イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    第Ⅰ章-集いし者たち「な……起動するなんて聞いてねえぞ……⁉」
     ――ケインを釣るためのただの餌じゃなかったのか⁉
     驚愕するブラッドの前で、ロイとノリスの機体が瞼を上げる。部隊の誰かが吹っ飛ばした暴走アンドロイドの機体がロイの足元へ転がり、それがロイのアイセンサーに映った途端、ロイ機体の頭部や肩口に火花が散った。
    「!」
     ロイの変化に身構えたブラッドが拳を固めた一方、そのロイは静かに目を伏せて何事か呟く。
    「――…― ――…―」
     ロイは指揮官型アンドロイドだ。ロイが直接動かずとも、その声が、通信が、あらゆるアンドロイドを統制して意のままに動かす。
     周囲に格納されていた出荷前のアンドロイドが続々と目を覚まし、ブラッドの部隊を取り囲んだ。思わぬ敵勢力の増加に動揺する部隊とそれを率いるブラッドの前で、ケインがうっそりと笑う。
    「さあ……」
     ぎり、とブラッドが奥歯を噛み締める。しかしケインの声は止まらなかった。
    「反乱、再びだ」


     銃声と激突音、電子音。ロイが統制するアンドロイドたちの連携は緻密だが、所詮は家庭用アンドロイドだ。可動速度には限界があり、耐衝撃性も低い。
    「オラァ!」
     ロイが起動させた出荷前アンドロイドを義手の拳でぶん殴って、ブラッドは力尽くでケインへ詰め寄ろうとした。部隊員たちの光線銃が周囲のアンドロイドを狙撃し、ブラッドを援護する。ブラッドの妨害を狙ってか目の前へ飛び出してきたアンドロイドの喉を掴み、そのまま手近にいた別のアンドロイドにぶつけると、アンドロイド同士の表皮や外装がひしゃげて内部の配線が弾けるのが目の端に映った。
     掴んでいたアンドロイドを放り捨てて前方を睨んだブラッドの耳に、どこかからの通信音声が漏れ聞こえる。
    『ケイン!』
     知らない声が知っている名を呼ぶ。ブラッドは群がってくる出荷前アンドロイドの合間に視線を走らせてケインの姿を探した。――もはや興味はないとでも言うようにブラッドへ背を向けたケインが、ロイとノリスに警護されながら通信に答える。
    『ケイン! スパイの仲間を発見しました』
    「捕まえろ。俺たちももう戻る」
     そこで通信を切ったケインがブラッドを置いて一歩踏み出す。ブラッドは眉を吊り上げて怒鳴った。
    「逃がすか‼」
     その怒号に、ブラッドの部隊と出荷前アンドロイドとの双方が反応する。アンドロイドはブラッドの足止めにかかり、部隊はそれを見越して次々と狙撃でアンドロイドを戦闘不能に追い込む。ブラッドもまた二、三体アンドロイドを殴り飛ばして屋外に出ると、支給品の二輪に飛び乗ってケインのトラックを追った。


     トラックが発車してすぐ、ブラッドの二輪に気づいたノリスが運転席のケインに問うた。
    「追ってきます。撒きますか、それとも撃ちますか」
    「放っておけ。追ってきたところで、たかが一人だ。スパイたちと一緒に始末してやればいいさ」
    「分かりました。……ところで、スパイというのは?」
     起動したばかりのノリスの質問に、ケインは手短に答えた。
    「アンドロイドと人間で、共存なんか目指す連中が、俺たちの動向を探っていたんだ。スパイはすぐに捕まえて、暴走ウィルスの実験台にしてやったんだが……どうやら、仲間が取り返しに来たようだな」
     ク、とケインは笑って、そのままトラックのアクセルを踏む。一方、その行く先、革命軍のアジトでは、アレックスとハッピーが多勢に無勢を強いられながら出口へ向かう最中だった。
     暴走ウィルスに侵されてよたつくハッピーを庇いながら銃撃の合間を縫い、アレックスは周囲のアンドロイドに鋭く視線を走らせる。
     出口はあと少し、背後のアンドロイド何体かさえ撒(ま)くか倒すかして、撤退用のバイクに乗ってしまえば、あとはキースたちのところへ戻るだけだ。そのくらいなら、もう一度CODE:EXを使えば――
     しかし、アレックスの聴覚センサーに、その計算を根本から覆す駆動音が届いた。
     ハッとして顔を上げるアレックスの視線の先、撤退用バイクを隠した門の外に、大型トラックが停まる。トラックの横腹が開き、そこに立つ青年の姿が照らされて、アレックスは目を見開いた。
    「ロイ様!」
     しかし、当のロイはそれが聞こえていなかったかのように、黙然とアンドロイドたちを見下ろして口を開いた。――それは、指揮官型が駆使する統制コード。
    「――……―― ――――……」
     途端、アレックスの周囲で革命軍アンドロイドたちの纏う空気が変わる。アレックスがすぐさまハッピーの頭を押し下げてもろとも床に伏せると、その頭上をアンドロイドたちの銃弾が飛び交った。
     指揮官たるロイの指示と察したハッピーが、アレックスの手の下から顔を上げて叫ぶ。
    「なぜ仲間の僕たちに攻撃をするんですか⁉」
     しかし、ロイの顔色は変わらない。淡々とノリスからランチャーを受け取り、その銃口をアレックスとハッピーへ向けると、ロイは冷たく言い放った。
    「裏切り者は不要だ。散れ」
    「そんな……」
     ハッピーが愕然と声を漏らす。一方、アレックスは眉を寄せて静かに口を開いた。
    「物忘れが激しいようだな」
     その言葉に、ロイの眉がぴくりと動く。だが、アレックスは構わず立ち上がってロイを睨みつけた。
     一瞬の睨み合い、しかしそれはすぐに銃声で破られる。
    「ロイ、危ない!」
     叫んだノリスが身を低めながらもロイに体当たりして転ばせ、アレックスは即座にハッピーの腕を掴んで三時の方向に駆け出した。
     弾丸が放たれたのは角度からしてアレックス後方上側、射手は屋根の上にでも潜んでいたか。アレックスは革命軍の一体が目の前に立ちはだかるのを力任せに蹴りつけ、一瞬だけ建屋に目をやった。アレックスとハッピーを包囲していたアンドロイドの群れは、半分弱が銃撃の犯人を探して建屋を向いている。残りはアレックスたちを止めようと必死だ。
     現在、アレックスの最優先任務はハッピーを連れての脱出だ。元の出口はトラックで塞がれてしまったが、壁なり塀なりの一枚くらいはCODE:EXで破壊すれば脱出できる。しかし、あまり連発向きの機能でもないため、ロイの指揮で立ちはだかるアンドロイドの群れは、CODE:EXなしで突破する必要があった。
     だから、助っ人だか内部分裂だか知らないが、銃撃でロイの指揮が乱れたのは思わぬ幸運だ。今のうちに脱出を、と、アレックスの内にわずかな逸(はや)りが生まれる。当たってもいない弾丸でいつまでも指揮を放棄するほど、ロイの性能は柔(やわ)ではない。
     案の定、ロイは既に起き上がってトラックの荷台からアレックスを見据えている。彼を襲った弾丸は、しかしノリスの邪魔立てによりトラックの内壁にめり込んで細く煙を上げていた。
     ノリスの手を借りて立ち上がったロイが、再び統制コードを放つ。
    「――……―――‼」
     アレックスは内心で舌打ちして奥歯を噛んだ。
     ――間に合わなかったか!
     ロイの統制コードが及んだアンドロイドたちが一変してアレックスとハッピーを取り囲む。アレックスは半ば引きずるように掴んでいたハッピーの腕を力任せに引き寄せ、彼を先へ押しやった。その代わり、自分はその場で軸足へぐっと体重をかける。方向転換のため、ロイ統制下のアンドロイドと対峙するためだ。
     ――しかし、それが完了する前、アレックスが振り返る前に、誰かの手が力いっぱいアレックスの背を押して無理やり前へ突き飛ばした。
    「な……⁉」
     つんのめったアレックスの背に、その突き飛ばした誰かが折り重なるように倒れ込んでくる。しまったと思う間もなくアレックスの背後で何かが爆発して、アレックスは目を見開いた。
     爆風に逆らってどうにか振り返ったアレックスの視界の端に、鮮やかな紅の髪が躍る。
     アレックスの背に触れたのは間違いなく機械の感触、しかし爆風もろとも折り重なるようにアレックスの上に倒れた体躯は、アンドロイドよりも人間の重さに近かった。


     視線の先でケインのトラックが停まり、ブラッドは二輪の重心を一気に右手へ傾けて裏路地へ入った。トラックが停まったのはこの研究所らしき建物の西側だ。進路を九十度ねじ曲げたブラッドが入り込んだ路地は南に当たる。ブラッドはライトを消して二輪を乗り捨て、人気のない裏路地から建屋の塀を登って中の様子を窺った。
     アンドロイドが取り囲む中、出入口を塞いだトラックの横腹が開いて、その中でロイがランチャーを構えている。その銃口の先にいるのは、フードを被った長身の人影二つ。
     どく、とブラッドの心臓が跳ねる。唇が震えて心臓が冷える。ここからでは外套の背中しか見えない、フードの中の顔までは見えない。外套に隠されて、体格も詳細は分からない。人間なのか、アンドロイドなのか、ブラッドの敵なのかどうか、これだけでは分からない。
     それでも、いるはずのない誰かを幻視して一瞬で動けなくなったブラッドをよそに、どこか上のほうから銃声が響いてトラックのまわりがにわかに色めき立つ。銃声の犯人を探す革命軍、駆け出すフードの人影二つ、それを追う残りの革命軍。ブラッドもまた喧噪にまぎれて遮二無二まろび出た。ありえないと分かっているはずなのに、心臓が痛いくらい早鐘を打って、どうしてもじっとしていられない。言葉にもならない雄叫びを上げて、アンドロイドの群れを掻き分け、ぶん殴って、引きずり倒し、まだ間合いにも入らないうちから長身の背中へ手を伸ばす。彼は、一緒に連れていた比較的小さいほうの人影を先へ押しやると、ブラッドが伸ばした手のすぐ先でこちらを振り向こうとしていた。
     その様子が、かつての自分と相棒に重なる。
     ブラッドの心臓がまた跳ねる。背後でやけに重い銃声がする。ブラッドの脳裏にランチャーを構えるロイの姿が閃いて、ブラッドは必死で目の前の大きな背中を突き飛ばした。人間よりも重いから、アンドロイドの機械の体だな、と頭の片隅によぎる。
     自分があの日あの時こうやって、相棒を突き飛ばしてやれたならよかったのにと、一瞬思い出した懐かしい背中の感触は、爆発音とともに降りかかる礫(つぶて)交じりの爆風に掻き乱され、ブラッドの手の中から消えていった。


     自分の背中に倒れ込んだ赤毛が身動きしないのを察し、そのまま爆風だけやり過ごしたアレックスは、しかしすぐに起き上がって怒鳴った。
    「ハッピー、先に行け!」
    「でも……!」
     ランチャーの銃声と爆発音を聞いたハッピーが振り返って戻ってくる。アレックスは眉を寄せると、赤毛の青年を肩に担いですぐに駆け出した。
     この状態で連れを増やすのは得策ではないが、庇われた形になった以上、置いていくのも寝覚めが悪い。それに、アレックスが彼を放っておけるとしても、ハッピーまでもがそうだとは限らない。案の定、アレックスが青年もろとも立ち上がって駆け出したのを見たハッピーがほっとした顔で方向転換をして、アレックスはそこでやっと赤毛の青年にスキャンをかけた。
     両腕は機械の義手、左足に中~重度の負傷あり。負傷及び爆発の影響で失神したか。
    「…………」
     アレックスは機体の出力を上げてハッピーを追い越した。先程ランチャーを撃つにあたってロイは味方を多少なりと退避させており、少しとはいえ距離を稼げている。なおかつ、アレックスは余波が行かないようハッピーとの間にも少し距離を作った上で、研究所のブロック塀をCODE:EXで突き崩した。
     そのとき、ハッピーよりも後ろから誰かの声がかかる。
    「乗っていけ! 自分も後で追いつく!」
    「!」
     その言葉の通り、アレックスが崩した塀のすぐそばに無人のワゴン車が停められていた。暗闇に紛れる重い色の車体、その後部座席を開けて青年を放り込んだアレックスが運転席に乗り込むと、追いついたハッピーも後部座席に滑り込む。アレックスは半ばハッキングの要領でワゴンの自動運転機能を自身の回路と繋げ、そのまま発進した。
     ベルトもまだつけていなかったハッピーが急発進で情けない悲鳴を上げ、赤毛の青年が座席から転げ落ちかけるのをすんでのところで捕まえた。
    「け、怪我人を乗せてるんですよ⁉」
    「だからこそ、捕まるわけには行かんだろう。飛ばすぞ」
     アレックスは淡々と答えてスピードを上げる。ケインのトラックが動き出すのが目の端に映ったが、それは何故か追ってこなかった。そのまましばらく走って、やがてアレックスが速度を落とすと、ワゴンの横にバイクが並ぶ。
     アレックスが目をやると、バイクの男が軽く片手を挙げる。すると車内のスピーカーから声がした。
    『目的地まで案内しよう。ついて来い』
     その声に、後部座席のハッピーが目を丸くする。
    「あなたは、さっきの……」
     それは、アレックスが塀を壊した後、乗っていけ、と二人にかけられた声だった。声はスピーカー越しに肯定して、それなら、とアレックスが問いかける。
    「ロイを撃ったのもお前か? 随分と高みの見物だったようだが」
    『そう言うな。膠着状態から、撤退のいいきっかけになっただろう?』
     声はくつくつと笑って、その後からは真面目な口調で続けた。
    『出がけにケインのトラックもタイヤを撃ってパンクさせてきた。トラック以外の追手も、今はかかっていないようだ。諦めたのか、侮られているのか……』
    「……どちらにしろ、今はエル様と合流するのが先だ。それと……」
     アレックスはちらりとミラーに目をやり、そこに映る後部座席を見た。そこでは、まだ目を覚まさない赤毛の青年を、隣の座席からハッピーが心配そうに見ている。
     アレックスが視線を前方に戻すと、スピーカー越しの声も静かに言った。
    『そうだな。負傷の手当てと……ブラッドには、話してもらうことも、たくさんあるな。……ハッピーがコントロール不能になったときのための四輪だったんだが……こんな形で役に立つとは』
     そこからは二人の会話も途切れ、夜の闇の中、一台のバイクと一台のワゴンは、まっすぐ目的地へ向けて走って行った。


     炎に巻かれた工場の廊下を、長身の相棒が警棒で火の粉や落下物を払いのけながら走っていく。ブラッドはその背中を追いかけながら手を伸ばした。toeten,toeten,ブラッドの背後から機械音声が近づいてくる。追いつかれる前に、とブラッドは必死で手を伸ばして、そして触れた背中を力いっぱい突き飛ばした。機械の体を押す重い感触は、覚えのある確かなものだ。
     ブラッドが思わずその感触を噛み締めていると、目の前が急にひらけて屋外になる。やった、二人で脱出したのだとブラッドは相棒の姿を探して周囲を見回した。――そして相棒を見つける前に、ブラッドへ掠れた声が届く。
    「ブラッ……ド…………」
     途切れ途切れの相棒の声に、ブラッドの心臓が大きく跳ねる。ブラッドが、油の足りない機械のように少しずつゆっくり振り返ると、いつの間にこんなところまで来てしまったのか、遠く手の届かない視線の先の瓦礫の上で、胸元に大きく穴の開いた相棒の機体が蛍光色のオイルを噴き出して崩れ落ちた。
     それは手の届かない距離だったはずなのに、光を失ってオイルで汚れた相棒の顔ばかり鮮明に目の前へ焼きつく。ブラッドの喉は呼吸の方法を忘れ、溺れるように引き攣った。


    「――――ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
     絶叫は己のものらしかった。ベッドの上で身をよじって飛び起きたブラッドは、ぜえ、ぜえ、と肩で息をしながら周囲を見回した。嫌な汗が身体中に滲んでいる。両腕の義手は取り外されて見当たらない。病室のような小さくて白い部屋には他に誰もおらず、ブラッドのK.G.Dジャケットがハンガーで壁にかかっていた。
     この白い壁は病院か研究施設か、どちらにしろ知らない場所だ。ブラッドは、ご丁寧にハンガー掛けされているジャケットを睨んで舌打ちした。義手がないのでは手に取ることもできない。
     身動きすると左足が痛んで、ブラッドは顔をしかめた。ロイが撃ったランチャーの着弾を避け切れなかったらしい。傷だらけの身体にまとわりつくブランケットとベッドシーツは少し薬臭い。
     それに、先ほどの絶叫のせいか、部屋の外からバタバタと複数の足音が近づくのが聞こえて、ブラッドは義手のない短い腕を見下ろし奥歯を噛んだ。
     腕は無い。足も痛む。それならせめて頭突きくらいはしてやるか。ブラッドは何が出てくるか分からないドアを睨みつけて呼吸を測った。しかし、知らないドアから一番に飛び込んできたのは既に知っている声だった。
    「ブラッド!」
    「ッ……ソルさん⁉」
     変わらない、仲間を心配するときの表情でベッドまで駆け寄ってくるソルの様子に、ブラッドの身体が少しだけほっとして脱力する。ソルはベッドの傍らに膝をついてブラッドの様子を確かめると言った。
    「……汗が酷いな、拭くものをもらってこようか。他は……どこか、痛むところはないか。必要なら先にドクターを……」
    「……、……いや……」
     ブラッドはソルの後ろを見て、再び身体に緊張を走らせた。ドアから入ってきたのはソルだけではない。
     ソルに続いて入ってきたのは、K.G.D独立捜査官のエンドーと、エンドーよりも背の高いアンドロイドだった。
     敵意を隠しもせず、ブラッドは露骨にアンドロイドを睨んだが、当のアンドロイドは、無機質な色の瞳で静かにブラッドを見返すだけだった。一人と一機の視線に気づいたエンドーが、まあまあと笑って間に入る。
    「そう緊張するな! ここでは誰も争わせないさ。ブラッドも楽にするといい。……そうだ、腹は減っていないか? 怪我を治すには、まず栄養を摂らないとな」
     ホットドッグ食べるか?とエンドーが笑う。しかし、ブラッドはそれにも鋭い視線を向けて言った。
    「……それより、腕を返してください。このままで、何を食えっつーんすか」
     ブラッドの視線を真っ向から受け止めて、エンドーが口を噤む。その視線はブラッドを品定めしているようで、なんだか居心地が悪かった。それでもブラッドが意地を張って視線を外さずにいると、やがてエンドーが口を開いた。
    「君の義手は、まだ返せない。今、ここの技師たちがチューニングしているところだ。……随分と、人体に負荷のかかる設定にしていたんだな」
     エンドーがすうっと目を細め、対するブラッドはそっぽを向いて舌打ちした。
    「……没収ってことかよ。オレなんか捕虜にしても、何も出てこねえぞ」
     エンドーがぱちりと瞬きをして、しん、と室内が静かになる。すぐにソルがブラッドの肩を掴んだ。
    「そんなつもりはない! 俺たちは、」
     しかし、ブラッドはソルの言葉を最後まで聞かず、身をよじってソルの手を振り払う。
    「今さら何を取り繕う気だよ! どっからどう見てもそうだろ、あんたはもうオレの敵だ!」
     顔を上げてソルを睨むブラッドの胸に、ブラッド含む捜査班を壊滅させて去っていったソルと、一緒にいた金髪のアンドロイドの姿が浮かぶ。同じことを思い出したのかどうか、ソルも顔を曇らせて、まだブラッドへ伸ばそうとしていた手を戻した。
     ソルの手を振り払って大声を出して、ふうふうと息を荒らげていたブラッドは、さらにエンドーもアンドロイドも睨みつけた。呆れたような困ったような顔でこめかみを掻くエンドーの横で、長身のアンドロイドは相変わらず無表情で黙っている。こいつは何をしに来たんだ、とブラッドの胸中に疑問が生まれたとき、ちょうどそのアンドロイドが口を開いた。
    「……何故、俺を助けた?」
    「は?」
     アンドロイドの思わぬ言葉に、ブラッドは思わずソルとエンドーのほうへ視線を向けるが、二人ともブラッドを見返すだけだ。その反応を見るに、このアンドロイドが壊れているわけではないらしい。ブラッドはアンドロイドをしばらく眺めて、それからふっと視線を逸らして肩を落とした。――そういえば、アンドロイドを助けた。ブランケットの下でしつこく痛む、この足をやったときだ。
     あのとき必死で突き飛ばした背中の感触を思い出して、ブラッドは小さく肩を揺らした。
    「はは……そうだよな、ダークの、わけがねえ……」
     目の前のアンドロイドは、正面から見てしまえば背丈以外は似ても似つかない。それでも、触れた背中の感触は確かに似ていた。――だからきっと、あんな夢を見てしまったのだ。もう間に合わないことなんて、嫌というほど、幸せな夢にすら浸かりきれないほど知っているのに。
     ブラッドの口から自嘲がこぼれる。ブラッドは、ゆっくりアンドロイドを見上げて言った。
    「……別に、お前を助けたかったわけじゃねえ。人違いだ。フードで顔が見えなかった。オレが、どうしても助けたかった奴と、同じくらいの背丈だった。後ろ姿で、相棒と間違えたんだ。あいつはもういないのに」
     自分がどんな顔をしているのか、ブラッド自身には分からなかったが、それはどうやら奇異なものであったらしい。無表情だったアンドロイドの顔の上で眉パーツが少し中央へ寄り、いくらか険しい表情が出来上がる。ブラッドは、自分の顔の筋肉が引き攣れるように動いて頬が持ち上がるのと、乾燥した唇が震えるのとを察しながらソルを振り向いた。
     蒼い双眸の中にある気遣いの色には気づかないふりをして、ブラッドは笑って口を開いた。それが自嘲なのか自暴自棄なのかは、ブラッドにも分からなかった。
    「なあ、ソルさん、聞いてくれよ。俺の相棒なあ、ダークって言って、アンドロイドだったんだ。地元の自警団で一緒だった」
    「えっ……⁉」
     ソルが驚いて目を丸くする。ブラッドはそれを見てくつくつ笑った。ケインが妻子を奪われたこと、ソルが家族を奪われたことは、ブラッドだって知っている。K.G.Dにはそうした訳ありの人間が多くいたから、傷の舐め合いは珍しいことではなかったのだ。同様にブラッドも、かつてアンドロイドに相棒を奪われたことは仲間内で何度か話していた。けれども、その相棒がアンドロイドだったことまで明かすのは、故郷を離れてから初めてだった。
     アンドロイドにアンドロイドを奪われたからアンドロイドが憎いだなんて、自分がパラドクスにまみれていることはブラッド自身よく分かっている。それでもブラッドはまくし立てた。
    「他のアンドロイドと違って、あいつは、あいつだけは、ちゃんと心があって、魂があって、感情があったんだよ。それなのにアンドロイドに殺された。オレを庇ったんだ。オレの目の前でオイルを撒き散らして死んだ。……アンドロイドがアンドロイドを殺したんだ……‼」
     血を吐くような声を絞り出して、ブラッドは再び長身のアンドロイドを睨んだ。自分の心がどうなっているのか、ブラッド自身にも分からなかった。ついさっき敵だと言い放ったばかりなのに、何かを期待してソルに縋りつきたくなるほどの孤独があり、この手で助けたのがダークでなかった消沈があり、見知らぬアンドロイドに対して自分の知るアンドロイドの醜悪さを突きつける、優越じみた高揚がある。
     睨まれたアンドロイドは、一瞬だけ目を見開いていたが、すぐに元の無表情に戻った。いや、元の表情よりはいささか不機嫌、不服そうにも見える。機嫌を損ねたのなら殴ってくるかもしれない。うっすらそう思いながら、両腕のないブラッドが目を逸らしもせず歯を食い縛って肩を上下させる傍らで、ソルが呆然と呟いた。
    「……じゃあ……ブラッド、お前は、お前の復讐は、これまでずっと、たった一機のアンドロイドのためだけに……」
    「…………」
     ブラッドは黙ってソルのほうへ視線を滑らせた。驚愕と、少しの憐れみを滲ませるソル、その奥に立つエンドーが目に入る。エンドーは驚いたそぶりも見せずにただブラッドを眺めていて、それが先ほどの品定めのような視線と重なり、ブラッドの胸に不快感を生んだ。
     何か言ってやろうかとブラッドが薄く口を開いたところで、部屋の外からガラガラと台車でも引っ張るような音がする。途端にエンドーが明るく笑ってソルの肩を叩いた。
    「医療班の到着だ! ここは治療のプロに任せて、自分たちは一度退散するとしよう。……ブラッドも、医療班には粗相のないようにな。そんな足でつまみ出されたくはないだろう?」
     エンドーがしたり顔で笑って、入ってきたドアを開けると、その先には医療器具のワゴンと、それを引いてきたのだろう白衣の人間が二人いた。ブラッドが口を噤(つぐ)んで黙り込むと、エンドーは医療班らしき彼らを招き入れる。ブラッドは気まずくなって目を泳がせた。
     どこだかも分からないこんなところ、別につまみ出されたって構いやしないが、医療者相手では暴れるのも気が引ける。ブラッドが黙っているうちにエンドーたちは出て行って、よろしくお願いします、というソルの声を最後に、彼らの姿は見えなくなった。


     医療班と入れ替わりに退室したエンドーとソル、それからアレックスは、ドアの前で誰からともなく顔を見合わせた。思わず笑ったエンドーは、廊下の奥へ片足を踏み出しながら言う。
    「自分は、資材庫のほうに行って、ブラッドに渡せる義手があるか訊いてくる。医療用か調整用か、少なくとも自分で飯が食えるくらいのものが工面できれば、少しはブラッドとも話しやすくなるだろう。二人はどうする?」
     エンドーの問いに対して、ソルが少し考え込んでいるうちに、アレックスが淡々と答えた。
    「……エル様は、あの人間も心配していた。目が覚めたことと、怪我の様子、それから……アンドロイドの相棒のことも、報告しておく。他に何かあれば伝えるが」
    「いや、今はそれだけ伝えておけば十分だろう。他は追々、判明してから、だな。ソルは?」
    「俺は……」
     一瞬、エンドーとアレックスを見比べていたソルは、やがて考えがまとまったのか、一つ頷いてから顔を上げた。
    「俺も、アレックスと一緒に行きます。エルが気にしてくれてるのなら、俺が知るブラッドのことも、話しておきたい。イーサンの手下じゃなくて、俺の仲間のブラッドのことを」
     ソルの返答を聞くと、エンドーはどこか嬉しそうに頷いた。アレックスはいつもの無表情で、是とも非とも言わないままだが、エンドーはそのまま話を続けた。
    「エルなら、さっきは確かキースのメンテのそばにいたな。アレックスはもうメンテも終わったみたいだが、キースはまだかかりそうか?」
     問われたアレックスは、エンドーを見下ろして静かに答える。
    「……誰かさんの部下が、非効率的な方法で不調箇所を指摘していたからな。キースのメンテが終わるのは明朝だそうだ。エル様もまだメンテ室にいるだろう」
    「そうか、じゃあ二人は東棟だな。資材庫は西棟だから、自分はここで。二人とも、そっちのことは頼んだぞ!」
     エンドーはそう言って踵を返し、資材庫のある西棟へ向かった。その背中と足音を少し見送ってから、ソルはアレックスとともに、メンテ室のある東棟へと踵を返す。
     しばらく黙っていた一人と一機だったが、少し歩いてブラッドの部屋の前を離れてから、アレックスがおもむろに口を開いた。
    「……アンドロイドがアンドロイドを殺した、なんて、その程度で一括りに憎まれるのは不愉快だな。……人間だって、人間を殺すだろうに」
    「それは……」
     思わず反論しかけたソルだったが、言葉を探して何度か唇だけ開閉させるうちに、ふっと息をついて目を伏せた。
    「……いや、確かに、その通りだな。俺の仲間が、すまなかった。……それでも、ブラッドじゃなくて俺に言ってくれたこと、感謝するよ」
     一度だけ後ろを振り向いたソルは、すぐに前方へ向き直って歩き続けた。
    「でも、アンドロイドだって、人間はみんな嫌いだって言う奴もいるだろ。怒ってるとき、悲しいときに、他人の区別なんてつかないんだ。人間もアンドロイドも、自分の怒りや悲しみで手一杯になるから」
     俺もそうだった、とソルは自分の右手を見下ろし、義手になった手のひらを握る。
     ソルとて、家族を奪われた怒りを、悲しみを、忘れてしまったわけではない。けれども、そればかりに身を任せていては、破滅に向かうばかりだ。それを引き止めてくれたのは、ハッピーたちアンドロイドとの関わりだった。
     ソルは、ゆっくり噛み締めるように、あるいは自分自身にも言い聞かせるように言った。
    「だから、いつか……平和な、人間とアンドロイドが手を取り合う世界になったら……ブラッドも、きっと分かってくれるさ。それか、思い出す、って言ったほうがいいのかな。……アンドロイドの相棒のために、ここまでやってきたんだから、最初からアンドロイドが嫌いだったわけじゃないだろうしさ……」
    「…………」
     アレックスは、ソルを横目に見て黙り込んだ。それはただの希望的観測だ、などと切り捨てるのは、ことあるごとに希望へ縋りたがる人間とやらには優しくない。アレックスは黙ったまま、エレベーター前の内線機を手に取り、自分とソルがメンテ室へ向かうことを知らせた。


     ワゴンと一緒に入室してきた医療班の二人は、片方がしなやかな黒髪で眼鏡、もう片方が癖のある銀髪で眼鏡だった。まずは足の包帯を換えて薬を塗るという彼らに、ブラッドは小さくこぼす。
    「……別に、このままでも平気っすよ。薬なんか特に……貴重な物資だろうし、オレなんかに、使わなくても」
     顔を見合わせた黒髪と銀髪は、しかし銀髪がそのまま包帯交換の作業を続け、黒髪がワゴンから薬瓶を取って言った。
    「思っていたより謙虚だな。だが、心配には及ばない。薬とはあらゆる傷病者を癒すためにあり、用法・用量は厳密に決まっているものだ。きみが遠慮をする筋合いじゃない」
     黒髪の医師はそう言って薬瓶を開け、脱脂綿を浸してブラッドの足の傷に当てた。ブラッドは薬液の冷たさと傷口の痛みに顔をしかめたが、それきり黙る。
     黒髪の医師が薬瓶と脱脂綿を片付けて新しい包帯を巻いているうちに、銀髪のほうの医師がワゴンの下段からいくつかの書面を取ってめくった。
    「ブラッド君だな。私はロードン、そこの彼がフレイ君だ。アレックス君がきみを運び込んだ時、きみは意識がなかったから、問診代わりにこちらでスキャンをかけて患部を測定したのだが――きみ、若いからと言って体を酷使しすぎではないか? 足だけでは収まらないぞ」
     銀髪の医師ことロードンの眼鏡の奥で、菫色の双眸が光る。そこから、黒髪の医師・フレイと二人がかりで、足の怪我以外にも義手の負荷設定やその他身体スキャン結果などについて怒涛の小言を食らい、ブラッドはしばらく「はい」「すんません」「気をつけます」ばかり繰り返す羽目になった。
     医療班と言うから柔和か軟弱なのかと思っていたブラッドは、二人の問診が終わる頃にはすっかりその認識を改め、ベッドの上で縮こまっていた。
     その一方で、医師たちはいろいろと書き込んだ問診票をワゴンに戻すと、ベッドの傍らへ持ってきたスツールで一息ついた。それから、いくらか態度を和らげたフレイが口を開く。
    「エンドー君から、僕たちが答えられる程度のことなら話していいと言われている。患者に混乱を与えるのは良くないからな。まず、きみはどこまで把握している?」
    「……。ケインを追って、フード被ったアンドロイドを突き飛ばしたところまでだ。それがさっきのデカブツだったんだろ……そんで、足は、たぶんロイのランチャーが掠った」
    「そうだ。記憶の混濁はないようだな。そのアンドロイド――アレックス君いわく、きみはそこで意識を失った。アレックス君はどさくさ紛れにきみを回収し、ここに運び込み、そこから今に至るまでが一時間半ほどだ。もうそろそろ日付が変わる。……他に質問は?」
     一時間半。そう長く眠っていたわけではないことに安堵しながら、ブラッドはまたぐるりと室内を見回した。
    「……『ここ』って、要するにどこなんだ。ソルさんたちのアジトか? オレなんか置いといたらダメなんじゃねえのか」
     これはさすがにはぐらかされるかもしれないな、と思いながら尋ねてみたブラッドだったが、ロードンのほうがあっさりと答えた。
    「ここは、アル・サイバー社の旧ラボだ。アンドロイド企業のラボだっただけあって、きみの義手をメンテナンスできるだけの設備も整っている。安心したまえ」
    「……、そうかよ」
     そういう心配してんじゃねえんだけどな、というのがブラッドの表情に出ていたのかどうか、ロードンは一つ瞬きをしてから続けた。
    「表向きは閉鎖されているが、ここには、エンドー君や、彼に協力する者――アンドロイドと人間の、平和を望む者たちが集まっている。私も、フレイ君も。だから私たちはきみを治療する。それが、平和への一歩だと信じて」
    「…………」
     ブラッドはロードンを見ながら目を細めた。冷静さはフレイと似ていても、ロードンは一段と表情変化に乏しいように思っていたが、その声には意外なほどの熱があった。
     ロードンは眼鏡の奥から、しかしまっすぐにブラッドを見て言った。
    「私たちの、医療者としての正義と誇りだ」
     その声が、言葉が、眩しいくらいまっすぐで、ブラッドは思わず目を逸らした。正義も、誇りも、今のブラッドの手からはこぼれ落ちていくものだった。
     本当は、本当だったら、今頃ケインを捕まえて、それで。けれども現実は、ケインを取り逃がしただけでなく、敵も味方も曖昧なまま、腕を捥がれて知らないベッドにいる。
     黙り込んだブラッドを見て、医師たちは顔を見合わせた。それから、二人は立ち上がってスツールを片付けると、ワゴンを動かして出入口のドアへ向ける。
     フレイがブラッドを振り向き、ベッド脇で屈んでからブラッドへ言った。
    「一通りの手当てと問診は終わった。僕たちはこれで失礼する。コールボタンは壁側だ、肩でも押せるようになっているから、何かあれば連絡してくれ。僕が対応する」
    「…………」
    「……ちなみに、僕らは総合病院できみたちK.G.Dの荒くれ者たちも診ていたから、ちょっとやそっとではへこたれないぞ。きみは義手の関係で担当科が違ったから初対面だが」
     その言葉に、ブラッドは思わず顔を上げた。K.G.D署員も利用していたあの総合病院、そこに勤めていた医者なら。
     訊きたいこともまとまらないうちに、ブラッドの口から名前だけがまろび出る。
    「ケインさんは」
    「知っている。診察したことはないが。よく仲間たちの見舞に訪れていたな」
     それしか知らない、と言い置いてフレイは立ち上がると、ロードンと一緒にワゴンを押して去っていった。
    「お大事に」
     また、ブラッドの前でドアが閉まった。


     メンテナンスルームは、左右の壁を頭側にして二列にベッドが並んでいる。今はその一つをキースが使っており、向かいの列のベッドにはハッピーが寝かされていた。
     そのメンテ室に着いたソルとアレックスは、キースのベッドを挟んで向かい合わせに座った。アレックスの隣、キースの頭側には、エルがスツールにちょこんと座っている。
     そのエルが、ソルとアレックスの着席を待って言った。
    「待っていました、ソル、アレックス。彼の様子はどうでしたか?」
    「……無事、目を覚ましました。怪我はしていますが、それ以外は元気なようです。大声を出せるくらい」
     最後の一言が皮肉っぽいんだよなあ、とソルは少し渋い顔をしたが、エルは無邪気な様子で嬉しそうに笑う。
    「そうですか! よかった……」
     一方で、ベッドの上で足を投げ出して座っていたキースは、何本かのコードで背後の壁と繋がったまま、むうと眉を寄せた。
    「エル様、どうしてあんな奴のことまで心配するんです?」
     ソルはキースの表情を見て、今にも子供みたいに頬を膨らませそうだと思ったが、言葉にはせず胸の中にしまっておく。エルはキースへ穏やかに微笑みかけた。
    「誰だって、目の前に怪我をした人がいたら心配ですよ。……それに、彼はアレックス、ひいてはハッピーも庇ってくれたんでしょう?」
     ね、とエルはアレックスを振り向いたが、当のアレックスは少しばかり不服そうな顔で答えた。
    「……それは、人違いだと言っていましたが」
    「それでも、『誰か』のために身を投げ出せる人には違いありません。ボクは、彼とも話がしてみたいです」
     にこにこと言ってのけるエルの様子に、キースもアレックスも口を噤む。一方、ソルは我が意を得たりと声を上げた。
    「エルの言う通りだ! ブラッドは誰より正義感の強い男だ、イーサンの正体を知っていたら力を貸すはずがない。ここで傷を癒して、仲間になってもらおう」
     な、とソルが周囲へ同意を求めると、エルだけが、そうなったら素敵ですねと微笑んだ。だが、キースは不機嫌と呆れの混じった目でソルを眺め、アレックスは小さく、しかしわざとらしくため息をついて口を開く。
    「どうだかな。あの男、随分とアンドロイドに恨みを持っているようじゃないか」
    「それでもだ! アレックスだって聞いただろう、あいつは、アンドロイドの相棒のためにここまでやってきたんだぞ」
     ソルが言い返すと、アレックスはふいと目を逸らした。その隣で、エルがぱちぱち瞬きをする。
    「アンドロイドの、相棒? 彼に? ……本当ですか?」
    「ああ。さっき、ブラッドが自分で言ったんだ。……アンドロイドの相棒がいて、そいつがアンドロイドに壊されたからアンドロイドが憎いんだ、って……」
     痛ましさに声を落とすソルに、キースが鋭く詰問する。
    「アンドロイドがアンドロイドを壊した? 何故」
    「……暴走アンドロイドから、ブラッドを庇ったんだそうだ。俺も、詳しくは聞けてない。K.G.Dでチームアップはしてたが、失った相棒がアンドロイドだったなんて、初めて聞いたよ」
     ソルは苦笑を浮かべながら、これまでのブラッドの胸中に思いを馳せたが、キースはベッドの上で腕を組んで鼻を鳴らした。
    「その程度の信憑性じゃ、話にならないな。あの男はイーサンの手下だろう、吹き込まれただけかもしれない。とっととつまみ出したらどうだ」
    「それは……」
     ブラッドを疑う気はなくても、イーサンのことは疑って疑いすぎることはないように思う。ソルが言い淀んだとき、メンテナンスルームに新たな来客があった。
    「よう! ブラッドの相棒の話なら、信憑性はここにあるぜ」
     ソルが振り向くと、そこにはタブレット端末を小脇に抱えたリクがいた。メンテ室へやってきたリクは、ソルの隣のスツールに腰かけて手早くタブレットを操作し、タブレットから空中へスクリーンを表示させる。
     リク以外、四対の視線がそのスクリーンに集まると、ブラッドの顔写真や身体能力値、義手のカスタム内容など、ブラッドのK.G.D署員情報が次々と投影された。リクはその情報をしばらくスクロールしてから、ある一点で画面を止める。そこには、ブラッドのK.G.D内外での経歴がまとめられていた。
     そのスクリーンをリクも見上げて、指で示しながら解説する。
    「ブラッドは、ロイの反乱の後にK.G.Dへ移籍してきた署員だ。移籍の経緯を調べたところ、元々は地方自警団にいた。その自警団のデータがこっちだ」
     スクリーン上で、リクがブラッドのデータの中から自警団の項目をタップすると、その上にもう一つスクリーンがポップアップしてきて、自警団の公開活動記録が表示された。記事内の検索欄へリクは日付を入力し、その日付を見たアレックスが静かに呟く。
    「……まさか、北部大規模テロの」
    「そうだ。ブラッドは北部の出身だ」
     淡々としたリクの言葉に、エルが目を見開く。リクがその日付の活動記録を開くと、記事の末尾に、アンドロイド団員一名損壊、一般団員一名重傷の記載があった。
     リクはタブレット上の記載をトントンと指先で叩く。
    「この、損壊と重傷の二人が、ブラッドと相棒のアンドロイドだ。市民の安全な避難のため、暴走アンドロイドを引きつける陽動役を担っていたとされている。……二人は、自警団に加入したときからのバディだったそうだ」
     今度は、自警団のメンバー表らしきデータが二つ並んでスクリーンに表示された。片方には、ソルが知るよりも少しあどけない、自警団加入当初と思しきブラッドの顔写真があり、もう片方の写真欄には、黒髪のアンドロイドが映っている。
     その型番を見た途端、キースが唖然として声を上げた。
    「GB‐190なんて、ポンコツどころか骨董じゃないか。ハッピーでさえBT‐0117、01始まりとはいえ識別番号四桁なんだぞ」
     キースの言葉に、リクはあっさりと頷く。
    「まあ、ブラッドの自警団加入が四年前で、GB‐190はその当時で既に型落ちとされていたからな。都市警の払い下げ品だそうだが、その都市警でも長く働いていた機種だから、ハッピーより古いのは間違いない。……それを、ちょっと毎朝の起動が遅い程度で運用できていたそうだから、自警団にはよっぽど腕のいい整備士か研究員がいたんじゃないか? 雪の多い北部で、古い機械が故障もせずに動いていたというのも、それだけ大切に扱われていた証拠だろう」
     リクがどんどん自警団の記録を遡っていくと、雪の中で救助訓練をしている自警団の写真が現れた。写真、場面によってGBのパーツや装備が違うのは、そのときごとに防水仕様や耐火仕様などカスタマイズを変えているからだろう。
     リクはそこで記事のスクロールをやめて、キースに笑ってみせた。
    「相棒のことだけでも、ブラッドを信じる気になったか?」
     しかし、キースはまだ疑心を露わにして言い放った。
    「……奴のバディがアンドロイドだったことは信じてやろう。だが、アンドロイドが人間を庇っただと? 人間が適当に使い捨てたのを、良いように言ってるだけじゃないのか」
    「キース、お前なあ!」
     ブラッドのこともよく知らないくせに、と気色ばんだソルを、リクが横から腕を伸ばして止める。リクは静かに目を伏せて言った。
    「新型の……最近の、戦いばかりを見てきたキースが、そう思うのも無理はない。でも、俺だって、アンドロイドのADAMに助けられて、今ここにいるんだ。あいつは、必死で俺を救おうとしてくれた。……キースたちだって、ハッピーを見れば分かるだろう? 元々、人間とアンドロイドは、共存していたはずなんだ」
     リクの視線を追って、キースもハッピーのベッドを見やる。ハッピーが意地でも消そうとしない家事手伝いアプリのことを思って、キースはガリガリと頭を掻いた。一瞬、室内の言葉が途切れた後、ぽつりとアレックスがこぼす。
    「たった一機のアンドロイド……それを殺された復讐のためだけに、何百というアンドロイドを破壊した男。……それだけ、あの男にとって、たった一機が大切だったなら……もし、そのアンドロイドが、破壊されることなく、今も彼のそばにいたなら……。彼らこそが、俺たちの理想の姿たり得たかもしれないな……」
     アレックスの静かな声が、沁み入るようにメンテナンスルームへ響いた。


    『義手ねぇ、確か二つ三つ倉庫に予備があるよ。着ける人のサイズ分かる? 医療班にスキャンデータがあるって? オッケー、じゃあロードンさんにデータ送ってもらって調整しとくから、二時間後くらいに取りに来てくれる?』
     ラボの倉庫番は、名前をアルマという。元はフリーのアンドロイド技師で、修理屋アルマに揃えられない部品は無いと評判だった。そこに目をつけたリクが彼をスカウトして以来、アルマはラボの研究や資材管理を手伝うのと引き換えにラボで寝泊まりしている。
    『ま、おじさんも危ないルートは使いたくないからね。平和になってくれるならそれが一番だよ。そのほうが技師の本業に専念できるし』
     そうは言いつつも、アルマは様々な部品やルートを提供してくれた。リクのアンドロイド化部分のパーツだったり、エルの治療のための道具やパーツだったり、実験・開発用具に食糧品まで。
     まったく頭が上がらない、と苦笑しながら、エンドーはエレベーターの中で調整済みの義手を抱え直した。向かっているのは、ラボがアル・サイバー社の施設として稼働していた頃、職員の仮眠・休憩室として使われていたフロアだ。今はエンドーやソル、他にも協力者たちの寝室フロアとして使われており、ブラッドもその一画にいる。ただ、元はあくまでも仮眠室であり、職員寮ほど生活感のある構造にはなっていないから、それぞれの個室はとても簡素だ。エンドーも時々寝ぼけて、病室で目覚めたかのような勘違いをすることがある。
     また、同じエレベーターには、途中で声をかけたフレイも同乗している。義手の装着に際してブラッドのバイタルチェックを頼んだのだ。そのフレイの白衣のポケットから、ワンコールだけ着信音が鳴った。
    「どうしたんです?」
     エンドーが振り向くと、フレイは端末の履歴表示を見て眉を寄せる。
    「……ブラッド君の部屋からのコールだ。先に行く」
     その言葉通り、フレイは目的の階に着いてエレベーターのドアが開くや、エンドーを置いて駆け出していく。エンドーは抱えた義手を一瞥した後、義手に衝撃が伝わらないよう小走りでフレイを追った。


     ――失くした腕が、まだ痛む。
     ベッドの上で壁を向いて身を縮め、ブラッドはマットレスに額を擦りつけるようにしながらシーツを噛んだ。声を殺して身をよじる、そのたびに足首がじくじくと痛んで、ままならなさに怒りすら浮かぶ。
    「うぅ、ゔうぅ……」
     痛い。痛い。痛む場所に手を当てることすらできない。ブラッドの口元でシーツがぎりぎりと悲鳴を上げた。身体中にじっとりと嫌な汗が滲む。苦痛からの逃げ道を探して、身を縮めたり伸ばしたりしているうちに、同じような動きをするアンドロイドを芋虫のようだと言っていたケインを思い出す。痛んだ胸元を押さえようとした脳が、押さえる腕すらないことでエラーを発してさらなる激痛を生んだ。
    「っああ゛ぁ……!」
     ブラッドの口元からシーツが離れて声が漏れる。はくはくと開閉する唇には、しかし縋る名前もない。ダークはもう隣にいないし、その偽者も、今はそばにいなかった。
     歯を食い縛って、唸って、一人で痛みに耐える夜は、思えば随分久しぶりだった。故郷の病院で腕を切り落としてすぐの頃以来だろうか。義手か、黒髪のアンドロイド、どちらかがずっとブラッドに寄り添っていた。
     誰か助けてほしい。どうすれば助かるのか、何が助けなのかなんて分からないけれど。誰か、誰か。
     瞼の裏に、長身の、黒髪の後ろ姿が浮かぶ。それがダークなのか、偽者のほうなのか、ブラッドにも分からなかった。薬を打ってでもいいから眠らせてほしかった。
     うつ伏せのブラッドのこめかみを、脂汗が一筋つたう。身じろぎしようとしてまた痛みがぶり返し、ブラッドはベッドの上で体を丸めて唸った。
     そのとき、不意に室内が明るくなって、知っている声が飛び込んでくる。
    「――ブラッド!」
     はっとしてブラッドが首をひねると、そこにいたのはソルだった。彼が入ってきたことでセンサーが作動して、室内の照明が点いたらしい。ソルはベッドの脇に膝をついて言った。
    「ブラッド、大丈夫か⁉ どこか痛いなら、一度フレイ先生に……」
     ソルが壁のコールボタンを押し、しかしコールが繋がる前にブラッドは首を振ってソルを睨んだ。
    「……いいから……早く、腕を返せ。無いままじゃ痛ぇんだよ……」
    「ッ、それは」
     ソルは手を引っ込めて言葉に詰まった。元々期待していなかったブラッドは、荒い呼吸の中でソルの手を見下ろした。
    「……あんただって、義手だろうが。あんたは、ねえのか、幻肢痛」
     ソルが目を丸くする。この様子じゃ聞いたこともなさそうだなとブラッドは口の端を吊り上げて、しかし次の瞬間にはまた痛みの波にさらわれて顔をしかめた。
    「ぐう、ぅっ……」
     ベッドの上でうずくまって震える、情けない姿だと思う。誇りなんてどこにもなかった。
     そうやって、ブラッドが必死で痛みに耐えていると、ソルの手がおずおずとブラッドの背を撫でる。DA相手なら足でも何でも使って払いのけていたが、その足も今は痛めていた。
     黙って耐えているうちに、新たな足音が近づいてきて、ドアが開く音がするとブラッドはなお身を強張らせた。
    「ブラッド君、どうした⁉」
    「フレイ先生! ブラッドが、その、幻肢痛……? って、」
     ソルの言葉に、フレイが息を呑む気配がする。フレイに命じられたソルが枕側にブランケットを丸め、クッション代わりにしてブラッドの上体を起こした。その間に、フレイは白衣から出したタブレットのカメラでブラッドをスキャンして、ベッド脇にあった救急箱の消毒液でブラッドの短い腕を拭く。
     薄く目を開けたブラッドがフレイに視線を向けると、彼は少し焦った様子で言った。
    「遅くなってすまない、医療義手の調整が終わったから取り付ける。これで少しはましになるといいんだが」
     フレイより少し遅れて入ってきたエンドーが、抱えていた義手の片方をフレイに渡して、二人がかりでブラッドの両肩に義手を装着する。小さな電極がいくつもブラッドの肩回りに貼りつけられて、取り付けた義手のコードと繋がった。
     義手には、電極のコードより太いケーブルが何本か生えていて、そちらはサイドテーブルに置かれたバッテリーと繋がっている。義手の装着を確かめたフレイは、エンドーがブラッドを仰向けに寝かせて完全に手を離してから、そのバッテリーのスイッチレバーを押し下げた。
     ビリ、とブラッドの体に電流が奔って、反り返った背中がベッドから跳ね上がる。奥歯を噛み締めて堪えたブラッドは、エンドーとソルに起こしてもらいながら、ゆっくり義手の感触を確かめた。
     医療用の白い義手は、普段の武具を兼ねた義手よりずいぶんと軽く、そして頼りない。それでも、指先、手首、肘、とゆっくり動かして、自分の体として動く様子を見ていると、さっきまで回路エラーを起こして痛覚に訴えていた脳も納得していくようだった。
     浅い呼吸を整えながら、ブラッドが義手を少しずつ動かしていると、フレイがベッドのそばに膝をついて義手とバッテリーのコードを外しながら言った。
    「ブラッド君、今も腕の痛みはあるか? 義手の動きに問題は?」
    「いや……問題ねえ、……義手も、ちゃんと動いてる……」
    「そうか。それならよかった」
     ほっとした様子で表情を緩めたフレイは、サイドテーブルのほうへ戻ってタブレットを取る。タブレットのカメラをブラッドに向けて、バイタルチェックをしているのだろう。ブラッドの故郷の病院でも、何度か見た光景だ。
     その間に、エンドーが義手のカバーを出してきてブラッドの腕に嵌めた。
    「表皮カバーだ。防水だし、後でシャワーを浴びてくるといい。汗だくだろう? その間に、軽食を用意しておくよ。この時間は、夜食を取る研究員も多いんだ。何が食べたい?」
    「いや、オレは……」
     必要ない、と続ける前に、ブラッドの腹の虫が鳴く。にまにま笑うエンドーの顔を見られずに目を逸らすと、今度はソルと目が合って互いに瞬きをした。
     ブラッドはすぐにこちらも視線を外したが、ソルはそれをどんな意味に取ったのか、少し考える様子を見せてからエンドーに言った。
    「あ……俺、パンケーキなら作れるぜ。キッチン、借りられるか?」
    「おっ、それはありがたいな! キッチンは共用だから、誰が使っても大丈夫だ。自分の分も是非頼む! フレイ先生は?」
    「……僕はコーヒーだけでいい。ブラッド君、バイタルチェックもOKだ、義手の接続は完了した。……パンケーキは食べられそうか? 難しければ、ゼリー飲料もあるが……」
    「………………」
     相手に断られないためには選択肢を提示するのがいい、断る・断らないではなくAかBかで考えてくれるから、という、どこで聞いたのかも分からない話を思い出しながら、ブラッドは半眼でフレイを眺めて黙り込んだ。この人ならパンケーキよりまともな選択肢を出してくれるかも、と一瞬期待したのだが、そうでもなかった上、ここで断ったら、ゼリーも飲めないくらい体調が悪いのかとまた要らないお節介を焼かれそうだ。
     ブラッドは観念してため息をついた。
    「……腹に溜まるなら何でもいい」
     じゃあパンケーキ三人分だな、と、ソルが弾んだ声で言った。


     両腕の義手に表皮カバーをつけてもらって、コップに水を注いだりそれを飲んだりして義手の動きを体に馴染ませたブラッドは、案内してもらったシャワー室でシャワーを浴びて元の部屋に戻った。整髪料を洗い落として乾かした髪は、後ろで一纏めにしてゴムで縛る。
     戻ったブラッドにフレイが言った。
    「どうだ? 足は痛むか?」
    「思ったより痛くねえ……すげえな、こいつ」
     ブラッドはそう答えてベッドに腰かけると、ブーツを脱いで自分の足を見下ろした。細いテグスのネットで綿でも包んだようなものが、包帯と防水テープの上から痛めたほうの足首を覆っている。実際には、見た目が似ているだけで、ただのテグスでも綿でもないが。
     外部からの衝撃を吸収したり、動作にかかる体重を支えたり、というのをテグス内のナノマシンが計算して、綿状の素材を膨張させたり硬化させたりするらしい。歩行などの動作に伴う痛みを減らせるようにと開発されたそうだ。
     こちらは水濡れ不可とのことで、シャワー室では外して廊下の往復でだけ装着したが、それでも十分ありがたい品だった。
     とはいえ、あくまでも歩行補助ガジェットであり、治癒促進の機能はないため、歩行が終わればつけている意味はあまりない。ブラッドはおとなしくベッドに座ってガジェットを外して、その下の防水テープも剥がした。防水テープで保護していた包帯もフレイが巻き直してくれて、ブラッドはベッドに腰かけたまま居心地悪く視線を泳がせる。
     その様子を見てか、エンドーがポットからコーヒーを注ぎながら笑った。
    「落ち着かないのか? ブラッド」
    「……あんたらが薄気味悪りぃからだよ」
     ブラッドが、心底訳が分からないのを声にも表情にもありあり乗せて答えると、エンドーは片目をつぶってみせた。
    「そうか? 懐柔して情報を引きだそうとしてる、分かりやすい作戦だと思うけどな」
    「…………」
     そういうとこだよ、とブラッドが渋い顔をしたとき、ちょうど部屋のドアが開いてソルが戻ってくる。
    「お待たせ! パンケーキ三人分、焼きたてだぜ!」
     言いながら、ソルは手慣れた様子で、持ってきたトレーからパンケーキの皿を配っていく。だが、狭い部屋に大きな机がないから、フレイはエンドーからコーヒーだけもらって壁際のスツールに座っているし、ベッドに座ったブラッドの前まで動かしたサイドテーブルは、エンドーが持ち込んだポットと、二人分のパンケーキとコーヒーを並べただけでいっぱいになった。ソルは少し考えてから、サイドテーブルを挟んで差し向かいになるブラッドとエンドーの間に入るようにテーブルの横側へスツールを持ってきて、自分のパンケーキはトレーごと膝の上に置いた。それからナイフとフォークを手に取って、上機嫌で言う。
    「よし! そんじゃ、いただきます!」
     ソルの左右で、エンドーは陽気に、ブラッドは少し間を開けてからぼそりと、いただきますを復唱した。それからカトラリーを手に取って、ブラッドは慎重に皿の上でパンケーキを切り分ける。
     トッピングのないシンプルなパンケーキだが、時間を考えればこのくらいがちょうどいい。それに、焼くときに使ったのだろうバターが充分風味を効かせているし、どんなトッピングよりも焼きたてが一番の贅沢だ。
     久々に食べるパンケーキを、不慣れな白い義手でゆっくり切り分けて頬張る。胸の底に浮かぶ黒髪の面影をそのたび搔き消しながら、ブラッドは黙々と食べ進めた。
     ブラッドが半分ほど食べ終わったとき、同じくらい食べ進めていたソルがゆっくり口を開いた。
    「その……ブラッドは、どうしてイーサンなんかの言うことを聞くんだ」
     食べている途中のブラッドは、とりあえず顔を上げてソルを見た。K.G.Dにいた頃のソルは、あまりこんな顔をしていなかった。敵の事情や心情を窺うようなことは、ソルもブラッドもしてこなかった。
     一度、口の中のものを飲み込んだブラッドは、湯気の立つコーヒーカップに手を伸ばして言った。
    「……オレはK.G.D署員で、相手はK.G.D長官なんだから、言うことを聞くのが普通だろ。離反してるあんたらがおかしい」
     まあオレも、何で急に自分が使われ始めたのかは知らねえけど、と付け足して、ブラッドはコーヒーに口をつけた。飲み損ねてこぼすのはあまりに格好が悪いので、食べるときよりも飲むときのほうが義手の操作に慎重になる。
     ブラッドが一口分のコーヒーをゆっくり飲んで、同じくゆっくりカップを戻すと、今度はエンドーが冗談混じりに言った。
    「じゃあ、お前さんから見て、イーサンは良い上司かい?」
     良い上司。
    「…………………………」
     ブラッドは思わず考え込んだ。ソルやケインがいなくなってからの、イーサンの命令とその結果を一つ一つ思い出す。
     ブラッドは、顎をつまんだり、腕組みをしたり、眉間を揉んだり、たっぷり数十秒考えてから、ようやくぼそりと漏らした。
    「……いや…………」
    「そ、そんなにか」
     横で見守っていたソルが、お疲れさん、とパンケーキを一切れブラッドの皿に譲る。ブラッドはその一切れとソルの顔とを一度見比べてから、あざす、と小さく呟くと、素直にフォークを差してありがたく頂いた。
     ソルとブラッドの間の空気が少し緩んだのを見計らって、エンドーが気楽な様子で続ける。
    「良い上司じゃないってんなら、離反も下剋上もやむなし、じゃないか? 上司の愚痴があるなら、この際ぶちまけてしまっていいぞ。……イーサンの味方をする義理もないだろう?」
    「…………」
     ソルにもらったパンケーキを頬張っていたブラッドは、にまにましたエンドーの顔を睨みつけてから口の中のものを飲み込んだ。それから、今度は自分のパンケーキを切り分けるためにナイフへ手を伸ばしながら言う。
    「……いいか、オレはソル先輩に愚痴を聞いてもらうだけで、別にあんたらに協力するなんて言ってねえんだからな」
     すぐにパンケーキへ視線を戻したブラッドの耳に、そうかそうか、と機嫌の良さそうなエンドーの声が入ってくる。ブラッドは努めて淡々とパンケーキを切りながら続けた。
    「オレが、ロイとノリスについて偽の情報を流したのは、イーサンの指示だ。オレがそれに乗ったのは、オレたちがケインを誘き出して捕まえるため……あんたらに手出しされたら邪魔だと思ったからだ。本気でケインを捕まえる気だった。……ロイやノリスが起動さえしなけりゃ……」
     ケインを取り逃がした悔しさがブラッドの胸に蘇り、ナイフとパンケーキの下の皿とが擦れてぎしりと軋む。ブラッドは気を取り直してナイフを持ち上げ、もう一口ぶん横にずらすと、再びパンケーキにナイフを入れた。
     その手元と、もっと下の足元にも一度視線を落としてから、ブラッドは再び口を開いた。
    「……戻ったら、オレもイーサンをとっちめなきゃならねえ。ケインを誘き出すだけなら、情報だけ出して、機体は金庫でもどこでも隠しとけばよかったんだ。それをわざわざ表に出して、案の定ケインに奪われて……これで、一般人にも被害が広がったら……」
     ぎしり、またナイフと皿が擦れて、ブラッドは一旦ナイフを置いた。それからフォークでパンケーキを二切れ重ねて突き刺して、まぐっと一気に大口で頬張る。もぐもぐと膨れた頬を動かすブラッドの様子を見ていたソルが、やがて慎重に問いかけた。
    「……ブラッド、それならやっぱり、俺たちと一緒に戦わないか? 俺たちの敵はイーサンだ。力を合わせて打ち倒そうぜ」
    「…………」
     ブラッドはソルに目をやって、それから口の中のものを飲み込むと、今度はカップへ手を伸ばしてコーヒーを啜った。ソルと、エンドーもブラッドを注視する中で、ブラッドはゆっくりカップを戻してぽつぽつと答える。
    「……それはできねえ。ケインを取り逃がしたのは、オレの不始末でもある。そのせいで街や街の人に危険が降りかかるなら、オレが街を守らなきゃならねえ。……ケインのアジトにゃ忍び込めても、街を警備・警護できるような人員は、どうせあんたらにはねえだろ。K.G.Dで人を集めて、警戒を強化する。あんたらと一緒にコソコソしてる暇はねえよ。……それに」
     それまで淡々と話していたブラッドだったが、こればかりは譲れない、と顔をしかめて声を押し出した。
    「……たとえ敵が同じだろうが、アンドロイドなんかと手を組むつもりはねえ。オレの相棒はダークだけだ。他のアンドロイドは全部ぶち壊してやる」
    「ブラッド、そんなこと」
     ソルは膝の上のトレーを押さえ、思わず身を乗り出しかけたが、エンドーがその肩を掴んで止める。ブラッドがソルからエンドーへ視線を移すと、エンドーは静かにブラッドを見ていた。
     黙ってエンドーを睨んだブラッドと少し目線を合わせてから、エンドーは穏やかに言った。
    「……要するに、お前さんは目の前の人や街を守りたいんだな。確かに、自分たちの人員では難しい、しかし同時に、とても大切なことだ。お前さんが担ってくれるならありがたい。暴走アンドロイドから人や街を守るなら、K.G.Dほどの適任もいないだろう。そのための戦闘訓練を積んでいるはずだからな」
     ソル同様、エンドーからも反感を買うだろうと思っていたブラッドは、エンドーの思わぬ穏やかさが癪に触って眉を寄せた。一方ソルは、口をつぐんでじっと二人のやりとりを見ている。エンドーは変わらぬ調子で続けた。
    「ただ、ロイを手に入れたケインが、どんな手を打ってくるかは未知数だ。人と街を守るにしろ、長期戦になる可能性を勘定に入れておいてくれ。市民や署員の人命を最優先として、逃げるアンドロイドや戦意のないアンドロイドは、ひとまず放置しておいてほしい。体力や弾薬はできるだけ温存して、本当に危険な、……害意を持って向かってくるアンドロイドだけに的を絞ってくれ。そうすれば、長期戦にも対応できるだろう」
    「………………」
     ブラッドはしばらくエンドーを眺めた。まっすぐ見返してくるエンドーには、K.G.Dの同胞たちのような怒りや憎しみも、すぐ隣にいるソルのような憐れみや正義感も見当たらない。穏やかながら淡々と説かれたのは、ブラッドにも納得できる理詰めの戦略論だけだ。ブラッドは小さく息をついてテーブルを見下ろした。
     コーヒーカップに映る自分の顔を横目に見ながら、ブラッドもまた淡々と答える。
    「…………。そうだな。アンドロイドを見逃すのは気に食わねえが、街を守るなら戦闘は二の次だ。戦う気もねえ奴は勝手に逃げりゃいい。……だが、立ち向かってくるなら壊す。そこは文句言わせねえぞ」
     エンドーを睨み上げて凄んだブラッドに、エンドーの真摯な眼差しが返る。エンドーはしっかりと頷いた。
    「ああ、それでいい。お前たちは、市民と署員の命を最優先にしてくれ。その犠牲が少なくなるよう、自分たちも手を尽くす」
    「……手を尽くす、ね。あんたらに何ができるんだよ」
     肩をすくめたブラッドは、エンドーから視線を外してまたパンケーキにナイフを入れた。入れ替わりにソルがエンドーへちらりと視線をやって、エンドーはふむと軽く顎へ手をやってから、そのままの軽い調子で答えた。
    「ブラッド、お前さんもK.G.D署員なら、ロイとノリスの機能は知っているな? 二機を手に入れたケインは、ロイの指揮官機能を使って大勢で街を襲うこともできるし、ノリスを使って衛星レーザーを起動させることもできる。ブラッドが街を守ってくれるなら、自分たちは衛星レーザーの対処に当たろう。狙いが衛星レーザーなら、連中はサイデム宇宙センターを襲うはずだ。自分たちはそれを阻止する」
    「…………」
     切り分けたパンケーキをもごもごと頬張っていたブラッドは、エンドーを見上げてパンケーキを飲み込む。エンドーと、ソルの顔も順に見てから、ブラッドは静かに目を伏せて言った。
    「……分かった。オレがケインを取り逃がしといて情けねえが、そっちのことは、あんたらに託す。……街を守るったって、オレみてえな下っ端が動かせるK.G.D署員なんざたかが知れてるんだからよ、頼むぜ」
     途端、ソルの表情が分かりやすく明るくなって、その顔で身を乗り出して来られたブラッドは思わずその場で身を引いた。
    「ああ……! 絶対にやり遂げてみせる。任せてくれ、ブラッド」
    「…………」
     ブラッドは、全面的に協力するとまでは言っていないし、ソルがアンドロイドと手を組んでいることは今でも苦々しく思っている。そのソルに曇りない眼差しを向けられ、ブラッドは居心地悪くむず痒い顔をしてエンドーに目をやった。
     そうやって助けを求めたつもりのブラッドだったが、エンドーは考え事をするそぶりで手を口元に近づけ、視線を落としたまま続けた。
    「加えて、無視できないのがイーサンのほうだ。ブラッドの話を聞く限り、ケインを誘き出すにしても、その餌の管理が杜撰すぎる。ロイとノリスを奪われたのは、ブラッドよりもK.G.D長官のほうが糾弾されるべき失態だ。その件だけでも公表・批判されるべきだし、厳重保管のはずのロイとノリスでさえその扱いなら、他の業務にも杜撰や不正があるかもしれない。
     ……自分たちはこれも捜査するつもりだが、ブラッドも、何か心当たりや手がかりになりそうなことがあれば教えてくれないか? たとえ相手が長官だろうと、むしろK.G.D長官なればこそ、不正は野放しにはしておけない」
     エンドーが顔を上げた先で、ブラッドは渋い顔をしながら頭を掻いた。
    「……正直、他人に手を貸す余裕はねえんだがな。かといって、不正を放っとくわけにもいかねえ。イーサンに何かあれば伝えるが、そうそう期待されても困るぜ。さっきから言ってる通り、オレは街を優先するからな。あと、これも何回か言ってるが、オレはたいした情報持ってねえんだよ」
     苦り切った顔のブラッドに、しかしエンドーは笑ってみせる。
    「それでもいいさ。今、不正の味方はしないと聞けただけで十分だ。それが一番頼りになる」
    「………………」
     ブラッドはまた黙り込んだ。エンドーと話していると調子が狂う。
     そのモヤモヤを打ち消したくて、ブラッドはわざとらしくため息をつくとそっぽを向いた。
    「……ったく、何をヘラヘラしてやがるんだか。敵同士だってのによ」
     すると、自分のスツールに落ち着いてパンケーキを食べていたソルの眉尻が少し下がる。ソルはパンケーキを飲み込んでから言った。
    「ブラッド……なあ、俺たちは本当に敵同士なのか?」
    「あぁ?」
     何を生温いことを、とブラッドが眉間にしわを寄せると、すかさずエンドーが口を挟んだ。
    「まあまあ、呉越同舟、敵の敵は味方、と言うからな! 今は、イーサンの不正を暴くため、ケインから街と市民を守るため、とりあえず役割分担するってことでいいじゃないか。本当に敵なのかどうかは、イーサンとケインに片を付けてから考えたって遅くないはずだ。その頃には、また状況が変わっているかもしれないんだからな。……そのとき、誰が味方で何が正義かなんて、今はまだ分からないさ。誰とも敵対したくないと、自分は思っているけどな」
     エンドーはおどけて肩をすくめ、ブラッドも意気を削がれてあさってを眺めた。それぞれの皿のパンケーキは、もうほとんどなくなってしまっている。食べ終えてから、ソルが口を開いた。
    「ブラッド、俺は。お前のことも、失いたくないと思ってるよ。ケインさんのことも……取り戻したいし、失いたくない。失わせたくない。……アンドロイドを許せるのかどうかは、まだ俺にも答えは出てないけど……俺たち人間だけでなんとかしようとしても、もうどうにもならないところまで来ちまったのは確かなんだ。
     ――ブラッドと敵対するために、アンドロイドと一緒にいるわけじゃない。アンドロイドと一緒にいるからって、ブラッドの敵になったわけじゃない。……信じてくれなんて、簡単には言えないけど、どうかこれから見定めてほしい。お前が街を守っているうちに、俺たちがケインさんを止めて、イーサンの不正も暴いてみせるから」
    「…………」
     答えあぐねて、ブラッドは黙ったままソルを見上げた。ブラッドの視線は懐疑的だが、ソルの視線はまっすぐなままだ。一見して睨み合いとも取れる膠着の傍らで、食べるよりも話していることが多かったエンドーがぱくぱくとパンケーキを食べている。誰も止めないかと思われた沈黙は、壁際のスツールから立ち上がったフレイが破った。
    「ブラッド君、食べ終わったのなら少しいいか」
     今までずっと一人で黙って壁際にいたフレイは、ブラッドのところまでやってきて頭を下げた。
    「知らずに義手を外してしまい、すまなかった。負荷の高い設定だったから、つけたままでは足の治りも遅れると思ったのだが……せめて、替えの義手を用意してから外すべきだった」
     軽率な処置だった、と謝罪するフレイに、ブラッドは慌てて白い義手を振った。
    「いや……腕のことは、慣れてる。足が早く治ったほうが、オレも助かる。問診のとき言わなかったオレも悪い」
    「……そういえばそうだな。訊かなかった僕らも悪いが、次に医者にかかるときは、きみも申告を忘れないように」
    「ウス」
     フレイが頭を上げてくれてほっとしたブラッドだったが、その横からソルが口を挟んできて思わずキュッと顔をしかめる。
    「慣れてるって……そうだ、ブラッド、おまえ、いつも義手を外して帰ってただろう。毎日ああだったのか⁉」
    「……別に、毎日ってわけじゃあ……痛くねえ日だってあったさ」
     顔と声に面倒くささが滲んでしまったブラッドが、内心でさらに渋い顔をしていると、見ていたフレイがフォローのつもりかソルに言った。
    「……夜食も取ったことだし、患者は眠いんじゃないか。ソル君も、この時間にしては少し声が大きいぞ。皆、それぞれ朝があるだろう、そろそろ解散にしたまえ」
    「っと、悪い、ブラッド……じゃあ、俺は、キッチンを片付けたらもう休みます」
    「美味しかったぞ、ソル、ご馳走様。キッチンは自分も手伝おう。ブラッド、朝には元の義手もチューニングが終わる予定だから、またフレイ先生と一緒に来るよ。……そう驚いた顔をしなくてもいいだろ? 元々、返さないとは言ってないんだから」
     エンドーは苦笑しながらもテキパキとカップやポットを片付け、ソルも食器とカトラリーを重ねて立ち上がった。義手の装着・起動に使ったバッテリーと医療用タブレットを小脇に抱えたフレイも一緒に退室して、室内には、何度か交わされたおやすみ・また明日の余韻と、ぬるいのだか何なのだかよく分からない静けさが残る。
     一人になった個室で、ブラッドはベッドに仰向けに倒れ込んで呟いた。
    「ワケ分かんね……」
     もう何もかもぐちゃぐちゃだった。誰が敵で、何が正義で、自分がどうすべきなのか。もう考えるのが面倒だから、考えなくてもできるくらい染みついているはずの、『街を守る』ことにしがみついた。本当は、ただそれだけのことだ。
     ブラッドがしばらくそのままベッドで動かずにいると、センサーライトが消えて室内が暗くなる。ブラッドは義手を伸ばして手探りで枕を掴むと、もぞもぞとブランケットにくるまって目を閉じた。


     夜食を終え、ポットやカップ、カトラリーを回収したソルとエンドーは、キッチンで後片付けを終えて、ふうと息をついた。ラボが企業施設として稼働していた頃の食事は一階の社員食堂が担っていたが、この仮眠・休憩フロアにも、軽食向けに小規模ながらキッチンがある。そのキッチンには、出来上がりをすぐ食べられるようにか作業台を兼ねてか、四人掛けのテーブルとスツールが用意されていて、片付けを終えた二人はそこに座ると、しばらく黙って休憩を取った。
     その間に、ソルはメンテ室でのことを思い出す。
    『たった一機のアンドロイド……それを殺された復讐のためだけに、何百というアンドロイドを破壊した男。……それだけ、あの男にとって、たった一機が大切だったなら……もし、そのアンドロイドが、破壊されることなく、今も彼のそばにいたなら……。彼らこそが、俺たちの理想の姿たり得たかもしれないな……』
    『…………』
     しみじみと遠い目をしたアレックスの隣で、ぎゅ、とエルが膝の上の手を握った。目に留めたキースが、気遣わしげに声をかける。
    『エル様?』
    『……、…………』
     しかし、エルはすぐには応えない。視線が集まる先で、エルはしばらく自分の指先を睨んだ後、絞り出すように言った。
    『……ボクたちは、ロイは、アンドロイドに自爆テロなんて命令しません……!』
    『そうだろうさ。アンドロイドを爆弾、道具のように使うなんて、お前たちの目的と真逆の行為だ』
     間髪入れないリクの肯定に、エルがはっとして顔を上げる。リクはタブレットを操作して、また別のスクリーンを出した。そのスクリーンには地図が表示されており、地図上には、赤や黄色の点が大小いくつもばら撒かれている。赤い点は地図の端のほうに多いんだな、とソルが認識したところで、リクがタブレット操作を終えて口を開いた。
    『ロイの反乱があったあの日、各地で大小様々なテロや戦闘があった。その発生地域をまとめたのがスクリーンの地図だ。……そのうち、アンドロイドの自爆テロがあったのは、赤い大きな点の箇所。こちらはブラッドの故郷のような遠方の地方都市に偏っている。……これが、ロイ率いる反乱軍の作戦でないとすれば……首都から離れ、アンドロイドの流通がまばらだった地方都市にすらアンドロイドへの恐怖や反感を植えつけようとする、イーサンの策略だった可能性がある』
     その言葉に、ソルは息を呑んで地図を凝視した。ソル自身の故郷の場所には、黄色の点が大小いくつか表示されている。記憶と照らし合わせるに、それは、人間とアンドロイドの戦闘が起こった場所と規模を示しているのだろう。
     黄色の点と赤色の点とがばらばら広がる地図、そこから連想できる惨状や犠牲にソルが言葉を失う一方で、地図を見上げていたキースがリクへ視線を下ろして詰問した。
    『可能性がある、と言うだけで、イーサンだとは断言しないんだな。さては証拠が見つかっていないのか』
     リクはタブレットを睨み、顔を歪めて答えた。
    『……悔しいがその通りだ。それに、こればかりは、頭からイーサンを疑ってかかることもできない。ロイの指揮でなくとも、各地のアンドロイドたちが追い詰められた結果の自決と見ることもできるからな。そして……イーサンの策略と、アンドロイドたちの意志、この地図上の赤い点に、それらが入り混じっている可能性だってある。どれがどうなのかは、今の時点では断言できない』
    『…………』
     キースは不機嫌そうな顔をしながらも、反論はせずに黙って再び地図を見上げた。しかし、ソルは茫然と口を開く。
    『じゃあ、ブラッドは、相棒の仇かもしれない奴の言うことを聞いてるってのか……⁉ そんなの、早く教えてやらねえと、』
    『証拠も見つかっていないのにか?』
     アレックスが冷たい声で牽制し、立ち上がって飛び出そうとしたソルの腕をリクが掴む。ソルが何か言い返すよりも先にアレックスは続けた。
    『後先考えず、……俺の正体すら確認せずに飛び出して怪我をしているあたり、よほど捨て身に躊躇いのない男と見える。そんな奴に、イーサンが仇かもしれんなどと言ってみろ。俺たちの作戦まで崩壊しかねないぞ』
     はっとしてソルは瞬きをした。一拍置いてリクがソルの腕を放し、ソルは棒立ちのままアレックスを眺めてきょとんと問いかける。
    『アレックス、お前……ブラッドを心配してるのか?』
    『は?』
     アレックスの声が数段冷たくなり、ええ……とソルは情けない声を上げながら着席した。リクはその隣でくつくつ笑うと、ソルに向き直って口を開く。
    『……アレックスの言う通り、俺も、今はまだブラッドに伝えるべきじゃないと思う。……というわけで、ブラッドを仲間にするなら別の方向からアプローチを頼むぞ、ソル』
     そんなリクの言葉を思い出して、ソルは小さくため息をついた。別の方向から、と言われても、何をどこから語るべきかソルではほとんど考えつかないうちに、エンドーはするするとブラッドから言葉を引き出していた。ソルは、無力感を誤魔化すように、向かいの席のエンドーへ声をかける。
    「なんていうか……話すのが巧い、ですね。ブラッドが、あんなに素直に協力してくれるなんて」
    「ハハ、あのくらい、レッカやキースに比べれば可愛いもんさ。それに、ブラッドのほうも、ただアンドロイドが嫌いなだけで、性根の曲がった奴じゃないだろう? アンドロイドの話を避けて、人間を守るほうへ集中させるだけでも、お互い気持ちよく話ができるんじゃないかと思ってな」
     天井へ向けてぐうっと腕を伸ばしていたエンドーは、その腕を下ろしてテーブルの上で指を組むと、先ほどの笑い交じりの声とは打って変わって静かに言った。
    「……仮に、この戦争が終わっても、アンドロイドを嫌いな人間や、人間を嫌いなアンドロイドがいなくなるってわけじゃない。今までの戦争の傷跡は、けしてすぐには消えないだろう。だから……ブラッドが、アンドロイドを嫌いだという心も、できるだけ受け止めていきたいんだ。誰が、何を好きでも嫌いでも、どんな心も受け止められる世の中になればいいと思ってる。
     ……アンドロイドや人間を嫌いだと言う、その心の中に、喪ったものへの愛情や悲しみがあるのなら、なおさら……どうすれば、そこに寄り添うことができるのか、ずっと考えている。もっとも……時間に頼るしかない、こともあるのだろうけれど」
     小さく嘆息したエンドーだったが、ソルが見ていることに気づくとすぐに笑顔を作って肩をすくめて見せた。
    「それでも、もしも自分とブラッドがうまく話せていたように見えたのなら、やり方は間違っていなかったのかもしれないな。とはいえ、まだ伝えられないことばかりで、たくさんはぐらかしてしまったから、ブラッドには申し訳ないよ。ソルも、何度か話を遮ってしまって悪かった」
    「いえ、俺は……エンドーさんほど、寄り添うことについて考えられていなかったので。俺が感情的になる前に、止めてもらえてよかったです」
     ソルは軽く頭を下げてから、言葉を確かめ確かめ、テーブルを見つめてぽつぽつと言った。
    「……俺は、ブラッドがアンドロイドを壊すのだって、もう平気ではいられないけど……。けど、俺が一緒に街へ行って、暴走アンドロイドを治療するわけにもいかない。だから……向かってくるアンドロイドだけ、みたいに、せめて数を減らす作戦にするしか、今は方法がないんですよね。アンドロイドを壊すな、ってのは、平和が確約されてからやっと言える言葉なんだなって、今さら分かりました」
     俺が言ってしまう前に止めてくれてよかった、と、ソルは苦笑しながら顔を上げた。そして、これから街を守るブラッドとK.G.D署員のことを考える。
     ケインの暴走ウィルスも進化を重ねている。そのウィルスに侵された暴走アンドロイド相手に手加減などしていては、到底こちらの身が持たない。暴走アンドロイドの力は、ソルだって嫌というほど知っていた。
     だからこそ、街を守るための方針を定めたブラッドやエンドーに、アンドロイドを壊すな、などとは言えなかった。ソルが暴走アンドロイドを治療できていたのは、隣にキースがいて、キースが先にアンドロイドの動きを止めていたからだ。そのやり方ですら危ういときがあったのに、長期戦、防衛戦、下手をすれば消耗戦の可能性すらあるK.G.Dに、暴走アンドロイドの治療までは押しつけられない。犠牲に対して、やむを得ないと目を瞑ることは不本意だが、街を守る側にばかり負担をかけてもいられなかった。
     分かっていても、ソルの心は沈んでいく。ソルはテーブルに肘をついて顔の前で手を組み、その指を見つめて声を押し出した。
    「……それでも、一機でも壊せば、恨みや怒り、復讐の連鎖に身を投じることになる。壊されたアンドロイドだって、きっと誰かの大切な相手だったから」
     エンドーはじっとソルの言葉を聞いている。ソルは、組んだ手に額を寄せてうつむいた。
    「もう、そんなのは終わりにしたいのに……」
     キースたちと出会って、アンドロイドにも人間と変わらぬ感情があるのだと知った。また、ソル自身にも、忘れられない怒りや悲しみがある。だからこそ、失う苦しみを味わう者は、一人でも、一機でも、少なくなってほしいと願っている。けれども、それはまだ叶わないことらしい。
     黙り込んだソルの肩を、ぽんぽんと軽くエンドーが叩いた。
    「確かに、もどかしいし悔しいな。しかし、そう思えばこそ……犠牲をゼロへ近づけるためには、自分たちが頑張るしかない。――全能の神様にはなれない。それぞれ、できることをやるしかないんだ」
    「はい……」
     ソルは小さく頷いた。街を守ることがブラッドの役目なら、暴走アンドロイドの治療、いや、暴走ウィルスの根絶は、ソルたちの役目だ。一刻も早くケインとイーサンを止めることが、人間とアンドロイド、双方の犠牲を減らすことに繋がる。
     それしかない、と分かっていながらも、ソルは誰も傷つかないことを願って、ありもしない他の道を探して迷ってしまっていた。エンドーの言葉で現実へ引き戻してもらったソルは、何度か深く息をして呼吸を整えると、まなじりを決して立ち上がる。
    「ありがとうございます、エンドーさん」
    「うん、いい顔になったな。頼むぞ、ソル」
     にこにことエンドーも立ち上がり、今度は腰を伸ばしながらジャケットを翻した。その口元が、くっと自信ありげに上がる。
    「さあ、これで役者は揃った。ちょうど街を守る役割が欲しかったところだ、自警団の経験があるブラッドなら適任だろう。……ブラッドに街を任せるんだから、自分たちはしっかりイーサンとケインを倒さないとな」
    「……はい。ブラッドたちに、アンドロイドを壊させないためにも」
     エンドーの力強い言葉と視線がソルへ向く。ソルは毅然とした表情で頷き、エンドーと二人でキッチンを後にした。


     その後、仮眠室フロアの一室で、エンドーはハンガーにジャケットをかけながら呟いた。
    「復讐の連鎖、か……」
     ジャケットのK.G.Dエンブレムをなぞり、エンドーは静かに目を伏せた。エンドーの父は、K.G.D捜査官としてアンドロイド犯罪を追う最中に殉職した。当時ひどく落ち込みはしたものの、エンドーが復讐の道へ走らずに済んだのは、父の教育やリクたち仲間に恵まれたからだろうか。
     そうして復讐の連鎖を外れたことは、間違いなくエンドーの幸運だ。しかし、その幸運は、実際に復讐の連鎖の中にある者たちとエンドーとの間に隔絶を生む。エンドーはきっと彼らのことを永遠に理解し得ないし、彼らのほうこそ、理解されることなど望まないだろう。エンドーがいくら心を尽くしても、それは実感の伴わない、想像だけの気遣いに過ぎない。連鎖の中へ足を踏み入れたこともないエンドーの言葉では、連鎖の中までは届かない。
     寄り添いたいと願い、その道を探してきたからこそ、理解など及ばないのだと知った。では、彼らに理解を示し、そこへ言葉を届けられるとしたら、それはどんな人物の言葉だろうか。
     エンドーは、いつか調査したブラッドの経歴や、直に言葉を交わした感触を思い返しながらひとりごちた。
    「……ブラッドには、その復讐の連鎖を断ち切る立役者になってもらいたいものだな」
     たった一機のアンドロイドのためだけに、無数のアンドロイドを壊してきた男。――言い換えれば、無数のアンドロイドの敵となりながらも、たった一機のアンドロイドを思い続けてきた人間。
     もしもそこから、『無数のアンドロイドの敵である』ことを削ぎ落としてしまえたならば。
    「………………」
     真にブラッドにそうなってもらいたいのではなく、ただ仕立て上げようとしている自分の考えに気づいて、エンドーはしばし黙り込んだ。しかし、その傲慢さを自覚してなお、無視してしまえる程度には、エンドーにも策略家の一面があった。


     朝日とともに、ブラッドはラボの外に出た。メンテとチューニングが終わったから、とあっさり返却された戦闘用の義手は、フレイやエンドーの立ち合いのもと早速つけ替えた。チューニングを担当したらしい無精髭の技師が言うには、コマンドの威力はできるだけ保った上で、人体への負荷が可能な限り下がるように再設定したとのことだ。
    『……まあでも、戦いが終われば、すぐにでも新調したほうがいいよ。威力保って負荷下げて、じゃあどこが犠牲になったかっていうと耐久性なんだよね。人体が受けてた負荷の一部をガジェットのほうで受けるようにしたんだよ。その分、無茶な使い方を続けたら当然おじゃんになるから、そのときは潔く戦線離脱しな。……ガジェットの耐久性を上げたくて人体負荷を高くしてたんだろうけど、そんなの本末転倒だからね。ガジェットが壊れないように人体を犠牲にするんじゃなくて、人体の代わりにガジェットが壊れてくれるんだから、ガジェットが壊れたら逃げるんだよ。分かった? 坊ちゃん』
     誰が坊ちゃんだ、とブラッドは内心で眉を寄せたが、相手が自分より、何ならエンドーやフレイよりも年長そうだったので、どうにか口に出さずに飲み込んだ。相手が明らかな年長者では、坊ちゃんと呼ばれても言い返せない。
     それに、彼は技師としての腕も確かなようだった。付け替えた義手は、以前と遜色なく滑らかに動く。ブラッドは、首の後ろで括っただけの髪を義手の指先でいじってから朝日の中へ踏み出した。慣れない義手を使っていたときは髪をまとめるにもまごついていたが、今朝はすぐに括ってしまえた。
     夕べ、ラボでシャワーを借りたときに整髪料は洗い落としてしまったが、K.G.Dの詰所のロッカーには、夜勤明けやジム修練後に使えるよう整髪料を置いてある。髪を整えたらイーサンに文句を言いに行って、とはいえどうせ相手にはされないだろうから、言うだけ言ったら適当に引き下がって、他の署員に街の警備・防衛の話を通しに行こう。それから、チューニングされた義手の調子も念入りに確かめておかなければ。これは詰所のジムでいいだろう。
    「…………」
     そういえば帰る暇がねえな、とブラッドは少し目を細めた。相棒に似せられたアンドロイドは、今頃どうしているだろうか。彼はあれでもK.G.Dから署員への支給物なので、予定についてはブラッドが何も言わなくても、K.G.Dにおけるブラッドのシフト情報を随時受信していた。アンドロイドは当然そのシフトを信じるのだから、夜勤を終えたブラッドがそろそろ帰宅する頃合いだと思って待っているだろう。
     しかし、ブラッドにしてみれば、義手もあることだし身支度も食事も詰所のロッカーやそこらの売店でどうにでもできる。何なら朝食にとエンドーにホットドッグを持たされた。わざわざ帰宅する必要はどこにもないし、捜査官の仕事をしていれば、連絡する余裕もなく数日帰宅しないなどは珍しくもない。
     帰宅も連絡もしないことを決めたブラッドは、それまでよりも大股に一歩踏み出した。そのとき、背後にぱたぱたと足音がして、ブラッドはラボを振り返る。フレイかエンドーが何か言い忘れでもしたのかと思ったのだ。
     だが、そこにいたのは、ブラッドの見知らぬ金髪の少年だった。
    「……?」
     ラボには平和を望む者が集まっている、とロードンが言っていたが、こんな少年も身を寄せているのだろうか。ラボから出てきた少年に困惑しながらも、ラボに恩義のあるブラッドは一旦立ち止まった。少年はブラッドとの間に少しの距離を残したまま、ラボの前で立ち止まってまっすぐブラッドを見る。
    「ブラッドさん」
    「……、おう」
    「アレックスたちを助けてくれて、ありがとうございます」
     少年は、そこでぺこりと頭を下げた。ブラッドは『アレックスたち』が分からず首を傾げかけたが、長身のアンドロイドと、それが庇おうとしていたもう一体のアンドロイドを思い出して、少年へ向ける表情へわずかに渋みを滲ませた。
     別にアレックスを助けようと思って助けたわけではないが、わざわざ礼を言いに来た少年にそれを言うのも違う気がする。かといって、素直にどういたしましてと言ってしまうと、自ら進んでアンドロイドに手を差し伸べたようで気色が悪い。
     渋い顔のまま、ブラッドが内心であーでもないこーでもないと言葉を探していると、少年が不意に微笑んだ。眉尻を下げたその表情は、黙り込んだブラッドの反応に困って笑ったようにも、言葉通り申し訳なさそうにも見える。
    「急にお声掛けしてしまい、すみません。……御武運を」
     少年はまた頭を下げて、それからぱっと身を翻してラボの中へ駆けて行った。ブラッドはその少年の背中をしばらく眺めていたが、彼が建物の中に消えるまで、結局うまい言葉は浮かばなかった。
     返事ができないまま少年の姿は見えなくなり、ブラッドはため息をついて身を翻す。ラボに背を向けたときには、ブラッドの表情にはもう迷いや困惑はない。今度こそ引き止める者はなく、ブラッドはK.G.D詰所へと向かった。
     同じ朝日に照らされるその背中を、ラボの屋上からカイとリク、そしてソルが見送る。
    「頼んだぞ、ブラッド……」
     ラボの屋上から見下ろす人影はごく小さく、ソルの密かな声は到底ブラッドには届かない。自分自身に言い聞かせるようなソルの隣で、リクがふっと目を細めた。
    「……アンドロイドと人間は共存できる。友情だって築ける。俺とADAMのように、お前とダークのように……かつてのケインとその妻のような、愛情だって……。それを、一緒に証明しようぜ、ブラッド」
     カイは静かにリクを見て、それから眼下のブラッドに目を戻した。その姿は豆粒ほどだが、昇ったばかりの朝日に照らされたその影は、長く伸びてよく目立つ。
     路地に落ちるブラッドの影を見ながら、カイもまた、簡潔ながら真っすぐな激励をその背に贈った。
    「お前の信念、決断。その拳で、イーサンに見せつけてやれ」
     ラボの屋上から見るブラッドの姿は、遠すぎてとても小さく見える。しかし高いぶん視界は広く、屋上の三人はしばらくの間、ブラッドの背中を見送っていた。


     ラボの中、ブラッドからは死角になる柱の陰からエルを見守っていたアレックスは、ラボを発つブラッドと何事か言葉を交わして戻ってきたエルに問いかけた。
    「話せましたか?」
    「お礼だけは、伝えてきました」
    「……」
     エルの短い返答に、アレックスはブラッドの反応を察して黙り込む。そのアレックスの様子に、廊下の先を歩きながらエルが少しだけ吹き出した。
    「アレックスが言っていたほど、乱暴な印象はありませんでしたよ? ロイはともかく、ボクのことはあまり印象に残っていないのかもしれませんね。誰だろう、という顔をされてしまいました。……アレックスの名前を出せば、また変わるかと思いましたが……」
     エルは、窓から外を見てブラッドの進んだ方向を眺めた。
    「それでも、返答に困っているようでした。ボクに気を遣おうとしたのか、自分でも折り合いがついていないのか……あまり引き止めてもいけないので、今日はもう戻ってきてしまいましたが、いつか、戦いが終わったら、改めてお話ししたいです」
    「……何故、そこまであの男にこだわるのです?」
     少し言葉を選んでから、アレックスがエルに尋ねると、エルは朝日を含んだ金髪をきらめかせながら振り向いた。
    「……これは、ロイの冤罪を晴らすための戦いでもありますから」
     エルの寂しそうな表情に、アレックスは口を噤む。
     アンドロイドの自爆テロは、ロイの指揮したものではない。だが、ブラッドをはじめ、今は多くの人間がロイの指揮だと考えている。それを冤罪と表現したエルは、再び窓へ視線を戻して言葉を続けた。
    「きっと、それが晴れるだけでも、彼の答えは変わってくれると思うのです。ボクはそれを信じたい。……いつか、ボクやアレックスが、彼にありがとうと伝えたとき、まっすぐ『どういたしまして』と言ってほしい。それが、ボクたちの心が伝わった証だと思うから」
    「…………」
     アレックスは、窓の外を見つめるエルの金髪を黙って眺めた。窓の向こうには、もうブラッドの姿は見えない。
     アレックスは、何故助けたのかと詰問こそすれ、ブラッドに礼を言っていなかった。目を覚ましたブラッドの態度はろくなものではなかったし、だいたい、勝手に飛び出してきて気を失ったブラッドをわざわざ回収して医療班にまで引き渡してやったのはアレックスなのだから、こちらが礼を言ってほしいくらいだ。
     一瞬、その想像をして、アレックスは一人で小さく眉を寄せた。礼を言うブラッドも想像がつかないが、自分がそれにどう返事をするのかということも、想像がつかなかった。
     だが、いつかうまい言葉を返せるようになったら。エルの言葉を借りるなら、そのときブラッドの心がアレックスにも伝わってくるのだろうか。
    「……。無事くらいは、祈っておくか……」
     アレックスは、エルにも聞こえないくらいごくごく小さく呟いて、同じように窓の向こうを見つめた。
    浅瀬屋 Link Message Mute
    2024/01/12 22:57:53

    第Ⅰ章-集いし者たち

    『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
    web版 第Ⅰ章です。

    紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
    (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

    #DA-190 #サイバネ2

    more...
    Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    OK
    模写・トレース
    NG
    • DA-190 SS集24/1/12 SS「Fluorescent Oil」追加しました。

      ミラフェス32内 一魂祭 (神速プチ)新刊
      『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 SS集です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)



      ※支部に投稿していたSSのまとめです。
      CP要素はほんのり。読んだ人が好きなふうに解釈してもらって大丈夫です。
      ただし全然幸せじゃない。しんどみが強い。

       サイバネ・ブラッドくんとアンドロイドの話。
       ブラッドくんの欠損・痛覚描写、アンドロイドの破壊描写有り。
       細かい設定の齟齬は気にしない方向で1つ。

      #サイバネ2  #DA-190
      浅瀬屋
    • DA-190 自警団編24/1/12
      『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 自警団編です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      DA-190短編集再録その2。過去編(自警団編)2本です。

      ・もしもその声に触れられたなら
       支部からの再録。ブラッドが相棒と両腕を失った日
       ※捏造自警団メンバー(彩パレW)あり。お察しの通りしんどい。

      ・ひとしずく甘く
       べったーからの再録。平和だったころのある日、ブラッドと相棒のバレンタイン。
       ※ほっこり系。恋愛色強めだけど左右までは言及なし。曖昧なままで大丈夫なら曖昧なまま、左右決めたいなら各自で自カプ変換して読んでください

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • あとがき/ノートあとがき、プラス裏話集。あそこのあれはどういう意図で選んだとか、このときこんなことがあって大変だったとか。
      2P以降の裏話はネタバレとか小ネタ解説とか浅瀬屋の解釈とかなので、読むならご自身の解釈の邪魔にならないタイミングが良いかも。

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 人物一覧『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 人物一覧です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • エピローグ『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 エピローグです。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 幕間-ダーク編『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 幕間(ダーク編)です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 幕間-クローン編『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 幕間(クローン編)です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 第Ⅲ章-揺れ動く人々『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 第Ⅲ章です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • 第Ⅱ章-平和を掴むために『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 第Ⅱ章です。

      紙版は2024/1/28 ミラフェス 東4ホール・コ44b 『浅瀬屋』で頒布予定です。
      (A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき 会場頒布価格:3000円)

      #DA-190 #サイバネ2
      浅瀬屋
    • プロローグミラフェス32内 一魂祭 (神速プチ)新刊
      『人機黎明闘争 Cybernetics Wars ブラッド異聞 DA-190』
      web版 前書き・プロローグです。

      製本版:A5判2段組 244ページ(背幅14ミリ)しおり紐2本つき
      通販→https://www.b2-online.jp/folio/19012500006/002/
      全文webにアップ済ですので、お手元に紙が欲しい方は上記FOLIOへどうぞ!


      #DA-190 #サイバネ2 #一魂祭 #MIRACLEFESTIV@L!!32
      浅瀬屋
    CONNECT この作品とコネクトしている作品