特別をあなたに「よろしければ、ぜひ、これを受け取っていただけませんか」
言葉とともにバルバトスから渡されたのは、翠色の包装に金のリボンをあしらった長く平たい小ぶりの箱だった。言われるがままに差し出した両手に恭しく小箱が載せられる。重さはほとんど感じられない。
箱の中身にさっぱり見当がつかず、私はいくらかの困惑すら伴ってバルバトスを見上げた。
いや、これがクリスマスのプレゼントであることくらいはいくら私でもさすがにわかるのだ。問題なのはこの箱の中身で──だって私は、クリスマスにプレゼントが欲しいだなんて、バルバトスには一言も言っていない。
そんな私の戸惑いを感じとったのだろう。まるでイタズラが成功した子供のように、嬉しそうに笑うバルバトスが種明かしをしてくれる。
「先日、私の人間界視察についてきてくださったでしょう? そのときに、あなたがとある店先のショーウインドウをじっと見ていたことがどうしても引っかかりまして」
「!」
バルバトスの話には覚えがあった。クリスマスを魔界にもっと広めたいと言うディアボロの意向を受けて人間界へ視察に行くのだというバルバトスに同行を乞われたのは、今から二週間ほど前の話だ。
◇◇◇
久しぶりに降り立った人間界は当然ながらクリスマス一色に染まっていて、どこかソワソワと浮ついた空気が流れている。
視察なのだからクリスマスらしい場所がいいだろうと、敢えて定番のマーケットやこの時期限定のミュージカル、クリスマス限定メニューを供するレストランなどを選んでバルバトスを案内しているうちに、クリスマスの空気にあてられてしまった私の頭からはいつしか視察のことがすっかり抜け落ちてしまって、ただただバルバトスと一緒にクリスマスの雰囲気を楽しんでいた。
『大切なあの人に、クリスマスの煌めきを』
そんなキャッチコピーが目に入って、思わず足を止めてしまったのはそのせいだ。
人間界でも有名なジュエリーショップのショーウインドウにはハートやリボン、月と星やヤドリギなどをモチーフにした、いくつものクリスマス限定ジュエリーが並んでいる。その中でも一際強く輝いて私の目を引いたのが、繊細なプラチナチェーンの中央に一粒のダイヤモンドが揺れている、美しいペンダントだった。
シンプルであるがゆえに人を選ばず、だからこそ着ける人の品位が見えるようなペンダント。こういう大人っぽいジュエリーが似合うようになったら、私も自信を持ってバルバトスの隣に立てるようになるのだろうか──。
「何か、気になるものがありましたか?」
頭のすぐ横からかけられたバルバトスの声にハッとする。私は慌てて頭を振った。
「ううん、何でもない。そうそう、人間界ではクリスマスと言えばケーキも定番でね。あっちの方に有名なケーキ屋さんがあって、クリスマス限定のケーキが何種類も出てるんだよ。人気のやつはすぐに予約いっぱいで注文できなくなっちゃうの」
物思いに耽る様子を見られていた恥ずかしさから一刻も早くこの場を離れたくて、私はバルバトスのコートの袖を掴んで「早く見に行こう」と強引に歩き出す。腕を取られたバルバトスはそれでもショーウインドウに興味があるようだったが、私に折れるつもりがないことを悟ると諦めたようについてきて、「こうやってあなたに連れられて歩くのも悪くはありませんが、私としてはこちらの方が嬉しいです」と、私の手にするりと指を絡めたのだった。
◇◇◇
まさか。
いや、そんなはずはない。だってあのとき私はすぐにあの場を離れたし、バルバトスだって、結局私がショーウインドウの中の何を見ていたのかは聞いてこなかった。
けれど、ああ、この手の中にある平たい小箱の中身がもしも私の想像どおりだったとしたら、と知らず知らずのうちに鼓動が大きくなる。まるで心臓が耳のすぐ横に移動してしまったようだ。どくどくと煩い。
「どうぞ、開けてみてください」
バルバトスに促されて、私は金色のリボンの端を震える手でそっと摘んだ。しゅるりと密やかな音を立てて、箱に止まって大きな羽根を休めていたリボンの蝶はあっという間に解けてしまう。翠色の包装を破らないよう丁寧に外せば、中から出てきたのは白い箱だった。中央にはあのジュエリーショップのロゴが箔押しされている。
開けるのを躊躇ってバルバトスに視線を向ける。いよいよバルバトスにまで聞こえるのではないかと思うほどに大きく鳴る心臓のせいで、他には何の音も聞こえない。それでも優しく細められた深碧に背中を押されて、私は平べったい箱の蓋を静かに開けた。
深く艶のある藍色のベルベットに守られていたのは、私が想像していたとおりの煌めきだった。二週間前にガラスケース越しに見たあの輝きが、寸分違わぬ姿で手の中にある。
「きっとあなたによく似合うだろう、と思ったのです」
ようやく耳に届いたバルバトスの声があまりに優しくて、喉の奥がツンとした痛みを訴えた。
「もしよろしければ、着けた姿を私に見せてくださいませんか? ああ、いえ、私がお着けしても?」
目の奥がじんと痺れたように熱くなる。口を開いたら嗚咽が溢れてしまいそうだった。
返事の代わりに私はこくりと大きく頷いて、ペンダントを箱ごとバルバトスに差し出す。受け取ったバルバトスが壊れ物を扱うような丁寧な手付きでベルベットから外した。
私の背後にまわったバルバトスが引き輪を外したプラチナのチェーンを私の鎖骨にそっと宛がう。かちりと引き輪が留まる小さな音。
「……できました。さあ、よく見せてください。──ああ、私の見立てどおりです。とてもよくお似合いですよ」
いよいよ我慢ができなくなって、目を開けていられなくて、私は口元を覆って両目を閉じた。瞼に押し出された涙が一筋頬を伝い、顎へ向かって落ちていく。
こんな顔をバルバトスには見せられないと俯いた私の背中が優しく引き寄せられる。飛び込んだ先は温かい腕の中だった。
「どうか泣かないで。あなたには私の隣でずっと笑っていてほしいんです」
私のサンタクロースはきっと三界で一番優秀に違いない。
だって、私のいちばん欲しいものをいとも容易く、こうしてプレゼントしてくれるのだから。