花謳い 縁側から見える桜の木は満開を少し過ぎたくらいだろう、生き急ぐ花びらは風に乗っている。強い風に煽られて淡い色合いにも関わらず強かに庭一面を染める様は儚さよりも華々しさを感じた。
「やっぱり良いな、あんたもそう思うだろ?」
隣で不愉快そうに春一色に染められた落雁を弄ぶ愛おしい男にも問うが、顔は晴れず暖かな季節には似合わない。弄んでいたものを口に放り込んで齧りもせず、そのまま一度湯飲みを傾けて茶を飲んでから答えがあった。
「さぁな、俺はその桜に嫌われているからよくわからん」
「なんだそれ」
妙な言い回しを軽く笑うが男の険しい顔は変わらない。冗談のつもりだと思ったのだがどうもそうではないらしい。三日月が桜が嫌いだとではなく、至って真面目に桜に三日月が嫌われていると言っているのだから妙なもので。
「で、なんで天下五剣様は桜に嫌われてんだよ?」
物言わぬ木に嫌われているとはっきり言うならば相応の根拠があるはずだ。問えば湯飲みを置いて真剣な顔で、しかしいつもの穏やかな口調のまま理由を語りだした。
「昔、こいつの根本にある者の遺品を埋めたのだ。それ以来こやつに嫌われているような気がしてな」
要は嫌われるだけのことをしたのだから嫌われているだろうという話か。まるで本当に嫌われているように先程までの風はやんで春色の侵食が一時的に中断された。
「なんでまたそんな事したんだよ。だって遺骨ならまだしも遺品だろ、普通埋めるか?」
それが妙だった、嫌われたと後悔するくらいならなぜ埋めようと思ったのか。ましてや形見としてきちんと貰ったものではなく遺品だ。どんな間柄ならそんな事をするのだろう。
先程まで嫌悪を示していたとは思えないような遠くを見ているような顔で三日月はなおも花に目を向けてオレの方など見やしない。
「遺体がここにはなくてな、せめて墓の代わりの場所をここにして弔いたかったのだ」
俺もこの花が好きだったから、と言う。好きならばなおのこと男の考えがますます分からなくなる。いや、好きだからこそこの場所が良いと思ったのだろうか。
「でもなんでまた桜の下なんか選んだんだよ。あんたの好きなもんに嫌われてまで、そいつの為にここにしなきゃいけなかったのか?」
「その者もこの木を本当に愛していてな、それが少し悔しくて俺はこの根本に埋めたのだ」
呆れた、よりにもよって木に嫉妬をするなど。この男が桜の木ごときに負けるはずなどないというのに。暫く凪いでいた風が動き出すと再び降り注いだ吹雪に自身を乗っ取られたように、思考と理論からはかけ離れて脳裏に浮かんだ言葉を口にする。
「そいつが好きだったのは本当に桜だったのか?」
「まあお前が来るよりも前の事だ、忘れろ」
「そうかい」
目線を木の根本へ落とした恋人の横顔は酷く悲しそうだった。