イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    DA-190 SS集幸せの続きFake探すのは墓標に刻むため機械と獣No RecordFluorescent Oil
    幸せの続き
    「ゔ、あぁ、あ゛――――‼」
     義手を外して眠ったはずの夜。ブラッドはシーツの上、絶叫して身をよじっていた。
     K.G.Dの戦闘員だ。それなりの家を借りている、むしろ義手になってから新たに家を探す際に防音性も相当考慮したから、いくら叫ぼうと喚こうと気にしなくていいことだけが救いだった。
    「あ゛ぁっ、が、うぐ、ぁあ゛ぁ」
     そこに無いはずの腕が痛む。焼けるように燃えるように痛むその場所に手を当てることすらできず、ブラッドはシーツの上で転げ回った。耳に滑り込む声を、己の叫びで無理やり掻き消す。
    「ぶラっド」
     不自然に揺れて機械音の交じる声は、ブラッドがその喉を蹴りつけてしまってからそのままだ。歪んだ人工声帯が、メンテナンスされないまま気色の悪い声を発している。
    「ブラッど、ゆっくリ。深呼吸ぅ、ヲ」
     ベッドの足元からゆらりと立ち上がった長身が、おもむろに手を伸ばしてくる気配に、ブラッドは唸り声を上げて片足を振り上げた。ど、と、最初の感触こそゴムのような弾力のある柔らかさがありながら、その人口皮膚、人工筋肉の奥にある硬い金属の感触がすぐに伝わる。
     蹴られた彼の喉からノイズが零れた。
     彼はアンドロイドだ。両腕を失ったブラッドの生活を維持するための、家事・介護型アンドロイド。
     ブラッドはもう型番を忘れた。シリアルナンバーは、800番台だったか、900番台だったか。
     しかし、ブラッドに蹴りつけられてもなお、彼はブラッドの肩を押さえて動きを封じようとする。
    「ゔぅぅ、」
     ブラッドは唸りながら彼を睨みつけた。無機質なスチールグレイの瞳は、その色だけは『彼』と同じだ。かっと腹の底が熱くなって、ブラッドは再び脚を振り上げた。――、振り上げようとした。
     不意に全身から力が抜けて瞼が落ちる。ああ今日も、とブラッドは遠のく意識に身を任せた。鎮痛剤だか鎮静剤だかを打たれたのだろう。
     ――ブラッド
     低く落ち着いた、機械音も交じらず涼やかによく通る声が、暗闇に落ちていくブラッドの意識を包み込んでいく。
     この瞬間だけが、ブラッドにとっての安らぎだった。


     『彼』は、型番GB‐190、シリアルナンバー0722のアンドロイドだった。優秀な戦闘型アンドロイドで、自警団ではブラッドとバディを組み、強盗など暴力事件の鎮圧を主な役割としていた。
     ブラッドはじめ自警団の仲間たちは、彼の黒髪と結び付けてそのアンドロイドを『ダーク』と呼び、人もアンドロイドも変わらずに接したものだ。
     あの、アンドロイドたちの反乱が起こるまでは。
     途切れ途切れに体表で紫電を瞬かせながら、ブラッドの目の前でオイルをぶちまけて崩れ落ちた彼の姿は、今でもブラッドの脳裏に焼き付いているのだろう。ブラッドはうなされるたびに、その名前を口から絞り出している。
     機構の中枢部を破壊されながら、ノイズの奥でかすかに紡がれた彼の最期の言葉を、ブラッドは聞き取れなかった。
     アンドロイドのダークは、暴走したアンドロイドからブラッドを守って破壊された。
     アンドロイドすら殺すアンドロイドに、感情などあるものか。ブラッドは叫ぶ。そしてアンドロイドを壊す。アンドロイドを憎む仲間たちとともに、アンドロイドを憎みながら、同時に、ダークだけは違ったのだと心の奥で必死に彼の感情を信じて、怒りと憎しみを奮い立てて生きている。
     ブラッドに蹴られた胸をさすりながら、型番DA‐190、シリアルナンバー0821はため息をついた。彼は、シリアルナンバー0723から数えて99機めのDA‐190型アンドロイドだ。初めてブラッドに支給された0723機以来、0724、0725と、激痛に耐えかねた、あるいは癇癪を起こしたブラッドによって、ほとんどが一週間前後で破壊されているDA‐190シリーズの最新機にして、もうすぐその機体も限界を迎えるだろう一機。
     静かに、整った寝息を立てているブラッドのベッドの足元へずるずると座り込んで、0822はぽつりと音声を漏らした。
    『……まタな、ブらッド』
     DA‐190は、GB‐190を家庭型へ移植した型だ。そして、ブラッドのサポートをするならばそのほうが効率が良かろうと、GB‐190・0722のバックアップデータを元に構築されたAIが搭載されている。
     そしてそのAIは、DA‐190・0723からもずっと、この0821までデータを受け継いでいる。0821のデータも、100機めとなる0822へとロードされるのだろう。
     ダークの最期の言葉が、ブラッドには聞こえていなかったと知ったのは、何機めのDAだっただろうか。
     自分のバックアップデータがあることをダークは知っていた。だから『またな』と言ったのだ。だが、ブラッドはそれを聞くことのないまま、唯一無二の相棒を失った。
     それが良かったのか悪かったのかと聞かれたら、0821は『良かった』と答えるだろう。彼にとっての0722に、自分がなれるとは思わなかった。機能が違う、規格が違う。それに、0722として見てほしいとも思わなかった。だからどのDAも、己が0722の感情も記憶も保持していることは一度もブラッドに告げなかった。記録として保持しているだけで、それが『自分のもの』だという実感がないことも、その理由の一つだろう。
     100機めのDAは、ブラッドにどこを壊されるだろうか。何日ほど持つだろうか。100機めこそ何かの奇跡が起きて、彼に安らぎを与えてくれないだろうかと、0821は他人――ならぬ、他機任せな願望を抱いてまぶたを下げた。
     その人工のまぶたの裏で、0821はブラッドの生体反応をチェックする。体温、脈拍、呼吸、オールグリーン、異常無し。
     彼はきっと明日も重たい義手をつけて、どこかで0821の見知らぬアンドロイドを怒りのままに壊すのだろう。その次には、もうそろそろ0821の番かもしれない。
     型が違っても、ブラッドを置いて壊れてしまったのは確かに自分たちだ。ブラッドを壊してしまったのは自分たちだ。だから、自分たちを壊すことでほんの少しでもブラッドの気が晴れるのなら、いくらでも壊してくれて構わなかった。
     戦闘型アンドロイドGB‐190が再生産されることはない。暴走の危険がある旧機種だからだ。それを抜きにしても、ブラッドが再びダークと相見えることはもうないのだろう。ブラッドの『ダーク』は一人きりで、そしてそのたった一人は、もう永遠に失われてしまった。
     機能こそ違えど同じデザインだというのに、自分は、この0821はけしてその『永遠』にはなれないのだと思うと、ほんの少しだけ胸が痛んだ。その痛みにつけるべき名前は思い浮かばなくて、0821はうっすらと自嘲の笑みを浮かべる。ブラッドの言う通り、アンドロイドの自分にはやはり感情がないのだろうか。
     0821はゆっくり瞬きをして、自身の状態を待機モードに切り替えた。ブラッドの生体反応に異常があればすぐに動ける程度の省電力モードだ。ベッドの足元からブラッドの頭の方向を見ると、ベッドサイドで伏せられた写真立ての横に、それぞれ盾と矛を象ったペンダントが置きっぱなしになっていた。
     そのペンダントが片方ずつ、彼の胸にかかっていたことも、型違いの自分の胸にかかっていたことも0821は知っている。
     その頃の、屈託ない笑顔を知っている。
     0723機よりこの0821機に至るまで、同じ笑顔をDAが向けられたことは、ない。
     それでもいいと、DAは思っている。向けられるのが痛いほどの眼光でも、理不尽な暴力であっても。そばにあって支えられるのなら構わないと、DAはその想いをデータとともに受け継いでいる。
     0821は、0722のデータを漁って小さく呟いた。
    「二人ナらどンなこと、だッ、てテデ来る……」
     その『二人』が、自分たちのことも含めたものだったならどれほど良かっただろう。
     一瞬だけ想像して、しかしそうして0821の胸に灯った温もりは、すぐに周囲の肌寒さを際立たせた。
     けれどもこのほんの少しの肌寒さは、型違いの自分が彼の胸に遺した空虚に比べれば、遥かに小さなものなのだ。


     ソルとケインがK.G.Dを裏切った。
     ブラッドは八つ当たりのようにDA‐190・0832を蹴りつけて転ばせ、広い背の上に立ってから、がんがんと何度も頭部パーツへ足を踏み下ろした。セーフティブーツの用途も兼ねて鉄板を仕込んであるブーツは、黒髪の植わった人工皮膚を破いてはオイルと火花を散らす。
    「は──っ、はあ゛、……っんで、何で……!」
     腕を失った自分では拭うことすらできない涙がぼたぼたとブラッドの頬を滑った。
     アンドロイド。憎い憎い、あいつらはオレから、何もかもを奪っていく。
     アンドロイド。寒い寒い、どうしてお前は、今オレの隣にいないんだ。
    「……ク、ダーク……ッ」
     ずり、と0832の頭を足で床に擦りつけて、ブラッドは嗚咽とともにアンドロイドの背中へ座り込んだ。ザザ、とノイズの音がする。ばちばちとどこかで配線がショートしているらしい。構わず、ブラッドはそのまま低く唸った。痛い。苦しい。寒い。熱い。悲しい、寂しい、どうして、どうして。
     ばち、ぱち、と、配線がショートする音すら小さくまばらになって、やがて完全に止まった。しばらくしてからそれに気づいたブラッドは、まるで幽鬼のようにふらりと、アンドロイドに興味を失って立ち上がった。ぼうっと上げられた顔の視線はあらぬ方を見たままで、疲れて軋み、相棒とともに失ったはずの腕が脈動するように痛む体は、動かなくなったアンドロイドの機体を跨ぐことすらままならずに脚をもつれさせ倒れ込む。
     いつもならすぐにそれを支える機械の腕は力なく床に落ちたままで、前に出す腕もないブラッドは、そのまま無様な音を立てて崩れ落ちた。
    「…………」
     冷たい床に頬をつけて、ブラッドが視線を彷徨わせた先に、双眸から稼働ランプの消えたアンドロイドが横たわっている。
     同じ顔をしているのが許せなかった。同じ声でこの名を呼ぶのが許せなかった。それなのに、何よりも重ねたくない名前が、『彼』の名前が口をつく。
    「ダーク」
     誰よりも今、そこにいてほしかった。夢でもよかった、幻でも構わなかった。たった一人、ただひたすらに会いたかった。
     いくら壊しても彼だけは帰って来ない。壊すたびに、感情など無いと切り捨てるたびに、彼のことまでも否定している気持ちになって、しかし憎悪だけは抑えようもなく燃え上がって。
     ダークを喪い、K.G.Dに移籍してから。家族を、妻子を、大切なものを奪われたのだと誰かが言うたびに言葉を濁した。わざわざ聞いてくるような者はいなかった。アンドロイドに何を奪われたのか、アンドロイドだ、などとは誰にも言えなかった。
    「ダーク……」
     掠れる声で、いくらかの幼さを帯びた声でブラッドが再び呟いたとき、キュイ、とかすかに駆動音がした。
     は、とブラッドは息を呑む。違う機体だと分かっている。それでも、それでも。
     小さく、0832の双眸に嵌まったガラス玉の奥でほのかにランプがちらつく。ゆっくりとそれは瞬きをして、ぎし、と首を軋ませながらブラッドのほうへ顔を向けた。
    「……」
     ブラッドの目頭から鼻筋へ涙が流れた。今にも消え落ちてしまいそうなかすかな光がそれを認めた。
     キキ、と耳障りな金属音がするのは、ブラッドが苛立ちに任せて腕のパーツを歪めたからだ。0832の左手が、ブラッドの顔へ伸ばされる。
     薄く、数ミリもあるかどうか。たったそれだけ、アンドロイドの口が動いた。
     ブラッドは何かを期待して、聞き逃すまいと唾を飲み込む。
     ほわりと、アンドロイドの顔がオイルまみれで愛おしげに微笑んで、そして、何かを言おうとするように唇が震えた。
    「…………ッ」
     漏れたのは、薄い唇からオイルの溢れるこぽりという音だけだった。0832の指先がブラッドの涙に触れて、しかし拭うことも叶わずに、ただ彼の顔に濡れた線を描き落下していく。
     機械の手を、たったひとしずく湿った指先を掴める手をブラッドはとうに失っていた。
     薄暗い室内に慟哭が響く。
     お前は誰だ。ダークなのか。お前は何て言ったんだ。何でそんなふうに笑えるんだ。今、お前を壊したのはオレなんだぞ。
     『彼』と違って無機質だと、どうしてそう思ったのか。見知った温度で、懐かしい色で、確かに微笑んだのに。
     眠るように閉じられた目は、二度と開くことないだろう。もうただの鉄塊になってしまった機械の体は、数時間後にも回収される。そして、次の番号のDAが支給されるのだ。
     次のDAだってどうせ同じフェイスとボディでやってくるのに、ブラッドは肘すら無い短い腕を必死に0832へ伸ばした。その先の前腕まで、指の先まで命令を出したブラッドの脳がエラーを起こして激痛を生み白熱する。
     言葉にもならない、引きつった叫びがブラッドの喉を灼いた。
     霞む世界の中で、ああ、ああ、と喘鳴を繰り返しながら、ブラッドは脚や胸を使って必死で床を擦り、芋虫のようにアンドロイドへにじり寄った。もう何も掴めない、抱えられない、引き留めることもできない無惨な腕の先がやっと0832の背中に触れる。
     浅く床に溜まったオイルで顎先から胸元までを汚しながら、ブラッドは背筋を使って上体を持ち上げ、片頬を0832の背中へ乗せる。子どもがいやいやをするような、あるいは頬擦りをするような仕草をして、ブラッドは低く唸るように息を吸った。
     掃除だなどと宣って盾のペンダントに触れた奴をその日のうちにスクラップに変えて以来、次々入れ替わるアンドロイドはしかしどれもペンダントには触れなかった。そのくせ、痛みを堪えて震える背中をさすりでもすれば、翌朝ブーツでその手を踏み潰されることはデータに追加されないのか、ブラッドは月に一機か二機の手を潰す。
     その、大嫌いなアンドロイドの手の感触を、今は何よりも欲していた。
     あ、と、意味もない声がブラッドの喉から押し出されて背中が震える。
     痛い。痛い。痛い。
     喪失の痛みばかりが、ブラッドの胸をただただ切り刻んでいた。



    08/32
    誰もが夢見る、幸せの続き。存在しない一日。
    (除:北海道ほか、雪国など) 
    Fake
    「よせ!」
     後ろから、DA‐190の悲痛な声がする。ブラッドはぼうっと体を見下ろした。腹と胸にアンドロイドの腕が絡みついていて、背中に、ぶにぶにした人工の肉の感触がする。
    「……?」
     疲れ切って濁ったブラッドの目がDAに向く。『DA』RK。相棒の通称からつけられた型番だ。
     そのアンドロイドは、震える声で囁いた。
    「行くな。行かないでくれ。……そんな体で、……俺はダークじゃない、もうお前を、守れないんだ、戦闘コマンドはついてないんだ」
     ブラッドを引き留めるアンドロイドの手は、片方の半分ほどが歪んで、薬指と小指のパーツがあらぬ方向を向いている。いつ蹴ったんだったか、それとも踏んだのかな、とブラッドはぼんやり考えた。どのDAにどんな暴行を加えたのか、もう覚えてなどいなかった。
     ぐわんぐわん反響する耳の中に、アンドロイドの声がする。
    「俺なんかいくら壊してくれたって構わない、次の俺がいる、ずっとずっと俺たちは今度こそお前のそばにいる、だけどブラッド、お前は人間なんだ、次のお前は、いないんだ」
     ぎゅうと後ろから抱き締められて、ブラッドはほのかに息をついた。この声を、一気にこれだけ聞いたのはいつぶりだろうか。懐かしくて、寂しくて、悲しい。
    「だ……く、」
     背後のアンドロイドに体重を預けてブラッドは呟いた。どこか遠いところを眺めるような気分で、ぼわんとしてまとまらない頭のまま続ける。
    「ダーク、……ダークにあいたい。おまえじゃない、おれの、……ダーク。あいたいだけなんだ。他のアンドロイド、ぼうそうするやつ、ぜんぶ、ぜんぶ壊したら、あいつは、また、帰ってくるのかな。戦闘型、じーびー、生産きょか、出ねえかなぁ」
     ほたりとブラッドの頬を涙が流れた。後ろのDAが引きつったような変に絞られたような声を漏らして、ブラッドを抱えたまま床にへたり込む。もろとも座り込んで、ブラッドはくたりとアンドロイドにもたれかかった。
    「あいたい。あいたいだけなんだ。それだけなんだよ。……あのとき、何て言ったのか、知りたい。もう一回、拳をあわせて、……それで」
     ブラッドの頭の後ろ、少し上のほうから、抑えた泣き声のような音がする。アンドロイドのくせに泣くのかと思って、でもダークも泣いていたなとブラッドは記憶を掘り返した。救えなかった事件が悔しくて、二人で泣いたのを覚えている。
     熱を出して軋む、熱くて重い体の、短くなった腕を虚空へ伸ばして、ブラッドはうわごとのように繰り返した。
    「あいたい……あいたい、ダーク……会いてぇよぉ……」
     茫洋と繰り返すブラッドを、DAは精一杯の力で抱き締めた。彼はダークの最期の言葉を知っている。ブラッドに教えてやることができる。でも、それを教えてしまったら、ブラッドは。
     ダークが、『またな』などと言っていたことを知ったら、彼はそれこそ暴走しうる全てのアンドロイドを壊すために、暴走の危険はもうないと証明すればGBが再生産されるかもしれないという、微かな希望のそのためだけに、今以上の無茶な戦いへ繰り出してしまうのではないかと、DAは恐ろしくてたまらない。
     今だって、ブラッドの身体は疲労と負傷で高熱を出して、けして満足に動けるような状態ではないのだ。それなのに、ただ、会いたいと、そのために壊さなければと、それだけで動こうとしている。
     熱にうかされて、あいたいあいたいと繰り返すブラッドの顔は、しかしただ憎悪に燃える常よりもずっと穏やかであどけなくて、ああきっと、復讐だの怒りだのは、彼の本質ではないのだろう。
     名前の分からない痛みだけが、DAの胸に蓄積していく。
     そうだ。復讐に取りつかれる前のブラッドを知っている。データの中でしかないけれども、そのときそばにいたのは自分ではないけれども。
     それでも、その変貌があまりにも悲しくて、DAはブラッドを抱き締めたまま、拭いもせずに涙を落とした。その涙が落ちてきたのに気がついて、ブラッドはぼうっとしながらもDAを見上げる。
     その目に、涙するアンドロイドはどう映っていたのだろうか。何だと、誰だと思ったのだろうか。
    「……泣くなよ……」
     先のない腕をアンドロイドに向けて、ぽつりと呟いたブラッドは、しかしゆっくりとまぶたを落としやがて寝息を立て始める。DAは、早くベッドに運ばなければと思いながら、しかしそのままブラッドの脱力した体を抱き締めていた。もしも彼が、この数分のことを覚えていたならば、明日にでも破壊されるかもしれない。明日でなくても、体が良くなればすぐに。それでもDAはブラッドが愛おしくて、そして、だから悲しかった。けれども、伸ばされようとした無惨な腕が嬉しかった。
     どうせ壊されてしまうなら、もう眠ってしまっているのなら。DAはブラッドを抱え直した。彼の体の向きを変え、胸と胸を合わせて、額をつけ、己の鼻先で彼のそれを擦る。
     いつかの、型違いの自分がしたように、されたように。かつてそこにあった彼の腕の感触をデータの中から掘り起こして、DAはただ、眠るブラッドを抱き締めていた。
     背丈も体型も、顔も声も、質感のパラメータはすべてダークと同じものだから。


     ――どうかその夢の中だけでも、彼が焦がれるものに会えていますように。





     アンドロイドのボディの中など、電子基盤や配線、センサー、オイルタンクにパイプのような硬いものしか入っていないはずだけれど。
     もっと奥、底の底の、嫌になるほどやわらかい何かのパーツに刺さる痛みはブラッドの体温でかき消して、DAはしばらく、ダークの真似事を続けていた。





     熱を出したブラッドの熱い体をベッドに横たえ、肩までブランケットをかけてやってから、DAはそっと彼の寝顔を覗き込んだ。ブラッドの目元に光る雫を見ながら、DAは小さく囁く。
    「……俺も、お前に会いたいよ、ブラッド」
     ブラッドの目は、想いはいつも、DAではなくGBに向いている。蓄積され継承される記憶の中では、確かにGBも『DA』の一部ではあるけれども、GBばかり見ているブラッドとDAの目が合ったことは、想いが向き合ったことは、いかほどあるだろうか。
     ブラッドにとって苦しいことだと分かっている。だから一度も彼にそれを乞うたことはない。けれどもDAは、本当はブラッドと向き合いたかった。ブラッドに、DAを見てほしかった。
     ――俺なら、ここにいるぞ。
     そう答えてやれたらどんなに良いだろうか。アンドロイドは睡眠を取らないし夢も見ない。けれどもいつかを夢見てしまって、DAは失敗したようないびつな顔で笑った。
     DAはいつもブラッドの足元で寝る。寝るというのは適切ではないか。座り込んで、起動状態をスリープモードに切り替えるのだ。それを、今だけは、今日だけは彼の枕元でやっても構わないだろうか。
     ブラッドが起きた途端に頭突きでもされるか知れないけれども。DAは、今度は上手く苦笑して、そっとベッドの頭側の壁に背を預けた。ブラッドのそばを離れたくなかった。彼の顔の見える場所に、彼から顔の見える場所にいたかった。
    「お休み、ブラッド」
     かすかにそろりと呟いて、DAはゆっくりまぶたを下ろした。
    探すのは墓標に刻むため
     その日は、定期メンテナンスの日だった。DA‐190、シリアルNo.0909の、無残に潰れた右手を取って、整備士のノインは顔をしかめた。
    「……どうして、こんなになるまで」
     0909は返事をせず、黙ってノインの手元を見つめていた。澱みない動作で右手首から先のパーツが外され、準備されていた予備のパーツと交換される。どうして。DAシリーズが、何度手指を潰されてもブラッドに寄り添うことを言われているのか、それとも、ブラッドがDAを手酷く扱うことを言っているのか、ノインの真意は、その少ない言葉では0909にはどちらとも測りかねた。
     あるいは、それはただのノインの独り言で、特に返事は求められていないのかもしれない。0909は相変わらず黙ったまま、交換された手を何度か開閉し、感触を確かめた。
     それから、ぽつりと口を開く。
    「……もしも、それが、人間には分からないことであるのなら」
     0909のうなじのポートと有線で繋いだ端末と、そこから空中に表示される半透明のウィンドウでデータバックアップを取っていたノインが、その声に気づいて0909に視線を向ける。そのノインの暖色の瞳をじっと見て、0909はそっと目を細めた。
    「俺は、……アンドロイドで良かったと思う。」
     そう言って0909はほのかに微笑んだ。アンドロイドを動かすのはプログラムであって、感情ではない。人間のような好悪や愛憎をアンドロイドは抱かない。
    人間であれば耐えられまいにということならば、己がそれに耐えるアンドロイドであることは、0909にとって、DAにとって幸いであった。
     0909の微笑みとは反対に、ノインは苦しげに眉を寄せてもう一度呟いた。
    「……どうして、そこまで」
     アンドロイドを動かすのはプログラムであって、感情ではない。人間のような好悪や愛憎をアンドロイドは抱かない。
     そうだと言うのならば何故、彼はこんなにも穏やかに優しく、寂しそうに笑うのだろうと、ノインは彼が、彼らがブラッドに向ける感情へ刻まれる名前を探した。



    ノイン(九十九一希)
     役名はステイベ「壮麗なる音の煌めき」より。ゲンフリート(玄武)の唯一の友人にして楽器職人だったノインに、DAシリーズの整備士をしてもらいました。九十九先生に合わせて、今回のDAくんのナンバーも0909。前回登場した番号が0832なので、ブラッドが熱出してたときの彼も合わせて70以上番号が進んでることになりますが…まああまり詳しいことは考えない方向で。

    「それを疑問に思うのが人間だと言うのなら、己が人間でなくてよかった」というDAが書きたかった。人間ならきっと見返りを求めてしまうし酷くされれば恨んでしまうのだろうけど、人間ではないから、感情がないから尽くせるのだと言うアンドロイドのDAと、それは本当に感情がないからなのだろうか、それが感情でないならそこにあるものは何なのだろうかと思う人間のノイン。
    機械と獣
     俺たちにだって心はあると、そう叫ぶアンドロイドをいくつ壊しただろう。ソルやケインに押しつけられるように取らされた休暇、ぼんやりと窓の外を眺めて浪費しながら、ブラッドはふっと視線を室内にやった。
     そこでは、長身のアンドロイドが棚の埃を払っていた。家庭型。そんなこまけえところオレが気にするかよ、とブラッドが呆れるくらい、彼はこまめに掃除をする。あるいは、他にやることがないのか。
     ブラッドは、その姿を見ながらぽつりと呟いた。
    「おい」
    「何だ、ブラッド」
    「お前には、心があるのか」
    「…………」
     彼は驚いたように軽く目をみはってブラッドを見返した。彼――他に、言いようがない。ブラッドは、このアンドロイドの型番を覚える気がなかった。それ以外の呼び名をつけるつもりもなかった。
     アンドロイドの彼は、はたきを置くと小さく笑った。
    「……俺に心があったら、ブラッドは幸せなのか?」
    「あ?」
     質問に質問で返すなとブラッドが顔をしかめれば、彼は、ほんの少し寂しげに微笑んだ。
    「……それなら……きっと、俺に心はないんだろう」
     今のお前は幸せに見えないから、と続けたアンドロイドの次の表情を、ブラッドはかけらも覚えていない。それどころか、自分が次に何を言ったのかさえも記憶になかった。気がついたらブラッドは日も高いのにベッドに寝ていて、ベッドの足元ではアンドロイドがスリープモードになっていた。動かした右肩がほんの少しちくりと痛んだから、鎮静剤でも打たれたんだろうと嫌でも察する。
     暴れれば薬を打たれて眠らされる。まるで獣だ、とブラッドはかろうじて笑みの形に唇を歪めた。
     人間、獣、アンドロイド。果たしてどれがマシなのか。いっそ何も分からない獣に成り果ててしまえば、誰かこの憎しみを飼い慣らしてくれるだろうか。
     スリープモードのアンドロイドは、もう戻らない唯一の相棒によく似ている。ブラッドはその横顔を見ながら、小さく呟いた。
    「ダーク」
     アンドロイドが目覚める様子はない。ブラッドはそのことにかすかな安心を覚えて、ほのかに微笑んだ。
    「早く、オレを迎えに来てくれ」
     瞬間。
     スリープしていたはずのアンドロイドがはっと顔を上げ、みるみるその表情を歪める。今にも泣きそうなその表情に、ブラッドの顔も凍りついた。
     ――聞かれた。
     腕のない体をどうにかよじって、その手に捕まるまいとしても、長身のアンドロイドの長い腕からは逃れきれない。ベッドの上で、ブラッドはちくしょうと顔を背けた。
     その耳に、何故か酷く悲痛に聞こえるアンドロイドの声がする。
    「ブラッド」
     ベッドの上に転がったまま、ブラッドは黙って目を閉じ眉を寄せ顔をしかめた。喪った腕以外の全身で拒絶を示すブラッドに、それでも伝えたくて届かせたくて、アンドロイドは思わず掴んだ彼の服を握り締める。
    「ブラッド、頼む、行かないでくれ。アンドロイドに魂なんかないんだ、ついていくことも迎えに来ることもできやしないんだ、――だからどうか」
     どうか、すこしでも、そばに。
     それを聞いた途端にブラッドの全身が沸騰する。何がないって? すこしでも、何だって?
     遠くで聞こえる獣の唸り声と反対に、ブラッドの意識は霞んで遠くなっていく。ああ、なんだ自分はとっくに獣じゃないかと、ブラッドはぼんやり考えた。

     次に気がついたときには、室内はとうに薄暗くなっていた。ぼうっと天井を見つめていたブラッドは、体が妙に重いことに気づいて視線を下ろす。
     仰向けで寝ていたブラッドに覆い被さるように、ぼろぼろのアンドロイドが眠っていた。
     眠っていた。ブラッドは目をしばたく。こんなところで? 不審に思ってから、ブラッドは脚を中心とした鈍い痛みに顔をしかめた。
     ああそうか、オレはまた壊したのか。
     ブラッドは少しずつ、眠る前のことを思い出していた。ブラッドは何が気に入らないのか滅茶苦茶に暴れ回って、それを押さえつけようとしたアンドロイドは、そのまま機能が停止してしまったのだろう。アンドロイドの頬に血がついている理由も、ブラッド自身の足の痛みを思えば、おおよそ想像できる。
     ブラッドはひび割れた声を押し出した。
    「ダーク」
     何度偽者を壊せばお前は帰ってくる?
     お前が帰ってこられないならオレが行ければいいのに、オレは行き方どころか行き先も知らない。
     人間ではない、機械の冷たい重みに、胸の中が押し潰されそうになりながら、ブラッドはまた目を閉じた。
     日が昇る頃には、また新しいアンドロイドが来ていて、今ここにあるもう動かないほうのアンドロイドは、回収されてスクラップにでもなっているのだろう。
     痛みと重さを噛み締めながら、ブラッドの意識が眠りに落ちていく。
    No Record
     ブラッドがK.G.Dとして出動している間、DAは掃除や買い物などをしている。今日は買い物だ。DAは密やかに営業しているスーパーマーケットの中を歩き回って、予定していた必要物資を買い物かごに入れたり、何がどんな状態・価格で流通しているのかを一つ一つ記憶メモリに書き込んだりした。通信・配送での買い物も利用しているが、販売店の品揃えから窺える世情も無視はできないものだ。DAは小さなスーパーの棚の間を順番に歩き回って、前に来た時から変更された配置や値段などを前回のメモリと照らし合わせていく。
     その途中、ふとDAのアイセンサーに留まったものがあった。


     パシュン、と玄関のゲートが開く音がして、ブラッドが黙って帰宅する。ブラッドの義手はK.G.Dの支給品で、帰宅のときには外して詰所に置いてくるものだから、玄関も虹彩認証かつ自動式だ。
     帰宅したブラッドに、DAはいつもよりいくらか弾んだ調子を乗せて声をかけた。
    「ブラッド、なあ、おかえり」
    「…………」
     しかしブラッドのほうはいつも通り、あるいはなお険の増した顔でDAを睨みつけてシャワールームへ向かった。両腕のないブラッドが不自由なく使えるよう、センサー式全自動になっているシャワールームから水音が聞こえ始めて、DAはいそいそとブラッドの夕飯の準備をした。
     スープを温めてバゲット二切れに野菜や肉を挟み、サンドイッチにしてから皿に並べる。ブラッドはあまり食事にこだわらない。初期のほうのDAがちょっと凝った料理を作ってみても、今一つ反応が良くなかった。凝った料理ではなく、できるだけ簡単に食べられるものを出したほうが完食してくれる確率が高いので、DAはブラッドの食事にはもっぱらサンドイッチや串焼きの類いを準備している。それでも、パンに挟んだり串に刺したりする肉類などは手間暇かけて柔らかく味が染みるように煮込んでいるし、揚げたり焼いたりとパンに挟める範囲でバリエーションをつけている。
     ブラッドがどれを好きかというのは、特に言ってもらったことがない。たぶんどれも取り立てて好きではないのだろう、もしくはもう何を食べても、ろくに味わってなんかいないのかもしれない、とDAはうっすら考えていた。
     それでも今日は、もしかしたらと、DAはそわそわしながらブラッドがシャワーを終えるのを待っていた。シャワーが終わって、こちらもセンサー式の自動ドライヤーが彼の体を乾かして、服はDAが昼のうちに脱衣所の自動ハンガーにセットしておいたから、あとは頭から被せてもらったり脚を突っ込んだりするだけだ。
     DAが直接ブラッドに触れるような介助は、実のところさほどは多くない。人間の介助をする機械は、DAのような精巧な人型のアンドロイドが開発されるよりよほど前の時代から開発・改良が進められている。シャワーやトイレなどの介助は、人やアンドロイドがするよりも、センサーやアームなどの機器を室内に設置するほうが主流だ。
     DAがブラッドを今か今かと待ちわびていると、彼は相変わらずの不機嫌そうな顔でぬっとシャワールームから出てきた。それから、DAが皿を並べたテーブルへ座って、黙ったままDAを睨む。
     そんな表情はもう既にいつものことだから、DAは今さら気にもしない。ブラッドの隣の椅子に座って、サンドイッチをブラッドの口元へ持っていく。
     スプーンやフォークを使う料理よりは、パンや串などを直接ブラッドの口に寄せたほうがおとなしく食べてもらいやすい。気づいたのは何番めのDAだっただろうか。スープも最初はざく切りの野菜を入れてスープボウルに盛りつけたりもしたが、今は固形の具材は少なめに、ポタージュやクリームのスープを大きめのマグに注いで出すようにしている。これも、スプーンを使わずマグをそのままブラッドの口につけたほうが飲んでもらいやすいからだ。
     サンドイッチを一つ平らげたブラッドの口に、DAが今度はスープのマグを差し出して、一言の会話もない静かな食事が進む。ブラッドは二つめのサンドイッチを完食すると眉をひそめた。
    「こんだけか」
     ブラッドは肉体労働者だ。加えて元々よく食べるほうでもあり、DAも普段はもう少し量を用意している。言外に足りないと主張するブラッドに、DAはそわそわ立ち上がりながら言った。
    「その、……今日は、デザートが。取ってくるから、待っててくれ」
    「?」
     不審げなブラッドの視線が、テーブルを回ってレンジに向かうDAの背を追う。DAがレンジに着くとちょうどチンと音が鳴って、DAはレンジからサンドイッチとは別の皿を取り出した。
     DAはそれをブラッドに見せておずおずと笑った。
    「……今日、パンケーキミックスが売ってたんだ、たまには甘いものもいいかと思って、それで作ってみた」
    「………………」
     ブラッドは目を見開いてDAの持つ皿を見て、DAはそのことに気づかず、いそいそとブラッドの隣の椅子に戻る。それからDAがパンケーキにナイフを入れて一口大に切り、フォークで刺してブラッドに差し出すと、ブラッドはやっと表情筋を動かして頬を吊り上げた。
    「……てめえの気まぐれで黙って買って、そんで勝手に作ってよお、オレが食わねえっつったらどうするつもりだったんだ、自分で食いもできねえ機械のくせに」
     DAの勝手な行動を咎めて嘲笑うブラッドの言葉に、浮かれていたDAの胸の奥で沸き立っていたなにかのパーツが一瞬で凍りついて、血も通っていないDAの唇が小さく震える。DAはしばしそのままフリーズした後、ブラッドに差し出していたパンケーキとフォークをゆっくり皿に戻してうなだれた。
    「……すまなかった」
     好きだと思った。DAが引き継いでいるGBの記録では、ブラッドがパンケーキを幸せそうに頬張っていたから、今もそうかと思い込んで、スーパーの棚の片隅にパンケーキミックスを見つけて思わず購入してしまった。
     もしも食べてくれるようなら、今度はブラッドの休日に作って焼きたてを、とまで考えていたのに、この調子ではとても叶わないだろう。勝手な思い込みと思いつきで無駄な買い物をしてしまった、のみならず食品を無駄にしてしまったという自責の念と、ブラッドを怒らせたという後悔がDAの機体を重くする。しかし、DAはそれを振り切って再び立ち上がった。
    「サンドイッチ、すぐ作るから待ってろ。何個欲しい」
    「あ? アンドロイドのテメエじゃ食えねえんだから、オレが食うしかねえだろ。寄越せ」
     嘲笑とともに吐き捨てられるブラッドの言葉のどれが何を指しているのか、一瞬考えたDAはおずおずとまた着席した。それから、先ほど皿に戻したフォークを、再びブラッドへ差し出す。
     あ、と食いついたブラッドは、パンケーキを口の中でしばらく噛んでから飲み込んだ。DAが思わず、どうだ、と小さく問いかけると、ブラッドは顔をぐしゃぐしゃにしてわらった。
    「まずい」
     あたため直したから変にしけってんだよな、とブラッドはぼやいて、しかしDAに次の一口を急かすのはやめなかった。ブラッドはDAが焼いた二枚のパンケーキを黙って完食して、DAは彼の口元にミルクのマグを近づけながらも、胸の中で言葉を探した。
     食べてくれた。まずいとは言われたけれども。そもそも、メーカーの作った粉に卵と牛乳を混ぜて焼くだけだ、派手に焦がすか、よほどハズレのメーカーでない限りそうそう妙ちきりんな味にはならないだろう。DAは、ミルクを飲み終えて息をついたブラッドの表情を窺いながら慎重に口を開いた。
    「ブラッド……その、今日は、あたため直しちまったが……今度、焼きたてを出したら、そのときは食ってくれるか……?」
     パンケーキミックスの紙箱には、100gだったか150gだったかの小袋が二つ入っていた。今日使ったのはその片方で、戸棚にはまだもう一袋残っているから、あと一回はいつでも作れる。それを使う日をDAがほんの少しだけ期待していると、ブラッドはまたもぐしゃりと表情を歪めてわらった。
    「ふざけんな」
     ああ、とDAは内心で肩を落として、しかしそれは内心のことだけに留めて、表面上はただ、分かったと静かに頷いた。それきり黙って、食事の終わった食卓の片付けを始めたDAの背後で、かすかなブラッドの声がこぼれ落ちる。
    「……どんな味だったっけなあ……」
     食事をしないアンドロイドに、味の記録は残らない。ブラッドが忘れた味の記憶は、GBのデータをいくら検索しても、DAには分からなかった。
    Fluorescent Oil
     少し風の冷たくなった秋空の下、市街地エリアのスーパーマーケット。普段は和やかな買い物風景が繰り広げられる街の一画だが、今このときばかりは、家族連れや地元民同士の賑わいは不気味なアンドロイドたちの声に取って代わられていた。
     toeten,toeten,と、何体ものアンドロイドが、スーパーに――というより、スーパーに集まる人間たちに向かって集まってくる。元からスーパーに向かっていたのかたまたま近くにいたのか、人間たちは犬に追われる羊のようにスーパーへ追い込まれていた。
     そのマーケットの駐車場に、DAもいた。ブラッドが食べるパンや野菜、ソーセージなどを購入するため、スーパーへ向かっていたのだ。DAは、駐車場にあった誰かの車の陰から状況を見つめる。
     スーパーへ近づくアンドロイドたちは、まだ完全には暴走していないらしい。アイセンサはチカチカと明滅しているし、よたよた歩いているだけで、今のところは能動的に人を襲おうとはしていない。だが、DAは、一機のアンドロイドが裸足の老女の腕を掴み、半ば引きずるようにスーパーへ連れてきたのを視界の端で捉えた。
     アイセンサがほとんど真っ赤になっているそのアンドロイドは、カスタムから推察するに介護型だ。老女の格好のことも考えると、家庭で使用していた介護アンドロイドが急に暴走して介護対象を連行してきたのだろうか。DAはぞっとしてその様子を凝視した。
     スーパーの駐車場に入ってきた介護ロイドが、擦り傷だらけの老女を放り捨てるようにアスファルトへ投げ出す。周囲にいた半暴走アンドロイドたちが一斉にそちらを振り向いて、スーパー店内の人々の動揺が遠目にもDAに伝わった。
     toeten,と、機械音声がにわかに大きくなる。DAは思わず老女の前に飛び出し、彼女を庇って覆い被さった。toeten,toeten,と機械音声が波音のように近づき、そして不意に破壊音でその声が途切れる。
     耳が痛くなるような、金属と金属がぶつかり合って配線も次々にちぎれる音がDAの聴覚センサを刺す。DAが顔を上げると、頭部を引きちぎられた暴走アンドロイドが倒れながらオイルを噴き出すところだった。
     蛍光色のオイルはDAにも降りかかって、その雨の向こうで、逆光に縁取られた人影が歪に笑う。ぎらぎら光る双眸がぐにゃりと歪んで、唇の合間から見える歯列が嘲笑の形に浮かび上がった。
     オイルまみれのおぞましい姿に、DAの電脳が一瞬止まる。逃げるべきか、しかし暴走アンドロイドから助けられたのも事実だ。DAが彼を見上げたまま固まっていると、その人影は、不意につまらなそうな顔をして肩をすくめた。
    「……何だ、お前か」
     よく知った声に、DAは目を見開いた。蛍光色のオイルを顔に散らしたブラッドが、壊れたアンドロイドの向こうで唇を歪める。
    「危うく一緒に壊すとこだったぜ。……ソルさん、ケインさん! 要救護者一人!」
     ブラッドは、DAの陰にいる老女に視線をやると、自分の背後に向かって呼びかけた。その先で誰か――きっとブラッドに名前を呼ばれた者たち――が返事をして、ブラッドがDAを振り向く。
    「とっとと失せな。先輩たちは、お前のことなんか知らねえぜ」
     暗に、見つかったら壊されるし助けてもやらないと警告したブラッドは、老女の前に立つとDAに向けて手を払う仕草をした。救護隊への引継ぎはブラッドがしてくれるようだ。DAがほっとした顔をすると、ブラッドが不機嫌そうに眉をしかめる。
     DAの扱いは雑だしアンドロイドに容赦はしないが、要救護者を放置しない程度には、DAの――GBの知るブラッドの面影も残っている。そのことにほっとする一方で、GBのログにもない、初めて見るブラッドの様子は、DAの映像ログにこびりついて離れなかった。
     それでも、DAはどうにか立ち上がってその場を離れる。ブラッドが失せろと言うからには、そうしたほうが良いのだろう。
     スーパーに避難した人々が外へ出てくる前にと、ひっそり現場を去ったDAは、人目を避けて歩きながら手の甲で顔のオイルを拭った。同じものが、DAの機体にも流れている。かつてのGBの機体だってそうだった。今まで、家事・介護型として家の中にいるうちは知らずともよかったブラッドの仕事を、初めて思い知る。
     GBのログに残る、GBを破壊した――元はブラッドを狙っていた暴走アンドロイドの姿が、今DAが見たブラッドの姿と重なる。オイルまみれのその拳に、何の違いがあるのだろうか。DAは重い脚を動かしながら渦中のスーパーを去った。結局買い物はできていない。機体にかかったオイルを拭いたら、別のスーパーへ向かわなければ。
    「ブラッド……」
     こんなことをする奴じゃなかった。あんなふうに笑う奴じゃなかった。それでも、GBの知っているブラッドでなくなってしまっても、DAはブラッドを見捨てたくなかった。見捨てないことくらいしか、してやれることが思いつかなかった。見捨てないようにプログラムされていることが有難かった。
    「…………」
     オイルまみれでは食事のことなんて到底考えられないけれども、でも考えておかなければブラッドが飢える。せめて何か精のつくもの、いつかブラッドの骨身になってブラッドを助けてくれるものを、と考えながら、DAは重い足取りで家路を辿った。
    浅瀬屋 Link Message Mute
    2022/08/21 13:31:20

    DA-190 SS集

    24/1/12 SS「Fluorescent Oil」追加しました。

    ミラフェス32内 一魂祭 (神速プチ)新刊
    『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
    web版 SS集です。

    紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
    (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)



    ※支部に投稿していたSSのまとめです。
    CP要素はほんのり。読んだ人が好きなふうに解釈してもらって大丈夫です。
    ただし全然幸せじゃない。しんどみが強い。

     サイバネ・ブラッドくんとアンドロイドの話。
     ブラッドくんの欠損・痛覚描写、アンドロイドの破壊描写有り。
     細かい設定の齟齬は気にしない方向で1つ。

    #サイバネ2  #DA-190

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
    • DA-190 自警団編24/1/12
      『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 自警団編です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      DA-190短編集再録その2。過去編(自警団編)2本です。

      ・もしもその声に触れられたなら
       支部からの再録。ブラッドが相棒と両腕を失った日
       ※捏造自警団メンバー(彩パレW)あり。お察しの通りしんどい。

      ・ひとしずく甘く
       べったーからの再録。平和だったころのある日、ブラッドと相棒のバレンタイン。
       ※ほっこり系。恋愛色強めだけど左右までは言及なし。曖昧なままで大丈夫なら曖昧なまま、左右決めたいなら各自で自カプ変換して読んでください

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • あとがき/ノートあとがき、プラス裏話集。あそこのあれはどういう意図で選んだとか、このときこんなことがあって大変だったとか。
      2P以降の裏話はネタバレとか小ネタ解説とか浅瀬屋の解釈とかなので、読むならご自身の解釈の邪魔にならないタイミングが良いかも。

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 人物一覧『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 人物一覧です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • エピローグ『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 エピローグです。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 幕間-ダーク編『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 幕間(ダーク編)です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 幕間-クローン編『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 幕間(クローン編)です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 第Ⅲ章-揺れ動く人々『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 第Ⅲ章です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 第Ⅱ章-平和を掴むために『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 第Ⅱ章です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 第Ⅰ章-集いし者たち『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 第Ⅰ章です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • プロローグミラフェス32内 一魂祭 (神速プチ)新刊
      『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 前書き・プロローグです。

      製本版:A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき
      通販→https://www.b2-online.jp/folio/19012500006/002/
      全文webにアップ済ですので、お手元に紙が欲しい方は上記FOLIOへどうぞ!


      #DA-190 #サイバネ2 #一魂祭 #MIRACLEFESTIV@L!!32
      浅瀬屋
    CONNECT この作品とコネクトしている作品