彼を見ている彼を見ている あさぎりゲンのファンだったのは、俺ではなくて友人だった。その友人が今どこに居るのか……在るのかは、分からない。せめて無事にどっかに埋まってたら良いなと思う。
起こされても正直『こんな世界で生きてけんのか?』って不安だったし、いっそ起きなくても良かったんじゃねーかなぁくらいのことは考えた。そこそこ楽観的なこの俺ですらそう考えたんだ、ゴツい見た目の割りに繊細だったり神経質な奴らなんかはツラかったんじゃないかと思うよ。
あの獅子王司に大丈夫だって言われたって、そう思えるのは目の前で言われている時だけ。たまにポコッと不安の泡が浮き上がってパチンと割れる、そうなると一気に気が滅入る。
「うっわぁ、残業続きでくたびれたリーマンみたいな顔してるねぇ。大丈夫?」
そんな時、ふらっと現れるのだ。あさぎりゲンが。
何でか知らないけど獅子王司はあさぎりゲンを早々に起こして、何か仕事を振ったらしい。俺が起きたのは、その仕事とやらから彼が戻ってくる直前だったから詳しくは知らない。人探し? をしてきたとか。何で芸能人にそんなこと頼んだの? とか思ったけど、この時代に生きる現地人の村を見つけてきたそうなので、あながち頼む相手として間違いじゃなかったんだろう。俺は多分、無理。
戻ってきてからは獅子王司の側近みたいに彼にくっついて歩いてる。そんで、彼の傍に居ないときはこうして色んな奴らの元へひょっこり現れてはフォローように声をかけて、話を聞いてくれるんだ。俺も何かと気にかけて貰ってる。
「あさぎりさんって、テレビで見てた感じより優しいっすね」
そんな失礼な俺の物言いにも彼はケラケラ笑って、
「ドイヒ~! そりゃあテレビ用にキャラ作ったりもするって~!」
なんて言いながら俺の腕をぺちぺちと叩いたり。本当に、雑誌片手に語っていた友人が見たら目ん玉ひん剥いて落っことすんじゃないかってくらい、気さくだった。
(お前メンバト見たことねーのかよ、すげーぞあさぎりの演技)
(この前の獅子王が出たスペシャルが伝説回なのは間違いないんだけどさ、俺的にはもう一個推したい神回があんのよ、っつってもメンバトがレギュラーになる前の別特番の企画枠でやった時のなんだけど)
(ポーカーの世界大会の日本代表が相手の一騎打ち! これがルールも特別仕様でお互いシビアな条件のやつでさぁ!)
(序盤からどっちも相手読んで当てにいく互角な勝負の中、ブラフと演技だけで最後の読み外させてあさぎり勝利っつーとんでもねー回! コレ説明するよか見た方が早えーし、今度ウチに来い! 録画見せっから! スゲーからホントに、あのクソ度胸!)
結局その録画を見る前に石化したから、友人の言うその時のあさぎりゲンがどんだけ凄かったのかは分からない。
でも。
『あさぎりゲンが、裏切った』
アイツが言ってたブラフと演技がめちゃくちゃ凄くてクソ度胸があるってのは本当だったんだな。なんて、場違いな感想を、抱いてしまった。
あさぎりさんは獅子王司の探し人を本当は見つけていて、そのことをずっと嘘をついて隠してて、その探し人ってのは獅子王司の考えと対立する人で、見つけたっていう現地人の村の人と協力していて、あさぎりさんはそっちの陣営側に寝返ってたんだと。戻ってきてた、あの時には、もう。
……友人がファンだった芸能人、俺にも良くしてくれた人。
そんな人と対立しないといけないのか。いけないよな、人も死んじゃってるらしいし。
(……、たとえば)
あの人が手勢を集めて反旗を翻したなら。いや、人を集めて相手陣営に移るのでもいい。声をかけてくれたなら。俺は、きっとあの人についていったというのに。
(あの人はひとりで、)
まるで置いてかれたみたいで、さみしくなった。
それから先は、あまりにも目まぐるしい日々だ。
あの歌姫から電話が(電話! この世界でだ!)あって、米軍到着まであさぎりさんがついたという陣営の指示に従ってくれと要望があって、俺はそれに乗っかった。今から考えたら『国際電話はさすがに無理だろ』『救援依頼を米軍が飲むってそれむしろ侵略に来るんじゃねーの?』『そもそもどうやってコンタクト取ったんだよ』と、まぁ色んなツッコミ思いつくんだけど、こんな世界で電話を作れちゃう奴が居るならアメリカともやりとり出来ちゃうのかもしれないと思っちゃったんだよ。限界だったんだ、きっと。
結局のところそれはあさぎりさんたちの嘘で、それはいずれ現地人たちとの抗争を避ける為の作戦で、ドンパチやって停戦したかと思ったら氷月さんに獅子王司は刺されて死にかけて。
よく分かんないうちに、現地人たちと俺たちと一緒になって暮らすことになって、そんでもって帆船作るとか石油探すとか、そんな話になって、あれよあれよと言う間に生活は激変していった。
そして俺は今、麦畑で農業をやっている。狩猟採集から稲作へ……この場合は麦作と言うんだろうか? 社会の教科書の表題ページに書かれてそうな、そんなワードを思い浮かべる。
うん、まあ、文化的になるのは良いことだろ。なるようにしかならないんなら、そっちの方がまだ良い。
あさぎりさんは俺らとちがってひょろい人なのに、何故か一緒に麦畑チームで働いている。てっきりあの千空って奴と並んで指示を出す側に行ってしまうんだと思ってたのに。
でも、陽と現地人のマグマって奴がケンカしたり張り合ってるとこにあさぎりさんが声を掛けて何やら言ったら二人が猛烈に競い合って働き始めたりするのを見る限り、頼まれてこっちの管理人みたいなことをしているのかもしれない。
(……倒れねーかなぁ、あのひと)
実は千空の仲間だった大樹くんとあさぎりさんが話してる。並より上と自負する俺ですら呆れる体力の彼に比べて、あさぎりさんは既にバテたような雰囲気だ。暑そうに額の汗を拭って……不意にこっちを見た。
大した表情のない自然な顔がこちらを向いたと思ったら、目が合った瞬間にパッと笑みを浮かべる。
(うっ……わ)
大樹くんにひと言何かを言ってから、あさぎりさんはこちらへ寄ってきた。
「どうかした? 何か問題でもあった~?」
「い、や……いや! 何もないっす!」
「そう? ……いやいや、待った、顔赤いよ!? 熱中症とか風邪とかじゃないだろね!?」
「大丈夫です! あの、あっ!? でも確かに、ちょっと暑さでのぼせたのかも……!」
「はい、ならさっさと日陰に避難! ダメよ~、ジーマーで。君ら体力オバケたち、不調になったこと少ないから気付かずすーぐ無茶すんだからさぁ~」
大した力じゃないけれど、あさぎりさんに押されるがまま日陰へと移動する。ちゃんと水と塩も取りなよ、と世話焼きな台詞に次いで、彼が言う。
「この世界じゃちょっとした病気で簡単に死んじゃうんだからさぁ。ダメだよ、気をつけなきゃ」
それから、
「まぁ肺炎なら千空ちゃんがお薬作ってくれたから大丈夫だけど」
そう言って笑う顔が。
「ゲーン! 千空からいつもの定期連絡入ったよー! 早く来なァ!」
「ありがとニッキーちゃーん! んじゃ、ごゆっくり~」
去っていく背中を呆然と眺める。
(あさぎりゲン、あの強気な感じがかっこいいんだよなぁ……俺もなりたい! 今度の学祭の舞台の役あんな風なんだけど、いつもどんなメンタルなのか教わりてーよ)
強気? かっこいい? いや、今さっきの、あれ、そりゃ芸能人だし普通に顔は平均より上ってわかってたけど……!
(うそだろオイ、そんな良く聞く男子校あるある的な……!)
優しく穏やかに笑うあの人が、どんな女子よりキレイに見えて。多分この日この時、あさぎりゲンは俺にとって『友人がファンだった芸能人』ではなく『俺の好きな人』に変わってしまった。
自覚した上で改めてあの人を眺めてみたら、誰とでも居るかのようで、案外よく一緒に居る人たちというのは限られているようだ。一番よく一緒に居るのは大樹くん、杠ちゃん、ニッキーちゃん、それから現地人……つまりあっち側、千空率いる科学王国に近しい奴ら。
その中に居ながら、何かあればこっち側の奴らのことも面倒を見てくれている。たまに司さんにべったりだった、ええと、南さんか、あの人によく話しかけてるのも見かける。美人だもんなぁ、話しかけたいよな男としては、なんて思ってたが、
「よくもまぁそれだけ人を見ているもんねぇ、君ってば」
「え~? 全員のプロフ把握してる南ちゃんがそれ言う~?」
とかいう話が聞こえてきたことがあったので、情報交換の為とかそんな理由のようである。
そうして、色んな人の間を渡り歩きながらも、
「ゲーンー! 千空からの電話きーたよぉー!」
「あっれぇ、もうそんな時間? 今行くー! ありがとねぇ、銀狼ちゃん! じゃあ、俺行くから」
定期的に来る連絡が入る度、忙しなく上着の裾を翻して去ってしまうのだ。
責任者同士だからとはいえ、そんな話す内容あんのかよとか思ってしまう。呼びつけ過ぎだろう、報告だけなら他の奴に言付けとけばいいじゃないか、とか。
だってこんなに平和だぜ、こっち。大樹くん筆頭にして、農業に皆で勤しんでさ。毎回あさぎりさんと情報交換しなきゃいけないほどのこと、あるか?
……獅子王司が何だかんだあさぎりさんを重用してたのと同じで、千空もあさぎりさんに頼ってるのかもしれない。大樹くんと同じ歳なら、俺よりも年下だしな。
あんまり関わる機会なかったから千空がどんな子か知らないけど、だとするなら、ちょっと生意気そうな見た目のわりに可愛いもんじゃないか。あさぎりさんも頼られて張りきってんのかな、面倒見良いもんな。
(んなこと思ってもないくせに)
そうでも思わなきゃ、やってられるかよ。
自分たちで育てた作物が豊かに実って収穫できるって、こんなに感動するんだな。腰がつらいと皆でひいひい言いながらも、麦の収穫はうれしいものだった。
村の方に一部持っていって、その麦でパンを試作するのだという。でもパンってどう焼くんだろうな?
「いいなぁ~、僕もそのパン? ってやつ食べてみたい!」
「ん~、でも銀狼ちゃん? 考えてもみてよ、千空ちゃんトライアンドエラーの人だし、最初っから美味く焼けるとか絶対ないでしょ」
「そう?」
「そうそう。でも俺たちは~、千空ちゃんたちが失敗作を食べ続けたあとに、美味しい完成品だけを味わえんのよ~? そう考えたら、ねえ?」
「美味しいとこだけイタダキ! って良い響きだねぇ!」
へばったのか、休憩しているあさぎりさんと銀狼くんがお喋りをしている。そっか、麦知らなきゃパンもないか。
「俺、パンも良いけどラーメンも食べたいんだよねぇ。ラーメンの麺は小麦で作るものなのよ、本来」
「ええっ、そうなの!? そっちのが美味しい!?」
「そりゃあダンチよ、ジーマーで」
「いいなあ、食べてみたいなあ麦のラーメン……!」
なんでパンを知らなくてラーメンを知ってんの? 逆ならまだ分かるけど。
そろそろ手伝えと銀狼くんが兄貴に連れて行かれたのを見て、ちょうどいい口実とばかりにあさぎりさんへ話しかける。彼はあっさりと、そりゃ食べたことがあるから知ってんのよ、と笑った。
「つまり労働力っていう対価が欲しくて胃袋掴みにいく作戦に出たわけよ、千空ちゃんは」
猫じゃらしも穀物類と言なくもないけれど、よくもまぁそんなもんで作ったもんだ。けれど、味はどうだったのかと問いかけたら、あさぎりさんは何とも言いがたい顔でそっと口もとに人差し指を立てた。
「……村のみんなにとっては、ゴイスー美味しいお食事だったのよ」
……つまり、普通の店のラーメンを食べ慣れてる俺たちからしたら微妙な味、と。
「俺が村を見つけた時にちょうどラーメン振る舞っててさあ! おかげで誰が探し人の千空ちゃんか一発で分かってありがたかったよね~」
こんな世界でラーメン作るなんて同時代の人間しか居ない、とあさぎりさんが笑う。ケラケラと楽しそうに、
「……いやあ、何とも面白い顔合わせもあったもんだよ」
ふと穏やかに、やわらかに、笑う。
(……、あ)
肌がそわそわと粟立つ。心臓が跳ね上がる。前にも見たような、きれいな笑み。
(ちょっと、なあ、待ってくれ)
あんた、前に笑った時も、千空の話をしていなかったか?
嘘だろ、やめてくれよ、そんな、ただの弟分への優しさだよな?
「ゲンずるいよ! 自分ばっかり休んで~!」
「体力がない分、多く休むのは仕方がないが、そろそろ手伝ってくれ!」
「バイヤー、そろそろサボりもおしまいみたいねぇ。金狼ちゃんにまで言われちゃったら逃げらんないや」
んじゃ君も、適当に頑張ってね。
軽い、愛想の良い笑みで俺に告げると、あさぎりさんは仲間の元へと行ってしまった。
その日からあさぎりさんを見なくなった。あれ見かけないな、どうしたんだろとは思っていたのだ。
何も衒いなく教えてくれそうな大樹くんに聞いてみたら、あさぎりさんは七海龍水の執事(専属の執事がいるって何!?)を起こして、そのまま道案内であっちに行ってしまったらしい。それっきり、戻ってきてはいないようだ。
なんだ。いや、まぁ仕方ないかな。往復するの大変な距離だし、あっちでやることも多いんだろう。
でも案外あさぎりさんの不在を残念がっている奴は居るようで、俺以外にも男女ともガッカリしているのが多く見受けられた。
「ゲンくん、よく声掛けてくれてたから居ないのちょっとさみしいなぁ」
「分かる~、あと血の気多い奴らが喧嘩してる時すぐ飛んできてくれたしね~。あの人アタシよりひょろいのに」
「俺も言い合いの仲裁されたことあったけど、そのあとに色々気遣って話聞いてもらってさ」
あちこちから、そんな話が聞こえてくる。すごいな、俺あさぎりさんとは話す方だと思ってたけど、こんなに皆とも話してたんだ。
次に顔を見られるのはいつだろう。その時にもきっとあの人は、誰かの世話を焼いているのかもしれない。俺以外の誰かを、当たり前のように。
ようやく石油が見つかったらしい、という話が届いたのは秋がすっかり深まった頃だった。相良油田なんて名前も知らなかったけど、本当に見つかるもんだな。
石油からガソリンを作って、オイルテストを兼ねてモーターボートで海に出た彼らは『何か』に出会った、らしい。
それについて、出会ったあさぎりさんたちは集まって話し合いをしているそうだ。あの上にある部屋で。
俺たちは俺たちでやれることをやるだけだと大樹くんがデカい声で話している。それもそう、なんだけれど。
彼らは今ここに居るメンバーの中でもっとも頭のキレる五人だとコハクちゃんが言っているのが聞こえる。千空とクロム、羽京さん、七海龍水、それからあさぎりさん。そうなんだろう、それもそうなんだろう。
(遠いな)
テレビの中に居た頃よりも、ずっと近い筈なのに、近付けた筈だったのに。いや、いやいや、でも接点があるんだから十分近い。そうだよ。大丈夫。目まぐるしく変わる状況の真ん中近くにいつもあの人は居るんだから、変わる現況についていけばあの人は必ず居る。傍へ行ける。
大丈夫だ、そう自分に言い聞かせた。
俺はタイミングが合わずに作っているところを見ていなかったのだけれど、千空が電球のようなもの?でレーダーを作り上げ、更にクロムがそれを使って金属探知器として使って鉄鉱石の鉱脈を見つけ出したらしい。……いや意味分からん。
レーダー作って? 船につけて魚群探知機としても使って網で魚を大漁に獲ってきて? それ見て地面にも使えるんじゃないかと閃いて鉱脈を探り当てた?
正直なところ、何をどうやったらそんな発想が、それも義務教育的な勉強をしたことがない奴から出てくるのか理解ができない。いや、逆か? 何も知らないからこそ、なんだろうか。少なくともクロムより基礎的なことを勉強したことがある筈の俺は何も思い付かなかった。……確かに今の面子の中で上位の頭の良さだわ、うん。
それは、まあいい。鉱山での仕事を割り振るとなったとき、俺はそちらに立候補をした。鉱山での仕事は大変だからローテーションになるそうだけれど、恐らく仕事始めだというなら、今はあさぎりさんが居るだろうと思ったから。あの人、新しい作業場が増えると必ず全体の様子見がてら何かしら仕事してるし。
俺の読み通り、あさぎりさんは車で鉄鉱石を川まで運ぶ役目を担ってた。
お久しぶりです、そうあさぎりさんへ声を掛ける。ちょうど何かの図面を千空と眺めていたあさぎりさんは、俺へと顔を向けて、おひさ~、と明るく返してくれた。
「……、あさぎりサン?」
その時、俺の呼びかけを聞いて、千空は訝しげな顔をする。
「ん~? 何ですかぁ~、石神さぁ~ん?」
「ヤメロ。あ゛ー……や、そう呼ぶ奴あんまり居ねえから珍しいと思っただけだ。気にすんな」
「そうだねぇ、全体的に皆して下の名前のが多いか。でも呼びやすいように呼んでもらって構わないよ~」
……ふと、この流れでなら下の名前で呼ばせてもらっても良いんじゃないかな、なんて事がちらと頭を過る。ただ一方で、あまり呼ぶ人が居ない名前の方が印象的だろうかとも思う。迷い、一瞬の間が空いたその隙をつくかのように、千空の名前が大声で呼ばれた。
「お呼びよ~、千空ちゃん」
「んじゃあと任すぞ、メンタリスト」
「はいよ、お任せあれ」
「行ってくる。あ゛~……鉱山での仕事はぶっちゃけかなりキツい、ヤバくなる前に周りに言ってくれ」
気遣うような言葉を俺に投げてから、彼は呼ばれた方へ走り去っていった。
「千空ちゃんも今言ったけど、洞窟の中ってだけで閉塞感もあるし慣れるまで結構しんどいと思う。無理しないで、休みはきっちりとってね」
その後、あさぎりさんから話を聞きながら俺の持ち場となる場所を案内され、先に仕事をしていた班員たちと合流をする。
「案内ありがとうございます、ゲン、さん」
「どういたしまして。こういうのも俺のお仕事だからねぇ」
じゃあみんな頑張ってね、と言い残して、彼も去って行く。呼び名を変えたことは、何も言及されなかった。
今まで俺は麦畑に居て離れていたから知らなかったが、ゲンさんはあちこちに顔を出しながらも自分に任された仕事……例えば今回で言えば鉱石の輸送などもやっていた。その上で何かあれば、いや、特に何もなさそうでも千空の傍らへ寄っていき『それ俺じゃなくても良くない!?』などと叫びながら細かい手仕事を割り振られたり、『待ぁ~った千空ちゃん、それよりさぁ……』などと二人で悪い顔を寄せ合って話し込んでいたり。気が付くと彼らは並んでいる。
きっと俺が見ているからなんだろう、時折ゲンさんじゃなくて彼の方と目が合うことが増えた。最初は何かしら用があるのかとこちらを伺う素振りがあったが、今じゃ気にされることもない。
ようするに、俺の視線なんかは意識するようなものじゃないってことなんだろう。どんな風に俺があの人を見ているのか、頭の良い彼が気付いてないわけないだろうから。面白くない話である。
……、と、思ってたのだけれ、ど。
「おひさ~。鉱山の班、どう?」
ある日、鉱山へやってきたゲンさんが俺を目掛けて寄ってきた。明らかに、他の用事ではなく、俺に向かって。うれしいよりも何故が先立つ。俺がちょっと警戒したのが見て取れたのか、ゲンさんは仕方ない子を見るような顔で小さく笑う。
「そんな目で見ないでよ」
ドキリとする。ちがう、警戒するなんてヒドいってだけの言葉だ、これは。俺は今この人をやましい目でなんか見てないんだから。
「いやぁ、ね? そろそろ全体の配置換えとか考えててね、ここの作業ってしんどいし回転早めにしてんのよ。来たばかりだから大丈夫かな~と思ったんだけど、確認」
「そ、う……ですか」
「しんどくなってきたけど千空ちゃんにそれ言い出しにくくて~って人も案外と多いから、定期的に俺が聞いて回ってんの」
また彼なのか、アンタの行動の理由は。……いやちょっと待て、もしかして千空、あいつ俺がたまに見ている理由をそれだと思ってたのか? 言い出しにくい何かがありそうだからとゲンさんを俺に派遣してきた? 嘘だろ、何も気付いてないのかよ、俺がどんな気持ちでお前たちを見ていたのかを!
(何なんだよ、なんで)
そんなに鈍感でいられるんだよ、お前にこんなにも寄り添ってくれる人へ向かう邪な感情を! 気付けよ、気付いてくれよ、お前は凄い奴なんだろう!? あの獅子王司と並び立って勝つような、そんな凄い奴なんだろう!?
なあ、あさぎりさんを見ろよ、俺が腕を掴んだらきっと振り解けないような人だ、お前だってそうだ、なあ、気付いてくれよ、俺みたいな奴を警戒しろよ、争ってくれよ、そうして皆が凄いというお前の才覚であさぎりさんを奪うなら俺だって認められるのに、何でそんな、力尽くでどうにでも出来る俺へ無防備にこの人を差し出すんだよ、何で、何で!
「……こき使われすぎじゃないっすか、ゲンさん」
俺は、まるで蔑ろに利用しているお前よりこの人を好きなはずなのに。
「いや、こういう調整こそ俺のお仕事でしょ~。力仕事は出来ないんでねぇ」
「そうですよ、こういう仕事ばっかするべきなんですよ」
俺の言葉に彼はうっすらと笑って首を傾ける。穏やかにも、軽薄にも見える、不思議な顔で。
「お気遣い、ありがとう」
やさしい声だ。感謝の言葉だ。それなのに、なんで、こんなに、壁を感じるんだろう。
「でもホラまだまだ人手、足りないし? 面倒くさくてもやらないと、ね」
そう感じたのは一瞬だけ、ぱっと笑って彼が言う。何だったんだろう、今のは。
「ま、君は今んとこまだ鉱山で頑張ってくれる感じっぽいね。助かる~!」
へらりと笑って、俺の腕をぺしぺしと叩いて、するりと側から離れていく。
「あの、……!」
思わず呼び止める。辛いかもしれない、という時に寄り添ってくれたこの人が、何故か今こんなに遠い。
「……いっこ、聞いていいですか」
「なに?」
振り返って笑う、よく見る愛想の良い笑顔。
「何でそんなに仕事押し付けられても、一緒に居るんですか?」
あなたマジシャンでしょう、メンタリストとかいうやつなんでしょう? ボロボロになって道を走ったり、畑でくたくたになるまで鍬を振ったり、酷く荒れた道を車で運搬したり、そんなことまで任せられる理由ないんじゃないのか。
そんなの、良いようにあんたのこと便利に使ってるだけだろう、寄り添ってくれるあんたを利用してるだけじゃないのか。なあ、あさぎりさん。あんたを大事にしないような奴の手にいつまであんたは居るつもりなの。
問う俺を見てゲンさんが、あさぎりさん、が、笑う。
「沢山理由はあるけど、君へ敢えて言うなら」
(あさぎりゲン、あの強気な感じが)
「俺を余すことなく使えんのが千空ちゃんだけだから、かな」
(格好良いんだよな)
去って行く羽織を眺めながら、俺は呆然と立ち尽くす。
(勝てない)
便利に使われているんじゃない、あの人は自分を使わせていただけだ。
最初から、考え違いをしていた。この男は俺の手に負える人間じゃあなかった。そりゃあ彼も……千空も、無頓着なままでいるわけだ。こんな強かな人間が俺程度にどうのこうのされるわけがない。
勝ち目なんかなかった、だって争うべきは千空ではなくあさぎりゲン本人だ。あの人は優しく寄り添っていたわけじゃなかった、その手腕をふるう場に並び立っていたんだ。上辺だけ見て寄り添われたいと思っているだけの俺を、あの人が対等と見なす事はないだろう。
今日も俺は鉱山担当で働いている。大変ではあるけれど、案外とここの仕事はあっているかもしれない。最近は地層の色とか鉱物についても少し分かるようになってきた。時折、手が空いてそうな時に鉱物についてクロムや千空へ訊ねては聞きたい答えの倍以上の内容に圧倒されたり、大体その場に一緒に居るあさぎりさんの制止に助けられたりしている。
日々は過ぎて、季節も変わって、一度は作れないのではと危ぶまれた帆船作りも着々と進んだ。そんな中を俺も何とか生きている。最近は仲の良い娘も出来た。
船員には、俺は選ばれなかった。選ばれても、俺は果たして肯けたかは分からない。
「そこでメンタリストが出ばらねえでいつ出んだバカ」
何ともヒドい言い草だけれど、彼に選ばれたあさぎりさんは、彼を選んで乗船を決めた。きっとこれから先もあの人はあの場所を選ぶんだと思う。
いつか友人を見付けたら、お前がファンだったあさぎりゲンと知り合ったんだと自慢しよう。そうして、お前が言った通り格好いい人間だったと俺が言ったら、お前は昔に雑誌片手で語ってたみたいにドヤ顔で『だろ?』と笑ってくれ。俺は肯くから、それで、流石は芸能人だった、知り合えたけどやっぱり俺とは違う世界の人間だったよと、笑うから。きっと笑うから。
だよなぁ、って、俺の言葉に肯いてくれ。
俺の乗らない船は、その日、海の彼方へ旅立っていった。