執着心 凪いだ気候が季節の変わり目を知らせ、日向は開花を照らしている。俺の膝元には先程から若造が一人猫のように微睡んでおり撫でてやれば長い髪は指通りが良くさらさらと解けて日頃いかに可愛がられているのかが伺えた。
「なあ、どうしてオレだったんだ。確かにオレは自分でも誇れる刀だとは思ってるがあんたの周りにはオレなんか目じゃないくらい立派なやつらがたくさんいる」
背を丸める仕草は本来の体躯より圧倒的に猫を小さく見せた。戦では刀種をものともしない様子で駆け回りその姿はさながら人並外れ皆から慕い畏れられた鬼と称される人間を思わせる。しかしその剣術はけしてうまいわけではなく、酷く癖のある太刀筋でそれ故に迷いもなかった。
まっすぐな意思を携え澄んだ目がこちらの回答を待っている。
「そんな事か。お前が良いと思ったからだ、和泉守。俺は他のどの刀でもなくお前の中の魂に惚れたのだ。ただ一人に愛された事で形を成した付喪神であるお前にだ。この俺が言うのだから信じろ」
ゆっくりと目だけを歪ませると僅かに猫は肢体を強張らせ、びくりとした感覚が脚に伝わった。力の差が物を言う。
先程の執着は猫に望まれているような言葉かと言えば嘘になる。俺自身は和泉守にそういった類の特別な情念はなく、そこにあるのは強く誇り高い獣を飼い慣らし服従させる悦びだけだった。矜持を折り屈せざるを得ない時の感情と理性に揺れ惑う姿が、覚悟を決めた強さを宿す鋭い光が灯った浅葱が美しくなにより若いあの身が美味くて翻弄されている様は愉快であった。
尤もこれだけの言葉を連ねようと簡潔な表現で表してしまえば嬲りもの、或いは玩弄物だろうが。
「あんたは自分に正直だから自信がある、そんでもってそれ相応の実力がある天下五剣一美しいと称された美術品だ」
幾重に人々の間を渡り歩いたこの身はその人々に美しいと愛された故に形を成し天下五剣であるといった信仰と様々に謳われた美はその刀身が老いてなお、才色兼備と称すに値する力を人の体で発揮した。一方で和泉守が平生言うところの実用性と美の両立は夢に散った男の性からだろうから俺の質とはまた違うはずだが。
ゆらゆらと惑い、奇怪な衣服の腕を俺の背に回しすがるように背の布地を引いた。すがるような弱さを見せた和泉守からは平生の様子からは想像もつかない声で続いた。
「オレは違う。ここにいる和泉守兼定はあの人の遺品で誇りそのものだ。きっとそれ故にあんたを惹き付けるんだろうな」
「そうだろうな」
たとえこの俺の返事が心にもないと悟られていようともはやこの哀れな付喪神は俺から離れられないのだから問題はない。これもまた望み通り俺に選ばれたのだからいくら傷つこうと幸せに違いないのだからここに罪悪など介在するものか。
「さて、俺といるのに他の男の話などするものではないぞ。俺が嫉妬に狂ってしまうからな」
「なにをふざけた事を。今でも十分あんたは嫉妬に狂った鬼だ。本当に美しい化け物だよ」
半ば諦め、投げ捨てるような言葉には微かな酔いがあった。離れられない、戻れないのはきっとお互い様なのだろう。
「あっ」
指を伸ばせば躾けた体が跳ねた。ここに至るまでの過程がどれほどに美しかったか。今や退廃的な美を携えた若者は死の静寂を知った。これはこれでまた味わい深い。
「なぁ、もっとしてくれよ」
猫なで声で強請るなんて、ずいぶんと甘えるようになったものだ。猫のような男ではあったがそういった懐いた相手にも弱さを見せるような動作なんて以前は全くなかった。それでも一度押し開き慣らしてやり手懐ければなんと淫靡に溺れた事か。それこそいかに世間を知らない子供で、ずっと蝶よ花よと大切にされてきたからなおの事なのだろうが。
「はて和泉守よ、欲しがればなんでも与えられると思うでないと教えたはずだが」
暗黙として自分に差し出せと突きつければやはり静かに、表情が揺れ動く。その微細な変化からは心の底からの服従ではないことが伺えた。ああこうでなくては面白くない。一人、心の底では我ながら賎しく笑っていた。だからあの体が欲しいのだ。