は:筆者が390さんがお描きの(https://twitter.com/390saku39/status/1330155449459544073)ぼテ別衣装にギャッとなって書いちゃっているものです。

    ぼ…テラ

    捏造…マクドール家邸宅には射場と厩とテオ様の部屋がある

    #二次創作 #幻想水滸伝

    more...
    テ氏が紋章のことを本編開始の何日か前にぼさんに打ち明けてたら、全然別の物語が始まっていたかもしれない
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