牽強付会
「お前がここに居るなんて珍しいな。」
家康が声を掛けると、ベンチに座っていた吉継は大袈裟にビクリと驚き、何かを後ろ手に隠した。挙動不審な吉継の態度に家康はううん?とその顔を覗き込む。
「な、何用よ徳川。われはぬしに用事など無いぞ。」
「ワシも特に無いぞ。でもまぁここで会ったのも何かの縁だ、少し話そうじゃないか。」
放課後の中庭。残っている大半の生徒は部活動に励み、残りは友人達と和気藹々と過ごしている。選挙活動の一環で校内を一周していた家康は、休憩も兼ねて吉継の隣に座った。
家康は常のように微笑んでいたが、吉継は常通りの皮肉そうな顰めっ面、では無かった。どちらかと言えば困っているような……?と家康が体ごと傾けて表情を観察していると、その視線に気付いた吉継は表情を繕ってから鼻を一つ鳴らす。
「われはぬしに話すことなど無い。」
「そうか? 色々あるんじゃないのか、選挙のこととか。」
「……最も無いわ。」
吉継の声のトーンが若干下がる。今年の春に旧生徒会で知り合った仲ではあるが、家康は吉継の感情表現がイマイチ掴みきれていない部分があった。これは不快だろうか落胆だろうかと考えながら、家康は会話を続けようと試みる。
「じゃあテストの話なんてどうだ? 困ってるなら手伝うぞ?」
「ぬしは1年であろ。」
「忠勝は3年生だからな!」
年が違う者とも手を取り合えば救いの手を差し伸べられる範囲も広がる、これが絆の素晴らしさだ! いつもの癖で家康が絆の効用について説くと、吉継は辟易とした顔を見せる。家康はそれを見て、ああと思い出したような声で続けた。
「そういえばお前は頭が良かったんだったな。その座布団、確かお前が開発したと聞いたぞ。」
「これか? あぁ、そういう話であったな。」
家康は視線で吉継の下にある空飛ぶ座布団を示す。何でも忠勝に負けないほどのテクノロジーが仕込まれているとか何とかという噂を家康は小耳に挟んでいた。しかしながら技術がもたらす効用には興味はあれど、仕組みにはあまり興味が湧かない家康は悪気無く吉継に迫る。
「お前のその頭脳はもっと多くの人に知られるべきだとワシは思うぞ! その技術だって―――」
「われはそれを求めぬ。これ以上宣うならわれは帰る。」
言葉の中途で遮られた家康は、む、と口を閉じて吉継を見た。家康から視線を反らして俯いている吉継は、指先で摘んだ何かをじっと見つめていた。
家康が吉継の指の何かを見ようとした瞬間、何かが目の前に急接近して思わず動作が止まる。パチクリと瞬きをした家康の目の前には、何かの小さい袋が差し出されていた。
「ぬしにはそれをやろ。早よ山に帰らねばカラスに丸呑みぞ。」
「グミ……。」
吉継が先程まで隠していたものは小さなグミの袋であった。どちらかと言えば茶や和菓子の印象が強い吉継が、スッキリとしたデザインながらも可愛らしい袋のグミを食べていることを家康は少し意外に思った。
「お前もグミなんて食べるんだな。」
「ぬしはわれを何と思うておるのか……所詮われに似合いは番茶と煎餅とでも思うておったのであろ。」
「よく分かったな?!」
「ぬしの思惑なんぞ針の穴を見るより容易いタヤスイ。」
では遠慮なくと家康はグミの袋を覗き込む。パッと見える辺りだとグミの色と味は3色で、形はハート型で統一されているようだった。家康は3色それぞれを1つずつ摘んで口の中に入れた。
「ふむふむ……赤がクランベリー、紫がブルーベリー、黄色がグレープフルーツか。」
「一緒に口に入れたら分からんであろ。」
「取り敢えず全部ちょっと酸っぱいのは分かるぞ!」
「分かってないではないか。」
吉継は呆れたように溜息を吐く。もぐもぐとグミを食べていた家康は口を閉じていて何も出来ないので、グミの袋に書かれている文章を読んでいた。と、その時、ある一文に目が止まった。
「『星型が入っているかも!』……?」
丁度口の中のものを飲み込んだので声を出して読むと、隣の家康の方が驚くぐらいに吉継が座布団ごと飛び上がる。その振動で思わず吉継の方を見てしまった家康はふと、あー!と何かに思い至ったような声を上げた。
「お前そういえば三成のこと好きだったな!」
「煩し大声よな……。」
今度は諦めたように息を吐く吉継に家康はニコニコと笑みを見せながら、ポンポンと肩を叩く。吉継は面倒な様を隠すこともなく、叩かれた場所を手で払った。
「分かるぞ、お前はワシにとっての忠勝のように三成に接したいと思っている。それもまた紛うこと無き絆だ!!」
「ぬしの言うそれは羽毛よりも軽きな。」
家康など視界に置いてないかのように吉継は指の中のそれに向かって呟く。ようやく家康にはそれが紫色の星型のグミであることが分かった。
家康は尚も笑みを絶やさないまま袋の口を開き、残ったグミを見る。星型のグミは確かに少ないらしく、家康の手の中には赤と紫と黄色のハート型しか無かった。家康はその中から黄色のグミを一つ取り出す。
「ではワシはこれだな! 黄色のハートだ!!」
親指と人差し指で挟んで太陽に掲げてみせると、吉継は横目だけを寄越して、はぁと中途半端な返答をした。家康は貰ったグミの袋の口をしっかり押さえて閉じ、制服ズボンの後ろポケットへ入れた。
そしてくるりと吉継の方を見る。じっと見つめながら徐々に近付いてくる家康に気付いた吉継は直ぐ様その場を離れようとするが、先んじて両肩を上から押さえつけられてしまった為、座布団が浮かせられない。いつものことながら家康の突拍子も無い行動に出くわした吉継は怪訝そうな顔で、出来る限り身を後ろへ仰け反らせる。
徳川、の3文字目を吉継が口にした所で顔の寸前にまで近寄って来た家康の動きが止まる。右手で摘んでいるブルーベリーグミが落ちないように気を払っていると、唐突に家康は吉継の面頬の下からガッと左手を差し込んだ。
!?と吉継が当惑していると、やがてじわじわと奥歯の噛み合わせ部分に圧が掛かり出す。それが家康の親指と人差し指であることを理解した吉継は上下の顎を強く噛み締める。包帯越しに歯を見せるように吉継は抵抗するが、家康は笑みを崩さないまま左手により一層の力を込めた。
しばらく攻防が続いたが、これ以上は歯が折れると察した吉継は諦めて家康の望むまま口を僅かに開ける。どうせ片手ではきっちりと巻いた包帯が邪魔だろうと判断したのもあったが、家康は見た目に反した器用さで右手の中指と小指だけで吉継の口元を必要な分だけ開けてみせた。そして僅かに歯の間に薬指を押し込んで幅を広げると、残りの指に挟んでいた黄色のグミを親指で押し入れる。それから空いた両手で吉継の顎を持ち上げると、露わになった瘡蓋だらけの唇に自分のそれを重ねる。家康がグミの袋を仕舞ってからここまでは、驚く暇も無い程の一瞬の出来事であった。
電光石火の家康の行動に吉継は数段遅れて驚く。その間にも家康は吉継の手を掴んで握り込み、組んでいる足首の上に膝を乗せてより密着する。捩じ込まれた舌先はグミをより口内の奥へ奥へと突き進めさせ、それが右奥歯の上にまで至った時になってようやく吉継は家康をベンチの上から投げ飛ばした。
いてててと家康は全く悪びれた様子を見せずに吉継を見る。そしていつの間にか奪っていた紫の星型のグミを手の平に載せて見せてから、口の中に入れた。吉継は相次ぐ衝撃に困惑したように目を見開いたまま、家康のその行動をただ見つめることしか出来なかった。
「ワシはお前を他の者と同じようには思っていないぞ?」
家康はにこにことした笑みを浮かべたまま、舌を出す。それから舌を口の中に戻す際に、その先に載せられた紫の星を前歯で挟む。そしてそれを真っ二つに噛み千切ると、再度舌の上に載せて吉継に見せつけた。
家康は星を飲み込む。そして立ち上がり吉継の右耳に唇を寄せ、「待てるのは卒業までだからな」と優しく言い残すと、にこやかに手を振って室内に戻った。唐突な口付けの他には常と同じ強引さと無遠慮さと笑顔であった為、吉継の後に残ったのは訳が分からないという混乱のみだった。
その内ハッと吉継が我に返る。しかしながら先のことを思い出そうとすると、時系列がバラバラで途切れ途切れにしか思い出せない。グミを食べていた、口付けられた、囁かれた、星を噛み千切られた。思い出せたシーンを繋いでいる間にふと吉継はあることに気付いた。
いや、まさか、と否定を願う接続詞が思わず口から溢れる。しかしながら他者の感情を推し量ることに慣れている吉継はそうとしか結論を導き出せない。いや、しかし、と次いで逆接の言葉が口を衝くが、他の理由では辻褄が合わない。
「……ぬしはいつもストレスの元よ……。」
選挙活動とそれに関わる家康の姿を思い出しながら、絶対に叩き潰してやろうと吉継は握り拳を作り力を込める。それから噂で聞く限りの劣勢を思い出して、深い深い溜息を吐いた。