針の重なる時間 男はいつだってオレより早起きで、寝起きの姿など見たことがない。本当ならばオレの方が男より早起きをして何時だってしっかりした姿でいたいのだが、きっとそれはあちらも同じだろう。じじいは早起きと言いながらも本質はオレの前で格好つけたいに違いない。
しかし今日は僅差だったのか三日月の眠っていた位置はまだ少し熱の名残がある。僅かな跡に少しだけ微睡めば白檀が鼻孔をくすぐっていく。
いつまでもこうしていたいくらいだがそうも言ってはいられない。惜しみながらのんびりと起き上がり詰まった関節を戻そうと体を伸ばしてから横目に大きな時計に目をやれば振り子は今日も規則的に時を刻んでいる。まだ時間には余裕があるなと思いながら布団をあげた。
着替えるだけの余裕ができれば最低限人前に出ても恥ずかしくない程度に持ち込んだ衣服を着込んで鏡の前で櫛を通していく。映る姿は寝起き相応のしまりのないものでみっともないが勝手に跳ねている癖毛だけは変わらず威勢が良かった。掴んだ一束を三ツ又に割り、再び一つになるように編んでいく。後ろ髪を押さえるためもうひと房を取り柔らかに纏めていくと控えめな装飾の嵌まった孔が露出した。最後にいつもの大振りな物に変える頃にはいくらかましな姿になった。
引いた戸の向こうは朝らしい静かな活力で賑わっており、廊下ですれ違う仲間に挨拶をしながら移動していた。今日は本当におだやかなもので、少し湿っぽい空気はいつのまにか凪いでいた。
葉に付いた珠の美しい様子に時おり目をやってはその空気を楽しんでいたがやがて目の前に慣れ親しんだ小さな背中を見つけた。小走りで追いかけそれにめがけて掌でとんっと軽く叩く。向こうは気が付いていてもオレが触れるまで気がつかないふりをしていた。
「おう、国広も今からか」
「おはよう、兼さん。顔色が良いから昨日はよく眠れたみたいだね」
オレによく似ている小柄な男は声を掛けると戯れじみているいつも通りの返事をした。明るく笑う姿は暖かな春の太陽のようで落ち着く。
「うるせぇ」
これに面白い言い返しが浮かばない、見た目こそもう殆ど普段通りだがどうやらオレの思考はまだ惚けているらしい。
「ねえ、今日も出るんでしょ」
思考が混沌としているオレの事など気に留めもせずに今日から出陣するのかを聞かれた。出陣続きになっているここ暫らくの恒例行事である。真っ直ぐな意思を向ける浅葱色の大きな目は少しだけ細められていた。不安を滲ませた声色がよりいっそ表情を強調している。
「ああ」
惚けからではない、関心の無さから生返事をする。改めて確認しなくとも繰り返され続けた問答には少し飽いていた。そもそもこの戦いこそオレ達の本分である。
「そう。帰り、いつになるかな」
出先で過ごした時間と本丸の時間は解離している。それ故にこうしてひと度出陣となれば親しい者からはたいてい惜しみの言葉が向けられるのがお決まりだった。勿論オレも例外ではない。
「帰ってきたらまたみんなで騒ごうよ」
国広は軽やかな声でオレが帰ってこないとは考えていないふりをしている。正直に言えば毎度よくこれだけの心配が時間の乖離があるとはいえ続くものだと思う。それでも本人は至って真面目に一振目ではないオレを心配しているのだからそれを馬鹿にするつもりはない。これもまた国広らしさなのだろう。
「あ、たまには部屋に戻ってきてね。いつも三日月さんと一緒だと少し寂しいよ」
「お前もそろそろ子離れしたらどうだ?」
この脇差は冗談めいて寂しいと言っているのをよく知っているからこそ、あえてそう茶化した。
「そうだね。それに人の恋路を邪魔すると馬に蹴られるらしいよ」
国広もオレが戯れで離れろと言ったのを分かっているからこそ言葉を吟味しながら真面目に考えこむ素振りをしてみせた。心許し合う仲ゆえのやり取りは三日月とは到底できない事だった。
「そんなことばっか言ってると置いてくぞ」
「あ、ちょっと、待ってよ」
他愛もないやり取りをこの後も何回か相棒と交わしながら広間へと向かった。
目的地の広間で展開されている朝食の風景はいつもと変わらない。既に食べ始めていた者の膳では数品のおかずに汁物、白米とオレたちのために安定した贅沢が供給されている。日の光に艶めいて今日も美味しそうだ。
穴の開いた座席たち、その中の適当に空いた所へオレ達も腰を下ろすと当番に宛がわれたものが奥から温かな白米等を出してくれる。
いくら広い本丸とは言ってもこれだけの刀剣男士が共同生活をしているとなれば最も広いこの部屋でも一度には対応出来ない。だからこそ主の令でこうして皆の食べる時間はずらされたのだが、時間差があろうと皆に平等に温かな食事が供給されることを贅沢以外に何と呼ぼうか。
国広と軽く手を合わせてから一口食べれば作ってくれた者の心遣いが分かる繊細な味が広がる。こうして人の営みの真似事を通じて感じる相手の心がオレはとても好きだった。
「今日も美味いな」
「そうだね」
国広は短い返答をしてから表情をふわりと緩める。こうして隣に寄り添い共に笑う相棒も、少し遠くからずっとオレに慈愛の目を向ける愛しい人も、なにもかもが人の真似事でも確かに日だまりの中に存在した。それだけで十分に幸せだった。
それにしても三日月が食べている姿は官能的で美しい。誰かと談笑もせずに黙々と食べているのだが、これは恐らく習慣によるものだろう。しんとした様子は三日月に良く似合っていた。これは大袈裟かもしれないが、美しい所作と容姿が相まって一人だけこの世の物ではない食べ物を口にしているような気さえする。一口、また一口と上品な口許へ運ばれては咀嚼されていく。まるでいけない事をしているような食事の様子は目に毒だった。
そしてあまりにも可憐なものだから恐れ多くもあの男の無垢さを踏みにじるように手酷く抱いてみたいといった邪な思いが湧いてくる。神聖で穢れを知らないような、新雪を思わせる男の秘匿された領域へ最初に踏み込みたいと。しかしオレは三日月が誰よりも無垢には遠いことを近くで見ている。博識で様々なものを見聞きしてきた男は誰かのために盾になり時には他者のためにと率先して身を落としていく、そんな傷だらけの姿や醜さを皆にひた隠しにして天下五剣一の美を体現し咲き誇る様はまるで蓮の花のようだ。誰にもそれを見せずにいながら誰よりも優しくて強い。そして、故に孤独で美しくもあった。だからこそオレはあの人の傍に寄り添ってひっそりと壊れてしまわないようにしてあげたい。きっと若造がこう言ってしまうのはおこがましいのだろうが。
「ねえ、兼さん」
「お、おう。なんだ」
そんなオレの傲慢な思考から国広の声が意識を呼び戻した。
「前から気になっていたんだけど、三日月さんと食べなくていいの?」
国広が少し首を傾げると癖の強い長めの前髪がひょこっと揺れる。
「いいんだよ、ずっと一緒にいても向こうだって疲れるだろ」
などと言い訳をしたが本当に疲れるのはオレの方だろう。これだけ男を考えている事もそうだが、隣でというのは躊躇われた。三日月の食べる姿は神聖な儀式のように近寄りがたい空気を纏っているもので遠巻きに見るのはともかく、とてもではないが隣は遠慮したい。なによりもあの官能的な動作を間近で見ていたら正気でいられる自信がなかった。魔性の気に当てられて妙な気を起こしそうだ。
「そうかな」
「逆に何でそう思うんだ」
国広だって三日月の食事姿がどれほどの魔性を持っているかも、オレの邪な考えもお見通しのはずだ。だからなぜそう思ったのか、率直な疑問だった。
「大好きな人と少しでも長く一緒にいたいって思わないの?」
この言葉をオレに向けられたのが予想外でありながら、実に国広らしい考えを反映した回答だった。
「はぁ……そう言うおまえはどうなんだよ」
「僕は全部好きな人の思うままの世界になったら良いなって思うから、その結果がそれならそうするよ」
「そうかい」
この意見なき意思は一見相手を尊重しているようである意味では一番わがままな欲望だった。国広のこういった勝手なところが時々心配になるがきっとオレが気にしたところで本質的な在り方に変化など無いだろう。
「それに、誰かさんの目線がずっと三日月さんを追いかけてるからね」
お行儀悪いよ、と添えられる。これも戯れに過ぎない会話だ。それでもやはり国広がオレの事をよく見ている事に変わりはない。指摘につい頬が熱くなり、無意識につつき回していた切り身を一口程に切り分けて控えめに口に放り込む。ああ、どうもしょっぱい。
「誰がずっと見てるって?」
「まあ、三日月さん綺麗だもんね。気持ちはわかるよ」
うんうん、とわざとらしく首を縦に振り納得を示している。
「理解されてたまるかよ」
「はいはい、あの人を兼さんより間近で見られる刀はいませんよーっと」
「馬鹿、やかましいぞ」
相棒はまったく楽しそうに笑うもので、やはりオレとどこか似ている。しかし穏やかな慈愛の中にある戯れに妙にむきになってしまった。
「ほらほら、早く食べないとせっかくのお料理が冷めちゃうよ」
「へいへい」
これ以上相手にするだけ無駄だと目の前にある膳に目線を落とした。
それから暫く、談笑しながら食べ進めていく。どの料理も時間が経つにつれ少しずつ出来立ての温かさを欠いていくがそれでも込められた作り手の気持ちが失われていくことはない。
「ごちそうさま、僕は先に戻るね」
国広はオレより少し早く食べ終えると簡単に手を合わせて去っていった。
「なんだかなぁ」
せわしなく去る姿を見送ったオレが食べ終えたのはその少し後だった。食べ終われば同じく軽く手を合わせてから急いで自室に戻る。支度があるのだからのんびりはしていられない。時刻は時計が最も美しい時間を過ぎている。自室には国広の姿がなく、代わりに手入れのされた防具や懐紙をはじめとする消耗品の予備などがきっちりと置かれていた。
用意された気遣いに少し気恥ずかしさを覚えながらそれらを一つ一つ噛みしめるように身に付けていき最後にあの人達の象徴である羽織に似せられた外套を纏った。髪を出したところで姿見に己を写せば光に切り取られた空間の中にはいつもの姿がある。
「よし」
消耗品は足りないものだけを幾らか補充して残りは二人の共有の棚に戻した。
壁掛けの少しだけ早めてある時計は長針と短針が重なる少し前、すなわち集合時刻ぎりぎりを指している。あまり時間厳守というわけではないのだが余裕を持っておかねば悪いと急いで皆のいるところへ向かった。
門前では次にいつ会えるか分からない一時の別れを惜しんで見送りの者で賑わっていた。そこにはいつも通り国広の姿だけがある。
「いってらっしゃい、兼さん」
「ああ、行ってくる」
見送りの群れに混ざらず遠巻きに視線を送る男にも心の中で返事をする。必ずあんたの元に戻ってくる、と。
さて、肝心の結果は上々で負傷こそあるが誰一人欠けることなくまた人の営みの真似事の中へと戻ってきた。
「おかえりなさい」
「向こうはどうでしたか」
「お怪我をされた方はこちらに」
門はまた閉じて時刻を知る者や偶然居合わせた数名がおり、いつもより賑やかであった。出迎えはめいめいに部隊の帰りを迎える声を上げている。
手入れ部屋が空くまでは暫く自室で休むとしよう。同部隊の者らには特に声を掛けず、帰還を喜ぶ皆を横目に門前を離れていった。
人の少ないところまでくればゆっくりと力を抜いた。やっと気を緩められる、そう思い長い息を吐くとずっと後をついてきた男がようやくオレに話しかけた。
「お前、また他の者を庇って負傷したらしいな。今度は短刀を庇ったのだと聞いた」
怪我をして帰ると、この男はこうして小言じみたことを言う。確かにオレはあんたとは違って無傷で帰れるほど強くなどない、しかしたとえ真実であっても言われ続けるのは気分が悪い。
違う、どうにもこの話題は居心地が悪いものだったからだ。たったひとつ、単純にお前は弱いと言われているのが植物の棘のように鈍く皮膚を食い破りそうだ。
「帰ってきてまた早々それかよ。あんたには関係ないだろ、それとも嫉妬でもしてんのか。天下五剣の名が聞いて呆れるねぇ」
ことあるごとに勝手を押し付ける、酷く独占欲の強い男なのだ。息苦しい支配でさえもどこかこの人を愛らしく装飾していて可愛いなど思うのだからオレも末期なもので。一方、三日月は美しくも険しい物から愛嬌のある呆れ顔に微妙に表情を変えた。
「いや、そういうつもりでは」
いつのまにか組んでいた腕を解いて何かに縋りつくようにおずおずとオレを撫でようと伸ばしたのを軽く払いのけると、寂しさとも執着ともとれる光が眼に入った。
「そんな寂しそうな顔しなくてもオレにはあんただけだよ」
ぽんと肩を軽く叩いてからその後の顔色を伺いもせずにあしらうと、オレは急ぎ足で廊下を駆けて行った。
自室に戻ると相部屋の国広が茶を淹れようと待っており、ここを出る前と変わりの無い笑顔が迎えてくれた。
「手入れ部屋よりも先にこっちに来ると思ったよ、三日月さんとはちゃんと話せた?」
国広はいつだってオレの考えを先回りしている。気にしているのを分かっていて意地悪に聞くのだ。尤も、本当に聞かれたくないとは思っていないことも織り込み済みだろう。
「別に、いつものやつだ」
「そう」
営みの中では誇らしい外套でさえ邪魔になってしまう。だから邪魔にならない様に国広に今回の事を話ながら格好を寛げた。
一方の国広も適量の茶葉を出しながらオレに相槌を打った。濃さが均等になるように丁寧に少量ずつ、二つの湯呑に順番に注いでいく。
あまりばさばさと埃を立てるのも悪いと思いながらも次から次へと武具も留め具を外していく。身に付けるにはあんなに時間がかかるのに、脱ぐのは一瞬だ。
「兼さん、ちゃんとそこにおいて」
「おう」
言われなくてもそのくらいは、など思ってしまうが余計に世話を焼いてくるのも含めて、恒例行事だ。特に破損が無いことを確かめると然る位置に仕舞い、国広の隣に座り込んだ。
「はい、できたよ」
よくできました、とでも聞こえてきそうな笑顔でオレの前に茶が出された。湯飲みを受けとり一口含むと馴染みの香りがふわりと広がっていく。その傍らで国広は衣服をたくし上げて負傷した部分を確かめた。
「あれから何年がここで過ぎた」
「……まだ何時間かだよ、たぶん」
清潔な布で覆っていたオレの傷を軽く消毒するために邪魔そうに急須を脇に退けながら少年の声がそう答えた。
覆っていた布は乾いた傷に貼り付いている。布の上からそれを確かめると僅かに嫌な感触を覚える。止血こそ出来ているが肉はぱっくりと裂けたままだ。
「っ、そうか」
「ごめん、痛かった?」
「このくらいどうってことはない」
そう、と形式的に返る。戦場を考えればこの程度の傷などあってないようなものだ、しかし人の身というのは傷の大小を問わずに痛いものは痛い。
「向こうにはどのくらい居たの?」
「ほんの数日だ」
会話の中で時間の単位が錯誤する。オレ達が向こうで過ごした本当の時間はおよそ六百時間程だ。悠久の時を生きる刀の付喪神であり、物語でもある刀剣男士にとってこの程度は誤差にすぎないから多少の虚偽報告は問題ないだろう。
「でも仲間を庇ってこれなんて兼さんらしいけど、こういうのは程々にね。誰かに帰りを望まれるようになったってことを忘れないように」
「ああ」
そんなもの、言われなくても分かっている。だがそれはオレが庇った奴も同じだ。あいつだって誰かに帰りを望まれているのだから、少しでも多くの者が帰れるに越したことはない。より近距離で戦わざるをえない短刀は合戦場のような広いところが得意ではない。加えてあの体格なのだからオレのような者が助けに入るのは何も可笑しな事ではないはずだ。
「とりあえずその子は無事だったんでしょ。ほら、簡単には見たけどそろそろ兼さんも手入れされてきたら?」
「そうだな」
この程度ならしっかり手当てをしてあれば後は放っておいてもすぐに塞がるだろう、だがオレを心配してくれる三日月たちのためにもと思い気乗りはしないが手入れ部屋へと向かった。
何部屋かある内、唯一使用されていた部屋から丁度庇った者が出てきた。オレの姿を見るなりすぐに頭を深く下げて礼を述べた。その姿に改まらないでくれと一言交わし別れた。
「主、良いか」
障子越しに伺いを立てるとすぐに了承された。応じて開いた紙と木枠の向こうには安らぎを覚える慈愛の姿がある。
「和泉守だね。話は聞いているからこっちにおいで、まずは具合を見せてごらん」
おいで、ともう一度言いながら手招きをする主に寄っていくと先程布を当て直してもらったところを差し出した。
「この下だね。あぁ可哀想に、痛かっただろう」
「あまり子供扱いしないでくれ、いくらオレでもあんたよりはずっと長い時間を生きているつもりだ」
「すまないね、私から見れば皆我が子のように可愛いものでつい」
はにかんだ主の顔からは穏やかな性格がよく出ている。その様子は戦の、それも前線の指揮官としては不安を覚えるほど優しいものだ。
「うん、思っていたよりは深いが適切に処置もできている。この程度ならすぐに終わるよ」
具合を見終わると長い溜息をついて、もう一度傷を布で覆うとオレ達にはよく分からない仕組みで傷を塞いでいく。肉体の感覚としてはまるでその部分だけ時間が早く流れているような不思議な感覚だった。
言葉通り手入れでさして時間はかからず、皮膚に傷跡さえ残さず癒えた。傷になっていた部分を少し撫でているともしも本当に人と同じように傷痕が残っていたなら一体どれだけの跡がオレの体にあるのだろうと考えてしまう。いつも消えていく傷を見ているとそんな気持ちにさせられるのだ。
「どうかしたのかな、まだ痛むかい」
塞がっていなさそうならもう一度試みるが、と申し出た。どうやら傷だった所を擦って不安げな顔をしたからそう思ったらしい。
「いや、問題ない」
主に礼をのべながら手入れ部屋を出ると入る時には無かった優美な男の座り込む姿がなぜかあった。
「手入れは終わったか?」
「なんだ、まだ言いたいことがあんのか」
こんなところまで追いかけてくるなんてしつこい、と添えるが涼しい目元はただ笑うばかりだった。
「自惚れるな、俺は主に用があるだけだ」
「そうかい」
早く行けと促され、入れ替わりで部屋に入った男の背を見送るとどこへ行くでもない足でふらふらと彷徨い、行き先もないのに不愉快さが足早にさせていく。
いくら庇いに入ったとはいえ二人とも無傷とはいかなかった。オレに庇われた男士が気にしすぎていないかだけがずっと気がかりだった。
何処へ行こうか、など思ったが当然三日月の所に行く気にはなれず、迷った末に自室に戻った。部屋の真ん中に置かれた丸い机には置手紙があり、癖のある国広の字が紙面に踊る。皆で長曽祢さんの所に集まっているからおいで、と書いてあった。要は内輪で集まっているから来いということだ。
特に仕事もやり残しもないならば良いか、と戻って早々に自分たちの部屋を後にした。
目的の部屋は障子越しでも中の賑わいが伺えた。
「お、もう始めてるのか」
三日月との鬱屈を払うように障子を横に引いて親しい者らに声をかける。
「和泉守が遅いだけだよ」
早くおいでよ、と呆れながらも大和守は首をかしげてふわりとした髪を揺らした。大きな山なりのたれ目が愛らしい女の子を思わせてならない。
「まあそう言うな、せっかくだから騒ごうじゃないか」
そんな様子を取りまとめるのが長曽祢さんの役割だ。今日は既にだいぶ酒が入っているのかすっかり顔が赤いが。
「安定も、明日もあるんだからほどほどにね」
「兼さん。こっち、こっち」
呆れ声を出す加州と手招きをする国広との間にオレは腰を下ろした。
次の出陣も明日に控えている。自身の酒への弱さを考えればそちらは控えるべきだろう。
「ほら、せっかくだから少しは飲んでもいいんじゃない?」
「おう」
とは言えこうして気を緩める瞬間は休息として最良の過ごし方だろう。そう思い国広に勧められるままに口を付ける。一度に飲んではすぐに酔いが回る、だから少しずつ時間をかけてそっと一口。
含んだ一口がじわりじわりと体を熱していく。己の先までの悩みなど馬鹿らしいとばかりに思考が回らなくなり、ここにある身内の賑わう空気を純粋に楽しめた。
いつもと殆ど変わりのない大和守ら、いつもよりも楽しそうにする長曽祢さん、そしてどちらともつかない国広。宴とまではいかない些細な物なのだが小さな内輪の光景は帰る場所に帰って来たと改めてオレに覚えさせていく。
しかしそれも永遠の時間ではない、故に小休止として最良なのだ。小休止が終わればこうして眠りへと向かいだし静かになっていく。一言断りを入れてからオレと国広は先に部屋を出ることにした。
障子を開けば廊下はすっかりと低い室温に支配されている。
「んじゃ、また明日な」
簡易に明日また会うことを誓い、二人で部屋を後にした。
「兼さん、行ける?」
それとも一緒に行ってあげようか、と子供に言い聞かせるわざとらしい口調で言われた。直接言ってはいないが要は一人で行ってこいと急かされている。
「馬鹿にするな一人で行ける」
「はいはい、ちゃんと仲直りしておいで」
どうして喧嘩をしている前提なんだ、まったく一言多い。