特別な日 涼しげに抜けている風が季節の香りを運んで肺を満たす。しかし和泉守はそれに長い髪を煽られるのをよく思わないようで、うっとおしそうにかき上げてから活字に目を通した。今日は人が少ないこともあって時折聞こえる紙をめくる音と漏れるような喉をならした色っぽい音がする。
「和泉守、祝ってくれ」
「突然なんだよ」
その隣に移動して先程までは真剣だったであろう倦怠感を感じる虚無の顔を覗き込んだ。近距離で見た額は少しばかり汗ばんでおり、色事の様を思わせる。それに嫌がるだろうと思いながらも抱き付いたが、俺を追い払う方がむしろ面倒だと言わんばかりに和泉守は動かなかった。それを良い事に鼻を首筋へ近づければ長めの髪が俺をくすぐる。
「人は生まれた日を祝う。しかし俺達は付喪神、ならば記念日をお祝いしよう」
英文学のようになんでもない日を祝うほど俺は気狂いではないと、だから今日なのだと嬉々として和泉守と今日を祝おうと思った。しかしその思いとは裏腹に和泉守は動かない。その代りに呆れられたような反応があった。
「なんだかなぁ」
「お前にも誕生日のような、そんな日があるだろう?」
釈然としないようでいまいち話題に乗らない様子にはお構い無しに首をかしげながら問うと、和泉守はあからさまに調子を変えた返事をした。
「もし、誕生日なんてもんがあるならオレはたぶん、五月十一日だ」
調子が変われど和泉守はやはり読み物から目線を外さないままだった。しかしはっきりとした口調で誕生日として迷いなく答えた。なぜ、俺と揃いの今日ではないのだろうかと少しばかり寂しい思いをしながらも和泉守にその意図を問う。
「なぜ、そう思うのだ?」
読み物を邪魔するように細身の男に抱きついている腕をきつくすれば観念したように手を止めて俺の頭をぽんっと軽く叩いた。その手に甘えれば和泉守は飼い犬を可愛がるような優しい目をした。
「そりゃぁ……オレのたった一人の主の、あの人の命日だから」
そう落ち着いた調子で言うと遠い記憶に思いを馳せるようにして話を続ける。
「あの日、オレのあの人の和泉守兼定としての物語が確立した。だからきっと──」
少しずつ小さくなる声、伏した浅葱の目が平生に無い儚さを携えていて愛おしい。