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    その音に恋をするフォルテ。鮮やかでキレのある音。尾を引くようなデクレッシェンド。繊細なピアニッシモ。

    振り返れば、蔵内はいつでもピアノの音色を絶賛された記憶ばかりが積み重なっている。文句の付け所が無い。完璧だ。計算された音色だ。

    そうして、最後はどこかで必ずこう締めくくられる。
    ──でもね、優等生すぎて少しだけ、退屈なのよね。


    「蔵内くん、今日一緒に帰らない?」
    「悪い、今日は学外のレッスンで」
    「ううん良いよ、頑張ってね!」
    蔵内和紀。六穎館高校音楽科3年。国内のコンクールでは敵無しとまで言われていたが、国際コンクールでは中々成績振るわず。その蔵内は8月、2ヶ月後にプラハで行われる国際コンクールに向けて、三度目の正直を果たすべくレッスンの予定を詰めていた。
    夏休みだが、学校にある空調完備の音楽室の予約は連日埋まっている。蔵内も含めて、自宅にコンサートグランドが置いてあるのは流石に珍しい。コンクールを控えた生徒達は学校に来て、夏期講習の代わりのレッスンを受けて行く。蔵内もこの日他の生徒と同じように、教師の指導を受けていた。

    「テクニカルは完璧だわ。曲の解釈もいい。…でもね」
    レッスンを終えて教師のコメントを待つと、顔を曇らせた教師はため息混じりに言った。
    「音は柔らかいのに、心を開いていない感じがするの。貴方のその情熱。内側にあるマグマのような感情!それが感じられないの。まるでロボットだわ」
    詩的な表現をする教師だった。アドバイスは大概、もっと気持ちを乗せて!もっと解放して!だ。他の生徒に聞いてみても、「あ〜あの先生ね。いつもポエムだよね」って苦笑いするばかりなので、恐らく誰に対してもそうなんだろう。国内のコンクールの優勝履歴と、海外コンクールでも規模こそ小さいが入賞履歴のある人だった。音楽科特有の、独特の雰囲気は誰しも持ち合わせている。その教師一人が際立っておかしい、という訳ではなかった。

    教室を出る。途端に熱気が襲って来て、蝉の声がうわんうわんと大きく鳴り響いている。F、Eフラット、E。蔵内の周りには音がまるで読めるかのように飛び交う。そうした世界を、ピアノに閉じ込めるのが、好きだった。

    本当は、ショパンが好きだ。でもモーツァルトを勧められる。
    ラヴェルを弾いてみたい。でも、勿体無いからベートーヴェンにしなよ、と言われる。
    閉塞感があった。海外の大学に行く予定でいたし、推薦状も問題なく書いてもらえそうだったが、時々それらの全てをビリビリに破り捨て全てを投げ出してどこか、どこでもいいから知らない土地に行ってみたいと思う。


    帰りのバスに乗って、ターミナル駅に着いた。行き交う人々は誰も彼も慌ただしく、夏休みだからか楽しそうな家族連れや、大型のキャリーケースを引いた人の姿も目立つ。

    そんな中。

    (バッハか……?)
    ピアノの音が突然、聞こえて来た。一瞬BGMと思ったが、どうも反響の感じからして奇妙である。見えない何かに引かれるようにして、蔵内は音のする方へと向かっていった。

    それは、いわゆるストリートピアノと呼ばれるものだった。ペイントされたピアノで、どなたでもご自由にどうぞと記載がある。一人の男が、演奏していた。
    まだ若い。年の頃は同じくらいだろうか。窓際に設置されたピアノに燦々と光が降り注ぎ、まるでスポットライトが当たっているかのように周りの景色から浮かび上がって見えていた。
    バッハ。曲名は何だったか。…ああ、トッカータハ短調だ。
    でも、こんな印象だったか?

    バッハと言えば、客観的な、精緻に統制され計算された旋律が印象的だろう。左右対称であり、織り込まれている糸が互いに絡み合う。その無機質な美しさを引き立たせるために、無感情な表現で弾かれることの多い曲だ。それが、どうだ。

    バッハが綺麗に幾重にも重ねたテクスチュアの上を歩くのではなく、まるでこの男の歩みに合わせ、音が寄せ木細工じみた美しい模様を描いて道を作っているような音だった。──この曲、こんな、現代的な曲だっただろうか?
    どちらかといえば古めかしい雰囲気の曲だったはずだ。
    音が蔵内を誘う。こっちにおいでよ。ぼくと一緒に踊ってみないかい。

    気が付けばふらふらと、その手元がはっきり見えるぐらい近くに寄っていた。まるで軽々と、モノクロの鍵盤の上を遊ぶように指と手が躍っている。テンポや強弱が不意に変わって翻弄される。ピアノを押さえる和音の余りの美しさに涙腺が緩む。一息ついて、後半が始まる。まるで生命ごと駆り立てられているみたいな切羽詰まった音に蔵内の額から暑くもないのに汗か滑り落ちる。長調の、甘く無垢な子どもじみた旋律が絶望の隣を走っている。終わりに向けて螺旋階段を降っていく。一瞬の救いの光が差し込む。それから昏く落ちてゆき、ラストに向けて駆け上がる。指が躍る。そうして、天井から羽を広げ急降下してくるみたいにして、唐突に曲が途切れ、終わった。

    終わってしまった。もう立ち去ってしまった。

    拍手はただ数人だった。熱心に手を叩いた後に、喉からするりと言葉が転がり落ちる。
    「もう一曲、…もう一曲、演奏して貰えませんか」
    「おや、熱心な観客がいたとはね。うーん、ここはひとり15分程度と決まっているから、短い曲を一曲だけ」
    言い終わるか言い終わらないかでふわりと両手が鍵盤に降り立った。シューマン。誰しも聞いたことのある有名曲、トロイメライだ。
    先程とうってかわって、極上の手触りの優しさのある音だった。駅の雑踏も、今が真夏であることも、遠くに聞こえる電車の到着を告げるアナウンスも発車ベルも全て忘れて、蔵内はうっとりと聴き入った。
    そのトロイメライ《夢》というタイトルの通りに、3分にも満たない夢のような時間があっという間に終わった。

    多分、男が曲を演奏し終えて立ち上がるまで、数秒も無かった筈だ。最後の音が静かに減衰して、まるで夢が唐突に終わるかのようにして現実に引き戻された時には、男は既に大きなリュックサックを抱え直したところだった。
    ただのその辺のバックパッカーじみた風貌に戻ってターミナル駅の乗り換え口へ歩き出そうとする小さな背中を見てようやく、蔵内は我に返ってハッと目を見開き、思わず追いかけて叫んだ。


    「ッすみません!さっきの、貴方…名前、──名前は!」

    男が振り返る。驚いたように眉を上げる仕草が芝居がかっていた。柔らかく笑みを浮かべた顔にまた、スポットライトのような夏の陽射しがかかる。鮮やかなターコイズブルーがふたつ、浮かび上がった。

    「王子一彰。プリンスの王子に、一と表彰状の彰で、一彰。きみの名前は?」
    「蔵内。蔵内和紀です」
    「そう。クラウチ。…その制服、六穎館高校、だね」
    男が言う。電車の到着を告げるアナウンスが流れ、蔵内からホームへと視線が流れた、

    「クラウチ。…機会があれば、また会おう」

    これが俺と王子との出逢いだった。
    リリ Link Message Mute
    2022/12/09 18:45:05

    その音に恋をする

    音楽科パロディ。六穎館高校に音楽科があったら〜というゆるふわ設定です。

    #王子一彰 #蔵内和紀

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