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    しおり
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    しおり
    HOT WET SUMMER WIND 円やかなエレキギターが主軸となるBGMが鳴っている。かつてはバックパッカーとして海の外へも出たことがあるらしい店主の好みだ。比較的海に近い地域柄、どことなくビーチを彷彿とさせる音楽はこの太陽が眩しい時期によく合う気がする。その雰囲気もあって客の表情もだいぶリラックスしているように見えた。
     世相を表してかラフに作られた店内は、今日も異国の客が大半。さらにその多くは地域にある駐屯基地に勤める軍人たちだった。そもそも半ば彼らを相手に商売をすることを目的として開店したと聞く。羽振りの良い軍人たちは町の経済に貢献する消費者でもあった。
     店のメニューだって彼らの文化に根付いたものがほとんど。メインでキッチンに入っている店主も、補助をするアルバイトスタッフがいる時は気軽にカウンターへ出てきて客と雑談を始めるくらい気負いのない雰囲気の場所だった。
    「(フウコ、今度デートしようよ)」
      上背はそこまでないが、軍人だけあってがっしりした体格の青年が彼女へ声をかける。
     こうしたところで働くと、どうしても気軽に遊びへ誘われるのはあらかじめ聞かされてもいた。こんな極東に派遣されて、文化の違いで落ち着かない部分もある中、全世界共通して求められる娯楽は火遊びだ。真剣な交際を探す人もいるがその割合は少ない。もっともウエイトレスの一部もそうした出会いを目的としていることがあり、双方が合意なのであれば問題はないのだが。
     あいにく風子はその限りではなかった。はっきり、そんなつもりはないと返事をしても、言い方が柔らかいためか、なかなか聞き入れない輩が多いのも事実。そうした奥ゆかしい態度が東洋人女性だというステレオタイプのおかげで、そんな彼女を意地でも手に入れたいと考える男だっている。数度の断りにもめげない青年の強い口説き文句に、風子もすっかり困り顔を浮かべていた。
    「(上等兵殿、勘弁してあげてよ。彼女はウチのナデシコなんだから)」
     ちょうど注文の品を作り終えてキッチンから出てきた店主が、常連客を諭すように抑えて助け舟を出す。
     だが横槍を入れられた青年兵は、自分は本気だと言い張った。
    「(オーナー、俺はそこいらのヤツと違って真剣に彼女と付き合いたいんだ。と言ってもお互いを知るまでは彼女だって承諾できないだろうから、一度二人きりで話がしたいだけさ)」
     その言い分は真っ当である。但し相手がそれすらも受けかねているのであればしつこいだけだ。
     食い下がる青年を見兼ねた彼の連れ立ちは、大きく溜息を吐き出して側に立った。
    「(まったく、アッシュは……。すみませんね、本当に。あ、一等ですよコイツは)」
     仲間を窘め、上官がそんな素行を見たらどう思うかと言って釘を刺す。そして休憩は終わりだとして、支払いを済ませ、引きずるように同行者を店の外へと連れ出していった。
    「彼もいい男じゃない」
     空いた席を片付けて洗い場へ来た時、同じウエイトレス仲間の女性が風子に対してそう話しかけた。
     彼女は自身で前例の『出会いを求めている』タイプだと公言している。確かに見た目はピンナップガールのような、無邪気さに色気が混じった独特の魅力を醸し出していて、同国人だけでなくこうした欧米の男性からも一目置かれている人だ。例え用途はどうであれ、彼らの言葉を巧みに使い、会話の運び方も男心をよく理解していると言って良い。彼女のおかげで店が賑わっていると囁かれることもしばしば。しかし当人は簡単に体を許しはしないと、より良い相手に出会えるようにいろんな人と仲良くなっている、との持論を唱えていた。
     そんな彼女と比較して風子は幾分地味な方である。ただ小柄だが女性らしい体つき。それを強調すればいいのにと要らぬ助言を受けてもその気にはならず、あえて注目されにくいパンツスタイルを貫いていた。
     客の入りも疎らになり始めた頃、店先に聞き慣れないエンジン音が届く。一、二回大きく排気がされた後、ピタっとそれは鳴り止んだ。それから程なく、開けっ放しの入り口に長身の影が映る。背丈のせいで、あわや梁に頭をぶつけそうに見えて、心なしか屈んで敷居をくぐる男性。手にはヘルメットを抱え、今のバイクは彼のものだったと伺えた。中に入ればようやく首を起こし、乱れたシルバーブロンドの髪を軽く掻き上げながら軽く周囲を見る。奥の席へ目星を付けたようでそちら進んでいった。
     体格から考えてやはり軍人だろうか。店主も見慣れない客に注意を引かれている。何より目を持っていかれたのがウエイトレスの彼女だ。これまでにない趣の男が見せた一挙一動にすっかり見惚れていた。
    「風子、私に譲ってね!」
     暇をしていたからどちらでもよかった。彼女は早速愛想を振り撒こうと、サービスのお冷とお手拭きを取りにカウンターへ向かった。
     ところが途中で他の常連客に足止めを受ける。自分たちのお気に入りとする彼女の心移りが面白くないのだろう。追加の注文だとしながらも下らない話題を続け出した。
     もし彼女が本当に火遊びだけを求めていたのなら、適当にあしらって済ませることもできたはずだが、その点律儀に応対してしまっているのは彼女の人好きされる性格の良さゆえ。本音は新しい彼のところへ行きたいのに、馴染みのお相手をおろそかにはできない様子でそれに付き合ってしまっていた。その目にはしっかりと悔しさの色が滲んでいる。
    「風子ちゃん、注文だけでも取って来てよ」
     初めての客を待たせるのも申し訳ないと店主は言って、風子にその仕事を頼んだ。
     それに従い、風子はおしぼりと水の入ったコップを準備して、今来たばかりの客がいる席へ向かう。
     ほとんどのメニューはカウンター上の壁に書かれてあった。ドリンクのバラエティはオーダーを受ける際に希望の品があるかないかを答えるのが慣習だ。だから少し待てば何を食べたいか決めているだろう。そのつもりで風子はおもてなしを提供する際に定型句となっているフレーズを口に出した。
    「(ご注文を伺っても?)」
     男は声の元へ振り返った、と言うのが自然だった。高く透き通る音は風子が発したとわかった彼は、それに答えるため彼女の方へ視線をやる。
     彫りの深い顔立ちに色素の薄い瞳。左側は額から目元までに大きな傷が目立つ。同僚の彼女が当たっていたのなら、ひと目見ただけで蕩けてしまうのは間違いない。無表情ではなく、笑っているとも言えないが、目元は少し柔らかい印象すらあった。
     下心の持ち方を知らない風子でさえ、一瞬ドキッとさせられる。
    「チーズバーガーを頼む」
     返ってきたのはこの国の言葉だった。
     それは意外と言えば意外。虚をつかれた形で一瞬喉が詰まった風子の姿に、彼はしてやったりと悪戯に微笑む。
    「話せないと思ったか?」
     見くびるな、と釘を刺された気がして、風子は素直にそんなつもりではなかったと謝罪した。
    「すみません。偏見でしたね」
    「いや、別に気にしてない。アイツらは覚えもしないしな」
     ちらりと一瞥をくべた先には、まだウエイトレスに絡んでいる男たちに、それを面白がって眺めている一団が映る。同じ軍人と思われるが、男の青い眼は冷ややかだった。
    「あの……」
     と、小さく尋ねる風子に再び顔を向けた時には、また元の和やかさに戻って続きを待つ。
    「お飲み物は、どうしますか?」
    「ああ……あのジンジャーエールはあるか?」
     そう言って指差された方にはオレンジ色で文字だけが抜かれた簡素な広告があった。単車で来たのでアルコールは飲めないからと挟む。店主が云うにはビールを好む彼らのための代用品だとして、よく出るものだと風子もわかっていた。
    「はい」
     笑顔を添えて彼の注文を引き受ける。その時、心なしか一度彼の瞳孔が大きくなったように見えたが、気のせいだろうと風子はそれを留めなかった。
     男の注文品が出来上がった頃には、他の客たちは勤務の時間だとして足を急いでいた。看板娘の彼女もやっと解放されたところ。サーブができる状態のプレートを見て「それは私が持っていく!」と張り切っていたので、この日は風子もお役御免と譲り、その他の片付けを引き受けることにした。
     彼女は恋愛への興味をあからさまに匂わせ、口の上手い男たちに流されやすい一方で、根は真面目な奥手の部分も有していた。そんな彼女も巧みにいろいろ話しながら口数の少ない男の出方を探っているが、どうにも苦戦を強いられている模様。彼に至っては邪見にこそしていないが、他の男性客のような下心は全くないと示す態度だったので、彼女もあまり食事の邪魔はせず、会話が続かなければ一旦身を引いて雑務をこなしていた。
     それから一時間も経たない頃、男は立ち上がって会計を済ませる。もちろん対応するのは先輩でもある彼女。もともと風子はまだレジ業務を扱っていないこともある。
     店主は新しい客が常連となってくれるように、会計に合わせて顔を出し、「お気に召しましたか?」とにこやかに尋ねた。彼も機嫌よく「旨かったよ。音楽もよかった」と返す。横で聞いていた彼女もこれはまたリベンジが出来る良い兆候だと嬉しそうにしていた。
     その間風子は男がいたテーブルを片付けていた。食器やゴミをトレイに載せ、ソース類を所定の場所にセットする。テーブルを拭き終え、キッチンへ戻ろうとトレイを上げた時、何気なく向けた視線が男のものとかち合った。
     心なしか彼の口元は少し笑っているみたいだったが、もう去り際だったので彼はそのまま店外へ出て行き、風子も見間違いだろうと気に留めず仕事をこなす。
     それからすぐに店の窓を微かに揺らすエンジン音が鳴り響いた。そして数回の空吹かし挟むと、音は少しずつ遠くへ離れていく。
     梅雨終わりの日差しが強い日だった。



     店の営業時間は午前十時から午後七時までとなっていた。店主の趣味もあって専らの客層は外国人、それも軍に勤める人たちだ。厳しいルールの中、彼らは実に規則正しい生活をしているため、自由に出掛けたりできるのは午後からとなっている。そんな客人の活動に合わせた形だ。
     時々非番の連中が寝過ごし遅い朝食を摂るのが十時ごろ。夜は酒を探してバーなどに行くため、アルコールを提供していない店は正午以降の昼食がピークとなり、せいぜい遅い昼を迎えた客が四時ぐらいにやってきて、大抵はその辺りで一日の売り上げは止まる。
     偶に近所の学生が中途半端にランチを食べ損ねて六時前に店へ入ることもあるが、今は夏休みだからそれもごく偶のことだった。
    「今日はもうこんなもんかな……早上がりしてもいいくらいね」
     愛嬌のある同僚のウェイトレスは、午後四時を指そうとしている時計を見ながらこの後の予定を考えて楽し気にしている。
    「それにしても昨日の人、今日は来なかったけど、また来てくれるかなぁ」
     目を憧れで煌びやかに彩っている彼女の期待を風子はただ笑顔で見守っていた。
    「オーナーも! もっとがんばっておいしいもの作って彼が通ってくれるように努力してよ!」
     と、一見理不尽なお願いを投げ掛けているが、店主の腕前が良いことは彼女も十分にわかっている。それがあってコアタイムは厨房にもアシスタントが付いているくらい、店は日に日に多くの客を迎えていた。
     風子が働き始めたのも、店主が人手不足を感じ始めたから。大学に入ったばかりの夏休みをどう過ごすかも決めていなかった風子は、彼女が住む場所の隣町の位置するこの店のアルバイトに誘われた時、高校を出た後初めての社会活動に好奇心もあって快諾したもの。
     店主の人柄のおかげか同僚も気さくで、特に控え目な風子は華やかな雰囲気を作る彼女と競合しないと見られたのもあり、可愛い後輩として扱ってくれていた。
    「スタイルのいい人だったから連日でジャンクフードを食べるのは控えているんじゃないかな」
     店主はそんなスタッフの気まぐれな意見に相応しい返答を繰り出した。
    「確かに……。さすがオーナー、見る目があるわ。もうホントかっこよかったぁ。ね、風子もそう思うよね?」
     時間帯を考慮して使わなくなる奥の席の掃除をしていた風子は、急に振られた同意を求める問いに一瞬間を置く。
    「……実はあんまりじっくり見てないからちゃんと覚えてないけど」
     それは偽りのない事実。現に少し思い出そうとしても、目が青かった、としか出てこない。そんな風子の態度に聞き手の彼女はハァーッと大袈裟に溜息を吐いた。
    「もう、アンタって子はめっきりなんだから。でもあれだけハンサムだったら慣れてないアンタにはちょっと刺激が強いか」
     どうやら彼女は風子の関心を探りたかった様子。そして肝心の答えは風子が全く無頓着だと示していたので、心なしか安心した風にも伺える。ライバルはいないに越したことはない。
     恋語らいを横に聞きながらやっていた洗い物も終わり、すっかり暇をしていた店主はカウンターの一席に腰を掛けて女子の雑談に加わる。
    「この後デートなんじゃないのかい? 目移りするのはいいけど、彼らは意外と嫉妬深いから気を付けなきゃダメだよ」
    「今日は! ただ夕飯を一緒に食べるだけですぅ。今ちゃんと付き合ってる人はいないもん」
    「ただの老婆心さ。可愛い女の子が泣くところは見たくないからね」
    「もう、オーナーってば。わかってるわよ。気を付けまーす」
     店主の歳は四十代半ば、対して同僚は風子より三つ上の二十一。ともすれば親子ほど離れているから、彼女も風子も店主がそう思う気持ちはよくわかった。
     そうして気が付けばあと十分足らずで五時を回りそうな頃。時計を見てそれを確認した彼女は一足早くエプロンを外して退勤の準備に取り掛かっていた。
    「じゃあ風子、クローズは任せたから……」
     彼女は開店前からお昼過ぎまで、風子はランチのピーク前に入って夕方の人も疎らな時間を主に担当する。同僚がギリギリの出勤で間に合うのはいつも風子が前もって準備をしているおかげ。明日もこの調子でよろしくと言った具合だ。
     もちろん、この時間は大いに暇を持て余しているから、風子もついでだとして快く引き受ける。
     その直後、微かな重低音が耳に届き始めた。その音は段々と近づいてくる徴候。やがて店の窓が揺れるほどに響くと、さらに大きな排気音を数度唸らせた後、しゅるるとフェードアウトしていった。
     それに目の色を変えたのは今日の勤めを終えたはずの彼女。
    「オーナー! 私、残業する!」
     その勢いに圧倒され、店主も呆気に取られてその申し出を承諾した。
     
     
     
     
     
     窓越しに人影が映る。夏のこの時間はまだ太陽も高く、今が夕方とは思えない。鋭い日差しが眩し過ぎる場所から、自然光を調整して落ち着いた灯りの中に入ったせいか、サングラスを外してもまだ少し眉間を顰めている青年。
     他の客がいなかったから、同僚のはしゃぎ具合もあって風子も今日はその姿に意識を向けた。
     背の高さは他の軍人と比べて平均より上と見え、体格はかなり良さそうなのに、丈短のカジュアルなジャケットが上半身をコンパクトにまとめ、それに程よく余裕のあるすっきりしたシルエットのジーンズは脚の長さを際立てているので、映画俳優かと言われても違和感がなく、軍人かどうかも正直判りづらい。髪色もこの辺りでは多くないシルバーブロンド。それが天然だと伺えるように、眉は薄く殆ど見えなかった。だからと言うべきか、瞳の青色はより一層際立っていた。
     確かに町で見かける人たちとは少し離れた容姿。店の先輩である彼女が一目見ただけで夢中になってしまうのも納得がいくところ。風子自身も改めてその姿を見て、心臓がトクンと一鳴りしてしまった。ただそのタイミングは、風子がちょうど客の方へ向いた時。あちらも風子を一瞥したらしく、視線がぶつかった後、彼が微かに口角を上げ、目を細めたと感じた。
     気のせいだと思う。けれども知らぬうちに熱っぽさを得ている。
     男は次いで昨日と同じ場所へ進もうとした矢先、何かに気付いた様子でピタと足を止めた。
    「(オーナー、もしかして今日は終わりか?)」
     奥の席は掃除のために風子が椅子を上げてしまっていたから、もう片付けに入っているのだと思ったようだ。
    「(いやいや、店は七時までですよ。今日は早めに客足が遠のいただけなんで。静かだし、寛いでってください)」
     店主は、フランクな話し方でも律儀な客に対して歓迎の意を示した。
     男もそれを聞き、それならとレジに近いカウンター席に腰を掛ける。常連の外国人たちもいわゆる頭身の高いタイプが大きいのに、それでも彼のようにカウンター用の高いチェアに座りながら膝を曲げて足がきちんと床に接地している人は決して多くない。
    「見て、風子! めっちゃくちゃ脚長い!」
     促されて風子もその部分に注意を向ける。小柄な風子が座った時は足が宙に浮き、足掛け部分に置くのがやっと。常連客の軍人たちでも爪先が着いたり片足を足掛けに残したりする場合が殆どだ。足元は一見してハイカットのスニーカー。底の少し高いブーツならまだしも、厚みの無さそうな靴底がピタリと床を踏み締めている。
     その視線に気付いたのか、男は風子へ問い掛けた。
    「(そんなに珍しそうに見なくても、ここは外国人客の方が多いくらいだろ?)」
     敢えて異国の言葉で話したのは、その内容に皮肉を込めていたからか。風子は自分の好奇が彼を不快にさせていたのだと改める。
    「(す、すみません……、失礼しました……)」
     言葉は出来ても生まれた土地の習慣は変わらない。新しい客に悪い印象を与えてしまった気がして、風子は深々と頭を下げた。
     同僚の彼女も自分が促したことは棚に上げて彼が怒っているのではと受け取り素知らぬふりに徹している。
     その様子を見ながら彼は口元をフッと緩ませた。
    「(それは答えじゃない。何が珍しかったのか聞きたいんだ)」
     彼が何故この質問をしたのか、その意図は風子に測りかねるところ。きっとじろじろと物珍しい視線で眺めていたことに怒っているのだろう。
     風子は相手をおだてたり、何を返せば機嫌を損ねずに済むか、口先だけで対応出来るほど社会経験がなかった。だからせめて他の人へ責任転嫁はせず、自分の興味を素直に話すのみ。
    「(その……、脚が、長いな、って……)」
     風子の答えを聞いた男は不思議そうな様子で彼女に視線を向けた。しかし何を言うでもなくただ見ているだけで、青色の瞳はその通り冷ややかさを伝え、却ってプレッシャーを感じてしまう。
     風子は俯いて口を噤んでいた。
    「ふーん……」
     彼から漏れたのは感情のわからない声。納得したのか、はたまた呆れたのか。容姿に触れるのはデリケートなテーマだとわかっていたはずなのに、こればかりは風子も決まりが悪くなっている。
     男もこれ以上は追求せず、改めて店主へ昨日と同じものを依頼し、遅くなったという昼食を摂った。
     
     
     
     
     
     翌日、風子が夏休みらしいのんびりとした朝食摂っている時、家の電話が鳴り出した。家事をこなしていた母親がそれを取ったと思ったら、すぐに風子へ回される。アルバイト先からの連絡だった。
    『風子ちゃん、とっても悪いんだけど今日は早めに来れないかな? さっちゃんが二日酔いらしくて……』
     同僚の彼女は昨日、例の男性が女性の視線を気にするようなタイプではなく、しかも多くの人が望んでいるであろう長い脚を見ていたと言った風子に対して興味も無さげだったことにやや落胆していた。恐らく昨日は少しゆっくり話せる機会だったろうに、彼が店主と二、三の会話を交わす以外は無口であったため、とりあえず彼の退店までは空気を気まずくした自責もあったのか居残りをしていたが、その後すぐに元々あったデートの約束へ向かった。そこである種の八つ当たりもあって飲み過ぎた、とは想像が付く。相手は恋人未満の好青年らしいので、警戒も解いていたに違いない。
     それはそれとして店は今日も営業するのだ。
    「わかりました。開店時間からは少し過ぎるかもしれないですけどすぐに行きます」
     受話器を掛け直した後、風子は母に甘えて後片付けをお願いし、身支度を済ませに急いだ。
     ラッシュアワーも過ぎた時間のおかげで電車は時刻表の沿って運行している。電車とバスを乗り継ぎ、風子が店に着いたのは開店から十五分ほど経った頃だったが、店長は来てくれただけでも御の字と言った様子で感謝を述べた。
    「ありがとう、風子ちゃん! ホントに、ごめんねぇ……もっとゆっくりして貰いたかったのに……」
    「全然いいですよ! でもまだあまりお客さん来てなくてよかったです」
    「厨房はヒロくんに任せてピークは僕もホールするから、今のうちに仕込みを進めとくね」
     ここから一時間くらいでランチタイムがやってくる。よく出るメニューは多めに下ごしらえを用意し、もう一人のアルバイトが手早く調理できるように準備していた。彼はまだ言葉が出来ないため裏方に専念してもらい、店主が接客を行う算段だ。
     この読みは正しく、少ししてからパラパラと客足が増え、正午から二時間は店主も専ら仕上げと配膳までを担い、風子はサービスの水を提供しては注文を取って、ドリンクを運び、更に片付けと追われていた。
     客席を考えても普通なら十分だろうが、如何せんフランクな外国人の来客が多い店。常連は例の彼女の姿を探しては、欠勤の理由を店主や風子に尋ねて時間を取った。また女性なら誰でも良いと思う人は風子にも冗談を吹き掛けたりして、その都度戸惑う彼女のフォローを店主が入れる。
     愛想の良さが売りの店でもあるが、この日ばかりは花形の不在は痛手であると実感させられ、かつ彼女のあしらい方は天性のものだろうと皆が改めて感心するに至った。
     十四時を過ぎ、ようやく店はゆっくりとしたリズムに戻る。厨房を手伝っていた男子はその頃からちょこちょこつまみ食いを始め、空腹を埋めていた。店主はそれならば先に食事を取るよう風子へ勧める。
    「ヒロくん、風子ちゃんに賄い作ってあげて。風子ちゃんは先に食べてもらって、僕がホールは見とくから」
     風子はその申し出をありがたく受け取った。
     まだ余裕のある挽肉のタネをフライパンで焼いて店員用に作ってある白米の上に置く。肉汁が残ったフライパンにケチャップなどの調味料を加えてソースを作り、肉の上から掛けるだけの簡単なものだ。しかしボリュームはかなりある。野菜が足りないかもと刻んだレタスを横に添えて心ばかりのバランスを補った。
     それが出来るまで、風子はホールの片付けに勤しんでいた。残すところ数組の客は店主に任せ、手洗いを済ませて先に水をコップへ入れたら、厨房から食事を受け取る。
     それらをカウンターのテーブルに置いてからスプーンを取りに戻った時、店の入り口にいた人影が目に入った。件の男である。
     風子はその姿を捉えた直後、昨日の気まずさが蘇ってきた。嫌な思いをしただろうに、それでも戻って来るとは。若干の苦手意識を覚える。
     彼の方もまた、席を探すためか辺りを見回し、そこで風子を見つけた。そして今日は余程機嫌がいいのか、ニッと口元を引き上げて子供のような笑顔を浮かべる。今度は見間違いではなく、はっきりと風子へ向けて。
     
     
     
     
     それから真っ直ぐに彼女のいるカウンターへやって来た。
    「なんだ、今から飯か?」
     昨日の雰囲気は何処へやら。それよりも一昨日が初めてで昨日が二回目、今日は三回目の来店なのにもう常連のような口ぶりだ。
     風子はその違いに、どう返すべきか迷いが生じる。
     だが当人はお構いなし。
    「旨そうだな。メニューにないヤツっぽいけど」
     言いながら、自然にカウンターの隣席へ腰を掛けている。
     風子が目を丸くしてキョトンとしていると、キッチンから出てきた店主が彼の声を聞いて、すぐに水を用意した。
    「いらっしゃい! 今オーダーを……」
     そうして紙を取り出そうとする前に、男は横にある風子のご飯を親指で指し示して尋ねる。
    「これと同じヤツって出来る?」
     価格もない賄い料理。
    「えーっと……、出来るけどこれはご飯の上にパティを載せてあるもんで」
     店主の口調には、ただでさえ米を主食としない彼らに合うのだろうかとする疑問が見え隠れしている。
     それでも男は全く気にしていない。
    「いいよ、旨そうだし。一緒に食うには丁度いいよな」
     それは問いかけだったと受け取れば、自意識過剰だと風子は思った。しかし彼の目線はこちら。口元も相変わらず愛想が良いままだ。
     それにしても、一緒に食べる、とは一体。
    「じゃあ『賄い飯』一個、と」
     店主はメモと共にキッチンへ戻った。
     男は状況に置いてきぼりな様子の風子を意にも介さず、ふと立ち上がってレジの近くにあるショーケース型の冷蔵庫から緑の瓶を二つ拝借している。
    「オーナー、二本貰うぜ」
     店員の目の前ではあるがとても気ままな行動。店主もここでは滅多に無くても外ではそうした経験もあったのか、二つ返事で了承した。
     席に戻ると男はポケットから徐ろにコインを一枚取り出し、器用にもそれだけで瓶の蓋を開けて見せる。
    「ほらよ」
     差し出された物の行く末が見えず、風子はずっと呆気に取られたまま。
     その間にも彼は当人分と思われる瓶も開けていた。
    「ジンジャーエールは飲んだことあるか?」
     相変わらずのマイペースさ。さも自然な流れを装って振りかけられた質問に、風子はまだ何かが腑に落ちないと感じながらもその問いに答えてみる。
    「い、いや……」
    「そっか。これはどっちかって言うと甘い方だから飲みやすいと思うぜ」
     休憩中ではあるが、この後また勤務に戻る。それなのに客から飲み物を差し出されて、風子は彼女のそう長くない人生で初めての経験に、どう対応するべきか戸惑っていた。
     それを承知の上なのか、そして店主がそれを許すことも折り込み済みなのか。
    「昨日の詫びだよ。怒ってただろ? ちょっと魔が刺して揶揄っちまって。悪かったな」
     怒っていたのは彼の方ではないのかと、風子はまだ不可解にある。
    「でも昨日のは私が……」
    「これで仲直りだ」
     引き続き目を白黒させている風子の気など止めもせず。彼は瓶を少し傾けて、まるで杯を上げる仕草を作った。
     その時ちょうど店主が客へのおもてなしを準備し終えて出てきた。
    「いいよ、風子ちゃん。付き合って上げて」
     雇用主もお墨付きを与える。但し、と補足を残して。
    「ただ彼女はあんまり慣れてないから、手加減して上げてくださいね」
     男は店主の忠告に近い依頼も肯定した。
    「ああ、だろうな。こういう場所には珍しい」
     外国人、それも無頼漢な軍人がよく来る店だ。デリカシーに欠け、女性を欲の対象と取る連中も少なくない。風子は差し詰め檻にいる獣の世話をする飼育員。
    「犯罪は起こすヤツが悪い。それでも警戒や自衛は怠らないでほしいもんだ。幾ら挙げても一部は網の目を擦り抜けちまうからな」
     言い切る表情は柔らかいが、目付きは至って真剣。その一言に店主は不躾だがと前置きして彼に尋ねる。
    「そう言えば、あなたも基地の人かい? ……いや、ただ常連さん方のことは雑談でよく聞くから職務に掛かる話題をポロッと溢さないようにと思って」
     軍の規定は緩いようでその実やはり厳しい。階級に拘って扱いに差異を求める士官たちも少なくないのだ。一方で勢いや、むしろ階級で威を借る時にうっかり余計な情報を漏らす輩もいて、きちんと気にするのはそれなりに彼らと付き合いがある証拠とも言える。
     男は食事に手を付けつつ口を開いた。
    「俺はMPだ」
     今残っている客とは席が離れているが、辺りの雰囲気を気にしつつ少し小声で言った。
     店主は一瞬はっとし、すぐになるほどと腑に落ちた顔を見せる。
     しかし風子はまだ軍の役職に詳しくない。
    「M……?」
    「Millitary Police、いわゆる憲兵隊」
     彼女は混乱の後に生まれた。だから母語に言い換えられた名称でもまだその役について十分に理解できていない。
     そうと見て、彼は続ける。
    「MPはその名前の通りどっちかって言うと警察だな。但し軍内部の取り締まりが本職で、治安維持まではよっぽどの非常事態じゃねえと要請は出ないが。まあ人によっちゃあ、目の上のタンコブってヤツだ」
     要するに規律を守らない軍人を法律に基づいて指導や逮捕、訴求を行う。特にここは極東の地。本国から離れていればいるほど、例えどれだけ立派な大義を抱えているとしても心が折れやすいもの。加えてある種の傲慢もあり、欲を自制できない人も出てくる。
     以前ほど情報の統制が取りづらくなっているせいもあって、駐留地の市民から不満が湧き出し、当地の政府としては例え様々な利害を省みて強気に言えなくても、自国民のために対応せざるを得ない。こうした態度がニュースとなって世界に流れれば、流石に本国も無視は出来ず対策を練り出す。その結果として上がったのが軍規の再統制、すなわち憲兵隊の増派だった。
    「今はある任務で日中は基地外をうろうろすることが多いから私服でいるんだ」
     多くの軍人は先の例もあって旗章などを身につけたまま。それが一切ない理由はここにあったと店主は納得している。
     それにしても今日の彼は、随分と気心を許しているようだった。己の身分だけでなく、素性についてももう少し補足を入れた。
    「そういや、自己紹介がまだだったな。そりゃあ失礼した」
     言いながらジャケットの内ポケットからIDカードを取り出して二人の視界に掲げる。
    「アン……アンハイザー、デリル?」
    「マリ……海兵隊かぁ」
    「階級は准尉だ」
     と言っても風子にはやはりピンと来ない。それだけでなく、確かに同じ軍属の客に素性を知られたくないのはわかるが、自ら名乗りもしないことが少し不思議に思えた。
    「名前の発音は合ってます?」
     遠回しにそれを伺う。
     すると彼は、それでも自分では名乗らず、「ああ」と肯定だけ返した。
    「ニックネームとか、他の人には何て呼ばれてるんですか?」
     彼もなかなか食い下がる風子が気になっていることを察した模様。口元に苦笑いを浮かべて観念した風に答える。
    「この名前は……不吉な意味があって。『死神』を指すんだよ、ある国では。だから自分で言わないし、仲間も『ディー』とか役職だけで呼ぶ」
     その説明で風子はなるほどと思うと同時に、ようやくこの男の人間らしさを垣間見た気がした。
     それでもこれ以上プライバシーに係る話を続けるほど、彼女はまだ世間慣れしていない。形はどうあれ相手が名乗ったのだから、自分もそうしなければ失礼だと考えた。
    「私の名前は風子。出雲風子って言います」
    「フウコ……。字は『風』か?」
     尋ねられて、漢字も分かるのかと男の教養に少し驚きながらも頷いて肯定する。
    「……いい名前だ」
     彼は独り言のように呟いて言った。
    「風に吹かれる心地が好きで、だから単車で風に煽られて走るのは最高に気分がいい」
     そう話す彼は全く仕事を横に置いて、私的な感情を含んでいると伺わせた。
     だがあいにく風子は気づかず。代わりに店主は青さを残す二人の会話を微笑ましく見守っていた。
     
     
     
     
     風子が家に着くのは決まって夜の八時を回った頃。日の長い夏休みでもなければ連日こんな時間に戻ることを親もなかなか承諾しない、そんな時代だった。
     玄関を入るとそこには見慣れた革靴が揃っており、既に父が帰宅していると知る。
    「ただいまー」
     制服はなくエプロンは店に置いてきているから身軽な格好で直接居間へと向かった。
    「お帰りなさい、風子ちゃん。ご飯食べる?」
     母親は風子が入ってくるなり、お決まりの質問を投げかける。
    「うん、ママ。今自分でよそうよ」
     食卓へ目を移せば父親が先に晩酌をしているのが見えた。一家の主も視線を上げて娘の戻りを確認し、「お帰り」と短く述べ、風子もそれに対して改めて「ただいま」を返す。それから財布だけが入っている小さなバッグを椅子に掛けて、先行して風子の夕食を準備しに行った母親の後を追った。
     今日のご飯は焼き魚に野菜の煮物、みそ汁と伝統的なメニュー。それらを自分の器によそいながら、店での賄いはそう言えば和洋折衷みたいなものだったと振り返ってその味を思い出した時、ふと今日の出来事が頭を過る。
     あの後は碌に話もしなかった。彼の自己紹介があって、自分も名前を名乗って、「いい名前だ」と言われて。そこで彼は会話をしながら食事をするのは行儀が悪いだろうと、まずは食べることに集中しようと呼びかけた。
     男は体格も良く、速いペースで食べ進める。一方の風子はよく噛んで、ちゃんと飲み込んでから次の一口と学校や家庭で習う作法に則っていたから、彼が食べ終わってもまだ半分ほど残っていた。
     その間の会話は我慢。そんな様子で風子が食べきるまで男は店主と雑談する傍ら、彼女を微笑ましく眺めていた。
     ただし彼の時間もある。風子がようやく食べきると、「旨かったな」と同意を求め、この賄いメニューの良いところを少し話してから、そろそろ行かなくてはと時計を確認し、会計を済ませた。そして去り際に一つだけ質問を残す。
     ──いつもこの時間に飯食うのか?
     大まかにはそうであるが、今日は偶々もう一人のアルバイトが休みだったからいつもより遅めではあった。とは言え風子は遅番なのでお昼時が落ち着いてきたら彼女が先に食べ、それが終わると今度は風子の番、となるので客足次第。
     そう伝えると彼は「そうか」と薄く笑みを見せて「じゃあまたな、風子」と挨拶を残して出て行った。
     風子にとって普通に男性と話すのは、祖父が亡くなって以降は父親か、学校の先生か、アルバイト先の店主くらい。もう一人パートタイムで来ている男の子とも相手が無口なタイプでもあるので、オーダーに関する話以外はした覚えがない。学校はと言えば、小学校までは公立の共学だったが父親の赴任も重なり、高校で帰って来た時には女子高等学校へ入学し、今の大学も女学校と幼少期以降同年代の男性と接する機会は極めて少なかった。
     彼は見た目や役職からも風子よりは年上と推測するが、それでも普段話をする人たちと比べて随分若いはずだ。三つしか離れていない同僚の彼女も恋愛の対象として見ているし、一昔前は一回り異なる年齢の相手と結婚するなんて珍しくもないこと。
     そうした範疇に入る男性との会話。考えれば考えるほど、あれだけ自然に話せたのが不思議に思う。何より、やはり社交性の高い文化で育っていると伺える人当たりの良さや話運びの上手さはとてもこなれていて、同じ国の大人とはまた違った印象だった。
     初日はただの一見さん。言葉の流暢さに驚いたがそれだけの記憶。二日目はずっと母国語で話をしていた上に、風子の好奇心を責めるような物言いで難しい人物像を覗かせる。おかげで風子には苦手意識が出来ていた。ところが三日目の今日は前日とは異なる雰囲気で、気さくに話す以上にずっと風子と同じ言葉で会話に興じる。さらには「お詫びだ」と前日の固いイメージを払拭したいとまで宣言し、その身分も明かした。こうして態度を変えてくる理由は何なのか。
     三日連続で食べに来ているのだから、食事自体は口に合ったのだろう。毎日通うとなると、嫌でも従業員と接する。そのため仲良くしておきたい、という思惑があってもおかしくはない。しかしそれならば二日目の出来事は不要。
     そうやって一日を振り返る風子はどこか上の空のようだった。
    「風子、どうしたんだい? 仕事で何かあったか?」
     ようやく食卓に着いた風子に父親が声を掛ける。元々アルバイトをすると決めるに至って、あまり遅い時間に一人で移動しなければならないのであれば賛同はしなかったはずの人。知り合いづてで見知った店主の所と聞いて合意したが、何か不都合が起これば無理はさせないとの条件を付けたほど。やや過保護にも映るのは風子が一人娘である故。
     その声に風子も我に返る。
    「ううん! 大丈夫だよ、パパ。ほら、あそこはアメリカンなご飯を提供するから、やっぱりこういうお魚とかホッコリするなぁって思って」
     そして「いただきます」と手を合わせてから、母の味に箸を付けた。
     しばらく経った夕食の後、風子は部屋の中で一人になって、改めて思う。
     何故、あんなにあの人のことを考えていたのだろう、と。



     翌日はいつもと変わらない普段通りにスタートした。前日の閉店前に店主が欠勤した従業員へ電話で確認し、明日は必ず来ることを約束していたから、風子自身は特に早出の準備はせず、ルーチンになっている時間に家を出発する。
     入店は昼時の直前。風子は少なくとも十分は余裕を持って仕事に就く。片付いていないテーブルがあればまずはそこから手を付け、洗い場へ向かうついでに今あるオーダーにサッと目を通し、何組くらいの客がまだ注文の最中なのかを把握して、ホール側で出すべきものがあればフォローに入った。
     彼女にとって賃金を得て働くこと自体は初めての経験だったが、元々気遣いが行き届き世話好きの性格であるおかげと、また客もフランクな対応で慣れているため、自分のやり易い接客ができ、マイペースにリズムを掴んでいた。これは店主にも嬉しい誤算となる。
     それから朝の訓練などを終えて自由になった基地勤めの客が続々とやってくる時間。待つことを嫌う彼らが上手く着席できるように仕切るのもホールの仕事だった。元々見知った連中同士でもある。相席になったところで文句はあまり出ないし、客たちが各々知り合いを見つけて座ることも多い。
     そうして店が賑やかになってきた頃に入ってきた二人組もそのパターンだ。
     一人は女性兵士。ワークパンツにブーツと上はカットソーの半袖シャツで、連れの男性のせいで小さく見えるが職業柄もあって鍛えられているのがよくわかる引き締まった体型だ。女性兵は少なくないが、相対的には珍しい部類と言える。
     もう一人は男性。とにかく身長が高く、厚みもある巨漢と呼べる大柄な人だった。同じくワークパンツとカットソーで女性と同じ部隊であることは明らかである。しかし振る舞いは至って穏やかな雰囲気。
     どちらも馴染のない顔だった。特に男性の大きさに、普段から軍人を扱いなれた店主でさえ、驚きを浮かべるほどである。それほど注目が集まりやすい客に風子も同僚の彼女も思わず視線を向けていた。
     そんなことは日常茶飯事なのだろう。店員や他の地元客の関心をよそに、女性はまだ空きのある席を物色し、男性は彼女が選ぶのを大人しく待っている様子だった。
     そして彼女は仲間と思われる人の姿を見つける。
    「(カミュ! アッシュ! なんだよ、お前らも昼飯か?)」
     彼女たちが近づいた席には二人の若い男性が座っていた。彼らもつい先ほど到着したばかり。
    「(げっ! ジョシュ! 何だよ、お前も来るのかよっ)」
     彼らの一人はあまり会いたくなかったと言った様子。
    「(初めてだよ。なんかここの飯が旨いって評判だからね。お前らは常連か?)」
    「(まあ、よく来ますよね。アッシュが……)」
     もう一人の少し小柄な男性が言いかけたところ、同席の青年は慌ててその言葉を遮った。
    「(バッ! カミュ! 言うな!)」
     その態度と、カミュと呼ばれた青年の目線から、彼女はその意味を悟り、ニッと含みを持った笑みを浮かべる。
    「(ははぁん……。お前らしいねぇ。遊び相手の物色かい。よし、サンダース、こいつが粗相しないように今日はここで見張るぜ)」
     言いながら、彼女はちゃっかりと彼らの席に腰を下ろす。声を掛けられた大柄の男性もこくこくと頷いて、小さな椅子を引いてから座った。
    「(取り締まる側が女漁りしてるってチーフが聞いたらなんつーだろうね)」
    「(べっ……別にそういうわけじゃねえって!)」
     青年は聞こえの悪い言い方をするなと彼女に反論する。
     女性の声は大きく、よく言えば大胆、言い換えればややガサツな態度だ。加えて威圧感のある同行者。
     普段は誰にでも愛想を振りまく同僚も、若干毛色の異なる二人組に引け気味だった。そういう時は必ず風子の背中を押す。
    「風子っ、ほら、彼、アンタにいつも声かける人でしょ? 行ってきなよ」
     もちろん理由はこじ付け。風子も彼女の意図がよくわかっているので、特に言い合うでもなくその役を引き受けた。
     先の二人には既に水と手拭きを出しており、あとは注文を取るだけ。追って入ってきた二人分のサービスを準備し、彼らの着いている席へ向かう。
    「(いらっしゃいませ。メニューはあちらに……)」
     風子はコップと手拭きの載った小皿を新しい客の前を置き、壁にあるメニューを指し示した。
    「(ああ、ありがとう。ん……っと、アタシは何にしようかな……。アンタらは? 何頼むの?)」
    「(僕はチーズバーガーですね。おいしいですよ)」
    「(おまっ、俺のマネすんなよ……)」
    「(はっ! バーカ。チーズバーガーはチーフのフェイヴだろ? お前こそマネじゃねえの?)」
     彼女の揶揄うような口振りに、青年は図星なのかムッとするも反論はない。
     そんなやり取りを見て、何やら内輪の話で盛り上がっていると思いながら、風子はメモを構えて彼らがオーダーを決めるのを待っていた。
    「(でもそんなにイイならアタシもチーズバーガーだね。サンダース、アンタは?)」
     問われた男性は控え目に自分も同じものをと囁く。
    「(かしこまりました。チーズバーガーを……)」
     風子は先に彼らの注文を記し、次いで会話の中では決めていたかに思えた二人の青年客へ視線を向けて、彼らの分を確認する。
    「(あ、僕もチーズバーガーでお願いします)」
    「(フウコ! 俺も!)」
     青年がウェイトレスを名前で呼んだことを、女性は聞き逃さなかった。
     風子が忙しさを装って彼の呼び掛けへの返事もそこそこに、オーダーをメモに控えた後、内容の復唱と他に必要なものはあるかと問い、応じてそれぞれが炭酸飲料を付け加え、すぐに準備すると言ってその場を離れた後、彼女は仲間へ追及を重ねる。
    「(何? もしかしてこっちのチッコイのが狙い? あっちの遊び慣れてそうなお嬢ちゃんじゃなくて?)」
     意外だ、と言わんばかり。連れの男性も彼女の意見に同調している様子。
     かたや問われている彼は、しまったと苦虫を噛んだように眉間を寄せていた。皆と語らずも答えはそこに出ている。
    「(……マジかよ! いや、さすがにそれは無理じゃん? パッと見でわかるでしょ? あれはイイとこのお嬢だよ。言語だって教養ある感じだし)」 
    「(ですよねぇ。僕だって再三言ってるんですよ、これでも)」
     今度は多対一。青年はいつも同行している仲間にも反対側へ付かれ、一人責められていた。しかし、彼にも彼の言い分はある。
    「(大体、あんなのに万が一手を出して大事になったらどうすんのさ! 隊の責任でチーフまで処分受けるよ?)」
    「(万が一、って……。だから俺は真面目に口説いてんだよ! 真剣だ、俺は……)」
     それがどれだけ本気だったかは、恐らく彼らは皆青年を良く知る仲なのだろう、彼の台詞に驚くと同時に、彼女も、いつも一緒に居る青年も、そして無口な男性までもが、はあぁっと大きな溜息を吐き出した。
     彼らの言いたいことは凡そ察しが付く。青年は全員から現時点で望みが薄い恋をしていると指摘され、やり場のない悔しさに奥歯を嚙み締めた。
     
     
     
      ハンバーガーはどっしりしたボリュームが人気なだけでなく、種を作っておけば手早く仕上がるメニューでもある。だから忙しい基地の勤め人たちが空腹でやってきてもそれほど時間を取らずに提供できた。また店の看板であり、多くの客がこれを注文する。そのため先に作り始めても、余ることの方が稀。
     ついさっきオーダーを入れたばかりの一団も、会話が盛り上がっているうちに出来立てのランチにあり付けた。大きめのプレートに広がるポテトフライとそこへ被さるハンバーガー。人工的に着色された黄色いチーズは彼らの故郷を彷彿させると評判だ。
     焼き上がったばかりの肉と内側の両断面をカリッとさせたパン。バランスも考えてかレタスとトマトが彩りを見せていた。
    「(んんン……! 噂に違わず美味い!)」
     女性は早速だと、テーブルに置かれたケチャップとマスタードにマヨネーズを付け足してから、大きめの一口を齧った。野菜の水気と肉汁が調味料と溶け合って指の間を滴っていく。それを舐め取り、今度は太めにカットされたポテトへ手を付けた。それからまたメインのハンバーガーへ。
     仲間の男性は大人しいが、齧り付いては口をモゴモゴと動かし、やはり満足げだ。
    「(こりゃあ確かにチャンスがあったら通いたくなるのも無理ないね。ビールでいけたら最高なのになぁ)」
     彼女の感想はごもっとも。それは色んな客から言われることだった。しかし店主は頑なにその許可を取ろうとはしないでいる。のんびりと気ままに商売を続ける方がいい。
    「(ジョシュは好きですよね。でも外で飲むとチーフに言われますよ)」
    「(へいへい……書記殿。あ、そうだ、今度買って帰りゃあいいんじゃない? そうしたらチーフも一緒に食べれるしさ)」
    「(そうですね、最近ずっと夜遅いみたいなんでなかなか昼時に来れないでしょうし)」
     そんな会話の中、彼女は風子に目を向けて人差し指でくいくいとそちらへ来るように呼びかけた。
     何か追加のオーダーだろうか。風子は用事のある客の元へ歩いて近づく。
    「(ねえ、店は何時まで?)」
     よくある質問。風子はさらりと答える。
    「(夜の七時までです。オーダーストップはその三十分前ですね)」
     想定していたよりも随分と早い。彼女はがっかりしたようにわざとらしい溜息を吐き出した。
    「(ま、そうなるかぁ……。アンタみたいなお嬢ちゃんが働いてるんだもんね)」
     良い子は早く家に帰るから、と皮肉の混じった言葉を漏らす。
     風子その意味を理解しつつも、客を相手に言い返すほど積極的な性格ではなかった。ただ少しだけ不服が態度に現れていたので、風子に気のある青年は仲間に対して物申す。
    「(ジョシュ! 今のは彼女に対して失礼だろ。ゴメンな、フウコ。こいつ、口が悪くて……)」
     目に見える下心。それを黙って見過ごす彼女でもない。
    「(はっ! アッシュ、そんなんで振り向いて貰えると思ってんの? アタシをダシに使うなんざ十年早いよ)」
     どうも彼女は青年より上なのか、終始強気な態度でいた。鋭く突かれた青年はそういうつもりではなかったとモゴモゴ口を吃らせながらバツが悪そうな表情を浮かべている。彼だってその程度のことで簡単に靡くとは思っておらず、ただ紳士的でありたかっただけのようだ。
    「(すみませんねぇ、賑やかで)」
     女性を含めてもこの中で一番小柄な青年は、いつもの調子と呆れ返った色の小声で風子へ言う。
    「(ソコ! カミュ、聴こえてるよ)」
    「(別に僕だって他意はないですよ、ジョシュ。チーフがいればいつもこうしてお店の人に断りを入れるでしょ)」
    「(実際に迷惑かけたり、絡んでる時だけだろ、チーフが謝んのは。アタシらまだ何も悪いことなんてしてないじゃんか、ねえお嬢ちゃん)」
     まさか話を振られるとは。風子は突然同意を求められ、一瞬言葉を詰まらせた。
     確かに声は大きいし、はっきりものを言うし、自分たちと少し毛色の違う彼女を揶揄う態度だが、当人はそこまで嫌がるものではないと受け取っている。彼ら在留軍人が地元の一般市民へ半ばふざけてそう言ったら扱ったりするのは珍しくもない。実際同僚の女性を口説きたい連中がやや下世話な文句を使うことも日常茶飯事だ。それに比べれば、自身に対する子供扱いはさほど気にするものでもなかった。
     しかしここは自分の考えを伝える良い機会。風子も大人しくはあるが黙ってるだけを良しとしない性格だった。
    「(悪いことはされていないですけどあまりプライベートな内容を大きな声でお話しされると周りの人に聴こえてしまいますから。上司の方の耳にも届いてしまいますよ)」
     そう言ったのは否が応でも聞こえた会話から、彼らが上司に対しては相当に敬意を持っていると察したから。色恋沙汰はもちろん、食べ方、言葉遣いに至るまで、場合によってはこの席にいない誰かがそれこそ「君の部下たちは随分賑やかだった」と報告しないとも限らない。そう考えての皮肉だ。
     そしてどうやら一定の効果はあった。女性は「ん?」と虚を突かれたように沈黙を作る。彼女だけでなく、同席していた三人の男性も彼らが軍属でそうした秩序を重んじなければならないと思い出したのか、辺りを少し見回して様子を伺っていた。
     だが彼女はただで黙るタイプではないらしい。
    「(はっ! 言うねぇ。グッドガールの顔して、ゴシップ好きなお嬢ちゃんだ)」
    「(店長が言っていました。私たちはお客様のことを話したりはしません。でも不要に情報が漏れてしまうので気を付けてくださいって)」
     丁寧な口調でも要点は明確に伝える。風子は相手の女性が自分よりも背が高く、体格が良くても全く怯んでいなかった。そうすべきだと信念があったからだ。
     とは言え揉め事を起こしてはならない。相手の気分を害していないか、言い終えて風子もふと顔色を伺う。
     しかしそれも杞憂だった。
    「(いいね! てっきりエイジアンの女はみんな愛想笑いばっかして男の機嫌を取ってるもんだと思ってたよ。いや、悪かった。それはアタシの偏見だ。アンタみたいなのがいるならそんなのは改めないとね)ワタシはジョシュ。トモダチだね、……フウコ?」
     そう言うと、彼女はニコッと並びのいい歯を見せて手を差し出した。
    「日本語を?」
    「チョットだけ。(これでもちゃんとここのこと勉強しようと思ってんだ。よかったら教えてよ)」
     どうも口が達者なのは人懐っこい性格のおかげのようだ。風子も差し出された手を拒否するほど消極的ではなかった。目を細めて笑みを作り、鍛えられているけれども女性のものと分かる繊細な手を軽く握り返す。
    「こちらこそ。よろしく、ジョシュ……さん」
     思い返せば元々在留している女性の方が少なく、風子も同世代くらいの人とこうした形で知り合う機会は殆どない。大学の友人も決して多い方ではなく、新しい出会いを素直に嬉しいものと捉えていた。
     それはきっと彼女──ジョシュも同じ。先程も自身で偏見を持っていると明かした通り、どこか一線を感じ、それが却って無自覚のバイアスに繋がっていたのだろう。だから初めはああした態度で風子へ接したのだ。その反省の色は照れて赤くなった鼻先に現れている。
    「へへ……アッ!(おっと、もうこんな時間だ。また来るよ、フウコ。今日は会計を頼む)」
     ジョシュは腕の時計を見てそう言った。
    「はい!」
     風子はもう一度にっこり微笑んでレジへ戻る。彼女たちのやり取りに半ば気をやっていた店主は風子が言うより先に彼らにオーダーを閉めていた。
     仲間の青年たちは彼女が思いの外懐柔されていることに驚いた様子。そして件の一人は、その間に腹の内を漏らす。
    「(なんでジョシュの方が先に仲良くなるんだよ……)」
    「(同じ女性の方が警戒が少ないからじゃないですか、アッシュ)」
    「(バーカ、アタシの方がイイ女ってだけだよ)」
     尤も下心が丸見えでは友情を築こうにも構えてしまうのは仕方がない。それはそれとして、彼女は仲間の恋路を後押しする気はさらさらないようだ。
    「(これでフウコはアタシのトモダチだから、アッシュ、アンタみたいな軽い男に易々とチャンスはやらないからね)」
     ジョシュがキシキシと意地の悪い笑いを立ててそう言うと、青年はそんなことはとうにわかっていたと期待もなく、はぁと深い息を吐き出して落胆の嘆きを露わにしていた。



    「今日はあの人来なかったわねぇ」
     お昼の賑わいも終わり、店員の女性は一息つくと同時にぼんやりと呟いた。
     あの人──とは彼女が興味を持つ、今週から見かけるようになった男性のことだと風子も察する。先一昨日来始めたばかりなのだが確かに昨日までは連日で来ていた。そう言おうかと考えていたところ、ふと目が合った店主は仕草だけで「言わなくていい」と合図しているよう。
     風子はそれを見てはっと口を止める。
    「やっぱりこの間にジロジロ見ちゃったのが良くなかったかしら。ああ、店長の言いつけをちゃんと聞いておけばなぁ」
    「そうだね。この間の様子からそんなに気にしている様子でもなかったけど、いつも言っている通り規則で身分を明かすことに警戒している人もいるから、あまり詮索はしない方がいいよ」
    「はぁい……。でも店長、なんか他の人とかからあの人の噂とか聞いてない?」
    「君はもう……人が言っているそばから。昨日休んだのは反省からだと思っていたのに」
    「だってぇ! あんなに素敵な人は滅多にいないじゃない。女の子ならみんなちょっとお話しくらいしたいって思うわよ」
     彼女の不屈の精神に流石の店主も呆れた顔を浮かべていた。
     これほどに折れない彼女のこと、もし昨日は来ていたと伝えれば、詳しく教えてほしいと食い下がるのは必至。特に昨日彼は身分を明かすほど、その前日に比べれば気が張っていなかったと言える。しかしそれは店主と風子が聞いたことであり、客について本人の許諾もなく漏らしてはいけない。風子が口を止められたのは恐らく彼女の性格を見越していたからだろう。
     風子は彼らの会話を他所に、まだ残る数組の客へ対応していた。
     今日は金曜日。基地に勤める人の多くは明日は非番か半日のみの勤務となっている。そのため今晩より夜遊びに耽る人もあって、少し遅い時間までピークは続きながら、昼下がりの終わり頃にはほとんど人も来なくなる傾向にあった。
     十五時を回った後、同僚は今日も人と出掛ける約束があるからと急ぎ足で退店する。それから二時間ほどが過ぎて、相変わらず客足は疎だった。ならばあまり遅くならないようにと店主は風子へもきりの良い段階で退勤しても構わないと言う。
    「駅に近い繁華街は人の出も多くなってくることだし、昨日は丸一日働いてくれたんだから、今日は明るいうちに帰ってゆっくり休んでね」
     忙しくはあるが、学業に比べると始まりは遅く、ピークの後は緩やか。とは言え立ち仕事は何かにつけて体力を使うもの。風子もその打診を有難く受け取る。
     そうして明日の用意と片付けをしてから店を出た風子。十八時になる少し前には、自宅へ戻る電車の駅に着く頃だった。
     夏の日は傾斜していてもまだ十分に明るい。しかしこれから帰宅しようとする会社員らで駅の周りは賑やかだ。
     軌道の車両から降りたばかり。他の乗客も大半は同じ場所へ向かうため、その流れに乗る直前だった。
    「風子!」
     視界の外から低い声で名前を呼ばれる。この辺りに知り合いはいないはずだが、そうそう同じ名前の者がいるとも思えず、反射的に声の出所を探そうと辺りを見回した。
     それはタクシー乗り場の近く。乗用車の間に出来た隙間に大柄な男性の姿が映る。どこかで聞いたことのある声が容姿と一致した瞬間。
     彼はにこやかに笑顔を浮かべてヒラヒラと手を振っていた。
     革のジャンパーの中には白い無地のTシャツ。下はデニムパンツにワークブーツと、おおよそ軍人らしからぬ格好だ。思えば他の人たちは自分の職を誇りしてか制服で街を歩くのに、彼は数日前に会った時からこうした服装だった。
     そのおかげか、見た目のせいで通り行く人々の一部は彼に一瞥を投げるが、あからさまな軍人たちよりはさほど注目されていない様子。
     思い掛けない遭遇に風子は意表を突かれていた。しかしわざわざ名前まで呼ばれているのに無視するのも不躾だと一度足を止める。
     それを確認した青年は、跨っていた二輪車から降り、その場に駐車させて風子のいる方へ足を進めた。ただあまり近くへ寄り過ぎず、声が通る距離まで。
     そして風子へ向かって言う。
    「今日は間に合わねえと思ってたから店には行かなかったけど、偶然だな。早じまいか?」
     その表情から今日も機嫌が良いのだと伺えた。
    「はい。金曜日はお客さんの引きも早いので、普段より早くお店を出ました」
    「そうか。ってかそんなに畏まって喋らなくても、店の外だから今は接客しなくていいだろ」
     意外な科白に風子はその意図を考えて言葉を詰まらせる。そんな彼女に構わず彼は続けた。
    「ちょうど市街方面へ走ってる時に見かけたワゴンにお前らしい姿があったから追っかけたんだが、ビンゴだったな」
    「へ?」
     風子の疑問はますます広がった。
     まず彼が風子の容姿をよく覚えているということ。多くの外国人は地元の人たちを区別せず、皆同じように見えると言うくらいなのに。彼の場合は言葉も流暢だから、その辺りにも注意深いのだろうか。
     それに見かけただけなら、特に用事もなければまた次に店で会った時にでも「どこで見かけた」と会話に含めれば良いもの、追いかけてきたと言われると、何か探されるようなことでもしたか自問が生まれる。
     風子は不思議そうに青年を眺めていた。
     それを察してか、彼は弁明を加える。
    「いや、別に追いかけてって……具体的になんかあったっていうか、せっかくだから声掛けときてえなって。それだけ」
     そう言う青年は心なしか恥ずかしげに、鼻を掻きながら一旦視線を逸らせた。
     風子に疑念が出てしまうのも当然。外で異性から声を掛けられたという事実さえ、誤解を招きかねないから。むしろ客と店員の立場であれば問題ないもの、私的に接すること自体が他意を含んでいると捉えられても仕方がない。
     ただし、何故か風子も彼に対してそれほど警戒していなかった。
    「あのっ」
     と、言い掛けて、風子は彼が己の名をあまり好ましく感じていないと思い出す。
     苗字で呼べば角が立たずに済むはずだが、たった今畏まった話し方はあまり好まないと言ったばかり。かと言っていきなり崩して話すほど親しい仲でもない。
     しかし相手の文化圏を物差しとするならそう言うことも理解できた。
     また彼が自分の名前を知り、そう呼んでいるだけに、せめて彼も名前では、と考えた風子は咄嗟に口にする。
    「アン……ディ?」
    「は?」
     どうしてか飛び出した音に青年も驚いた様子だった。彼女の中には理由があるのだが。
    「あ、あのっ! 苗字の音と、名前の音で……その」
     いきなり渾名を付けるとは無礼過ぎたかもしれない。やはり訂正すべきと風子が口を開こうした時。
     彼は白い歯を見せて満面の笑顔で答える。
    「いいね。アンディ……か」
     
     


     <to be continued>



     
    ぴー子[UDUL] Link Message Mute
    2022/01/09 6:40:13

    HOT WET SUMMER WIND

    人気作品アーカイブ入り (2022/01/09)

    ##パロディ
    #書きかけ


    前にプロットだけあったパロディ。
    仮想60年代の基地が栄える町で大学生の風子は在留の青年兵と親しくなっていく……。

    否定とか死とか運とかは全く何の関係もないです。
    前のプロットからは変えるだろうしオチもまだ決めていないからボチボチ書いていこうと思います。

    more...
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