過去2ノアについて
「ノア」
名前を優しく呼んでくれる兄の姿は忘れもしない。ノアにとって兄のグレンだけが自分の味方だった。ノアは父親似。グレンは母親似。たったこれだけなのに、大きな違いになってしまった。
ノアとグレンの母は父親にとって二人目の妻となる。最初の妻は政略結婚で、二番目の妻は自分が惚れた妻だったらしい。まだ、この頃は屋敷の中は明るく笑顔が絶えなかった。
一つ言うなら屋敷で我が物顔で威張り散らかしていた長兄だけが空気を壊していた。癇癪をおこし、ものを壊し、世界の中心は自分であるように振る舞っていた。実際思っていたのだろう。三番目の母親が来てから、更に酷くなった。
「兄さん」
「ノア。どうした。何かあったか?」
庭の片隅で本を読んでいたグレンを見つけたノアは周りに人がいないことを確認して話しかけた。
「うん……消毒液とか持ってきた。手当しよう」
「ありがとう」
「…どういたしまして」
何でもない顔して彼が笑うのを見るのが辛い。ここで、謝ると彼は嫌そうな顔をする。ノアが悪いわけではないのに謝るというのが許せないそうだ。
いてて、と素直に手当を受けるグレンの顔は痣だらけだ。治る前継母や長兄につけられる。グレン達の母親に似ているのが気に食わないと言っていたのを聞いたことがある。長兄はただの憂さ晴らしのような気がする。そのせいで前髪で顔を隠すようになってしまった。
そのせいで下を向いかれると、どんな顔をしてるかわからない。おもむろに口を開いたと思ったら、とんでもない事だった。
「あのさ。この前のさ。パーティーで白い子を見かけたんだ。白くてきれいな子。ガリガリに痩せてた。何でもなかったらそれでいいんだ。おれが家を出てっても気にかけておいて」
「は!?家を出るって何!?聞いてない」
「さっき決まったからなぁ。騎士学校に入るらしいよ。それより、しろ…」
「待って!白い子?より兄さんのことだよ!なんで…なんで……」
「うん。おれもわからない。ごめんな。一人にしてしまう」
「謝んないでよ…」
グレンの顔は見えないけど声が震えてる。いつもはなんてこと無いって笑ってるのに、泣いてる。ノアが一人残されることで泣いてる。
家を出るという話のきっかけに白いこの話をしたのだろう。見ててあげてと、役割を与えて潰れないように。
「ノア。頼むな」
さっきまで声を震わせていたのに、いつものように笑って言う。
「ノア」
断れるわけがなかった。笑って言うしかなかった。
「任せて。兄さん」
ジャックについて
視界にグレンとリディルを捉えてしまった。見たくなかったのにと思わずジャックは舌打ちをしてしまう。苦々しすぎる。
「…………」
見なきゃいいのに目が離せない。
「…………」
目が離せないから見てしまう。
更にため息までついて出てしまう。こんなのは自分らしくないと片手で頬を掴み上にあげる。手を離せばきっといつもの顔になってるはずだ。
『いい加減に付き合えばいいのに』
昔自分だけを愛してくれる存在を欲していた事を、まざまざと見せつけられている気になる。
下町で父親と母親とジャックの三人でそこそこ楽しい毎日を暮らしていた。日常はあっけなく崩壊した。まさかそれが目の前で起こるとは思っていなかった。
ある日母親は知らない男の人に連れて行かれた。当時はわからなかったけど今ならわかる。…きっともう生きてはいない。
ある日父親は気が付いたら家にいなかった。…どうなったかは知りたくなかつた。
しばらく近所の人に世話になりながら生きていた。それもすぐに出ていくことになった。「犯罪者の子供なんておいておけない」みたいなことを言っていた。どうやら父親は犯罪を犯したらしい。何を犯したのか、今どうしてるかは知らない。興味もない。知っても腹が膨れるわけではなかったから。家を追い出されてからジャックだって生きるために色々やってきた。何故か孤児院に入れてもらおうと向かったら追い出された。家を追い出した奴が手を回したのか、それとも違う奴が手を回したのかわからなかった。
何もわからないけど生きる為なら何だってした。プライドなんて投げ捨てて媚びることも厭わなかった。その中でも女に身体をあけ渡す対価として部屋においてもらったりお金をもらったりもしていた。女だけではなく男っていうときもあった。そのおかげか、話術だけは身についた。嘘で飾り立てた言葉に騙される目の前のやつを見て嫌気が差すようになってった…。性に奔放な奴らが多かったからか修羅場に巻き込まれることも多々あった。
それても生きてきた。笑うことだけは上手くなった。
たまたまその日は厄介な客に路地裏で絡まれてしまった。
『面倒だなぁ。殴られてしまっちゃおうか』
目をつむり痛みに耐えようと構えていたのに痛みがやってこない。
「おい、大丈夫か?ぼろぼろじゃねぇか?ほら立て。手当するぞ」
「医務室行くよりラディスの部屋のほうが近くない」
「学校の方に連絡してきます」
3人の身なりのいい男の人が話しかけてきた。
黒くて目つきの悪い人が手を差し出してきた。
「ほら行くぞ」
手を取ると引き上げられた。不快では無い手を握ったのはいつ以来だっただろう。
『ヒーローかよ』
そう思ったのは仕方ない。それくらいカッコよかったんだ。
目つきの悪い人はラディスと言って、あれこれ世話を焼いてくれただけではなく学校まで通わせてくれた。
「手続きしただけだ」
そうではない。ジャックの為に何かをしてくれたという事が落ち着かないが嬉しくもあった。
ラディスの友人であるグレンとアードとも仲良くなってジャックの世界は一変した。
でも、ふとした瞬間あの時の匂いや明かりを思い出してしまう。香水や濡れ場特有のニオイ、電灯…吐き気がするくらい苦手だ。
そんな過去なんてなかった。こんなジャックはいなかった。そう思いたかった。
全部笑いで覆い隠してしまえばいい。
「………」
「ジャック?」
はっとして、声がした方を見るとライドが立っていた。
学校へ通うようになってライドとよくつるむようになって今でもつるんでる、ジャックにはもったいないくらい良いやつだ。
「っ…あぁ。どうしたー?」
「いや…グレンさんとリディルを見てたのか?」
「まぁねー。仲いいよね」
ちらっと含みをもたせた言い方をすると渋い顔をした。楽しくなって言葉を追加した。
「……ライドもあぁならないとダメじゃない?もらっちゃうよー?」
「えっっっ!?な、何言って…!?イヴとなんて…」
「誰もイヴちゃんとは言ってませーん」
「イヴのことよんだ?」
ジャックとライドの後ろから声がしたので振り向くと、ちょこんとイヴが立っていた。空のバスケットを持ってるから配達の帰りだろう。
「なっ…なんでもないよ!!」
慌ててライドが訂正しようとする。
「そう………」
それを見てイヴが表情は動かないのに身体全体でしょんぼりしている。きっとライドが好きなんだろうな。このままのほうが楽しいので何も言わない。
「イヴちゃん。放っておいて向こうで休もうよー」
ニコッと笑い、肩を掴んで歩き出す。
「ジャック!!!!」
後ろからものすごい勢いで追いかけてくるのを横目に見る。
そして、また彼と彼女の睦まじい姿が目に入ってしまった。
『羨ましいなんて……思ってないんだよ』
そう言い聞かせるしかなかった。
なんでか、苦しいんだ。
ヘレンとヘレナについて
「ノア兄様」
「何を読んでらっしゃるの?)
庭の隅に座っている人影を見つけヘレンとヘレナが声をかける。寮から一時帰宅していた兄であるノアだ。
「グレン兄さんからの手紙だよ。元気みたいでよかった」
はいと手紙をヘレンに渡し、満足した顔で紅茶を飲み始めた。
"グレン"
ヘレンとヘレナは顔も覚えていない二番目の兄だ。二人が小さい時に騎士学校へ入れられたと聞いている。母親に凄く嫌われていた。今でも忌々しそうに話をしてくる母の顔は嫌いだ。
稼いだお金は家に入れてくれている。それでこの家は対面をなんとか保っていると言っても過言ではない。それとは別にノアとヘレンとヘレナの為にこっそりお金を入れてくれている。学校へ行く足しにしろと。
何でそこまでしてくれるのかと、ノアに聞いたことがある。
『兄さんは僕達が大事なんだよ。外の世界を知って、家を立て直してほしいんだよ』
そう、この家に食い殺されないように。
その時のノアの顔は忘れられない。ノアもグレンのことが大事で仕方ないんだ。ノアが大事にしているならヘレンもヘレナも大事にしたいと思った。
ヘレンとヘレナも椅子に座りグレンからの手紙を読んでいた。
「はぁ。この手紙をリディルに見せに行かないとな。時間ないのに」
近所に住んでいる幼馴染のリディルにノアは手紙を見せに行くらしい。リディルはグレンが大好きだ。見せないと怒って拗ねるかもしれないと二人は想像する。
読み終えた手紙をノアに返す。
「これは寮に帰る前に見せに行くとして。こっちが本題ね。ヘレン、ヘレナ。婚約者が決まった。二人を婿として迎え家を立て直してくれ。ごめん。僕じゃ無理なんだ」
頭を下げるノアになんてことは無いとニッコリ笑って応える。
「彼ならわたしくなにも問題ありませんわ!大好きな方と婚約できるなんて幸せですわ」
「兄様のお願いなら叶えて差し上げたいですのよ。私も大好きな方と結婚できるなんて夢みたいですわ」
ヘレンもヘレナも婚約について幸せなことだと思っている。決められた婚約かもしれないが幸いな事に相手側も好いていてくれている。次男坊で経営学についても深く精通していて、何より双子だ。双子という事で意気投合した四人は仲良くなり幼少期を過ごした。
ノアは三男と言えど母親にグレンほどではないと言えど嫌われていて、学校を卒業したら名のある職について出て行けと言われている。名のあると付けるところに見栄を張っていて吐き気がする。
「任せてくださいな」
「立派に勤め上げますわ!」
ノアがホッとした顔をしたので、ヘレンとヘレナも安堵する。
「大好きな兄様な願いは何としてでも叶えて差上げたいですわ」
「当たり前ですわ」
「そんな兄様が大好きなグレンお兄様に会ってみたいですわね」
「今度こっそり王都に行ってみましょう」
内緒話をする二人はとても楽しそうだった。
レイナついて
「今日から兄になる×××だ」
医学の本しかない本棚と机と椅子。それしかない父の書斎に呼ばれ、紹介されたのは見知った男の子は従兄だった。ようやく養子として迎えることができたと父は喜んでいた。
「レイナちゃん宜しくね」
レイナを真っ直ぐ見て人の良さそうな顔をして挨拶をした。レイナも「よろしくね」と応えたが、上手く笑えてた自信はなかった。
レイナは幼少期から後継ぎと言われ育てられてきた。医者として王族に使える父の顔に泥を塗らないように必死で勉強してきた。
一瞬で席を奪われた。
レイナの足元がぐらついた。少しでも憎めれば良かったのに、彼は優しく気遣いができる義兄だった。一緒に勉強して分からないことがあれば丁寧に教えてくれもした。そんな義兄を嫌えるはずがなかった。
家族が増えて楽しい毎日だった。レイナ自身も家族が嫌いじゃない。むしろ好ましいと思っていた。
でも、昔のようにレイナを一番に見てくれることはなかった。そのうち義兄かが嫁を貰って後を継ぐとなると、レイナの位置づけはまた低くなる。恐ろしくてたまらなかった。
家族を本気で嫌ってしまう前に家から出ることにした。運良く騎士団直属の医師として配属されることになった。
そこで出会ったのがクレンだった。優しくレイナだけを見てくれるのではないかと期待してしまった。彼は彼でレイナを大事にしてくれた。時間を見つけては会いに来てくれたし、外にも連れ出してくれた。それでも、家族の為と身を削って働くのを、親友を心配して側に行くのを見て思ってしまった。
「私を一番に見てくれないのね」
彼の世界でレイナだけではなかった。当たり前なのに許せなかった。グレンの事好きだったけど、優しくしてくれたから、一番に思わせてくれる優しさが好きだった。グレン自身?と聞かれると答えに詰まるってしまう。こんな関係に突き合わせてはいけない。
「ごめん。つきあわせちゃったね」
「俺も悪かったところあるから」
そう、友人ぐらいの距離感が丁度よいのかもしれない。
人一人を傷つけてしまってもレイナは求め続けてしまう。
歪だと言われても「レイナだけ」を。
ウィルとリオンについて
6:00(リオン)
起床。
隣の部屋にいる幼馴染兼同居人のウィルをまず起こすことから始める。部屋を出て隣のドアを遠慮なく開け、ベッドへ直行する。そこには気持ちよさそうな顔にイラっとしながらも、声をかけ、布団をはぎ、こぶしを腹に入れる。なんとか起こせた所で身支度をするために洗面所へ。鏡を見ると自分の顔が映っている。ウィルが、「枝毛ひどいね」って鼻で笑った顔が気に食わなくて髪をきれいに保つことにしている。俺だってやればできる。
7:00(ウィル)
朝食。
朝早くから幼馴染兼同居人のリオンに起こされ朝食を作る。自分だけなら食べなくても問題ないのだが、「朝はきちんと食べろ」と言われ作らされ食べさせられている。やらないと、追い出されてしまうので仕方ない。身支度を終えたリオンが食卓へ着く。前に短くすればいいのにという意味を込めて「枝毛ひどいね」と言ったら、意地になったのか伸ばし始めきれいな髪質になっている。意味が分からない。まぁ、朝食にすることにしよう。
9:00(リオン)
仕事場。
最近入ってきた若い奴が意外と使えて俺は機嫌よく仕事をこなしていた。黄色い頭が行ったり来たりしてて「ひよこみたいだ」と思ってみてたのを察した…とは思えないがこっちを見てきた。何か用かと聞かれたので、追加で仕事を与えておいた。目があったのが運の付きだ。励めよ。
12:00(ウィル)
昼食。
「昼休憩ー」隊長の合図で訓練を切り上げ昼休みとなった。ライドがちらちら通路の様子をうかがっている。いつもの小さな女の子を待っているのだろう。ほほえましい。タオルで汗を拭い衣服を整える。食堂へ向かう途中グレン隊長とリディルがいちゃいちゃしてる様子が目に入った。なか睦まじすぎるだろう。これで付き合ってないとか嘘だな。
15:00(リオン)
休憩。
そろそろ眠たくなってくる時間だ。俺も眠い。「きゅーけー」号令をかけ休憩を取る。少し歩くかと部屋の外へ出ると、ラディスのとこの奴らが真剣な顔してなにか話している。グレンのところよりマシなことを…とか言うと黄色い頭の弟が煩いから心に留めておくだけにする。優しい上司だ。
18:30(ウィル)
就業。
今日はイレギュラーな仕事が重なってしまったが、これだけの残業で終わらすとか隊長はすごい。この定時帰りに対する執念は何かと酒の席で聞いたことあるが聞いた瞬間に隣で寝息を立てられた。わざとじゃないと信じてますよ、隊長。次はシラフの時をと狙ってる。続々と帰り支度をして人もまばらになってきた。「戸締まりは任せてください」と申し出るけど最後は隊長の役目だと最後まで残っていた。責任感があるようなないような変な人だ。
20:00(リオン)
残業中。
やばい。仕事楽しくて抱え込みすぎた。部下たちの一部はは帰したが終わる気配はない。やばい。やつがやって来る。真っ青になるが、やめられない。「これがワーカーホリックですよ」と黄色いあ「ノアです」脳内読まれた。テンパってる証拠だ。今日は二人で次の日休みだから飲みに行こうと約束してた日なのだ。忘れてたとか決してない!ない。ない。しかし無情にもその時はやってきてしまった。
「リオン!!!!!いつまで!待たせるんだ!!!帰るぞ!」
22:00(ウィル)
酒場。
強制的に仕事を切り上げさせリオンと酒場に入った。約束でもしないと仕事を終わらせないのは困ったものだ。隣を見るといい感じに酔って部下のことを自慢している。何回も聞いたことだから左から右へ聞き流す。こんだけ大事に育ててるなら部下の体調も気づかって、たまには早く帰らせてあげればいいものを。まぁ、楽しそうなので倒れなければいいかと毎回思ってしまう。部下の人たちが先に倒れないことも同時に思ってしまう。頑張ってくれ。
二人が帰宅したのは日付を超えた頃だった。
「あー飲んだ。飲んだ。飲み直すか?」
キッチンで水を飲みながらリオンは、上着を脱ぎ部屋へ行こうとするウィルに声をかけた。
「いや。寝るし。リオン飲み過ぎ」
「いやー久々で楽しくてさ」
陽気に笑うリオンを振り返り、呆れた顔で見ながら立ち止まる。酒が入るといつも以上にテンションが高くなる幼馴染の相手は若干面倒くさいと言うような顔だ。
「残業しなきゃもう少し行ける回数増やせるんだけどね」
「それとこれとは別だ!」
「そう。じゃおれ寝る」
「えー。もう少し飲もうぜ」
ウィルは眉間にシワを寄せ言い返す。
「そう言って、速攻潰れるのお前だろ!寝ろ!」
「ははっ。それもそうだな。寝るか」
コップを置きやり取りに満足して足を自室に向ける。
「おやすみー。朝食期待してる」
「おやすみ」
いつも通りウィルは朝食の下りをスルーし、いつも通りリオンはスルーされる。いつも通り。
そして、二人は自室へ入り眠りにつくことだろう。…多分。